『心に残る名言』

一条真也です。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきましたが、一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。いつの間にか44冊になっていました。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。整理の意味をかねて、これまでのブックレットを振り返っていきたいと思います。 


『心に残る名言』(2014年7月刊行)

 

『心に残る名言』は、2014年7月1日に刊行したブックレットです。内容は「リビング北九州」2013年5月25日号から2014年4月27日号の連載エッセイをまとめたものです。このブックレットには、12の名言が掲載されています。


『心に残る名言』の目次

 

涙は人間がつくるいちばん小さな海アンデルセン

大切なものは目に見えない
 サン=テグジュペリ

夢見ることができるなら、実現できるウォルト・ディズニー

私があなた方を愛したように、あなた方も相愛しなさいマザー・テレサ

人間尊重出光佐三

世に生を得るは事を成すにあり
 坂本龍馬

敬天愛人西郷隆盛

惜福、分福、植福幸田露伴

太陽と死は直視できない
 ラ・ロシュフーコー

幸福になる一番簡単な方法ラッセ

幸せであれ 平穏であれ 安らかであれブッダ

哲学は死の予行演習ソクラテス


『心に残る名言』の本文

 

2022年8月9日 一条真也

長崎原爆の日

一条真也です。
8月9日は「長崎原爆の日」です。
詳しくはブログ「小倉に落ちるはずの原爆」をお読みいただきたいと思いますが、今日は、わたしにとって1年のうちでも最も重要な日です。原爆投下時間である11時02分に、サンレー本社の社長室で黙祷いたしました

2022年8月9日の各紙朝刊

 

長崎原爆といえば、ブログ「母と暮せば」で紹介した映画を思い出します。名匠・山田洋次監督が、原爆で亡くなった家族が亡霊となって舞い戻る姿を描いた人間ドラマ。ジェントルゴースト(優霊)ストーリーの名作でした。



「母と暮らせば」は、原爆で壊滅的な被害を受けた長崎を舞台に、この世とあの世の人間が織り成す不思議な物語を映し出した作品です。主人公の母親を名女優吉永小百合が演じました。2015年12月12日に公開されましたが、戦後70年という「死者を想う」年の締めくくりにふさわしい名作であると思いました。


また、「広島原爆の日」に当たる3日前の8月6日には、ブログ「長崎の郵便配達」で紹介したドキュメンタリー映画を観ました。元イギリス空軍所属のピーター・タウンゼントさんは、後にジャーナリストとなり長崎を訪れます。彼はそこで、16歳のときに郵便配達中に被爆核廃絶のための運動に生涯を捧げてきた谷口稜曄さんと出会います。1984年に谷口さんへの取材をまとめたノンフィクション『ナガサキの郵便配達』を出版。2018年8月、ピーターさんの娘であるイザベル・タウンゼントさんが長崎を訪問し、父親の本に登場する場所をめぐる映画です。

朝日・毎日・読売・西日本新聞8月9日朝刊広告

 

この日にあわせて、わが社では毎年、「昭和20年8月9日 小倉に落ちるはずだった原爆。」というキャッチコピーで「西日本」「毎日」「読売」「朝日」の各紙に広告を掲載しています。もう20年以上も広告掲載を続けているせいか、ようやく北九州でも歴史上の事実が知れ渡ってきました。新聞広告は、満月のイラストをバックに「鎮魂」と大きく書かれ、「昭和20年8月9日−−小倉に落ちるはずだった原爆。」と続き、「平和への願いを込めて、長崎に祈りを」として、こう書かれています。
「それは77年前のこと。昭和20年8月9日、長崎に第2の原子爆弾が投下されました。広島に人類最初の爆弾が落とされた3日後のことです。長崎型原爆・ファットマンは8月6日にテニアン島で組み立てられました。そして、8月8日にアメリカ陸軍在グアム第20航空軍司令部野戦命令17号において、小倉を第1目標に、長崎を第2目標にして、8月9日に投下する指令がなされました。8月9日に、ソ連が日本に宣戦布告。この日の小倉上空は前日の八幡爆撃による煙やモヤがたち込めていたため投下を断念。第2目標であった長崎に、同日の午前11時2分、原爆が投下されました。小倉の軍需工場が爆弾投下の第1目標であったことを、皆さんはご存知でしたか。長崎ではこの原爆によって74000人もの尊い生命が奪われ75000人にも及ぶ人々が傷つき、現在でも多くの被爆者の方々が苦しんでいます。もし、この原爆が小倉に投下されていたら、あなたの家族や知りあいの方々が命を失い、あるいは大きな痛手を受けたことでしょう。もしかすると、この文章を読んでいるあなたは、この世に存在していなかったかもしれません。絶対に戦争の悲惨さを風化させないためにも、私共は原爆の犠牲になられた方々へのご冥福を祈るとともに、恒久平和への祈りを捧げていきたいと思います。古来、世界各地で月はあの世に見立てられていました。夜空に浮ぶ月を見上げて手を合わせ、亡くなられた方々を想ってみてはいかがでしょうか。
私たちは、『人間の尊厳』を見つめながら、全国各地で真心を込めて、鎮魂と慰 霊のお手伝いをさせていただきたいと願っております。
株式会社サンレー代表取締役社長 佐久間庸和

 

 

また、拙著『論語と冠婚葬祭』(現代書林)のプレゼント告知も行いました。同書は、大阪大学名誉教授で儒教研究の第一人者である加地伸行氏とわたしの対談を単行本化したものです。冠婚葬祭の儀式の本質を、儒教という観点から見つめ直したほか、日本人にとっての『論語』の意味と影響力の大きさについても意見を交わしました。また、死の観念と結びついた「孝」の思想に着目し、小規模化に歯止めのかからない現代の葬儀のあり方について、「生命の連続」という視点から議論を展開しています。
抽選で30名様に進呈します。ハガキでご応募下さい!
<応募方法>
郵便ハガキに郵便番号・住所・氏名・電話番号・書籍名をご記入の上、下記宛へお送り下さい。当選者の発表は商品の発送をもって代えさせていただきます。

 〒802-0022
北九州市小倉北区上富野3-2-8
サンレー「鎮魂」書籍プレゼント 係
2022年8月19日(金)消印有効

 

10月7日(金)18時からサンレーグランドホテルで行われる「月への送魂」のセレモニーの案内もさせていただきました。ぜひ、今年も多くの方々にご参集いただき、月を見上げてなつかしい故人を偲んでほしいと思います。死者を忘れて、生者の幸福など絶対にありません。最後に、長崎の原爆で亡くなられた方々の御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


さて、長崎といえば、名曲「長崎は今日も雨だった」を連想します。内山田洋とクールファイブのメインボーカルだった前川清さんは、あの桑田佳祐さんが「日本一のブルース・シンガー」と絶賛した歌手です。現在、わが社のイメージキャラクターを務めていただいています。そのきっかけは、わが社が長崎原爆の追悼広告を出稿し続けていることを知り、長崎出身の前川さんが感動して下さったことでした。奇しくも、長崎への原爆投下から77年目の今日、前川さんから素敵なプレゼントが届きました。「長崎は今日も豆だった」という豆菓子です。嬉しいです。大切に食べます。前川さん、ありがとうございました!

豆菓子をいただきました!


前川さん、ありがとうございます!

 

2022年8月9日 一条真也

「プアン/友だちと呼ばせて」

一条真也です。
タイ映画「プアン/友だちと呼ばせて」を観ました。アジアの巨匠ウォン・カーウァイと『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』の監督がタッグを組んだことで話題となりサンダンス映画祭で絶賛された「One For The Road(原題)」が、「プアン/友達と呼ばせて」の邦題で公開。予告編から予想していたように、グリーフケア映画と呼べる内容でした。ちなみに「プアン」とは、タイ語で「友」のことですね。


ヤフー映画の「解説」には、「『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』などのナタウット・プーンピリヤ監督による人間ドラマ。余命宣告を受けた青年とその親友の旅を描き、サンダンス映画祭ワールドシネマドラマティック部門で審査員特別賞に輝いた。『花様年華』などのウォン・カーウァイが製作総指揮を担当。『ゴースト・ラボ:禁断の実験』などのトー・タナポップ、『ハッピー・オールド・イヤー』などのチュティモン・ジョンジャルーンスックジン、アイス・ナッタラットらが出演する」とあります。

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
アメリカ・ニューヨークでバーを営むボスの元に、タイ・バンコクで暮らす友人ウードから久々に電話が入る。がんに侵され余命宣告を受けたという親友の頼みを聞くためタイに帰国したボスは、元恋人たちを訪ねるウードの旅のドライバーを任される。彼の体調を気遣いながらも楽しい時間を共にし、旅も終わりにさしかかったころ、ウードがある秘密を打ち明ける」


わたしは、この映画を「グリーフケア映画」だと書きました。グリーフケアには、2つの働きがあります。1つは、死別の悲嘆を軽くすること。もう1つは、自身の死の不安を乗り越えることです。白血病で余命宣告を受けた青年・ウード(アイス・ナッタラット)は、父親の葬儀にも参列できなかったという悲嘆と、自分はもうすぐ死んでしまうという不安の両方を抱えています。そんなウードには、死ぬ前に3人の元カノに会って、大切な忘れ物を彼女たちに届けたいという願いがありました。しかし、必ずしも彼女たちは再会を喜んではくれません。「死ぬ前に愛した人に会いたい」というのはウードのエゴであって、彼女たちにとっては過去の辛い思い出が蘇って傷つくこともあるのです。また、当然ながら、彼女たちには新しい恋人や夫もいるかもしれません。会いに行くなら、元カノや元カレは止めた方がいいかもしれませんね。ウードが元カノとの再会を果たすたびに、スマホで相手の連絡先を削除するシーンはいかにも現代的で印象に残りました。

死ぬまでにやっておきたい50のこと

 

拙著『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イースト・プレス)には、「お世話になった人に会いに行く」という項目があります。お世話になった人とは、恩師や上司や先輩だけでなく、同級生や同僚もいれば、後輩や部下などもいるでしょう。その他、1人の人間が長い人生の中でお世話になる人の数は無数とも言えます。その人たちに会いに行って伝えることは「謝」の一文字だと思います。二文字ならば、「謝罪」と「感謝」です。すなわち「ごめんなさい」と「ありがとう」です。人生を卒業する前に、「「ごめんなさい」と「ありがとう」だけは言うべき相手に伝えてから旅立ちたいものです。ちなみに「ありがとう」は「有難う」と書きます。人と人との出会いはすべて奇跡的であり、有難い、あり得ないことなのです。その奇跡を「縁」と呼びます。そして、目に見えない「縁」が見える化されるのが葬儀に代表される冠婚葬祭です。


元カノ巡りをしたいウードは、ニューヨークでバーを経営する親友のボス(トー・タナポップ)に連絡して、彼にバンコックまで来てもらいます。2人は車で旅しますが、その終着点で思わぬ出来事が起きます。映画の予告編で、「クライマックスから、新たなストーリーが始まる」とありましたが、まさに意表を衝かれる展開でした。「男と男の友情」がテーマだと思っていたら、急に「男と女の恋愛」にテーマが変わるのですが、この構成は非常に新鮮で、脚本も素晴らしかったです。
「人間関係は酒と同じ。気を緩めると、飲まれてしまう」とか「誰かと関わったら、その時間が長くても、短くても、思い出が心に残ることは変わらない」などの名言が印象に残りました。ウードからの思わぬ告白で、ボスの過去が明らかになり、その未来も大きく変わります。ラストシーンは、なかなか感動しました。

 

また、この映画ではバーが主要な舞台で、各種のカクテルが登場します。中でも最もよく登場した「ニューヨーク・サワー」というカクテルが美味しそうでした。いつか、マンハッタンのバーで、ニューヨーク・サワーを飲んでみたいと思いました。そして、この映画、音楽が素晴らしかったです! ウードの父親が伝説のDJという設定で、彼のラジオ番組を録音したカセットテープが大活躍します。ボスのカクテル作りのBGMとして流れるのは、ブログ「セッション」で紹介した映画でも流れた「Whiplash」です。他にも、エルトン・ジョンフランク・シナトラキャット・スティーブンスザ・ローリング・ストーンズといった歴史に残るミュージシャンたちの名曲が続々と流れますが、これらはプーンピリヤ監督がチョイスしたそうです。これらの音楽が友情と恋愛とグリーフケアを主軸とした物語、ニューヨークやバンコックやパタヤを背景にした美しい映像と見事にマッチしています。音楽映画としても秀逸な作品でした。

 

2022年8月1日 一条真也

さよなら、青木新門さん!

一条真也です。
記録的な大雨の後は猛暑が続くと予想されている北陸から、悲しいニュースが届きました。6日午前8時52分、詩人で作家の青木新門さんが肺がんで亡くなられたのです。衷心より、哀悼の意を表します。

北國新聞」2022年8月7日朝刊

 

青木さんは、ブログ『納棺夫日記』ブログ『それからの納棺夫日記』で紹介した本の著者です。『納棺夫日記』は、ブログ「おくりびと」で紹介した日本映画の名作の原案となったことで知られています。ちょうど今日の深夜0時にブログ『死を乗り越える映画ガイド』をUPし、その記事に「おくりびと」の動画も紹介した直後だったので、その偶然に驚き、故人との御縁を感じました。


青木新門さんと

 

ブログ「青木新門さんにお会いしました」に書いたように、2016年6月6日、わたしは富山に入り、その夜、青木新門さんにお会いしました。場所は、JR富山駅前にあるオークスカナルパークホテル富山です。青木さんは、同ホテルを運営する冠婚葬祭互助会であるオークス株式会社の顧問を務めておられました。わたしにとって、冠婚葬祭互助会業界の大先輩でした。


映画「おくりびと」といえば、第32回日本アカデミー賞最優秀作品賞、第81回米アカデミー賞外国語映画賞を受賞してから、ずいぶん時間が立ちましたが、あの興奮は今でも憶えています。日本映画初の快挙でした。この映画で主演の本木雅弘さんは、「ある本」に出会って大いに感動し、映画化の構想をあたためていたそうですが、その本こそ『納棺夫日記』。平成5年(1993)に単行本として桂書房から出版されベストセラーになった名作ですが、現在は版を重ね『定本納棺夫日記』と銘打って刊行され、文春文庫にも入っています。

 

 

その本の著者こそ、青木新門その人なのです。青木さんは昭和12年、富山県下新川郡入善町のお生まれで、ながらく「納棺師」として葬儀の現場でご尽力しておられました。その尊いご体験が『納棺夫日記』には綴られているがゆえに、読み手の心を強く揺さぶる作品となっています。『納棺夫日記』を原案とした映画「おくりびと」が公開されたことは葬祭業界においても非常に大きな出来事でした。葬祭スタッフがお客様と話をする際に「おくりびと」という共通の話題と認識があることは、葬儀を担当する上でどれだけ助けられたことでしょうか。映画の中での美しい所作と儀式は、お客様が望むことを映画というメディアで表現してくれました。ご遺族が大切にしている方をこうもやさしく大事に扱ってくれるということはグリーフケアの上でも大切なことでした。『納棺夫日記』と「おくりびと」のおかげで葬祭スタッフに対する社会的地位も変わったのではないかと感じるところもあります。何よりも、自分の仕事へのプライドを彼らに与えてくれました。

 

永遠葬

永遠葬

Amazon

 

ブログ「『永遠葬』に反響続々!」で紹介したように、2015年に上梓した拙著『永遠葬』(現代書林)を青木さんに献本させていただいたところ、氏はご自身のブログ「新門日記」の記事に以下のように書いて下さいました。
一条真也氏(=佐久間庸和 (株)サンレー代表・全国冠婚葬祭互助会連盟会長)から8月4日発売の新著『永遠葬』が送られてきた。内容は島田裕巳氏の『葬式は、要らない』や近著『0葬』を批判した『葬式は要る』という立場で、なぜ要るのかということを多くの事例や理由をあげて書かれた本である。島田氏が個の命にとらわれているのに対して、一条氏は永遠を見据えているのがいい。氏は京都大学こころの未来研究センターの研究員でもある。私も島田裕巳氏が『葬式は、要らない』を出した時、当時本願寺の教学研究所の所長をしておられた浅井成海師と対談形式で『葬式は要る』と題して出版する計画があった。ところが企画したPHP出版と打ち合わせていたら浅井氏が末期癌で急逝され、出版の話はたち切れとなってしまった。あの時島田氏の本を読んで感じたことは、NHKのクローズアップ現代のように、葬式や宗教を社会現象学的に取り上げているだけだと思った。事物の現象の本質が全くわかっていない人だと思った。現象の本質がわかっていないということは、死の本質がわかっていないということであり、宗教の本質がわかっていないということでもある。後から島田氏はマックスウェーバーの流れをくむ橋爪大三郎氏の弟子だと知って、なるほどと思ったものだった。こういう現象の上辺をなでたようなものを書いて時流に乗るのがうまい学者の本はよく売れるが、酒鬼薔薇聖斗の近著『絶歌』が売れるのと同じような市場経済優先の社会現象のように私には映るのだった。しかしそのことが多くの人を惑わす結果になるから困るのである」


ブログ「新門日記」より

 

わたしは、このブログ記事を拝読して、大変感激いたしました。青木さんからはメールも頂戴し、「一度ぜひお会いしましょう」と言っていただきました。本当に光栄であり、ありがたいことでした。その後、メールのやりとりなどを重ねて、このたびの対面に至ったわけです。いろいろとご尽力いただいたオークスの牧常務(当時)には心より感謝申し上げます。


青木さんよりチベットの鳥葬について学ぶ

 

会食のメンバーは、青木さん、牧常務(当時)、わたし、サンレー北陸の西課長の4人でした。オークスカナルパークホテル富山内にあるモダン和食店WAZA」の美味しい料理をいただきながら、わたしたちはさまざまな話で盛り上がりました。青木氏からはご著書『転生回廊』(文春文庫)を頂戴し、そこに写真が掲載されていたチベットの鳥葬についてのレクチャーも受けました。わたしも、チベットを訪れてみたくなりました!

 

 

当時、わたしは宗教学者島田裕巳さんと往復書簡を交わしていたのですが、そのことなども話題に出ました。その往復書簡は、島田さんとの共著である『葬式に迷う日本人』(三五館)に全文収録されています。また、青木さんは「月への送魂」にご感心がおありとのことですので、その年の「隣人祭り 秋の観月会」にご招待させていただきたいと思っていました。しかし、諸般の事情から実現せず、まことに残念でした。一度、「月への送魂」を青木さんに見ていただきたかった!


『転生回廊』をプレゼントされました

 

その他にも、青木さんから貴重なアドバイスもたくさん頂戴しました。わたしにとって、葬儀の意味を改めて学ぶことができた有意義な時間となりました。最後に青木さんは「葬儀は絶対になくなりませんよ」と言われました。「『葬式は、要らない』じゃなくて、『葬式は、なくならない』ですよ」とも言われました。さらに、青木さんは「新門日記」の「6月6日(月)晴れ」で以下のように書いて下さいました。ありがとうございます。
「自宅近くのオークスカナルパークホテルへ出向く。明日全国互助会連盟の定例総会があるため前泊された会長の佐久間庸和氏と会食する約束をしたからだった。佐久間氏は、小倉や金沢の冠婚葬祭会社サンレーの社長だが、一条真也というペンネームで『ハートフル・ソサエティ』『唯葬論』『死が怖くなくなる読書』といった本も出しておられる。氏は、新時代の葬儀の一つとして、月へ魂を送る『月への送魂計画』を提案する。超日月光を信じる私は違和感を覚えるが、奇抜なアイデアとして面白いと以前から思っていたので、一度お会いしたいと思っていたのであった。氏は、大変な読書家で豊富な知識を持っておられ、共通の知人も多かった。そんな方に会うと、話が弾む。しかし2時間の会食を終えて別れた後、余計なことまで話していたことを後悔しながら帰路の夜道を歩いていた」

 

 

さて、青木さんのいう「余計なこと」とは何でしょうか?
青木さんとの会話はすべて楽しく有意義な内容でしたが、特に青木さんが「月への送魂」に興味を持っておられたことは意外でした。浄土真宗に代表される伝統的な葬儀しか認めておられないイメージがあったからです。青木さんが仏教に深い造詣を持ちながらも、非常に柔軟な発想をされる方であることがわかり、嬉しくなりました。



そのブログの最後に、わたしは「今度は、ぜひ、九州の夜空に上った満月を見上げながらお話したいです。青木新門先生、今日はお会いできて光栄でした。『一条さん、あなたに会いたかったんですよ』とのお言葉、嬉しかったです! 今後とも、御指導下さいますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます」と書きました。その後、一度、京都駅のホームで偶然お会いしましたが、ゆっくりと葬儀談義をする機会には恵まれませんでした。青木さんが訴えられた葬儀の意義と重要性は、日本の葬祭業界のみならず、日本人の死生観に広く影響を与えられました。青木さんは、島田裕巳さんの著書『葬式は、要らない』『0葬』に対する反論書を本当は自分でお書きになられたかったと思います。しかし、わたしが先に『葬式は必要!』と『永遠葬』を書いてしまいました。それでも、青木さんは「良い本を書いてくれました」と喜んで下さいました。まことに、感謝の気持ちに耐えません。

 

 

今、三たび、島田裕巳さんはブログ『葬式消滅』で紹介した最新刊を発表されました。前の2冊と比較しても、今度の本が一番強力のように思います。わたしは、その反論書『葬式不滅』(オリーブの木)を書くことを決意しました。本が完成したら、青木さんの霊前に捧げさせていただきたいと存じます。また、今朝、映画プロデューサーの志賀司さん(セレモニー社長)と「青木さんの供養のためにも、『おくりびと』を超えるグリーフケア映画を作りましょう!」と誓い合いました。青木さんが言われた「葬儀は絶対になくなりませんよ」という言葉が、わたしの心の中で何度も繰り返されています。納棺夫としての青木さんの葬儀への想いや死者への祈り、さらにはご遺族への思いやりは、いま、日本各地で続々と誕生しているグリーフケア士たちにも確実に受け継がれています。合掌。

 

 

2022年8月7日 一条真也

『死を乗り越える映画ガイド』

一条真也です。
82冊目の「一条真也による一条本」紹介は、『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)です。「あなたの死生観が変わる究極の50本」というサブタイトルがついています。本書は、2016年9月17日の刊行です。


死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

カバー表紙には映画館の館内のイラストが描かれ、帯には「『風と共に去りぬ』から『アナと雪の女王』まで」「暗闇の中で人は生と死を考える」「さあ紙上上映会の始まりです。生きる力と光を放つ50本」と書かれています。


本書の帯

 

本書は、同じ現代書林から上梓した『死が怖くなくなる読書』(その後、『死を乗り越える読書ガイド』としてアップデート版が刊行されました)の続編です。前作では、読書という行為によって死の「おそれ」や死別の「かなしみ」を克服することができると訴えました。

死が怖くなくなる読書』(現代書林)の続編です

 

今回は映画です。長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。その歴然とした事実を教えてくれる映画、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれる映画、死者の視点で発想するヒントを与えてくれる映画などを集めてみました。本書の「目次」は、以下の通りです。



はじめに「映画で死を乗り越える」

第1章 死を想う

永遠の僕たち」――死を見つめる切ないラブストーリー

母と暮せば」――優霊映画の定番ゆえに泣ける1本

はなちゃんのみそ汁
 ――大切なことを伝えたい母の思い

そして父になる」――先祖へつながる家族の絆

東京家族」――「東京物語」へのオマージュ

悼む人
 ――「死者を忘れるな」という強烈なメッセージ

四十九日のレシピ」――限りない家族への希望

涙そうそう」――冠婚葬祭と家族愛を描いた沖縄の映画

オール・ユー・ニード・イズ・キル
 ――戦闘シーンがリアルな日本人原作のSF

サウルの息子
――「人間の尊厳」と「葬」の意味を問う名作

コラム●映画から死を学んだ



第2章 死者を見つめる

おくりびと
 ――世界に日本の儀式の素晴らしさを発信

おみおくりの作法
 ――孤独死した人々へのやさしいまなざし

遺体 明日への十日間
 ――
何が人間にとって本当に必要か

蜩ノ記」――「死ぬことを自分のものとしたい」

おかあさんの木」――樹木葬をイメージする戦争映画

ハッピーエンドの選び方
 ――イスラエル版「おくりびと

世界の涯てに
 ――生きる目的を探す不思議な三角関係

バニー・レークは行方不明
 ――観る者に実存的不安を与える名作

コラム●ホラー映画について



第3章 悲しみを癒す

岸辺の旅
 ――世界は「生者のような死者」と「死者のような生者」にあふれている

ポプラの秋」――「死者への手紙」に託す想い

想いのこし」――成仏するための作法

ニュー・シネマ・パラダイス
  ――「人生最高の映画」「心に残る名画」への違和感

アバウトタイム〜愛おしい時間について〜
 ――タイムベル映画の新境地

ファミリー・ツリー
 ――家族の絆は別れ際にあり!を実感

インサイド・ヘッド
 ――ピクサーのヒット作。葬儀で泣くということ

リトル・プリンス 星の王子さまと私
  ――ハートフル・ファンタジーの力を再確認

アナと雪の女王
 ――男女の恋愛話だけがアニメの世界ではない

風立ちぬ」――最大のテーマは「夢」

コラム●SF映画について



第4章 死を語る

エンディングノート」――「死」を迎える覚悟の映画

オカンの嫁入り
 ――日本映画の王道の冠婚葬祭映画

縁〜The Bride of Izumo
 ――日本の美に涙する1本

お盆の弟
 ――「無縁社会」を打ち破る「血縁」映画

マジック・イン・ムーンライト
 ――大好きなウディ・アレンの佳作

マルタのことづけ
 ――「死」を覚悟して笑顔で旅立つ姿に感動

海街diary」――この上なく贅沢で完璧な日本映画

クラウド アトラス
 ――輪廻転生を壮大なスケールで描く

永遠と一日
 ――名作は必ず「愛」と「死」の両方を描く

天国は、ほんとうにある」――臨死体験することの意味

コラム●ファンタジー映画について



第5章 生きる力を得る

海難1890
 ――トルコと日本の国境を越えた大いなる「礼」の実現

6才のボクが、大人になるまで。
 ――時間というのは現在のことだ

アリスのままで」――アルツハイマー病の現実を描く

博士と彼女のセオリー」 

 ――絶望を希望に変えてくれる名画

マリーゴールド・ホテルで会いましょう
 ――ホテル業ほど素敵な商売はない

アルバート氏の人生
 ――自分らしい生き方を模索する姿に共感

シュガーマン 奇跡に愛された男
 ――生きる希望を与えてくれる傑作

セッション」――音楽と教育の力を実感する1本

ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日
 ――青年を成長させてくれる漂流映画

レヴェナント 蘇りし者
 ――生きることの過酷さを実感する巨編

ゼロ・グラビティ
 ――死者に支えられて生きていることを実感できる

インターステラー
 ――親は、子どもの未来を見守る幽霊

あとがきにかえて「最後にもう一本」裸の島
 ――『葬式は、要らない』に対する答え


映画とは何か

 

「映画で死を乗り越える」というのが本書のテーマですが、わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。


写真と映画の相違

 

それは、わが子の運動会を必死でデジタルビデオで撮影する親たちの姿を見てもよくわかります。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。


映画の誕生

 

そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。わたしには『唯葬論』(三五館)という著書があるのですが、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。そう、映画を観れば、わたしは大好きなヴィヴィアン・リーオードリー・ヘップバーングレース・ケリーにだって、三船敏郎高倉健菅原文太にだって会えるのです。


洞窟の中で生まれた宗教儀礼

 

古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説がありますが、洞窟も映画館も暗闇の世界です。暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。


映画館という「洞窟」の内部

 

闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのでした。


儀式としての映画(日常から非日常へ)


儀式としての映画(非日常から日常へ)

 

三島由紀夫著『ぼくの映画をみる尺度』には「忘我」という秀逸なエッセイが収められていますが、そこで三島は「どうしても心の憂悶の晴れぬときは、むかしから酒にたよらずに映画を見るたちの私は、自分の周囲の現実をしばしが間、完全に除去してくれるという作用を、映画のもっとも大きな作用と考えてきた」と書いています。わたしは三島と違って酒も飲みますが、どうしても現実を忘れたいときに映画を観るのは彼と同じです。そこで、わたしは現世の憂さを忘れるのですが、最も忘れている現実とは「死すべき運命にある自分」なのかもしれません。本書に紹介した映画はDVDやブルーレイで購入あるいはレンタルできるものばかりですが、観賞の際はぜひ部屋の照明を暗くして映画館のような洞窟空間を演出されることをお勧めいたします。なお、来月には映画についての最新刊『心ゆたかな映画』(現代書林)を出版予定です。お楽しみに!



2022年8月7日 一条真也

『世界のビジネスエリートが知っている教養としての茶道』

一条真也です。
125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第171回分が掲載されています。今回は、『世界のビジネスエリートが知っている教養としての茶道』竹田理絵著(自由国民社)を取り上げました。

サンデー新聞」2022年8月6日号

 

本書は、茶道500年の歴史を習得するための本です。著者は、株式会社 茶禅の代表取締役。一般社団法人 国際伝統文化協会理事長。日本伝統文化マナー講師。茶道裏千家教授。「はじめに」で、著者は「祖父は掛け軸の職人、母は茶道の先生という家庭の中、和の空間があたりまえと思って育ってきました。社会人となり(中略)外国人から『日本の文化について』説明を求められた際に何も答えられずに(中略)チャンスを逃した人をみて、寂しい気持ちになり、茶道を中心とした日本の伝統文化の素晴らしさを伝えたいと思うようになりました」と述懐します。

 

退職後、銀座の歌舞伎座の隣りにお茶室「茶禅」を開きましたが、年間30カ国以上の人々が日本の文化を求めて訪れるそうです。ビジネスパーソンとして求められているのは、ただ仕事ができるだけではなく、人間的な幅や厚みを身につけ、豊かな心を持った教養ある人であるという著者は、「そのような時代に、日本の伝統文化や精神について説明できることが益々重要になっています。茶道は書道、華道、香道、着物、建築、和食など、日本の美意識が全て入った総合伝統文化といわれています。教養として茶道を学ぶことは、幅広い日本の伝統文化を学ぶことにもなります。日本人として、日本の伝統文化についての教養を身につければ、国際人として真の自信を持つことができます。」と茶道を修める意味と効能を語ります。

 

「おわりに」では、著者は「今、私たちが一番求めていることは、心の平静、安定ではないでしょうか。新型コロナウイルスの影響もあり、手の汚れを落とすことは生活の一部になりましたが、目にみえない心の汚れや曇りを意識したことはありますか?」と読者に問いかけます。そして千利休に「茶道とは何ですか?」と尋ねると、「渇きを医するに止まる」と答えた逸話を提示し著者は、「これは、お茶が単に喉の渇きを癒すだけでなく、心の渇きも癒すのだと答えたのです」と述べます。

 

最後に、「水を運び、薪を取り、湯を沸かし、茶を点てて、仏にそなえ、人に施し、吾も飲む」という千利休の言葉を紹介し、著者は「水を運び、取ってきた薪で湯を沸かし茶を点てる。お茶は仏様に備え、お客様にも召し上がっていただき、自分も飲む。それが茶の湯です」と本書を締めくくるのでした。わたしは、「茶道はヘルスケア・アートであり、スピリチュアルケア・アートであり、グリーフケア・アートでもある」と考えているのですが、本書を読んで、その考えが間違っていないことを確認しました。とてもわかりやすくて、興味の尽きない茶道入門書です。令和の時代の『茶の本』と言えるでしょう。

 



2022年8月6日 一条真也

広島原爆の日

一条真也です。
5日は、埼玉県大宮市で行われた業界の大先輩の通夜式に参列。6日、北九州に戻ります。今日は「広島原爆の日」です。世界で初めての核兵器が使用されてから、77年目を迎えました。広島の原爆では、14万人もの方々が即死しました。その事実に改めて心が凍りつく思いです。

2022年8月6日の各紙朝刊

 

広島原爆といえば、ブログ「この世界の片隅に」で紹介したアニメ映画を思い出します。テレビドラマ化もされましたが、わたしは2016年の11月にこのアニメ映画を観ました。もう、泣きっぱなしでした。主人公すずが船に乗って中島本町に海苔を届けに行く冒頭のシーンから泣けました。優しくて、なつかしくて、とにかく泣きたい気分になります。日本人としての心の琴線に何かが触れたのかもしれません。

 

「この世界の片隅で」の舞台は広島と呉ですが、わたしの妻の実家が広島です。映画に登場する広島の人々の方言が亡くなった妻の父親の口調と同じで、わたしは義父のことをしみじみと思い出しました。この映画は本当に人間の「悲しみ」というものを見事に表現していました。玉音放送を聴いた後、すずが取り乱し、地面に突っ伏して泣くシーンがあるのですが、その悲しみの熱量の大きさに圧倒されました。

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 広島平和記念資料館の前で

 

ブログ「広島平和記念資料館」に書いたように、わたしは8年前の2013年8月15日に広島平和記念資料館を訪れました。多くの来場者の間を縫い、わたしは館内をくまなく見学しました。そこで、わたしは人類の「業」について考えました。人類はどこから来たのか。人類とは何なのか。人類はどこに行くのか。そんなことを考えました。アメリカが原爆を日本に投下した時点で、人類は1回終わったのではないのか。そんなことも考えました。館内には英語で話している白人もたくさんいました。彼らは、ここで何を感じたのでしょうか。出来るものなら、彼らの本音を聞いてみたかったです。


原爆ドームを訪れました

 

また、ブログ「原爆ドーム」に書いたように、8年前の猛暑の広島で放心状態になりながら、わたしは原爆ドームを眺めました。もちろん人類史を代表する愚行の象徴なのですが、このような建物が当時の状態のままで保存されていることは、本当に凄いと思います。なんだか神々しく思えてきました。もはや神殿の雰囲気さえ醸し出しています。


そう、ブログ「伊勢神宮」に書いた日本最高の神社にも似て、人間の愚かさとサムシング・グレートの実在というべきものを感じさせてくれるのです。戦後、どれほど多くの人々が原爆ドームを訪れ、写真を撮影し、スケッチをし、眺め、何かを考えたことでしょう。その想念の巨大さを思うだけで、眩暈してしまいます。



この世界の片隅に」というアニメ映画の名作には、「死」と「死別」がリアルに描かれています。ちょうど5年前、わたしは『般若心経 自由訳』(現代書林)を上梓しました。自ら自由訳してみて、わたしは日本で最も有名なお経である『般若心経』がグリーフケアの書であることを発見しました。このお経は、死の「おそれ」も死別の「かなしみ」も軽くする大いなる言霊を秘めています。葬儀後の「愛する人を亡くした」方々をはじめ、1人でも多くの方々に同書をお読みいただき、「永遠」の秘密を知っていただきたいと願っています。

 

般若心経 自由訳

般若心経 自由訳

 

 

2022年8月6日 一条真也