「利他」の精神と互助会

一条真也です。
16日、東京から北九州に戻りました。17日の朝、松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。

神事の最初は一同礼!


月次祭のようす


玉串を受け取りました


拍手を打ちました


拍手を打つ松田常務


神事の最後は一同礼!

 

皇産霊神社の瀬津神職によって神事が執り行われましたが、この日は祭主であるサンレーグループ佐久間進会長が欠席でしたので、わたしが玉串奉奠を行いました。会社の発展と社員の健康・幸福、それに新型コロナウイルスの感染拡大が終息することを祈念。その後、北九州本部長である松田哲男常務が玉串奉奠し、参加者がそれと一緒に二礼二拍手一礼しました。儀式によって「かたち」を合わせると、「こころ」が1つになる気がします。


天道塾開始前の会場

最初は、もちろん一同礼!

ロイヤルブルーのマスク姿で登壇


マスクを外しました

 

神事の後は、恒例の「天道塾」です。最初に社長であるわたしが、ロイヤルブルーのマスク姿で登壇しました。まず、長女の結婚式および結婚披露宴でお世話になったことへの感謝の言葉を社員のみなさんに伝えました。そして、初めて「ハートフル」という言葉の意味がわかったこと、それが「礼」に通じていたことなどを話しました。「礼」といえば、最新刊『論語と冠婚葬祭』(現代書林)がおかげさまで好評です。わが国における儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授の加地伸行先生との対談本で、「天下布礼」の書であります。

「礼」について語りました

 

同書では「礼」について追及しましたが、「礼」とは何よりもわが社のミッションである「人間尊重」だと思います。「人間尊重」は、かの出光佐三翁の哲学を象徴する言葉でもあります。サンレーの創業者である佐久間進会長が若い頃、地元・北九州からスタートして大実業家となった佐三翁を深く尊敬しており、その思想の清華である「人間尊重」を自らが創業した会社の経営理念としました。以後、サンレーグループのミッションとなっています。



「人間尊重」ということを考える上で、非常に感動的な動画にネット上で出合いました。「極貧少女とラーメンおやじ」というアニメ動画です。貧しくて、いつもお腹を空かせている小学校1年生の少女がラーメン店主からラーメンを食べさせてもらうという話です。「お返しができないから、食べられない」と固辞する少女に、店主は「それなら、おじさんに漢字を教えておくれ。ラーメン1杯ごとに漢字を1つ教えてほしい」と言います。見返りを求めないだけでなく、相手に心理的負担を与えない店主の心に感動します。この少女が成長して、今度は困窮状態にあった店主を助けるのですが、わたしは涙が止まりませんでした。店主のように「人を助けられる人」、少女のように「受けた恩を返せる人」、「人のために」という利他の心を持った人間になりたいものです!



また、「同級生に、お弁当を分けてあげた私→20年後、火事から私を救ってくれたのは、なんと・・・」というアニメ動画も紹介しました。この話はフィクションですが、「利他」の本質を見事に描いています。弁当を分けてもらった男の子が卑屈な思いをしないように、女の子が「お母さんが張り切ってお弁当を作りすぎちゃったの。残して帰ったらいろいろ言われるから」と小学生ながら相手の感情に寄り添う言葉をかけるのも素晴らしいです。わが社は、児童養護施設のお子さんたちに七五三や成人式の衣装を無償でレンタルさせていただいています。「万物に光を降り注ぐ太陽のように、すべての人に儀式を提供したい」というわが社の志によるものです。次なる志の「かたち」は「子ども食堂」でした。さまざまな事情で、満足な食事が取れないお子さんたちにお腹いっぱい美味しいものを食べていただきたいと考えてきました。昨年ついに、「日王の湯」で子ども食堂が実現し、現在も定期開催しています。2つの感動的な動画を観て、わたしは「子ども食堂をもっと増やしたい!」と強く思いました。



論語と冠婚葬祭』を読んだ サンレー北陸MSセンターの中山雅智所長が、「わたくしの偏った感性で恐縮ですが、本を読みながら日本人っていいな。人間っていいなと思ったら、幼少期にテレビで見ていた、『まんが日本昔ばなし』のエンディング曲『にんげんっていいな』を思い出しました。その歌詞の中には、『ほかほかごはん』『ポチャポチャおふろ』とあり、サンレーズ・アンビション・プロジェクトを垣間見ることができました」との感想をLINEで送ってくれました。そう、「日王の湯」では、子ども食堂だけでなく、子ども温泉も開催しているのです。これは、全国でも珍しい試みだそうです。

サンレーズ・アンビション・プロジェクトについて

 

中山所長のいう「サンレーズ・アンビション・プロジェクト」とは、「人間尊重」としての礼の精神を世に広める「天下布礼」の実践です。具体的には、冠婚葬祭衣装の無償レンタル、天然温泉の無料体験&子ども食堂の開設などの一連の社会貢献活動のことですが、これは、SDGsにも通じています。SDGsは環境問題だけではありません。人権問題・貧困問題・児童虐待・・・・・・すべての問題は根が繋がっています。そういう考え方に立つのがSDGsであるわけです。その意味で入浴ができなかったり、満足な食事ができないようなお子さんに対して、見て見ぬふりはできません。義を見てせざるは勇なきなり!


「利他」の精神について


熱心に聴く人びと

 

「極貧少女とラーメンおやじ」のエピソードは「利他」の精神に溢れていますが、じつは「利他」とは「互助」という言葉に通じます。日本には「情けはひとのためならず」という言葉がありますが、他人を助けることのできる人は他人から助けられることのできる人なのです。この動画をいろんな人にLINEで紹介したのですが、サンレー北九州本部の営業推進部の小谷研一部長は「家族以外でも強い絆で結ばれることの素晴らしさを改めて感じました。互助会の普及が利他の精神の普及であると信じ業務に邁進致します」とのコメントを寄せてくれました。わたしは、この極貧少女のような境遇の子どもがいなくなり、平等な社会になることを強く願います。戦争をするだけが人類の歴史ではあまりにも悲し過ぎます。

「ケア」と「利他」について

 

ここ数年、わたしは「ケア」について考え、サービス業をケア業へと進化させる方法を模索しています。そんな中、『思いがけず利他』中島岳志著(ミシマ社)という本に出合い、「利他」が「ケア」に通じることを確認しました。東京工業大学で「利他プロジェクト」を立ち上げた著者は、1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授です。島薗進先生とも対談本を出されています。同書の「はじめに」の冒頭で、中島氏は「コロナ危機によって『利他』への関心が高まっています。マスクをすること、行動を自粛すること、ステイホームすること――。これらは自分がコロナウィルスにかからないための防御策である以上に、自分が無症状のまま感染している可能性を踏まえて、他者に感染を広めないための行為でもあります」と書きだしています。


「他力」とは何か?


熱心に聴く人びと

 

いまの自分の体力に自信があり、感染しても大丈夫と思っても、街角ですれ違う人の中には、疾患を抱えている人が大勢いるだろうとして、著者は「恐怖心を抱きながらも、電車に乗って病院に検診に通う妊婦もいる。通院が不可欠な高齢者もいます。一人暮らしの高齢者は、自分で買い物にも行かなければなりません。感染すると命にかかわる人たちとの協同で成り立っている社会の一員として、自分は利己的な振る舞いをしていていいのか」ということが各人に問われるといいます。人間が自身の限界や悪に気づいたとき、「他力」がやって来ます。「他力本願」というと、「他人まかせ」という意味で使われますが、浄土教における「他力」とは、「他人の力」ではなく、「阿弥陀仏の力」です。「他力本願」とは、すべてを仏に委ねて、ゴロゴロしていればいいということではなく、大切なのは、自力の限りを尽くすことです。

すべては「利他」から始まる! 

 

自力で頑張れるだけ頑張ってみると、わたしたちは必ず自己の能力の限界にぶつかります。そして、自己の絶対的な無力に出会うとして、中島氏は「重要なのはその瞬間です。有限なる人間には、どうすることもできない次元が存在する。そのことを深く認識したとき、『他力』が働くのです」と述べています。それが大切なものを入手する偶然の瞬間です。重要なのは、わたしたちが偶然を呼び込む器になることです。偶然そのものをコントロールすることはできませんが、偶然が宿る器になることは可能です。そして、この器にやって来るものが「利他」であるというのです。器に盛られた不定形の「利他」は、いずれ誰かの手に取られます。その受け手の潜在的な力が引き出されたとき、「利他」は姿を現し、起動し始めるのではないか?

互助会の普及は「利他」の精神の普及!

 

小谷部長が言うように、互助会の普及とは「利他」の精神の普及そのものです。佐久間進会長は、著書『人間尊重の「かたち」』(PHP研究所)において、「人間尊重とは、人と人とがお互いに仲良くし、力を合わせることです。互いに助け譲り合う『互譲互助』『和』の精神は、神道の根幹を成すものであり、自然と人間の調和こそが日本人の精神形成の基になっています。今、日本では『無縁社会』などという言葉が取り沙汰されるほど人間関係の希薄さが進行し、日本は、日本人はダメになってしまうのではないかと危惧していました。ところが、2011(平成23)年に発生した東日本大震災で、日本は素晴らしい国民性を持っていることが再確認できました。あれだけの震災を受け、自分自身がこの先どうなるか分からない、死ぬかもしれない中で、暴動や略奪が起こらず、お互いが助け合い・支え合い・励まし合って生きようとする見事な姿勢。あれだけ追い詰められて先が見通せない時に秩序を守り、礼儀正しく、一杯の炊き出しごはんをいただくにもきちんと整列して何時間でも待っている姿。これには世界の人たちが日本人は大したものだと驚嘆し、称賛してくれました。他国ではあり得ない姿だったようです」と述べます。


互助共生社会をつくろう!

 

また、佐久間会長は「私ども冠婚葬祭互助会が掲げてきた、『互助社会をつくろう!』『共生社会をつくろう!』『支え合う社会をつくろう!』という最終目的は、まさに日本人が持っている一番の特徴を表しているのではないでしょうか。わが社はそれを長年にわたって言い続けてきました。東日本大震災後、『絆』という言葉がクローズアップされています。絆とはまさに人と人の結びつきです。かつて絆を大切にしてきた日本人の心が覚醒し、お互いに助け合うこと、支え合うことが再認識され、われわれ冠婚葬祭互助会に対する評価も必ず上がってくると思います。そして『支え合う』ということを大きな柱に据えたいと思います。『助け合い』から『支え合い』へ。冠婚葬祭を通して、もう一度人と人との絆を結び直せないかと思っています。本格的にわれわれの目指す仕事がいよいよできるのではないかと、楽しみに感じているところです」とも述べています。わたしは、「わが社は、これからも、サンレーズ・アンビション・プロジェクトを推進していきましょう!」と訴えてから降壇しました。


沖縄から業界動向を報告

わたしも聴きました


最後に総括しました


最後は、もちろん一同礼!

 

わたしが降壇した後、那覇から、サンレー沖縄の佐久間康弘社長が互助会の業界動向について30分間の報告を行いました。今後のコミュニケーション技術の発展可能性にも言及し、ホログラム技術・リアルタイム翻訳技術、メタバース技術などを説明。まるでSFのような未来世界の話題を紹介した後、最後は「互助会の時代(地域コミュニティの中心へとさらに発展)で締めくくりました。その後、わたしが総括として「ハイテックとハイタッチは共存します。『IT』という言葉のI(Information)も、『情報』という言葉の情(心の働き)も、すべては心に関わります。どんなに科学技術が発達しても、人間の心を基軸とした互助会事業は不滅です。自信と誇りを持って、一緒に『心ゆたかな社会』『ハートフル・ソサエティ』を呼び込みましょう!」と述べました。

 

 

2022年6月17日 一条真也

世界で一番小さな互助会

一条真也です。
17日に公開される「PLAN75」という究極の終活映画について調べていたら、「ようやく妻が死んでくれた」という衝撃的なタイトルのYouTube動画を見つけました。370万回以上も再生されており、「よくある炎上系かな」と思いながら何気なく観たところ、タイトルとはまったく逆のメッセージで感動しました。


この動画を投稿したのは、「妻が死に年金一人暮らしの65歳 byぺこりーの」さんという方です。「年金」と「一人暮らし」という2つのテーマで「年金一人暮らし」という動画を作成されちます。動画の概要欄には、「1つは老後の年金やお金を悩みについて、実際の年金受給者という立場から役立つ情報をお伝えします。そしてさらに老後をどうやって楽しく生きるか。もうすぐ老後生活、年金生活を迎える方達の参考になればと思います」と書かれています。そして、「もう1つのテーマは一人暮らしです。1人になってみて初めてわかる夫婦の素晴らしさ。2人で歩いた人生で経験したものは何物にも代え難いものです。他人のためにこんなに泣くことって夫婦以外にないと思います。まだ夫婦でいられる間に今気づいてほしいなと思うことを書いてます。偉そうに聞こえたらごめんなさいね」と書かれていますが、「偉そう」どころか、人生の先輩からの素晴らしいアドバイスだと思います。


結婚祝いの法螺貝を奏上する鎌田東二先生

 

先日、わたしの長女が結婚しました。新型コロナウイルス感染防止に万全の配慮をした上で結婚式および結婚披露宴を挙げさせていただきました。わたしが妻と結婚したのはもう33年も前ですが、娘を育て上げて無事に結婚させて、わたしたちは夫婦として一人前になったような気がしています。長女の結婚披露宴では、京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生が乾杯のご発声を務めていただき、祝いの法螺貝まで奏上して下さいました。


長女の結婚披露宴でのわたしたち夫婦

 

わたしは鎌田先生ともう18年近くも「ShinとTonyのムーンサルトレター」というWeb往復書簡を交わしています。鎌田先生の愛称がTonyで、わたしがShinですが、ムーンサルトレター第207信で、鎌田先生は「Shinさん、最愛のご息女(長女)の麻佑さんと、大変優秀な京都大学工学部建築学科出身の一級建築士の貴大さんとのご結婚、まことにおめでとうございます。父としての熱い、熱い、大量の涙・涙・なみだ、たいへん共感できます。会場のみんながうれしいもらい泣きをしました。Shinさんのお気持ちがすべての会場の方々に伝わったとおもいます」と書いて下さいました。

涙ながらに妻への感謝を述べました

 

また、鎌田先生はブログ「長女の結婚披露宴2」の中で、わたしが「長女が生まれたときは、会社が危機的状況にありました。(中略)わたしは『これから、会社はどうなるんだろう?』『この子を無事に結婚させることができるだろうか?』と不安でいっぱいでした。でも、わたし以上に大きな不安をがあったはずなのに、何も文句を言わずに幼子を抱いて小倉までついてきてくれた妻が支えてくれました」と挨拶したことに触れられています。このとき、わたしの心の中には「夫婦は世界で一番小さな互助会」という考えが浮かんでいました。結婚しておいて良かったとしみじみ思うのは「病めるとき」と「貧しきとき」です。結婚というのは、そういう人生の危機を生き延びるための相互扶助システムだと思います。

愛する人を亡くした人へ』(現代書林)

 

わが社は、グリーフケアの普及に取り組んでいます。日本は自死大国ですが、自死の最大の原因は「うつ病」で、その最大の契機は配偶者との死別であると言われています。「ようやく妻が死んでくれた」の動画でも、投稿者の方の大きな喪失感が窺えます。拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)に、わたしは「配偶者を亡くした人は、立ち直るまでに5年はかかる」と書きましたが、まさにこの投稿者の方は5年の間、奥様を亡くされた喪失感を抱えて生きてこられました。わが社は、グリーフケアによって、少しでも悲しみが軽くなるお手伝いをさせていただければと願っています。


披露宴で祝辞を述べるサンレー東孝則専務

 

この動画をわが社の関係者各位に送ったところ、いろいろと考えさせる返信がありました。たとえば、東専務は「最初はなんと酷い夫か、と思いましたが奥さんを亡くされた喪失感、悲しみ、これからの人生への不安感が共感できます。グリーフケアの重要性を強く感じました」、黒木取締役は「良い動画でした。居て当たり前あって当たり前の日常的なものを失う喪失感は耐え難いものですね。今全てに感謝の気持ちになります」、小倉紫雲閣の橋本副支配人は「今ある日常生活を当たり前に過ごしていますが、改めて、自分の側にいる家族や友人の大切さと、近所の方や会社の方々へ日々感謝の気持ちを忘れずに大変心打たれる話しでした。今後もこの気持ちを大切にして参ります」と述べています。


わが社の上級グリーフケア士と

 

グリーフケア資格認定制度の第1期ファシリテーター(上級グリーフケア士)で、サンレーグリーフケア推進課の市原課長は「なにかとても寂しいという気持ちと切ない気持ちになりました。まだ生きているなら幸せということは頭ではわかっていても実感できるものでは無いと思います。この方は奥様を亡くされて現在を失ったことに気付き、気持ちの整理はつくものではないですが、自分の感情に対しどうしたら良いか途方に暮れているのだと思います。何がケアと感じるかは本人しかわかりませんが、この動画のように感じていることを表すのもケアになっているのだと感じました。私も少しは家族を大事にしたいと自分の中で考えます」と述べ、同じく第1期ファシリテーター(上級グリーフケア士)で金沢紫雲閣の大谷総支配人は「私自身、妻にしょっちゅう小言を言われて嫌な思いをする事ありますが、この動画見て考えさせられました」と述べ、第2期ファシリテーターである沖縄の那覇紫雲閣などの島袋支配人は「『ようやく妻が死んでくれた』は冒頭から衝撃でしたが、最後はなんだか納得できる動画でした。グリーフケアを学んでいる者としてはグリーフケアの大切さを改めて感じております」と述べます。


知人の金婚式で

 

極めつけは、北陸の総務課の伊藤課長で、「私は、妻をリスペクトしてます。そのような事を、今まで一度も思った事はないのですが。いつも、お互いに長生きしような、と話しております。この動画の作者が、最後に話している思いが現実だと思います」と述べています。素晴らしいことですね。わたしたち夫婦も長生きして、まずは12年後にささやかな金婚式を開きたいと思います。それにしても、この「ようやく妻が死んでくれた」という動画は、65歳の男性がラーメンを作って食べるだけの映像が延々と続くだけですが、そこに付けられたメッセージがインパクト絶大です。改めて、言葉の力の偉大さを痛感しました。最後に感動的な動画を投稿して下さった「ぺこりーの」さんに感謝いたします。ありがとうございました!

 

2022年6月17日 一条真也

『教養としての茶道』

世界のビジネスエリートが知っている 教養としての茶道

 

一条真也です。
『世界のビジネスエリートが知っている教養としての茶道』竹田理絵著(自由国民社)を読みました。茶道500年の歴史を習得するための本です。著者は、株式会社 茶禅の代表取締役。一般社団法人 国際伝統文化協会理事長。日本伝統文化マナー講師 茶道裏千家教授。和の教養や精神を身につけて、世界で活躍したいビジネスパーソンに対して、日本の伝統文化や茶道、和の作法で支援するグローバル茶道家。神楽坂生まれの3代目江戸っ子。青山大学文学部卒業後、日本IBMに入社。退社後、日本の伝統文化の素晴らしさを伝えたいと株式会社茶禅を創設。 銀座と浅草に敷居は低いが本格的な茶道を体験できる茶室を開設。茶道歴40年、講師歴25年。年間世界30カ国の方々に日本の伝統文化を伝え、延べ生徒数は30000人を超えるとか。ブルネイ国王即位50周年のイベントにて茶会披露。各国首相や大使館、官庁、VIP、一部上場企業からの依頼で、お茶会を多数実施。

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本書の帯

 

本書の帯には、「茶道500年の歴史はグローバル社会での必須教養。」「茶道の教えから読み解くビジネスエリート必読書!」と書かれています。帯の裏には、「世界のビジネスパーソンが憧れる『おもてなし』。それを体現するのが『茶道』。」と書かれています。カバー前そでには、「海外では茶道=日本を代表する文化と考えられています。千利休、わび・さび、表千家裏千家など茶道にまつわる言葉をあなたは説明できますか? 本書で茶道の中に隠れているビジネスや生活の知恵をみつけて、世界に発信しましょう!」とあります。

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本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1章 外国人が知りたい
    日本の文化・世界が憧れる
    日本のおもてなし
第2章 なぜエリートは
    茶道の虜になるのか
第3章 これだけは知っておきたい
    日本の伝統文化「茶道」
第4章 ビジネスや日常に活かしたい
    千利休七つの教え
第5章 知っていると一目おかれる、
    日本人としての品格
第6章 知っていると自信が持てる
    お茶会の作法 楽しむ為の知識
「おわりに」
「参考文献」
「著者プロフィール」


アマゾンより

 

「はじめに」では、著者は、自身のことを「祖父は掛け軸の職人、母は茶道の先生という家庭の中、和の空間があたりまえと思って育ってきました。社会人となり、外資系企業に入った際、外国人から『日本の文化について』説明を求められた際に何も答えられずに、恥をかき、せっかくのチャンスを逃した人をみて、寂しい気持ちになり、茶道を中心とした日本の伝統文化の素晴らしさを伝えたいと思うようになりました。退職後、どなたにも気軽に茶道を楽しんでいただきたいとの想いから、銀座の歌舞伎座の隣りに小さなお茶室を開きました」と述べています。


その銀座にあるお茶室「茶禅」には年間30カ国以上の人々が日本の文化を求めて訪れることを紹介し、著者は「海外でもお茶会をさせていただきますが、そこにいらっしゃるお客様たちの茶道に対する関心の高さは想像以上です。ミラノでは定員の10倍のお客様からのお問い合わせをいただいたり、ニューヨークのJFK空港でもたくさんのお客様がお茶会に参加してくださったりしました。海外の人々が茶道に強い魅力を感じるのは、茶道の文化的な面や美意識は勿論のこと、礼儀や思いやりを重んじるふるまいなど、精神面の美しさにも強く憧れるからのようです」と述べます。


ビジネスパーソンとして求められているのは、ただ仕事ができるだけではなく、人間的な幅や厚みを身につけ、豊かな心を持った教養ある人であるという著者は、「そのような時代に、日本の伝統文化や精神について説明できることが益々重要になっています。茶道は書道、華道、香道、着物、建築、和食など、日本の美意識が全て入った総合伝統文化といわれています。教養として茶道を学ぶことは、幅広い日本の伝統文化を学ぶことにもなります。日本人として、日本の伝統文化についての教養を身につければ、国際人として真の自信を持つことができると思います」と述べるのでした。



第1章「外国人が知りたい日本の文化・世界が憧れる日本のおもてなし」の「究極の『おもてなし』は茶道にあり!」では、著者は「究極のおもてなしは『茶道』にありといわれています。それは、茶道ではお客様をおもてなしする際に、何日も前からお客様を想いながら、お茶室の内外を整え、道具の取り合わせに心を配り、お菓子を選び、お花を入れ、打ち水をして、心を込めて丹念に準備をするからです。お客様との一期一会を想い、どうしたらお客様に喜んでいただけるか、満足していただけるかを考え、道具や菓子などでその心を表現することが、『茶道のおもてなし』なのです」と述べています。


「お茶会はどのような時にするのですか」では、茶道はとても季節感を大切にするとして、著者は「寒い季節(11月から4月)には炉に釜をかけて、お客様が少しでも温まるようにと考えます。暑い季節(5月から10月)には風炉に釜をかけて、お客様から離れたところで炭をおこし、暑くならないようにと心がけます。釜をかける位置だけでも季節により違ってきますし、道具類やお花、お菓子、お点前なども、それぞれの季節を考えて、お客様に楽しんでいただけるような趣向になっています」と説明し、「昨今、季節感がなくなったといわれておりますが、日本の伝統行事や季節を、お抹茶やお菓子と共に楽しんでいただけましたら、日々の生活が彩り深く、豊かになるのではないでしょうか」と述べるのでした。


第2章「なぜエリートは茶道の虜になるのか」の「エリートが魅了される茶道の精神」では、著者は、「茶道は、栄西が中国から禅と一緒にお茶の種を持ち帰り、禅院茶礼という、禅の修行の一環として誕生しました。また、『茶禅一味』という言葉があるように、茶道は禅から誕生し、求めるところは禅と同一であるという意味があります。茶道も禅も目指すところは、余計なものを捨て、シンプルに生きるということです。現在、茶道は女性の嗜みと考えられがちですが、元々、茶道は男性が行うものでした。戦乱の世、明日をも知れぬ武将が、茶の湯によって、己と向き合い、邪念を払って心を整えたのです」と述べています。


「信長や秀吉が天下統一に取り入れた茶の湯は戦国武将の憧れだった」では、本能寺の変の前日、織田信長はお茶会を開いて、守りが手薄なところを明智光秀に狙われ最期を迎えたという説が紹介されます。また、豊臣秀吉は国の政治まで、茶頭である千利休に任せていたことにも触れ、著者は「織田信長は、足利義昭を奉じて上洛した際、名物茶器を献上され、そこから茶の湯に魅了されたといわれています。信長は文化への造詣が深く、上流階級である足利将軍家が行っていた茶の湯を取り入れて、武士階級にも品格を身につけさせたいとの思いがありました。しかし、信長は単に茶の湯を楽しむだけでなく、人心掌握の政治的手段としても利用しました」と述べます。


以前は手柄のあった家臣に領地を与えていましたが、領地には限りがありました。それを名物茶器に一国に値する価値を与えることで、茶道具を所有していることが権力の象徴となり、ステータスシンボルとなったことを指摘し、著者は「こうして茶の湯は、戦国武将の心を掴んでいきました。茶道具ではなく土地を与えられたと嘆いた滝川一益や、茶道具を取られるくらいならと茶釜と一緒に爆死したといわれる松永久秀。秀吉がお茶会を開く権利を信長から与えられた時には、感激して号泣したという逸話も残っているくらいに、戦国武将と茶の湯は密接な関係になりました」と述べます。


秀吉は、関白就任の際、朝廷に対するお礼として御所での禁中茶会を企画しました。他の何ものでもなく、茶の湯天皇をもてなそうとしたわけですが、著者は「秀吉は部屋中に金箔をほどこした、組み立て式の黄金の茶室を造らせ、みずからが天皇茶の湯でもてなしました。茶の湯によって天下人としての権威を示したのです。また、秀吉は、今まで限られた人だけに許されていたお茶会に対し、一般庶民も招いた北野大茶会を開催します。北野天満宮の境内において、秀吉が所持していた名物道具を用いてのお茶会は、その権力を一般庶民にまで知らしめました。境内では800カ所に及ぶ庶民らによるお茶会が開かれ、茶の湯の流行に大きな影響を与えました。秀吉は、一般庶民へも茶の湯を広め、茶の湯の黄金時代を築いたのです」と述べています。

 

 

当時の戦国武将にとって、茶の湯は教養であり、ステータスシンボルでした。そして、以前は薬として飲まれていたお茶を飲むことで、頭もすっきりとして、疲れがなくなり、気力が湧いてきたのかもしれないと推測しながらも、著者は「しかし、一番の大きな理由は明日をも知れぬ時代を生き、いつ敵の急襲を受けるか、味方の裏切りにあうかもわからず、常に死と隣り合わせの日常にいた武将にとって、茶の湯は、唯一、心を穏やかにして安らげるひとときだったからです」と述べるのでした。


石田三成、三献のお茶でお寺の小姓から大出世」では、名将・石田三成が茶のもてなしで秀吉にとりたてられ、武将となった「三献のお茶」という有名なエピソードが紹介されます。ある日、鷹狩りの帰路に喉が渇いた豊臣秀吉が喉寺に立ち寄り、「おーい。茶を所望したい」と言ったところ、小姓が3杯のお茶を運んできました。著者は、「1杯目のお茶は、秀吉の喉の渇きを察して、飲みやすいぬるめのお茶をたっぷりと運んでいきました。それにより秀吉はすばやく喉を潤すことができました。2杯目のお茶は、秀吉にゆっくりとお茶を飲んでもらうため、少し小さめのお茶碗にやや熱めのお茶を運んでいきました。秀吉は心も落ち着き、ゆっくりとお茶を飲むことができました。3杯目のお茶は、秀吉にお茶をじっくりと味わってもらうために、高価な小茶碗に上等なお茶を少しだけ淹れて運んでいきました。秀吉は美味しいお茶の香りや味、器を楽しみながら、お茶を味わいました」と説明しています。


その小姓は、のちの名将・石田三成でした。三成の機知と気遣いに感心した秀吉は彼をとりたてて家臣にしたわけですが、この「三献のお茶」はビジネスでも同じことがいえるのではないかとして、著者は「いつも同じ対応ではなく、お年を召したお客様には大きな声でゆっくりと対応する。お急ぎのお客様には、こちらも急いで対応するなど、お客様が今、何を欲しているのかを察知して、柔軟に対応する機転や気遣いは、大いに石田三成に学びたいと思います」と述べるのでした。ここでいう気遣いは「サービス」というよりも「ケア」と呼ぶべきではないかと思います。

 

 

第3章「これだけは知っておきたい日本の伝統文化『茶道』」の「茶道の歴史、中国から伝わってきたお茶は薬だった」では、江戸時代に入ると、茶の湯は幕府の儀礼に正式に取り入れられ、大名や豪商、武士にとっての嗜みとなったとして、著者は「この頃から茶の湯は茶道と呼ばれるようになりました。明治時代になると、上に立つためにはまず茶道を習えといわれたほど、政界人や財界人にとって、茶道の心得は必須教養でした。また、良家の女子が通う学校でも茶道が教養科目として組み込まれるようになりました。その後、岡倉天心による『茶の本』(The Book of Tea)がアメリカで出版紹介され、「Tea Ceremony」として海外でも知られるようになりました」と書いています。



千利休は堺の商人で、60歳になってから秀吉に仕えるようになった」では、1591年1月のお茶会で、秀吉が黒を嫌うことを知りながら、利休は「黒は古き心なり」と黒楽茶碗にお茶を点てて出したことを紹介し、著者は「1月22日には、利休の後ろ盾であった温厚な豊臣秀長が病没します。そして、2月23日、大徳寺の利休像安置事件が問題視され、秀吉より堺の自宅謹慎を命じられたのです。北政所前田利家らは謝罪すれば許されるだろうからと助言し、また、弟子たちも利休を救うために奔走しますが、利休はこれを断ります」と書いています。


そして2月28日、ついに利休は秀吉から切腹を命じられます。著者は、「当日は雷が鳴り、大霰が降るといった荒れた天候で、上杉景勝の3000の軍勢が利休の屋敷を厳重に包囲していました。切腹を伝えにきた使者に、利休は静かに『茶室にてお茶の支度ができております』と伝え、お茶を点てました。そして、利休は一呼吸つき、湯が沸く音を聞きながら切腹したのです。最後までわび茶の信念を貫き、70年の生涯を終えました」と書いています。ブログ「利休にたずねよ」で紹介した2013年公開の日本映画では利休が切腹するシーンが描かれていますが、この世を去る直前に飲んだ一服の茶は、死の恐怖を乗り越える精神安定の機能を果たしたように思いました。


表千家裏千家は、利休のひ孫から分岐した流派である」では、元々は千利休を本家とした千家流茶道ですが、千利休のひ孫の代に三千家に分かれたことを紹介した後、著者はこう説明します。
千利休の孫、宗旦には4人の息子がいました。長男の宗拙は、父親の宗旦と折り合いが悪く、千家を継ぎませんでした。次男の宗守は、漆屋の塗師へ養子に出されていましたが、後に千家に戻り、武者小路通りに『官休庵』というお茶室を造り『武者小路千家』を興しました。長男が出ていき、次男は養子となっていたので、宗旦が隠居する際に三男の宗左が千家の当主となり、お茶室『不審庵』が受け継がれました。不審庵が表通りに面していたことから、『表千家』と呼ばれるようになりました。宗旦は隠居する際に不審庵の裏手に新たに『今日庵』というお茶室を建てて、四男宗室と暮らしました。後に四男の宗室が『今日庵』を受け継いで『裏千家』を興しました。こうして、三千家が誕生したのです」


「茶道の精神は『和敬清寂』の中に凝縮されている」では、「和は、お互いに心を開き、和やかに周りと調和する心」「敬は、自らに謙虚に、そしてあらゆるものに対して敬意を払う心」「静は、茶室や茶道具を清潔にし、気持ちも邪念のない清らかな心」「寂は、どんな時にも静かで乱されることのない動じない心」と説明し、「ある時、わび茶の祖といわれる村田珠光に、将軍足利義政が『茶の湯の精神とはどのようなものなのか?』と尋ねました。その時に、珠光が『茶の湯は心穏やかに、相手を敬い、礼を尽くす。和敬清寂の心です』と答えたといわれています」と書かれています。


「『わび・さび』は足りないことを美しさとして見出すこと」では、英語で「impermanent」と訳される「さび」は、時間の経過と共に古くなり、色あせ、錆びて劣化していきますが、逆に古くなることで出てくる味わいや枯れたものの趣ある美しさを表すとして、著者は「例えば、銀などは時を経ることで、色味や風合いが変化して、アンティークのような落ち着いた味わいになります」と述べています。また、英語で「incomplete」と訳される「わび」は、さびを美しいと思う心や内面的な豊かさを表すとして、著者は「例えば、歪みや壊れなど、姿かたちが整っていないものでも、個性として独自の魅力を見出し、不完全なものを面白がるのが、わびの美意識です。置かれている状況を悲観するのではなく、それを楽しむ精神的な豊かさを表した言葉です」と述べています。

 

 

「『一期一会』とは、二度とないこの瞬間を大切にすること」では、「一期一会」は、千利休の弟子の1人である山上宗二が記した『山上宗二記』の中に、「いつもの茶会であっても、臨む際は一期に一度のものと心得て誠意を尽くせよ」といった一文が最初であるといわれていることを紹介し、この言葉を広めたのが、江戸幕府大老で、茶人でもあった井伊直弼だといいます。彼の著書『茶湯一会集』には、「そもそも茶の湯の交会は、一期一会といひて、たとへば、幾度おなじ主客交会するとも、今日の会に再びかえらざることを思へば、実にわれ一世一度なり。」(たとえ同じ人と何度も茶会で同席する機会があっても、今、この時の茶会は一生にその日ただ一度のこと。二度と同じ時に戻ることはできない。だから一回一回の出会いを心を尽くして臨まなければならない)と書かれているのです。


第4章「ビジネスや日常に活かしたい千利休の七つの教え(利休七則)」では、有名な「利休七則」が取り上げられます。「茶は服のよきように、炭は湯の沸くように、夏は涼しく冬は暖かに、花は野にあるように、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ」というものですが、これにまつわる逸話として、著者は「弟子が『茶の湯の極意とはどのようなものでしょうか?』と尋ねた時に、利休が答えたのが、利休七則です。それを聞いた弟子は、『それくらいのことなら私でも知っています』と答えたところ、利休は『もしそれができているのなら、私があなたの弟子になりましょう』と返したそうです」と述べます。


茶の湯は、単にお茶を点てて飲むだけの行為ですが、相手を思いやり、細かな気配りをして万全を尽くすという、そこに人の心を育て、人生を豊かにする、おもてなしの極意があるとして、著者は「それを説いているのが、利休七則なのです。コロナ禍で人と人の距離が遠くなり、コミュニケーションが欠落している現在だからこそ、利休七則から新しい生活様式のヒントを見出し、日常生活やビジネスに取り入れていただければと思います」と述べるのでした。


「利休七則」の最後に置かれた「相客に心せよ」は「お互いに尊重し合う」という意味ですが、お茶会では、お菓子やお抹茶をいただく際に、お隣りの方に「お先に頂戴します」とひと声かけます。また、お抹茶を点てて下さった亭主にも「お点前頂戴いたします」と感謝の言葉をかけます。お互いを思いやり、尊重することで和やかなお席となるのです。著者は、「茶道というと作法や形のことが頭に浮かびがちですが、利休が大切にしている茶道は全ての心についての教えでした。形だけきちんとしていても、心がなければ本当の茶道ではないということです。人と人との思いやりや気遣いが何よりも大切ですよ、と説いています」と述べるのでした。

 

儀式論

儀式論

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第5章「知っていると一目置かれる、日本人としての品格」では、「お茶室の中は日本文化の縮図だ」では、茶道は日本の総合伝統文化とも称され、書(掛け軸・禅語)、お花、お香、お道具(陶芸・漆器)、建築(茶室)、庭園(露地)、和食(懐石・和菓子)、着物、歴史、文化、作法、精神性など、日本の文化が凝縮され、密接に繋がっていることが紹介され、著者は「茶道は、一碗の美味しいお抹茶を召し上がっていただくために、様々な日本の文化が加わり発展してきました。露地(庭園)を通り、茶室(建築)に入り、掛け軸(書)やお花を拝見します。そして、懐石料理や和菓子(和食)をいただき、お茶道具類を鑑賞します。お客様をおもてなしするための作法や精神性などが融合し、総合芸術となりました」と述べています。茶室が究極の瞑想空間であることは拙著『リゾートの思想』(河出書房新社)の「日本的リゾートのヒント」で、茶道が日本が誇る総合芸術であることは拙著『儀式論』の「芸術と儀式」でも詳しく紹介しました。


「禅語=禅(マインドフルネス)。」では、茶道と禅は「茶禅一味」といわれるように、密接な関係にあることが紹介されます。禅は6世紀にインドから中国に渡った達磨を祖とし、座禅を修行形態とするとして、著者は「文字で伝えられることには限界があり、体験に勝るものはないという教えなのです。中国で広まっていた禅を、栄西がお茶の種子と一緒に日本に持ち帰り、臨済宗を開きました。栄西の功績により、日本に喫茶の風習が広まりました。このような背景から、茶道は禅から始まり、求めるところは禅と同じであるといわれています。禅とは単を示すと書きますが、非常に簡潔な何事にも囚われないシンプルな心の在り方をいい、茶道も同じ心の在り方を求めています」と述べています。


昨今、世界の多くのビジネスリーダーたちが「禅=ZEN」に魅了され、ビジネスにも反映されていますが、著者は「スティーブ・ジョブズが禅を愛し、ビジネスに取り入れていたことも理由の1つにあるかと思いますが、GoogleやYahoo!など150社を超える世界的な優良企業で、禅のエレメントを取り入れたマインドフルネスと呼ばれる瞑想法が実施されています。マインドフルネスとは、『今、この瞬間』に注意を向けた心の在り方のことで、そうした心の状態を保ちながら『目の前のことに集中して取り組む力』をいいます。このマインドフルネスのやり方は、基本的には座禅の3つの基本である、調身(身を調える)、調息(呼吸を調える)、調心(心を調える)と同じです」と述べるのでした。


「和食=懐石。」では、お抹茶をいただく前にもてなされる食事である懐石について、著者は「お茶事では、一服の濃茶を美味しく召し上がっていただくために、最初に懐石をお出しして、お腹を満たしたよい状態でお抹茶を楽しんでいただきます。そこには、まずはお食事でゆっくりしていただいてから、お抹茶をという亭主のおもてなしの気持ちも込められています。懐石料理はお抹茶を楽しむ前に出される軽いお食事で、お酒も出されますが、目的はお抹茶を美味しくいただくことです」と説明します。



懐石料理と会席料理を混同している人もいるようですが、両者はまったく違います。著者は、「会席料理は、お酒を楽しむことに主眼が置かれています。そのため、お料理をお出しする順番も異なり、一番顕著に表れているのがご飯の出る順番です。懐石ではご飯とお汁は最初に出てきますが、会席料理ではお酒を充分に楽しんだ最後に出てきます。一般的に日本料理屋さんでお楽しみいただいているのは、会席料理です」と説明しています。


第6章「知っていると自信が持てるお茶会の作法 ―楽しむための知識―」の「蹲(つくばい)ってどう使うの?」では、蹲の名前の由来は、手水で手を清める時にしゃがむ(這いつくばる)ことからきたといわれていることを紹介し、著者は「手を清める手水鉢、手水を使う時に乗る前石、湯桶を置く湯桶石、行灯を置く手燭石、周りに敷き詰められている小石の海の総称を蹲とよんでいます。お茶会に招かれて、露地(茶庭)を進み、蹲の清らかな水で身を清めると、気持ちも同時に引き締まります。蹲は俗世から離れ、清浄なお茶室へと誘う結界でもあるのです」と説明しています。


蹲といえば、京都の龍安寺に有名な蹲があります。知足の蹲踞とよばれ、水が溜められている四角の水穴を口の字と見立てていますが、著者は「周りにある文字と真ん中にある口の字を合わせて、『吾唯足知』(われただたるをしる)と読みます。これは、足ることを知っている人は不平不満がなく、心豊かな生活を送ることができるという意味を表しています」と説明しています。


また、「お茶室の入口、躙り口(にじりぐち)ってどうして小さいの?」では、躙り口は、千利休が淀川の川舟の小さな出入り口からヒントを得て作ったのが原点だといわれていることが紹介されます。さらに、躙り口には、日常と非日常の境界を分ける意味もあったとして、著者は「当時、能楽や歌舞伎などの芝居小屋に入るためには、鼠木戸という鼠のように身体を曲げてしか入れない小さなくぐり戸を通ることになっていました。くぐり戸を抜けたその先には、普段の生活とはかけ離れた、非日常の芝居の世界が広がっていたのです」と述べています。


利休の時代は戦国時代で、刀を持った武士もお茶室を訪れました。躙り口から入ろうとしても、刀を差したままでは入口が小さくて入ることができません。お茶室に入る時は、武士の命ともいわれる刀を、お茶室の外の刀掛けに置いて入らなければなりません。また、どんなに身分の高い人でも、躙り口を入る時は、頭を下げなければ入ることができませんでした。拙著『リゾートの思想』でも詳しく書きましたが、躙り口から入る茶室とは究極の平和空間であり、平等空間だったのです。


この躙り口には、信長や秀吉の逸話があります。信長をお茶会に招いた利休でしたが、権力者である信長が躙り口から頭を下げて入らせられたことに立腹すれば、どんなことになるか、わかりませんでした。躙り口から入った信長は、そのいわれを聞き、「それはなかなか考えたな」と上機嫌になり、利休もほっとしたといいます。著者は、「能力があれば身分の上下に関係なく、秀吉のような身分の低い者でも家臣にした信長ならではの話です」と述べています。


ある時、秀吉は、利休の屋敷の露地に美しい朝顔が咲き乱れているという噂を耳にし、朝顔の茶会を所望。当日、利休の屋敷を訪れると、庭の朝顔は全て切り取られていて何もありませんでした。あっけにとられながら、躙り口からお茶室に入った秀吉の前に現れたのは、床の間に入れられた見事な一輪の朝顔でした。著者は、「この利休の美意識には秀吉も大いに感心したという話です。利休の大胆な趣向ですが、躙り口を入り、顔を上にあげた瞬間、目の前には床の間が現れるのです。お茶室はこの瞬間の景色を一番意識して建てられています」と述べるのでした。


「おわりに」では、著者は「今、私たちが一番求めていることは、心の平静、安定ではないでしょうか。新型コロナウイルスの影響もあり、手の汚れを落とすことは生活の一部になりましたが、目にみえない心の汚れや曇りを意識したことはありますか?」と読者に問いかけます。千利休に「茶道とは何ですか?」と尋ねると、「渇きを医するに止まる」と答えたそうです。著者は、「これは、お茶が単に喉の渇きを癒すだけでなく、心の渇きも癒すのだと答えたのです」と述べます。


最後に、「水を運び、薪を取り、湯を沸かし、茶を点てて、仏にそなえ、人に施し、吾も飲む」という千利休の言葉を紹介し、著者は「水を運び、取ってきた薪で湯を沸かし茶を点てる。お茶は仏様に備え、お客様にも召し上がっていただき、自分も飲む。それが茶の湯です」と本書を締めくくるのでした。わたしは、「茶道はヘルスケア・アートであり、スピリチュアルケア・アートであり、グリーフケア・アートでもある」と考えているのですが、本書を読んで、その考えが間違っていないことを確認しました。とてもわかりやすくて、興味の尽きない茶道入門書です。

 

 

2022年6月16日 一条真也

「君を想い、バスに乗る」

一条真也です。
東京に来ています。14日の午後、日比谷のペニンシュラ東京で映画関係者とランチ・ミーティングした後、一緒にシネスイッチ銀座でイギリス映画「君を想い、バスに乗る」を観ました。妻を亡くした男のグリーフケア映画で、非常に感動できる名作でした。


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「妻を亡くした90歳の男性が、路線バスのフリーパスを利用してイギリス縦断の旅に出るロードムービー。道中さまざまな出会いやトラブルを経験しながら、妻との思い出の地を目指す主人公の姿が描かれる。メガホンを取ったのは『ウイスキーと2人の花嫁』などのギリーズ・マッキノン。主人公を『ターナー、光に愛を求めて』などのティモシー・スポールが演じ、バーリ国際映画祭で最優秀主演男優賞を受賞したほか、『ダウントン・アビー』シリーズなどのフィリス・ローガンらが共演する」

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「最愛の妻メアリー(フィリス・ローガン)に先立たれた90歳のトム・ハーパー(ティモシー・スポール)は、路線バスのフリーパスを使ってイギリス縦断の旅に出る。長年暮らした家を離れ、妻と出会った思い出の地を目指すトム。道中さまざまな人たちと出会い、トラブルに巻き込まれるが、メアリーと交わした約束を胸に旅を続ける」


妻を見送り、人生の終わりに近くなった老人が、バスを乗り継いで妻と出会った思い出の地を目指す物語です。カバン1つだけ持って、途中でプレゼントされた杖をつきながら歩き続ける90歳の老人の姿に、わたしは今年で88歳になる父の面影が重なりました。ティモシー・スポール演じるトム・ハーパーは、高齢であはりますが、非常に勇敢で優しい人物です。バスという他人同士が同じ空間に居る状況で、彼は常に「利他」の精神を発揮します。やがて、彼のそんな姿はスマホで撮影され、SNSで拡散され、彼は「バスの英雄」と呼ばれるのでした。映画の中のトムはヨボヨボのお爺ちゃんですが、実際のティモシー・スポールはまだ65歳だと知って驚きました。俳優の演技力というのは凄いですね。感服しました!


「利他」といえば仏教の言葉ですが、イギリス人であるトムはもちろんキリスト教徒です。仏教とかキリスト教とか宗教の違いは関係なく、他人に優しく接し、困った人を助けるという「ケア」の精神は人類に普遍的なものなのです。映画の中で、トムが「アメイジング・グレイス」を歌う場面があります。日本でもよく知られたこの歌は、イギリスの牧師ジョン・ニュートン(1725年~1807年)の作詞による賛美歌です。特にアメリカ合衆国で最も慕われ愛唱されている曲の1つであり、「第二の国歌」とまで言われています。“Amazing  grace”は「素晴らしき神の恵み」「感動をもたらす恩寵」といった意味ですが、天国に旅立つ日も近いトムの歌には、しみじみとした感動がありました。


この映画は、グリーフケアの映画です。亡き妻の思い出を辿る旅の物語だけかと思ったら、目的地のランズエンド近くでもう1つのグリーフケアの物語が待っていました。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、わたしはこの場面に大いに感動し、涙腺が緩みました。人は死者を想いながら生き、故人を弔うために生きるという「唯葬論」的な映画であると気づきました。旅の途中で、さまざまな人たちから助けられ、支えられる様子はまことに心温まる場面であり、「隣人の時代」的な映画でもありました。

 

 

目的地のランズエンドでも、トムは亡き妻のためにある行為を行います。この場面を観て、「ああ、このために彼はバスの長旅を続けたのか」とすべての謎が解けます。拙著『死ぬまでにやっておきたい50のこと』(イースト・プレス)にも書きましたが、わたしも死期を悟ったら旅に出たいです。そして、お世話になった方や親しい友人たちに「ありがとう」と「さようなら」を伝えたいですね。最後に、シネスイッチ銀座で、日本共産党の映画「百年と希望」の予告編がいきなり流れたのには仰天しました。


ペニンシュラ東京のロビーで


天井が天上のイメージ

 

2022年6月15日 一条真也

儀式継創委員会の懇親会

一条真也です。東京に来ています。
14日の夜は、全互協の儀式継創委員会の打ち上げ懇親会に参加しました。会場は、港区の溜池山王にある赤坂インターシティAIR内の「ロウリーズ・ザ・プライムリブ 赤坂」でした。自慢のローストビーフを堪能しました。

赤坂インターシティAIRにて

ロウリーズ・ザ・プライムリブ 赤坂」の前で

ロウリーズ・ザ・プライムリブ 赤坂」の店内のようす


担当副会長として挨拶しました


カンパ~イ!


楽しい懇親会となりました

 

懇親会の冒頭、全互協の副会長であるわたしが乾杯の音頭を取りました。わたしは、「浅井委員長の強いリーダーシップのもと、4年間、みなさんとお付き合いさせていただきましたが、儀式継創委員会は価値ある委員会であったと思います。総務委員会も、政策委員会も、広報委員会も、研修委員会も、コンプライアンス委員会も、すべて素晴らしい委員会であり、立派な活動をされています。でも、儀式継創委員会だけは、全互協でしか有り得ない委員会であり、全員が大いなるミッションを背負って頑張りました。事務局の方々にも大変お世話になりました。みなさんの御健勝と各社の御発展、さらに儀式継創委員会の存続を祈念いたします」と言って、乾杯の発声をしました。


名物のサラダ作り


美味しいサラダでした!


お肉が登場!


ど迫力の肉塊!


お好みのサイズにカットしてくれました


美味しいローストビーフでした!


骨なしの300グラムをいただきました!

浅井委員長は骨付き700グラム!


シェフが挨拶に来てくれました


儀式継創委員会よ、永遠なれ!

 

ロウリーズ・ザ・プライムリブ 赤坂のお肉はとても美味しかったですが、わたしは通常300グラムのロウリーズ・カットを注文しました。浅井委員長をはじめ、数名の方々は骨付き700グラムのダイアモンド・カットをオーダーしていました。みんなで肉を食べながら、これまでの4年間を振り返り、これからの未来に展望を馳せた素敵な時間となりました。儀式継創委員会よ、永遠なれ!


戦友の浅井秀明委員長と

 

2022年6月14日 一条真也

「ニューオーダー」

一条真也です。
東京に来ています。13日の午後、初めてお会いする出版社の方と次回作『サービスからケアへ』(仮題)の企画について打ち合わせしました。その夜、渋谷にある映画の総合施設「シアター・イメージフォーラム」でメキシコ・フランス合作のスリラー映画「ニューオーダー」を観ました。ここを訪れたのは、ブログ「スターフィッシュ」で紹介したイギリス・アメリカ合作のSF映画を観た今年の3月16日以来ですが、名作だった前回と違って「ニューオーダー」はとにかく胸糞が悪くなるクズ映画でした。


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「ある政治体制の崩壊によって平凡な日常が一気に変化するさまを描くスリラー。結婚パーティー会場に暴徒たちが乱入し、主人公らが命からがら逃亡する。『母という名の女』などのミシェル・フランコが監督と脚本を手掛け、ナイアン・ゴンサレス・ノルビンド、ディエゴ・ボネータ、モニカ・デル・カルメンらが出演する。第77回ベネチア国際映画祭では銀獅子賞(審査員大賞)を受賞した」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「マリアン(ナイアン・ゴンサレス・ノルビンド)が住む豪邸には名士たちが集い、彼女たちの結婚パーティーが開かれていた。一方、そのすぐそばの通りでは広がり続ける貧富の差への抗議行動が行われ、人々が暴徒と化す。ついにパーティー会場にも暴徒が押し寄せ、晴れの舞台は一転して殺りくと略奪の場となる。マリアンは難を逃れたものの悪夢は始まったばかりだった」


監督のミシェル・フランコもメキシコ人監督ですし、映画はメキシコの格差社会に怒りを爆発させた貧しき者たちが暴動を起こしたさまが描かれています。ドナルド・トランプアメリカ大統領がメキシコからアメリカへの移民を防ぐために壁を作ると言ったことなどへの批判も込められているのかもしれませんが、とにかく暴徒のタチが悪く、それを鎮圧するべき軍隊の兵士らのモラルも最低で、とにかくフラストレーションが溜まりまくる作品です。これまで、わたしはブログ「マザー!」で紹介したダーレン・アロノフスキー監督の2017年にアメリカで公開された作品が最も胸糞悪いクソ映画でしたが、この「ニューオーダー」はそれといい勝負です! 「マザー!」は、第74回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で上映されるや、その衝撃から賛否が極端に分かれ、日本では劇場公開が中止されてしまいました。


冒頭に、結婚披露パーティーのシーンがあります。そこに暴徒が闖入して幸福の儀式の場面は一転して地獄と化します。そのことを予告編で知り、長女の結婚式および披露宴を終えたばかりのわたしは、「どんな理由があろうとも、結婚式や葬儀を破壊する暴徒など絶対に許さん!」という思いで、正直この映画のことをボロクソに批判してやろうと思っていました。ところが、実際に観てみると、結婚披露パーティーなど大した意味のあるシーンではないことがわかりました。もっと深刻な、どうしようもない政治不信、人間不信が全篇から漂ってくる映画です。まあ、現実のフランス革命とかロシア革命はもっと悲惨だったのだとも思います。その点、別に無理に日本人を礼賛するわけではありませんが、無血革命であった明治維新は高く評価されるべきでしょう。


ニューオーダー」の反乱軍が、無実の人々を監禁して全裸にする場面は、ナチス・ドイツユダヤ強制収容所を連想しました。殺した人間を弔いもしないで、ガソリンを撒いて焼き尽くす場面も、ナチス・オウム・イスラム国の非道を連想しました。ナチスやオウムは、かつて葬送儀礼を行わずに遺体を焼却しました。ナチスガス室で殺したユダヤ人を、オウムは逃亡を図った元信者を焼きました。過激派集団イスラム国も人質を焼き殺しましたが、わたしは葬儀を行わずに遺体を焼くという行為を絶対に認めません。それは「人間の尊厳」を最も損なうものだからです。殺人シーンも多数登場しますが、とにかく意味もなく唐突に人を殺しまくるので、不愉快なことこの上ありません。



最近、ある映画通の方から「ホラー映画みると、ドーパミンとアドレナリンが出るらしいです。さらに、鑑賞後の平和な現実に戻った安心感から幸福度が高まるらしいですよ!」とのLINEを頂戴しましたが、確かにその通りだと思います。この「ニューオーダー」には、幽霊とかモンスターなどの超常的存在は登場しないので、ホラー映画というよりもスリラー映画の部類かもしれませんが、鑑賞中はとにかく気分が悪く、ドーパミンとアドレナリンに加えて、何らかの不愉快物質が出ているような気がしました。この映画を観て、新型コロナウイルスなどよりも人間の欲望や憎悪の方がずっと危険で恐ろしいと思いました。それにしても、果たして、これほどまでに救いがなく、後味の悪い映画を作る必要があったのでしょうか?!

 

2022年6月14日 一条真也

水無月の東京へ

一条真也です。
13日の月曜日、わたしは会社に寄ってから北九州空港に向かいました。そこから、スターフライヤーに乗って東京に出張です。今日の朝一番で全互協の山下会長の講演が横浜で開催され、本当は昨夜のうちに横浜入りしたかったのですが、昨日はブログ「『日王の湯』リニューアルオープン&集マルシェ」で紹介したイベントがあったのと、今朝どうしても本社で押印しなければならない書類があったため、叶いませんでした。

北九州空港の前で

北九州空港のようす

いつも見送り、ありがとう💛

それでは、行ってきます💛

 

今回の東京行きは、担当副会長を務める全互協の儀式継創委員会の懇親会、全互協の正副会長会議および正副会長・委員長会議に参加する予定です。他にも、大学関係者との面談、出版や映画関係の打ち合わせなど、盛りだくさんです。6月5日の長女の結婚披露宴後の初の出張です。

スターフライヤーの機内で

 

今日は11時30分発のスターフライヤー80便に搭乗。乗客率は8割から9割ぐらいといった感じでしょうか。この日のわたしは、ポケットチーフ&不織布マスクをロイヤルブルーのコーディネート。クールビズなのでネクタイはしていません。ブログ「マスクを楽しむ!」のように、わたしは多彩な色のマスクを着用しますが、常に「悪目立ちしない」ことを意識します。飛行機に乗るときは、必ず不織布マスクを着用します。

機内では読書しました

 

機内では、いつものようにコーヒーを飲みながら読書をしました。この日は、『教科書で教えない世界神話の中の『古事記』『日本書紀』入門』鎌田東二著(ビジネス社)を読みました。ギリシア神話や『旧約聖書』、北欧神話など西洋世界の神話と、『古事記』『日本書紀』など日本神話を比較すると、地球が抱える問題の解決法や、国家間・民族対立の課題を考えるヒントが見えてきます。さらに、人間の生き様、死生観、リーダーの在り方に対する答えも書いてある。古代人の叡智が凝縮された神々の物語を、現代に生かす試みの書です。『古事記』はスペクタクル映画で、『日本書紀』は神話のアーカイブという本書の主張には大いに納得しました。今度、著者の鎌田先生と「神道と日本人」をテーマに対談することになっていますので、非常に参考になりました。


羽田空港に到着


島薗進先生のツイッターより

 

羽田空港に到着して、PCを開くと、東京大学名誉教授で宗教学者島薗進先生からメールが届いていました。ブログ『教養としての神道』についてのメールで、「紹介記事、まことにありがとうございます。ここまで詳細にわたり、正確丁寧な紹介文はまず他に書かれることはないでしょう。これを読んだ人は、『これでわかった』と思って、書物を読むのをやめてしまうことが心配です(冗談です)。しかし、紹介文は正確なので、正直なところ、このブログ記事を読んでいただくだけでも、『教養としての神道』の論旨はだいたいわかり、私が考えるような神道についての理解がだいぶ深まるのは確かだったともいます。このような丁寧な読み方をなさり、紹介文をお書きになる読解力と集中力に頭が下がります。また、拙著をそこまで読みこんで下さったことに深く感謝いたします」と書かれていました。島薗先生は、ツイッターでも、わたしのブログ記事を紹介して下さいました。

羽田空港は人でいっぱい!


いつものラーメン店に入りました

 

羽田空港に到着すると、気温は20度。思ったよりも涼しかったですね。わたしは、いつものラーメン店に入り、昼食にシンプルな醤油ラーメンを注文しました。わたしは九州の豚骨ラーメンよりも東京の醤油ラーメンの方が好きなのです。食後は、赤坂見附の定宿に向かいました。そこのラウンジで「出版寅さん」こと内海準二さんと待ち合わせ、その後、同所で出版社の方と次回作『サービスからケアへ』の企画について打ち合わせします。

醤油ラーメンを食べました

さあ、行動開始です!

 

2022年6月13日 一条真也