燃える闘魂 ラストスタンド

一条真也です。
27日の20時半から、NHK・BSプレミアムで「燃える闘魂 ラストスタンドアントニオ猪木 病床からのメッセージ〜」が放映されました。猪木信者であるわたしは夢中で観ましたが、ずっと涙が止まりませんでした。あの「強さ」の象徴であった猪木さんの弱った姿を観るのは辛いですが、そんな姿をテレビカメラに撮らせるというのは、まだまだ心が強い証だと思いました。

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NHK・BSプレミアムより

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NHKの公式HPには、「『元気ですか!』燃える闘魂アントニオ猪木が未知の難病と闘っている。入退院を繰り返す猪木に密着。これまでの名勝負の数々をまじえ燃える闘魂の“最後の闘い”を描く」として、「燃える闘魂アントニオ猪木(78)が未知の病と闘っている。アミロイドという物質が全身に溜まり血液循環が悪くなる“100万人に数人”の難病。『“元気があれば何でもできる”-今度は自分に言い聞かせて最強の敵と闘っています』入退院を繰り返しリハビリに励む猪木から密着取材が許された。猪木は病床から何を語るのか-これまでの名勝負の数々をまじえながら、猪木のメッセージを伝え、燃える闘魂の“最後の闘い”を描く」と書かれています。

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この番組では、アンドレ・ザ・ジャイアントモハメド・アリ、ウイリー・ウイリアムス・ハルク・ホーガンら世界の強豪たちとの死闘も紹介され、猪木さんが「力道山の付き人時代にさんざん旨いものを食ってきたから、病院の飯がまずくて仕方ない」とか、「あっちの世界の馬場さんがまだ来るなと言ってるから、もう少しこっちで頑張る」など、いちいち泣かせるセリフが出てきます。個人的には、新日本プロレス全日本プロレスの興行戦争が真っ盛りの頃、借金で苦しんでいた猪木さんが生前の馬場さんに借金を申し込んだというエピソードに号泣しました。ライバルと思われていた2人には、固い絆があったのです。

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また、最愛の妻であった“ズッコ”こと田鶴子さんを亡くして、身心ともに一気に衰弱した様子を見ると、グリーフケアの重要性を痛感しました。わたしは、猪木さんから計り知れないほどの生命力や元気を頂戴しました。何よりも、NHKが猪木さんの特集番組を製作したという事実に感動しました。猪木さんこそは、世界のプロレス史および格闘技の歴史における最大のスーパースターであると、心からリスペクトしています。猪木さんには、いつまでもお元気でいていただきたいと心から願います。



2021年11月27日 一条真也

グランドカルチャー

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一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「グランドカルチャー」という言葉を取り上げることにします。人は老いるほど豊かになります。そして高齢者が何より豊かにもっているのが時間です。時間にはいろいろな使い方があるでしょうが、「楽しみ」の量と質において、文化に勝るものはありません。さまざまな文化にふれ、創作したり感動したりすれば、右脳がフルに使われて「グランドライフ」が輝いてきます。

老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)

 

また、高齢者が増えれば経済的活力が低下すると言われています。わたしはそうとは思わないのですが、もしそうだとしても高齢者によって日本の文化が向上すればそれを補って余りがあります。経済成長のためには、自然、そして人間の心がいくら荒廃してもかまわないというのが従来の工業社会の考えでしたが、21世紀ではもう通用しません。もともと日本人の国民性は政治や経済よりも文化に向いていると言えます。そして、高齢者こそは経済より文化に貢献できるのです。


『グランドカルチャーの世界』(2006年10月刊行)

 

文化には訓練だけでなく、人生経験が必要とされます。日本人の文化生活の向上を経験豊かな高齢者に求めるのは間違いでしょうか。若者はいつも流行や輸入文化に安易にとびつくものです。彼らが自分たちの身に付いた文化を創造するためにも、また創造された文化を育てていくためにも、高齢者の存在はとてつもなく大きいのです。高齢者が高い壁として立ちはだかり、若者にそれを越えることを求めてはじめて、文化は向上され、その国の人々の心は豊かになります。


高齢者にふさわしい文化とは?

 

そして文化には、高齢者にふさわしい文化というものがあります。永年の経験を積んでものごとに熟達していることを「老熟」といい、永年の経験を積んで大成することを「老成」といいます。私は「大いなる老いの」という意味で「グランド」と名づけています。この「老熟」や「老成」が何よりも物を言う文化を「グランドカルチャー」と名づけました。

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グランドカルチャーは、将棋よりも囲碁、いけばな生花よりも盆栽、短歌よりも俳句、歌舞伎よりも能・・・・・とあげていけば、そのニュアンスが伝わるのではないでしょうか。将棋に天才少年は出ても、囲碁の天才少年というのはあまり聞いたことがありません。短歌には恋を詠んだ色っぽいものが多いが、俳句は枯れていないと秀句はつくれないといいます。もちろん、どんな文化でも老若男女が楽しめる包容力をもっていますが、特に高齢者と相性のよい文化、すなわちグランドカルチャーというものがたしかにあります。本当はグランドカルチャーの種類はまだまだたくさんあるのですが、わたしは、「グランド・カルチャー」として、21世紀にちなんで21のジャンルを提唱しました。以下の通りです。

盆栽

茶道   

囲碁    

俳句

水墨画      

落語    

風呂    

写経

相撲    

陶芸    

骨董

庭園    

    

三味線

小唄    

詩吟   

気功

太極拳  

着物   

礼法

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グランドカルチャーは、高齢者の心を豊かにし、潤いを与えます。テレビアニメの「サザエさん」一家の家長である磯野波平はどう見ても老人ですが、彼は家でくつろぐとき、いつも着物の上からチャンチャンコを着て1人で碁を打っています。

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また「ちびまる子ちゃん」には友蔵という、まる子の祖父が出てきますが、彼は何かあると「友蔵 心の俳句」といってすぐ俳句をつくります。囲碁や俳句といったグランドカルチャーがいかに波平や友蔵の心を豊かにしていることか。そして潤いを与えていることか。グランドカルチャーは老いを得ていくこと、つまり「得る老い」を「潤い」とするのです。わが社は、囲碁や俳句をはじめ、さまざまなグランドカルチャーの振興をサポートし、「ゆたかな老い」のお手伝いをしたいと考えています。

 

2021年11月27日 一条真也

死を乗り越えるメーテルリンクの言葉

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思い出せば死者と会える。
メーテルリンク

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、ベルギー象徴主義の詩人、劇作家、随筆家モーリス・メーテルリンク(1862年~1949年)の言葉。正式名はメーテルリンク伯爵モーリス・ポリドール・マリ・ベルナール。主な著作に『温室』『ペレアスとメリザンド』『青い鳥』など。1911年にノーベル文学賞を受賞。

 

 

メーテルリンクは、『青い鳥』という有名な戯曲を書き残しています。1908年に発表した、5幕10場の童話劇ですが、作品の主題はずばり「死と生命の意味」です。わたしは、『青い鳥』とは、ずばり臨死体験の物語であると思っています。そして、そこには「死者のことを思うことが、死者との結びつきを強める」というメッセージが込められているとも思います。


青い鳥を求めて、チルチルとミチルが訪れた「思い出の国」は、濃い霧の向こう側にありました。そこは、乳色の鈍い光が一面にただよう死者の国です。この「思い出の国」で、チルチルとミチルは亡くなった祖父と祖母に再会します。自身が偉大な神秘主義者であったとされるメーテルリンクも、『青い鳥』の中で「生きている者は、思い出せば死者と会える」と主張しています。メーテルリンクの活躍した時代は、世界的に「スピリチュアリズム」と呼ばれる心霊主義が流行していた時期でした。

f:id:shins2m:20131003132505j:plain涙は世界で一番小さな海』(三五館)

 

拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)で、わたしは、ファンタジー作品を愛読していると告白しました。中でも、アンデルセンメーテルリンク宮沢賢治サン=テグジュペリの四人の作品には、非常に普遍性の高いメッセージがあふれていると考えています。アンデルセンに影響を受けたメーテルリンクの『青い鳥』は日本の宮沢賢治に影響を与え、賢治は『銀河鉄道の夜』を書きました。『星の王子様』を書いたサン=テグジュペリも、若い頃にメーテルリンクと親交がありました。なお、このアンデルセンの言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。

 

 

2021年11月27日 一条真也

「モスル~あるSWAT部隊の戦い~」

一条真也です。東京に来ています。
25日、社外監査役を務める互助会保証株式会社の取締役会が想定外の早い時間に終わりました。夕方に予定していた打ち合わせまでかなり時間が余ったので、地元では鑑賞できない映画をTOHOシネマズシャンテで観ました。この日に観たのは、「モスル~あるSWAT部隊の戦い~」です。非常に評価が高い作品ですが、戦闘シーンはすごい臨場感でした。搭乗するSWAT部隊が、日本で非常に有名な某組織に似ていることを発見してしまいました。


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『アベンジャーズ』シリーズなどのアンソニージョー・ルッソ兄弟が製作を務めたアクション。イラクを舞台に、SWAT部隊の隊員となった警察官がイスラム過激派組織ISに立ち向かう。メガホンを取るのは『ワールド・ウォー Z』などの脚本を手掛けてきたマシュー・マイケル・カーナハン。スハイル・ダバック、アダム・ベッサ、イシャク・エリアスのほか、クタイバ・アブデル=ハック、アフマド・ガーネムらが出演する」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
イラク第2の都市、モスル。21歳の新人警察官カーワ(アダム・ベッサ)は、イスラム過激派組織ISに襲われたところをジャーセム少佐(スハイル・ダバック)が率いるSWAT部隊に救われる。彼らは十数名の元警察官で編成された特殊部隊で、本部からの命令を聞かずに独自の行動を展開していた。カーワがISに身内を殺されたと聞いたジャーセム少佐は、彼を隊員として迎え入れる。激しい戦闘を重ねながら部隊はISの要塞に乗り込むが、部隊にはカーワの知らない任務があった」


「モスル~あるSWAT部隊の戦い~」は、いわゆる戦争映画です。しかし、戦争映画に付きもののエンターテインメント性が一切ありません。ひたすら敵を見つけて殺し合う。殺すシーンはリアルで、当然ながら全編が殺伐としています。それにしても、これほど臨場感のある戦闘シーンも珍しいですね。アクション映画というよりドキュメンタリー・フィルムを観ているようでした。これまでのハリウッド大作とは一線を画し、劇中で使われる言語はすべてアラビア語で、米国人俳優も起用されていません。アメリカ映画でありながら、米国の視点でもまったく描かれていません。この映画では、ISに奪われた家族を奪還するために戦うイラクの男たちが英雄として描かれているのです。きわめて異例だと言えるでしょう。


ISは、イスラムスンニ派の過激組織です。メディア上で「イスラム国」あるいは「ISIL」などとも呼ばれていましたが、「IS」の呼称が定着しつつあります。サダム・フセイン政権崩壊後の2004年イラクの米軍収容所(キャンプブッカ)に収容されていたバグダディが、同じ収容所にいたジハード主義者たちと結成した小組織が原形とされます。このジハード主義組織に宗派間対立で混乱の続くイラクフセイン政権残党の政治家や旧イラク軍幹部が合流し、ISの指導体制の中核を担うことになりました。ウサマ・ビン・ラディンアル・カーイダとも連携し、次第に勢力を増していきました。


イラクの石油生産の要衝を押さえ、石油の密売と拉致した人質の交換などを資金源とし軍事力を増強しました。さらには、インターネットを駆使したメディア戦略で西欧諸国からも多くの兵士の募集に成功。メディア戦略として、ジャーナリストなどの拉致した人質を殺害するビデオ映像をインターネット上で公開し、世界に恐怖を与えたことは記憶に新しいですね。「モスル~あるSWAT部隊の戦い~」は、ISの拠点だったイラク北部モスルを舞台に、地元の元警察官で編成された特殊部隊(SWAT)がISと戦う姿を描いた戦争アクション映画です。いわゆる「モスルの戦い」は、イラク政府軍が、ISにより2014年6月に奪われた都市モスルを奪還するため、同盟関係にある民兵組織「クルディスタン地域政府」ならびに国際的な有志連合と共同で2016年に開始した大規模軍事作戦です。「モスル奪還作戦」と呼ばれることもあります。

 

「ウィ・アー・カミング・ニネヴェ」 と名付けられたこの作戦は、2016年10月16日に開始され、ニーナワー県のIS支配地域(モースルを中心とする)への包囲が始まりました。続いて、イラク軍部隊とペシュメルガが3方面からISと交戦し、モースル周辺の村々を制圧していきました。配置されたイラク軍部隊の規模は、2003年のアメリカによるイラク侵攻作戦以来最大となりました。同時に、この戦いは2003年のイラク侵攻作戦以降の15年間における世界最大の軍事作戦でもありました。また、第二次世界大戦以来最も激しい市街戦であったとも評されています。これは物凄いことだと思います。


2014年9月国連安保理が全会一致でIS壊滅に向けて対策強化を求める議長声明を採択。アメリカはそれまでイラクのISに対して限定的に空爆を実行していましたが,アメリカをはじめとする有志連合はシリアのISの拠点にも空爆を開始しました。しかし,アメリカは地上軍の派遣には消極的で、ISとの地上戦はISによって自らの居住地を追われたクルド民兵部隊が主力となったのです。映画「モスル~あるSWAT部隊の戦い~」では、長引く紛争により、荒廃したイラク第二の都市モスルで、21歳の新米警察官カーワは重武装したISに襲われたところを、ジャーセム少佐率いるSWAT部隊に救われます。カーワが身内をISに殺されたと聞いたジャーセムは、その場で彼をSWATの一員に招き入れるのでした。


わたしは、この映画を観て、日本の各メディアで社会現象になるほど大ヒットした「鬼滅の刃」を連想しました。若きSWAT隊員のカーワは竈門炭治郎のように見えます。彼らにとってのISとはまさに鬼の集団。愛する家族を殺した鬼畜にほかなりません。その憎き仇を殺すことは、彼らにとっての負のグリーフケアとなります。「鬼滅の刃」のテーマも、グリーフケアです。鬼というのは人を殺す存在であり、悲嘆(グリーフ)の源です。そもそも冒頭から、主人公の炭治郎が家族を鬼に惨殺されるという巨大なグリーフの発生から物語が始まります。また、大切な人を鬼によって亡き者にされる「愛する人を亡くした人」が次から次に登場します。それを鬼殺隊に入って鬼狩りをする人々は、復讐という(負の)グリーフケアを行うのです。炭治郎は、心根の優しい青年です。鬼狩りになったのも、鬼にされた妹の禰豆子を人間に戻す方法を鬼から聞き出すためであり、もともと「利他」の精神に溢れています。


その優しさゆえに、炭治郎は鬼の犠牲者たちを埋葬し続けます。さらに、炭治郎は人間だけでなく、自らが倒した鬼に対しても「成仏してください」と祈ります。まるで、「敵も味方も、死ねば等しく供養すべき」という怨親平等の思想のようです。『鬼滅の刃』には、「日本一慈しい鬼退治」とのキャッチコピーがついており、さまざまなケアの姿も見られます。鬼も哀しい存在なのです。それと同様に、「モスル~あるSWAT部隊の戦い~」の主人公・カーワも優しい青年で、いきなり敵を殺す仲間に反発して、「まずは尋問すべき」と訴えます。また、仲間は死ぬ間際に苦しんでいる敵を見て、「苦しませておけ」と言い放ちますが、カーワは楽にしてやろうと思います。

f:id:shins2m:20201221125540j:plain「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林) 

 

鬼滅の刃」の炭治郎は鬼から殺された犠牲者を埋葬しましたが、この映画には、幼い兄弟の兄が「パパとママを自分が埋葬しなければ」と、弟だけを安全な場所に逃がし、自分は逃亡せずに危険な場所に留まるシーンがありました。戦場の中の「礼」であり、「孝」です。亡くなった親を弔うというのは、儒教イスラム教も超越した「人の道」なのです。その兄の健気な姿を見て、わたしは「幼くても、さすがは長男だ!」と思いました。そういえば、炭治郎も「俺は長男だから我慢できた」というセリフを吐いていましたね。というわけで、わたしには、モスルのSWAT部隊が「鬼殺隊」に見えたのであります。

 

 

最後に、カーワの所属するSWAT部隊には、ある「ミッション」がありました。それが戦争という非人間的な状況において非常に人間的な使命だったのですが、わたしは、ちょうど読書中だった『死生論』曽野綾子著(産経新聞出版)の中の「『ミッション・コンプリート』とともに」というエッセイの内容に通じると思いました。テレビで放映されるアメリカの戦争映画を夢中になって観るという著者の曽野氏は、「戦争を賛美するつもりはいささかもないが、人間が自分の生涯の意味を深く考えるのは、戦争に巻き込まれた時と、大病の時だけなのかもしれない。少人数の特殊部隊が、目的を果たして基地に帰投した場面で、最後の場面はたった2つの言葉で締めくくられていた。『ミッション・コンプリート(任務完了)』という意味だ。私はこの簡潔な表現に思いがけず感動した。私が死んだ時、誰かが私の胸の上に、手書きで書いたこの言葉を載せてくれないか、と思う」と書いています。

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ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教

 

また、クリスチャンである曽野氏は「人間の任務は、キリスト教の私から言うと、神から与えられた任務だ。どんなに小さなものでも、汚れたものでもいい。神からの命令はどれも重く、深い意味がある」とも書いています。イラク人であるSWAT部隊の隊員たちの神はイスラム教のアッラーであり、曽野綾子氏の神はキリスト教のゴッドです。しかし、ユダヤ教のヤーヴェを含めて、人間にミッションを与える神の正体は1つなのだということを、わたしは『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)に書きました。ある意味で、戦争映画とは「神」について思いを馳せる宗教映画でもあるのです。

 

2021年11月26日 一条真也

「梅切らぬバカ」

一条真也です。24日、京都から東京に入りました。
その日の夕方、銀座で出版関係者と打ち合わせをした後、シネスイッチ銀座で地元では鑑賞できない映画を観ました。この日に観た作品は、日本映画「梅切らぬバカ」でした。執筆中の次回作『心ゆたかな映画』向きの作品かなと思ったのですが、なんとも言えぬ後味でした。


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「女優の加賀まりこ自閉症の息子の将来を案じる老いた母親を演じるヒューマンドラマ。地域社会から孤立し、息子と二人きりで生きてきた母親が、息子の自立を模索する。お笑い芸人で『間宮兄弟』などの俳優としても活動する塚地武雅が息子を演じるほか、渡辺いっけい森口瑤子、斎藤汰鷹、林家正蔵高島礼子などが共演。監督を『禁忌』などの和島香太郎が務める」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、「占い師の山田珠子(加賀まりこ)は自閉症の息子・忠男(塚地武雅)と二人で暮らしていたが、ある日、忠男の通う作業所で知的障害者のためのグループホームへの入居を勧められる。珠子は自分の死後の忠男の人生を考え、忠男の入居を決める。しかし、環境の変化に戸惑った忠男は、ホームを抜け出した際に、ある事件に巻き込まれてしまう」となっています。


この映画、観ている間、ずっとモヤモヤします。そして、モヤモヤとした気分のまま唐突に終わってしまいます。観客はカタルシスを得ることはできませんし、年老いた母親と自閉症の息子を救う社会的解決策も何ら示されません。でも、現代社会が抱える問題のいくつかを「見える化」していることは確かです。知的障害者のためのグループホームの実態は初めて知りました。また、そこで働かれている方々に深い敬意の念を抱きました。本当に、ケアの精神がないと、この仕事はできないと思います。自閉症の男性・忠男を演じた塚地武雅の演技力には唸りました。あれは簡単なようで、なかなか難しいと思います。「すごい役者だな!」と思いましたね。


忠男の母親・珠子を演じた加賀まりこも良かったです。77歳の彼女は、なんと54年ぶりの映画主演だとか。50歳になる自閉症の息子を1人で育てる老いた母親という立場は客観的に見て、けっこう辛いものがありますが、まったく辛さを感じさせません。その強さや明るさは、加賀まりこ本人そのもののように思えます。彼女は59歳の時から6歳年下の演出家・清弘誠と事実婚を18年間続けていますが、彼の息子さんが自閉症だそうです。息子さんは45歳とのことで、映画の忠男が49歳。当然ながら、映画と現実がシンクロしたでしょう。加賀まりこは、この映画に関するインタビューで、「今は芸能人じゃなくても色々生きづらい世の中だと思うけど、他人のことを気にするなら、その何分の一でも、障害を持つ人や、その家族に目を向けてくれたらいいのにと思うのね」と語っています。

 

加賀まりこといえば、若い頃は「小悪魔」の代名詞的存在でした。7歳でデビューし、20歳で単身パリに逃避。写真家・立木義浩に乞われ、27歳のときにヌード写真集を出しました。その27歳で子供を授かると、シングルマザーとして出産。7時間後に亡くなりましたが、前を向いて生きてきました。そんな彼女が18歳のときに主演した「月曜日のユカ」(1964年)は、わたしの大好きな映画です。中平康が監督を務め、斎藤耕一倉本聰が脚本を担当し、「日本のヌーヴェルヴァーグ」と謳われました。主人公のユカは18歳の女の子で、横浜の上流ナイトクラブで人気を集めています。彼女は平気でいろんな男と寝ますが、決してKISSはしません。あのユカを演じた加賀まりこが60年後に「梅切らぬバカ」の珠子を演じるとは!

 

 

映画「梅切らぬバカ」は、自閉症の人の描写がリアルです。わたしは、ブログ『自閉症の僕が跳びはねる理由』で紹介した本の内容を思い出しました。当時13歳の自閉症の少年だった東田直樹さんが書いたエッセイ集で、「会話のできない中学生がつづる内なる心」というサブタイトルがついています。わたしは、この本から自閉症の人の心の中を教えてもらいました。大いに驚くとともに、納得できることも多くありました。これまで、電車の中などで自閉症児が大きな声などを出すと、どうしてもそちらを見てしまう自分がいました。そして、「ああ、気の毒なお子さんだな」とか「親御さんも大変だなあ」などと思っていたことが恥ずかしくなりました。今は、障害者として同情するのではなく、困難に立ち向かう強い精神力を持った1人の人間としてリスペクトしています。


隣人の時代』(三五館)

 

でも、自閉症の人に対する世間の目はまだまだ偏見に満ちており、そのへんの嫌な感じも映画ではよく描いていました。ただ、グループホームの撤去を求める住民たちの行動も単なる「住民エゴ」と切り捨てられない部分もあり、なかなか難しいです。『隣人の時代』(三五館)の著者であるわたしとしては、地域社会の人々が仲良く暮らすのを望んでいることはもちろんですが、現実は甘くはありません。この映画では、山田家の庭の梅の木が柵を越えて道にはみ出しています。住民には邪魔なだけでなく危険です。山田家の隣に引っ越してきた一家の父親(渡辺いっけい)と母親(森口瑤子)は梅の木を切ってほしいと訴えますが、珠子は従いません。それは忠男が父親と植えた梅の木で、それを切ろうとすると忠男が錯乱するからです。


でも、そのような事情があるにせよ、やはり人様の迷惑になるのであれば、道にまで伸びた梅の木は切るべきでしょう。珠子も、忠男を守るだけでなく、近所の人たちの心中というものも想像する必要があります。ちなみに、わが家は道に伸びた桜の木の枝を切ったことがあります。タイトルの「梅切らぬバカ」は、「桜切る馬鹿梅切らぬ馬鹿」ということわざから来ています。桜は枝を切るとそこから腐りやすくなるので切らないほうが良く、梅は枝を切らないとむだな枝がついてしまうので切ったほうが良いとされるという意味です。また、桜の枝は切らずに折るほうが良く、梅の枝は折らずに切るほうが良いことからとも言われますが、桜は折ることも良くないとされます。桜は剪定が難しく、梅は剪定が容易ということでもあります。


隣人の時代』では、「隣人愛」の本質と系譜について詳しく書きました。「隣人愛」は「相互扶助」に通じます。「助け合い」ということです。よく、「人」という字は互いが支えあってできているなどと言われます。互いが支え合い、助け合うことは、じつは人類の本能だと思います。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、「人間は社会的動物である」と言いました。近年の生物学的な証拠に照らし合わせてみると、この言葉はまったく正しかったことがわかります。結局、人間はどこまでも社会を必要とするのです。人間にとっての「相互扶助」とは生物的本能であるとともに、社会的本能でもあるのです。人間がお互いに助け合うこと。困っている人がいたら救ってあげること。これは、人間にとって、ごく当たり前の本能なのです。映画「梅切らぬバカ」の後半では、ある事件がきっかけで山田家とお隣さんが仲直りして、夕食を共にします。まさに、リアル「隣人祭り」であり、「人の世も捨てたもんじゃないな」と思わせてくれるシーンでした。

 

2021年11月25日 一条真也

京都から東京へ

一条真也です。
24日の朝、京都のホテルで目覚めました。
昨日はブログ「『日本人と死生観』シンポジウム」で紹介したイベントに出演し、その夜は京都大学名誉教授の鎌田東二先生と2人で「シンとトニーのムーンサルトレター」200信達成の祝宴を開きました。

f:id:shins2m:20211124120924j:plainJR京都駅にて
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JR京都駅のホームで

今回は家族も一緒に京都に来ていましたが、この日、家族は小倉へ。わたしは東京へ。社外監査役を務めている互助会保証株式会社の監査役会および取締役会に参加するためです。部屋で朝食を済ませたわたしはホテルをチェックアウトし、隣接するJR京都駅へと向かいました。

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車内のようす

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昼食は、サンドイッチ

 

京都駅からは11時39分の新幹線のぞみ194号に乗車。途中、京都駅で買ったサンドイッチを昼食として食べました。京都の駅弁はどれも美味しいです。それから、窓から見える景色などを眺めて、少しボーッとしました。この11月は本当に忙しかったです。

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車内では読書しました

 

もちろん、車内で読書もしました。この日は、石原慎太郎著『死者との対話』(文藝春秋)を読みました。作家として政治家として活躍してきた著者も齢87歳を迎えました。忍び寄る死の影をも直視しつつ綴った珠玉の七編を収録した最新短編集です。インパール作戦で多数の戦友を失った男が戦後にとった行動を描いた「暴力計画」。死に直面する作家が自在なリズムで自己と対話する「―ある奇妙な小説―老惨」。末期患者と看護人の間に芽生えた奇妙な友情を綴った「死者との対話」。ある少女を襲った残酷な運命を描いた「いつ死なせますか」。切れ味の鋭い掌編の連打である「噂の八話」。「これは私の一生を通じて唯一の私小説だ」という「死線を超えて」。ヨットレースを引退した男の胸に去来するものを描き出した「ハーバーの桟橋での会話」など、死と直面する自らをも捉える作家の冷徹な眼が光っています。

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JR東京駅のホームで

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JR東京駅にて

 

そうこうしているうちに、13時54分にJR東京駅に着きました。京都は気温9度で寒かったのですが、東京は16度で暖かかったです。東京駅には多くの人がいましたが、新型コロナウイルスの新規感染者数が激減しているので、以前のような不安感はなくなりました。でも、油断は禁物です。わたしはパープルの不織布マスクをしたまま、東京駅からタクシーで赤坂見附の定宿へと向かいました。夕方からは、銀座で、「出版寅さん」こと内海準二さんと次回作の打ち合わせをします。

 

2021年11月24日 一条真也

 

「日本人と死生観」シンポジウム

一条真也です。
京都に来ています。晴天となった23日は、ブログ「『日本人と死生観』シンポジウムのご案内」で紹介した現代京都藝苑 2021のシンポジウムに出演しました。

f:id:shins2m:20211121145651j:plain「日本人と死生観」シンポジウムのチラシ

f:id:shins2m:20211123115338j:plain京都大学  稲盛財団記念館の前で

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開始前の会場で

 

シンポジウムの会場は京都大学稲盛財団記念館です。ここに来たのは、ブログ「『こころの再生』シンポジウム」に書いたように、2012年7月13日に開催されたシンポジウム以来です。そのときは、「東日本大震災グリーフケアについて」を報告する機会も与えていただきました。わたしにとって、まことに貴重な経験となりました。

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やまだ先生と「物語」について歓談

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鎌田先生・やまだ先生と語り合う

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鎌田先生と打合せ

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鎌田先生と語り合う

 

大自然の一部であり大自然へと還り行く人間」である日本的死生観が、「悲とアニマⅡ」のサブタイトルでいうところの「いのちの帰趨」につながるといいます。つまり、柳田国男の『先祖の話』が指摘するように、日本人の世界観は「あの世(幽)」と「この世(顕)」が区切られつつも連続しています。仏壇やお盆がそうであるように、死者の魂と生者は日常的に交流しています。そして、死者の魂は時々子孫に転生し、やがて33回忌をめどに祖霊に溶け込んでいくとされます。

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挨拶をする鎌田先生

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比叡山に向かって法螺貝を奏上

 

「日本人と死生観」シンポジウムは、13時からの開催でした。まずは主催者からの趣旨説明がありました。まず、本シンポジウムのタイトルが「日本人【の】死生観」ではなく「日本人【と】死生観」であるのは、死生観には古今東西に様々な種類があるけれども、その1つである日本人の死生観にはどのような意義があるのかを論じ合い、展覧会「悲とアニマⅡ」展と連動させたいからだといいます。

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出演者紹介

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過分な紹介を受けました

 

また、「神の似姿として自然の管理者である人間」という西洋的死生観とは異なる、鎌田東二先生の『翁童論』が指摘しているように、「幽」と「顕」の転生において子供と老人は「幽」に近いとされます(七歳までは神の内)。そして、磯部忠正の『「無常」の構造』が指摘するように、あらゆる価値の源泉は大自然にあり、その強い現れが神であり、その弱い現れが人であるとされます。大自然の根源は「幽」にあり、人はその「幽」から伝わる大自然の働きを「顕」の生活に生かしていくために、できるだけ我を小さくして私心なく無心で生きることが理想とされます。ここには、現代文明の行き詰まりを乗り越えるための古くて新しいヴィジョンが含まれているというわけです。

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やまだようこ先生の発表

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興味深く拝聴しました

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鎌田東二先生の発表

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興味深い内容でした

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広井良典先生の発表

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こういう話が聴きたかった!

 

趣旨説明の後、13時15分から14時まで、やまだようこ(ものがたり心理学研究所所長・京都大学名誉教授)先生が登壇。14時から14時45分までは、鎌田東二上智大学グリーフケア研究所特任教授・京都大学名誉教授)先生が登壇。15分間の休憩を挟んで、15時から15時45分までは、広井良典京都大学こころの未来研究センター教授)先生が登壇。いずれも非常に示唆に富んだお話でした。ちなみに広井先生は「定常型社会」「社会的持続可能性」についての第一人者であり、翌24日は大分市で開催される第69回九州経済同友会大会で基調講演をされます。演題は、「人口減少・成熟社会のデザイン」です。

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マスク姿で登壇しました

f:id:shins2m:20211123154923j:plain「死生観の『かたち』」発表スタート!

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「死を乗り越える」三部作

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葬儀四部作

そして、15時45分から、わたしの番が来ました。わたしは、上智大学グリーフケア研究所客員教授・作家として登壇しました。テーマは「死生観の『かたち』」です。冒頭、自己紹介を兼ねて、「死を乗り越える」三部作や葬儀四部作などの自著を紹介。それから、日本人の死生観のターニング・ポイントとして、「すべては1991年から始まった」という話をしました。現代日本の葬儀に関係する諸問題や日本人の死生観の源流をたどると、1991年という年が大きな節目であったと思います。

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日本人の死生観の地殻変動について

f:id:shins2m:20211123155606j:plainすべては1991年から始まった①

 

わたしが往復書簡を交わし、対談し、『葬式に迷う日本人』(三五館)という共著を出した宗教学者島田裕巳氏も1991年が日本人の葬儀を考える上でのエポックメーキングな年であると述べていましたが、わたしもまったく同意見です。まさにその年に島田氏の『戒名』(法蔵館)と拙著『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)が刊行されました。ともに既存の葬式仏教に対して大きな問題を提起したことで話題となりました。その他にも「死」と「葬」と「宗教」をめぐって、さまざまな問題が起こりました。

f:id:shins2m:20211123155627j:plainすべては1991年から始まった②

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鎌田先生が聴いて下さいました

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儀式文化について

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会場のようす

 

一連のオウム真理教事件の後、日本人は一気に「宗教」を恐れるようになり、「葬儀」への関心も弱くなっていきました。もともと「団塊の世代」の特色の一つとして宗教嫌いがありましたが、それが日本人全体に波及したように思います。そこで、わたしは「永遠葬」を打ち出しました。「永遠葬」は単なる書名ではなく、1つの思想です。「永遠葬」という言葉には、「人は永遠に供養される」という意味があります。日本仏教の特徴の1つに、年忌法要があります。初七日から百ヶ日の忌日法要、一周忌から五十回忌までの年忌法要です。五十回忌で「弔い上げ」を行った場合、それで供養が終わりというわけではありません。

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葬儀は「不死のセレモニー」

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儀式の役割について

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水(こころ)と器(かたち)について

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「こころ」と「かたち」のメタファー

 

故人が死後50年も経過すれば、配偶者や子どもたちも生存している可能性は低いと言えます。そこで、死後50年経過すれば、死者の霊魂は宇宙へ還り、人間に代わってホトケが供養してくれるといいます。つまり、「弔い上げ」を境に、供養する主体が人間から仏に移るわけで、供養そのものは永遠に続くわけです。まさに、永遠葬です。有限の存在である「人」は無限のエネルギーとしての「仏」に転換されるのです。これが「成仏」です。あとは「エネルギー保存の法則」に従って、永遠に存在し続けるのです。つまり、人は葬儀によって永遠に生きられるのです。葬儀とは、「死」のセレモニーではなく「不死」のセレモニーなのです。

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すべての儀式は「卒業式」

f:id:shins2m:20211123233426j:plain通過儀礼は「こころ」のケア

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死をとらえなおす

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日本人の他界観


わたしたちは、どうすれば現代日本の「葬儀」をもっと良くできるかを考え、そのアップデートの方法について議論することが大切ではないでしょうか。わたしは、現在取り組んでいる葬イノベーション――四大「永遠葬」を紹介しました。日本人の他界観を大きく分類すると、「山」「海」「月」「星」となりますが、それぞれが対応したスタイルで、「樹木葬」「海洋葬」、「月面葬」、「天空葬」となります。この四大「永遠葬」は、個性豊かな旅立ちを求める「団塊の世代」の方々にも大いに気に入ってもらえるのではないかと思います。

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月こそ「あの世」である

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ムーン・ハートピア・プロジェクト

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太陽の塔」から「月の塔」へ

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月面葬について

 

わたしは、儀式を行うことは人類の本能ではないかと考えます。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られます。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのです。この本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。そして、そのとき、ネアンデルタール人の頭上の夜空には月が上っていたことでしょう。世界中の神話に「人は死んだら、月へ行く」と伝えられているように、また、さまざまな宗教が月を死後の天国として描いているように、月こそは「あの世」なのかもしれません。

f:id:shins2m:20211123163046j:plain「月への送魂」を動画で紹介
f:id:shins2m:20211123163231j:plain葬儀は人類の存在基盤です!

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葬儀は人類の存在基盤です。葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのではないでしょうか。そして、その未来形は「月の塔」や「月への送魂」といったカタチになるように思えます。

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全体討議のようす

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鎌田先生のお話を聴く

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広井先生のお話を聴く

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わたしも話しました

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自分の考えをストレートに述べました

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シンポジウムが無事に終了しました

以上のような話をした後、全体討議に入りました。ここでも、自分の考えを学者の先生方に遠慮なくぶつけました。特に、幸福論と死生観の関係について語りました。「死生観なくして幸福論なし」です。こうして、「日本人と死生観」シンポジウムは異様な熱を帯びたまま終了しました。わたし自身、非常に大きな学びを得ることができました。何よりも、京都大学のシンポジウムでムーン・ハートピア・プロジェクトを披露できたことが感無量でした。

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やまだようこ先生と

f:id:shins2m:20211123170742j:plain広井良典先生と

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鎌田東二先生と

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若い二人を囲んで

 

じつは、この日、家族が京都に来ており、揃って聴講してくれました。また、長女の婚約者がわざわざ福岡から駆け付けて聴講してくれました。それが非常に嬉しかったです。婚約者は京都大学出身ということもあり、長女を母校に案内することを兼ねて参加してくれたのです。思えば、ブログ「長女の結納」で紹介した3日の「文化の日」以来、20日間ずっとノンストップで走り続けてきました。シンポジウムがすべて終了した後、若い二人を鎌田先生に紹介しました。鎌田先生はとても喜んで下さいました。そして、その夜は鎌田先生と2人で「ShinとTonyのムーンサルトレター」200信達成の祝杯をあげました。

f:id:shins2m:20211124093502j:plainムーンサルトレター」200信達成の祝杯をあげました

 

2021年11月23日 一条真也