『若い読者のための 第三のチンパンジー』

若い読者のための第三のチンパンジー (草思社文庫)


一条真也です。
『若い読者のための 第三のチンパンジージャレド・ダイアモンド著、レベッカ・ステフォフ編著、秋山勝訳(草思社文庫)を読みました。「人間という動物の進化と未来」というサブタイトルがついています。著者は、1937年ボストン生まれ。カリフォルニア大学ロサンゼルス校教授。進化生物学者生理学者、生物地理学者。アメリカ国家科学賞受賞。著書『銃・病原菌・鉄』でピュリッツァー賞、コスモス国際賞受賞。同書は朝日新聞ゼロ年代の50冊」第1位に選ばれました。

f:id:shins2m:20211104121656j:plain本書の帯

 

帯には著者の笑顔の写真が使われ、「『人間とは何か』を問いつづける博士の思想のエッセンスをより読みやすく凝縮!」「解説=長谷川眞理子」「『ダイアモンド博士の‟ヒトの秘密”』全12回」「NHK Eテレ2018年1月5日(金)スタート 毎週金曜 午後10時~」と書かれています。


カバー裏表紙の裏には、以下の内容紹介があります。
チンパンジー(コモンチンパンジー)、ボノボ(ピグミーチンパンジー)と人間の遺伝子はじつに『98.4%』が同じ。つまり人間は三番目のチンパンジーともいえるのだ。たった『1.6%』の差異が、なぜここまで大きな違いを産み出したのか? 分子生理学、進化生物学、生物地理学等の幅広い知見と視点から、壮大なスケールで『人間とは何か』を問いつづけるダイアモンド教授の記念すべき第一作『人間はどこまでチンパンジーか?』を、より最新の情報をふまえて約半分のボリュームに凝縮した。名著『銃・病原菌・鉄』『文明崩壊』で展開されるテーマが凝縮された、より広い読者のための『ジャレド・ダイアモンド入門書』」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
はじめに「人間を人間であらしめるもの」
第1部  ありふれた大型哺乳類
第1章  三種のチンパンジーの物語
第2章  大躍進
第2部  奇妙なライフサイクル
第3章  ヒトの性行動
第4章  人種の起源
第5章  人はなぜ歳をとって死んでいくのか
第3部  特別な人間らしさ
第6章  言葉の不思議
第7章  芸術の起源
第8章  農業がもたらした光と影
第9章  なぜタバコを吸い、酒を飲み、
             危険な薬物にふけるのか
第10章  一人ぼっちの宇宙
第4部  世界の征服者
第11章  最後のファーストコンタクト
第12章  思いがけずに征服者になったヒトたち
第13章  シロかクロか
第5部  ひと晩でふりだしに戻る進歩
第14章  黄金時代の幻想
第15章  新世界の電撃戦と感謝祭
第16章  第二の雲
おわりに
「なにも学ばれることなく、すべては忘れさられるのか」
「訳者あとがき」
「解説」長谷川眞理子総合研究大学院大学学長)

 

第1部「ありふれた大型哺乳類」の第1章「三種のチンパンジーの物語」では、「霊長類の系統樹」として、ヒトと他の霊長類との差について、「ゴリラとは2.3パーセント、コモンチンパンジーおよびボノボとは約1.6パーセント。つまり私たちヒトは、チンパンジーとは98.⒋パーセントのDNAを共有し、チンパンジーこそヒトにもっとも近い種にほかならない。そして、見方を変えれば、チンパンジーにとって、彼らにもっとも近縁の種とはゴリラなどではなく、遺伝的には私たち人間なのである」と説明され、著者は「霊長類の遺伝的距離を分子時計で測ると、ゴリラがチンパンジーやヒトへと続く系統から分岐していったのは約1000万年前のことだった。ヒトの祖先はいまからおおよそ700万年前にチンパンジーの系統から分かれた。つまり、ヒトは約700万年の年月をかけて独自の進化を遂げてきたのだと言えるだろう」と述べます。


第2章「大躍進」では、もしも、わたしたちが人間になった瞬間と呼べる時があるとすれば、それは6万年前にさかのぼるこの「大躍進」の瞬間にほかならないとして、著者は「おそらく大躍進は、アフリカや中東で起きていた、同様な躍進のもうひとつの結果だったのだろう。このときの躍進は、大躍進に先立つ数万年のあいだにわたって続いていた。もっとも数万年といっても、人類が類人猿の歴史を分岐してからたどった長い歴史からすると、それは1パーセントにも満たないつかの間の出来事にすぎない。人類が野生動物を家畜化し、農耕と冶金を手がけ、文字を発明するのは、大躍進からわずか数万年後のことである。そして、『モナ・リザ』が描かれ、ベートーベンの交響曲が誕生し、エッフェル塔が建設され、さらに国際宇宙ステーション(ISS)、大量破壊兵器などの発明といった文明の記念碑のかずかずが登場するのは、あと数歩のことにすぎないのだ」と述べます。

 

「ヒトになる」として、地球上に生命が誕生したのが数10億年前のことで、恐竜が絶滅したのはおおよそ6500万年前だったと紹介し、著者は「私たち人類の祖先がチンパンジーの祖先から分かれたのはほんの1000万年から600万年前のことにすぎない。生命の歴史において、ヒトの歴史の割合はごくごくわずかなパーセンテージしか占めていないのだ」と説明。また、ゴリラとチンパンジー、そしてヒトの共通祖先はアフリカに住んでいたとして、「ゴリラとチンパンジーは現在でもアフリカにしか生息していないが、数100万年前までは人類もアフリカから足を踏み出すことはなかった。もともと、人類の祖先も類人猿の一種にすぎなかったが、しかし、あいついで起きた3つの変化をきっかけに、現在の人類にいたる方向へ向かっていく」と述べます。

 

その3つの変化とは何か。1番目の変化は約400万年前に現れていました。著者は、「化石の様子から、人類の祖先は2足歩行を常におこなっていたことを示していたのだ。これに対してゴリラやチンパンジーは通常、4足で歩行して、2足で立ち上がるのはときどきのことでしかない。ヒトの祖先が2足歩行を始めるようになると、両手は自由に使えるようになっていく。とりわけ大きな意味を帯びていたのが、その手で道具を作れるようになったということだった」と述べています。


2番目の変化は約300万年前に起きていました。著者は、「現生人類のすべては、ホモ・サピエンスという同一の種に属しているが、人類の系統――人類の祖先から現在の私たちへと連なる流れは、過去においておそらく数度、少なくとも2種に分かれて同時期に生息していた。そして、人類の系統が2つの種に分岐したのが、おおよそ300万年前のことだったのである。ひとつは厚い頭蓋骨と大きな臼歯をもつ猿人だった。猿人はおそらく繊維質の多い植物を食べていたのだろう。この猿人はアウストラロピテクス・ロブストゥス(Australopithecus robustus)と呼ばれ、「頑丈な南の猿」という意味だ」と述べます。


もう一種は、もっと軽くて薄い頭蓋骨と小さな歯をもつ猿人です。おそらく、食性の幅はもっと多彩だったのでしょう。アウストラロピテクス・アフリカヌス(Australopithecus africanus)、「アフリカの南の猿」と呼ばれています。そして、わたしたちの先祖から類人猿的な様子が薄れ、より人間らしいものへと変わっていったのが第3番目の変化とは何か。その正体を、著者は「恒常的に使われるようになっていた石器の存在だった。道具の使用は、動物界に明らかな起源をもつヒトの特徴にほかならない」と明かします。


「アフリカで起きたふるいわけ」として、50万年前起きたこのホモ・サピエンスの登場こそが大躍進だったのではなく、ホモ・サピエンスの登場とともに、特筆するような事件がただちに起きたわけではないことが明かされます。著者は、「洞窟の壁画、住居、弓と矢が登場するのはまだまだ数10万年先の話である。その石器はホモ・エレクトゥスが約100万年にわたって作っていたものと同じように荒削りなものだった」と述べます。

 

また、初期のホモ・サピエンスが備えていた余分な脳の大きさは、私たちの生活のあり方について劇的な変化を決してもたらすものではなかったとして、著者は「私たちが人間へと上昇していくことは、遺伝子の変化にただちに関係するものではなかったのである。つまり、第3のチンパンジーが「モナ・リザ」を描こうという考えを抱くようになるまでには、さらに決定的な要素をいくつかつけ加える必要があったのである」と述べています。

 

ここで、コラム「人類は有能なハンターだったのか」では、初期人類が肉を口にしていたことに言及し、動物の骨の化石には祖先が使った道具の痕跡が残っているし、骨から肉を切り落とした跡が石器にも残されていることが紹介されます。しかし、問題は、私たちの祖先が大型獣の狩猟で得た肉をどれだけ食べていたかで、すでに死んでいた動物の体からどれほどの量の肉をあさっていたかだとして、著者は「人類が狩りをしていたことを確かに示す最古の証拠は約10万年前にさかのぼるものの、当時の人類は、狩人としてまだそれほど上手ではなかったのは明らかである。とすれば、何10万年前の人類は、狩猟技術の点でさらに劣っていたのはまちがいないだろう」と述べます。


また、現代の狩猟採集民を対象にした研究では、家族が摂取するカロリーのほとんどは女性が集める植物性の食物によってまかなわれていることがわかっています。しかも、これらの人たちは初期のホモ・サピエンスよりもはるかに優れた武器を使っていることを指摘し、著者は「時には男たちも大型獣をしとめ、タンパク質の摂取に大いに貢献する場合もあるが、しかし、大きな獲物がおもな食料供給源であるのは唯一北極圏に限られている」と述べています。


さらに、大型獣の狩猟が人間の食料獲得に果たしていた役割はごくわずかで、それは人類が解剖学的にも行動面においても、現代の人間と変わらない進化を果たしたあとでも違いないと考えているとして、著者は「人類の歴史の大半を通じ、私たち人間は有能な狩人などではなく、石器を使い、植物性の食物や小動物を手に入れて処理していた、手先の器用なチンパンジーにほかならなかった。大きな獲物をしとめていたにせよ、それはごくたまのことにすぎなかったのである」と述べるのでした。


「氷河期を生きたネアンデルタール人」として、いくつかの点からネアンデルタール人人間性を認めることができるだろうとして、著者は「ひとつは、火を恒常的に使っていたことをはっきりと示す証拠を残した最初の人間がネアンデルタール人にほかならない。保存条件に恵まれたネアンデルタール人の住んでいた洞窟内部には、灰と木炭を含んだ一角があり、簡単な暖炉として使われていたことを示している。さらにもうひとつ、遺体を埋葬する習慣を最初にもつようになった人間がネアンデルタール人かもしれないのだ。ただし、この点については、まだきちんと立証されているわけではない」と述べます。

 

しかし、病気になった仲間、年老いた仲間のめんどうをみていたのは明らかだとして、著者は「年老いたネアンデルタール人の骨を見ると、萎えた腕、歯の欠損、治りはしたものの不自由を残した骨折など、大半が深刻な身体的ハンディを負っていたことがうかがえる。このような不自由を抱えていれば、若い仲間の世話に頼ることなしに、年老いたネアンデルタール人は命をつないでいけなかったはずである。そう考えれば、最終氷河期を生きていたこれら奇妙な生き物――つまり、人間とよく似た姿をしていながらも、その精神はまだ人間とは言いがたい生き物に対して、私たちは自分の同族であるという印をまちがいなく見てとることができるはずだ」と述べるのでした。


第2部「奇妙なライフサイクル」の第5章「人はなぜ歳をとって死んでいくのか」では、「寿命をめぐる問題」として、ある意味で進化とはエンジニアのようなものであると指摘し、著者は「進化もまた、動物のほかの部分を切り離して個々の特質に限っていじり回すことはできない。器官、酵素、DNAなど、いずれもほかのものに使えたかもしれないエネルギーとスペースを使って作り上げたものだからである。個別にいじるかわりに、自然淘汰が選んだのは、その動物が繁殖成功度を最大化できる特質の組み合わせだった。エンジニアも進化生物学者も、なにかを増大させるなら、そこにはトレードオフ(差し引き関係)がかかわっている点を踏まえたうえで考えなければならない。変化がもたらす利益とともに、それにともなう損失の両面から評価しなくてはならないのである」と述べています。


第3部「特別な人間らしさ」の冒頭、人類を真に脅かしているのは、わたしたちの2つの文化的な習性であるとして、著者は「ひとつがジェノサイド(大量虐殺)であり、ある集団に属している人びとをことごとく殺し尽くす。もうひとつは他種の大量絶滅であり、環境破壊を決まってともなうが、その環境とは人間が暮らしていく場所でもあるのだ」と述べています。また、「最古の芸術」として、著者は「人類がチンパンジーから分かれて約700万年、最初の696万年を私たちは芸術とは無縁に生き抜いてきた。初期の芸術はおそらく木彫りやボディーペインティングだろうと思われるが、それがよくわからないのは、こうした造形は化石として残らないからである」と述べます。


化石として今日まで伝わり、ヒトの芸術ではないかと思わせる最初のものに、ネアンデルタール人の遺骨の周囲に残されていた花(手向けの花なのだろう)と、そのキャンプから発掘された削りあとがかすかに残る動物の骨があると紹介し、著者は「花が意図して置かれたものか、骨の傷もわざとつけられたものかどうかは判明していない。これらは芸術かもしれないし、単なる偶然の結果、そうなったのかもしれない」と述べています。わたしは、それを偶然の結果とは見ません。「ホモ・フューネラル」であるヒトが死者を弔うために行った行為であると考えており、拙著『唯葬論』(三五館・サンガ文庫)を書きました。

唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)

 

第8章「農業がもたらした光と影」では、農業のおかげで食料の生産量は蓄えておくことができるほど飛躍的に増えたことを指摘し、著者は「つまり、より多くの人間が生き延びていけるようになったのだが、その一方で疫病を引き起こし、男女間や社会的な階級間に不平等を生み、強権的な支配者による専制という害悪をもたらしたのが農業である。ヒトの文化的特徴のなかで、よくもあり悪しくもあるのが農業なのである。農業は、言葉や芸術といった人間の高貴な特徴と、薬物乱用、大量虐殺、環境破壊などの悪徳とのちょうど中間に位置するものなのだ」と述べます。


現在でもなお猛威を振るっている伝染病や寄生虫は、農業に移行するまでは確たる勢いをもっていなかったと指摘し、著者は「こうした病気がはびこるのは、人口が密集し、栄養不良の定住者の住む社会に限られ、住人は互いのあいだで、あるいはみずからの排泄物を介して絶えず病気をうつしあっていた。集団感染する伝染病の場合、規模も小さく、人数もまばらで、たびたびキャンプを移動する狩猟民の集団では長生きすることはできない。結核ハンセン病コレラの発生は農村が勃興してからのことで、天然痘、腺ペスト、麻疹は、都市に人が集中して人口密度が高まったわずか数千年前になってから出現するようになったのである」と述べます。


そして、「先史時代の交差点」として、「24時間が表示できる時計を想像してみてほしい」と読者に提案し、「この時計が示す1時間はそれぞれ10万年の時を表している。午前0時に人類の歴史が始まったとすれば、いま私たちは1日目の終わりを間もなく迎えようとしている。真夜中から夜明けまで、正午から日暮れまで、私たちは終日のほとんどを狩猟採集民として生きてきた。そして、午後11時54分、私たちはついに農業を採用した。もう後もどりすることはできないのだ。2度目の午前0時をまさに迎えようというとき、農業がもつ呪わしい面に制限をかけ、祝福にあふれた農業の恵みを実現する方法を私たちは見つけ出すことができるのだろうか」と述べるのでした。


第4部「世界の征服者」では、わたしたちの文化的な特質の中でも、言葉と農業と高度な技術の3つによってヒトの存在はきわめてユニークなものになりえていることが指摘され、「地球上に人間が広がり、世界の征服者になりえたのもこうした特質のおかげだ。そして、この世界征服の過程において、異なる集団同士の関係をめぐり、ヒトという種は基本的な変化を遂げていった」と書かれています。また、「最後に人間性に宿る暗黒の一面、すなわち『よそ者嫌い』という、自分と異なる人間に対して恐怖を覚えるヒトの性向についても考えてみよう」と呼びかけ、著者は「動物界において、よそ者嫌いはごくありきたりの競争に根差すものだが、同じ種である相手を大量に殺戮できる遠隔兵器を生み出したのは唯一ヒトに限られる。人間のジェノサイドの歴史をふりかえれば、恐怖に満ちた現代の戦争を引き起こした人間の醜い伝統が浮かび上がってくるだろう」と述べています。


第13章「シロかクロか」では、「動物界の仲間殺しと戦争」として、ジェノサイドの起源を理解する上で、特に興味を覚えるのは人間にもっとも近縁の種であるチンパンジーやゴリラの行動だと指摘して、著者は「人間には道具を操る能力と集団で計画を立てられる能力があるので、類人猿よりもはるかに殺人的である。1970年代ごろまでは生物学者なら誰もがそんなふうに考えていた。もっとも、これは類人猿が残忍であればという話だ。しかし、その後の発見から、チンパンジーもゴリラも人間の平均値と同程度には仲間に殺されていることが指摘されるようになった」と述べています。

 

「倫理規定とその破綻」として、つきあげてくる殺意をつねに抑制するのが倫理観で、すなわち何が過ち(この場合では人を殺害すること)であり、何が非道徳であるかということに対するわたしたちの理解だと指摘し、著者は「だが、なぜその衝動が解き放たれてしまうのか。そこが謎なのだ。この謎に対するひとつの鍵は、私たちが『我ら』と『彼ら』の観点から考えるように進化したという点である。チンパンジーやゴリラ、ライオンやオオカミといった社会性の高い肉食獣のように、初期の人類も集団を組み、互いに狭いなわばりのなかで暮らしていた。このころ、世界はいまよりもずっと小さく、そしてシンプルなものだった。1人ひとりの『我ら』が知っていたのは、ごく限られた『彼ら』であり、間近に住むものたちだった。ある人間集団にとっては、これは現在にいたるまで変わらない現実である」と述べます。

 

ジェノサイドの首謀者は、自らの行動と現代の理想たる世界共通の倫理の間に生じる対立から、どうやって身をかわすのか。それは、以下の3つの正当化のうちから、そのうちの1つか2つを駆使して、被害者に罪をなすりつけるといいます。第1に、世界的な規範を心から信じている人であっても、いまだに自己防衛には問題がないと考えています。第2に、「正当な」宗教、人種や政治的信条をもつことで、進歩やよりレベルの高い文明を代表するものだと主張します。最後に、わたしたちの倫理規範は人間と動物とは別のものだと見なしています。現代においてジェノサイドを引き起こした当事者は、殺戮を正当化するために被害者をいつも動物になぞらえようとするのです。


また、「ナチスユダヤ人を人間以下の『シラミ』だと見なし、アルジェリアに入植したフランス人は地元のイスラム教徒を『ネズミ』と呼んだ。ボーア人南アフリカに入植したオランダ人の子孫)はアフリカ人を『ヒヒ』と言っていた。アメリカ人はアメリカ・インディアンの扱いを正当化するために、こうした3つの言い訳のすべてを用いた。世界的な倫理規範を信じようと主張しているが、私たちの伝統的な姿勢とジェノサイドをめぐる物語は、白人は自己防衛のためにインディアンを殺してきたのであり、文化は白人のほうが優れていて、この大陸をさらに前へ前へと突き進んでいくように運命づけられている、そして犠牲者は野蛮な動物にすぎないというものだった」と述べます。

 

「未来を見つめて」として、ジェノサイドの可能性はわたしたちすべての人間の中に宿っていることを指摘し、著者は「世界の人口が増えていくにしたがい、社会間や社会内でのせめぎあいはますます激しいものになっていくだろう。互いに殺しあおうとする人間の衝動はさらに高まり、それを実現するための武器も性能を向上させていく。ジェノサイドをめぐる物語に耳を傾けることは耐えがたい痛みをともなうが、しかし、人間の本性に宿る破壊的な部分から目をそむけ、理解しようという試みを拒んでしまえば、いつの日か私たち自身が殺人者になるか、あるいは犠牲者になってしまうのかもしれないのだ」と述べます。

 

第5部「ひと晩でふりだしに戻る進歩」の第14章「黄金時代の幻想」では、有名なイースター島の石像が取り上げられます。「イースター島の謎」として、著者は「未完成のままの石像、うち捨てられたままの石像もあるが、その様子はまるで石工と運搬担当者が突然仕事を放りだし、持ち場を立ち去ったようである。オランダ人の探検家がやってきたときには石像はまだ立っていたが、1840年までには石像は島民によってひとつ残らず倒されていた。いったい、巨大な石像はどのようにして作られ、どうやって運搬されたのだろう。そして、島民はなぜ像を彫ることをやめ、最後には引き倒してしまったのか」と述べます。


第一の疑問について、自分たちの先祖は丸太をころとして使って石像を運んだと、20世紀の研究者トール・ヘイエルダールに対して島民が答えています。第二の質問に対する答えは、この島の容赦ない歴史を示すものであり、考古学者と古生物学の研究者によって明らかにされました。著者は、「ポリネシア人イースター島に入植したのは西暦400年ごろであり、当時、島は森林でおおわれていたものの、木材を得たり、菜園を作ったりするために森林は徐々に切り開かれていった。西暦1500年ごろまでには、島の人口はおよそ7000人にまで増えていた。島民が彫った石像は約1000体、このうち少なくとも324体が立てられていた」と述べます。


また、「幼年期に起きた文明の生態学的破壊」として、古代都市ペトラが取り上げられます。ここには「失われた都市」と刻んだ岩が残されているのですが、映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」が撮影されたことでも知られます。著者は、「ペトラもまた、世界中に残る数多くの古代都市のひとつにすぎず、みずからの生存手段を破壊した国をまつる記念碑として今日に伝わっている。中央アメリカのマヤ文明、インドやパキスタンハラッパ文明など、文明のことごとくが没落したのは、増えつづける人口がそれぞれの環境を圧倒してしまったせいなのだろう。歴史の本では王たちと蛮族の侵入について長々と語られている場合が少なくないが、結局は、森林破壊や浸食のほうが、人間の歴史を形づくるうえでははるかに重要な役割を果たしていたようである」と述べています。


おわりに「なにも学ばれることなく、すべては忘れさられるのか」では、人類に大躍進が起きたという確かな証拠が6万年頃のヨーロッパに突然出現したことを指摘し、著者は「この躍進を促したものがなんであろうと、それにかかわった遺伝子はごく一部だったのはまちがいないはずだ。現在でも人間とチンパンジーの遺伝子の違いは全体の1.6パーセントにすぎず、しかもその違いの大部分は、行動面において大躍進が起こる以前に刻み込まれていた。私自身は、言語能力を得たことを引き金にして大躍進は起きたにちがいないと考えている」と述べています。


最初の現生人類は、高貴な特徴を備えていましたが、著者は「彼らは現在私たちが抱えている問題の根底に横たわる2つの特徴も背負っていた。そのひとつこそ、互いに大量の人間を殺しあうという私たちの性質である。そして、もうひとつは、環境と資源基盤を破壊しようとする性質である。もしも、ほかの太陽系で勃興した高度な文明においても、自己破壊の種子が根深く関連しているのであれば、空飛ぶ円盤がなぜ私たちのもとを訪れてこないのかという事実もすんなり納得がいくだろう」と述べるのでした。


「訳者あとがき」で、秋山勝氏は本書の魅力について、「人間とはなにかという根源的で哲学的な問いについて、“若い読者”も強い好奇心に駆られながら、科学的に考えを深めていける点につきるだろう。鳥類学、進化生物学、生物地理学、人類生態学、古環境学、古病理学、言語学などの幅広い学識が縦横に駆使され、学際的に考えることの豊かさと興奮が堪能できる。また、生物学的な進化にとどまらず、言語、芸術、農業といった文化的な進化という推力についても本書は詳しい。農業の発展につれて階級分化が始まり、〈支配者―被支配者〉が分離していったことはよく知られている。だが、農業の誕生以前、狩猟採集民族の生活のほうがはるかに健康的で、生きることの豊かさを謳歌していたという点にまで指摘がおよぶのは、古病理学や育種学を踏まえたうえで語る博士ならではの知見だろう」と述べています。


「解説」では、総合研究大学院大学学長の長谷川眞理子氏が、「この本のテーマは、人間とはどんな動物か、ということです。人間は動物だけれども、ほかのいろいろな動物とは違って特別に偉いのだという考えは、かなり多くの人々が持っているようです。なぜなら、コンピュータやロケットなどを発明し、大きな都市に住み、言語を駆使して哲学的なことを考え、宗教を持ち、芸術を楽しむような生物はほかにいない(ように見える)からです。その一方で、人間が自分たちを特別な存在だと思うのは、人間の自己中心的な思考のせいであって、ミミズだろうがイチョウだろうが、どんな生物もそれぞれに特別なのだ、という考えもあります」と述べています。


その昔、哲学は、「人間はどんな動物か?」を追求する学問的広がりを持った探究でした。だからこそ、長年にわたって、人間とは何かという探究は、哲学の主たるテーマだったのだと指摘し、長谷川氏は「現代では、人間のいろいろな側面に関する研究が、それぞれに大変に深く専門化されてしまっているので、本当の人間の哲学をやろうと思えば、これほど多岐にわたる学問分野に踏み込まねば、できなくなってしまっていると言えるでしょう。でも、だからと言って、人間とは何かを探究することが、ソクラテスの時代よりも格段に難しくなってしまった、ということはないと思います(一見するとそう思えるけれども)。古代ギリシャソクラテスでも、現代の私たちでも、からだと脳の基本的構造に変わりはありません。つまり、今の私たちも、紀元前4世紀のソクラテスも、ハードの面では同じ脳を使って考えているのです」と述べます。


現代では、この2000年の学問の発展の成果として参照するべき情報が、ソクラテスの時代に比べて格段に増えたとしながらも、長谷川氏は「いろいろな研究が進んだ結果、もう解決してしまったこともありますし、その方向で考える必要はないことがわかったということもあります。そして今ではコンピュータやインターネットがありますから、ソクラテスの時代よりも格段に多くの情報を各段に速く処理することができるはずでしょう。何も、それぞれの学問領域の細部にわたって知る必要はないのです。ソクラテスと同じ構造の頭を使って、ことの真髄だけを掘り出してつなげていけばよいはずです。確かにそれは難しいことではありますが」と述べます。

 

そして、「ジャレドの人間探求」として、長谷川氏は「本書は、私たち人間とはどんな生き物なのかについて科学的に考察したものです。しかし、それは単に人間の生物学的な組成や進化の道筋を科学的に解説したということではありません。人間という生き物が、この地上で現在行っていることは何なのか、この先、人間はどうなっていくのかという、私たち1人1人の生き方に思いをはせる、いわば哲学的な考察に導くものです。自然科学の探究そのものは、価値観や哲学とは異なる舞台で、客観的な検証に耐えるものとして進んでいきます。しかし、その結果は、私たち自身がどのように生きていくべきかについて、大いに示唆を与える材料となるでしょう。その意味で、そういう含意を意識して書いたという点で、この著作は非常に大きな視野を持っていると私は思います」と述べるのでした。

儀式論』(弘文堂)

 

本書は、平易な言葉で書かれていますが、長谷川氏の言うように「人間はどんな動物か?」ということを考えさせてくれる良書でした。ちなみに、拙著『儀式論』(弘文堂)で、わたしは「人間は儀式的動物である」と訴えました。結婚式、葬儀といった人生の二大儀礼から、成人式、入学式、卒業式、入社式といった通過儀礼、さらには神話や祭り、オリンピックの開閉会式から相撲まで、あらゆる儀式・儀礼についての文献を渉猟したわたしは、「儀式とは何か」をテーマ別に論究。「人類は生存し続けるために儀式を必要とした」という仮説の下、儀式の本質に迫りました。第三のチンパンジーは儀式的動物なのです!

 

 

2021年11月13日 一条真也

サンレー北陸本社開所式

一条真也です。
12日、金沢駅前の「ハイアット セントリック 金沢」で目を覚ましました。今朝の金沢は雨で、明け方には何度も雷鳴が轟いていました。

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今朝の金沢は雨です

f:id:shins2m:20211112135815j:plain今朝のルームサービス

ルームサービスの朝食を取った後、チェックアウト。石川県金沢市柳橋町丙3番地1に向かいました。ここで、サンレー北陸の本社開所式が行われるのです。現地に着くと、多くの社員が迎えてくれ、長女の結納のお祝いの言葉を頂きました。やはり、北九州とは違います。(苦笑)

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入口前で

f:id:shins2m:20211112102218j:plain室生犀星の詩碑がある中庭の前で

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室生犀星の詩碑(『愛の詩集より』)

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エントランスホールで

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お祝いに届いた胡蝶蘭

 

サンレー北陸の本社ビルには中庭があり、そこには金沢を代表する詩人である室生犀星の『愛の詩集』の詩碑があります。もともと、金沢平安閣の竣工時に設置され、マリエールオークパイン金沢にも引き継がれた詩碑ですが、ここにまた新たな場所を得ました。愛の言葉は不滅です! 開所式は、10時半から開始されました。神事の斎主として、地元を代表する松尾神社の松本昌丈宮司が儀式を司って下さいました。

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さあ、儀式の場へ!

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本日の神饌

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本日の式次第

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開所式のようす

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清め祓いの儀のようす

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玉串奉奠で柏手を打ちました

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柏手を打つ東専務

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祝辞を述べる松本宮司

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乾杯のようす

 

総務課の上本さんによる「開式の辞」の後、修祓、降神之儀、献饌、祝詞奏上、清祓之儀、玉串奉奠、撤饌、昇神之儀の後、「閉式の辞」がありました。それから、神酒拝戴です。松本宮司が祝辞を述べられ、『古事記』の神話に由来する儀式の大切さについて語られました。その後、施主挨拶として、わたしが挨拶しました。

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最初はマスク姿で挨拶

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マスクを外しました

f:id:shins2m:20211112122508j:plain素晴らしい本社が完成しました!

f:id:shins2m:20211112124350j:plainさらなる発展を目指して、頑張りましょう!


わたしは、「コロナ禍の終息の気配を見せ、金沢も多くの観光客で賑わう今日、サンレー北陸の新しい本社が開所され、誠に嬉しく思います。社長のわたしが言うのも何ですが、コロナ禍の中でこんな立派な本社を作ったのは、わが社ぐらいではないでしょうか?(笑)これから、ますますサンレー北陸は発展することと信じます。次は、ぜひ冠婚施設の起工式や竣工式を行いたいです」と述べました。

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新しいオフィスはモダンです!

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マスクの下は笑顔です!

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営業所も入ります

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役員室もあります

新しい本社は家具も最新式のものでホワイトで統一され、非常にモダンです。サンレー流通事業課の梅林課長が選んだ家具が揃ったオフィスは美しいです。わたしは、「他の事業部、特に北九州の本社オフィスも、こんなふうなスタイリッシュな職場環境にしたいなあ」と思いました。思うだけではなく、近いうちに実現したいです。

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直会のようす

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直会のお弁当

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解禁したばかりの香箱蟹も!

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北陸のカニは旨いなあ!

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直会のようす

開所式が終わった後は、階下の「柳橋紫雲閣」で直会が行われました。私たちは、美味しいお弁当をいただきながら、わが社の未来について語り合いました。お弁当の中には解禁したばかりの香箱蟹も入っていました。直会が終わった後は、車で小松空港へ。そこから13時15分発のANA1233便に搭乗しますが、大雨で2時間以上遅れて離陸しました。狭い機内の中でじっと待たされましたが、おかげで本が読めました。何事も陽にとらえないと!

 

2021年11月12日 一条真也

雨の北陸へ! 

一条真也です。
11日の朝は、気温11度で非常に寒かったです。薄手のコートを羽織ったわたしは福岡空港に向かいました。北陸に出張するためです。このたび、サンレー北陸の本社が移転することになり、その開所式に参加するのです。

f:id:shins2m:20211111103715j:plain福岡空港の前で

f:id:shins2m:20211111104237j:plain福岡空港にて

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すごい人の数でした

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早めの昼食は、ワカメかき揚げうどん(大)

福岡空港は修学旅行も復活して、すごい人の数でした。この上、GoToトラベルなどが復活したら、どうなるのでしょうか? お隣りの韓国では、ワクチン接種率が日本にも高いにも関わらず、感染再拡大しているというのに! 搭乗する飛行機の機材が到着遅れとのことで、出発が45分も延びました。本当は、小松空港に着いてから昼食を取ろうと思っていたのですが、それでは会議の時間に間に合わないため、福岡空港の「はなまるうどん」で早めの昼食を食べることにしました。わたしの前に並んでいた若者につられて、ワカメうどんの大に野菜かき揚げをトッピングしましたが、量が多すぎて半分ぐらい残しました。昔は、この何倍もペロリと平らげたのに・・・もう、トシです!

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雨の福岡空港

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ラウンジで青汁を飲みました

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結局、1時間以上遅れました

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バスで移動しました

その後、ANAのラウンジで青汁を飲み、モバイルパソコンでメールなどを処理しました。残りの時間で読書をしました。ラウンジを出ると、搭乗口からバスに乗って小さな飛行機が停まった場所まで行き、そこからANA1234便に乗り込みました。当初は45分の遅れでしたが、さらに1時間ぐらい離陸が遅れました。その間、狭い飛行機の中でじっとしていなければならず、しかも機内は満席で、さらにわたしの隣には某大学の力士出身の理事長みたいな体格の良い方が乗っていました。もう窮屈なこと、この上なかったです。(涙)

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機内のようす

f:id:shins2m:20211111123754j:plain機内では、読書しました

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拙著との共通性を感じました

 

機内は、思ったよりも多くの乗客がいましたね。わたしは、機内サービスのコーヒーを飲みながら、読書をしました。この日は、『Humankind 希望の歴史』ルトガー・ブレグマン著、野中香方子訳(文藝春秋)の上巻を読みました。あのユヴァル・ノア・ハラリが「わたしの人間観を、一新してくれた本」と絶賛しています。近現代の社会思想は「性悪説」で動き、また「性悪説」を裏付けるような心理学実験や人類学の調査がなされてきました。だが、これらは本当か。著者は、「暗い人間観」を裏付ける定説の真偽を確かめるべく世界中を飛び回り、関係者に話を聞き、エビデンスを集めたところ意外な結果に辿り着きます。なぜ人類は生き残れたのか。民主主義や資本主義や人間性の限界を踏まえ、いかに社会設計すべきか、どう生き延びてゆくべきかが書かれた「希望の書」です。拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)のメッセージとの共通性を強く感じました。

f:id:shins2m:20211111134731j:plain雨の小松空港に到着
f:id:shins2m:20211111135607j:plain小松空港にて

 

1時間以上遅れて、わたしの乗った小さな飛行機は無事に小松空港に到着。小さな飛行機から降りると、小松空港はすっかり暗くなっていました。サンレー北陸の東専務と総務部の橋谷部長が迎えに来てくれました。その後、北陸の本部会議の会場である金沢紫雲閣に向かいました。

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金沢紫雲閣にて

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北陸本部会議前のようす

到着すると、本部会議メンバーがみんなで出迎えてくれて、「社長! このたびは、お嬢様のご結納、まことにおめでとうございました!」と言われたので、ビックリしました。でも、とても嬉しく感じました。北九州の本社では、松田常務と社長室のみなさんを除いて誰もそんなことを言ってくれませんでしたし、先日行われた役員会のメンバーも何も言いませんでした。わたしは、「冠婚葬祭を業としていても、こんなものかなあ?」と思っていたのですが、北陸で「やはり、『おめでとうございます』という言葉は素晴らしい!」と思いました。さすが、東専務の指導は違いますね。会議室の壁面を見ると、「仁義礼智信」という書道の掛け軸がありました。その後、約2時間会議を行い、その後は新施設の建築資材などを決めました。

f:id:shins2m:20211111161322j:plainハイアット セントリック 金沢」の客室

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ホテルの客室から見た金沢駅前のようす

 

金沢紫雲閣を出ると、ホテルに向かってチェックインしました。今回は、いつもの定宿が満室で予約できず、近くにある「ハイアット セントリック 金沢」を予約しました。昨年のコロナ禍の最中にオープンした新しいホテルです。初めて泊まるホテルの客室から見る金沢の街はいつもと違って見えました。明日は、北陸本社の開所式に参列してから、北九州に戻ります。

 

2021年11月11日 一条真也

「グリーフケアと読書・映画鑑賞」オンライン講義 

一条真也です。10日の夜、客員教授を務める上智大学グリーフケア研究所で講義を行いました。ブログ「『グリーフケアと葬儀』オンライン講義」で紹介した10月27日に続く講義です。通常なら四谷キャンパス内の6号館で行うのですが、この日は松柏園ホテルで講義を行いました。

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開始前のようす

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開始前に島薗先生と談笑

今回のテーマは「グリーフケアと読書・映画鑑賞」でした。島薗進先生、鎌田東二先生との共著である『グリーフケアの時代』(弘文堂)の第3章「グリーフケア・サポートの実践」で、わたしは葬儀とともに、グリーフケアの方法として読書や映画鑑賞に言及しました。その内容に沿って、話を進めていきました。2010年6月、わが社では念願であったグリーフケア・サポートのための自助グループを立ち上げました。愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会です。月光を慈悲のシンボルととらえ、「月あかりの会」という名前にしました。同会で行っている読書会や映画鑑賞会の実例について話しました。

f:id:shins2m:20211110185120j:plainグリーフケアと読書・映画鑑賞

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グリーフケアというテーマ

 

まずは読書ですが、もともと読書という行為そのものにグリーフケアの機能があります。たとえば、わが子を失う悲しみについて、教育思想家の森信三は「地上における最大最深の悲痛事と言ってよいであろう」と述べています。じつは、彼自身も愛する子供を失った経験があるのですが、その深い悲しみの底から読書によって立ち直ったそうです。本を読めば、この地上には、わが子に先立たれた親がいかに多いかを知ります。自分が1人の子供を亡くしたのであれば、世間には何人もの子供を失った人がいることも知ります。これまでは自分こそこの世における最大の悲劇の主人公だと考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟るのです。

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最近はどんな小説も映画もグリーフケア

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カタルシス」とは?

 

長い人類の歴史の中で死ななかった人間はいません。愛する人を亡くした人間も無数に存在します。その歴然とした事実を教えてくれる本というものがあります。それは宗教書かもしれませんし、童話かもしれません。いずれにせよ、その本を読めば、「おそれ」も「悲しみ」も消えてゆくでしょう。わたしは、そんな本を『死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)で紹介しました。さらに、わたしはグリーフケアに絶大な力を発揮する「ハートフル・ファンタジー」について話しました。わたしは、かつて『涙は世界で一番小さな海』(三五館)という本を書きました。そこで、『人魚姫』『マッチ売りの少女』『青い鳥』『銀河鉄道の夜』『星の王子さま』の5つの物語は、じつは1つにつながっていたと述べました。

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最近の小説を紹介

f:id:shins2m:20211110190650j:plain「ハートフル・ファンタジー」とは何か 

 

ファンタジーの世界にアンデルセンは初めて「死」を持ち込みました。メーテルリンクや賢治は「死後」を持ち込みました。そして、サン=テグジュペリは死後の「再会」を持ち込んだのです。一度でも関係をもち、つながった人間同士は、たとえ死が2人を分かつことがあろうとも、必ず再会できるのだという希望が、そして祈りが、5つの物語には込められています。「死」を説明するために、人は「医学」や「哲学」や「宗教」を頼りにしますが、他にも「物語」という方法があるのです。いや、物語こそが死の本質を語れるのかもしれません。

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続いて、映画鑑賞について

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映画とは何か

 

「読書」の次は「映画鑑賞」です。『死を乗り越える映画ガイド』をテキストとしましたが、同書のテーマは、そのものズバリ「映画で死を乗り越える」です。わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると思います。映画と写真という2つのメディアを比較してみましょう。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を封印する芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのままの姿で「保存」するからです。

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グリーフケアとしての映画の効用

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映画の目的は「死者との再会」?

 

「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。『唯葬論』(サンガ文庫)でも述べたように、わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思っています。そう、映画を観れば、わたしは大好きなヴィヴィアン・リーオードリー・ヘップバーングレース・ケリーにだって、三船敏郎高倉健菅原文太にだって会えるのです。

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映画と儀式の関連性(オープニング)

f:id:shins2m:20211110191643j:plain映画と儀式の関連性(エンディング)

古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説がありますが、洞窟も映画館も暗闇の世界です。暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。

f:id:shins2m:20211110191306j:plain映画館という「洞窟」の内部

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映画館で臨死体験する!

 

闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得ますが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのでした。

f:id:shins2m:20211110191723j:plain世界三大「葬儀」映画

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リメンバー・ミー」について

 

その後は、個別の映画作品について語りました。『死を乗り越える映画ガイド』の章立てをもとに5つのテーマに分け、1「死を想う」では「サウルの息子」を、2「死者を見つめる」では「おみおくりの作法」と「おくりびと」を、3「悲しみを癒す」では「岸辺の旅」を、4「死を語る」では「エンディングノート」を、5「生きる力を得る」では「リメンバー・ミー」を取り上げました。

f:id:shins2m:20211110195626j:plain鬼滅の刃」について大いに語る!

f:id:shins2m:20211110200610j:plain「死」の不安を乗り越える

 

さらに、ブログ「劇場版『鬼滅の刃』無限列車編」ブログ「シン・エヴァンゲリオン劇場版」ブログ「MINAMATA-ミナマター」ブログ「空白」で紹介した新しい作品も紹介しました。「グリーフケア」にしろ、「修活(終活)」にしろ、一番重要なのは、死生観を持つことだと思います。死なない人はいませんし、死は万人に訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。一般の方が、そのような死生観を持てるようにするには、読書と映画鑑賞が最適だと思います。本にしろ、映画にしろ、何もインプットせずに、自分1人の考えで死のことをあれこれ考えても、必ず悪い方向に行ってしまいます。

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講義後の質問を聴く

f:id:shins2m:20211110201945j:plain質問に答えさせていただきました

 

死の不安を乗り越えるには、読書で死と向き合った過去の先人たちの言葉に触れたり、映画鑑賞で死に往く人の人生をシミュレーションすることが良いと思います。この日は、そんなことを話しました。講義後は島薗所長のコメントをお聴きし、受講生の方の質問を受けました。オンラインで受講生のみなさんに直接会えないのは残念でしたが、グリーフケアの研究と実践はわが天命だと思っています。これからも全身全霊で、この道を歩んで行く覚悟です。

 

2021年11月10日 一条真也

『昨日までの世界』

昨日までの世界 文明の源流と人類の未来 (上)(下)巻セット

一条真也です。
『昨日までの世界』上下巻、ジャレド・ダイアモンド著、倉骨彰訳(日経ビジネス人文庫)を読みました。「文明の源流と人類の未来」というサブタイトルがついています。領土問題、戦争、子育て、高齢者介護、宗教、多言語教育・・・人類が数万年にわたり実践してきた問題解決法を探る内容です。ピュリツァー賞受賞の世界的研究者が、身近なテーマから人類史の壮大な謎を解き明かします。全米大ベストセラーの超話題作ですが、養老孟司氏は「現代社会を深く考えるための必読書」、福岡伸一氏は「ダイアモンド文明論の決定版的集大成」と大絶賛しています。


著者は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校地理学教授。1937年ボストン生まれ。ハーバード大学で生物学、ケンブリッジ大学で生理学を修めるが、やがてその研究領域は進化生物学、鳥類学、人類生態学へと発展していく。カリフォルニア大学ロサンゼルス校医学部生理学教授を経て、同校地理学教授。アメリカ科学アカデミー、アメリカ芸術科学アカデミー、アメリカ哲学協会会員。アメリカ国家科学賞、タイラー賞、コスモス賞ピュリツァー賞など受賞多数。

f:id:shins2m:20211104121522j:plain上巻の帯

上巻の帯には、著者の顔写真とともに、「私たちが引き継ぐべき人類の叡智とは?」「ダイアモンド博士の“ヒトの知恵”」と書かれています。また、帯の裏には、「『これから1世紀先の学者たちはダイアモンドの3部作、『銃・病原菌・鉄』『文明崩壊』『昨日までの世界』に対し、ダーウィンの3部作と同等の評価を下すだろう』というマイケル・シャーマーの言葉が紹介されています。

f:id:shins2m:20211104121542j:plain上巻の帯の裏

上巻のカバー裏表紙には、「600万年におよぶ人類史において、国家が成立し、文字が出現したのは5400年前、狩猟採集社会が農耕社会に移行したのも1万1000年前にすぎない。では、それ以前の『昨日までの世界』で人類は何をしてきたのか? 大ベストセラー『銃・病原菌・鉄』著者が、身近なテーマから人類史の壮大な謎を解き明かす、全米大ベストセラー」と書かれています。

f:id:shins2m:20211104121603j:plain下巻の帯

 

下巻の帯には、著者の顔写真とともに、「身近なテーマから人類史の壮大な謎を解く」「ダイアモンド博士の“ヒトの知恵”」と書かれています。また、帯の裏には、「本書はひとりひとりの人生や生活、日々の選択といった個人の興味関心に直接関係するテーマを扱っており、私の著作のなかではもっとも生活に身近な内容になっている」(「日本語版への序文」より)とあります。

f:id:shins2m:20211104121620j:plain下巻の帯の裏

 

下巻のカバー裏表紙には、「現代西洋社会の特徴はインターネットや飛行機といった技術や、中央政府や司法といった制度ばかりではない。オフィス労働から生まれる疾病や、宗教の役割の変化もまた、現代西洋社会の特徴である。人生の大半をニューギニアなどの伝統的社会の研究に捧げてきた著者が、現代西洋社会に住む私たちが学ぶべき人類の叡知を紹介する」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
【上巻】
「日本語版への序文」
プロローグ 空港にて
第1部 空間を分割し、
                   舞台を設定する

第1章 友人、敵、見知らぬ他人、そして商人
第2部 平和と戦争
第2章 子どもの死に対する賠償
第3章 小さな戦争についての短い話
第4章 多くの戦争についての長い話
第3部 子どもと高齢者
第5章 子育て
第6章 高齢者への対応
              ――敬うか、遺棄するか、殺すか?
【下巻】
第4部 危険とそれに対する反応
第7章 有益な妄想
第8章 ライオンその他の危険
第5部 宗教、言語、健康
第9章 デンキウナギが教える宗教の発展
第10章 多くの言語を話す
第11章 塩、砂糖、脂肪、怠惰
エピローグ 別の空港にて


「日本語版への序文」を、著者は「客観的にみて、日本は世界でもっとも興味深く、特徴が際立っていて、さらに成功をおさめた国のひとつである」と書きだしています。また、伝統的社会とは、人口が疎密で、数十人から数千人の小集団で構成される、狩猟採集や農耕や牧畜を生業とする古今の社会で、なおかつ西洋化された大規模な工業化社会との接触による変化が限定的にしか現れていない社会のことであると定義し、「本書は、現代の工業化社会、つまり西洋社会と伝統的社会の違いを浮き彫りにし、そこから判明する叡智をどのようにわれわれの人生や生活に採り入れ、さらに社会全体に影響を与える政策に反映させるかについて解説するものだ」と述べています。

 

すべての現代の工業化社会は、インターネットや中央政府といった現代的特徴と一緒に、伝統的社会の特徴も併せ持っていると指摘し、著者は「日本にも伝統的社会の特徴が残っているし、私の国であるアメリカにも同じことがいえる。実際、私のようなアウトサイダーからみると、現代の日本の『強み』の源泉は、一国のなかに伝統的な部分と現代的な部分がうまく共存していることにあると思う。さらに、伝統に新しい事柄を織り交ぜて残すものと捨てるものを選択し、みずからを革新し再発見するという能力をたびたび発揮していることにあると思う」と述べます。

 

プロローグ「空港にて」では、「国家とはそもそも何か」として、著者は「国家の特徴としてあまりにもよく知られていることではあるが、もっとも平等主義が進んだ北欧諸国の民主主義社会においても、市民は政治的、経済的、社会的に平等ではない。必然的にどのような国家でも、命令を発し、法律を制定する少数の政治的指導者や、それらの命令や法律にしたがう大勢の一般人が存在せざるを得ない。国民にはさまざまな経済的役割(農家、守衛、弁護士、政治家、店員など)があり、なかには他の仕事より高い収入を得る仕事もある。また、他の市民より社会的地位が高い者もいる。カール・マルクス共産主義の理想として「能力に応じて働き、その必要に応じて受け取る」を掲げたが、国内の不平等を最小化しようとする理想主義的努力はすべて失敗に終わっている」と述べています。

 

また、紀元前9000年頃にようやく始まった食料生産以前には国家は存在し得ず、その後、食料生産が数千年にわたって続けられて国家政府を必要とするほど稠密で膨大な人口が形成されるまで、国家は存在しなかったと指摘し、著者は「初めて国家が成立したのは紀元前3400年前後の肥沃三日月地帯で、それにつづいて中国、メキシコ、アンデスマダガスカルで国家が成立し、つづく1000年のあいだにその他の地域にも広がり、ついに今日では地球全体が描かれた地図を広げると、南極大陸以外の土地はすべて国家に分割されるという状況にまでなった。南極大陸でさえ7カ国が領有権を主張している」と述べます。

 

人間社会はどれもユニークではありますが、一般化できる異文化間の共通パターンもあると指摘する著者は、「とくに、少なくともつぎの社会の4つの側面は、相互に関係する傾向がある。それは、人口規模、生業、政治の中央集権化、社会成層である。人口規模が拡大し、人口が稠密になると、食料やその他の必需品の獲得方法は集約されやすい。つまり、移動型の狩猟採集民の小集団より、村に定住する自給農耕民のほうが1エーカーあたりの食料を多く獲得できるし、人口がさらに稠密になり、機械化が進んだ現代国家の農地では灌漑農業が集約的におこなわれ、1エーカーあたりさらに多くの食料を得ることができるようになるのである。政治的な意志決定はしだいに中央集権化され、狩猟採集民の小集団のように成員が一堂に会して討議をする形態から、現代国家のように政治的ヒエラルキーが成立して指導者たちが意思決定をする形態へ移行する。社会成層も増えるので、狩猟採集民の小集団では比較的平等主義がとられていたのに対し、大規模な中央集権社会では不平等が生じる」と述べます。


本書では、アメリカの文化人類学者エルマン・サービスが人口規模の拡大、政治の中央集権化、社会成層の進度によって分類した、人間社会の4つのカテゴリーを折に触れて使っていくとして、著者は「それはすなわち、小規模血縁集団、部族社会、首長制社会、国家である。これらの用語が定義されてから50年が経過し、その間に他の用語も提案されているものの、サービスの用語にはわかりやすいという利点がある。用語を7つではなく4つに絞り、単語をいくつもつなげるのではなく端的に一語で表現しているからである」と述べるのでした。


第1部「空間を分割し、舞台を設定する」の第1章「友人、敵、見知らぬ他人、そして商人」では、最大かつ最後のファーストコンタクト」として、小規模社会は、外界についてかぎられた知識しか有していなかったことが紹介されます。そして多くの小規模社会では、人類学上、「ファーストコンタクト」と称される、彼らの社会と西洋文明との最初の相互接触によっていきなりその状況に終止符が打たれたのであるとして、著者は「彼らを植民地支配したくてやってきた人々、彼らの土地を探査したくてやってきた冒険・探検家たち、彼らと交易したくてやってきた商人たち、彼らに自分たちの文明と宗教を伝えたくてやってきた宣教師たち――こういう人々が彼らの世界にヨーロッパからいきなりやってきた」と述べます。


そして、彼らの世界の外側に、未知の世界が存在する事実を突然つきつけたのであると指摘し、著者は「もちろん世界には、今日にいたるまでファーストコンタクトの洗礼を受けていない部族が存在する。しかしそれは、ニューギニアの奥地や南アメリカの熱帯地方の奥地に暮らすひと握りの部族に限定された話だ。そういった部族でさえ、頭上を通過する飛行機を目にしているし、すでにコンタクトずみの近隣の部族の人々が外界について話すのを耳にしている」と述べています。


「交易と商人」として、著者はこう述べています。
現代社会においてわれわれは、お金を払って商品を購入し、それを受け取る。伝統的な取引は、この現代の方法とさまざまな点で大きく異なっていた。たとえばである。新車がほしくてやってきた客が、いつかこの新車と等価の贈り物をするから自分を信用して、いまはこの車を自分に渡してくれ、と販売担当者に告げおいて、新車に乗って走り去る。こういう取引の場面をあなたは想像できるだろうか? これは現代ではあり得ない取引である。しかし、伝統的社会では、このあり得ない取引がまったくふつうにおこなわれていた」

 

だからといって、伝統的な交易形態が現代の買い物のしかたとすべてにおいて異なるというわけではないとして、著者は「なかには、現代の買い物のしかたに通じる部分もあるのである。とくに、機能性があるから価値があるといったものでもなく、ただただ高額であるというステータス・シンボル的なもの、たとえば宝石やブランドものの衣服などを購入する際の取引には、多くの場合において伝統的な取引形態の特徴のいくつかがいまだにみられる」と述べるのでした。

 

第2部「平和と戦争」の題2章「子どもの死に対する賠償」では、交通事故で息子を殺された父親と加害者の運転手が勤務していた会社とのやり取りが紹介されます。息子を殺されたばかりの父親が加害者の雇用主と対面し、「今回のことは事故で、故意ではなかったことはわかっています。私たちは、騒ぎを起こす気はありません。ただ、息子に葬式を出してやるにあたり、援助をしていただきたいのです。葬儀の席で親族にふるまえるよう、少々のお金と食料を工面していただけませんか」と述べます。

 

雇用主は漠然とした約束をまじえながら、会社と従業員を代表して哀悼の意を伝えました。そして、地元のスーパーマーケットに足を運び、米や缶詰の肉類、砂糖、コーヒーなどといった生活必需品を購入し始めました。そうしている最中に加害者の運転手は偶然にも父親と顔を合わせましたが、その際も、二人の間でもめごとのようなことは一切起こらなかったといいます。賠償の儀式そのものは事故から5日目に、正式な手順にのっとって執り行われたそうです。その儀式は、加害者の会社の全社員が揃って社有車で低地人の居住区に到着するところから始まりました。一行は社有車から降りると、居住区内を徒歩で進み、ビリーの遺族の家の裏庭へと向かったのです。

 

「謝罪の儀式」として、ニューギニアの伝統では、哀悼の儀式においては、会葬者の頭上を覆うために何らかのシェルターが用意され、葬儀はそのシェルターの下で行われることになっていることが紹介されます。今回は、交通事故の被害者少年の遺族が防水シートを天幕として張っていて、その天幕の下に、遺族や弔問客を含むすべての出席者が並んで座ることになっていました。そして、加害者らの一行が裏庭から入ってくると、被害者のおじのひとりが彼らの座る場所を指し示し、すでにそこに着席していた遺族の人々に、別の場所に動いて席を空けるようにと告げたのです。

 

儀式の場では、被害者のおじが最初に話し、弔問客に謝意を述べたあと、少年の死がどれほどの悲しみをもたらしたかを語りました。つづいて、雇用主、そして他の社員が席を立ち、順番に哀悼の意を表しました。「国家の関与」として、著者は「ここまでの一連の出来事は何を物語っているのだろうか。それは、ニューギニア独自の伝統的方法によっても、他者の手にかかって人が亡くなってしまうといった問題を平和裡に解決でき、大切な人を亡くした人の悲しみや苦しみを癒すことができる、ということを示している。そして、ニューギニア独自の伝統的方法と西洋の国家社会の司法制度とは、この問題への対処が対照的に異なるのである」と述べています。

 

ニューギニアの伝統的な賠償方法は、以前の関係の回復に主眼を置きます。たとえ、以前の関係が「なんの関係も持たない関係」だったとしても、面倒な関係になり得るという可能性を排除するために以前の「なんの関係も持たない関係」という関係を回復したいのであるとして、著者は「実際、このような目的やその根底にある歴然とした事実こそ、ニューギニアと西洋社会とを、係争の解決方法において大きく異ならせるものなのである。たとえば、西洋社会では一般に、係争の解決において以前の関係の回復が考慮され、問題にされることはない。もともと関係らしい関係が存在していなかったり、今後も関係らしい関係を持ちたいとは思わない人間同士のあいだで係争になったりする社会だからである」と述べます。


損なわれた人間関係を回復するうえで、ニューギニア人にとって何より重要な要素は何か。著者は、「相手側に敬意を払い、相手側が精神的および感情的な被害に遭った事実を認めることである。この要件を満たすことによって初めて、そのような状況下で相手側が当然感じているだろう怒りを鎮め、以前の関係を回復することができる。そして、その人間関係の回復の確約を固めるために支払いがなされるのである」と述べています。これは、いわゆる文明国に生きる人々にとっても大いに学ぶべき点があるのではないでしょうか?


第4章「多くの戦争についての長い話」では、「伝統的戦争の形態」として、現代では、騙し討ちは外交上のルール違反とみなされ、国家間では行われていないと指摘し、著者は「いずれの国家も、外交ルールにしたがうほうが自国の利益のためになると考えており、ヒトラー政権下のドイツや日本といったところでさえも、正式に宣戦布告をすると同時に、それぞれソ連アメリカに対する攻撃を加えている(ただし、攻撃に先立っての宣戦布告はしていない)。ただし、これは国家間での話である。たとえば、反乱勢力のような外交ルールが適用外にある集団を相手にする場合は、国家政府も騙し討ちのような行為を平気でおこなうことがある。たとえば、フランスのシャルル・ルクレール将軍は、ハイチ独立運動指導者トゥーサン・ルーヴェルチュールを騙して拘束している」と述べています。


個人間の自然発生的な争いが軍事的および組織的な戦争へとエスカレートしてしまうケースは、現代の中央集権国家の間では珍しいです。しかし、その例がまったくないわけではありません。ひとつの例が、1969年6月から7月にかけてエルサルバドルホンジュラスとのサッカー戦争です。この両国の間では、サッカー戦争が起こる以前から、貿易摩擦や不法移民問題といったことが原因で国民感情がギクシャクしていました。そのような状況の中で、両国は、1970年ワールドカップ出場をかけて予選の3試合を戦うことになったのです。本書には、「最終戦となる第3戦が6月26日にメキシコシティでおこなわれ、エルサルバドルが延長戦の末にホンジュラスを3対2で下すと、両国は国交断絶状態に陥り、7月14日には、エルサルバドル空軍がホンジュラス領内への爆撃を開始し、それと同時に、エルサルバドル陸軍がホンジュラス領内への侵攻を開始したのである」と紹介されています。


「類似点と相違点」として、自己犠牲も、伝統的社会と国家社会の間でみられる相違点であるとして、著者は「自己犠牲という行為は一般に、現代の戦争では高貴な行動とみなされ、称賛される。しかし、伝統的戦争において、戦闘員が自己の命を犠牲にして戦ったという目撃例はない。現代の国家は、お国のために命がけで戦えと兵士たちにしばしば命じる。たとえば、敵陣の有刺鉄線に向かって突撃しろ、などと命令するのである。みずからの命を賭して仲間の命を救おうとする兵士さえいる。爆発寸前の手榴弾の上に身を投げて仲間の命を救おうとするのは、一兵士の犠牲行為である」と述べています。


第二次世界大戦中には、何千人もの日本兵が自殺攻撃によって自己犠牲を払っているとして、著者は「彼らは、最初は志願して、のちには上官からの指名によって、神風特攻隊の一員となり、ロケット推進型滑空爆弾『桜花』や、人間魚雷『回天』などに乗り込んで、アメリカ軍の戦艦めがけ体あたりしたのである。人をこのような行動に走らせるには、将来の兵士である子どもたちを幼少のころから教育し、従順な忠誠心を尊び、お国とその思想信条を守るための自己犠牲を尊ぶ人間に育て上げる必要がある。ところが、ニューギニアの伝統的社会では、このような自己犠牲があったという話を私は耳にしたことがない。ニューギニアの部族の戦士は、敵を殺害することと、自分が生き延びることの両方を目標に戦う」と述べます。


国家の軍隊が捕虜を殺害しないのにはわけがあるといいます。それは、国家には、食料に余力があって、捕虜を食べさせることができるからであるとして、著者は「人的にも余力があって、人員を割いて捕虜を監視し、彼らに強制労働させることができるからである。しかし、伝統的社会にとっては、これはできない相談である。それゆえ、伝統的社会の戦士たちは捕虜を生かしておかないのである。そして、伝統的社会の戦士も、敵に捕まれば殺されることがわかっているので、敵に包囲され、負け戦が明々白々になろうと、降伏だけは絶対にしない」と述べています。


「戦争の究極の要因とは何か」として、著者は「伝統的戦争の究極の要因としてもっとも頻繁に候補にあがる説明とは何か。それは、土地の獲得のためであり、漁場、原塩産出場所、採石場、労働力などの、自分たちの居住圏内では十分に手にすることができない資源の獲得のためという説明である」と述べます。また、土地と資源の不足が戦争につながるという仮説の論証をもっとも幅広く試みたのは、文化人類学者のキャロル・エンバーとメルビン・エンバーの二人であるとして、著者は「彼らは、Human Relations Area Files(HRAF〈フラーフ〉)という、文化人類学および民族学の情報分析ファイル資料をもとに、飢饉の頻度や、干ばつや霜害などの天災の頻度、食料不足の頻度を資源不足の原因の指標として抽出し、186の文化的に異なる社会の事例を比較している。その結果、これらの指標が、戦争の生起の頻度を予測する、もっとも強力な予知因子であることが明らかになった。そこで、エンバーらは、人々が戦争を仕掛けるのは、敵から資源(とくに土地)を奪い、いつ起きるかわからない将来の資源不足に備えるためであると結論づけた」と紹介します。


第3部「子どもと高齢者」の第6章「高齢者への対応――敬うか、遺棄するか、殺すか?」では、「高齢者は社会のお荷物か」として、著者は「社会が高齢者をどのように処遇しているか。この問いに対する答えは、どの伝統的社会でも同じというわけではない。伝統的社会のなかには、高齢者の社会的位置づけがフィジー人以上に高い社会も存在する。そのような社会では、高齢者に強大な権限が認められている。そして、高齢の親が成人後も子どもを支配している。高齢者が公共の財産を管理している。40歳以下の男は結婚できない。だが一方で、伝統的社会のなかには、高齢者の社会的地位がアメリカのそれより低い社会もある。そのような社会では、高齢者は餓死したり、遺棄されたり、高齢であるがゆえに殺害されたりする。もちろん、高齢者の処遇のバリエーションは、同一社会のなかでも認められる」と述べています。


「何が高齢者介護に期待されているのか」として、著者は「高齢者の世話は理想として、いかにあるべきであり、だれがになうべきなのだろうか。これはナイーブな問いかけにほかならない。そして、その答えでさえ、完全なものではあり得ない。しかし、このナイーブな問いかけのうちに、高齢者ケアの手掛かりを求めることができる。理想的な高齢者ケア論のどこに、破綻の原因があるのかを考察することができるからである。前記の問いに対する楽観主義的理想論はおそらく、つぎのようなものだろう。親と子は互いに愛し合うものである。また、愛し合うべきものである。それゆえ、親は、子どもの成長、発達のために最大限の努力をいとわない。子どものためならいかなる犠牲も惜しまない。子どもは子どもで父母を敬い、敬愛し、自分を育ててくれた親の情けを忘れない。ゆえに、子どもというものは、世界のどこにおいても、自分を育ててくれた親が歳を取れば、自分が手厚く介護し、面倒をみたいと思っているに違いない」と述べます。


「なぜ親を遺棄したり殺したりするのか」として、著者は「子ども(および若い世代全般)が親のケア(および高齢の世代全般のケア)を放棄してしまう。棄老してしまう。あるいは、殺害してしまう。このような社会とは、一体、どのような社会なのだろうか」と読者に問いかけ、このような行為の報告例の多くは、高齢者の存在が深刻な足手まといとなる社会における事例であり、その場合、理由は以下の2通りです。著者によれば、1つは「移動型の狩猟採集民のあいだにみられる理由であり、それは、野営地からつぎの野営地へ移動する彼らの生活形態に起因している。彼らには荷役動物がおらず、荷物を運ぶのは何もかも人頼りである」といいます。


移動型の狩猟採集民の場合、赤ん坊は人が背負って運びます。集団と同じ早さで歩けない4歳以下の子どもも、だれかが背負って運びます。武器、道具、その他の所有物、あるいは、携帯用の食料や水といったものも、人が運ばなければなりません。著者は、「そういう状況のなかで、これらの子どもや荷物に加え、自力歩行が困難な高齢者や病人を帯同させて、野営地からつぎの野営地へ移動するとなると、それは集団にとって大変な負担であり、とてもできない相談なのである」と述べます。


親のケアの放棄、棄老、親殺しといった行為がみられるもう1つの環境は、北極圏や砂漠地帯などであるとして、著者は「このような土地柄で暮らす集団は、ぎりぎりの食料しか入手できないほどの深刻な食料不足にときおり見舞われる。しかも、集団全体の食い扶持をまかなうに足る食物の備蓄ができないため、食料不足の時期には、社会にとって用済みの人間や、食料の生産や獲得に貢献できない人間といった少数の弱者を犠牲にしてでも、集団の多数の生き残りをはからなければならない、という事情が存在する」と述べます。

 

それでは、高齢者はどのようにして遺棄されるのでしょうか。高齢者は、間接的な方法から直接的な方法まで、5種類の方法で遺棄されるとして、著者は「もっとも消極的な方法は、高齢者をまったくケアせず、ひとりで放置し死なせてしまう、という単純な方法である――極端な場合は、存在をまったく無視し、何もせずに放置する。ほとんど食事を与えず放置する。衰弱したまま放置する。勝手に放浪し、徘徊するのを放置する。下の世話を一切せず、不衛生な状態に放置し死なせる、といった方法がみられる。そして、これについては、北極圏のイヌイット族、北アメリカの砂漠地帯のホピ族、南アメリカの熱帯地方のウィトト族、オーストラリアのアボリジニのあいだで報告例がみられる」と述べます。

 

高齢者遺棄の2つめの方法は、集団が野営地から野営地に移動する途中のどこかで、意図的に置き去りにしていく方法です。これは、スカンジナビア北部のラップ族(サーミ人)、カラハリ砂漠のサン族、北アメリカのオマハ族とクテナイ族、南アメリカの熱帯地方のアチェ族のあいだで報告例があるそうです。3つめの方法は、自発的に自殺をさせたり、自殺を教唆する方法です。これは、シベリアのチュクチ族やヤクート族、北アメリカのクロウ族、イヌイット系部族、古代スカンジナビア人のあいだで報告例があるそうです。具体的には、崖から飛び降り自殺、小さな船をあつらえてひとりで大海原に漕ぎ出す入水自殺、戦場で殺され戦死という名の自殺の道を選ぶ、といったことです。

 

自殺幇助が許されたり、嘱託殺人が許される社会もあります。これが高齢者遺棄の4つめの方法であり、自殺に手を貸す人がいるという点で3つめの方法とは異なります。5つめの方法は、犠牲者の同意や協力なしに乱暴に殺害する方法です。著者は、「これはさまざまな社会でおこなわれていた方法である。具体的には、人が絞殺される、生き埋めにされる、窒息死させられる、刺殺される、頭を斧で割られる、首や背骨を折られるといったことが起こる」と述べています。


「社会の価値観」として、高齢者への敬意が特に強く表れているのは、父母、先祖を敬う儒教の教えが浸透した社会であると紹介されます。著者は、「儒教の教えは伝統的に、中国、韓国、日本、台湾などで広くみられた。実際、日本では憲法改正にともなって1947年に教育基本法が改正されるまで、儒教の考えかたが盛り込まれた教育勅語に依拠していた」と述べています。日本人のわたしから見て、この記述はいささかアバウトな印象もありますが。


中国では1950年に婚姻法が改正されるまで、明文化されていました。著者は、「儒教の教えにおいて、子は、両親に絶対服従すべしとされる。そして、親にしたがわないこと、親を尊敬しないことは、人間として卑しいおこないであると考えられた。実質的に、子ども(とくに長男)は、年老いた両親の世話をする、というきわめて重要な義務を負うのである。父母、先祖を敬う理念は、現在も東アジアで実践されている。そして、最近まで、中国では、高齢者のほぼすべてが子どもや家族と同居していた。日本では、4分の3が子どもや家族と同居していた」と述べています。


アメリカ社会については、著者は「独立性、個人主義、自助、プライバシーといったアメリカ特有の価値観が複雑にからみあった社会である。そして、アメリカ人の価値観にとって、高齢者ケアの享受というものは、これらのすべてに反する行為なのである。アメリカ社会は、独立した存在ではない赤ん坊に対するケアの必要性を認めながら、独立独歩の生活をしてきた高齢者が依存生活へ逆戻りすることはよしとしない」と述べます。また、「最後に紹介するアメリカ特有の価値観は若さへの礼賛である。アメリカではまさに、この礼賛が高齢者への偏見の源となっているのである」とも述べています。


「高齢者への対応は改善したか、悪化したか」として、著者は「現代社会における高齢者を取り巻く状況は、伝統的社会のそれと比べ、どのように変わったのだろうか。この問いに対する答えは、劇的に改善された部分もあるが、悪化がみられる部分のほうが多い、ということになる」と述べます。改善がみられる部分は、まず、高齢者の平均余命が延びたことです。高齢者の健康状態がはるかによくなったことです。高齢者にとっての娯楽の機会がはるかに増えたことです。高齢者が子どもに先立たれる悲しみを経験することがはるかに減ったことです。そして、これらはすべて、人類史上かつてなかった出来事です。


著者は、「たとえば、平均寿命であるが、一番長生きなのは日本人の84歳である。そして、先進工業諸国26カ国の平均は79歳である――この79歳という数字は、伝統的社会の平均寿命のほぼ倍である」と述べます。また、「現代の高齢者は社会的に孤立する傾向にある。そして、その背景にあるのは、現代の高齢者が、利用価値という面で、昔より低くみられているという現実である。高齢者の利用価値が下がってしまった理由はつぎの3つである――現代人の識字能力の高さ、正規教育の普及、急速な技術革新」と述べるのでした。


第4部「危険とそれに対する反応」の第7章「有益な妄想」では、「危険に対する姿勢と『建設的なパラノイア』」として、著者がニューギニアに野外視察に行き始めた頃、1週間を過ごすキャンプのために、見事な巨木を見つけた彼はニューギニア人の助手たちに「あの巨木の苔むした幹の脇のところにテントを張るので、準備にとりかかって下さい」と言いました。しかし、彼らはひどく動揺し、「あの巨木の幹の脇で寝るのは嫌だ」と言ったのです。「あの巨木はすでに枯れて、死んでいる。だから、我々がテントで夜、眠り込んでいるあいだにわれわれの上に倒れ込んできて、われわれを殺すかもしれない」というものでした。実際に巨木はすでに枯れていましたが、この1週間の間に倒壊する可能性は限りなく低いです。それでも、少しでもリスクがあれば冒さないというのが伝統的社会の知恵なのでした。


この「有益な妄想」を学んだ著者は、その後は、濡れると滑る浴室でのシャワー、電球の交換で脚立に上がるとき、階段の上り下り、つるつると滑る歩道を歩いたりするときに気をつけているそうです。著者いわく「1回あたりのリスクは低いが、生活のなかで頻度の高い行為であり、用心深く対応することに越したことはない」というわけですが、そんな彼が最も用心深く対応する機会こそ、車の運転なのでした。「有益な妄想」は「建設的なパラノイア」とも言い換えられていますが、想定外の出来事の連続である人生においては素晴らしい知恵であると思います。過度の心配性もストレスを溜め込みますが、つねに最悪の事態を想定して生きることは、最悪の事態を回避する最大の方策ではないでしょうか? それは車の運転においても、新型コロナウイルスの感染対策においても、すべてのリスクに対応しうる人類の叡智なのです。


「有益な妄想」あるいは「建設的なパラノイア」について、著者は以下のように述べています。
「現代の西洋社会における危険と、伝統的社会における危険は同じではない。まず最初に、種類が違う。われわれにとっての危険とは、自動車事故やテロ、心臓発作といったことである。そして、伝統的社会で暮らす人々にとっての危険とは、たとえば、ライオンに遭遇する可能性や、敵部族の人間に出遭う可能性、眠っている自分の上に木が倒れ込んでくるといった可能性である。そして、もっと重要な違いは、危険の度合いである。危険の度合いは、伝統的社会で暮らす彼らよりも、現代の西洋社会で暮らすわれわれのほうがはるかに低いのである。たとえば、われわれの平均寿命は彼らのそれよりも2倍も長い。この事実は、1年ごとの平均的な危険度において、彼らのほうがわれわれよりも2倍以上、危険にさらされる可能性が高いということを示唆している。もうひとつの重要な違いは、われわれアメリカ人が事故に遭って怪我をしても、たいてい治療できる点だ。しかし、ニューギニアの奥地で危険の犠牲になったら、それが最後、一生涯残る障害になるか、命を落とす可能性が高いのである」


第8章「ライオンその他の危険」では、「伝統的社会に特徴的な病気」として、集団感染症が狩猟採集民や小規模農耕民にみられないのは免疫があるからではないと指摘し、著者は「感染症が継続的に存続するのに必要な数の宿主人口がいないだけの話である。そのような小規模集団の人々が外の世界の人々と接触すると、悲劇的なことが起こる。人々が集団感染症の犠牲になりやすいのである。集団感染症のなかには、子どもよりも大人の致死率が高くなるものがあるため、幼少期に感染機会のなかった小規模集団の人々が犠牲になりやすい。たとえば、麻疹である。先進諸国では、(最近まで)すべての人が子どものころに麻疹にかかっていて、大人な免疫を持っている。しかし、外の世界から孤立した環境で暮らす小規模集団の狩猟採集民は大人も麻疹ウイルスにさらされたことがなく、免疫がないため、病原体が持ち込まれるや病気にかかって死亡する人が多いのである。イヌイット族やアメリカ先住民、オーストラリア大陸アボリジニの人々などに関しては、ヨーロッパ人との接触を通じて伝染病が持ち込まれ、その結果、集団の人口がほとんど消滅してしまったという恐ろしい話が枚挙にいとまのないほど存在する」と述べます。


 第5部「宗教、言語、健康」の第9章「デンキウナギが教える宗教の発展」では、「宗教の役割と便益」として、本書の目的は、人間社会のあらゆる側面を考察するところにあると明かされます。つまり、人口の大小ということでは、小規模社会から大規模社会まで、歴史的な新古ということでは、古代から現代にいたる人間社会の諸側面を考察するところにあるとして、著者は「この観点からすれば、宗教がわれわれに突きつけるさまざまな疑問はとくに興味深いものである。たとえば、宗教は、現代社会において伝統的なものが衰えをみせずに存在しつづけている唯一のものである」と述べています。


また、著者は以下のようにも述べています。
「1400年から3000年以上も前に小規模で伝統的な社会で誕生した世界の主要宗教に、いまでも多数の信者が存在し、しかも誕生当初の社会よりはるかに大規模で現代的な社会で信仰が実践されている。それにもかかわらず、社会の規模が異なると、そこにみられる宗教が変わることも事実である。この事実は説明されなければならない。さらに本書の読者の方々のなかには、人生のある時期に、自身の信じる宗教(あるいは自身が無宗教であること)に疑問を抱くことがあるだろう。私もそうだった。宗教の意味するところは人により多様である。その現実を認め、宗教の多様性を理解しておくことは、自身の疑問に見合った答えを見つける助けになり得るだろう」



「宗教の定義」として、著者は「多くの信者がいる著名な教えを宗教として認めるべきか否かについてさえ、すべての宗教学者が同意見ではないからである。たとえば、宗教学者のあいだでは、仏教や儒教、そして神道を宗教とみなすべきか否かについて、いまだに論争がつづいている。現在の傾向としては、仏教は認めるが儒教は認めないという見解が多いが、10年、20年前は、儒教を宗教として認める見解が一般的だった。しかし、現在では、儒教は倫理と道徳の教えであり、世俗的な哲学である、とする考えが一般的である」と述べていますが、これには大いに異議を唱えたいと思います。逆に10年、20年前は儒教を倫理道徳であるとか世俗哲学であるという考え方が主流でしたが、日本における儒教研究の第一人者である加地伸行先生の功績などもあって、現在では儒教を宗教とする見方の方が強いように思います。


宗教は、一般に宗教と結びつけられる特徴をいくつか有する事象に宗教的な色彩を帯びさせることもあります。それゆえ、世界の4大宗教のひとつとみなされる仏教がほんとうに宗教であるか否かが論争の対象となったり、仏教はたんなる人生哲学にすぎないという説が唱えられたりするのであるとして、著者は「一般に、宗教はつぎの5つの要素に関連づけて認識される――すなわち、超越的存在についての信念の存在、信者が形成する社会的集団の存在、信仰にもとづく活動の証の存在、個人の行動の規範となる(たとえば、善悪の規範のような)実践的な教義の存在、そして、超越的存在の力が(たとえば、祈りによって)働き、世俗生活に影響をおよぼし得るという信念の存在である」と述べます。


「因果関係を考える脳の進化と宗教」として、著者は「宗教の起源は人類の形質のどの部分にあるのか?」と読者に問いかけ、この問いに対する1つの答えは、起源は人類の脳の思考機能にあるというものであるとして、「人類の脳は、原因と主体と意図を推定する努力と、そこから考えられる危険を予測する能力を徐々に磨いていった。また、その予測結果の因果関係を説明する能力を身につけたのである。宗教は、人類のさらなる生存を助け得るようになったこれらの能力の副産物として誕生した、という考えかたである」と述べています。


伝統的な治療法のなかには、益するところがあるものもたくさんあると思われていると指摘する著者は、「それには、いくつかの理由が考えられる――まず、結局のところ、病気は、ほとんどが自然に治癒するからである。つぎに、伝統的な薬草には薬効があるものが多いからである。ベッドの横でシャーマンがおこなう儀式には、それによって患者の恐怖心が払拭され、プラセボ効果が引き出される可能性もあるからである。病気の原因を教えてもらえれば、たとえそれが正しくなかったとしても、何らかの対策を取れると思え、何も知らされずに絶望状態にいるよりは気休めになるからである。病人が亡くなれば、それは病人が禁忌を犯したからである、と説明できるからである。あるいは、病気にさせて殺す呪いをかけた呪術師をみつけて殺すことができるからである」と述べます。


先史時代の人々が、壁画をみる人を敬虔な気持ちにさせようと意図して描いたのかどうかはわからりません。しかし、彼らに意図があったかどうかは別として、彼らがたしかに宗教といい得るようなものを認知できる十分な、現代的な頭脳の持ち主だったとはいえるという著者は、「現生人類の近縁種とされているネアンデルタール人たちに関していえば、彼らがオーカー顔料を体に塗って、身体彩色していたことを示す証拠もみつかっている。また、彼らが遺体を埋葬していたということを示す証拠もみつかっている。したがって、おそらくネアンデルタール人たちも、宗教に関してはクロマニョン人たちと同じだったのかもしれない、と私には思えるのである。少なくとも行動学的現代人の6万年強の歴史を通じて、あるいはそれより若干長い期間を通じて、われわれの祖先は宗教を有していたと仮定してもよいと、私は思う」と述べます。


「不安の軽減」として、今日のわたしたちにとって、物事の成否は科学や知識の力に負うところが多いと指摘する著者は、「それゆえ、現代人のあいだでは、祈りや儀式や呪術といったものの実践があまりみられない。しかし、現代においても、われわれの手ではいかんともしがたいことは、依然として数多く残されている。科学や知識の力では、成功が確約されない事態にもたくさん遭遇する。そうした事態に遭遇したとき、われわれも祈りを捧げ、お供え物をし、儀式を執りおこなうのである。近代の例としては、つぎのようなことがよく知られている――航海の無事や豊作の祈り、戦勝の祈願、そして、病気の治癒などである。とくに医者から、予後の保証ができない、あるいは医学的にできることはないと宣告されたとき、人々は祈りを捧げたい気持ちになる可能性がある」と述べます」と述べています。


続けて、どのような結果になるかの予測が人知でつけられぬ場合、儀式や祈りの効果を結果に関連づけようとする人々がいるかと思えば、そのような関連づけをまったく想起しない人々もいると指摘する著者は、「この好対照の事例がギャンブラーとチェスプレーヤーである。ギャンブラーのなかにはサイコロを振る前に、験担ぎの儀式をする人が多い。しかし、チェスプレーヤーが駒を動かす際にそういう儀式をすることはまずない。それは、ギャンブルには偶然が左右する要素が多いが、チェスはそうした偶然の要素がないゲームだからである――下手な差し手が原因でゲームに負けたのであれば、相手の反応を読めなかった自分が悪いのであり、言い訳のしようがないからだ」と述べます。


わたしたちは、先がわからない状況や危険な状況に直面すると、自己の不安を和らげようとして、いまだに宗教的な儀式や非宗教的な儀式に身を委ねています。しかし、人の不安な気持ちを静め、和らげるという宗教の役割は、伝統的社会においてはるかに重要な働きを求められていたとして、著者は「現代の西洋社会の人々よりも、伝統的社会の人々のほうが、先がわからない状況や、より大きな危険に直面することが多かったからである」と述べるのでした。


「癒しの提供」として、人に癒しや希望を与え、人生の意味について語る。これも宗教の主たる役割であり、過去1万年の人類史を通じて、人々のあいだでしだいに受け入れられるようになってきた部分でもあるとして、著者は以下のように具体的に述べています。
「宗教がわれわれに与える癒しとは、死期が近づいたり、大事な人を失ったときに、宗教から提供されるそれである。哺乳動物のなかには、仲間が死んだことを認知でき、その死を悲しむような行動を示す動物も存在する。もっとも顕著な例がゾウの行動である」と述べています。


しかし、自分もいつかは死ぬと思えるのは人間だけであり、人間以外の動物がこの事実を理解しているとは思えないとして、著者は「人間は自意識と推論能力を得た時点で、小規模血縁集団の仲間の死をみとる経験から死という概念を一般化し、それを自分にあてはめて考えられるようになったのである。人類が昔から、命が尽きるというこの意味を理解していたことを示す証拠は、ほとんどすべての人間集団の発掘や調査の現場で発見され、考古学的に検証されている。そして、それらの証拠によれば、死者は放置され、野ざらしになっていたわけではないのである。死者は、埋葬されたり、火葬されたりしていた。丁重に埋葬布に包まれていたり、ミイラ化されたり、食されたりなどしていたのである」と述べます。


続けて、著者は以下のようにも述べています。
「ほんのちょっと前まで体に温かみがあった人がいまや、冷たくなってしまっている。ほんのちょっと前まで元気に動き回っていた人がいまや、微動だにしない。ほんのちょっと前まで話ができた人が、自分で自分を守る力も持っていた人がいまや、何もすることができない。この光景はだれにとっても恐ろしい。同じことが自分の身にも起こると想像するだけで、空恐ろしくなる。それゆえ、死の現実を否定する宗教は多い。そして、肉体に付随する魂という概念を持ち出し、魂には死後の世界が待っていると説くことで癒しを提供するのである」


さらに、著者は「魂は、地上の肉体に生き写しの抜け殻とともに、天国などと呼ばれる超自然的な世界に旅立つのかもしれない。あるいは、鳥に宿ったり、だれか別の人の肉体に宿ったりするのかもしれない。また、数ある宗教のなかには、たんに肉体の死を否定するだけで終わらせない宗教もある。その種の宗教の説くところによれば、死後の世界では、よい事が、生前の世界ではなすことがかなわなかったようなよい事が死者を待ち受けている――あなたは永遠の命を得ます。先にいかれた最愛の人々とふたたび出会うことができます。すべての悩みから解き放たれます。美しい処女と美酒があなたを待っています」と述べ、「時代が後世になり、人口が密になるにしたがい、さらなる悪を押しつけられるようになった人々が癒しを求めるようになった。その結果、宗教の癒しの役割がより重要視されるようになった」と説明しています。


「組織と服従」として、現代の宗教には、宗教活動の拠点となる建物(施設)が制度化されて存在する(この建物は、教会、シナゴーグ、モスクなど、さまざまな名称で呼ばれている)と指摘し、著者は「どの宗派にも聖典が存在している(聖典は、聖書、トーラー、コーランなど、さまざまな名称で呼ばれている)。宗教儀式、宗教画、宗教音楽、宗教建築、宗教服といったものも存在する。それゆえ、ロサンゼルスで育ったカトリック教徒がニューヨークを訪問し、カトリック教会で日曜礼拝に参加した場合、そこで目にするものも聞くものも、すべてが見慣れた存在なのである。しかし、小規模社会の宗教ではようすが異なる。宗教儀式、宗教画、宗教音楽、宗教服といったものは、まったくばらばらである。また、専門職としての聖職者、宗教活動の拠点となる建物(施設)、聖典といったものはまったく存在しない」と述べるのでした。


エピローグ「別の空港にて」では、「『昨日までの世界』から何を学べるか」として、行動的には現代人と変わらないホモ・サピエンスは、6万年から10万年前に誕生したと指摘し、著者は「『昨日までの世界』は、その歴史の大半の時代であり、そのホモ・サピエンスの遺伝的性質、文化、行動を形づくった時代である。考古学的発見から推測できるように、生活様式や技術的な変化の歩みは、およそ1万1000年前に肥沃三日月地帯で誕生した農耕の発生を受けて加速するまで、非常にゆっくりとしていた。最初に国家政府が誕生したのも、およそ5400年前の肥沃三日月地帯であった。つまり、今日のわれわれすべての祖先は1万1000年前まで『昨日までの世界』で生活し、多くの祖先もごく最近までそうした生活を送っていたということである。ニューギニアのもっとも人口の多い地域で、人々が外部とじかに接するようになったのはごく最近になってからのことである。そして、ニューギニアとアマゾンのごく一部の集団はいまだに外部との直接的な接触もなく、国家政府の支配も経験していない」と述べています。


「昨日までの世界」から得られる学びは、現代社会を何でもかんでも非難するものではなく、現代社会への感謝の念をも教えてくれます。現代社会では、長引く戦争や嬰児殺し、高齢者の遺棄がなくなっています。これにはほっとしている人々がほとんどだろうとしながらも、著者は「『昨日までの世界』の特徴のなかには、ぞっとするようなものばかりではなく、多くの読者にとって魅力的なものもある。たとえば、社会全体が変わらなくても個人の生活にすぐに取り入れられる特徴として、食事時に塩を振りかけないといったものなどがある」と述べます。


食事や食習慣はわれわれの生活を向上させるために、個人として実行できる範疇にあるとして、著者は「伝統的社会のニューギニア人が脳卒中や糖尿病、心臓発作で死ぬことはほぼないという驚くべき事実を再考してほしい。そうした疾病で死にたくはないとしても、部族戦争を再開したり、食事の90パーセントをサツマイモにしたりしなければならないわけではない。世界の偉大な料理を味わい、穏やかに生活しつつ、こうした疾病を避けるには、つぎの3つの習慣を取り入れればいいだけである。ひとつめは運動である。ふたつめは、ひとりでガツガツと食事をするのではなく、ゆっくりと友人とおしゃべりをしながら食べることである。3つめは、塩分や飽和脂肪酸、単糖を多く含む食品を避け、生の果物、野菜、低脂肪の肉、魚、ナッツ、穀物などの健康的な食品を選ぶことだ。この食習慣の分野は、社会全体(たとえば、有権者、政府、食品メーカー)の力を使えば、もっと簡単に実行できるようになる。たとえば、フィンランドなどの国がすでにおこなっているように、加工食品の基準を健康的なレベルにすることなどである。その他に、社会全体の変化を持たずに、個人あるいは夫婦ができることは、伝統的社会のように、子どもをバイリンガルマルチリンガルに育てることである」と述べます。

 

著者は、数千年以上におよぶ社会のそれぞれの歴史的時期で、各宗教が果たしてきた役割について言及し、「そうした役割とは、物理的な世界に対する究極の疑問について満足のいく説明を与えることや、不安やストレスの多い状況に対応すること、大事な人の死や自分自身の死期、その他の辛い出来事についてみずからを納得させること、みずからの行動や権力への服従あるいは不服従を規定する道徳規範を正当化すること、教義を共有する集団の一員としてのアイデンティティを与えることなどだ」と述べます。

 

最後に、著者は「宗教的な不信に陥る時期を経験する人々にとって、考えを整理し、異なる社会では宗教の意味が異なることを知り、自分にとっての宗教の意味と、意味し得るものについて誠実に向き合うことは助けになるはずである」と述べるのでした。名著として名高い『銃・病原菌・鉄』『文明崩壊』に次ぐ本書は読み応えのある知的刺激に満ちた内容でした。特に、本書で紹介されている「有益な妄想」には多くのヒントを与えられ、経営上でも大きな学びを得ました。何度も読み返したい本です。

 

 

2021年11月10日 一条真也

家族の絆

一条真也です。
8日は、たくさんのLINEやメールが届きました。
ブログの読者や社員の方々からでしたが、内容はほとんどがブログ「『ありがとう』を伝えたい人」の感想でした。みなさん、感動されたようです。わたしは近くのコンビニで「午後のティーありがとうボトル」を大量に購入して、家族や社長室のみなさんに配りました。

f:id:shins2m:20211108121652j:plain午後ティー、たくさん買いました!

 

感動する動画といえば、ブログ「東京ガスCM中止に思う」で紹介した東京ガスのCM「家族の絆・母からのエール」篇を思い出します。就職活動中の女子学生の厳しい日々を題材にしましたが、放送開始から1カ月足らずで打ち切りになったことで知られています。当時、就活生やその母親とみられる人から「リアルにできていて心が痛む」などのクレームが寄せられ、そうした声などに配慮したためでした。しかし、わたしは名作だと思いました。このCMを最も観るべき人種は、企業の経営者ではないでしょうか。1人の学生さんの就職活動には、これだけの汗と涙の物語があるという真実を経営者は知る必要があります。もちろん、経営者だけでなく、人事担当者もですが。


でも、「内定」をめぐっては経営者や人事担当者も傷つくことがあることも知ってほしいですね。わたしも「御社が第一希望です!」と言った期待の学生から、最後の最後で辞退されて落ち込んだことが何度もあります。そんな経緯の後で、入社式を迎えるわけですが、かけがえのない人生をわが社に賭けてくれた新入社員の1人1人が愛しく思え、心から感謝の想いが湧いてきます。そして、わたしは「絶対に、彼らの人生を幸せな人生にしてあげなければ!」と思うのです。「家族の絆・母からのエール」篇のCMですが、、就活中の学生さんにはキツイ内容なのは確かでしょう。また、就活中の学生さんの親御さんたちにとっても「心が痛む」かもしれませんね。しかし、「それでも、家族がついている」というメッセージを含んだ「家族の絆・母からのエール」篇は素晴らしいCMであり、中止する必要はなかったと、わたしは思います。


「家族の絆・母からのエール」篇を観ると、お母さんへの感謝の気持ちを抱く人は多いと思います。でも、お母さんが亡くなることもあります。亡くなっても、母とは子を想うものであり、子はいつも母の愛情に守られています。そんなメッセージを見事に表現したのが「家族の絆・母のチーズケーキ篇」です。「絆」に似た言葉に「縁」があります。よく「縁」と「絆」を混同する人がいますが、わたしは「縁」とは先天的なもの、「絆」とは後天的なものと考えています。また、「きずな」には「きず」という言葉が入っているように、同じ傷を共有する者ほど強い絆が持てます。たとえば、戦友や被災者同士などです。家族というのはもともと血縁を有していますが、ただ血が繋がっているからといって仲が良いとは限りません。仲の悪い親子や兄弟・姉妹はいくらでもいます。思うに、家族でも同じ傷というか苦難を経験し、それを乗り越えた一家ほど強い絆を持てるのではないでしょうか。


母がチーズケーキなら、父はチャーハン。「家族の絆・お父さんのチャーハン篇」も泣けます。「家族の絆」という言葉がよく使われる場面をわたしは知っています。結婚式と葬儀の場面です。そう、わたしの本業である冠婚葬祭はまさに「家族の絆」と深く関わっているジャンルなのです。縁や絆は目に見えませんが、それを「見える化」するものこそ冠婚葬祭であると思います。東京ガスのCMにも結婚式や披露宴のシーンがよく登場します。「家族の絆サポート業」という業種があるとすれば、ガス会社も冠婚葬祭会社も同業ですね。でも、冠婚葬祭とは非日常であり、日常的な「家族の絆」というものがあります。そして、その最も代表的な場面が家庭での食事でしょう。ちなみに、わたしは子どもに料理らしい料理を作ってあげたことがありません。正直、そんな経験を持ちたかったですね。


父と娘と結婚式といえば、「家族の絆・やめてよ篇」も名作です。娘を持つ父親で、ラストシーンに涙しない人はいないでしょう。わたしは広告業界の出身ということもあり、良質なCMというものに深い関心があります。東京ガスの「家族の絆」シリーズは最もハートフルなCMとして、これまで注目してきました。もちろん現在住んでいる北九州では地元の西部ガスのCMが流れており、東京ガスのCMを目にする機会は少ないのですが、東京滞在中のホテルで観ることはありますし、YouTubeでも時々チェックしていました。いつも「泣かせるなあ」と思います。最後に、今年のわが家は長女が婚約し、次女は志望する会社に内定しました。本当に、ありがたいことです。来年の4月に次女は社会人となり、6月に長女は花嫁となります。新しい未来が待っている2人の娘には、午後ティーありがとうボトルに書かれていてるように、「これからも仲のいい家族でいようね。」と言いたいです。

f:id:shins2m:20211109092533j:plain仲のいい家族でいよう!

 

2021年11月9日 一条真也

「ありがとう」を伝えたい人

一条真也です。
深夜の執筆中にパソコンに向かっていたら、キリン午後の紅茶「私がありがとうを伝えたい人」篇という動画が目に飛び込んできました。日常の中の "ささやかな感謝"を描いたWebムービーですが、かなり泣けました。


キリンビバレッジによれば、「小学生の頃、学校に向かう私にちいさな元気をくれていた、あの思い出。それから月日が経ち、地元を離れることになった女の子が『ありがとう』を伝えたかった相手とは・・・。『#午後ティーありがとうボトル』をとおして生まれる、日常の何気ない幸せとやさしさを描きました」とのこと。海辺の街の子どもの登下校の交通指導員井上肇が演じ、この街の高校を卒業して、もうすぐ東京の大学へ進学する女の子を吉田美月喜が演じています。90秒の短いムービーですが、とても心が温まりました。甘い飲料は苦手なわたしですが、午後ティー「ありがとうボトル」を飲みたくなりました。

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ムービーには交通指導員が登場します

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「ありがとう」を伝える

 

このムービーを観て、わたしはブログ『ブルシット・ジョブ』で紹介したアメリカの文化人類学者デヴィッド・グレーバーの著書の内容を思い出しました。その本の中に、さまざまな職業に従事する人々に「あなたの仕事は世の中に意味のある影響を与えていますか」という質問をしたことが書かれていました。その中で、「いいえ」にチェックする者がおよそゼロだった仕事がいくつかありました。その仕事とは、看護師、バス運転手、歯科医、道路清掃員、農家、音楽教師、修理工、庭師、消防士、舞台美術、配管工、ジャーナリスト、保安検査員、ミュージシャン、仕立屋、そして、子どもの登下校の交通指導員でした。

 

 

「ブルシット・ジョブ(BSJ)」という言葉は、「クソどうでもいい仕事」という意味です。BSJは、当人もそう感じているぐらい、まったく意味がなく、有害ですらある仕事です。しかし、そうでないふりをすることが必要で、しかもそれが雇用継続の条件なのです。グレーバーは、「なぜ、やりがいを感じずに働くひとが多いのか。なぜ、ムダで無意味な仕事が増えているのか。なぜ、社会のためになる職業ほど給与が低いのか」と読者に問いかけ、「労働とは『生産』というより『ケア』だ。そして『経済』とは私たちが互いにケアし、生存を支えあうための方法だ。グレーバーが遺した願いを胸に、仕事で傷つき傷つけることのない経済につくり直そう」と訴えます。


グレーバーは、「わたしたちの社会では、はっきりと他者に寄与する仕事であればあるほど、対価はより少なくなるという原則が存在するようである」と述べます。さらには、読者に「ある職種の人間すべてがすっかり消えてしまったらいったいどうなるだろうか、と問うてみること」を薦めています。もし仮に看護師やゴミ収集人、あるいは整備工の方々が消えてしまったら社会は壊滅的になりますし、教師や港湾労働者の方々のいない世の中はただちにトラブルだらけになるでしょう。一方、企業の株の売り買いで収益を得るCEOやロビイスト、広報調査員、保険数理士、テレマーケター、裁判所の廷吏、リーガル・コンサルタントが消えた場合はどうなるか? グレーバーによれば、人々は何ら困らないといいます。


哲学者アリストテレスは、「人間は社会的動物である」と述べました。人間は元来、共感する存在であり、他者とコミュニケーションし合うものです。それゆえに、わたしたちは、たえず互いの立場を想像して、他者が何を考え、何を感じているか、理解しようと努めなければなりません。トイレの清掃を例に挙げると、トイレというものは清掃を必要としています。だとすれば、その仕事にあたる人は、その仕事が他者に利する行為だと自覚することによってもたらされる自尊心をもっています。他方で、他人から尊敬と敬意の払われる仕事をする人たちがいます。その仕事に就いた人間は、高い収入を得て、大きな利益を受け取っています。しかし内心では、みずからの職業や仕事がまったく無益なものだと自覚しながら労働しているのかもしれません。まことに悲しいことです。

f:id:shins2m:20211107032745j:plainアンビショナリー・カンパニー』(現代書林)

 

「ブルシット・ジョブ」の反対に「エッセンシャルワーク」という言葉があります。医療・介護などをはじめ、社会に必要な仕事のことですが、トイレの清掃も含まれます。わたしは冠婚葬祭業も含まれると考えています。しかも、冠婚葬祭業は他者に与える精神的満足も、自らが得る精神的満足も大きいものであり、いわば「心のエッセンシャルワーク」「ハートフル・エッセンシャルワーク」とでも呼ぶべきでしょう。11月26日に発売される『アンビショナリー・カンパニー』(現代書林)は本名の佐久間庸和として書いた本ですが、そこでは「サービス業からケア業へ」と時代は大きく動いていることを指摘し、「他者の幸せを願うアンビション(大志)を持とう」と訴えました。最後に、キリン午後の紅茶の新作Webムービーのテーマは「ありがとう」でしたが、今月18日に創立55周年を迎えるわが社のCMのテーマも「ありがとう」です!



2021年11月8日 一条真也