『熊楠と幽霊』

熊楠と幽霊 (インターナショナル新書)

 

一条真也です。
9月21日は満月、それも十五夜中秋の名月です。満月の夜は、幽霊を見やすいといいます。『熊楠と幽霊』志村真幸著(集英社インターナショナル新書)を読みました。著者は、南方熊楠研究会運営委員、慶應義塾大学非常勤講師。1977年、神奈川県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程単位取得退学。専攻は、比較文化史。2020年、『南方熊楠のロンドン』(慶應義塾大学出版会)でサントリー学芸賞受賞(社会・風俗部門)。著書に『日本犬の誕生』(勉誠出版)、共著に『熊楠と猫』(共和国)、共訳に『南方熊楠英文論考[ノーツ アンド クエリーズ]誌篇』(集英社)など。

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本書の帯

 

本書の帯には、「南方熊楠没後80周年!!」「千里眼!妖怪!」「ろくろ首!予知夢!」「幽体離脱を体験した知の巨人は心霊現象をどう考えたか?」「サントリー学芸賞受賞後、第1作!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「19世紀後半から、世界各地で民族誌的調査が行なわれ、民話や説話が収集され(中略)民族学民俗学が学問として整備されていきます。熊楠は、当時最新のその方法論に飛びついたのでした。そして古今東西の文献を渉猟することで、自身の体験を解き明かす手掛かりを探そうとしました。(本文より)」と書かれています。

 

カバー前そでには、以下の内容紹介があります。
博物学民俗学の分野で多大な功績を残した知の巨人・楠方熊楠は、心霊現象の体験者だった。熊野の山中での幽体離脱や、夢で父親に珍種のキノコが生えている場所を教わるなど、奇妙な体験をくりかえしては日記に綴った。彼の論考や雑誌記事には、世界各地の妖怪の比較、幽霊について、魂の入れ替わりなどの文章が多数ある。それらの資料から、熊楠ほどの知性が幽霊や妖怪をどう捉えていたのかを探る、渾身の意欲作」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
 第一章 幽体離脱体験
 第二章 夢のお告げ
 第三章 神通力、予知、テレパシー
 第四章 アメリカ・イギリスの神秘主義と幽霊
 第五章 イギリス心霊現象研究協会と帰国後の神秘体験
 第六章 熊楠の夢
 第七章 親不孝な熊楠
 第八章 スペイン風邪、死と病の記
 第九章 足跡を残す幽霊と妖怪
第一〇章 水木しげる『猫楠』と、熊楠の猫
「おわりに」
「あとがき」
「参考文献」

 

 

「はじめに」の冒頭を、著者はこう書きだしています。
「今年(2021年)で没後80周年を迎える南方熊楠(1867~1941年)は、生物学や民俗学の分野で活躍し、近年では神社林保護運動にとりくんだことで、『エコロジーの先駆者』としても知られるようになった人物です。ところがいっぽうでは、幽体離脱体験をくりかえしたり、『夢のお告げ』で新種を発見したりといった神秘的なエピソードがあることをご存じでしょうか。水木しげるにも、熊楠を主人公とした『猫楠』という漫画があり、そのなかでは熊楠が幽霊たちと宴会をしたり、夜中に魂が身体を抜け出して遊びに出たりします」


しかし、若いころの熊楠は、むしろオカルト的なものに否定的な態度をとっていたとして、著者は「ロンドン遊学時代には『オッカルチズムごとき腐ったもの』と罵倒していますし、降霊術や行者の秘術といったものも信じていませんでした。ところが、帰国後に採集・研究活動にうちこむなかで神秘体験をくりかえした熊楠は、態度を一変させます。ブラヴァツキー夫人の『ベールをとったイシス』や、イギリスの心霊研究者であるフレデリック・マイヤーズの『人間の人格とその死後存続』を熟読し、以後は『魂の入れ替わり』や『幽霊の足跡』についての論考を量産していくのです」と述べています。


熊楠は江戸末に生まれ、第2次大戦中まで生きましたが、著者は「大きく社会や環境が変化し、科学や合理主義が急激に発達した時代です。そんななかで熊楠は、父親と息子の関係に悩み、自身の精神状態に不安を抱え、スペイン風邪の流行といった破滅的な状況にも遭遇しました。熊楠というと、オランダ人東洋学者に論争を挑んで打ち負かしたり、神社合祀反対運動で国の政策に敢然と立ち向かったり、はたまた酒に酔って暴れたりと、豪放磊落な人物と思われがちです。しかし、熊楠は自身の生き方に悩み、みずからの存在価値を問いつづけた人間でもありました。現在のわたしたちとも共通するアイデンティティの不安を感じていたのです」と述べます。


そして、熊楠の日記が謎めいた夢の記録であふれていることを指摘し、著者は「死や病気についての記録もおびただしく、強い関心をもって書き留めていたことがわかります。論考では、幽体離脱体験のほか、寝ているあいだに魂が入れ替わったという説話が世界じゅうにあることが示されます。柳田国男への書簡では、河童の正体が考察されました。いずれも、熊楠だけが思考し、語りえたものです」と述べるのでした。

  

 

第一章「幽体離脱体験」の「那智での幽体離脱体験」では、「14年近い海外遊学を終えて帰国した熊楠は、1901年11月から和歌山県南部の那智にこもり、地衣類や菌類の採集、論考執筆に明け暮れていました。そんななか、1904年に幽体離脱体験をするのです」と書かれています。また、「熊楠は何を見たのか?」では、自身が体験した幽体離脱について知るために、イギリスの心霊学者であるフレデリック・マイヤーズの『人間の人格とその死後存続』やイギリスの民俗学者であるジェームズ・フレイザーの『金枝篇』などを読んだことを紹介し、「心霊学と民俗学は現在では遠く離れた学問分野ですが、当時はこうしたものが地続きであり、熊楠もそれらを総合して思考を試みていたといえます。これらの研究書を通して、熊楠は自分の体験を解釈し、一般化しようとしていたのでした」と述べています。



「魂と身体が紐でつながった状態」では、熊楠と文通を通して議論の相手となった真言僧・土宜法龍(1854~1923年)に宛てた書簡(1904年6月21日)に、臨死体験に関する以下の一文が紹介されます。
「ひとが死んだあとも存続するものがあります。わたしも柔術などで気絶し、しばらくして活を入れられて蘇ったことがあります。[いろいろなひとに]そのときの状況を聞いてくらべると、たいてい自分のと同じなのです。川原のようなところを歩いており、悠々自適、何の気がかりなく小唄でも出そうになります。はるかうしろから、誰かに呼ばれていると思ってようやく気づくものなのです。もっとも川原を歩いたことがないひとは、そんなふうに思わないかしれません。しかし、だいたいは同じだろうと思います。また魂遊というものがあります。わたしも今春、自身でこれを体験しました。糸で自分の頭をつなぎ、俗にいうろくろくびのように、部屋の外に遊び、そのありさまを見るものでした。このこともまた寒さの厳しい山中などで、「ひとびとに]こうした話を聞き合わせると、誰もが同じでした。(『和歌山市立博物館研究紀要』25号、2010年)」


熊楠の関心は魂と身体の関係性にあったと指摘する著者は、「現在の科学では魂の存在を想定していません。心や精神といった目に見えないものがあるのはまちがいありませんが、身体から独立したものではなく、脳の働きによるものと考えられています。身体を離れた状態で精神は存在できず、熊楠の体験のように、魂が身体を抜け出して遊びに行くということは、ありえないのです。とはいえ、多くの宗教では魂の存在を認めており、わたしたち現代の日本人も、魂のようなものがあることをなんとなく信じています。もちろん正面きって『存在する』と言うひとは多くはないでしょうが、水子供養をしたり、お盆に先祖供養を欠かさなかったりというのは、広く見られることなのです。あるかないかわからない、魂というものの正体に迫る。熊楠が関心をもち、切りこもうとしたのは、そうしたテーマだったのでした」と述べています。


「身体から抜け出る霊魂」では、魂についてのアプローチにはさまざまな方法がありえるとして、著者は「科学者たちは、機械を使った記録・測定を試みました。写真に撮ろうとしたり、死の前後で体重を量って魂の重さを計測しようとしたり。あるいは、降霊術に頼って死者たちから直接的な証言を引きだそうとしたひとたちもいました。そのなかで熊楠が特異だったのは、説話・民話・伝説・フォークロアのなかに類似の体験を探ろうとした点です」と述べ、さらには「熊楠の方法論は、古今東西から類例を集めることにありました。睡眠中に魂が抜け出る説話も、ひとつしかなければ信頼度が低いでしょうが、あちこちの国・地域・時代によく似た話があるならば、もしかしたら何らかの真実につながるかもしれません」と述べています。


もちろん、熊楠は伝播説をよく知っていました。伝播説とは、当時の民俗学フォークロア研究で流行していた学説です。どこか1ヶ所で発生したものが長い時間をかけてあちこちに広まったとするものですが、著者は「とくに説話の場合に顕著に確認でき、たとえばヨーロッパの『シンデレラ』によく似た『葉限』という話が中国にあります。継母にいじめられた娘が不思議な金の靴を落とし、それを手に入れた王様が、ぴったり合う足の持ち主を探すという筋立てのものです。熊楠がイギリスの総合人文科学誌である『N&Q』に報告した論考は、かなりの割合がこうした類例を紹介する内容となっています。しかし、伝播説だけでは説明しきれない事例が多いのも事実であり、その狭間で熊楠は研究をつづけたのでした」と述べるのでした。

 

 

「魂の入れ替わりと『和漢三才図会』」では、熊楠は『和漢三才図会』を愛用し、その論考にしばしば引用していることを紹介し、著者は「幼いころ、近所の家で『和漢三才図会」を暗記したあと、帰宅してそらで書き出してみせたという逸話も有名でしょう。『和漢三才図会』は全部で105巻81冊にもなり、この逸話は熊楠の驚異的な記憶力を示すものとされてきましたが、近年の研究では、まったくの法螺ではないにせよ、かなり誇張がふくまれていることが判明しています。熊楠が初めて『和漢三才図会』を目にしたのは近所の佐竹という産科医の家で、このときは目次の一部を写すに留まりました』と述べています。


続けて著者は、熊楠と『和漢三才図会』について、「10歳ごろ、近所の本屋で7円で売りに出たことを知って母親にねだったものの、父親に強く叱られたといいます(「南方熊楠辞」)。やがて小学校の友人である津村多賀三郎の家にあるものを借り出し、13歳の正月から15歳の夏までかけて通読し、一部を書写しました。現在は顕彰館と記念館にこのときのものと考えられる写本が残っており、それを見ると、原本のおよそ3分の1ほどが写されています。やがて中近堂から1884~88年に活字本が出ると、熊楠は予約購入しました。一部は渡米後の出版となったため、弟の常楠に送ってもらい、在外中はずっと手元に置いて参照していたようです」と述べます。

 

儀式論

儀式論

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『人類学雑誌』に多くの寄稿をした熊楠ですが、興味深いのは、『和漢三才図会』を参照しながら古今東西から魂にまつわる類話を見出し、並べ立てていったことです。中国の葬式に「復」の式というものがあります。復とは、魂を取り戻すことを意味します。死人の衣を替えるのにさきだち、浄めた衣を持って屋根に上がり、北に向かって「還りたまえ」と3度呼びかけ、それから魂を包むための衣を持って下り、絹紐でくくって魂が去るのを防ぎ、生前と同じように飲食を供し、何日か経ってから遺体を葬る。この儀式なども、熊楠は紹介しています。さまざまな死者儀礼を紹介し、儀式の百科全書的な側面を持つ拙著『儀式論』(弘文堂)など、熊楠が生きていたら意外と気に入ってくれたかもしれません。



第二章「夢のお告げ」の「ピトフォラ・オエドゴニアの発見」では、アオミソウ科という淡水に分布する緑藻の一種であるピトフォラを熊楠が「夢のお告げ」で発見したことが紹介され、それが記された書簡には有名な南方マンダラが図示されていることも紹介されます。著者は、「熊楠の世界認識を立体的な図にしたもので、真言密教と西洋の認識論が混じりあったものと考えられていますが、いまだ充分には解き明かされていません」と述べます。


「『夢のお告げ』で植物のありかを知る」では、熊楠がピトフォラを探していたところ、夢に父親があらわれ、その教えにしたがって行動したら、見事に発見できたとして、著者は「土宜法龍宛の書簡では、夢で見たとのみ述べられていたのが、こちらでは父に教えられたことになっています。ちなみに、わたしの夢にもたまに亡父が出てきますが、役に立つ情報を伝えられたことは1度もありません。熊楠の亡父のお告げは、ピトフォラの1回かぎりではありませんでした。那智に移ってからも、珍しい植物のありかを教えてくれています。ナギランの発見がそれで、これも『千里眼』で語られているものです」と述べるのでした。


第四章「アメリカ・イギリスの神秘主義と幽霊」の「ブラヴァツキー夫人を読む」では、熊楠に神秘的なもの、心霊学的なものへの関心があらわれたのは、アメリカ時代のことだとして、著者は「1888年6月20日に、ニューヨークの古書店からブラヴァツキー夫人(1831~1891年)の『ベールをとったイシス』(1877年)をとりよせたのです。2冊組で代金は7ドル半でした。このころ、ほかにもホレス・ウェルビーの『生命、死、未来の謎』(1861年)、イギリスのフリーメーソン系のオカルティストであったジョン・ヤーカーの『古代の科学と宗教の謎――グノーシスと中世の秘教』などを入手しています(すべて顕彰館に現存)。いずれも心霊主義神秘主義スピリチュアリズムに分類される書籍です。スピリチュアリズムとはスピリット、すなわち霊的なものの存在を信じる思想で、とくに19世紀後半以降に、霊的なのとの交信によって神秘的な体験を得ようとする動きが広がりました。その代表がブラヴァツキー夫人と、彼女を中心に結成された神智学協会だったのです。これらと熊楠との関係については、桐生大学短期大学部の橋爪博幸が研究しています」と述べています。

 

 

著者は、「ブラヴァツキー夫人はもっとも成功した霊媒で、アメリカとイギリスをまたにかけて活躍し、主著である『ベールをとったイシス』では、ブッダプラトン、モーゼ、イエス、ヘルメス主義、グノーシスカバラなどをとりいれつつ、古代の叡智や神聖な真理への信奉を説きました。この本がベストセラーとなったことは、当時の心霊ばやりを証明しているでしょう」と述べます。アメリカ時代の熊楠は、『ベールをとったイシス』を購入してはみたものの、あまり関心がもてなかったようで、やがて和歌山の実家へ送ってしまったことが紹介されています。

 

 

「イギリス時代の熊楠とオカルチズム」では、アメリカで始まった心霊主義は、イギリスでも大流行となり、さらに大陸のヨーロッパ諸国へも波及したことが紹介されます。著者は、「1860~70年代に最高潮に達しますが、熊楠のいたころもまだまださかんで、『降霊会の開かれない晩はない』といわれるほどでした。これほどまでに人気となったのは、ひとつにはキリスト教離れが急速に進んだためです」と述べます。


また、あくまで著者の私見だと断りながら、「19世紀の心霊主義の本質は社交にあったと思います。このころのイギリスでは、社会の新たな担い手であるミドルクラスが勃興し、上流階級を包含した巨大な社交文化が形成されていました。夜ごとパーティが開かれ、ひとびとが社交に精を出していたのです。そのなかで、降霊会は格好の娯楽として受け入れられたのでした。降霊会のひとつの定型は、真っ暗にした部屋のなかで、集まったひとたちに手をつながせ、霊媒が霊を呼び出すというものです。手をつながせるのは、不正がないことの証明であるとともに、貴重な男女の交流の機会ともなっていました」と述べます。これには目から鱗が落ちました。確かに、そうだと思います。


続けて、著者は「神智学協会をはじめ、多数の協会や団体がつくられたのも心霊主義神秘主義の特徴で、そこには多くの著名人や貴族が顔を揃えていました。さらに、神秘主義スピリチュアリズムには、医療や心理学へとつながる側面もありました。心霊主義団体の多くは『病気を治す』ことをうたい文句にしましたし、『精神的に敏感すぎる』ひとたちが霊媒になるケースも多かったのです。霊の正体を、霊媒本人の無意識だと解釈する医師もおり、同時代のフロイトらの思想と共鳴しつつ、やがてユング精神分析深層心理学)へ発展していった側面もあります。ただ、降霊会や霊媒のほとんどはトリックだったとされます。奇術が発達したのもこの時代で、舞台や社交会での出しものとなっていました」と述べています。

 

 

「幽霊の町、ロンドンと怪奇小説の黄金時代」では、ロンドン時代の熊楠は心霊主義神秘主義には心ひかれたものの、生来の人見知りもあって、降霊会などには出入りしなかったことが紹介されます。とはいえ、熊楠が後年にあれほど心霊現象に入れあげたのは、この時代にロンドンで暮らしたからにほかならないとして、著者は「19世紀末から20世紀初頭にかけては、イギリス怪奇小説/恐怖小説の黄金時代として知られ、M・R・ジェイムズやアルジャナン・ブラックウッド、J・S・レ・ファニュなどがさかんに小説を発表していました。もちろんここまで述べてきた心霊学や降霊会の流行と結びついて人気となったもので、霊媒や日本のこっくりさんのもとになったとされるテーブル・ターニングなどは、怪奇小説においても欠かせない要素です。ただし、熊楠は同時代の小説/フィクションにはほとんど関心を示さない人間でした。顕彰館に残された膨大な蔵書にも、みずから購入した近現代の小説は数えるほどで、夏目漱石吾輩は猫である』があるくらいです」と述べています。

 

 

恐怖小説の流行と表裏をなしていたのが、探偵小説の人気と、スコットランド・ヤードを始めとする犯罪捜査制度の整備でした。熊楠がロンドンに滞在していた1890年代は、探偵小説の勃興期で、たとえばシャーロック・ホームズは1887年の『緋色の研究』でデビューし、1890年代に『ストランド・マガジン』で連載されて大人気を博したことが紹介されます。著者は、「ホームズと熊楠は『同時代人』だったのです。熊楠はリージェンツ・パークや同園内の動物園の行き帰りに、しばしばベイカー街に立ち寄っており、もしかしたら、221Bの窓からホームズに『怪しい東洋人が歩いている』と注視されていたかもしれません。グラナダTVが制作し、日本でも放映された有名なドラマ・シリーズがありますが、あそこに出てくるガス灯や馬車といったイメージが、まさに熊楠の生きていたロンドンの景色だったのです」と述べています。

 

 

レディ・グレゴリー『アイルランド西部の幻想と俗信』と、W・クルック『北インドの俗信とフォークロア』は、当時のイギリスでさかんに出ていた民俗学フォークロア研究の出版物で、熊楠の書架には、こうした書物がぎっしりと並んでいたことを紹介し、著書は「これらは風習や習慣に並んで民話を収録しており、そのなかには怪談・奇譚の類いも相当数ふくまれていました。日本でも大正から昭和にかけて、各地の民話・伝説集が次々と出ましたが、それに相当するものです。本書を読んでいる方なら、柳田国男の『遠野物語』に奇譚があふれていることはよくご存じでしょう。こうしたところから熊楠はネタを仕入れていたのです」と述べます。

 

 

民俗学の書物や民話集は、日本でもイギリスでも、専門の研究者だけが読んでいたわけではないと指摘し、著者は「むしろ、興味深い読みものとして楽しまれ、娯楽として消費されていたのです。そうでなければ、あれだけたくさんの本が出版され、売れたことが説明できません。現在の日本でも、フィクションとしての怪談・怪奇小説があるいっぽうで、実話・実体験として語られる恐怖譚があるのに似ています。怪奇小説の黄金時代のひとびとも、いつもW・W・ジェイコブズやレ・ファニュばかり読んでいたわけではなく、多様な語りを楽しんでいたというべきでしょう」と述べています。


「妖精と鬼」では、イギリスにおいて妖精などの存在が一般に広まり、全国で均一のイメージをもつようになるのは、19世紀後半のことであるとして、著者は「そこには各地で民話を収集、出版したフォークロア研究者や民俗学者の仕事がありました。またヴィクトリア時代の美麗で上品なイラストが添えられたことで、妖精のイメージが美化され、われわれがいま想像するような美しい姿に固定されたのも事実です」と述べています。


これは日本でも同じで、著者は「江戸期以前から妖怪の存在は知られていたものの、柳田国男らの調査によって河童のイメージが固定化、全国化され、それまで多様な呼び名があったのが、『河童』という言葉で統一されました。そしてさらに鳥山石燕の妖怪画を水木しげるが再イメージ化したことで、現在へとつながるのです。しかし、熊楠は差異を強調するよりも、共通点を見出すタイプの論者でした。河童もコボルトも、雪女もエルフも、熊楠には似たようなものに見えていたのかもしれません」と述べます。

 

「ピーター・ラビットとの縁」では、熊楠が訪れたブロンプトン墓地というスタンフォード・ブリッジの隣にある広大な墓地がピーター・ラビットのゆかりの地としても知られるとして、著者は「生みの親のビアトリクス・ポターが近所に住んでおり、しばしば構想を練りながら散策し、ピーター・ラビットの名前も、ここで見かけた墓碑からとられました。ただし、墓碑の綴りはRabbettだそうです。そのほか、ナトキン、マクレガー、ジェレミー・フィッシャーなども埋葬者の名前に由来します。ナトキンはリスのキャラクターで、そのせいか園内ではリスたちが我が物顔ではねまわっていました」と述べます。


著者は、以下のように述べています。
「ピーター・ラビットの原型となる物語が描かれたのは1893年とされ、シリーズの最初の1冊である『ピーター・ラビットのおはなし』は1902年の出版ですから、もしかしたら熊楠とポターはここですれちがっていたかもしれません。またポターは1866年生まれで熊楠とはほぼ同年代で、しかも、ポターも若いころはキノコの研究者をめざし、多くのキノコの絵を残しています。不思議な偶然の一致もあるものです」


第五章「イギリス心霊現象研究協会と帰国後の神秘体験」の「欧米における心霊主義の流行」では、降霊会が流行した原因として、著者は「科学技術の急速な発展への反発が指摘されがちなのですが、実は科学と神秘主義は対立するだけではありませんでした。むしろ、科学的な手法によって魂や死後の世界を解明できるのではないかとの期待も出てきており、降霊会は一般のひとびとの娯楽だけではなく、科学者たちによる研究対象ともなっていたのです」と述べています。


その結果、心霊現象研究協会(The Society for Psychical Reseach)が、1882年にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの(フレデリック・マイヤーズを含む)心霊主義に関心のあった3人の学寮長によって設立されました。この組織は頭文字をとって SPRと略称されますが、著者は「熊楠が心霊現象に対してとった態度は、SPRに近いものでした。霊魂や予知、『夢のお告げ』などを頭から信じこんでいたわけではなく、『千里眼』では『みずから経験した神通力、千里眼などの諸例を、心にわだかまりなく落ち着いて考察すれば、けっして解説できないような不思議はひとつもない』と言い切っています。考察によってすべて解明できるというのです」と述べています。


「熊楠の『不思議』」では、著者は、熊楠の中では確かな一線が引かれていたようだと述べます。熊楠は科学的研究には有望な可能性を見出し、霊媒や心霊術師は詐欺と退けていたと指摘し、続けてイギリスの探検家ウォルター・ローリーの逸話を紹介する著者は、「あるとき喧嘩でひとが死んだのを目撃したが、翌日になってその場に居合わせたひとと話すと、おたがいに食い違うところが多かった。むしろ相手の言うことに根拠があり、自分が見たことに自信がもてなくなったというものです。そして『自身目前のことすら、このとおりまちがいの多い世の中だから、千里眼、幽霊などの珍事は他人の手記など、なかなか当てにならないと重ねて言っておこう』とします。きわめて懐疑的で科学的な態度を示しているのです」と述べています。


「マイヤーズの心霊研究」では、イギリスの心霊研究者で、古典学者、詩人でもあったフレデリック・マイヤーズ(1843~1901年)が取り上げられます。彼は1865年にケンブリッジ大学の講師となり、のちには視学官として籍を置きました。1873年頃から降霊術にしばしば参加するようになり、オクスフォード大学出身の霊媒ウィリアム・スティントン・モーゼスの降霊実験に関わったことでも知られます。主著である『人間の人格とその死後存続』は、死後の1903年に刊行され、心霊研究の記念碑的な存在として知られています。また、マイヤーズが提唱した潜在意識という考え方は、フロイトの無意識にさきがけるものとして評価されることもあります。

 

 

帰国した熊楠は、和歌山で「夢のお告げ」などを体験するなかで、さまざまな文献にあたって理解と解決をはかろうとしていきます。最初に、アメリカ時代に購入し、実家に送ってあったブラヴァツキー夫人の『ベールをとったイシス』を読みますが、「オッカルチズムごとき腐ったもの」と感じ、すぐに放棄してしまいます。続いて、マイヤーズの『人間の人格とその死後存続』でした。著者は、「ピトフォラ・オエドゴニアやナギランの発見についても、亡父を登場させることで魂の不滅性を示そうとしたのにくわえて、マイヤーズらが予知などの心霊体験を「天才の証拠」としていたこともあり、気をよくした熊楠がうまく乗っかろうとしたのかもしれません」と述べます。


というのも、熊楠の体験したというテレパシーや死の予知も、実は『人間の人格とその死後存続』に出ている例によく似ているというのです。著者は、「ただ、熊楠はスピリチュアリズムの方法もとりませんでしたし、マイヤーズのような手法、すなわち科学的な検証もしませんでした。熊楠が採用したのは、人類学、民俗学、説話学でした。世界各地、それから過去の世界に類例を求め、それらを蓄積することで、魂の問題に迫ろうとしたのです。これは熊楠に独自のものであり、現在も評価されるポイントだと思います」と述べています。


精神科学や心理学は、脳科学と密接なつながりをもちつつ発達していきました。当時の脳科学の代表的な人物として、著者はスペインのサンティアゴ・ラモン・イ・カハールを挙げ、「ニューロン説を唱えた神経科学者として知られ、1906年にはノーベル医学・生理学賞を受賞しています。ラモン・イ・カハールらの研究によって、人間の心が脳の神経組織を伝わる電気信号から生み出されることがわかり、魂の存在自体にも強い疑いが投げかけられました。熊楠は、まさにこうした分かれ目に生きていたのです。このような研究成果は『ネイチャー』にもさかんに出ており、熊楠も目にしていたはずです」と紹介します。


「20世紀初頭の日本での心霊研究」では、日本では、1910年に東京帝国大学福来友吉(1869~1952年)が心霊研究の実験を始めたことを紹介し、著者は「福来は熊楠の2つ年下で、ほぼ同年代といえます。その2人がいずれもテレパシーといった超能力に関わっていた点は見すごせません。しかも、福来は大学院で変態心理学を研究しており、1906年に得た文学博士号も、『催眠術の心理学的研究』によるものでした。前述のように熊楠も『変態心理』という雑誌に投稿しており、共通の関心があったのです」と述べています。


福来友吉千里眼の研究に心血を注ぎました。「千里眼」では、著者は以下のように述べています。
「日本語の千里眼という言葉は、厳密にいえば、遠方のものを見ることができる能力のことです。故事成語のひとつで、『魏書』の「楊逸伝」から生まれたとされます。魏の楊逸がある地方に赴任したとき、配下の役人たちの行動を戒めるため、監視網をはりめぐらすことにしました。やがては、かつて宴席や賄賂を要求するのがつねだった役人たちが、みずから弁当を持参するまでになります。疑問に思ったひとが尋ねたところ、揚逸が千里の果てまで見える目を名っているから、怖くて不正ができないのだと答えたのが『千里眼』の由来です」


第六章「熊楠の夢」の「日記に記録された夢の数々」では、熊楠の夢の特徴のひとつは、しばしば死者があらわれることであると指摘されます。父だけではなく、多数の故人が出てきます。たとえば、1888年10月31日に「暁、故谷富次郎氏を夢に見る」、1889年4月11日に「夢に母および故藤枝と延命院に参詣する夢みる」、1902年2月24日に「故羽山蕃次郎を闇いところに訪ねると夢に見る」といった具合です。これは晩年までずっと変わりませんでした。

 

 

わたしは、夢とはもともと死者と会うためのものなのであると考えています。そのことを、わたしはブログ『原始文化』 で紹介した文化人類学エドワード・タイラーの名著で知りました。タイラーによれば、古代人は夢、とりわけ夢の中で死んだ親族と会うことに深い意味づけをしたと述べています。古代人の心と現代人の心は、いろんな意味で違うと思いますが、夢をみることは共通していると思います。実際、祖先すなわち死者と会う方法を考えた場合、「夢で会う」というのが、一番わかりやすいのではないでしょうか。熊楠もこのことに気づいたのではないかと思います。あるいは、タイラーが『原始文化』を英語で書いたのは1871年なので、熊楠はこの本をロンドンで読んでいた可能性も高いと思います。

 

 

夢といえば、熊楠がイギリスに滞在した時期は、ウィーンのフロイト夢分析を試みていたころでもありました。フロイトは無意識や記憶との関係から夢の説明を試み、精神的治療にも役立てようとしました。その結果としてまとめられたのが、『夢判断』(1900年)です。著者は、「熊楠がフロイトを読んだことはなかったようですが、こちらも『ネイチャー』などでさかんに話題になっていましたから、おそらく名前くらいは知っていたものと思われます。ただ、熊楠がフロイト流の精神分析を、みずからの夢に適用したようすはありません」と述べています。

 

 

熊楠は夢についての文章をいろいろ残していますが、その中に「夢を買う」というものがあります。そこでは、ホーンゲイトという投稿者による「夢と文学」というタイトルの質問に答えています。ホーンゲイトの投稿は、スティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』やコールリッジの『クブラ・カーン』は夢で見た内容を文学作品にしたことで有名だが、そのようにして生まれた作品がほかにないかという質問でした。著者は、「まず出たドッズの回答では、古代の詩人ケドモン、ルイス・キャロルの『シルヴィーとブルーノ』などをあげたうえで、熊楠の『夢を買う』に言及されています。ほかにも、ギリシア・ローマ文学の例やラドクリフ夫人『ユードルフォの謎』など、多数の例が寄せられており、存外にこうした作例は多いようです」と述べています。

 

 

熊楠は、このように近代以前の文学や世界各地の民族誌から、夢に関する話題をいろいろ集めていました。著者は、「それに対してフロイトは、精神や心の研究の一環として夢分析を試み、いっぽうで熊楠は世界中から夢のテーマを集め、総合的に解釈しようとしたのです。とくに中世や近世の説話、各地の民俗、アジア、アフリカ、オセアニアなどの民族誌を対象としたのは、近代の思想や文化に染まっていない、人間の夢の本質的な部分が見えてくるはずだと期待していたのではないでしょうか」と述べるのでした。


第七章「親不孝な熊楠」の「親不孝者の息子」では、熊楠が恩返しをしないうちに父親の弥兵衛が亡くなったのは、とりかえしのつかない悔恨事であったとして、著者は「もう1度会いたいという気持ちが夢に父親を登場させ、さらには魂の死後存続の問題を追究させたのでしょう。夢の父親が、ただの夢、すなわち熊楠自身の脳内での現象にすぎないのであれば、本物の弥兵衛に言葉を伝えることはできません。そのために、夢が夢を越えた何かである可能性を追究したのです。いっぽうで、そんな思いを抱いていたからこそ、熊楠は『夢のお告げ』というかたちで父親に花をたせた可能性もあり、一種の罪滅ぼしだったのかもしれません。父親のお告げで珍しい植物を発見したということは、父親の偉大さの証明ともなり、実際に弥兵衛の名は熊楠の文章を通して永遠に語り継がれることとなったのでした。魂の存続という問題は、熊楠自身の魂にかかわることであると同時に、家族の問題としても重要だったのです」と述べています。


「変態心理への関心」では、19世紀は死者の蘇生が流行った(?)時代でもあったと指摘し、著者は「いったん息をひきとり、埋葬されたものの、何かの拍子に生き返り、家に戻ってきたという話がいくつも伝えられています。日本だけではなく、アメリカなどでも報告されており、とくにキリスト教圏は土葬のため、万が一時生したときのためにと、棺のなかに伝声管を設置した人物もいたそうです」と述べ、さらには「死者への愛もまた、熊楠にとって重要な課題だったのだと考えられます。こうした論考が『変態心理』という精神医学の雑誌に掲載されたという点も重要でしょう。死者との交わりというテーマは、広く同時代的に共有された問題であり、精神医学や民俗学といった多くの分野からアプローチされていたのです」と述べます。


「おわりに」では、著者は以下のように述べています。
「熊楠は若いころから不思議な夢を見ることがしばしばあり、それを日記に書き留めていました。死や病について記録することにも熱心でした。同時に脳機能的・精神的な問題から、いつ自分が正気を失うかという不安に怯えており、これらが魂への関心を発生させます。さらには父親の期待に応えることができず、親不孝者の息子となってしまったことを後悔していました。そんななかで遊学したアメリカ・イギリスでは、神秘主義スピリチュアリズム、心霊科学が大流行していました。熊楠はブラヴァツキー夫人や心霊現象研究協会に興味をもちますが、全体としてはオカルチズムに否定的な態度をとります。ところが、帰国後に幽体離脱や『夢のお告げ』を体験し、また精神状態が悪化したこともあり、人間の精神や魂の問題に関心を高めていくことになったのです」


こうした不安や悩みに対して、熊楠はいくつかのアプローチで解決を試みたとして、著者は「まず手にとったブラヴァツキー夫人の著書はオカルトの域を出ておらず、すぐに放棄します。つづいて接近したマイヤーズらの心霊科学にはのめりこみ、これが夢をはじめとする神秘体験を昂進させていくこととなりました。この段階に至り、おそらく熊楠は、魂が実在し、死後も存続する可能性について、とくに夢という側面から研究する決意を固めたのでしょう。具体的に熊楠がとった方法は、文献の渉猟でした。古今東西の古典籍、フォークロア集、民族誌などから魂に関する記述を集め、それらに共通する特徴を探ることで、真理へ迫ろうとしたのです。さらに変態心理に関心をもち、精神医学へも接近します」と述べます。


「方法論としての民族学民俗学研究」では、19世紀後半から20世紀初頭にかけては、西洋においても日本においても、魂や死後の世界、超能力といったものへの関心が高まったと指摘し、著者は「科学の進歩と呼応して、キリスト教や仏教が力を失い、ひとびとは自分という存在に不安を感じ、さまざまな方法で精神や魂についてあきらかにしようとしたのです。科学者たちは実験をくりかえし、精神医学が生み出され、脳科学神経科学が発達し、スピリチュアリズムや心霊科学が出現します。現在では、精神医学と脳科学と心霊科学は別々のものとみなされていますが、問題の根源は同じところにあったのです。同様に夢についても、科学、精神医学、民族学民俗学のそれぞれからアプローチ法が生まれつつありました」と述べます。


さらに、著者は「心霊科学も民族学民俗学精神医学も、19世紀後半に新しくあらわれた、確立されつつあった科学・方法論であり、それによって従来は扱いえなかった問題を解き明かせるのではないかと期待されたのです。しかし、心霊科学のように機械で測定したり、実験で魂の存在を確かめようとするのは、熊楠には技術的に考資金的にも不可能でした。脳神経科学も分野外です。そこで熊楠が方法論として採用したのが、民族学民俗学だったのです。19世紀後半から世界各地で民族誌的調査が行なわれ、民話や説話が収集され、それらをまとめた文献が大量に出版されていました」と述べています。


それにともない、タイラーやフレイザーによって民族学民俗学が学問として整備されていったとして、著者は「熊楠は、当時最新のその方法論に飛びついたのでした。そして古今東西の文献を渉猟することで、自身の体験を解き明かす手掛かりを探そうとしました。結果として、睡眠中に魂が抜け出るというような件について大量の類例が出てきたことは、熊楠の思考を深め、またある種の安心感を与えたことでしょう。そのようにして収集された資料は、論考や書簡にも使われました」と述べています。

 

 

そして、熊楠の生きた時代には、魂や死後の問題にくわえて、妖怪や幽霊といった、存在のあやふやなものに注目が集まったとして、著者は「たぶん存在しない、でも、もしかしたらあるかもしれない。そこにひとびとは惹かれ、また議論する場があったのです。それらはいっぽうでは真剣な問題としてとりくまれましたが、他方では娯楽・読みものとして色人気になりました。熊楠が特異な文章家として重宝されたのは、熊楠がそうしたテーマを得意としていたからでもありました。時代にとって重要で普遍的なテーマは、あらゆる場所に姿を見せるものなのです。さらにいえば、熊楠が今日まで多くのひとを魅了しつづけているのは、その問題意識が根本的に現代人にも通じるものだからです。魂の存在は科学的にはほぼ否定されたとはいえ、まったく『ない』と言い切ってしまうのには躊躇があり、不安に感じますし、また夢の仕組みや意味はまだまだ解明されていません」と述べるのでした。熊楠の心霊体験については、わたしも拙著『ロマンティック・デス』(国書刊行会幻冬舎文庫)、あるいは『唯葬論』(三五館・サンガ文庫)で言及しました。しかし、本書では詳しく考察されており、非常に興味深く読みました。

 

 

「あとがき」では、著者は「南方熊楠旧邸/顕彰館に20年通いつづけ、熊楠の暮らしたのと同じ空間で過ごしていると、熊楠という人間が身近に感じられてきます。調査にくわわったころには、超人、偉人、奇人といったイメージが強かったのですが、その生き方を深く知るにつれ、等身大の熊楠が見えるようになりました。華やかな名声や世界的な研究の裏で抱えこんでいた、苦しみや悩みへと目が向きはじめたのです。そして、熊楠は自身の存在そのものに関わる重大な問題を抱えており、それを解決するために、神秘的なものへの関心を高め、幽体離脱、夢、超能力といったテーマを扱うようになったのではないかと考えるようになりました」と書いています。本書を名著たらしめているのは、何にもまして、著者の南方熊楠に対する愛情にも似た情熱ではないかと思います。

 

 

2021年9月21日 一条真也

敬老の日

一条真也です。
9月20日(月)は彼岸入りです。そして、「敬老の日」でもあります。この日の午後、わたしと妻と長女の3人で実家を訪問します。もちろん全員がワクチン2回接種済みです。今回は長女から祖父母(わたしの両親)に大切な報告があるのですが、きっと喜んでくれると思います。

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ヤフーニュースより

 

19日の読売新聞オンラインに、「65歳以上の高齢者、世界最高の29%…就業者に占める割合も過去最高13・6%」という見出しの記事が出ました。総務省は「敬老の日」に合わせて、65歳以上の高齢者の推計人口(9月15日現在)を発表。高齢者は前年比22万人増の3640万人、総人口に占める割合は同0・3ポイント上昇して29・1%となり、いずれも過去最高を更新しています。働く人全体に占める高齢者の割合も過去最高となっており、政府は高齢者の就労環境の整備を進めているといいます。

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ヤフーニュースより

 

厚生労働省によれば、今月1日の時点で、全国で100歳以上の高齢者が8万6510人でした。去年より6060人増え、これまでで最も多くなっています。このうち女性が7万6450人で、9割近くを占めています。国内最高齢は福岡市に住む田中カ子さんで、1903年・明治36年生まれの118歳。100歳以上の人数は51年連続で過去最多を更新しており、初めて1万人を超えた1998年から比べて8倍以上に増えています。

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ヤフーニュースより

 

そんな中、超高齢社会なのに、生きがいや健康づくりを目的に地域で活動する「老人クラブ」は細っているそうです。「西日本新聞」の報道によれば、“発祥”とされる福岡市の会員数はピーク時から半数近く減り、全国でも同傾向だとか。働く高齢者が増えているのが背景にあります。新型コロナウイルスの影響でさらに縮小している一方で、地域防災や孤立を防ぐために欠かせないと熱心な地域もあります。高齢者のコミュニティを構築するには「リアルな場」づくりが重要です。わが社は、紫雲閣三礼庵天道館日王の湯といった施設を「人は老いるほど豊かになる」老福社会を実現するコミュニティホールとして位置づけていますが、今後はそれら諸施設で展開される活動が老人クラブの代替機能を果たすような気がします。

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「読売新聞オンライン」より

「人は老いるほど豊かになる」といえば、拙著『老福論〜人は老いるほど豊かになる』(成甲書房)が旅行誌の名門である「旅行読売」最新号(2021年10月号)で紹介されました。同誌に掲載された「【コラム/旅へ。】日本地図を作った伊能忠敬」という三沢明彦氏の文章の中に以下のように書かれています。
「帰りの車中、老いの指南書をめくると、歴史に名を遺した賢人たちも揺れていた。哲学者プラトンは『経験知を生かせ』と温かいが、アリストテレスは『自己中心的になり、早く引退せよ』と厳しい。迷いが深まる中で、こんな言葉に目が留まった。『老人は孤独なのではなく、毅然としている。無力なのではなく、穏やか。頭の回転が鈍いのではなく、思慮深いのだ』(一条真也老福論』より)。そう置き換えてもらえば、少しは前向きになれる。老いと向き合い、つまらないプライドから自由になれば、険しい山は無理でも、なだらかな丘ぐらいは、とも思えてくる」

老福論』(成甲書房)

 

「老い」というものを陽にとらえた『老福論』の言葉を紹介していただき嬉しい限りですが、何よりもプラトンアリストテレスの言葉と一緒に紹介されたことに驚きました。なんだか世界三大哲学者の一人になったような気分で、まことに愉快であります。(笑)みなさんも、「敬老の日」には御両親やおじいちゃん、おばあちゃんを訪ねてあげて下さい。新型コロナウイルスの感染が怖い場合は、ぜひ電話を掛けてあげて下さい。メールやLINEもいいですが、やはり子や孫の声を聴くのは嬉しいものですよ。

 

2021年9月20日 一条真也

「レミニセンス」 

一条真也です。
シネプレックス小倉でSF映画「レミニセンス」を観ました。世界観の説明不足はあるものの、なかなか面白かったです。でも、謳い文句の「SFサスペンス」というより「ラブロマンス」の要素を強く感じました。いつものように、グリーフケアの要素もしっかり見つけました。最近はどんな映画を観ても、すべてグリーフケア映画です。


ヤフー映画の「解説」には、「『グレイテスト・ショーマン』などのヒュー・ジャックマン主演のSFサスペンス。世界中が海に水没した近未来を舞台に、他者の記憶に潜入したエージェントが凶悪事件の鍵を握る女性の行方を追う。監督はドラマ「ウエストワールド」シリーズなどに携ったリサ・ジョイ。『ドクター・スリープ』などのレベッカ・ファーガソン、『リトリート・アイランド』などのタンディ・ニュートン、『クリミナル・アフェア 魔警』などのダニエル・ウーらが出演する」と書かれています。

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「世界中が海に沈んでしまった近未来。他人の記憶に潜入する能力を持ったエージェントのニック(ヒュー・ジャックマン)のもとに、検察からある仕事が舞い込む。それは瀕死の状態で発見されたギャングの男性の記憶に潜入し、謎の多い新興ギャング組織の正体と目的を探るというものだった。男の記憶に登場する女性メイが、鍵になる人物だとにらむニック。彼女を追ってさまざまな人の記憶に潜入していくが、その裏では巨大な陰謀がうごめいていた」


この映画、公開直前のレビューはなんと1点という超低評価のみでした。一瞬だけ、鑑賞するのをためらいました。しかし、SF映画の最新作は必ず観ることにしていることと(ホラー映画もそうですが)、主演がヒュー・ジャックマンレベッカ・ファーガソンの2人なので、観ることにしました。わたしは、この2人のファンなのです。結果は、まずまずの面白さでした。やはり、ネットの評価に過度に影響されてはいけませんね。ファム・ファタール(運命の女)というべき女性と会って一目惚れし、恋に落ちた男性が、自分の前から忽然と姿を消した彼女を探す物語でした。その探す方法とは、他人の記憶を辿ってゆくのです。最後に彼が知った真実は、悲しく切ないものでした。


ヒュー・ジャックマンレベッカ・ファーガソンといえば、ブログ「グレイテスト・ショーマン」で紹介したミュージカル映画の名コンビ。わたしの大好きな作品で、19世紀に活躍した伝説の興行師P・T・バーナムの物語です。ヒュー・ジャックマンがバーナムを、レベッカ・ファーガソンが奇跡の声を持つオペラ歌手ジェニー・リンドを演じました。この映画には、かつて「フリークス」と呼ばれた圧倒的な社会的弱者が大量に登場します。人種、性別、体型、その他もろもろの差異をすべて取っ払って、あらゆる人々がサーカスの舞台に上がる光景はまさに「人類の祝祭」でした。今年は新型コロナウイルスパンデミックの中で「TOKYO2020」が強行開催されましたが、東京オリンピックの開会式と閉会式があまりにも陳腐だったのに比べて、東京パラリンピックのそれは素晴らしいものでした。パラの開会式を観ながら「グレイテスト・ショーマン」を連想したのは、わたしだけではないはず。


さて、「レミニセンス」の予告編を観たとき、主人公が記憶潜入の専門家ということもあって、わたしはブログ「インセプション」で紹介した2010年の映画を連想しました。クリストファー・ノーランが監督し、レオナルド・ディカプリオが主演したSF大作です。ディカプリオが演じる産業スパイのコブが、他人の夢の中に侵入してアイデアを盗み、密かに別の考えをインセプション(移植)するという物語でした。「レミニセンス」も最初はそんな話かと思ってのですが、実際はかなり違いました。クリストファー・ノーランは、現在、作家主義と大作主義の両立に最も成功している1人と評されていますが、彼にはジョナサン・ノーランという弟がいます。本作「レミニセンス」の製作者が、このジョナサン・ノーランです。



「レミニセンス」の冒頭には、「時間は逆行する」というナレーションが入ります。予告にはタイム・ループが連続して起きるシーンなども登場し、やはりクリストファー・ノーランが監督したブログ「テネット」で紹介した映画も連想させました。この作品は、主人公が、人類の常識である時間のルールから脱出し、第3次世界大戦を止めるべく奮闘する物語です。ウクライナでテロ事件が勃発。出動した特殊部隊員の男(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は、捕らえられて毒を飲まされます。しかし、毒はなぜか鎮静剤にすり替えられていました。その後、未来から「時間の逆行」と呼ばれる装置でやって来た敵と戦うミッションと、未来を変えるという謎のキーワード「TENET(テネット)」を与えられた彼は、第3次世界大戦開戦の阻止に立ち上がるのでした。わたしは、時間SFの最高傑作であると思っています。


「レミニセンス」の主人公ニック・バニスター(ヒュー・ジャックマン)は、記憶潜入(実際は記憶没入)装置で客の記憶を映像化し、最高の過去へと導く仕事をしています。バクスターへの最も多い依頼は、「今は亡き愛する人に再会する」ことです。そう、レミニセンスの記憶潜入装置とは究極のグリーフケア装置なのです。わたしは幸いにも両親も健在ですし、おかげさまで家族も元気です。どうしても再会したい故人はいませんが、2010年に死亡した愛犬ハリーのことは今でも胸から離れず、いつか再会したいと願っています。バニスターは戦友のハンク(ハビエル・モリーナ)をいつも「ハンクが愛犬アンジーに会える記憶」へと導くのですが、このシーンを観て、自分が本当にハリーと会えたような気になって泣けてきました。


この映画に登場する記憶潜入装置は、液体の入った水槽の中に人間が半裸で横たわるスタイルです。アメリカ国立精神衛生研究所(NIMH)で研究していたジョン・C・リリー博士が、1954年に感覚遮断の研究のために考案した「アイソレーションタンク」のようなスタイルで、レトロ感がありました。アイソレーションタンクとは、感覚の遮断や分離によって、深い瞑想状態に入るための装置です。光や音が遮られた空間で、皮膚の温度に保たれた高濃度のエプソムソルトの塩水に浮かぶことで、無重力に近い状態で浮遊できます。リラックスを目的として、また心理療法代替医療として使われています。1990年代以降はヨーロッパを中心に「フローティング・タンク」と呼ばれることが多いですが、「遮断タンク」「瞑想タンク」「サマディ・タンク」とも呼ばれます。


1980年には、リリー博士をモデルとした映画「アルタード・ステーツ」が公開。イギリス映画界の異端児であるケン・ラッセル監督が、アメリカ製作で撮った異色のSFホラーです。生命の根源を探ることにとりつかれた精神心理学者が、ドラッグを使うなどしてさまざまな幻覚を体験します。彼は、記憶から意識の頂点へ遡れるという自説を証明するため、自らの肉体と精神を実験に捧げます。メキシコ・インディアンから手に入れた強力な幻覚症状を引き起こす秘薬も使って実験は続きます。彼の探究心はとどまることを知らず、幻覚は、やがて現実の肉体の逆進化を促進し、彼の肉体は類人猿に退化していくのでした。SFXを駆使した幻覚映像のインパクトも強く、「禁断のドラッグ・トリップ・ムービー」として話題になりました。


映画「アルタード・ステーツ」を機に、80年代にはアイソレーションタンクが一般にも流行しました。スポーツ選手のイメージトレーニングや単に学習のためにも用いられるようになりました。近年再び注目が集まり、タンクを所有する施設が増加しています。東京にもアイソレーションタンク体験ができるリラクゼーション施設が複数あります。映画「レミニセンス」に登場する記憶潜入マシンは、明らかにアイソレーションタンクがモデルだと思います。すなわち、頭部にヘッドギアを装着した客をアイソレーションタンクに入れ、その場を支配するバニスターが「彼女に会った時に戻って」とか「その火傷を負った時に戻って」などとアナウンスして、客の記憶を引き出します。そして、その記憶をホログラフィー映像として可視化するのです。

 

 

「レミニセンス」には、「時間は一方通行ではない」という言葉が登場します。客の脳にバニスターが具体的な指示を与えれば、その客が経験している時間ならば、いつにでも遡れます。わたしは、コリン・ウイルソンが著書『時間の発見――その本質と大脳タイム・マシン』で提唱した右脳開発によるタイム・トラベルを連想しました。同書では、H・G・ウェルズの古典SFである『タイム・マシン』のように、現在から過去や未来へ現実的に旅することは不可能であることが論じられます。そのような時間旅行は現実には不可能なのですが、心の中では可能です。心は脳に宿り、特に右脳は時間によって支配されません。脳の左半分は論理・理性・科学と関係し、右半分は直観・感性・芸術と関係するとされます。左の脳は時間感覚を持っていますが、右脳はそれを持っていません。この右脳を使えば、わたしたちは過去と未来のどこへでも「旅」することができ、それこそが真の「タイム・マシン」であるというのがコリン・ウイルソンの考えです。


このように、「レミニセンス」における記憶潜入装置とは、アイソレーションタンクと大脳タイムマシンのコラボであり、ジョン・C・リリーとコリン・ウイルソンという80年代のオカルト界における2人のスーパースターのアイデアを合体させたものに思えました。映画の原題である「Reminisecence」は心理学の概念で、「一定時間経った記憶の方が直前の記憶より想起できる」ということです。「追憶、回想」といった意味です。ヒュー・ジャックマンが演じる主人公ニック・バニスターが一人語りする「過去は人に取り付くと言われている」「過去は純粋、時間はネックレスのビーズだ」という言葉とともに、物語が始まります。


映画「レミニセンス」は、その世界観が非常にわかりにくいです。SFという現実とかけ離れた非日常の物語ほど、映画の序盤で世界観を説明することが不可欠なわけですが、この映画にはそれが不足していました。この物語では、過去に大きな戦争があり、その結果特殊な格差社会が生まれています。地球温暖化によって水没しそうな街には貧困層が住み、富裕層は津波の防波堤のような高い壁を作って、「ドライ・ランド」と呼ばれる地面に住んでいます。そんな世界で五感を含めた記憶潜入を行うレミニセンス業者の物語であることを最初に説明しないと、訳がわからなくなります。説明する方法としてはセリフと映像がありますが、「インセプション」「テネット」のクリストファー・ノーラン監督がセリフと映像を組み合わせて見事に説明しているのに比べ、「レミニセンス」のリサ・ジョイ監督は明らかに力量不足でした。せっかくノーランの弟が製作を手掛けていたというのに、まことに残念でした。


アイソレーションタンクとか、大脳タイムマシンとか、いろいろと記憶潜入装置のアイデアの元となるSF的エピソードを紹介しましたが、じつはこの「レミニセンス」という映画、あまりSFっぽくありません。失踪した女性の行方を追う男が、他者の記憶の中からその行方を探すサスペンス映画であり、ラブロマンスの香りが強いです。バニスターが一瞬で恋に落ちた女性メイ(レベッカ・ファーガソン)と「最高の時間」を共有したにも関わらず、彼女は彼の前から姿を消してしまいます。メイとの最高の時間の中で語られた「幸せの絶頂で話を止めるオルフェウスの物語」のごとく、バニスターは自分の最高の記憶を永遠に反芻するのでした。美しくも、切ない話です。


すなわち、この映画において、記憶潜入装置というSF的設定はラブ・ロマンスの添え物でしかないのです。いい歳をして自分の元から去った女を追いかけるバニスターの姿は哀れでもあり滑稽でもありますが、わたしもファム・ファタールに会ったなら、同じことをしたかもしれないと思います。SFといえば、「レミニセンス」の上映前に待望のSF超大作「DUNE/デューン 砂の惑星」の予告編が流れました。10月15日(金)からの公開ということで、楽しみです。「レミニセンス」では中途半端だったSF的快感とセンス・オブ・ワンダーを大いに満喫したいと思います!

 

2021年9月19日 一条真也

「マスカレード・ナイト」 

一条真也です。
台風14号が北九州に接近する中、17日から公開された日本映画「マスカレード・ナイト」をシネプレックス小倉で観ました。ブログ「マスカレード・ホテル」で紹介した映画の続編ですが、安定の面白さでした。ホテル業の本質について、いろいろと考えさせられました。そして、最近のわたしは何の映画を観てもグリーフケアの要素を見つけてしまうのですが、今回もやはりそうでした。連続殺人の犯人の目的は、なんと自身のグリーフケアだったのです!


ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
東野圭吾のミステリー小説シリーズを、木村拓哉長澤まさみの共演で映画化した『マスカレード・ホテル』の続編。カウントダウン仮装パーティーが開催されるホテルを舞台に、招待客の中に紛れ込んだ殺人犯を逮捕すべく、破天荒な潜入捜査官と優秀なホテルマンが奮闘する。メガホンを取るのは前作に続き『HERO』シリーズなどの鈴木雅之。そのほか小日向文世梶原善石橋凌渡部篤郎といった前作からのキャストをはじめ、中村アン田中みな実石黒賢沢村一樹勝村政信らが新たに出演する」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「ある日、警察に匿名の密告状が届く。それはホテル・コルテシア東京で大みそかに開催されるカウントダウンパーティー“マスカレード・ナイト”に、数日前に起きた殺人事件の犯人が現れるというものだった。パーティー当日、捜査のため再びフロントクラークとしてホテルに潜入した刑事・新田浩介(木村拓哉)は、優秀なホテルマン・山岸尚美(長澤まさみ)の協力を得て任務に当たる。しかし、500人の招待客は全員仮装し顔を仮面で隠しており、二人は殺人犯の特定に苦戦する」


東野圭吾の小説『マスカレード』シリーズ第1弾を実写化したミステリー映画「マスカレード・ホテル」は2019年1月に公開されました。連続殺人事件の新たな現場になるとされたホテルを舞台に、エリート刑事とホテルの従業員が犯人を追うバディものです。現場に不可解な数字の羅列が残される殺人事件が3件発生。木村拓哉演じる警視庁捜査一課の刑事・新田浩介は、数字が次の犯行場所を予告していることを突き止め、ホテル・コルテシア東京で4件目の殺人が起きると断定します。しかし、犯人の手掛かりが一向につかめないことから、新田が同ホテルの従業員を装って潜入捜査を行います。長澤まさみ演じる優秀なフロントクラークの山岸尚美の指導を受けながら、宿泊客の素性を暴こうとする新田ですが、利用客の安全を第一に考える山岸は新田に不満を募らせるのでした。

 

前作に続いて、チャペルのシーンは冠婚葬祭互助会の日冠さんが経営する東京・亀戸の結婚式場アンフェリシオンで撮影されていました。木村拓哉長澤まさみ麻生久美子、日向井文世の4人がそのチャペルで重要な演技を見せるのですが、映画を観ていて、仲間の互助会の施設がスクリーンに映ると嬉しいものですね。主演の木村・長澤コンビ以外のキャストも豪華絢爛で、じつに多彩な顔ぶれでした。とにかく東京・日本橋にあるロイヤルパークホテルで撮影されたホテル・コルテシア東京の入口から日本映画界を代表する男女のスターが次々に入ってきます。

 

もともと映画には「グランドホテル形式」という専門用語が存在するように、ホテルとか客船とかいった不特定多数の人々が集う施設は群像劇の舞台に向いています。今回も、キムタクのホテルマン役は本当によく似合っていました。やはり、彼は一流の俳優だと思いました。なによりハンサムです。あと、痩せていてスタイルが良い。総支配人役の石橋凌をはじめ、鶴見辰吾石黒賢といったホテルマンを演じた俳優陣がみんな全盛期よりもかなりふくよかになっているのに比べ、さすがはキムタクです。彼以外では、渡部篤郎沢村一樹も細かったですね。きっと彼らは想像を絶するような節制をしているのでしょうね。俺も、もう少し頑張らないと!(笑)

 

ただ、スタイルが良いのは結構なことなのですが、キムタクは痩せすぎのようにも感じました。郷ひろみ田原俊彦といったジャニーズ事務所出身の先輩たち同様に永遠のアイドル体型なのはいいですが、これから演じる役の幅を広げていく上では、貫禄のある人物を演じるために体重増が求められる時も来るかもしれません。あと、キムタクのメイクが濃すぎるように思えましたね。もう1人の主演である長澤まさみも相変わらずの美貌で、2人が並んで立つ姿はまさに「美男美女」・・・・・・そう、映画という夢にとって何より必要なのは美男美女であることを再確認しました。長澤まさみ以外では、映画の冒頭シーンでキムタクとアルゼンチン・タンゴを踊る中村アンが魅力的でした。


「マスカレード」シリーズのテーマは、キムタク演じる新田浩介の職業である刑事、長澤まさみ演じる山岸尚美の職業であるホテルマンという、2つの職業のミッションの衝突です。刑事は宿泊客を疑い、犯人を逮捕すべく動きます。一方、ホテルマンは宿泊客を信じ、彼らに幸福な時間を過ごしてもらうために行動します。ホテルの宿泊客には不倫をはじめとして、さまざまな「秘密」があります。刑事はその秘密を暴こうとし、ホテルマンは秘密を決して暴かず、お客様のプライバシーを尊重します。それでは、刑事とホテルマンの仕事は水と油で、彼らのミッションは決して相容れないのか? 映画を観る限り、一見そうです。長髪の新田刑事がホテルの従業員用の理髪店で髪を切ってもらうシーンに始まって、とにかくホテルの中の刑事は異次元の世界に迷い込んだようにも見えます。

f:id:shins2m:20210917092906j:plain17日の朝、松柏園ホテルで話しました

 

しかし、わたしは「マスカレード・ナイト」を観ているうちに、刑事とホテルマンという2つの職業に橋を架ける魔法のキーワードを発見してしまいました。それは「ケア」です。ブログ「持続可能な志を!」でも紹介したように、この映画を観た朝、わたしは松柏園ホテルで、 サンレーグループの課長以上の社員を前に「サービスからケアへ」という話をしました。そして、「ケアとは人間尊重そのものである!」と言いました。ホテル業というのはサービス業の代表とも見られていますが、わたしは、縦の関係(上下関係)である「サービス」から横の関係(対等な関係)である「ケア」への転換というものを考えています。学生のアルバイトに代表されるようにサービス業はカネのためにできますが、医療や介護に代表されるようにケア業はカネのためにはできません。

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「サービスからケアへ」について語りました

 

無縁社会に加えてコロナ禍の中にある日本において、あらゆる人々の間に悲嘆が広まりつつあり、それに対応するグリーフケアの普及は喫緊の課題です。葬祭業は、サービス業というよりもケア業です。他者に与える精神的満足も、自らが得る精神的満足も大きいものであり、いわば「心のエッセンシャルワーク」あるいは「ハートフル・エッセンシャルワーク」と呼ばれるでしょう。これは葬祭業に限らず、ブライダル・ビジネスでも同様です。これからの冠婚業は新郎新婦をはじめ、祝われる方々のさまざまなケアを心掛けなければいけません。もちろん、ホテルの宿泊者に対する行為はケアそのものです。「ケア」に似た言葉に「ホスピタリティ」がありますが、ケア施設の代表ともいえるホスピタル(病院)も、ホテルも、ともに「親切なもてなし」を意味するホスピタリティを語源とします。


「お客様は神様です」というのは三波春夫の名セリフでしたが、今でもホテルを中心としたサービス業にはその考え方が生きています。しかし、それではサービスを提供する側が自分を殺して、燃え尽きてしまう。ホテル・コルテシア東京には、さまざまな顧客が訪れます。そして、彼らはコンシェルジェである尚美にさまざまな要望あるいは要求を突きつけます。冒頭に登場する田中みな美が演じる女性客の要望は「ホテルの部屋にいる間は一切、人の顔を見たくない」というものでした。また、沢村一樹演じる男性客の要望は「プロポーズをする相手とレストランで2人きりにして、バラの花道を作ってほしい」というものでした。プロポーズ相手に振られた彼は、さらに「マスカレード・ナイトの仮面舞踏会でのダンス・パートナーを紹介してほしい」などという無茶な要求までしてきます。


それに対して、尚美は「ホテルマンには『無理です』という言葉は禁句」という考えで必死に対応するのですが、それには限界があります。サービス業として「神様」であるお客様の要求に応じ続けるのは、ホテルマンのバーンアウト(燃え尽き)を招いてしまうのです。それが「サービス」という上下関係ではなく、医師と患者、ケアワーカーと要介護者といった「ケア」の関係ならば、バーンアウトに陥らないより良き道が見つけられるのではないでしょうか。ネタバレになるので詳しいことは言えませんが、この映画には、双子の妹を自死によって失い、心に大きな悲嘆を抱えている女性宿泊者も登場します。彼女に対して、ホテル側は見事なグリーフケア的対応をします。さまざまなコンプレックスやストレスやグリーフを抱えている宿泊客をもてなすホテル業とはまさに「ケア業」なのです。


そして、意外や、刑事という職業もケア業であると思います。取調室で机を蹴飛ばしたり、容疑者の髪を引っ張って威嚇するシーンなどはよく映画やドラマで見たものですが、もちろん現在ではそんなことは許されません。それよりも、さまざまなコンプレックスやストレスやグリーフを抱えている容疑者にケア的対応をした方が自白を誘導するという目的を果たしやすくなるのではないでしょうか。わたしは、けっして突拍子もないことを言っているわけではありません。暴力的な刑事より、容疑者の苦悩や悲嘆に寄り添った取調べをする刑事の方が優秀であるというのは明白な事実です。そして、刑事の最大のミッションというのは、「いのち」を守ること。思えば、数多くのストーカー殺人事件などでも、犠牲者たちが最寄りの警察署に相談したとき、「何か具体的な被害に遭ったら、また来て下さい」などと突き放さずに、担当の警察官たちがケア的対応をしていれば、悲劇は防げたのではないでしょうか。


刑事の仕事も「ケア」が求められるのであり、その意味ではホテル業と同じです。というよりも、すべての人間を相手にする仕事はケア業になりえます。何よりも重要なことは、「ケア」とは他人を尊重し、他人のために尽くす営みであり、「差別」や「いじめ」や「ハラスメント」などの対極にあるということです。いくらカネを稼いでいるビジネスマンや膨大な再生回数を誇るYouTuberであっても歪んだ万能感を抱き、差別・いじめ・ハラスメントを肯定する者など人間のクズです。彼らの仕事はハートレスなブルシット・ジョブであると言えるでしょう。反対にハートフル・エッセンシャルワーカーとしてのケア業に従事する人々は「人間尊重」の精神に基づいています。というわけで、映画「マスカレード・ナイト」を観終わって、わたしは、「ケア業が世界を救う」という最近の持論が正しいことを再確認したのであります。


2021年9月18日 一条真也

持続可能な「志」を!

一条真也です。
16日夕方、東京から北九州に戻りました。
17日午後から西日本に台風14号が接近するそうですが、まだ小倉には雨が降っていません。この日の早朝から、松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。

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神事の最初は一同礼!

f:id:shins2m:20210917081226j:plain月次祭のようす

f:id:shins2m:20210917080819j:plainコロナ完全対応で執り行われました

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拍手を打つ佐久間会長

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わたしも玉串奉奠しました

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神事の最後は一同礼!

皇産霊神社の瀬津神職によって神事が執り行われましたが、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが玉串奉奠を行いました。一同、会社の発展と社員の健康・幸福、それに新型コロナウイルスの感染拡大が終息することを祈念しました。わたしと一緒に参加者たちも二礼二拍手一礼しました。儀式によって「かたち」を合わせると、「こころ」が1つになる気がします。

f:id:shins2m:20210917082637j:plain天道塾の開始前のようす

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最初は、もちろん一同礼!

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天道塾のようす

f:id:shins2m:20210917083432j:plain佐久間会長の挨拶

 

神事の後は、恒例の「天道塾」です。最初に佐久間会長が登壇し、ポストコロナ時代における温浴事業について語りました。ブログ「『日王の湯』で湯縁社会を!」で紹介したように、福岡県田川郡福智町にある温浴施設「日王の湯」をわが社が運営することになりました。9月8日にプレオープン、10日に正式オープンし、マスコミでも大きく取り上げられています。新時代の「養生」の道を求める佐久間会長は、「日王の湯」にかける想いを語りました。

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沖縄から業界の動向を報告

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わたしも、しっかり聴きました

 

佐久間会長の後は、沖縄の社長を務めている弟の佐久間康弘がオンラインで話をしました。テーマは、冠婚葬祭互助会業界をめぐるさまざまな動きです。弟は、(おそらくは)パープルの“かりゆし”を着て登場しましたが、最近は北九州でも東京でも、いつも“かりゆし”を着ています。すっかり沖縄の人間になったというか、先祖代々の“うちなんちゅー”に見えてくるから不思議なものです。

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パープルの不織布マスクで登壇

 

そして、わたしが総括をしました。弟はパープルの“かりゆし”でしたが、わたしはパープル(すみれ色)の不織布マスクをつけて登壇しました。9月は、「すみれSeptember Love」だからです。業界の話を補足した後、話題になっている自民党の総裁選の話題にも触れました。コロナ禍のいま、世界中の国家リーダーのスピーチを聞いていると、国民を鼓舞するポジティブ・コミュニケーションよりも、国民の苦悩や悲嘆に寄り添うネガティブ・コミュニケーションの重要性が感じられます。

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マスクを外して、リーダシップを語る

 

また、国家リーダーにとって、最も重要なミッションは自国の死者に対しての哀悼の意を表することだそうです。首相や大統領といった国家リーダーだけでなく、このような時期の企業におけるリーダーシップも、高い目標に向けて部下を鼓舞するポジティブ・コミュニケーションとともに、部下の苦悩や悲しみに寄り添うネガティブ・コミュニケーションというか、グリーフケア的対応が求められます。グリーフケアの必要性は社会全体に浸透しつつあり、社会の持続性に深く関わっているとさえ言えます。

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熱心に聴く人びと

 

さらに、わたしは「このコロナ禍でわかったことは、葬儀が社会に必要な仕事であることです」と言いました。最近よく聞くようになった「エッセンシャルワーク」とは、医療・介護・電力・ガス・水道・食料などの日常生活に不可欠な仕事です。その意味では、葬儀もエッセンシャルワークです。葬儀にはさまざまな役割があり、霊魂への対応、悲嘆への対応といった精神的要素も強いですが、まずは何よりも遺体への対応という役割があります。遺体が放置されたままだと、社会が崩壊します。それは、これまでのパンデミックでも証明されてきたことでした。何が何でも葬儀に関わる仕事は続けなければなりません。

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冠婚葬祭が社会を持続させる!

 

いま、「SDGs」が国際的なキーワードになっています。「持続可能な開発目標」という意味ですが、わたしは冠婚葬祭互助会は社会を持続させるシステムそのものであると考えています。結婚式は夫婦を生み、子どもを産むことによって人口を維持する結婚を根底から支える。葬儀は儀式とグリーフケアによって死別の悲嘆によるうつ、自死の負の連鎖を防ぐ。冠婚業も葬祭業も、単なるサービス業ではありません。それは社会を安定させ、人類を存続させる重要な文化装置なのです。冠婚葬祭が変わることはあっても、冠婚葬祭がなくなることはありません。

f:id:shins2m:20210917092905j:plain「サービス」から「ケア」へ!

 

グリーフケアが非常に注目されていますが、いま、「心のケアの時代」です。そこでは「サービス」から「ケア」への転換が行われ、縦の関係(上下関係)であるサービスと横の関係(対等な関係)であるケアの本質と違いが重要になります。学生のアルバイトに代表されるようにサービス業はカネのためにできますが、医療や介護に代表されるようにケア業はカネのためにはできません。特に、無縁社会に加えてコロナ禍の中にある日本において、あらゆる人々の間に悲嘆が広まりつつあり、それに対応するグリーフケアの普及は喫緊の課題です。

f:id:shins2m:20210917092815j:plainハートフル・エッセンシャルワークとは?

 

さらには、「ケアすることは、自分の種々の欲求を満たすために、他人を単に利用するのとは正反対のことであり、相手が成長し、自己実現することを助けること」などのケアについての自分の考えを明らかにしました。葬祭業は、サービス業というよりもケア業です。他者に与える精神的満足も、自らが得る精神的満足も大きいものであり、いわば「心のエッセンシャルワーク」あるいは「ハートフル・エッセンシャルワーク」と呼ばれるでしょう。これは葬祭業に限らず、ブライダル・ビジネスでも同様です。これからの冠婚業は新郎新婦をはじめ、祝われる方々のさまざまなケアを心掛けなければいけません。

f:id:shins2m:20210917093639j:plainケアとは「人間尊重」である!

 

何よりも重要なことは、「ケア」とは他人を尊重し、他人のために尽くす営みであり、「いじめ」や「差別」などの対極にあるということです。いくらカネを稼いでいるビジネスマンや膨大な再生回数を誇るYouTuberであっても歪んだ万能感を抱き、「いじめ」や「差別」を肯定する者など人間のクズです。彼らの仕事はブルシット・ジョブです。反対にハートフル・エッセンシャルワーカーとしてのケア業に従事する人々は「人間尊重」の精神に基づいています。心のケアが世界を救うのです!

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熱心に聴く人びと

 

サービス業からケア業へ・・・・・・わが社の方向性の先に、「日王の湯」の運営もあります。このたび、わが社は福岡県田川郡福智町にある「ふるさと交流館 日王の湯」を管理・運営することになりました。リニューアル工事をした上で、9月8日にプレオープン特別内覧会を開催、10日には正式オープンしました。8000坪の敷地、310坪の温泉棟、154坪の宿泊棟、264坪の大宴会場というスケールです。もちろん、コロナ禍の中ではクラスター対策が最優先ですが、コロナ後には大いに賑わう場所となるでしょう。いずれは、温浴施設のスーパースターである純烈のコンサートも開催したいと考えています。

f:id:shins2m:20210917093117j:plain「湯縁」で有縁社会の再生を!

 

何より、高齢者の会員様が多い互助会との相性が良い。この施設をベースに、共に入浴する「湯縁」によって有縁社会を再生したいと考えています。産湯に始まり、湯灌に終わる・・・・・・このように、人間の一生は「湯」とともにあります。また、究極の人間関係としての「一期一会」を実現するものとして「茶の湯」という文化がある。グリーフケアの活動は「悲縁」を育て、茶道の普及は「茶縁」を育て、温浴施設の運営は「湯縁」を育てることである。そして、それらはすべて「無縁社会」を乗り越え、「有縁社会」を再生する道となります。

f:id:shins2m:20210917092841j:plain高い志を持とう!

 

いま、わたしは『儒教と日本人』という対談本の校正作業を行っています。対談相手は、現代日本における儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授の加地伸行先生です。わたしが加地先生、そして孔子から学んだ最大の教えは「志」というものの大切さです。自分が幸せになったり、自分の会社が良くなるのは結構なことですが、それだけではいけません。やはり、他人の幸せを願い、社会が良くなることを目指さなければいけない。それが「志」です。

f:id:shins2m:20210917094836j:plain最後は、もちろん一同礼!

 

今年の11月18日に創立55周年を迎えるわが社には「志」があります。わたしは、「冠婚葬祭を通じて良い人間関係づくりのお手伝いをし、無縁社会を乗り越えて有縁社会を再構築することを目標に進んでいけば、自ずからわが社も発展するでしょう」と述べ、「カンパニーズ・ビー・アンビシャス! わが社は、志のある会社としてのアンビショナリー・カンパニーであり続けましょう!」と言って、わたしは総括を終えました。この後、松柏園の貴賓室に国会議員の先生を迎えて、衆議院選挙にかける意気込みをお聴きします。その後は、小倉ロータリークラブの例会にオンラインで参加します。

 

2021年9月17日 一条真也

『死が怖くなくなる読書』

一条真也です。
16日の夕方、東京から北九州に戻りました。
63冊目の「一条真也による一条本」をお届けします。今回は、『死が怖くなくなる読書』(現代書林)です。サブタイトルは、「『おそれ』も『かなしみ』も消えていくブックガイド」で、2013年8月に刊行されました。

死が怖くなくなる読書』(現代書林)

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本書の帯

 

本書の表紙カバーには、草原に置かれた本のページが風でめくれている絵が描かれ、帯には「アンデルセンから村上春樹まで・・・」「死生観は究極の教養である!」「『死』があるから『生』がある その真理に気づかせてくれる50冊」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。その歴然とした事実を教えてくれる本、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれる本を集めてみました。本書を最後まで読まれたならば、おだやかな『死ぬ覚悟』を自然に身につけられることと思います。それとともに、あなたが『生きる希望』を持って下さったなら、著者としてこれほど嬉しいことはありません。(はじめに)」と書かれています。さらにカバー前そでには、「読書という行為には、グリーフケア=死別の悲しみを癒す機能がある」と書かれています。

 

これまで数え切れないほど多くの宗教家や哲学者が「死」について考え、芸術家たちは死後の世界を表現してきました。医学や生理学を中心とする科学者たちも「死」の正体をつきとめようとして努力してきました。まさに死こそは、人類最大のミステリーであり、全人類にとって共通の大問題なのです。

 

なぜ、自分の愛する者が突如としてこの世界から消えるのか、そしてこの自分さえ消えなければならないのか。これほど不条理で受け容れがたい話はありません。本書には、その不条理を受け容れて、心のバランスを保つための本がたくさん紹介されています。本書の読了後、そのことをよく理解されると思います。本書では、あなた自身が死ぬことの「おそれ」と、あなたの愛する人が亡くなった「かなしみ」が少しずつ溶けて、最後には消えてゆくような本を選びました。

 

死別の悲しみを癒す行為を「グリーフケア」といいますが、もともと読書という行為そのものにグリーフケアの機能があります。たとえば、わが子を失う悲しみについて、教育思想家の森信三は「地上における最大最深の悲痛事と言ってよいであろう」と述べています。じつは、彼自身も愛する子どもを失った経験があるのですが、その深い悲しみの底から読書によって立ち直ったそうです。

 

本を読めば、この地上には、わが子に先立たれた親がいかに多いかを知ります。また、自分は一人の子どもを亡くしたのであれば、世間には子を失った人が何人もいることも知ります。これまでは自分こそこの世における最大の悲劇の主人公だと考えていても、読書によってそれが誤りであったことを悟るのです。本書では、5つの章に分けて、50冊の本を紹介しています。以下の通りです。

 

第1章 死を想う
メメント・モリ藤原新也 

「死」の博学事典荒俣宏監修 
死にカタログ寄藤文平 
あした死ぬかもよ?』ひすいこたろう 
「死ぬのが怖い」とはどういうことか』前野隆司 
日本人の死のかたち』波平恵美子 
日本人の死生観を読む島薗進 
わたしが死について語るなら山折哲雄 
そうか、もう君はいないのか城山三郎
ぼくがいま、死について思うこと椎名誠 
第2章 死者をみつめる
今日は死ぬのにもってこいの日』ナンシー・ウッド 

先祖の話柳田國男 
災害と妖怪』畑中章宏
恐山』南直哉 
遺品柳原三佳 
遺体石井光太 
納棺夫日記青木新門 
悼む人天童荒太
降霊会の夜浅田次郎 
アミターバ 無量光明玄侑宗久 
第3章 悲しみを癒す
おかあさんのばか』写真:細江英公、詩:古田幸 

人生で大切な五つの仕事』井上ウィマラ 
悲しんでいい』郄木慶子 
悲しむ力』中下大樹
僕の死に方金子哲雄 
伴侶の死平岩弓枝編  
さよならもいわずに』上野謙太郎 
古事記ワンダーランド鎌田東二 
人は死なない』矢作直樹 
天使のまなざし』ジャッキー・ニューカム 
第4章 死を語る
色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年村上春樹 

小暮写眞館宮部みゆき 
人質の朗読会小川洋子 
スウィート・ヒアアフター吉本ばなな 
その日の前に重松清 
白石一文 
ナミヤ雑貨店の奇蹟東野圭吾 
永遠の0(ゼロ)百田尚樹 
ツナグ辻村深月 
盆まねき富安陽子
第5章 生きる力を得る
幸せの遺伝子村上和雄 

ありがとうの花山元加津子 
こころの手足 中村久子自伝』中村久子 
夜と霧』V・E・フランクル 
人魚の姫アンデルセン 
マッチ売りの少女アンデルセン 
青い鳥メーテルリンク 
銀河鉄道の夜宮沢賢治 
星の王子さま』サン=テグジュぺリ 
また会えるから一条真也(あとがきに代えて)

f:id:shins2m:20210906200659j:plain死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)

 

本書を最後まで読まれた方は、おだやかな「死ぬ覚悟」を自然に身につけられることと思います。それとともに、あなたが「生きる希望」を持って下さったなら、著者としてこれほど嬉しいことはありません。本書は、「愛する人を亡くされた親しい方へのプレゼントにも最適」だと広く好評を博しました。なお、巻末の拙著『また会えるから』が長らく品切れ状態なので外し、代わりにロングセラー発売中の拙著『愛する人を亡くした人へ』を加えた本書のアップデート版が、『死を乗り越える読書ガイド』のタイトルで2020年8月に現代書林から刊行されました。

 

2021年9月17日 一条真也

「ムーンライト・シャドウ」 

一条真也です。
東京に来ています。ブログ「スパイラル:ソウ  オールリセット」で紹介したスリラー映画に続いて、日本映画「ムーンライト・シャドウ」をTOHOシネマズ日比谷のレイトショーで観ました。両作品とも北九州では公開されていません。「ムーンライト・シャドウ」は満月の夜が明けるときに愛する死者との再会を果たすというグリーフケアの物語だと知っていたので、どうしても観たい作品でした。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
吉本ばななのベストセラー『キッチン』に収められた短編小説を映画化したラブストーリー。最愛の恋人を亡くした女性が、満月の夜の終わりに起こるという“月影現象”に導かれる。主人公を『恋は雨上がりのように』『糸』などの小松菜奈が演じ、恋人に『his』などの宮沢氷魚がふんする。監督は『アケラットーロヒンギャの祈り』『Malu 夢路』などのエドモンド・ヨウが務める」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「さつき(小松菜奈)と等(宮沢氷魚)は出会って間もなく交際に発展。さつきと等、等の弟の柊(佐藤緋美)とその恋人ゆみこ(中原ナナ)は四人で過ごす時間が増えていくが、等とゆみこが事故で亡くなってしまう。憔悴した二人は不思議な女性・麗(臼田あさ美)との出会いにより生きる気力を取り戻し、満月の夜の終わりに死者と会えるという“月影現象”に惹きつけられていく」


この「ムーンライト・シャドウ」という映画、ネットでの評価が高くありません。というより低いです。たしかにグリーフケア映画ではあるのですが、グリーフケアの別名であるカタルシスを得にくいという複雑な作品になってしまっていました。主人公のさつきが恋人の等と死別して、満月の夜明けに再会するという原作を膨らませて、等の弟の柊(佐藤緋美)とその恋人ゆみこが登場人物に加わるのですが、柊が精神的に病んでいたり、ゆみこには出生のトラウマがあったりと、ちょっとテーマが拡がりすぎた感がありました。また、主演男優の宮沢氷魚には透明感のある美しさがあったのに比べて、主演女優の小松奈々があまり美しく描かれていなかったように思います。アメリカの映画情報サイト「TC Candler」が発表する「世界で最も美しい顔100人」に何度もランクインした彼女なのに、もったいないですね。でも、恋人の死の悲嘆を乗り越えたときに空腹をおぼえて食事をする彼女の表情は生命力に満ちていて、非常に魅力的でした。

 

 

この映画の原作小説である「ムーンライト・シャドウ」は、吉本ばなな氏が1987年3月に日本大学芸術学部文芸学科の卒業制作として書いたもので、ベストセラーとなった『キッチン』に収録されています。日大芸術学部長賞および泉鏡花文学賞を受賞しました。同じ1987年には、日本文学史に残る大ベストセラーが誕生しています。村上春樹氏の『ノルウェィの森』です。同作は「死」がテーマですが、𠮷本氏の処女作である「ムーンライト・シャドウ」も、次に書かれた「キッチン」も、その続編の「満月」も、いずれも、「死」がテーマです。どの作品でも、主人公の身近な人間が死んでゆき、読者は「死」について考えさせられます。当時、わたしは、「死」をテーマにした小説が次々と記録的なベストセラーになった現象を社会の「ハート化」の表われの1つとして見ました。しかし、最も注目すべきことは、これらの作品には「月」がいずれも重要な場面で出てくることでした。

ロマンティック・デス』(国書刊行会

 

80年代後半というバブル絶頂期にこそ、死や月こそが通奏低音であり、それが物質的価値観から精神的価値観(ハート化)への移行を示すものだったような気がしてなりません。1991年に刊行された拙著『ロマンティック・デス』(国書刊行会)には、『ノルウェイの森』や「ムーンライト・シャドウ」について考察しています。両作品とも、満月の光の下で死者の姿が浮かび上がるのですが、満月の夜は幽霊が見えやすいという話をよく聞きます。おそらく、満月の光は天然のホログラフィー現象を起こすのではないでしょうか。つまり、自然界に焼きつけられた残像や、目には見えないけれど存在している霊の姿を浮かび上がらせる力が、満月の光にはあるように思えます。

 

 

南方熊楠といえば、日本の民俗学者、人類学者、植物学者として、特に粘菌の研究家として非常に優れた業績を残した「知の巨人」です。彼は20歳でアメリカへ渡って独学をしながら、生まれながらの天才的な記憶力によって広範な知識を身につけます。帰国後、熊野の那智に入り、そこで粘菌や植物の研究をはじめます。その時の不思議な体験を「履歴書」として原稿用紙にして150枚くらい書いていますが、その内容によると、熊楠は幽霊を何度も見たといいます。そこで、「幽霊が現わるるときは、見るものの身体の位置の如何に関せず、地平に垂直にあらわれ申し候」と書いています。熊楠はこの幽霊によって、ナギランなどの新しい植物種のありかをはじめ、さまざまなことを教えられている。しかし彼の最も重要な発見は、幽霊が現われる時は地平に90度の角度で現われるということでしょう。それに対して、幻は見る者の顔に平行して現われるといいます。このへんに、幽霊のホログラフィー性を強く感じてしまいます。

 

 

また、オカルト研究の分野で有名だったイギリスの作家コリン・ウィルソンの『ミステリーズ』に紹介されているイギリスの民俗学者トム・レスブリッジのエピソードも興味深いです。ある日、レスブリッジは近くの丘に立っていた際に、ふと下方をのぞき込んだところ、少し離れた水車小屋の傍に1人の女性が佇んでいるのに気がつきました。奇妙なことにその女性が身につけていた衣服は40年ほど前の風俗でした。幽霊現象です。普通こういう場合、その女性が過去において、この土地に何らかの因縁を持っていたと考えるもので、ブリッジも当然そう考えました。ところがブリッジが調べたところ、当時、彼が見たような女性はその周辺に住んでいなかったことが判明したのです。

 

不思議に思った彼は、さらにその一帯の調査を進めました。そしてその結果、レスブリッジはこの奇怪な幽霊の正体について次のような考えに至ったのです。かつて誰かが丘の上に立ってその女性を見たことがありました。その時に引き起こされた激しい情緒が水車小屋のある小川の磁場に刻印され、幽霊現象を発生させた、と。さらに彼は、この体験をきっかけとして研究を進め、超常現象が起きる空間には、大地のエネルギーによって特異な場が形成されているという結論を得ました。つまり、レスブリッジの理論によれば、大地のエネルギー流は空間にホログラフィーを発生させる作用を持つことになるのです。この理論が正しいとすると、心霊現象やUFOの目撃がしばしば特定の地点で多発する謎も説明がつきますね。


わたしも、大地のエネルギー流は人間の感情や意識に影響を与えることはもちろん、過去の映像を記憶する作用をも持っていると思います。そして、その過去の映像は月光によって浮かびあがるのです。おそらく、南方熊楠那智山中で幽霊を見たのも、レスブリッジが丘の上で奇妙な女性を見たのも、満月の夜だったのではないでしょうか。満月でなかったとしても、少なくとも月の出ている夜ではあったはずです。「ムーンライト・シャドウ」に登場する“月影現象”とは、満月の夜の終わりに死者と会えるという現象です。その条件として、必ず近くに川が流れている場所ということになっていますが、まさに、ホログラフィー発生のメカニズムによる現象ではないでしょうか。


大ヒットしたデミ・ムーア主演の映画「ゴースト」(1990年)の日本版には「ニューヨークの幻」というサブタイトルがつけられていましたが、主人公の男性の霊は死んでからずっと自分の存在を生き残った恋人に知らせることができませんでした。しかし、霊媒を通じて自分の存在を知らせ、恋人の危機を救った夜、天上からまばゆい光が降り注ぎます。すると、彼の姿が映像化されて幻のように浮かび上がり、彼女と別れのくちづけをするのでした。そして彼はその天上の光の中に帰っていくという非常に感動的なラストシーンで、この映画は終わります。わたしは、その光は満月から来たものであり、彼の姿が浮かび上がった「ニューヨークの幻」とは、月光による天然のホログラフィー現象と同じ種類のものであると思いました。


「ムーンライト・シャドウ」においても、月が非常に重要な役割を果たします。さつきは、巫女のような魔女のような黒衣の謎の女性・麗(臼田あさ美)計らいで、死に別れた恋人の等と再会するべく、川に来ます。夜明け近くの橋の下には、月光が降り注いでいます。そこで、彼女はなつかしい恋人の姿と再会するのでした。麗によれば、100年に1回くらいの割合で、偶然が重なりあってああいうことが起きることがあるそうです。場所も時間も決まっていませんが、川のある場所でしか起こりません。人によっては、まったく見えません。死んだ人の残留した思念と、残されたものの悲しみがうまく反応した時に陽炎のように見えるのだといいます。死者の残留した思念と生者の悲しみがうまく反応するのは、月のせいでしょう。死者の思念に月光が降り注ぐ時、ホログラフィーが発生します。それは、ムーンライト・シャドウという「愛の奇跡」なのです。


アメリカの神経学者カール・プリブラムや、イギリスの物理学者デイヴィッド・ボームは、この世界はホログラフィーのように、映し出された立体像の方にではなく、それを映し出した干渉板のフィルムの中にリアリティは巻き込まれているのではないかとの考えを打ち出しました。そして、その1つ1つの部分は全宇宙を宿していて、一即多、多即一、すなわち部分と全体は互いに他を含みあい、かつ空間にみられる巻き込みのように、時間も過去から未来にかけてのすべてがそこに巻き込まれているのではないかという世界のモデルを提出しています。

唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)

 

このホログラフィー理論は、全宇宙の記憶が刻まれているというアカーシック・レコードにも通じていますし、実在界と現象界という宗教的世界観とも共通しています。この世(現象界)のすべてのものは、あの世(実在界)から投影されている幻影にすぎないという考え方です。だとすれば、わたしたちもまた、ホログラフィーによって浮かび上がったヴィジュアライズされた霊、すなわち幽霊ということになります。わたしたち自身も幽霊なら、いたずらに霊を恐れずに、死者たちといかに理想的な関係を築いていくかを考えなければならりません。拙著『唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)にも書きましたが、死者と生者の間に理想的な関係を築くこと、これこそ、「葬」の最大のテーマではないかと思いました。

 

2021年9月16日 一条真也