「ベル・エポックでもう一度」

一条真也です。
緊急事態宣言下にもかかわらず五輪開催中の東京に来ています。27日の感染者は2848人と過去最多でした。その日、朝から社外監査役を務める互助会保証の監査役会および取締役会、昼から全互連の理事会に出席した後、夕方から日比谷で出版関係の打ち合わせ。夜はシネスイッチ銀座で映画「ベル・エポックでもう一度」を鑑賞。2019年の作品なのですが、幸福の本質について考えさせられるハートフルなヒューマンドラマでした。 


ヤフー映画の「解説」には、「大切な思い出を再現するサービスを通じ、忘れられなかった出来事を再体験した男性をめぐる人間ドラマ。メガホンを取ったのは『恋のときめき乱気流』などに出演してきたニコラ・ブドス。『画家と庭師とカンパーニュ』などのダニエル・オートゥイユが主人公、彼の妻を『星降る夜のリストランテ』などのファニー・アルダンが演じ、『セザンヌと過ごした時間』などのギヨーム・カネ、『ザ・ゲーム ~赤裸々な宴~』などのドリヤ・ティリエらが共演する。フランスのセザール賞脚本賞など3部門を受賞した」と書かれています。

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ヤフー映画の「あらすじ」は、「元売れっ子イラストレーターのヴィクトル(ダニエル・オートゥイユ)は社会の変化になじめず仕事を失い、妻のマリアンヌ(ファニー・アルダン)にも見放されてしまう。そんな彼を励まそうとした息子は、戻りたい過去を映画セットで再現する『タイムトラベルサービス』をプレゼント。希望の日時を申し込んだヴィクトルは思い出のカフェで運命の女性と『再会』し、夢のようなひとときを過ごす。輝かしい日々の再体験に感動した彼はサービスを延長すべく、妻に内緒で唯一の財産である別荘を売り払ってしまう」となっています。


ベル・エポックとは、「よい時代」という意味です。この映画は、主人公が「ベル・エポック」という名の思い出のカフェで最愛の妻との出会いを追体験する物語です。観終わった感想は、「じつにフランスらしい映画らしい作品」ということでした。それは、この映画がフランスを代表する映画賞であるセザール賞を3部門受賞したことからもわかります。まったく新しいビジネスであるタイムトラベルサービスとうものが登場するのですが、冒頭からそのシーンが展開されます。けっこうエグいシーンなのですが、それはリアルなのか演技なのかが判然としません。そのまま30分ぐらいは説明不足もあって理解しづらく、わたしは眠たくなってしまいました。


夫婦喧嘩のシーンは、かなりリアルです。実際に夫婦関係がうまくいっていない観客は身につまされるのではないでしょうか。それぐらい、どこの夫婦にも起こるようなディスコミュニケーションが描かれています。夫のヴィクトルですが、以前は新聞の風刺画描きで稼いでいたのですが、現在はその仕事もなく、妻のマリアンヌから愛想を尽かされます。あろうことか、マリアンヌはヴィクトルの友人と不倫までするのでした。2人には息子が1人いますが、彼はアニメ系のビジネスで成功し、両親の不仲を危惧しています。60代半ばから後半ではないかと思えるマリアンヌと愛人のセックスシーンも出てきますが、フランス人だからまだ観れるものの日本人だとかなり辛いなと思いました。これは別に人種差別ではありませんよ!


結婚して何十年も経てば、当初の愛情も冷めるもの。でも、ヴィクトルは妻への愛が残っていることを感じたのか、高い費用を払って彼女との初めての出会いを再現するタイムトラベルサービスを依頼します。そのタイムトラベルサービスを演出する監督のアントワーヌ(ギョーム・カネ)と主演女優のマルゴ(ドリア・ティリエ)との恋人関係もサイドストーリー的に描かれ、物語に彩りを添えていました。マルゴ役のティリエは長身で非常に魅力的でした。大麻パーティでバラの雨を浴びながら踊るシーンなどは、本当に綺麗でしたね。台詞も端々まで気が利いており、女性を口説くときなどに使えそうな感じでした。流れる音楽もセンスが良かったです。


わたしは、これまで何度も映画というメディアの本質は「時間を超える」ことであり、それゆえに無数のタイムトラベル映画が作られてきたと述べてきました。この映画もタイムトラベル映画です。しかし、それは現実に時間を逆行して過去へ遡ったり、未来へ飛んだりするSF的な時間旅行ではなく、顧客が希望する時代を役者たちが演じるフィクションとしての時間旅行です。この映画は、監督が役者へ細かい指示を出し、できるだけ忠実に当時の状況を再現しようとします。ヴィクトルが「今の大統領は誰だっけ?」「今の大蔵大臣は誰?」などと不意に役者に質問するのですが、バックヤードでは裏方のスタッフが「当時の大統領・大蔵大臣は誰だ?」などとググって無線で役者のイヤホンに連絡したりします。そのあたりにドタバタのスラップスティック・コメディが生まれていくのですが、ちょっと三谷幸喜の映画を観ているみたいな感覚でした。脚本はよく練られており、設定や構成は面白かったです。


こんなオーダーメイドの時間旅行を創造するのは途方もない手間と時間がかかって現実に難しいのではないかと思いますが、基本的に「記憶」や「思い出」をソフトとするメモリアル・サービスであり、わたしの本業である冠婚葬祭業との相性は良いのではないかと感じました。どの時代に返りたいかというのは、もちろん人それぞれでしょうが、わたしだったら1988年に戻りたいと思いました。大学最後の1年間で処女作『ハートフルに遊ぶ』を書いた年で、今もわたしの人生に大きな影響を与えている重要関係人との出会いもあった年です。時代的にもバブルの最盛期で、非常に活気がありました。そう、「ベル・エポック」とは、その人にとって最も輝いていた時代なのです。


人生を輝かせるものは、けっして社会の景気とか自身の経済力だけであはりません。人生を輝かせるものは情熱です。そして、さまざまな情熱の中でも最もエネルギーの大きいものは恋愛感情ではないでしょうか。タイムトラベルサービスで再現されたベル・エポックで、ヴィクトルは若き日の妻を演じた女優のマルゴに恋をします。そこからヴィクトルの「今」が輝き出し、彼の恋愛感情によって放たれた光が、いったんは夫に愛想を尽かした妻の心も動かします。すると、マリアンヌは添い寝する愛人のイビキが嫌になってくるのですが、この場面はブログ「ライトハウス」で紹介したホラー映画を連想しました。前日に観た映画です。人間、愛する相手のイビキなら我慢できるどころか愛しく感じるものですが、そうでない相手のイビキとはストレス発生源としての騒音と化すのです。

 

それにしても、マリアンヌを演じたファニー・アルダンが72歳というのには驚きましたね。かの大岡越前守が、母親に「女はいつまで性欲があるのですか」と訊ねたところ、母親は黙って火鉢の灰をかき回したという話は有名ですが、そんな「女は灰になっても女」を地で行くような女の色気をプンプン放っています。アルダンは映画監督フランソワ・トリュフォーの人生最後の恋人として知られていますが、フランスのアムールはすごいですね。高齢になっても彼女は本当に美しいです。この美しさに比肩するフランス女優としてはカトリーヌ・ドヌーヴ(77歳)なども思い浮かびますが、わたしは、ブログ「男と女 人生最良の日々」で紹介したフランス映画に主演したアヌーク・エーメが最高峰だと思います。「ベル・エポックでもう一度」と同じ2019年に作られたこの映画に出演したときの彼女は、なんと87歳でした! もう、すごすぎるぞ、フランスの女たち!

 

 

ブログ『フランス人は「老い」を愛する』で紹介した本には、「高齢期の性愛をタブー視しない」として、フランスの人たちは死ぬまで恋をしたいと考えていることが紹介されています。外務省に入省して外交官として活躍した著者の賀来弓月緒氏は、老人ホーム内外の多くのフランスの高齢者たちと交流しながら、「生きる喜びを感じるのは、『人を愛し、人に愛されている』ことを実感できるときではないでしょうか。そこに、性愛を含めるのはごく自然なことでしょう。友人同士の友情であれ、夫婦愛であれ、配偶者を失ったあとの恋愛であれ、死ぬまで誰かを愛し、誰かに愛されているという心の充実感があれば、高齢期はもっと幸せなものになるに違いありません。フランスの多くの高齢者たちの『性愛に生きる姿勢』を知って、そんな思いを強くしました」と述べています。

 

男女問わずにフランスの高齢者たちはみんなオシャレですが、人生の最後まで恋をするからこそ、彼らはオシャレなのかもしれませんね。オシャレといえば、世界で最もオシャレなフランス女性たちを作り続けてきた人物の伝記映画「ココ・シャネル 時代と闘った女」の予告編がこの日のシネスイッチ銀座のスクリーンに流れました。8月23日公開ですが、これもぜひ観たいです!

 

2021年7月28日 一条真也

 

「ライトハウス」

一条真也です。
五輪開催中の東京に来ています。26日の東京都の感染者数は1429人で、月曜日として過去最多。曜日ごとの最多記録を2日連続で更新しました。その夜、日比谷で出版関係の打ち合わせをした後、TOHOシネマズシャンテで映画「ライトハウス」を観ました。暗く不気味な物語でしたが、緊急事態宣言下で五輪が開催されているという異様なパラドックス都市で観るのにふさわしい映画でした。


ヤフー映画の「解説」には、「『ムーンライト』『ミッドサマー』などで知られるスタジオ・A24と、『ウィッチ』などのロバート・エガース監督が組んだダークスリラー。19世紀のアメリカ・ニューイングランドの孤島を舞台に、嵐の影響で島に取り残された二人の灯台守の運命をモノクロ映像で描く。絶海の孤島で狂気に陥る男たちを、『永遠の門 ゴッホの見た未来』などのウィレム・デフォーと『グッド・タイム』などのロバート・パティンソンが演じる。第92回アカデミー賞で撮影賞にノミネートされたほか、数多くの映画祭で高い評価を得た」とあります。

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「1890年代、アメリカ・ニューイングランドの孤島に灯台守としてベテランのトーマス・ウェイク(ウィレム・デフォー)と経験のない若者イーフレイム・ウィンズロー(ロバート・パティンソン)がやって来る。彼らは4週間にわたって灯台と島の管理を任されていたが、相性が悪く初日からぶつかり合っていた。険悪な空気が漂う中、嵐がやってきて二人は島から出ることができなくなってしまう。外部から隔絶された状況で過ごすうちに、二人は狂気と幻覚にとらわれていく」


この映画、画面がほぼ正方形で小さいです。今どき珍しい35ミリ白黒フィルム、スタンダードサイズのフォーマットだとか。いつもの習慣で最後列の席で鑑賞したのですが、画面が小さいために描かれている内容がよくわからない場面もありました。でも、モノクロ映像は美しく、どのシーンも写真のようで芸術的でした。ほぼ二人劇というべき作品ですが、実力と人気を兼ね備えた2大スターがダブル主演を務めています。1人は、世界的名優のウィレム・デフォー。もう1人は、最新シリーズの「バットマン」の主演に決定し、ブログ「テネット」で紹介したクリストファー・ノーラン監督のSF大作で人気が爆発したロバート・パティンソンです。デフォーは古典劇風の長台詞を駆使し、パティンソンはどんなに汚い目に遭っても美しさを失わない熱演で、非常に見応えがありました。


怪獣の唸り声のような不気味な霧笛、荒れ狂う嵐などの自然音も素晴らしく、観る者を無意識のレベルで不安に陥れるような効果がありました。そして、さらに観客を恐怖に誘うのが、映像の背景に流れる金切り声のような弦楽器の音です。エガース監督は「古代ギリシャ音楽のような偶然性の音を探していた」「バーナード・ハーマンのような古い映画音楽を思い起こさせる要素を取り込む必要がある」といったこだわりを持っていたそうですが、それをホラー映画音楽の巨匠であるマーク・コーベンが表現しました。「CUBE」(1997年)やエガースの前作である「ウィッチ」(2015年)の音楽も手掛けたコーベンですが、人間の古典的な恐怖をジワジワと炙り出すような不穏な音楽を生み出すことに成功しています。


「ウィッチ」は、わたし好みの映画でした。サンダンス映画祭監督賞のほか、世界各地の映画祭を席巻したファンタジーホラーです。17世紀のアメリカを舞台に、信心深いキリスト教徒の一家が、赤ん坊が行方不明になったことをきっかけに狂気に陥っていくさまを描いています。父親から魔女だと疑われる娘には、「スプリット」などのアニヤ・テイラー=ジョイが扮しています。わたしは魔女映画が好きで、過去の作品はほとんど観ていますが、コロナ禍でとうとう劇場では鑑賞できずDVDで観た「ウィッチサマー」(2020年)があまりもショボいのには失望しましたが、「ウィッチ」は本当に怖い魔女映画でしたね。


 さて、「ライトハウス」には恐ろしいものがいろいろ登場するのですが、それらも確かに怖いけれども、最も怖かったのは逃げ場のない閉鎖空間での人間関係でした。孤島にやって来た“2人の灯台守”たちが外界から遮断されるわけですが、ベテランのトーマス・ウェイク(ウィレム・デフォー)は経験のない若者であるイーフレイム・ウィンズロー(ロバート・パティンソン)に対して上から目線で横柄です。また、所かまわず屁はぶっ放すし、口臭はひどいし、いつも酔っ払っているし、寝るとイビキはすごいし、ルームメイトとしてはかなりストレスのたまる相手です。それでも逃げ場はなく、一緒にいるしかないのです。わたしは、不快指数の高い数々の場面を観ながら、コロナ禍による在宅勤務、学校の休校などで夫や子どもたちがずっと自宅にいる世の奥様方のストレスを想像しました。


ライトハウス」のストーリーは淡々と流れていきます。ベテラン灯台守のウェイクは「夜は俺がやるから、昼の仕事はお前がやれ」と一方的に仕事を割り振り、新入り灯台守のウィンズローは不満ながらも渋々と従い、重労働に明け暮れます。2人は4週間の「お勤め」をやり過ごせば終わりだったのですが、ある出来事から歯車が狂い出します。ウィンズローが1羽のカモメを殺してから、天気が大荒れとなり、迎えの船は島に寄港できなくなります。食料は底を突き、頼みの綱の酒も乏しくなっていきます。ウェイクは、年寄りの上に足が不自由で、力仕事もままなりません。ウィンズローは、1人で石炭を運んだり、水の管理をしたりで、だんだんと神経を蝕まれていくのでした。


ウィンズローがどんどん狂っていく描写には鬼気迫るものがありました。ラストシーンで、ついに彼は灯室(ライトハウス)に入り込みますが、光を見た瞬間、破滅を迎えます。「ライトハウス」には人魚とかラブクラフト風の怪物(ダゴン?)なども登場しますが、『ギリシャ神話』や『旧約聖書』のメタファーに満ちているように思えました。灯台を独り占めするウェイクのパワハラに我慢しながら黙々と働くウィンズローは、神々が課す理不尽な苦難に耐える若者のようです。終盤、ウェイクが海神ポセイドンの姿になる場面もあります。眠るウェイクの尻をウィンズローが覗き見する場面は、睡眠中に息子に犯されたというノアのエピソードを連想させます。最後は、神々から火を盗んだ罪で生きながら肝臓を鷲に食われ続けるプロメテウスのエピソードがそのまま描かれていました。


旧約聖書』のメタファーに満ちた映画としては、ブログ「マザー!」で紹介したダーレン・アロノフスキー監督の2017年にアメリカで公開された超問題作があります。第74回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で上映されるや、その衝撃から賛否が極端に分かれ、日本では劇場公開が中止されてしまいました。ようやくDVDで鑑賞したわたしは、ぶっ飛びました。こんなにも観る者に不安をあおり、かつ不快な感情を与える映画は初めてでした。仰天した後は、「よくぞ、ここまで奇妙な映画を作ったものだ」と感心さえしました。

 

マザー!」の舞台はある郊外の一軒家です。そこには、スランプに陥った詩人の夫と若くて美しい妻が住んでいました。ある夜、家に不審な訪問者が訪れますが、夫はその訪問者を拒むこともせず招き入れます。それをきっかけに、翌日からも次々と謎の訪問者たちが現れ、夫婦の穏やかな生活は一転します。それととともに夫も豹変し始め、招かれざる客たちを拒む素振りを見せず次々と招き入れていきます。そんな夫の行動に妻は不安と恐怖を募らせます。訪問者たちの行動は次第にエスカレートし、常軌を逸した事件が相次ぐ中、彼女は妊娠して、混乱の中で出産します。母親になった彼女と赤ん坊には、想像もつかない出来事が待ち受けていました。


ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教

 

 「マザー!」にはやたらと『聖書』の言葉が多く登場します。なんだか、キリスト教の映画のようにも思えてきます。拙著『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)では、ユダヤ教キリスト教イスラム教の三大宗教を三姉妹に例えましたが、「マザー!」という映画も宗教的な隠喩に満ちています。すなわち、ジェニファー・ローレンス演じるマザー=地球、ハビエル・バルデム演じる詩人=創造主(神)、エド・ハリス演じる訪問者の男=アダム、ミシェル・ファイファー演じる訪問者の妻=イヴ、彼らの2人の息子の兄=カイン、弟=アベル、マザーが産み落とす赤ん坊=イエス=キリスト(救世主)、家に押し寄せる群衆=人類(キリスト教信者)ということになります。人類は愚行を繰り返す存在ですが、それも「マザー!」の群衆が見事に表現してくれています。


さらに、『旧約聖書』の内容に当てはめると、郊外の家=世界(エデンの園)、詩人が大事に書斎に飾るクリスタル=生命の樹、シンクを壊した訪問者達を追い出す=ノアの箱舟(大洪水)、そして、ラストで妻が家を破壊された怒りに地下のオイルタンクに火を点ける=ヨハネの黙示録に於けるハルマゲドンのメタファーでもあるとされています。ということで、「ライトハウス」は「マザー!」以来のメタファー映画であり、考察マニアにはたまらない作品だと言えるかもしれません。まあ、両作品ともに「天下の怪作」であることは間違いないでしょう。

 

2021年7月27日 一条真也

 

五輪開催中の東京へ!

一条真也です。
26日、緊急事態宣言が発出中にもかかわらず五輪開催中という前代未聞のパラドックス都市TOKYOへ向かいました。昨日の東京の感染者数は日曜日としては過去最多の1763人でした。正直、東京には行きたくない!

f:id:shins2m:20210726133500j:plain北九州空港の前で

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北九州空港のようす

f:id:shins2m:20210726105529j:plainメーテルが待っていてくれました

f:id:shins2m:20210726105614j:plainいつも見送りありがとう💛

 

今回は、互助会保証の監査役会・取締役会、全互連の理事会、冠婚葬祭文化振興財団の委員会会議、全互協の正副会長会議・理事会、冠婚葬祭互助会政治連盟役員会、冠婚葬祭文化振興財団の理事会、ポストコロナ研究会の報告会・・・とにかく業界の重要行事や会議が目白押しで、わたしはそれら全てに出席しなければなりません。内心では、「なにも、東京五輪の開催中にやらなくても」と思いますけど。

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機内では黒の不織布マスクを 

 

空港のラウンジで、黒のウレタンマスクから黒の不織布マスクに交換。サンレー流通事業課の梅林課長が探してきてくれた超強力なマスクであります。プロレスの「スーパー・ストロング・マシン」にあやかったわけではありませんが、この「スーパー・ストロング・マスク」で、東京五輪開催によって世界中から流入している可能性が高い変異株への感染を抑えたいものです。そのまま、スターフライヤー80便に乗り込みました。

f:id:shins2m:20210726114422j:plain機内では読書をしました 

 

機内では、いつものように読書をしました。今日は、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』太田省一著(ちくま新書)という本です。東京五輪の開会式の演出は本当にショボかったですが、ビートたけしが「驚きました。金返してほしいですね」「困ったね。あれ、外国に恥ずかしくて行けないよ。おれ」などと酷評していたので、買ったばかりのこの本を読みたくなりました。つねに圧倒的存在であり続けた「お笑いビッグ3」の軌跡を辿りながら、漫才ブームから「第7世代」の台頭まで「お笑い」の変遷を描き切った40年史です。日本の「お笑い」の歴史が俯瞰できて、勉強になりました。著者の太田氏は芸能界に詳しい社会学者で、少し前に『ニッポン男性アイドル史』(青弓社)を読んだのですが、面白かったです。

f:id:shins2m:20210726131908j:plain羽田空港に到着しました

f:id:shins2m:20210726132845j:plainいつものラーメン店に入りました

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今日は塩ラーメンをいただきました!

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さあ、行動開始です!


搭乗した飛行機は順調に飛び、無事に羽田空港に到着しました。ちょうど昼時だったので、空港出口近くのいつものラーメン店に入りました。昨年の第1回目の緊急事態宣言のときはこの店も閉まっていましたが、その後の緊急事態宣言下では営業しているので助かります。今日は、塩ラーメンを食べました。美味しかったです。食後は、日比谷のホテルに向かいました。いつもは赤坂見附の定宿に泊まるのですが、五輪開催中で大規模な交通規制が敷かれているため、今回は全互協や互助会保証がある西新橋まで歩いていけるホテルを選びました。チェックイン後は、出版関係の打ち合わせです。

 

2021年7月26日 一条真也

『無縁社会から有縁社会へ』 

一条真也です。
26日の東京の感染者数は1763人でした。日曜日としては過去最多ですが、そんな東京に27日から出張しなければなりません。本当は、あまり行きたくありません。
60冊目の「一条真也による一条本」は、『無縁社会から有縁社会へ』(水曜社)。佐々木かをり氏・島薗進氏・鎌田東二氏・山田昌弘氏・奥田知志氏との共著で、社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会編。2012年7月30日刊行。


無縁社会から有縁社会へ』(水曜社)

 

本書の表紙には、海辺にたたずむ少女の後ろ姿の写真が使われています。おそらく、津波の後の三陸のおだやかな海なのでしょう。そして、「毎年3万人以上が“孤独死”するこの国を、大震災が襲った。6人の論客が“有縁の未来”を模索する。」とあります。

 

アマゾンの「内容紹介」には次のように書かれています。
「“無縁社会”の中で毎年3万2千人が孤独死する。少子化、非婚、独居・・・・・。近い将来において、孤独死は高齢者だけの問題ではなくなる。血縁や地縁が崩壊しつつある現在、孤独死はあなたの身近に起こりうる緊急の社会問題である。薄れる家族関係、ワーキングプア生活保護など現代日本の問題点に警鐘を鳴らし、人と社会との絆を取り戻すために何が必要かを考える座談会の書籍化」

 

本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「まえがき」杉山雄吉郎
座談会出席者
孤独死」3万人の衝撃
「無縁」と「社会」との断絶
縁をつなぐ社会に
「おわりに」北村芳明

 

ブログ「無縁社会シンポジウム」で紹介した2012年1月18日に横浜の「ソシア21」で開催された座談会は、各方面から大きな反響を呼びました。(社)全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の主催で、「無縁社会を乗り越えて〜人と人の“絆”を再構築するために」という新春座談会でした。ブログ「無縁社会シンポジウム報道」のように、各種メディアでも報道されました。

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今から振り返っても、「無縁社会の克服」のための画期的な座談会でした。
司会には佐々木かをり氏をお招きしました。出演者は、島薗進氏(宗教学者東京大学大学院人文社会系研究科教授)、鎌田東二氏(宗教哲学者、京都大学こころの未来研究センター教授)、山田昌弘氏(社会学者、中央大学教授、内閣府男女共同参画会議間議員)、奥田知志氏(牧師、ホームレス支援全国ネットワーク理事長)、一条真也(作家・経営者・北陸大学客員教授)。わたしも、冠婚葬祭互助会業界を代表して座談会に参加しました。互助会の社会的役割が根本から問われている今、自分なりの考えを述べました。


出演者は新郎新婦用の階段を下りて登場!

200名以上の参加者が集まりました

司会を務めた佐々木かをり

 

会場は超満員の200以上の方々が集まりました。マスコミ関係も多く取材に来ていました。無縁死の問題は、今後ますます深刻化する社会問題と捉えられており、冠婚葬祭互助会業界においても重要な課題となってきています。この座談会では、無縁死問題をどのようにして克服していくか、また冠婚葬祭互助会業界としてどのように関わり、対応していけばよいのか、といった点についてディスカッションを行いました。冒頭に、出演者がそれぞれ自己プレゼンを行いました。


奥田知志氏のプレゼン

 

隣人愛の実践者」こと奥田知志氏は、最初に「北九州でホームレス支援が始まって23年となる」と語り、「無縁社会」がテレビ等で問題とされる以前から路上は無縁の世界であったと述べました。続けて、奥田氏は次のように発言しました。野宿者支援において、最も大切なことは「見立て」であった。自分たちは活動開始以来、野宿者の困窮の中身を「ハウスレス」と「ホームレス」という二つの視点で捉えてきた。「ハウスレス」は「住居」に象徴される物理的困窮を意味し、「ホームレス」は家族等に象徴される関係的困窮を意味する。多くの場合、困窮を「失業と住宅喪失」つまり「ハウスレス」に限定し、「ホーム」を重要視してこなかったように思う。国のホームレス施策も同様だった。そのような観点に立つ支援活動は、ハウスレスに対して「彼らには何が必要か」を模索した。家、衣服、食物、保証人・・・・。だが同時に「彼らには誰が必要か」という問いはより重要だった。路上において「畳の上で死にたい」という声を聞く。その声に応えアパート入居を支援する。これで安心と思いきや「俺の最期は誰が看取ってくれるだろうか」という新たな問いが生まれる。それは実に自然な「人間的問い」と言ってよい。そこに必要とされていたのは、他ならぬ「誰」、すなわち人の存在であった。そして、最後に奥田氏は「路上で亡くなった人の8割は無縁仏であり、遺骨が家族に引き取られることは少なかった。しかし、今日無縁死32000人という現実は、この社会自体がホームレス化へと向かっていることを示している。このことに向けた対応を私達は、どのようにとるべきであるか。困窮かつ孤立という時代の十字架を背負う人々の現実は、ももはや日常の風景になりつつある」と語りました。


鎌田東二氏のプレゼン

 

続いて、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二氏は、「修験道の開祖とされる役(エン)の行者に倣ってわたしは20年以上前から『現代のエンの行者』を名乗り始めました。『現代のエンの行者』の『エン』の字には、『役』でも『円』でもなく、『縁』を宛てます。つまり、現代の法力・験力・霊力とは、空を飛んだり、病気を治したりする呪術的な力よりも、個々が持てる力をさらに大きくつなぎ結び相乗させていく『縁結び力』、すなわち『むすびのちから』であるというのがわたしの考えです」と語りました。そして、「無縁」にも消極的無縁と新しい縁の構築=新縁結びにつながる創造的・積極的無縁があると指摘しながらも、そのような「自由」と「新縁結び」に連動するような「無縁」の一面もしっかりと見通しつつ、現代の「無縁社会」を捉え直し、これからの社会構想を考えなければならないと訴えました。最後に、これまでの悪しき縁やしがらみから「自由」になって新しい社会づくりを志す人びとは最初「悪党」視されるが、そのような「悪党」こそが新しい時代の「世直し」の担い手にもなり得るという「無縁社会論」のパラドクシカルな全体構造を見据えつつ、「絆」や「つながり」や「有縁」のありようを構想したいと述べました。


島薗進氏のプレゼン

 

次に、日本を代表する宗教学者である島薗進氏は、最初に「グローバルな資本主義と市場経済至上主義的な考え方の広がりによって、日本社会の構造も大きく変化してきている。1970年代あたりを転機として、地域社会とを盤とした仲間的な絆が後退していき、核家族が孤立し、また単身者も増大していった。かつては、そうした小さな生活単位を包摂する機能を果たしていた、親族ネットワークや会社、宗教団体などの集団も次第に仲間集団としては弱体化し、限定された機能しか果たさないものに転換していった」と発言しました。また、「こうした傾向が象徴的に現れたのは1995年で、阪神・淡路大震災では高齢者の被災が目立ち、オウム真理教事件では、家族の絆を断ち切り閉鎖集団に属することが進められた。また、この年、アダルト・チルドレンの運動が日本に導入されたが、これも家族の絆に頼らずに、匿名で接しあう『魂の家族』に期待をかえようとするものだった。他方、阪神淡路大震災では、若者のボランティア活動が目立った。所属集団から受けた絆をそのまま維持拡充しようとする従来の縁のあり方に対し、自発的な活動を通してその時その場の縁を作り、そうした活動から生まれてくる開かれたネットワークに期待をかけようとするものだった」と説明しました。そして、最後に「人心はある程度、冷たい格差社会無縁社会化をあらためたいという方向に向かってきている。東日本大震災はこうした傾向に勢いをつける作用を及ぼした。東北地方では伝統的な宗教や行事が人々の絆と結びついて、なお大きな役割を果たしてきており、その働きの重要性が再認識されている」と述べました。


山田昌弘氏のプレゼン

 

パラサイト・シングル」「格差社会」「婚活」という言葉の産みの親として有名な社会学者の山田昌弘氏は、3つの視点から語りました。1つめの視点は「アイデンティティ」で、自分が「大切にされ、必要にされている」と感じていること、人間が幸福に生きるためにはこの感覚が必要であると述べました。2つめの視点は「日本におけるアイデンティティの歴史的変遷」です。戦前においては共同体が重要で、生まれた時から知っているムラの人たちと一緒に育ち、一緒に死んでいきました。戦後から1990年代頃にかけては企業と核家族が重要で、企業(男性)と核家族(配偶者と子)が自分を大切にしてくれ、必要としてくれました。1990年代以降は、職場の変化、就職難、非正規雇用の増大、リストラといった原因によって、企業からはじかれ仕事でアイデンティティを得られない人の増大しました。また、家族の変化、未婚率および離婚率が上昇して、自分を必要とし大切にしてくれる存在をもてない人々の増大しました。3つめの視点が「無縁社会」です。「無縁社会」とは、自分を大切にし必要とされる存在がいない人が増える社会であり、自分を大切にし必要とされる存在を失う可能性が増大する社会であると述べました。


隣人愛の実践者」と「バク転神道ソングライター

島薗進先生、山田昌弘先生とともに

わたしも、「有縁社会のつくり方」をプレゼンしました

 

最後に、わたしは以下のような話をしました。
2010年より叫ばれてきた「無縁社会」の到来をはじめ、現代の日本社会はさまざまな難問に直面しています。その中で冠婚葬祭互助会の持つ社会的使命は大きいと言えます。じつは、「無縁社会」の到来には、互助会そのものが影響を与えた可能性があるように思います。互助会は、敗戦で今日食べる米にも困るような環境から生まれてきました。そして、わが子の結婚式や老親の葬儀を安い価格で出すことができるという「安心」を提供するといった高い志が互助会にはありました。しかし、おそらく互助会は便利すぎたのかもしれません。結婚式にしろ葬儀にしろ、昔は親族や町内の人々にとって大変な仕事でした。みんなで協力し合わなければ、とても冠婚葬祭というものは手に負えなかったのです。それが安い掛け金で互助会に入ってさえいれば、後は何もしなくても大丈夫という時代になりました。そのことが結果として血縁や地縁の希薄化を招いてきた可能性はあります。もし、そうだとしたら、互助会には大きな責任があるということになります。もちろん、互助会の存在は社会的に大きな意義があることは事実です。戦後に互助会が成立したのは、人々がそれを求めたという時代的・社会的背景がありました。もし互助会が成立していなければ、今よりもさらに一層「血縁や地縁の希薄化」は深刻だったのかもしれません。つまり、敗戦から高度経済成長にかけての価値観の混乱や、都市部への人口移動、共同体の衰退等の中で、何とか人々を共同体として結び付けつつ、それを近代的事業として確立する必要から、冠婚葬祭互助会は誕生したのです。


冠婚葬祭互助会の社会的使命について訴えました

 

互助会がなかったら、日本人はもっと早い時期から、「葬式は、要らない」などと言い出した可能性は大いにあります。ある意味で、互助会は日本社会の無縁化を必死で食い止めてきたのかもしれません。しかし、それが半世紀以上を経て一種の制度疲労を迎えた可能性があると思います。制度疲労を迎えたのなら、ここで新しい制度を再創造しなければなりません。すなわち、今までのような冠婚葬祭の役務提供に加えて、互助会は「隣人祭り」の開催によって、社会的意義のある新たな価値を創るべきであると考えます。東日本大震災以後、多くの日本人が「支え合い」「助け合い」の精神に目覚めた今こそ、相互扶助の社会的装置である互助会のイノベーションを図る必要があります。私は、有縁社会、そして互助社会を呼び込むことが、互助会の使命であると考えます。「孤独死防止ディスカッション」あるは婚活イベント「ベストパートナーに会いたい」などの最近の全互協の一連の取り組みは、まさに無縁社会を乗り越える試みでしょう。


白熱の議論が交わされました

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週刊ポスト」2012年3月23日号

 

佐々木氏の司会進行が素晴らしかったせいもあって、活発な意見が交換され、パネルディスカッションは盛況のうちに幕を閉じました。会場のみなさんも熱心に聴いて下さり、必死でメモを取っている方も多くいました。「週刊ポスト」をはじめ、メディアの取材もたくさん受けました。


「まえがき」を書かれた全互協の杉山会長と

「おわりに」を書かれた全互協の北村副会長と

 

本書の「まえがき」は全互協の杉山会長(当時)が、「おわりに」は北村副会長(当時)が、当日の挨拶をもとに書かれています。杉山会長は静岡の冠婚葬祭王、北村副会長は新潟の冠婚葬祭王でもあります。本書は、全互協としては初の一般用書籍でした。いま読み返しても真摯な問題提起に富んでいる内容であると思います。本書の出版がきっかけとなって、多くの方々が無縁社会を乗り越え、新しい「絆」を作ることについて少しでも考えていただけたとしたら、まことに嬉しい限りです。

 

 

 

2021年7月26日 一条真也

精神集約型産業

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一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「精神集約型産業」という言葉を取り上げることにします。

 

 

いち早く社会の「知識化」を唱えた人こそ、経営学ピーター・ドラッカーでした。ドラッカーは、「すべての産業は知識化する」と予言しました。そして、ドラッカーが多くの著書で一貫して唱えてきたのが「知識社会」の到来でした。7000年前、人類は技能を発見しました。その後、技能が道具を生み、才能のない普通の者に優れた仕事をさせ、世代を超えていく進歩を可能にしました。技能が労働の分業をもたらし、経済的な成果を可能にしたのです。紀元前2000年には、地中海東部の灌漑文明が、社会、政治、経済のための機関と、職業と、つい200年前までそのまま使い続けることになった道具のほとんどを生み出しました。まさに技能の発見が文明をつくり出したのです。そして今日、再び人類は大きな発展を遂げました。仕事に知識を使いはじめたのです。ドラッカーは、「仕事の基盤が知識に移った」と述べています。

 

 

ここで言う「知識」とは、仕事の基になる専門知識のことです。専門知識の上に成り立つ職業といえば、医師や弁護士や公認会計士やコンピュータ・プログラマーなどがすぐ思い浮かびますが、じつは冠婚葬祭業なども知識産業であると、わたしは思っています。例えば、「葬祭ディレクター」という資格制度があります。これは、葬祭業界に働く人にとって必要な知識や技能のレベルを審査し、認定する制度です。葬祭業界に働く人々の、より一層の知識・技能の向上を図ることと併せて、社会的地位の向上を図ることを目的とします。葬祭ディレクター技能審査は、平成8年3月に厚生労働省(当時、労働省)の認定を受けた制度です。 試験は、葬祭ディレクター技能審査協会(平成7年設立)が実施し、葬祭ディレクター(1級、2級)の認定については葬祭ディレクター技能審査協会が行っています。

 

この試験用に使う『葬儀概論』という電話帳のように分厚いテキストを見ると、たいていの人は非常に驚きます。想像以上に内容が高度で、かつ範囲が広いのです。仏教の各宗派の教義・作法はもちろん、宗教全般、儀礼全般に医療、法律、税務といった分野まで含まれています。「これはもう大変な知識産業ですね」と言われます。その1級ディレクターの人数および合格率が、わが社は日本でもトップクラスということで、非常に誇りに思っています。冠婚葬祭業界には、「ブライダル・プロデューサー」という資格もあります。さらには、料理、衣装、写真、司会・・・と当社のあらゆる仕事は高度な専門知識に基づく知識産業であると認識しています。そして、プロフェッショナルとしての専門知識を備えた知識労働者たちが、価値の創造としてのイノベーションを呼び込むのだと思っています。 

 

 

ドラッカーも『創造する経営者』の中で、「知識労働者は、すべて起業家として行動しなければならない。知識が中心の資源となった今日においては、トップマネジメントだけで成功をもたらすことはできない」(上田惇生訳)と述べています。ただし、ドラッカーのいう「知識労働者」の中にサービス業従事者は含まれていません。彼は、ともに継続学習が必要であるとしながらも「知識労働者」と「サービス労働者」を区別しています。『ポスト資本主義社会』で次のように述べています。
知識労働者とサービス労働者の生産性向上には、継続学習を組み込むことが必要である。知識は、その絶えざる変化のゆえに、知識労働者に対し継続学習を要求する。サービス労働者に対しても、継続的な自己改善努力としての継続学習を要求する。」(上田惇生訳)

 

しかし、わたしはドラッカーを心の底からリスペクトしながらも、サービス労働者を知識労働者の仲間入れさせることに挑戦してきました。これからも、アマチュアであるお客様のはるか先を行くプロフェショナルとしての高い専門知識を身につけるべく、わが社は学習する組織「ラーニング・オーガニゼーション」をめざしたいと思っています。実際、冠婚葬祭業は典型的な労働集約型産業と見られていましたが、わたしはサンレーの知識集約型産業への転換を企みました。まず、サービス業としてはきわめて珍しく、かつ取得が困難をきわめた「ISO9001」に挑戦し、1999年3月に取得することができました。また、「1級葬祭ディレクター試験」の合格者数が2005年10月に全国トップとなりました。

 

労働集約型産業から知識集約型産業への転換を果たしたわけですが、サンレーはホスピタリティ・サービス業であり、単に知識だけを集約していればいいという業種ではありません。「頭でっかち」では意味がなく、あくまでもお客様に高品質のサービスを提供しなければならないのです。ということで、さらには「思いやり」「感謝」「感動」「癒し」といったポジティブな心の働きが集約された精神集約型産業への進化をめざしています。精神集約型産業は、「人が人を相手に働く社会」と米国の未来学者ダニエル・ベルが喝破した「脱工業化社会」における花形産業となるものであり、人を幸福にするハートビジネスそのものです。新時代のハートフル・エッセンシャルワークとしての「グリーフケア士」の資格認定制度が今年6月から開始されましたが、取得者数で日本一を目指します。

 

2021年7月25日 一条真也拝 

死を乗り越えるラ・ロシュフーコーの言葉

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一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、ラ・ロシュフーコー(1613年~1680年)の言葉です。ラ・ロシュフーコーは、フランスの貴族、モラリスト文学者。名門貴族の生まれであり、多くの戦いに参加した後、いわゆる『箴言集』を執筆しました。

 

 

ラ・ロシュフーコーは、40代半ばであった1659年頃から主著『考察あるいは教訓的格言・箴言』の執筆を始めたとされています。同書は単に『箴言集』とも呼ばれますが、そこには辛辣な人間観察が背景にあります。これは、カトリック教会の聖職者にしてフランス王国の政治家であったリシュリューと対立して受けた二年間の謹慎処分、あるいは「フロンドの乱」でマザランと対立したことなどで味わった苦難などが反映されていると見られています。

 

 

そのラ・ロシュフーコーの『箴言集』の中で、わたしがこれまで多くの著書で紹介してきた言葉があります。それがこの「太陽と死は直視できない」です。これほど、わたしの想像力を刺激した言葉はありません。たしかに、太陽と死は直接見ることができません。でも、間接的になら見ることはできます。太陽はサングラスをかければ見ることはできます。そして、死にもサングラスのような存在があるのです。おわかりですか。それは「愛」です。愛は死を見るためのサングラスとなるのです。なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。ご一読下されば、幸いです。

 

 

2021年7月25日 一条真也

不敬といふ事

一条真也です。
23日の夜、東京オリンピックの開会式が国立競技場で行われましたが、その内容は感動の伴わないお粗末なものでした。とにかく演出のレベルが低く、ユダヤ人問題がなくても中止にした方が良かったとさえ思いました。しかし、それよりももっとわたしが怒髪天を衝く思いをした出来事がありました。その怒りのせいで昨夜はあまり眠れず睡眠不足ですが、24日の朝一番で「FLASH」が配信した記事の内容がわたしの心中を代弁してくれました。

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ヤフーニュースより 

 

天皇陛下の開会宣言に着席したまま・・・菅首相に『不敬にも程がある』と非難の声」という記事なのですが、「『私は、ここに、第32回近代オリンピアードを記念する、東京大会の開会を宣言します』7月23日におこなわれた東京五輪の開会式。206に及ぶ国と地域の選手団が入場。組織委員会橋本聖子会長(56)やIOCのバッハ会長(67)がスピーチした後、冒頭のように開会を宣言されたのは天皇陛下だった」と書かれています。

f:id:shins2m:20210723231348j:plain開会宣言される天皇陛下 (NHKより)

 

また、記事には、「『天皇陛下が開会を宣言される様子は、しっかりと中継で放送されました。しかし、その際に隣で座っていた菅義偉首相(72)と小池百合子都知事(69)のふるまいに、批判が集まっているのです』(スポーツ紙記者)実は菅首相小池都知事天皇陛下の開会宣言が始まっても着席したままだったのだ。その後、小池都知事菅首相に目配せすると、いそいそと立ち上がった2人。このことにネットで厳しい声が上がっている」とも書かれています。その通りだと思います。

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座ったままの菅首相小池都知事(NHKより)

 

さらに、記事には以下のように書かれています。
「《陛下が話し始めてから起立する小池氏と菅総理不敬にも程がある》《天皇陛下が席をお立ちになったらすぐ立つべき。恥ずべき映像を世界に流してしまった》《陛下の開会宣言のVTRが流れるたびに、菅が座ってたところも映るのか・・・・・・あまりに不敬》6月25日、宮内庁の西村泰彦長官(65)が天皇陛下のご懸念について『オリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないかご懸念されている、ご心配であると拝察をいたします』と語り、波紋を呼んでいた。だが当時、菅首相はそんな異例の『拝察』発言にも『長官ご本人の見解を述べたと理解している』と語るのみだった。はたして天皇陛下の開会宣言は、菅首相に届いていたのだろうか――」

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予定時間を大幅超過したバッハ会長の挨拶(NHKより)

 

わたしは自宅のテレビで開会式の生中継を開始から終了までしっかり見ましたので、この天皇陛下の開会宣言の場面の出来事はすぐに気づきました。開会宣言の直前のバッハ会長の挨拶がとにかく長いのには度肝を抜かれました(大会組織委員会橋本聖子会長とバッハ会長の挨拶は併せて9分の予定でしたが、なんと20分になったそうです。しかも、バッハ会長は13分の独演会であり、あまりの話の長さに着かれて座り込んだり、寝転がる各国選手も続出)。つねづね、わたしは「挨拶が長いのは愚か者の証」だと考えているのですが、それを見事に証明してくれました。直後の天皇陛下の開会宣言が非常に短かかったので、それが見事なコントラストとなって、バッハ会長の非常識さが世界中にくっきりと示されました。

f:id:shins2m:20210724202649j:plain慌てて立つ菅首相(NHKより) 

 

天皇陛下が起立して開会宣言を始められたのに菅首相小池都知事が座ったままなのはテレビにもしっかり映し出されましたが、最初は信じられませんでした。次に、きっと二人はあまりにもバッハ会長の挨拶が長いので寝落ちし、起きたばかりでボーッとしているのではないかと推察しました。なにしろ、二人とも高齢ですから、夜とはいえ真夏の屋外競技場に長時間いること自体が辛いでしょう。しかし、録画した映像を何度も観直すと、寝起き直後といった感じではありませんでした。いずれにせよ、こういうシーンが全世界に流れてしまったことは菅首相としては痛恨の極みだと思います。この映像は永久に残りますから。


1964年の東京五輪の開会式では、観客含めて全員起立しているところへ天皇皇后両陛下が歩いて席に降りてこられたことが映像で確認できます。カメラは真実を写します。わたしは、東京五輪の強行開催に関連して言われることの多い「スポーツの力」などではなく、「映像の力」というものを感じました。いずれにせよ、 こういう陛下に対して無礼きわまりない段取りになったのは、開会式のプログラムを考えた者にも重大な責任があります。きちんとした儀式の専門家に相談せず、サブカルの差別集団などを頼るからこんなことになるのです。



まあ、普段から皇室に敬意を払っていないと急に行動に移すのは難しいでしょう。思うのですが、自民党から誕生した総理大臣はこれまで皇室への敬意を忘れていませんでしたが、どうも安倍首相のときからそれが薄れたように思えてなりません。わたしは、「東日本大震災追悼祈念式典」や例の「桜を見る会」にも参加しましたが、安倍首相のふるまいはまるで天皇のようでした。そもそも、「桜を見る会」などは、完全に天皇陛下園遊会を模した「園遊会ごっこ」だと感じました。そこにあるのは「天皇より自分の方が上だ」という不遜にして傲慢な意識であり、それは後任の菅首相にも受け継がれたのではないでしょうか。

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天皇陛下エスコートするバッハ会長(NHKより)

菅首相とともに「不敬」を問われた小池都知事も、今後いくら国政に復帰しようとも、日本初の女性宰相の目は完全になくなったと思います。そして、菅首相小池都知事以上に不敬が目立ったのはバッハ会長です。開会式の「天皇陛下臨席」の際に、バッハ会長が陛下をエスコートするという変な進行だったのですが、エスコート役のバッハ会長は天皇陛下と並び、なんとテレビカメラに向かって手を振り始めたのです。これには温厚なわたしも、「ふざけるな!」と思いました。お前は、マッカーサーか!?(怒)そもそも、各国の国王や国家元首、あるいは国連のトップならいざ知らず、IOCごときチンピラ組織の会長が天皇陛下と並ぶなど図々しいにも程がある!(怒)

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自分だけ手を振るバッハ会長(NHKより
 

まあ、「日本人」を「中国人」と言い間違えたり、平気で一泊300万円の部屋に宿泊したり、自分の持ち時間の倍以上の自己陶酔スピーチをするような男ですから、天皇陛下と並んだときに自分だけ手を振ることぐらいは当たり前なのでしょう。日本国民の象徴たる天皇陛下も甘く見られたものです。ブログ「書斎のアップデート」で紹介したように、わが書斎の目につく場所には『三島由紀夫全集』が鎮座していますが、「人間天皇」というものを深く嘆いていた三島がいま生きていいたら、トーマス・バッハを絶対に許さなかったと思います。



それにしても、最高位のスポンサー企業の社長も、経団連経済同友会日本商工会議所経済三団体のトップも、あろうことか東京五輪招致時の首相にして1年延期を決定した当事者である安倍前首相でさえ参加を見合わせるという開会式に、コロナ禍に苦しむ国民に心を寄せながら忸怩たる思いで臨席された天皇陛下の心中を拝察すると、わたしは深い悲しみと強い怒りを感じました。しかも、陛下はワクチンを1回して接種しておられないのです。

 

一方で、陛下が「祝い」という言葉を「記念」に言い換えられたことには安心いたしました。やはり、新型コロナウイルスの感染によって亡くなられた多くの方々、今も闘病しておられる方々、そして医療の現場で必死に闘っている医療従事者の方々、さらには東京五輪ありきの緊急事態宣言によって苦境にある飲食店関係者などの心中を思えば、「祝い」という言葉はふさわしくないからです。

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地獄の釜の蓋が開く?(NHKより)

 

しかし、なにしろ今回の五輪は「呪われた東京五輪」です。閉会式が終わるまでは何が起こるかまったく予想がつきません。ここまでトラブルが続き、開会式の前日になって超弩級の大問題が発生した東京五輪のこれまでの流れを思い起こすにつれ、人智を超えた神や仏、そして天というサムシング・グレートの存在を感じずにはいられません。「不敬」とは単なるマナーの問題ではなく、天すなわち自然の摂理に反する行為を指すのではないでしょうか。天に反する行いをする者には、必ずや天罰が下るでしょう。

 

2021年7月24日 一条真也