一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「孝」です。

 

 

わたしは、孔子ドラッカーの2人をこよなくリスペクトしています。不惑の年である40歳の誕生日を迎えるに当たり、「不惑」という語が由来する『論語』を40回読み直し、以後も誕生日を迎えるたびに読んでいます。ドラッカーの多くの著書には社長になってから触れたのですが、そのすべてを精読し、ドラッカーの遺作である『ネクスト・ソサエテイ』に至ってはアンサーブックまで上梓しました。『ハートフル・ソサエティ』(三五館)です。

 

 

仁義礼智忠信孝悌をはじめとする徳目を発見した孔子という人間通、「目標管理」「選択と集中」「コア・コンピタンス」などマネジメントにおける多くの概念を発明したドラッカーという経営通、ともに人類史に残るスーパー・コンセプターであり、わたしは自分なりの解釈で彼らの残してくれたコンセプトを会社経営に活かしているつもりです。孔子ドラッカーには「知」の重視、「人間尊重」の精神など、共通点がいくつもありますが、わたしが最も注目しているのは両者の「死」のとらえ方です。正確には「不死」のとらえ方と言った方がいいかもしれません。

 

 

孔子が開いた儒教における「孝」は、「生命の連続」という観念を生み出しました。日本における儒教研究の第一人者である大阪大学名誉教授の加地伸行氏の名著『儒教とは何か』(中公新書)、『沈黙の宗教 儒教』(ちくまライブラリー)などによれば、祖先祭祀とは、祖先の存在を確認することであり、祖先があるということは、祖先から自分に至るまで確実に生命が続いてきたということになります。また、自分という個体は死によってやむをえず消滅するけれども、もし子孫があれば、自分の生命は存続していくことになります。わたしたちは個体ではなく1つの生命として、過去も現在も未来も、一緒に生きるわけです。つまり、人は死ななくなるわけです!

 

 

加地氏によれば、「遺体」という言葉の元来の意味は、死んだ体ではなくて、文字通り「遺した体」であるといいます。つまり本当の遺体とは、自分がこの世に遺していった身体、すなわち子なのです。親から子へ、先祖から子孫へ・・・・・・孝というコンセプトは、DNAにも通じる壮大な生命の連続ということなのです。孔子はこのことに気づいていたのですが、2500年後の日本人である加地伸行氏が「孝」の神髄を再発見したわけです。

 

 

一方、ドラッカーには『会社という概念』(『企業とは何か』の題名で新訳が出ました)という初期の名著がありますが、まさにこの「会社」という概念も「生命の連続」に通じます。世界中のエクセレント・カンパニー、ビジョナリー・カンパニー、そしてミッショナリー・カンパニーというものには、いずれも創業者の精神が生きています。エディソンや豊田佐吉やマリオットやデイズニーやウォルマートの身体はこの世から消滅しても、志や経営理念という彼らの心は会社の中に綿々と生き続けているのです。

 

 

重要なことは、会社とは血液で継承するものではないということです。思想で継承すべきものです。創業者の精神や考え方をよく学んで理解すれば、血のつながりなどなくても後継者になりうる。むしろ創業者の思想を身にしみて理解し、指導者としての能力を持った人間が後継となったとき、その会社も関係者も最も良い状況を迎えられるのでしょう。逆に言えば、超一流企業とは創業者の思想をいまも培養して保存に成功しているからこそ、繁栄し続け、名声を得ているのではないでしょうか。

 

 

孝も会社も、人間が本当の意味で死なないために、その心を残す器として発明されたものではなかったかと、わたしは考えています。ここで孔子ドラッカーはくっきりと1本の糸でつながってきますが、陽明学者の安岡正篤もこれに気づいていました。安岡はドラッカーの“The age of discontinuity”という書物が『断絶の時代』のタイトルで翻訳出版されたとき、「断絶」という訳語はおかしい、本当は「疎隔」と訳すべきであるけれども、強調すれば「断絶」と言っても仕方ないような現代であると述べています。そして安岡は、その疎隔・断絶とは正反対の連続・統一を表わす文字こそ「孝」であると明言しているのです。老、すなわち先輩・長者と、子、すなわち後進の若い者とが断絶することなく、連続して1つに結ぶのです。そこから孝という字ができ上がりました。そうして先輩・長者の一番代表的なものは親ですから、親子の連続・統一を表わすことに主として用いられるようになったのです。

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安岡正篤は言います。人間が親子・老少、先輩・後輩の連続・統一を失って疎隔・断絶すると、どうなるか。個人の繁栄はもちろんのこと、国家や民族の進歩・発展もなくなってしまう。革命のようなものでも、その成功と失敗は一にここにかかっている。わが国の明治維新は人類の革命史における大成功例とされている。それはロシアや中国での革命と比較するとよくわかるが、その明治維新はなぜ成功したのだろうか。その理由の第1は、先輩・長者と青年・子弟とがあらゆる面で密接に結びついたということ。人間的にも、思想・学問・教養という点においても、堅く結ばれている。徳川三百年の間に、儒教・仏教・神道国学とさまざまな学問が盛んに行われ、またそれに伴う人物がそれぞれ鍛え合っていたところに、西洋の科学文明、学問、技術が入ってきたために、両者がうまく結びついて、あのような偉大な革命が成立した。そのように安岡正篤は述べています。

 

 

これこそ孝の真髄であり、すべてのマネジメントに通用するものです。疎隔・断絶ばかりで連続・統一のない会社や組織に、イノベーションの成功などありえません。なお、「孝」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

2021年7月21日 一条真也

『結魂の真実』

一条真也です。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきました。わたしのブックレットは一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。いつの間にか44冊になっていました。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。整理の意味をかねて、これまでのブックレットを振り返っていきたいと思います。 


『結魂の真実』(2007年4月刊行)

 

今回は、『結魂の真実〜人間球体説からソウルメイトまで』をご紹介します。「なぜ人は結婚するのか」「結婚の本質とは何か」について述べています。2007年4月に刊行したブックレットですが、目次は以下の通りです。
●教会であげる結婚式
キリスト教式の流れ
●スピリチュアルの巨人 
    スウェデンボルグ

ギリシャの哲人のごとく
●スウェデンボルグの「結婚愛」
●真の夫婦愛から天使が生まれる
プラトニック・ラブとは何か
●人間球体説
アンドロギュヌスの神話
●天国における夫婦
●魂の伴侶(ソウルメイト)


「なぜ人は結婚するのか」を追求しました

 

内容は、拙著『結魂論~なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)で紹介したプラトンの「愛は完全になりたいという願いである」、スウェデンボルグの「夫婦は一人の天使である」などの考え方を中心に、「プラトニック・ラブ」、「アンドロギュヌス」などについて説明しています。

 

 

また、「ソウルメイト」という存在についても紹介しています。アメリカの精神科医であるブライアン・L・ワイスは、退行催眠によって心に傷を受けた前世の記憶を思い出すと、さまざまな病気が癒されるという「前世療法」を開発しました。ワイスは、前世の記憶をもつ患者と接するうちに、誰にでも生まれ変わるたびにめぐり会う「ソウルメイト」がいることを知ります。ソウルメイトとは、愛によって永遠に結ばれている人たち、つまり「魂の伴侶」のことです。彼らはいくつもの人生で何回もの得あいを繰り返しているとされています。

 

 

ワイスによれば、どのようにして自分のソウルメイトを見つけ、それを認識するのか、いつ、自分の人生を根本から変えてしまう決定をするのか、ということは、わたしたちの人生において最も感動的で、重要な瞬間です。ソウルメイトである2人が互いに気づいたとき、計り知れないほどのエネルギーによって、二人の情熱はどんな火山よりも激しく噴出します。あなたのソウルメイトが現れていることに、顔の表情や夢、記憶、感覚などで気づくこともあります。手が触れ合ったとき、くちびるにキスした瞬間に、あなたは目覚め、あなたの魂は』躍動しはじめるかもしれません。愛する人にキスした瞬間、それは何百年前の前世の恋人のキスであり、2人は時間を超越して、ずっと一緒だということを思い出すこともあるのです。

 

2021年7月20日 一条真也

もうバッハでいくしかない!

一条真也です。
五輪開会式作曲担当のミュージシャン小山田圭吾氏が辞任しましたが、開会式まで3日となった現場は大混乱しているようです。まあ、結婚式や葬儀などでは直前の演出変更など珍しくも何ともないのですが、五輪のような巨大イベントとなると大変でしょうね。

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ヤフーニュースより 

 

そんな中、興味深いニュースを目にしました。「AERAdot.」配信の「小山田氏辞任で開会式の楽曲は使用せず『もうバッハでいくしかない』と官邸筋〈dot.〉」という記事なのですが、「小山田氏の辞任で穴が空いた4分間の楽曲について、官邸の一部では『クラシック、もうバッハでいくしかないだろう』などとアホな会話が飛び交っています。バッハは敬意を込めてIOCのバッハ会長とかけたものです(笑)。五輪問題に限らずですが、官邸は世の中の意識とかなり乖離していますね」という政府関係者のコメントが紹介されています。


当初、結成された開会式の狂言師野村萬斎さん、椎名林檎さんら7人のクリエイティブチームは、開催延期もあってすでに解散しています。SNS上では松平健さんの「マツケンサンバ」、氷川きよしさんの「東京音頭」などの待望論が出ているとか。それも悪くはないですが、本当は北島三郎さんの「まつり」がベスト・チョイスだったと思います。残念ながら高齢でサブちゃんの声が出なくなっているようですが、ブログ「まつり」で紹介したように、あの歌ほど祝祭の開始にふさわしい歌はないだけに残念です。わたしのカラオケの十八番なので、オファーさえあれば、わたしが歌ってもいいですけど。(笑)


しかしながら、政府関係者が口にした「クラシック、もうバッハでいくしかないだろう」というのは意外とグッド・アイデアかもしれません。「大バッハ」と呼ばれたヨハン・ゼバスティアン・バッハは、18世紀のドイツで活躍した作曲家・音楽家です。バロック音楽の重要な作曲家の1人で、鍵盤楽器演奏家としても高名であり、当時から即興演奏の大家として知られていました。彼の荘厳な曲が新国立競技場に鳴り響けば、IOCのバッハ会長も泣いて喜ぶのではないでしょうか。


バッハには数多くの名曲がありますが、わたしには東京五輪の開会式にぜひおススメしたい曲があります。彼は教会カンカータを多く作曲しましたが、その中には当然ながら葬儀で使われた曲もあります。その葬儀カンカータを開会式で流してはいかがでしょうか? わたしは、これをブラック・ジョークなどで書いているのではありません。当ブログをお読みの方なら、わたしがいかに葬儀というものに最大の価値を置いているかをよくおわかりと思います。

唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)

 

拙著『唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館・サンガ文庫)の「芸術論」にも詳しく書きましたが、もともとクラシック音楽そのものがヨーロッパの葬送音楽として発展してきたという歴史的事実があります。バッハには、最近音源が完全復活した「レーオポルト侯のための葬送音楽」もありますし、大バッハの親戚にあたるヨハン・ルートヴィヒ・バッハの「葬送のための音楽」なども名曲です。今回の東京五輪の強行開催では、いろんなものが死にました。某政党、某大手広告代理店、五輪のスポンサーに成り下がった大手新聞社への信頼が決定的に失われましたが、それは「死」にも等しいでしょう。また、IOCの権威、何よりもオリンピック神話というものが死にました。それらへの追悼の意味を込めて、東京五輪の開会式ではバッハの葬送音楽を流せばいいと思います。

f:id:shins2m:20200516165530j:plain心ゆたかな社会』(現代書林)

 

また、拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)にも書きましたが、もともと、オリンピックそのものが古代ギリシャの葬送儀礼として生まれ、発展してきたと言えます。古代ギリシャにおけるオリンピア祭の由来は諸説ありますが、そのうちの1つとして、トロイア戦争で死んだパトロクロスの死を悼むため、アキレウスが競技会を行ったというホメーロスによる説があります。これが事実ならば、古代オリンピックは葬送の祭りとして発生したということになるでしょう。21世紀最初の開催となった2004年のオリンピックは、奇しくも五輪発祥の地アテネで開催されましたが、このことに人類にとって古代オリンピックとの悲しい符合を感じました。アテネオリンピックは、21世紀の幕開けとともに起こった9・11同時多発テロや、アフガニスタンイラクで亡くなった人々の霊をなぐさめる壮大な葬送儀礼と見ることもできたからです。

f:id:shins2m:20200630095055j:plainWEB「ソナエ」産経新聞社)2020年7月号

 

オリンピックは、クーベルタンというフランスの偉大な理想主義者の手によって、じつに1500年もの長い眠りからさめ、1896年の第1回アテネ大会で近代オリンピックとして復活しました。その後120年が経過し、オリンピックは大きな変貌を遂げます。「アマチュアリズム」の原則は完全に姿を消し、ショー化や商業化の波も、もはや止めることはできません。各国の企業は販売や宣伝戦略にオリンピックを利用し、開催側は企業の金をあてにします。大手広告代理店を中心とするオリンピック・ビジネスは、巨額のマーケットとなりました。そのオリンピックという巨大イベントを初期設定して「儀式」に戻す必要があると、わたしは考えます。2021年7月23日に開幕する東京五輪は、新型コロナウイルスで亡くなった世界中のすべての方々の葬送儀礼であり、追悼儀礼であるべきでしょう。よって、開会式ではバッハに限らず、モーツァルトでも、ベートーヴェンでも、ショパンでもいいので、ぜひ葬送音楽を流すべきであると、わたしは考えます。

 

 

2021年7月20日 一条真也

機能不全の大手広告代理店

一条真也です。
東京五輪の開幕まであと4日となった19日の夜、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は、雑誌で障がい者とみられる同級生をいじめていた過去を告白していたことを問題視されていた五輪開会式作曲担当のミュージシャン小山田圭吾氏の辞任を発表しました。当然の結果であり、そもそも小山田氏は今回のオファーを受けるべきではありませんでした。

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ヤフーニュースより

 

「デイリー」配信の「小山田氏辞任 再び消えたクリエーター 脇甘い組織委 また同じ轍」という記事には、「開幕まであと4日と迫った中で、受難の五輪は再びクリエータートラブルに見舞われた。招致決定から8年。様々なクリエーターがこの大会に関わっては、本番を迎えることなく、名前が消えた。大会のメーンスタジアムである新国立競技場のデザインは、12年のコンペで建築家のザハ・ハディド氏の案に決定したが、着工目前の15年に建設費や景観の問題を指摘され、安倍晋三前首相が白紙撤回となった」と書かれています。



また同記事には、「大会エンブレムにおいては、15年にクリエイティブディレクターの佐野研二郎氏の応募作が採用されたが、その後、海外のあるロゴとのデザインの類似や盗用疑惑が指摘され、撤回に追い込まれた。開閉会式を巡っても、18年に狂言師野村萬斎氏を統括とする演出チームを立ち上げたが、新型コロナウイルスによる1年延期にともなって解散」とも書かれています。


さらに同記事には、「その後、クリエーターの佐々木宏氏を総合統括とした新チームが引き継いだが、佐々木氏が女性タレントの容姿を侮辱した演出案を提案していたことを週刊文春に報じられ、引責辞任した。また、延期前まで開閉会式の演出責任者を務めた振付師のMIKIKO氏が組織委から半年間連絡がないまま、責任者を交代させられて辞任したことを明かすなど、トラブルが相次いでいた」とも書かれています。



そして同記事には、「この日、組織委は問題発覚後も小山田氏を留任させたことに『誤った判断』と認めた。過去のいじめ告白については改めて武藤事務総長やクリエイティブチーム、楽曲チーム全員『知らなかった』と強調したが、検索すればすぐに出てくるような情報だっただけに、“身体検査”の甘さを指摘する声も多い。先見の明も計画性もなく、対応も後手に回る。幾度となく繰り返してきた同じ轍を踏み、再び大会のイメージを失墜させた」と書かれています。まったく、この記事の内容通りですね。



組織委員会に多くの問題があることはすでに日本国民の間では有名ですが、クリエーターの選出に関しては組織委員会が丸投げしている大手広告代理店にも多大な責任があります。というか、一連のゴタゴタはすべて大手広告代店のミスと言えるでしょう。当然ながら、起用するクリエーターの人選、そのクリエーターの身辺調査、当人を起用した際のリスクのチェックなどは、すべて広告代理店の仕事です。そういう仕事で、広告代理店は商売をし、利益を得ているのです。これはクリエーターだけではなく、タレントの場合もまったく同じです。わたしも広告業界の出身です。東京五輪広告業界にとって数十年に一度のビッグビジネスであり、広告マンたちがそれに賭けてきたエネルギーの量の大きさはよく理解できるので、正直言って、「おいおい、どうしちゃったの?」という思いです。

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東京五輪のスポンサー企業一覧 

 

このたびの東京五輪は、さまざまなスポンサー企業によって支えられていますが、最高位のスポンサーを「ワールドワイドオリンピックパートナー」と呼びます。国際オリンピック委員会(IOC)と契約したコカ・コーラトヨタ自動車パナソニックブリヂストン、GE、P&G、VISA、オメガ、インテルサムスン、アリババ、Airbnb、Atos、Dowの14社がワールドワイドオリンピックパートナーです。いずれも巨大なグローバル企業ですが、東京五輪における広告効果に関しては大きな狂いが生じています。

f:id:shins2m:20210720091352j:plain朝日新聞DIGITAL」より

 

ワールドワイドオリンピックパートナーのトヨタ自動車は、東京五輪パラリンピック関連の自社CMを放映しないことを明らかにしました。新型コロナウイルスの感染拡大が終息せず、大会がほぼ無観客開催となった状況を考慮したといいます。トヨタの長田准・執行役員は、報道陣の取材に対して、大会期間中を含め今後も日本では五輪関連のCMは放映しない考えを示しました。開会式などの公式行事に豊田章男社長らトヨタ関係者が出席することも見送るといいます。

f:id:shins2m:20210720155231j:plain朝日新聞DIGITAL」より

 

同じくワールドワイドオリンピックパートナーのパナソニックも、開会式への楠見雄規社長の出席を見送ると明らかにしました。同社によると、楠見社長らは出席しない一方、大会組織委員会の副会長を務める津賀一宏会長は組織委の仕事のために出席するとのこと。五輪関連のCMに関しては、パナソニックは「自社の考えを伝えるようなCMは制作していない」(広報)としており、CMでのオリンピックやパラリンピックのロゴの使用は続けるとか。

パナソニック20日東京五輪開会式への楠見雄規社長の出席を見送ると明らかにした。五輪をめぐっては、トヨタ自動車など国内のスポンサー企業が相次いで経営幹部らの開会式などへの出席を見送る方針を示している。

 パナソニックは最高位のスポンサー契約を国際オリンピック委員会IOC

と結び、映像用の機材などを納入している。同社によると、楠見社長らは出席しない一方、「業務上必要な幹部」は会場に入る可能性がある。大会組織委員会の副会長を務める津賀一宏会長は組織委の仕事のために出席するという。

 同社と同じく最高位のスポンサー契約を結ぶトヨタ自動車は、幹部の出席見送りに加え、五輪に対する自社の考え方などをあらわすテレビCMの放映を取りやめる方針。パナソニックは「自社の考えを伝えるようなCMは制作していない」(広報)としており、CMでの五輪やパラリンピックのロゴの使用を続けるという。

パナソニック20日東京五輪開会式への楠見雄規社長の出席を見送ると明らかにした。五輪をめぐっては、トヨタ自動車など国内のスポンサー企業が相次いで経営幹部らの開会式などへの出席を見送る方針を示している。

 パナソニックは最高位のスポンサー契約を国際オリンピック委員会IOC

と結び、映像用の機材などを納入している。同社によると、楠見社長らは出席しない一方、「業務上必要な幹部」は会場に入る可能性がある。大会組織委員会の副会長を務める津賀一宏会長は組織委の仕事のために出席するという。

 同社と同じく最高位のスポンサー契約を結ぶトヨタ自動車は、幹部の出席見送りに加え、五輪に対する自社の考え方などをあらわすテレビCMの放映を取りやめる方針。パナソニックは「自社の考えを伝えるようなCMは制作していない」(広報)としており、CMでの五輪やパラリンピックのロゴの使用を続けるという。

パナソニック20日東京五輪開会式への楠見雄規社長の出席を見送ると明らかにした。五輪をめぐっては、トヨタ自動車など国内のスポンサー企業が相次いで経営幹部らの開会式などへの出席を見送る方針を示している。

 パナソニックは最高位のスポンサー契約を国際オリンピック委員会IOC

と結び、映像用の機材などを納入している。同社によると、楠見社長らは出席しない一方、「業務上必要な幹部」は会場に入る可能性がある。大会組織委員会の副会長を務める津賀一宏会長は組織委の仕事のために出席するという。

 同社と同じく最高位のスポンサー契約を結ぶトヨタ自動車は、幹部の出席見送りに加え、五輪に対する自社の考え方などをあらわすテレビCMの放映を取りやめる方針。パナソニックは「自社の考えを伝えるようなCMは制作していない」(広報)としており、CMでの五輪やパラリンピックのロゴの使用を続けるという。

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ヤフーニュースより

 

IOCと直接契約するワールドワイドパートナーの次のランクが、各国内の五輪委員会と契約するオリンピックパートナーである。今回の東京大会では上からゴールドパートナー、オフィシャルパートナー、オフィシャルサポーターという3つのランクに分けられています。そのゴールドパートナーであるNTTは、、幹部の開会式出席を見送る方針を明らかにしました。同社広報室によると、東京都に緊急事態宣言が出され開会式や多くの競技が無観客開催となることを踏まえた対応だといいます。五輪用に準備したテレビCMは今のところ、放映する予定だとか。



国民の大半が東京五輪の開催に反対している中で、自社のCMを放映しても効果がないどころか、消費者の反発を買って逆効果になる恐れもあります。そのへんを考慮してCMを流さないことを決断したトヨタはさすがですね。それにしても、大手広告代理店によるビジネスモデルが完全に崩壊してしまいました。広告業界出身のわたしから見ても、これまで大手広告代理店は儲け過ぎてきたように思います。現在はネット広告に押されて四媒体(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌)の広告市場が激減し、電通でさえ大赤字で本社ビルを売却する時代ですが、このたびの東京五輪が「広告の時代」の終わりの始まりとなる気がします。ともあれ、これまで五輪ビジネスを仕切ってきた大手広告代店は完全に機能不全になった観があります。

 

 

ブログ『ブルシット・ジョブ』で紹介したアメリカの文化人類学者デヴィッド・グレーバーの著書では、「なぜ、やりがいを感じずに働くひとが多いのか。なぜ、ムダで無意味な仕事が増えているのか。なぜ、社会のためになる職業ほど給与が低いのか」と読者に問いかけています。「ブルシット・ジョブ(BSJ)」とは「クソどうでもいい仕事」という意味です。BSJは、当人もそう感じているぐらい、まったく意味がなく、有害ですらある仕事です。しかし、そうでないふりをすることが必要で、しかもそれが雇用継続の条件なのです。

 

リエーターの選出もいいかげんで、クライアント(この場合は東京五輪組織委員会)に多大な損害を与える。また、巨額のスポンサー代を支払った企業に自社のCMすら流せない事態に陥らせる。こんな業界に働く人々は、やりがいを感じているのでしょうか? もし感じていないとすれば、その人々は自らの仕事は「クソどうでもいい仕事」としてのブルシット・ジョブではないかと自問すべきであると思います。ちなみに、わたしは、生業である冠婚葬祭業をブルシット・ジョブとは対極の「この世で最も価値のある仕事」としてのハートフル・エッセンシャルワークであると考えています。

 

2021年7月20日 一条真也

東京五輪は「完全な失敗」

一条真也です。
19日の月曜日、北・東日本を中心に、朝から強い日差しが照りつけて気温が高くなっています。昼過ぎにかけては、35度以上の猛暑日となる地点が多いため、熱中症の危険性が極めて高くなるとのこと。こんな猛暑の中で、東京五輪が開催されることが信じられません!

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ヤフーニュースより 

 

そんな中、共同通信社が配信した「米紙、東京五輪『完全な失敗』 熱気から敵意に」という記事には、「米紙ワシントン・ポスト電子版は17日、開幕を23日に控えた東京五輪について、これまでのところ『完全な失敗に見える』と指摘し、1964年の東京五輪のように日本に誇りをもたらすことは期待できないと伝えた。新型コロナウイルス流行の影響で国民に懐疑論が広がり、当初の五輪への熱気は敵意にすら変わっていると報じた」と書かれています。ワシントン・ポスト紙は64年の東京五輪について、日本が第2次大戦の敗戦から立ち直ったことを象徴し、大規模なインフラ整備も進んだと説明しています。その上で、今回の五輪は首都圏での無観客開催が決まったことで経済効果も期待できないと述べました。

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ヤフーニュースより 

 

また、時事通信社が配信した「『おもてなし』が外国人警戒に 米紙、完全な失敗と東京五輪論評」は、ワシントン・ポスト紙のコラムを紹介して、「五輪招致の理念だった『おもてなし』の精神は後退し、外国人への警戒に取って代わられたと記した。コラムは、東京五輪が日本にとって、中国に対抗するアジアの盟主としての地位や、30年間に及ぶ経済停滞からの復活をアピールするチャンスだったと説明。ところが、新型コロナウイルス禍の中で開催を強行する国際オリンピック委員会(IOC)や政府の姿勢に国民の反発は強まり『熱気は不満、無関心、ついには敵意に変わった』と論じた」と書いています。


また、記事には「敗戦からの復興を象徴した1964年の東京五輪と異なり、国家の誇りや経済効果は期待できないとも指摘。周囲と遮断された会場や納税者の負担となる膨大な請求書を見るにつけ『東京都民はなぜ、誰のためにこの犠牲を払うのかを自問自答している』と言及した。また、東京都内のホテルがエレベーターを日本人専用と外国人専用に分けて案内していた問題を紹介。世界に対する歓迎を示すはずだった『おもてなし』の心は『偏狭で内向きな外国人への警戒』に変化したと分析した」と述べています。まさにその通りで、「おもてなし」を訴えて東京に招致した五輪ですから、外国人観客の受け入れを断念した時点で東京五輪の開催は中止すべきだったと思います。


近代五輪の創始者であるピエール・ド・クーベルタンは、「オリンピックの理想は人間を作ること、つまり参加までの過程が大事であり、オリンピックに参加することは人と付き合うこと、すなわち世界平和の意味を含んでいる」と考えていました。彼の考えを生かしたオリンピック憲章には「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍など様々な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する」というオリンピズム(オリンピックのあるべき姿)へと昇華しました。


つまり、スポーツはあくまでも手段に過ぎず、五輪の本当の目的は「世界平和」「国際交流」にあるのです。ですから、パンデミックによって開催国の国民と海外選手団あるいは海外観客が交流できないのなら、東京五輪は中止すべきでした。これは、大阪万博についてもまったく同じことが言えます。三波春夫は「こんにちは こんにちは 握手をしよう~♪」と歌いましたが、世界の国々からやってくるのが人間ではなくて、新型コロナウイルスの変異株だとしたらシャレになりません。いや、ほんとに。


わたしには新国立競技場が「魔女の大釜」となって、世界中のウイルスが投げ込まれてグツグツと煮込まれ、ついには超強力なスーパー変異株が誕生することが恐ろしくて仕方がありません。いくら東京五輪の名誉総裁であるとはいえ、ワクチンを1回しか打たれていない天皇陛下が「魔女の大釜」で行われる開会式に参加されることが心配でなりません。ちなみに、東京五輪によって誕生するスーパー変異株は「ゴジラ株」と呼ばれるそうです。いくらなんでも、世界の怪獣王に対して失礼ではないですか!(怒)

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ヤフーニュースより

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それはともかく開会式まで5日を切りましたが、わたしが予想したように、毎日のように東京五輪に関連するバッド・ニュースが続いています。「いじめ自慢」の小山田圭吾氏の開会式音楽担当起用問題では、橋下撤氏が「小山田氏の楽曲を開会式で流すのは日本の恥」と喝破しました。その夜、小山田氏は辞任しましたね。その他、IOCのバッハ会長の歓迎会への反対派集結、韓国選手団の新たな反日横断幕掲示、日本と対戦する南アフリカのサッカーチームの陽性反応、ウガンダ選手の脱走劇、相次ぐ有名選手の参加ボイコット、バブル方式の破綻、来日選手のパスポート紛失、極めつけは閉会式リハーサルでの性的暴行・・・・・・これはもう大喜利かギャグか?というくらい、ろくでもないバッド・ニュースが続きます。しかも、これらのニュース、すべて本日(7月19日)のニュースなのです。これから、「完全な失敗」がさらに深みにはまる姿を見るのはどんな怖いホラー映画を観るよりも暑さ対策にはなりそうですね!

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今からでも中止だ中止!!

 

2021年7月19日 一条真也拝 

「時代の価値観」を超えて

一条真也です。
東京五輪開会式で楽曲を担当するチームの一員に任命されたミュージシャン小山田圭吾氏の過去の「いじめ自慢」発言が多方面から問題視されています。ブログ「『高い倫理観』について」ブログ「カズレーザーに共感!」でわたしの見解は示しましたが、大きな騒動になっています。そんな中、爆笑問題太田光氏の発言が話題になりました。

f:id:shins2m:20210719095518j:plainヤフーニュースより

 

18日、太田光氏がTBS系ワイドショー「サンデー・ジャポン」に出演した際、小山田問題について「時代の価値観を知りながら評価しないとなかなか難しい」と述べました。その後、ツイッターでは「時代の価値観」がトレンド入りし、太田氏への批判の声が相次いでいます。


中日スポーツ」配信の「『いじめ告白』問題で太田光の『時代の価値観』発言トレンド入り」という記事によれば、太田氏の発言に対して、「一体人類の歴史のいつの時代に弱いもの虐めはいいことなんていう時代があったのか、考えてみたことないの?? 時代じゃなくてお前らの価値観なんだよ」「その時代に青春時代を生きていた人間から言わせて貰えばその時代の価値観でも無条件で完全にアウトだよ」「いや、太田君の発言はある程度までは正しい。時代の制約はあるし、法を過去に遡って適用するのは不正じゃ。じゃが、小山田君のやったことはその時代の価値観に照らしても犯罪相当、道徳的にも容認できるものじゃない。それに尽きる」などと、当時の価値観から見ても許されなかったという意見が相次いだようです。太田発言に対して、元新潟県知事の米山隆一氏は「『時代の価値観』などと言いますが、まあ少なくとも戦国時代位迄遡らなければ(恐らく戦国時代でも)、小山田氏がやったことが『外道』であることは変わらないでしょう。何というか非常にげんなりするコメントです」とツイートしました。

 

 

わたしが考えるに、「時代の価値観」というものは確かに存在します。江戸時代や戦前の日本人の価値観を現在の時点から批判しても無意味なことがあります。しかし、「時代の価値観」を超えるものも確実に存在します。わたしは、7世紀に『論語』が伝来して以来、日本人の心には孔子の教えが息づいていると思います。孔子は「仁」を最重視しました。『論語』に「樊遅、仁を問う。子曰く、人を愛す」とあるように、「仁とは何か」という弟子の質問に対して、孔子は「人を愛することだ」と答えています。また、「生涯それだけを実行すればよい、一言があるだろうか」と弟子が尋ねたとき、孔子は「其れ恕か。己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」と答えました。「恕」とは、「思いやり」のこと。まさに「仁」や「恕」の精神があれば、いじめなど起きようがありません。

 

 

「孔孟」という言葉があるように、孔子と並んで儒教の最高の聖人とされる孟子は、「惻隠の心」というものを説きました。これは他人のことをいたましく思って同情する心であり、やがては人の最高の徳である仁に通ずるものです。障がい者という存在は、一般に社会的弱者とされます。弱者をいじめるなど、あってはならない行いであり、最低の行為です。孟子は、「惻隠の心」とともに「羞悪の心」「辞譲の心」「是非の心」も説きました。惻隠の心が「仁」に発展するように、羞悪の心は「義」に、辞譲の心は「禮」に、是非の心は「智」へと発展します。これらは「人の道」そのものであり、弱い者をいじめることは「人の道」に最も反する恥ずべき行為でした。

唯葬論』(サンガ文庫)

 

日本人に限らず、人類そのものにも、「弱者をサポートする」という精神的伝統が生きています。拙著『唯葬論』(三五館・サンガ文庫)でも紹介しましたが、イラクの洞窟で見つかった旧人ネアンデルタール人の骨は右腕が萎縮し、生まれつきの障がいと見られました。左目も見えなかったそうですが、推定年齢は40歳でした。彼らはちゃんと体の不自由な仲間を世話していたのです。この洞窟は別の人骨から大量の花粉粒が見つかったことでも知られます。遺体を花とともに埋葬していたと見られています。このように、弱者をサポートすること、死者を弔うことは人類最古の営みであり、それはわたしたちの直接の祖先であるホモ・サピエンスにも受け継がれました。

唯葬論』の帯の裏

 

唯葬論』文庫版の帯の裏には、「『唯死論』ではなく『唯葬論』」として、「わたしは、儀式を行うことは人間の本能ではないかと考える。ネアンデルタール人の骨からは、葬儀の風習とともに身体障害者をサポートした形跡が見られる。儀式を行うことと相互扶助は、人間の本能なのだ。これはネアンデルタール人のみならず、わたしたち現生人類の場合も同じである。儀式および相互扶助という本能がなければ、人類はとうの昔に滅亡していたのではないだろうか。わたしは、この本能を『礼欲』と名づけたい。『人間は儀式的動物である』という哲学者ウィトゲンシュタインの言葉にも通じる考えだ。礼欲がある限り、儀式は不滅である」と書かれています。もうおわかりでしょうが、「時代の価値観」を超えるものとは、人類の本能です。そして、人類にとって、弱者をいじめることが本能ではなく、弱者をサポートすることが本能です。わたしは、そのように考えます。

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ヤフーニュースより

 

ところで、小山田圭吾氏の「いじめ自慢」は、1994年1月発行の「ロッキング・オン・ジャパン」(ロッキング・オン)と95年8月発行の「クイック・ジャパン」vol.3(太田出版)で語ったインタビューで発言されたものです。18日、「ロッキング・オン・ジャパン」を刊行するロッキング・オン社が公式サイトで、編集長名義で声明を発表しました。当該インタビューで編集長自身がインタビュアーを務めていたことを明かし、「そこでのインタビュアーとしての姿勢、それを掲載した編集長としての判断、その全ては、いじめという問題に対しての倫理観や真摯さに欠ける間違った行為であると思います。(中略)犯した過ちを今一度深く反省し、二度とこうした間違った判断を繰り返すことなく、健全なメディア活動を目指し努力して参ります」と記し、「ロッキング・オン・ジャパン編集長 山崎洋一郎」と締めくくっています。

Quick Japan(クイック・ジャパン)Vol.156 2021年6月発売号 [雑誌]

 

一方の「クイック・ジャパン」の版元である太田出版は何の声明も出していませんが、ネットで調べてみると、なんと同誌の最新号(vol.156)は「爆笑問題」が表紙になっているではないですか。ということは、太田発言には「クイック・ジャパン」への忖度や擁護の姿勢が感じられますね。太田氏は忖度などとは無縁で毒を吐きまくるイメージだったので、意外です。いずれにせよ、今回の件で太田光氏は大いに株を下げたと思います。 

  

 

2021年7月19日 一条真也

サンクスフェスタ小倉

一条真也です。
18日、「サンクスフェスタ in小倉紫雲閣」が行われました。新型コロナウイルスの感染拡大を受けて昨年は中止されたイベントですが、「東京五輪も開催されるぐらいだから」と、今年は2年ぶりの開催を決断。もちろん感染対策は万全ですし、お客様にもソーシャルディスタンスの徹底をお願いして、安心安全なイベントを目指しました。

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「サンクスフェスタ」とは何か。それは、わが社の会員様やお客様に対して「ありがとうございます」という感謝の気持ちをお伝えするイベントです。「ありがとう」という言葉はどこの国にもあります。それは、「ありがとう」が人間にとって非常に大切なものだからです。「お金」はなくても何とかなるが、これがなくては生きていけないというぐらい大切なものなのです。

f:id:shins2m:20210718184113j:plain小倉紫雲閣 の外観

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入口にて

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ソーシャルディスタンスで開場待ち

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受付のようす

f:id:shins2m:20210718184631j:plain互助会コーナー

f:id:shins2m:20210718184703j:plain祭壇コーナーのようす

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婚礼ドレス・コーナーのようす

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通過儀礼コーナーのようす

f:id:shins2m:20210718184822j:plain抽選会のようす

 

「ありがとう」と言われた人は気分がいいし、「ありがとう」と言った人も気分がいい。こんなにお互いに「いい気分」になるのであれば、わたしたちは、もっともっと「ありがとう」という言葉を使うべきです。心から、そう思います。金もかからず手間もいらず、こんなに便利なものはありません。それで、みんなが元気になれれば、こんなに幸せなこともありません。まさに「ありがとう」は、他人も自分も幸せにする魔法の言葉ですね。

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落語独演会の前に「禮鐘の儀」を紹介

f:id:shins2m:20210718185205j:plain落語独演会のようす

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林家木久蔵さん&林家小りんさん

f:id:shins2m:20210718185317j:plain前座の林家木りんさん

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林家木久蔵さんが熱演!

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ソーシャルディスタンスを確保!

本日のサンクスフェスタのメインイベントは、「林家木久蔵 落語独演会」。林家木久蔵さんは昭和50年生まれ 東京都出身。平成7年10月 林家木久蔵(初代)「現・木久扇」に入門。平成8年2月前座入り、「林家きくお」となりました。平成11年9月二ツ目昇進。平成19年5月教育評論社より木久扇との共著『がんばらない子育て』を出版。同年7月親子大賞2007「選考委員特別賞」受賞。9月真打ち昇進に伴い、落語界史上初「ダブル親子襲名」を行い、二代目林家木久蔵を襲名しました。日本テレビ笑点」若手大喜利テレビ東京「ドラGO!」などに出演しています。

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紫雲閣オンライン紹介コーナー

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グランフォト・ブース

f:id:shins2m:20210718185700j:plain人形供養祭のようす

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書籍販売コーナー

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最新刊を特別販売!

f:id:shins2m:20210718190022j:plainおかげさまで、たくさん売れました!

 

コロナ禍の中で生まれた「紫雲閣オンライン」の紹介コーナーにも多くの関心が集まり、高齢者写真である「グランフォト」のブース、人形供養祭なども人気でした。また、恒例の書籍販売コーナーには『人生の修活ノート』『修活読本』といったロングセラーをはじめ、大きな話題を集めた『「鬼滅の刃」に学ぶ』の販売、さらには8月3日発売の最新刊『心ゆたかな読書』の先行販売が行われました。並べられた「一条本」は、たくさん売れました!

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松柏園新作ビーフシチューの試食コーナー

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野菜販売コーナー

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野菜販売コーナー

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生花販売コーナー

 

「ありがとう」の話に戻ります。人生には1つのムダも、1つのマイナスもありません。起こっていることすべてには意味があるのです。みんな「有ること」が「難しい」ことに「当たる」から、「有難当(ありがとう)」なのです。冠婚葬祭互助会であるわが社にとって、最も感謝するべき対象とは何か?それは互助会の会員様であり、冠婚葬祭の各施設のお客様です。それらの大切な方々に対して、わが社「サンクスフェスタ」を開催させていただくのです。今日はコロナ禍の中で開催されましたが、いろんな意味で大成功を収めることができました。来場して下さったお客様はもちろん、スタッフのみなさんには、わたしから「ありがとうございます」と言いたいです!



2021年7月19日 一条真也