葬式は必要!

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一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「葬式は必要!」という言葉を取り上げることにします。

 

 

コロナ禍の前から、日本人の冠婚葬祭、特に葬儀を取り巻く環境が激変しています。家族葬、密葬から、現在は直葬が非常に増えてきています。その背景には様々な要因があるのでしょうが、1つには、日本社会全体が「無縁社会」になってきているということだと思います。この「無縁社会」は、2010年1月31日にNHKスペシャルで放映されて大変な反響を呼びました。1年間に3万2000人もの人たちが無縁死しているそうです。 もう1つは、島田裕巳氏の『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)という本が非常に売れました。「無縁社会」とともに、このような「葬式不要」の風潮も当時はありました。

 

 

しかしながら、葬式が要らないはずがありません!
葬儀は人類が長い時間をかけて大切に守ってきた精神文化です。ブログ「ホモ・フューネラル」にも書いたように、「人類の文化は墓場からはじまった」という説があります。じつに7万年も前、旧人に属するネアンデルタール人たちは、近親者の遺体を特定の場所に葬り、ときには、そこに花を捧げていました。死者を特定の場所に葬るという行為は、その死を何らかの意味で記念することに他なりません。しかもそれは本質的に「個人の死」に関わります。ネアンデルタール人が最初に死者に花をたむけた瞬間、「死そのものの意味」と「個人」という人類にとって最重要な2つの価値が生み出されたのです。

 

 

ネアンデルタール人たちに何が起きたのでしょうか。アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』のヒトザルたちが遭遇したようなモノリスのようなものが目の前に現われたのでしょうか。何が起こったにせよ、そうした行動を彼らに実現させた想念こそ、原初の宗教を誕生に導いた原動力だったのです。このことを別の言葉で表現するなら、人類は埋葬という行為によって文化を生み、人間性を発見したのです。

 

 

人間を定義する考え方として「ホモ・サピエンス」(賢いヒト)や「ホモ・ファーベル」(工作するヒト)などが有名です。オランダの文化史家ヨハン・ホイジンガは「ホモ・ルーデンス」(遊ぶヒト)、ルーマニア宗教学者ミルチア・エリアーデは「ホモ・レリギオースス」(宗教的ヒト)を提唱しました。同様の言葉に「ホモ・サケル」(聖なるヒト)もあります。しかし、人間とは「ホモ・フューネラル」(弔う人間)だと、わたしは思っています。ネアンデルタール人が最初の埋葬をした瞬間、サルが人になったとさえ思っています。

f:id:shins2m:20210606172550j:plain葬式は必要!』(双葉新書) 

 

『葬式は、要らない』などという本が世に蔓延しては倫理的にも良くありません。そこで、わたしはカウンターパンチというかアンサーブックとして、『葬式は必要!』(双葉新書)を書き上げたわけです。けっして会社のためでも業界のためでもなく、日本人のために書きました。あらゆる生命体は必ず死にます。もちろん人間も必ず死にます。 親しい人や愛する人が亡くなることは悲しいことです。


「FLASH」2010年8月3日号

 

でも、決して不幸なことではありません。残された者は、死を現実として受け止め、残された者同士で、新しい人間関係をつくっていかなければなりません。葬式は故人の人となりを確認すると同時に、そのことに気がつく場になりえます。葬式は旅立つ側から考えれば、最高の自己実現であり、最大の自己表現の場ではないでしょうか。「葬式をしない」という選択は、その意味で自分を表現していないことになります。


「週刊 東洋経済」2010年12/25-1/1号

 

「死んだときのことを口にするなど縁起でもない」と、忌み嫌う人もいます。果たしてそうでしょうか。わたしは、葬式を考えることは、いかに今を生きるかを考えることだと思っています。ぜひ、みなさんもご自分の葬義をイメージしてみてください。 そこで、友人や会社の上司や同僚が弔辞を読む場面を想像して下さい。そして、その弔辞の内容を具体的に想像して下さい。そこには、あなたがどのように世のため人のために生きてきたかが克明に述べられているはずです。

f:id:shins2m:20210607123247j:plain「読売新聞」2010年10月4日夕刊

 

葬儀に参列してくれる人々の顔ぶれも想像して下さい。そして、みんなが「惜しい人を亡くした」と心から悲しんでくれて、配偶者からは「最高の連れ合いだった。あの世でも夫婦になりたい」といわれ、子どもたちからは「心から尊敬していました」といわれる・・・・・。このように、自分の葬儀の場面というのは「このような人生を歩みたい」というイメージを凝縮して視覚化したものなのです。そんな理想の葬式を実現するためには、残りの人生において、あなたはそのように生きざるをえなくなるのです。つまり、理想の葬式のイメージが「現在の生」にフィードバックしてくるのです。

葬式に迷う日本人』(三五館)

 

ちなみに「無縁社会」や「葬式は、要らない」といった妄言は、2011年3月11日に発生した東日本大震災が粉々に砕き、大津波が流し去ってしまった観があります。遺体も見つからない状況下の被災地で、多くの方々は「普通に葬式をあげられることは、どんなに幸せなことか」と痛感したのです。やはり、葬式は人間の尊厳に関わる厳粛な儀式であり、遺族の心のバランスを保つために必要な文化装置なのです。なお、この「葬式は必要!」という言葉は、もちろん同名タイトルの拙著『葬式は必要!』で打ち出した言葉です。その後、わたしは2016年に島田氏と「日本の葬式」をテーマに徹底討論し、『葬式に迷う日本人』(三五館)という共著を上梓しました。

 

2021年6月7日 一条真也

死を乗り越える井原西鶴の言葉

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浮世の月
見すごしにけり
末二年井原西鶴

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、井原西鶴(1642年?~1693年)の言葉です。西鶴は、江戸時代の大坂の浮世草子人形浄瑠璃作者、俳諧師。別号は鶴永、二万翁、西鵬。

 

 

「浮世の月 見すごしにけり 末二年」は、西鶴の辞世の句です。実に洒落た辞世の句ではないでしょうか。彼は、江戸時代に大坂(現在の大阪)を中心に活躍した人形浄瑠璃浮世草子の作家です。『日本永代蔵』『好色一代男』などの作品で後世に名を残し、俳諧人としても有名でした。今でいえば、流行作家という感じでしょうか。じつは生年はよくわかっていません。ただ1693年に享年52歳で亡くなったと言われています。ということで、彼のこの辞世の句を逆算して、生年を割り出しています。辞世の句も詠んでおくべきですね。

 

 

当時、人生は50年と言われていました。しかし、あまりに楽しくて、うっかり二年余分に生きてしまったというのがこの句の意味だとするのです。戯作作家らしい、シニカルな表現が面白いですね。人生100年時代といわれる今、わたしたちは、どうすればこれまでに楽しく生きていけるでしょうか。そんなことを考えてしまいます。なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。ご一読下されば、幸いです。

 

 

2021年6月7日 一条真也

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一条真也です。
たった一字に深い意味を秘めている文字は、世界でも漢字だけです。そこには、人のこころを豊かにする言霊が宿っています。その意味を知れば、さらに、こころは豊かになるでしょう。今回の「こころの一字」は、「礼」です。

f:id:shins2m:20210605135546j:plain礼を求めて』(三五館)

 

「礼」は儒教の真髄ともいえる思想です。
それは、後世、儒教が「礼教」と称されたことからもわかります。そもそも礼(禮)という字は、「示」(神)と「豊」(酒を入れた器)から成るように、酒器を神に供える宗教的な儀式を意味します。古代には、神のような神秘力のあるものに対する禁忌の観念があったので、きちんと定まった手続きや儀礼が必要とされました。これが、礼の起源であると言われます。

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ところが、他にも「礼」には意味があります。「示」は「心」であり、「豊」はそのままで「ゆたか」だというのです。ということは「礼」とは「心ゆたか」であり、「ハートフル」ということになります。「ハートフル」は流行したわたしの造語ですが、なんと「礼」という意味だったのです! もともと宗教用語であったと言ってもよい「礼」の観念が変質し、拡大していくのは、春秋・戦国時代からです。礼の宗教性は希薄となり、もっぱら人間が社会で生きていくうえで守るべき規範、つまり社会的な儀礼として、礼は重んじられるようになります。

 

 

論語』にも礼への言及は多く、このことからも孔子の時代には、礼は儒家を中心によく学ばれていたことがわかります。そして、もともとの礼である「集団の礼」や「社会的な礼」とともに、徳の一つとして「個人的な礼」も実践されるようになります。孔子の門人たちにとって、礼を修得しなければ教養人として自立したことにはならないとされ、冠婚葬祭などのそれぞれの状況における立ち居ふるまいも重要視されるようになったのです。

f:id:shins2m:20160104113503j:plainサンレーの一同礼! 

 

いずれにしろ、孔子にはじまる儒家は礼の思想にもとづく秩序ある社会の実現をめざしていました。互いに礼をするということが少なくなってくることは、社会学的に考えても大問題であると述べたのは安岡正篤です。人間はなぜ礼をするのか。それには良い答があると述べます。

吾によって汝を礼す。
汝によって吾を礼す。

これは互いがお辞儀をする説明として、最も簡にして要を得た言葉です。自分というものを通じて相手を、人を礼する。その人を通じて自分を礼する。互いに相礼する。つまり、人間たる敬意を表し合うのです。安岡は「本当の人間尊重は礼をすることだ。お互いに礼をする、すべてはそこから始まるのでなければならない。お互いに狎れ、お互いに侮り、お互いに軽んじて、何が人間尊重であるか」と喝破しました。

 

 

「経営の神様」といわれた松下幸之助も、何より礼を重んじました。彼は、世界中すべての国民民族が、言葉は違うがみな同じように礼を言い、挨拶をすることを不思議に思いながらも、それを人間としての自然の姿、人間的行為であるとしました。すなわち礼とは「人の道」であるとしたのです。そもそも無限といってよいほどの生命の中から人間として誕生したこと、そして万物の存在のおかげで自分が生きていることを思うところから、おのずと感謝の気持ち、「礼」の身持ちを持たなければならないと人間は感じたのではないかと松下は推測します。

f:id:shins2m:20210606093608j:plain礼道の「かたち」』(PHP研究所) 

 

ところが、最近になってその人間的行為である「礼」が、なにやら実際には行なわれなくなってきました。挨拶もしなければ、感謝もしない。価値観の多様化のせいでしょうか。しかし、礼は価値観がどんなに変わろうが、人の道、「人間の証明」です。それにもかかわらず、お礼は言いたくない、挨拶はしたくないという者がいます。礼とは、そのような好みの問題ではありません。自分が人間であることを表明するか、猿であるかを表明する、きわめて重要な行為なのです。 

f:id:shins2m:20210606093643j:plain人間尊重の「かたち」』(PHP研究所)

 

ましてや経営や組織で1つの目的に向かって共同作業をするとすれば、当然、その経営、組織の中で互いに礼を尽くさなければなりません。挨拶ができないとか、感謝の意を表わすことができないというのであれば、その社員は猿に等しいと言えます。経営者も社員に対して礼の心を持たなければなりません。自身が範を示さず、社員に礼を求めるばかりでは指導者としての資格はありません。要するに経営者も社員も「人間」であるかぎり、互いに人間的行為、すなわち礼を尽くさなければならないということです。

f:id:shins2m:20210606093533j:plain台湾・台北市の「孔子廟」で 

 

さらに、お客様に対する礼は、人間としての最高の礼を示さなければなりません。お客様の存在によって経営は成り立ち、社員は生活できることを考えれば、経営者も社員もお客様に対して「最高、最善の礼」を尽くすことは当然です。松下幸之助は「生産者は、いい物を安く作るのが人類への礼というものだろう」とまで言っています。松下のすぐ近くで長く仕えたPHP研究所社長の江口克彦氏は、なぜ松下が経営において成功したのかについて、この「礼」を自らも徹底し、社員にも強く求めたことが重要な成功理由の1つであるとしています。

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台湾・台北市の「孔子廟」で 

 

わたしが社長を務める株式会社サンレーにおいても「礼」をすべての基本とし、大ミッションには「人間尊重」を掲げています。もともと冠婚葬祭を業とする会社であるから当然といえば当然ですが、さらに創業者である佐久間進会長が小笠原流礼法の伝統を受け継ぐ「実践礼道・小笠原流」の宗家であり、挨拶・お辞儀・電話の応対・お茶出し・お見送りにいたるまで、社員へのマナー教育は徹底に徹底を重ねています。

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わたしは、「天下布礼」の幟を立てています。かつて織田信長は、武力によって天下を制圧するという「天下布武」の旗を掲げました。しかし、わたしたちは「天下布礼」です。武力で天下を制圧するのではなく、「人間尊重」思想で世の中を良くしたいのです。また、わたしが大学で教壇に立つのも、講演活動を行うのも、本を書くのも、すべては「天下布礼」の活動の一環であると考えています。

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世界孔子協会の孔健会長と

 

太陽の光が万物に降り注ぐごとく、この世のすべての人々を尊重すること、それが「礼」の究極の精神です。天下、つまり社会に広く人間尊重思想を広めることがサンレーの使命です。わたしたちは、この世で最も大切な仕事をさせていただいていると思っています。これからも冠婚葬祭業という「礼業」を通じて、良い人間関係づくりのお手伝いをしていきたいものです。

  

 

考えてみれば、人間のコミュニケーションの中で、礼儀正しさほど、人と交換しやすいものはありません。それを他人に差し出せば、必ず返ってくるのです。そして相手の気持ちを良くするのです。また、相手に自分は重要な人間なのだという気持ちを起こさせます。失礼に扱われることほど人間のプライドをひどく傷つけるものはなく、相手に接するとき礼を失すれば、相手の攻撃心と敵意を引き起こすことになります。逆に、礼儀正しく接すれば、攻撃心や敵意など生まれるはずもありません。礼法とは最強の護身術なのです。なお、「礼」については、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。

 

 

2021年6月6日 一条真也

『魂の送りかた』

一条真也です。
わたしは、これまで多くのブックレットを刊行してきました。わたしのブックレットは一条真也ではなく、本名の佐久間庸和として出しています。いつの間にか44冊になっていました。それらの一覧は現在、一条真也オフィシャル・サイト「ハートフルムーン」の中にある「佐久間庸和著書」で見ることができます。整理の意味をかねて、これまでのブックレットを振り返っていきたいと思います。


『魂の送りかた〜新たな葬のスタイルを考える〜』
(2006年10月刊行)

 

今回は、『魂の送りかた〜新たな葬のスタイルを考える〜』をご紹介します。2006年10月に刊行されたブックレットですが、内容は以下の通りです。
●「お葬式」とは何か
●多様化する「葬」のスタイル
北九州紫雲閣 
 〜魂のターミナルを目指して〜


これからの「お葬式」を考えました

 

日本の葬儀は、実にその9割以上が仏式葬儀によって占められています。ところが最近になって、仏式葬儀を旧態依然の形式ととらえ、もっと自由な発想で故人を送りたいという人々が増えています。今のところは従来の告別式が改革の対象になって、「お別れ会」などが定着しつつありますが、やがて通夜や葬儀式にも目が向けられ、故人の「自己表現」や「自己実現」が図られていくに違いありません。

 

新しい葬儀のスタイルとしては、まず自然葬を思い浮かべる人が多いでしょう。自然葬というのは、火葬後の遺灰を海や山にまくという散骨のことです。海に遺灰をまく方法は、一般に「海洋葬」と呼ばれています。また、「死んだら木になって森をつくろう」という考えの「樹木葬」も最近よく耳にします。海洋葬や樹木葬はいわば「地球」に目を向けたローテク葬法ですが、21世紀の現在、「宇宙」に目を向けたハイテク葬法も実現しています。人工衛星に故人の遺骨や、故人の写真や経歴、家族・友人からのメッセージなどを載せた記念誌を搭載する「宇宙葬」です。


あらゆる葬儀が選べる時代に・・・

 

わたしは、新時代の「葬」のあり方として「月面聖塔」および「月への送魂」を以前から提案していましたが、その後、遺骨や遺灰を月面に送るという「月面葬」が登場しました。故人のDNAを小さなカプセルに残す「DNA葬」も、ハイテク葬法のニューウェーブです。新しい葬儀の演出ということでいえば、これはもう数限りなく挙げることができます。音楽葬、ガーデン葬、ゴルフ葬、グルメ葬、ワイン葬、ファッション葬、カラオケ葬、盆栽葬、囲碁葬、俳句葬、陶芸葬、映画葬、お菓子葬・・・と、故人の趣味や嗜好などを活かして、故人の生きざま、人隣を表現する個性的な葬儀はいくらでもできます。

 

わたしは、葬祭業とは一種の交通業であると思います。お客様を、「この世」というA地点から「あの世」というB地点までお送りするわけです。目的地に行くにはロケットから飛行機、船、バス、タクシー、そして自転車やテクシーまで、数多くの交通手段があるのです。それが、さまざまな葬儀です。飛行機しか取り扱わない旅行代理店など存在しないように、魂の旅行代理店としての葬祭業も、お客様が望むかぎり、あらゆる交通機関のチケットを用意すべきなのです。


「ソウル・ターミナル」をめざす北九州紫雲閣

 

2004年2月5日、日本最大級のセレモニーホールである「北九州紫雲閣」がオープンしましたが、そこであらゆるスタイルの葬儀を行うことが可能となりました。従来の仏式葬儀はもちろん、本格的な神殿と教会も設け、神葬祭およびキリスト教式もできます。また、海洋葬、樹木葬宇宙葬、月面葬、DNA葬をお望みの方には、そのお世話をさせていただきます。もちろん、音楽葬、ガーデン葬、その他もろもろのスタイルの葬儀もすべて可能です。

月への送魂」も「送りかた」の1つです

 

もちろん、「月への送魂」もプランの1つとしてエントリーしています。言うまでもなく、どの葬儀の方法が絶対に正しいということはありません。北九州紫雲閣はそのように、いわば、葬儀の百貨店、葬儀の見本市のような場所です。そもそも、セレモニーホールの本質とは何か。それは、死者の魂がそこから旅立つ、魂の駅であり、魂の港であり、魂の空港ではないでしょうか。北九州紫雲閣がめざすのは、あらゆる魂の交通機関の中心となる「ソウル・ターミナル」なのです。なお、このブックレットは サンレーグループの諸施設に置いています。

 

2021年6月5日 一条真也

『52ヘルツのクジラたち』

一条真也です。
3度目の緊急事態宣言が延長され、6月になりました。
125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第157回分が掲載されています。今回は、『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ著(中央公論新社)です。

f:id:shins2m:20210602174933j:plainサンデー新聞」2021年6月5日号

 

今年のゴールデンウィークに読んだ小説です。
2021年本屋大賞を受賞しました。著者は1980年生まれ、福岡県京都郡在住。著書に『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』『ぎょらん』『うつくしが丘の不幸の家』など。本書は、非常に重いテーマを扱っています。それも、児童虐待、ネグレクト、モラハラ、DV、LGBT、介護・・・現代社会の課題となっているさまざまなテーマがいくつも扱われています。「ちょっと詰め込み過ぎでは?」と思えるほどですが、サスペンスフルな物語の中にそれらは無理なく溶け込んでいました。

 

書名にある「52ヘルツのクジラ」とは、他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけのクジラのことです。たくさんの仲間がいるはずなのに何も届かず、何も届けられません。そのため、世界で一番孤独な存在だと言われているのです。本書は、親から長年にわたって虐待を受け、心に深い傷を負った貴瑚という女性が主人公の長編小説です。貴瑚は、かつて祖母が住んでいた大分の家に引っ越し、そこで、言葉を発することができない少年に出会います。少年もまた、親から虐待されているのでした。

 

この物語には、虐待をはじめ、さまざまな辛い体験のさ中にある人々の「声が届かない悲しみ」「声を聞いてもらえない絶望感」が満ち溢れています。
今も、多くの人々が「叫んでも届かない悩み」「聞いてほしくても言えない悩み」を抱えて、52ヘルツの声を上げながら生きているのです。心に重い石を抱えてひっそりと生きるのは辛いことですが、死なずに生きていれば、その石をどかしてくれ、52ヘルツの声を聞き取ってくれる人が現れる可能性があります。それは、自身も同じ体験をした人です。52ヘルツの声を上げつづけた人こそが、他人の52ヘルツの声をキャッチし、そして、他人の絶望を希望に変えることができるのです。

 

本書では、貴瑚が救った「52」と呼ばれる少年が以前、小倉の馬借に住んでいたことから、貴瑚とその友人の美晴と52は、3人で小倉を訪れます。
小倉駅の周辺のホテルに宿泊しますが、「小倉駅は、駅舎からモノレールの線路が飛び出して真っ直ぐに伸びている変わった作りをしている。その線路に沿うようにして歩き始めた」とあります。そのとき、美晴は、「はじめて来たけどけっこう都会じゃん」「ねえ、52。あんた、こういうところに住んでたの? だったらあんな田舎に移り住んで、不便だったでしょ」と言うのでした。あと、チャチャタウン小倉の観覧車が「幸せのシンボル」として登場するのもサプライズで、その観覧車を眺めながら暮らしているわたしは、嬉しくなりました。

 

 

 2021年6月5日 一条真也

世界平和パゴダの本、プレゼント!

一条真也です。
北九州市門司区の和布刈公園にある国内唯一のミャンマー式寺院「世界平和パゴダ」は日本遺産に登録され、国登録文化財にも指定されましたが、紹介動画ができました。


紹介動画の4分15秒には、世界平和パゴダ奉賛会の佐久間進会長( サンレーグループ会長)が登場して、メッセージを述べています。現在、わたしが社長を務める株式会社サンレーでは、「世界平和パゴダ」の支援をさせていただいています。世界平和パゴダ第二次世界大戦後、ビルマ政府仏教会と日本の有志によって昭和32年(1957年)に建立されました。その目的は「世界平和の祈念」と「戦没者の慰霊」です。

f:id:shins2m:20210602122605j:plain世界平和パゴダ奉賛会の佐久間進会長 

f:id:shins2m:20200718100646j:plain世界平和パゴダ

f:id:shins2m:20120821150235j:plain世界平和パゴダの前で、佐久間会長と
 

ミャンマーは上座仏教の国です。上座仏教は、かつて「小乗仏教」などとも呼ばれた時期もありましたが、ブッダの本心に近い教えを守り、僧侶たちは厳しい修行に明け暮れます。現在の日本は儒教の影響が強く「礼」という思想的遺伝子を共有しているはずの韓国や中国と微妙な関係にあり、国際的に複雑な立場に立たされている。わたしは、ミャンマーこそは世界平和の鍵を握る国ではないかと思っています「慈悲の徳」を説く仏教の思想、つまりブッダの考え方が世界を救うと信じているのです。「ブッダの慈しみは愛をも超える」と言った人がいましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。

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「読売新聞」2011年12月24日朝刊

f:id:shins2m:20200718172340j:plain西日本新聞」2012年4月25日朝刊
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ミャンマー大使館でパゴダの委嘱状を渡される

f:id:shins2m:20120829103918j:plain世界平和パゴダ再開のセレモニーで

 

思えば、わたしが世界平和パゴダ閉館のニュースを新聞報道で知って心を痛め、サンレー企画部の石田部長と一緒に現地に赴き、その後、佐久間進会長とともにパゴダを建立された故柳田桃太郎氏(元門司市長)の御令嬢である八坂和子さんにお会いし、わが社の世界平和パゴダ支援が決定したのです。その後、佐久間会長を代表とする日緬仏教文化交流協会を設立し、ミャンマー大使館やミャンマー仏教界の大僧正から佐久間会長が委嘱状を渡されたりして、2012年8月29日、パゴダはついに再開しました。

f:id:shins2m:20200718100126j:plain慈を求めて』(三五館) 

 

パゴダ再開の詳しい経緯は、ブログ「世界平和パゴダ」ブログ「大僧正のお別れ会」ブログ「世界平和パゴダ再訪」ブログ「ミャンマー大使館」ブログ「ブッダ・ミッション」ブログ「世界平和パゴダ再開」をお読み下さい。なお、『慈を求めて』(三五館)の帯には、世界平和パゴダを背景にしたわたしの写真が帯に掲載され、「世界平和パゴダ再開!」「『慈』はあらゆる生きとし生けるものに注がれる!」と書かれています。

f:id:shins2m:20191129101302j:plain慈経 自由訳』(現代書林)

 

ミャンマー仏教は上座仏教ですが、その根本経典は「慈経」(メッタ・スッタ)といいます。仏教の開祖であるブッダの本心が最もシンプルに、そしてダイレクトに語られている、最古にして、最重要なお経です。上座仏教の根本経典であり、大乗仏教における「般若心経」にも比肩します。上座仏教はかつて、「小乗仏教」などと蔑称された時期がありました。しかし、上座部仏教の僧侶たちはブッダの教えを忠実に守り、厳しい修行に明け暮れてきました。「メッタ」とは、怒りのない状態を示し、つまるところ「慈しみ」という意味になります。「スッタ」とは、「たていと」「経」を表します。わたしは、この「慈経」を自分なりに自由訳し、『慈経 自由訳』(現代書林)として世に問いました。

 

「慈経」はもともと詩として読まれていました。すなわち単に書物として読まれるものではなく、吟詠されたものだったのです。わたしも、なるべく吟詠するように、千回近くも音読して味わい、自由訳に臨みました。自らの人生をかけて、魂をこめて、「慈経」のメッセージをわかりやすい言葉に直しました。「慈経」の教えは、老いゆく者、死にゆく者、そして不安をかかえたすべての者に、心の平安を与えてくれます。これからの日本人にとって最も必要なお経が「慈経」であると確信しています。ブッダは8月の満月の夜に「慈経」を説いたと伝えられています。満月は、満たされた心のシンボルです。わたしが満月に格別の感情を抱いていることはご存知かと思いますが、いつか北九州市門司港にある日本で唯一のミャンマー式寺院である「 世界平和パゴダ」で満月の夜の行事を盛大に行いたいと思っています。

f:id:shins2m:20210602130627j:plain「ふくおか経済」2013年11月号

 

また、ブログ「仏教文化交流シンポジウム」で紹介したように、2013年9月21日に世界平和パゴダ建立55周年を記念して「仏教は世界を救う」をテーマにしたパネルディスカッションが開催されました。パネリストは以下の方々でした。

井上ウィマラ氏(高野山大学文学部教授)
天野和公氏(「みんなの寺」坊守・作家)
八坂和子氏(ボランティアグループ一期会会長)
一条真也(作家・株式会社サンレー社長)

また、パネルディスカッションのコーディネーターは、内海準二氏(出版プロデューサー)が務めて下さいました。


パネルディスカッションのようす

 

パネリストの井上氏は、ブログ『人生で大切な五つの仕事』で紹介した本の著者です。天野氏は、ブログ『ミャンマーで尼になりました』で紹介したコミックの著者です。井上氏、天野氏ともにミャンマーで仏教の修行をされています。また、八坂氏はブログ「大僧正のお別れ会」をはじめとして一連のパゴダ関連のブログ記事に登場する、これまでパゴダを守ってこられた方です。コーディネーターの内海氏は、あの「出版寅さん」です。当ブログの読者のみなさんには、もう有名ですね。


世界平和パゴダの意義について話しました

 

そのとき、世界平和パゴダ」の意義について、わたしは「世界平和パゴダは、ミャンマーと日本の友好のシンボルです。そして、その可能性を語り合うことは、大きな意義のあるものと思います。わたしは、現代の日本において、いや東アジアにおいて 世界平和パゴダはとても大きな意味と可能性を持っていると考えています」と述べ、 世界平和パゴダ」の重要性は主に3つあるとして、(1)アジアの平和拠点であること(2)戦没者の慰霊施設であること(3)上座仏教の寺院であることの3点を指摘し、日本人の「こころの未来」にとって大きな可能性を秘めていると訴えました。その考えは、今も変わりません。


ミャンマー仏教を語る』(現代書林)

 

仏教文化交流シンポジウム」の内容は、『ミャンマー仏教を語る』(現代書林)という本にまとめられています。巻頭には、世界平和パゴダ住職であるウィマラ長老の基調講演、日緬仏教文化交流協会(日緬協)の佐久間進会長による主催者挨拶が収録されています。また巻末には、日緬協メンバーでもある京都大学名誉教授の鎌田東二先生が寄稿されています。この本を読み返しながら、軍事政権の暴挙でミャンマーが話題になっている現状をとても悲しく思いました。一日も早く、ミャンマーに平和が訪れることを心より願っています。

f:id:shins2m:20210602133044j:plain登録記念に2冊をプレゼント!

 

このたびの世界平和パゴダ日本遺産登録および国登録文化財決定を記念して、『慈経 自由訳』および『ミャンマー仏教を語る』の2冊を、抽選で30名様に進呈させていただきます。ハガキでご応募下さい!

<応募方法>
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2021年6月4日 一条真也

『新しい世界』

新しい世界 世界の賢人16人が語る未来 (講談社現代新書)

 

一条真也です。
東京五輪まであと50日となりましたが、強行開催の方向で進んでいることに絶望的な気分になります。一度踏み出したら引き返せないのがこの国なのでしょうか。菅首相G7出席のため、6月10日発・14日帰国の日程で英国南西部のコーンウォールを訪れます。首相就任後、初のサミット参加ですが、世界が注目しているのは「今夏の東京五輪開催をどうするつもりなのか」の一点に尽きます。菅首相G7で“針のムシロ”状態になることは必至であり、最終日の6月13日に「五輪開催断念」発表の可能性もあります。菅首相をはじめ、視野狭窄に陥った日本の政治家たちに必要なのは、世界的な視点にほかなりません。

 

『新しい世界』ユヴァル・ノア・ハラリ、エマニュエル・トッドナシーム・ニコラス・タレブナオミ・クライン、トマ・ピケティ、マイケル・サンデル他著、クーリエ・ジャポン編(講談社現代新書)を読みました。「世界の賢人16人が語る未来」というサブタイトルがついています。クーリエ・ジャポン講談社が発行するオンライン雑誌で、フランスで発行されている「クーリエ・アンテルナショナル」にヒントを得て創刊されました。外国人を読者に想定して書かれた外国メディアのニュースを日本人に紹介するという手法を取っています。本書は、主に欧州メディアが16人の知識人たちに現在の社会、特にコロナ禍渦中の世界をどう分析し、コロナ後の世界をどう予測するかをインタビューした記事をまとめたものです。 

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カバー表紙の下部

 

本書のカバー表紙には、ハラリ、トッド、タレブ、クライン、ピケティ、サンデルの顔写真が使われ、「予測不可能な大転換の時代を生きるために」「2021年、世界は回復へ向かう」と書かれています。

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カバー裏表紙の下部

 

カバー裏表紙には、「海外メディアだから語った――最高の知性たちの思索」として、以下の発言が並んでいます。
「我々は歴史の渦に入った」――ユヴァル・ノア・ハラリ
「経済問題を解決しなければ、次に起きるのは『市民同士の戦争』」――エマニュエル・トッド
「日本の足を引っ張る大きな要因」
 ――ジャレド・ダイアモンド
「強力な国家への欲求」――フランシス・フクヤマ
「公衆衛生と経済を分けてはいけない」
――ジョゼフ・スティグリッツ
「小さなリスクこそが次の成長を助ける」
――ナシーム・ニコラス・タレブ
「私たちを支配するソリューショニズム」
――エフゲニー・モロゾフ
グリーン・ニューディールは不況に強い」
――ナオミ・クライン
「日本が陥った経済成長減速の罠」
――ダニエル・コーエン
「この世からビリオネアをなくす仕組みを」
――トマ・ピケティ
「すべての問題解決を市場に任せてはならない」
――エステル・デュフロ
「資本主義の感染の連鎖を断ち切られ」
――マルクス・ガブリエル
「エリートが気づかぬ能力主義の闇」
――マイケル・サンデル
「新世界で道に迷わないために」
――スラヴォイ・ジジェク
「惨事の後のレジリエンス」――ボリス・シニュルニク
「絶望と隣り合わせのささやかな希望」
――アラン・ド・ボトン

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
「はじめに」
第1章 コロナと文明
ユヴァル・ノア・ハラリ「私たちが直面する危機」
エマニュエル・トッド
パンデミックがさらす社会のリスク」
ジャレド・ダイアモンド
「危機を乗り越えられる国、乗り越えられない国」
フランシス・フクヤマ
ポピュリズムと『歴史の終わり』」
第2章 不透明な世界経済の羅針盤
ジョゼフ・スティグリッツ「コロナ後の世界経済」
ナシーム・ニコラス・タレブ
「『反脆弱性』が成長を助ける」
エフゲニー・モロゾフ「ITソリューションの正体」
ナオミ・クライン
「スクリーン・ニューディールは問題を解決しない」
第3章 不平等を考える
ダニエル・コーエン「豊かさと幸福の条件
トマ・ピケティ「ビリオネアをなくす仕組み」
エステル・デュフロ
「すべての問題の解決を市場に任せることはできない」
第4章 アフター・コロナの哲学
マルクス・ガブリエル
「世界を破壊する『資本主義の感染の連鎖』」
マイケル・サンデル能力主義の闇」
スラヴォイ・ジジェク「コロナ後の偽りの日常」
第5章 私たちはいかに生きるか
ボリス・シリュルニク
レジリエンスを生む新しい価値観」
アラン・ド・ボトン「絞首台の希望」

 

クーリエ・ジャポン編集部によって書かれた「はじめに」の冒頭は、「医療体制の崩壊、ロックダウン、経済状況の悪化――。2020年に地球全土を襲った新型コロナウイルスの猛威は、文字どおり世界中の人々をパニックに陥れた。世界は混乱し、まるで思考停止状態となってしまったかのようだった。だが、それは同時に、この未曽有の状況下において、コロナという人類共通の問題について世界中の人々が“本気で”対策を考えはじめたとも言える」と書き出されています。

 

続けて、「問題はコロナだけではない。資本主義の行き詰まり、拡大する格差、地球規模の環境破壊・・・・・・人間は、パンデミックを奇貨とし、これらの難題にも一致団結して立ち向かおうという姿勢を生み出したのではないだろうか。そこには一抹の希望さえ見える。コロナ後の時代、ニューノーマルの時代は決して悲観すべきことばかりではないはずだ。本書を一言で形容するならば、世界催告の知性と洞察力を兼ね備えた、いわば「21世紀の賢人」たちが、それぞれの専門分野の立場から世界のいまを分析しつつ、「世界のこれから」について論じた一冊と言えよう。登場人物は以下の16名。まさに世界の賢者を集結させた『知のドリームチーム』といった陣容である」と書かれています。

 

さらに、「いずれも、世界の主要メディアから厳選された記事だけを翻訳・紹介するオンラインメディア『クーリエ・ジャポン』から、特に反響の高かったインタビューを中心に加筆修整をおこなったうえで、『コロナと文明』『世界経済』『不平等』『アフター・コロナの哲学』『私たちはいかに生きるか』といったテーマ別に再構成している」とし、最後に「大著『21世紀の資本』で著名な経済学者トマ・ピケティが説く『格差と資本主義』の関係の本質とは何か。『ブラック・スワン』で有名なナシーム・ニコラス・タレブが語るキーワード『反脆弱性』の正体とは。あるいは、現代を代表する政治哲学者のマイケル・サンデルが主張する『能力主義の闇』とはなぜ生じたのか――こうした知見は、明日を生き抜かなければならない我々に、きっと一筋の光明をもたらしてくれるはずである」と結ばれています。


第1章「コロナと文明」では、イスラエル歴史学者・哲学者であるユヴァル・ノア・ハラリが「私たちが直面する危機」を語ります。「コロナ危機後の世界とは」として、ハラリは「14世紀半ば、こんにち『最初のグローバル化』と呼ばれる時代に、シルクロードを旅する商人たちが中国からもたらした腺ペストは、最初イタリアとフランスを襲い、続いてイギリスに到達して、全ヨーロッパに広がりました。ヨーロッパの人口の半分がその過程で死亡していますが、感染症の深刻な流行がもたらした予想外の結果として、社会が激変し、ルネサンスが起こりました。また、特に西ヨーロッパでは、ペストによる労働力不足が最初の固定給制度や社会権の出現を準備し、封建秩序に終止符を打ちました」と述べています。



老人や病人のケアにおけるロボットの利用に言及したハラリは、「これもまた、乗り越えなくてはならない障壁が多く、しかも乗り越えるのは困難で、経験も限られていました。しかし、看護スタッフが地球規模で緊急に必要となったことで、ロボットが1つの解決策であるということに人びとが気づきました。ロボットは疲れませんし、感染のおそれもないためです。したがって、かなりの医療機関で、増えつづける業務のためにロボットが活用されるようになりました。現在の危機が終わったら、それらの機械は物置に戻されてしまうのでしょうか? 私はそうは思いません。いちばん可能性が高いのは、そのうちの少なくとも何台かがそのまま使われ、危機によってある種の職業の機械化が加速することです」と述べます。


感染症への薬は情報と協力」として、ハラリは「感染症への薬は孤立主義でも分離主義でもなく、情報と協力です。ウイルスに対して人類が非常に有利な点は、効率的に協力できることです。中国のコロナウイルスアメリカのコロナウイルスは宿主が感染する方法についての情報交換をすることはできません。しかし、中国はアメリカに対してウイルスやその対処方法について多くを教えることができますし、支援のための専門家や機材を送ることが可能です」と述べます。さらに、「グローバルな連帯が必要」として、ハラリは「必要なのは、しっかりとした公共衛生システムと有能な科学機関、正しく情報を得た市民とグローバルな連帯です。これらが、今回やこれから起こる感染症に打ち勝つための重要な要素です。これらが不充分だと、人びとが自分たちを保護してくれる独裁者や救世主を待ち望むようになります」と述べるのでした。


フランスの歴史人口学者・家族人類学者のエマニュエル・トッドは、「パンデミックがさらす社会のリスク」を語ります。新型コロナウイルス感染症の死亡者について、「文化が似ていると死亡率も似てくる」として、彼は「最初、この感染症に襲われるのはグローバル化のエリートたちであるように見えましたが、次にお年寄りが襲われる番となり、その後、各大陸の貧しい人たちが苦しむことになりました。まるで新型コロナウイルス感染症が地球全体をスキャナーにかけて特権や力関係を浮き彫りにしているかのようです」と述べています。また、「国の存亡を決めるのは出生数であり、特定の死因の死者数ではありません。ですから全体のバランスを見失ってはいけません」と述べ、さらには「ドライな分析でたいへん恐縮ですが、社会の活力の尺度となるのは、子供を作れる能力であり、高齢者の命を救える能力ではありません。もちろん、お年寄りを救うのは道徳上、絶対しなければならないことではあります」とも述べます。


「コロナ後の世界はどう変わる?」では、「新型コロナウイルス感染症によってブルーカラーの逆襲が始まりますか」という質問に対し、トッドは「社会にとって役立つ人とそれほどでもない人がいることを、今回のパンデミックが証明してくれました。この国が倒れずにすんだのは、トラック運転手、スーパーのレジ係、看護師、医師、教員のおかげであり、金融マンや法律を巧妙に操れる人のおかげではなかったのです。いますべき知的議論は、長い歴史のある議論です。それは『生産的な仕事と非生産的な仕事のどちらを重視してバランスをとっていくか』というものであり、かつて経済自由主義者マルクス主義者や保護主義者と論争を繰り広げました」と述べます。


またトッドは、「英国とフランスは、マネーの流れを占う呪術的思考にはまってしまい、産業力と医療制度を犠牲にしてしまったのです。『未来はシンボルを操作できる者たちのものである』と言ったのは、90年代の第一次クリントン政権で労働長官を務めたロバート・ライシュです。しかし、シンボルを操作できても、新型コロナウイルス感染症の前では何の役にも立ちません。感染症が一目を置くのは人工呼吸器やマスクなのです。コロナウイルスグローバル化に対して最後の審判が下されました。フランスは中国に工場を移動させ、中国はフランスにウイルスを移動させ、マスクや医薬品の生産は中国に残り続けるのです。私たちフランス人は笑ってしまうくらいに愚かです」と述べるのでした。


アメリカの生理学者・進化生物学者・生物地理学者のジャレド・ダイアモンドは、「危機を乗り越えられる国、乗り越えられない国」について語ります。最初に、「今回のパンデミックで学ぶべきことは何でしょうか」という質問に対して、彼は「一国が危機を乗り越えるうえで重要なのがナショナル・アイデンティティ国民意識)です。今回の危機で私たちが学ぶべきことがあるとすれば、それはこの危機を通して人類がグローバル・アイデンティティを築ける可能性が出てきたということです。地球のどこにいても人類全体が運命をともにしていることが自明になりましたからね。新型コロナが人類全体の問題だと気づければ、気候変動や資源の枯渇、格差の拡大、核兵器のリスクといった問題も人類全体の問題だと気づき、人類全体で課題に取り組める可能性が出てきます」と述べています。


また日本について、ダイアモンドは「日本の足を引っ張る大きな要因はいくつかあります。1つは、日本がドイツとは異なり、韓国や中国と意義深い和解ができていないことです。敵対関係がいまも続いていることは危険に思えます。日本を嫌う周辺の国々が軍事力を増強させていることを思うと、日本の軍備は相対的に足りていません。近代社会における女性の役割をまだ受け入れられていないところも日本の特徴です。加えて、日本には移民政策というか、『移民を受け入れない政策』がある。もちろん、どの国にも移民を受け入れるか否かを決める権限はあります。移民の受け入れにはプラス面もマイナス面もありますからね。ただ、人口が減っている国で、いったい誰が保育や介護を担うのでしょうか。誰かがその仕事を担ってくれなければ、女性は仕事に復帰できません。しかも日本の高齢者は、ほとんどの国より長く生きます。財政の問題もあります。現役世代の人口が減ったとき、どうやって年金制度を成り立たせるのでしょうか。日本はまた転換点にある。そう言えるかと思います」と述べています。


さらに「井の中の蛙は痛い目にあう」として、ダイアモンドは日本がアメリカと戦争をして完敗した件に言及します。彼は、「現実的な自己評価ができなかったことには理由があります。明治のときの改革派指導者はみな1853年の開国(ペリー来航)後に西洋に行った経験がありました。日本が開国してから最初にしたことの1つが、西洋に使節団を派遣することでした。1年半かけて西洋を見て回り、最良の制度や慣行を研究したのです。明治の世代は、西洋から学ぶ努力を意識的にしていました。一方、1930年代の日本の軍部の指導者は、西洋での経験がない人が多かったのです。山本五十六はワシントンⅮ.C.の日本大使館付き武官だったので、アメリカの産業力が日本にくらべて圧倒的であることをわかっていました。アメリカに挑むことは得策ではないと知っていたのです。真珠湾を攻撃したらどんなことが起きるのか、警告も発していたのですが、聞き入れられることはありませんでした。それでも山本五十六は、指示されたとおりに攻撃を計画し、実行したのです。大事なのは、国の統治に関わる人たちの世界観が『世界を知ったうえで作り上げられたものであるべき』ということです。自分たちの思考傾向に都合のいい世界観になっていてはいけません」と述べています。


発展著しい中国については、ダイアモンドは「中国には不利な点もあります。それは、この国で一度も民主政が敷かれたことがないため、現実の誤認を指摘することが非常に難しい点です。もちろん民主主義の国にも問題はいろいろありますが、政体が民主主義であれば、重要な理念について議論し、別の選択肢やシナリオを検討できます。一方、中国では、国全体で重要な理念について議論する経験がないに等しい状況です。すべてが鶴の一声で決まってしまいます。人類史上最初の国家が肥沃な三日月地帯に樹立されて以来、独裁国家のほうが物事を速く進められることはわかっています。しかし、独裁制のもとで素早く下された決定が、必ず良い決定になる方法はまだ見つかっていません。中国の歴史を見ればわかるでしょう」と述べます。


「世界は『気候』を乗り越えられるのか」では、国際的な課題に関しては、これまでも帝国や超大国、国連やG20といった国際機関が取り組んできた歴史がありますが、地球上のすべての国と社会が共通の危機に直面し、それを乗り越えていった経験は人類史上前例がないことを指摘し、ダイアモンドは「じつはこの40年で、世界は非常に難しい問題を地味に解決してきた、それなりの実績があるのです。たとえば天然痘の撲滅です。天然痘の脅威を取り除くためには、地球上のすべての国で天然痘を根絶しなければなりません。天然痘の最後の感染者が出たソマリアなど、世界の隅々まで足を運んで達成したのです。排他的経済水域を決める合意もありました。世界中の国々が自国の主権が及ぶ水域を主張していて、それらの水域が重なっていることもあったのです。それにもかかわらず、時間はかかりましたが、国際条約で一定の合意に達することができています」と述べます。


続けて、ダイアモンドは「オゾン層の破壊を食い止めるため、すべての国が大気圏からフロン類をなくすことに合意するという出来事もありました。深海の鉱物資源についても、陸に囲まれた国々も含めて国際合意に到達しています。世界の国々が一致団結して危機に向き合い、乗り越えるには、世界の人びとが共通のアイデンティティを持つことが必要です。そうしたアイデンティティが、行動の方向性に忠誠を尽くすことを可能にするからです。しかしいまは、世界各国でナショナリズムが高まっており、強固なグローバル・アイデンティティが築けていません。気候変動との闘いでは、グローバル・アイデンティティの構築が最重要の課題です」と延べます。


「ある国が成功するのか、それとも失敗するのか。それに影響を及ぼす文化的要素はあるのでしょうか。たとえばシンガポール、台湾、韓国、日本、中国などの儒教文化を持つ東アジアの国々は、数十年で開発途上国から発展して繁栄しているのに対し、アフリカやラテンアメリカ諸国はいまも停滞しているように見えます」という質問に対して、ダイアモンドは「その指摘には一理あります。しかし主流の人類学者たちの間では、発展を妨げる『不健全な文化を持つ社会』といった話は軽蔑されているんです。文化とはルーツや慣習が異なるだけだ、という立場ですからね。儒教文化の特徴は、個人主義が弱く、共同体が強いことです。これが稲作と関係があると指摘する興味深い議論があります。稲作は協力関係や集団作業が必要な経済活動であるのに対し、麦作は農家が個人でできるので、そこが異なるというのです」と答えています。


第3章「不平等を考える」では、チュニジア生まれでパリ高等師範学校経済学部長のダニエル・コーエンが「豊かさと幸せの条件」について語ります。「ヒトは社会で生きることを切望する」として、コーエンは「単純化してしまうと、ヒトは社会で生きることを尋常でないほど切望する動物なのです。そこがヒトがほかの動物と違うところです。ボノボにも社会性はありますが、ヒトはボノボとくらべても社会性が段違いです。人にとっての成功とは、何か絶対的な基準があるわけではなく、つねにほかの人と比較してのことなのです。ですから、むしろ問うべきなのは、なぜ資本主義の世界では、このような他人と自分の比較が、お金という尺度だけに集中するのか、ということなのではないでしょうか。私が資本主義の世界に関して残念に思うのは、お金が人間関係においてこれほど大きな意味を持つようになってしまったことです。『幸福とは義理の兄弟より多く稼ぐことだ』と思えてしまう、そんな世界を作り出したのが、18世紀後半の西洋から発展していった資本主義であり、いまそれが世界全体に広まってしまったのは悲劇的です」と述べています。


また、現在の中国は1960~80年代の日本に似ているとして、コーエンは「中国経済にはまだ大きな潜在能力がありますが、輸出主導型の製造業モデルから内需主導型に切り替えなければならない時期にさしかかっています。この輸出主導型の製造業モデルというものも、もともとは日本が切り拓いたものですよね。中国やほかのアジア諸国は、日本を手本にして高度経済成長を実現しようとしてきたわけです。20世紀の初めは貧しかったのに、戦争を経験しながら、20世紀中に豊かになれた国は、世界に日本しかありません。日本がそれをできたのは、世界市場に参入して経済成長をめざす道を選んだからでした。それに対し、内需主導型にこだわったラテンアメリカ諸国はうまくいきませんでした。いま中国経済は巨大になったので輸出主導型から内需主導型に移行しようとしています。これは非常に難しい転換になるはずです」と述べます。


「人は幸福になるために何をすればいいのですか」という質問に対して、コーエンは「人とともに生きること、信頼できる友人を持つこと、ほかの人との競争をできるだけ敵意のないものにすること。そんなことを意識しています。私はあまり嫉妬する性格ではありません。競争意識もあまりないので、そのおかげで幸せになれている側面はあると思います。いずれにせよ幸福を目標としてとらえるのはよくないですよね。『幸せになろう』と思ってもうまくはいきません。アリストテレスだったかと思いますが、幸福は報酬であり目標ではないと言っています。目標とすべきは、近しい人とともに時間を過ごし、その人たちを助けたり、会話をしたりすることです」と述べます。


続けて、コーエンは「家族や友人だけでなく、交流の範囲をもっと広げるのもいいかもしれません。私は教師なので、自分の教え子がそれぞれの進む道を見つけたときには大きな満足感を覚えます。幸福になるために何かをしようとは思わずに、ほとんど幸福のことは忘れたほうがいいのです。フロイトによれば、幸福とは、寒くて毛布をかけたときに味わう束の間の感覚のようなものだとのことです。心掛けるべきなのは、自分の内の調和を保ち、周りの人とも調和を保つことです」とも述べています。


「社会のウーバー化」として、デジタル資本主義は基本的にはコストを下げる手段として発展してきており、けっして人が働きやすい環境を整えてきたわけではないと指摘し、コーエンは「ただ、映画やラジオも、もともとは演劇やコンサートなどを楽しむコストを下げる発明だったわけです。演劇を見に行くのはお金がかかりました。観劇したければ、まず大きな町に行かなければなりませんからね。映画は、そんな演劇を安く楽しむための手段として開発され、やがて演劇とは異なる別の芸術へと発展していきました。写真も同じです。最初は、コストが高い肖像画を安く提供できる手段として発明されましたが、やがて写真それ自体が、絵画とは異なる別の芸術へ発展していきました」と述べます。


続けて、コーエンは「テレビは映画館に行くコストを下げる発明だったといえます。こちらは映画や写真のように芸術の進歩につながったかというと、判然とはしませんが、いまはネットフリックスで自宅を出なくても、大量の映画を見られるようになりました。一部の続き物のドラマはきわめて上質であり、テレビを刷新させました。ですから大きなイノベーションは、たとえ最初はコスト削減が目的だったとしても、新しい想像力の世界を生みだし、コスト削減という当初の目的を越えた何かになることもあるのです。もちろん、すべてがそうなるわけではありませんがね」と述べるのですが、わたしはオンライン葬儀の進化について考えました。

f:id:shins2m:20210518154441j:plain紫雲閣オンライン  

 

コロナ禍の中で、わが社サンレーは、昨年11月1日より、福岡県エリアの紫雲閣にて、「紫雲閣オンライン」のサービスをスタートさせました。紫雲閣オンラインは、これまで主流であった電話での訃報連絡をスマートフォンからのメールやLINEで簡単に共有いただけるサービスです。共有された故人ごとの専用訃報ページから供物のご注文や弔電、さらには香典もることができるサービスです。もともと、冠婚葬祭互助会そのものがビジネス界における一大イノベーションでしたが、わが社は「ピンチはチャンス」ととらえて、これからもさまざまなイノベーションに挑戦していきたいと思います。

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紫雲閣オンライン 

 

「デジタル・サービスは社会から『集団の経験』を減らす方向に進んでいます。ネットフリックスで映画を見るようになれば、映画館には行かなくなります。コロナ危機では、子供たちが学校に行かずに、自宅で勉強する時期もありました。2020年のアメリカの大統領選では、民主党の党員集会が完全にオンラインで実施されました。集団での経験がなくなり、個人が孤立する状況が増えていったとき、それは経済や社会にどのような影響を及ぼしますか」という質問に対して、コーエンは「これから人がオンラインでしか会わなくなっていくのだとすれば、それは大惨事です。このインタビューの冒頭でも言ったように、人間は社会的な動物であり、人と人の間でしか生きられないのですからね。ヒトという動物の特徴の1つは言語です。言語を使ってほかの人と話をして、その経験から自分が何者なのかを理解し、内面を育てていくのです」と答えます。


そして、オンライン上のコミュニケーションも、コミュニケーションではあるけれども、そこには「身体性」が抜け落ちてしまっていると指摘し、コーエンは「仮にオンラインでしか人が会わない世界が到来したら、身体がそれに反発すると考えられます。いまの人から見れば、奇妙な現象が起きる可能性もあります。たとえば日本では、代理の祖父母や友達をレンタルするサービスがあるという話を読んだことがありますが、社会が人と出会えるチャンスを用意するようになるのかもしれません。人間は出会いを必要とするので、学校や工場で仲間と会って会話をする経験が減っていけば、『他人との関係を作ってくれる産業』が発達していく可能性があります。出会い系アプリの普及を見れば、すでにそれは始まっていると言えるかもしれません。独身者には非常に便利なアプリですが、そういったアプリがあること自体、人が望んでいるほど、他人と出会えていないことを示唆しています。若者は忙しくて人と会う時間がとれないでいるうちに、どんどん年をとって出会いのチャンスが減ってしまっているのです」と述べます。この発言には共感しました。


そして、コーエンは優秀な経済学者を育てた実績でも知られています。教え子にはベストセラー『21世紀の資本』の著者トマ・ピケティ、2019年にノーベル経済学賞を受賞したエステル・デュフロ、2020年の米大統領選の予備選に影響を与えたエマニュエル・サエズやガブリエル・ズックマンもいます。自身の教育観について質問されたコーエンは、「父からは、学ぶことや知識を得ることへの強いこだわりを受け継ぎ、それを自分の娘にも伝えました。私の父は、あらゆる知識を貪るようなところがあり、私にもそれが遺伝しました。私が豊かな気持ちになれるのは、自分がこれまでに読めた本の数々を思うときです。世の中には資産が100万ドルあると豊かな気分になれる人もいますが、私の場合は、それが本を読んで得た知識の量なのです」と述べます。


さらに、コーエンは「本を書くときや、授業をするときに意識しているのは、経済学の話題に哲学や歴史、そしてときには心理学や精神分析の話を混ぜることです。つねに自分の知識の分野を広げることを心掛けてきました。「ルネサンス的教養人」という言葉がありますが、それをめざしてきたのだと思います。いまの世界では、そんなことをするのは場違いな感じもありますが、私はむしろ極度の専門化を求める現代世界に危うさを感じています」と述べるのでした。


そのコーエンの教え子であるパリ経済学校経済学教授で、社会科学高騰研究院(EHESS)経済学教授のトマ・ピケティは、「ビリオネアをなくす仕組み」について語ります。彼は、「格差正当化『神話』を見破る」として、「格差を作るのは、政治です。経済やテクノロジーが『自然』に格差を作りだすわけではありません。だから、どの社会にも「なぜ格差があるのか」を説明する物語が必要になってきます。なぜその格差を受け入れるのが妥当なのかを教える物語も必要です。社会の階層化を正当化し、財産権や国境、租税や教育の仕組みを正当化する物語も必要です。そうしたことに関する過去のイデオロギーの歴史を知ると、現在のイデオロギーも距離を置いて見られます。私たちは過去の時代の格差について不公正で専制的だと思い込みがちです。一方、現代の格差については、能力主義の結果であり、活力の源泉であり、閉鎖的なところがないと思い込みがちです。私自身はそういう見解を一言たりとも信じません」と述べています。


また、「私有財産という『宗教』」として、「19世紀は『財産格差』の黄金期だったことが書かれています」というインタビュアーの発言に対して、ピケティは「フランス革命前の身分制社会は、宗教的な原理にはっきりともとづいていました。一方、革命後に成立した『有産者の社会』では、従来の宗教に代わって、私有財産が神聖不可侵なものとして尊重されました。そこには一種の高所恐怖症のような恐れがありました。ひとたび財産権を俎上に載せたら、とどまるところを知らない事態を招くのではないかという恐れがあったんです。パンドラの箱を開けるのを恐れるあまり、どんな蓄財でも正当化されることになりました。犯罪的な蓄財も正当化されたのです。


「どうしてそこまで財産権へのこだわりがあったのでしょうか」という問いには、ピケティは「19世紀初頭の人びとの脳裏には、まだ革命前の王権の恣意放縦がありました。だから、合理的な国家が私有財産を守るということに、有産者たちは王権からの解放を実感していたんです。それはこれからオープンな世界ができるという約束でもありました」と述べ、さらには「私自身は、この高所恐怖症のような恐れは乗り越えられるし、乗り越えねばならないと確信しています。民主主義に則って、財産権について熟議を重ねるのです。複雑ではありますが、やり遂げられるはずです。支えになるのは歴史の教訓です。20世紀に格差が大幅に縮小された成功事例を思い起こすべきです。レーガニズムの限界が露呈しています。経済成長は半分となり、格差は倍になりました。そろそろ財産権の神聖化のステージを抜け出すときです。資本主義を乗り越えていくときが来ているのです」と述べます。


「あなたの提案は私有財産制を終わらせようとする目論見のようにも思えます」と言うインタビュアーに対して、ピケティは「目標は、財産権の『社会化』や『時限化』を通して、私有財産制を乗り越えていくことです。仮にある人が自分の貯金を全額投じて飲食店を始めたとしましょう。この場合、この人が、開店前日に雇った従業員より、大量の議決権を持つのは当然です。私有財産制は、それが度を越さないかぎり、正当なものです。しかし、政治や経済の権力が一部の人に過剰に集中したり、その権力の集中が長期化したりすることは、避けなければなりません。世の中には、『1株=1票』で動いていないセクターがたくさんあります。大学や文化事業、一部のメディアがそうです。これらの組織は、ちゃんと機能しています。財産権には複数のタイプがあり、それが併存していくべきです。公有財産という仕組みも、必要不可欠な手段であり続けています」と述べるのでした。


フランス・パリ生まれの米マサチューセッツ工科大学教授で、2019年に「世界の貧困削減に向けた、実験にもとづいたアプローチ」が評価されてノーベル経済学賞を受賞したエステル・デュフロは、「すべての問題の解決を市場に任せることはできない」について語ります。「コロナ後の経済秩序は途上国のチャンス」として、デュフロは「企業は今回、仕入先を1ヵ国に集中させる危険を学んだと思います。今後は仕入先を分散させるようになるでしょう。これは中国のような国に対抗するのが難しい開発途上国にとって、大きなチャンスです。少しの支援さえあれば、国際市場に参入し、多くの商品を供給して、自分たちの力を証明することができるでしょう。正しい支援があれば、国際市場への参入を手助けできます。途上国にとっては経済成長の大きなチャンスです」と述べています。


また、「労働のあり方は今後どのように変わるのでしょうか」という問いに対して、デュフロは「コロナ危機によって、企業の経営者が機械化を進めるのではないかという懸念があります。企業はコロナ以前から、人間より機械のほうが適しているわけではない場合でさえ、その可能性にかけようとしていました。税制面で優遇されるうえ、機械は労働組合も作らなければストもしませんし、病気にもなりません。多くの企業が労働者より機械を選んでいます。ですが、失われた仕事の分だけ新たな労働が生まれるわけではありません」と答えています。


「新しい実在論」を唱えるドイツの哲学者で、ボン大学教授のマルクス・ガブリエルは、「世界を破壊する『資本主義の感染の連鎖』」について語ります。今回の勘でミックについて、ガブリエルは「私は、今回の危機を『生態系の危機に対する訓練』のようなものだとみており、社会はより倫理的なものになると思っています。この危機は、生態系の危機に比べたら何でもありません。各国政府は、生態系が危機に瀕し、今後100~200年のあいだに数十万人の命が奪われること、そしてそれが真の危機であることを知っています。なぜなら気候変動の予測モデルは、新型コロナウイルスのそれより正確だからです。気候変動についてはもう50年も研究の蓄積があり、データも豊富です。EUでは新たなグリーン・ディールの必要性を訴える声も聞かれるようになっています。今後、私たちは世界経済の新たなモデルをみることになり、それはグローバリゼーションとは異なるものになるでしょう」と述べます。


現在、わたしたちはやることが減ったというだけで、より倫理的な生活を送っていると指摘し、ガブリエルは「これが、妙なことにこの新たな状況を心地よく感じている理由の1つです。『高齢者を守っているのだ』という一種の連帯感があり、その感覚は人を良い気持ちにさせます。それと同時に、私たちは他者に害を及ぼすさまざまな活動を停止していて、そのことを意識下で感じ取っています。ウイルスの脅威を感じつつも、すべてがストップした今、一種の安堵感を覚えているのです。もしかつての日常に戻れば、新たな感染の波を見ることになるでしょう。そしてウイルスは、私たちが持続可能なビジネスのやり方を見つけない限り、そこにいつづけます」と述べます。


アメリカの政治哲学者でハーバード大学教授のマイケル・サンデルは、「能力主義の闇」について、「このパンデミックでは、一部のエッセンシャル・ワーカーの仕事の価値が認められました。これが労働の尊厳を回復するための一歩になるでしょうか」という質問に対して、サンデルは「その可能性はあります。なぜなら私たちは――なかでも在宅で働ける人たちは、自分は守られていながら、リスクにさらされて働く人たちにどれほど頼っているか、ということに気づかされたからです。配達員や弁護士、スーパーマーケットの従業員、清掃員、病院スタッフ。そういった仕事のステータスは必ずしも高くありません。もしかしたら、そうした仕事をする人たちの貢献の社会的価値を考え直すときがきているのかもしれません」と述べています。


スロベニア生まれの哲学者・精神分析家のスラヴォイ・ジジェクは、「コロナ後の‟偽りの日常”」について語ります。「コロナを巡る『2つの体験』」として、オーストリア出身の心理学者ジークムント・フロイトは自著の『快感原則の彼岸』で、第一次世界大戦で負傷しなかった兵士のほうが負傷した兵士よりもトラウマにうまく対処できず、戦争の恐怖体験の夢を繰り返し見ると書いていることを紹介し、ジジェクは著書『パンデミック 世界をゆるがした新型コロナウイルス』の中で、精神分析ジャック・ラカンの手法を用いて、わたしたちが住む社会的・物質的空間である「リアリティ」と、目に見えないがゆえに全能に見える空間「リアル」をわけて考えるべきだと提唱しています。ジジェクによれば、リアルがリアリティの一部になったとき、人は初めてその問題に向き合えるのだといいます。たとえば、わたしたちは新型コロナウイルス感染症(COVID-19)にかかってやっと、それに「対処できる」と感じるのです。

 

「我々はどのように社会を再構築すべきか?」という質問に対し、ジジェクは「まずは医療に注力すべきです。コロナは世界共通の危機ですから、どこかで感染爆発が起きていたら他国にも飛び火します。世界が協力してこの問題に取り組み、感染の長期化に備える必要があります。グローバルな医療体制がなければ、自国だけを安全な場所にしようとする国が出てくる一方で、ある地域では犠牲者が出つづけるでしょう」と答えます。「では、解決方法は何だと?」という質問には、「各国がしっかりと連携し、助け合うべきです。それこそが真のグローバル化です。この先に立ちはだかる問題にともに立ち向かうために、お互いに持てる力を出し合うのか、それとも自国だけを保護しつづけるのか。これは死活問題です。そのためには、いま非難を浴びているWHO(世界保健機関)を含め、国際機関を強化する必要があります。私もそれを実行に移すべく、新著の印税はすべてフランスの医療援助団体『国境なき医師団』に寄付すると決めました」と答えるのでした。


また、「誰もが社会に還元すべき」として、ジジェクは「私が苛立ちを覚えるのは、不要不急の産業を開始しようとする人がいることです。そういう人たちは経済の活性化が必要だと言いますが、私に言わせれば『経済なんか忘れろ』です。流行のファッションを追い求めたり、新車の買い替えを検討したりといったことは的外れです。どの業界でも大企業が四苦八苦していて悲惨な状態にあるのはわかりますが、そういう企業には救済するだけの価値があるのでしょうか?」と述べます。さらには、「政府はまず、誰ひとり飢えさせないことを保障すべきです。そのためにはおそらく、グローバルな取り組みが必要になるでしょう。でなければ、膨大な数の移民や難民が発生することになります。私たちは旅行やファッションを忘れなければなりません。誰もが自身の能力を最大限に生かして、社会に還元するべきです。私たちが直面する数々の問題を解決する方法が他に考えられますか?」と述べています。

 

ジャーナリストのナオミ・クラインの言う「スクリーン・ニューディール」(コロナによって人類の未来が、収益性が高くて人と触れ合わない生活に向けた「実験室」に変貌する可能性があるとする考え)の到来を懸念しているとして、ジジェクは「政府から途方もなく大きな支援を享受するグーグルやマイクロソフトのようなIT企業は、人びとにテレイグジスタンス(人間がいまいる場所とは異なった場所に実質的に存在し、そこで自由に行動するというVRの概念)のサービスを提供します。たとえばウェブ上で健康診断を受けたり、テレワークで働いたりすると、自分の部屋が自分の世界になります。私はこの状況が恐ろしくてしょうがありません」と述べます。


「このような変化を『進歩』だと考える人もいますが」というインタビュアーの発言に対して、ジジェクは「これによって、浮き彫りになるのが格差です。自宅待機生活ができるのは、人口の半分かそれ以下です。現代社会には、かつての労働者階級とは別に「社会福祉労働者階級」があります。介護士、教育者、ソーシャルワーカー、農業従事者がそうです。このスクリーン・ニューディールが進めば、この階級で働く人びとは消えていくでしょう。たとえば、介護士との直接やり取りはますます減り、デジタル化されていくはずです」と述べます。ジジェクが特に不安に感じているのは、少数の人間に権力が集中することであるとして、「国から協力を得た巨大IT企業の手に集中する権力が、どれだけ大きいか想像できますか? 『ウィキリークス』の共同創設者ジュリアン・アサンジが書いているように、スクリーン・ニューディール下では、グーグルとNSA(米国家安全保障局)のような組織が協力して、私たちをひそかに管理するでしょう」と述べ、最後に「新世界で道に迷わないよう、これからも人生について深く考え続けなければなりません」と訴えるのでした。


第5章「私たちはいかに生きるか」では、フランス生まれのユダヤ精神科医であるボリス・シリュルニクが、「レジリエンスを生む新しい価値観」を語ります。ロックダウン(都市封鎖)が心にもたらす影響について、シリュルニクは「もともと心の不調で悩んでいる人もいます。幼少期のトラウマがある人、恵まれない環境で育った人、家庭内に不和がある人、経済的に不安定な人などがいます。そういった人はロックダウンで受けるダメージが大きくなりかねません。同僚の精神科医数名から、ロックダウン以後、パニック障害の再発が出てきていることを知らされました。私も患者から電話で急性の錯乱状態になったと聞きました。ロックダウンは公衆衛生を守るために必要な措置です。しかし、心を保護してくれるものを持っているか否かで、その影響が変わってきます」と述べています。


「ロックダウンが心の不調につながるのは神経学的にはどのような理由があるのですか」という質問に対して、シリュルニクは「感覚遮断が原因です。精神医学では外界から切り離されたときの影響がよく知られています。動物も人間も、環境からの刺激がなくなったり、自分から環境へ働きかけられなくなったりすると、不安障害が出るほか、ときには幻覚や錯乱も起きます。このことはさまざまな実験でわかっています。独房に入れられた囚人がこれを経験します。潜水艦の乗組員や南極に長期滞在する研究者、無風の海を進むときの遠洋航海の船員もそうです。私も無風の海の上でこの経験をしたことがあります」と答えています。「科学的にはどのように説明できるのですか」という質問には、「感覚遮断が認知の機能を乱すのです」と答えます。ちなみに、脳の画像では、感覚遮断によって、予想に関わる前頭前皮質の萎縮、記憶や情動に関わる大脳辺縁系の萎縮、それから耐えがたい感情が生まれる扁桃体の肥大化が見られたそうです。


「コロナ危機後の社会はどう変わる?」では、「今回の疫病流行は社会をどう変えていきますか」という質問に対して、シリュルニクは「新しい価値観が育つはずです。私自身は、この全力疾走の連続のような生活が終わり、社会がもっとゆっくりとしたものになるのがいいと考えています。どうしてこれほどまでスピードにこだわるのでしょうか。どうしてこれほどの数の機械が必要なのでしょうか」と答えています。また、「機械の数が多すぎると指摘されていましたが、それはどういう意味ですか」という質問には、シリュルニクは「デジタル機器によってコミュニケーションの能力は格段に上がりましたが、人や物との関係が変質してしまいました。昔、私は何か調べ物をするときは書斎の本棚の本に目を通していましたが、いまはグーグルで検索するだけです。検索の性能は素晴らしいですが、ここには『関係』といえるものがありません」と答えます。


「コロナが浮き彫りにする人類の二面性」では、「新型コロナウイルスのトラウマは人類と環境の関係を変えるのでしょうか」という質問に対して、シリュルニクは「変わると思います。中国では大気汚染が劇的に改善しました。フランスでも大気汚染の改善が始まっています。この単純な事実が、地球温暖化も、環境破壊も対処できるものなのだと示しています。新型コロナウイルスによって実験操作ができたようなものです。消費と生産のペースを調整すればいいのなら、なぜわざわざ病気になる必要があるでしょうか」と答えています。また、「ロックダウン中に連帯心を発揮して行動する人もいれば、常軌を逸した個人行動をする人もいます。これはどうお考えですか」という質問には、「これは人間に備わる永遠の二面性ですね。トラウマが生ずるような局面では、人間はつねに相反する反応を示します。1人の人間のなかにも、連帯しようと反応することもあれば、同時にエゴイストというか、他人を食い物にしようとする反応が出てきたりします」と答えます。


「毎日20時に献身的に働く医療従事者に拍手が送られていますが、これはどう分析されていますか」という質問には、シリュルニクは「これも二面性がありますね。1914年に若い兵士たちが戦争に向かったときも、拍手と花と万歳の歓声につつまれて見送られ、向かった先は虐殺の地だったわけですからね。もちろん、この比較は妥当ではありません。でも、私たちが医療従事者に拍手を送るのは、彼らが私たちのために自分を犠牲にしているからです。彼らのうちの何人かはウイルスに感染するわけです。その数が最少にとどまることを願いましょう。拍手を送りながらも、彼らが引き受けているリスクの大きさも心に刻みましょう」と答えます。


そして、シリュルニクは「いま私たちは惨事の真っ只中にあります。ですが私は楽観視しています。惨事の後、私たちは必ず適応し、新しい生き方を探ることになるからです。生物の進化も、危機を経て起きることが理論で示されています。地球ではこれまでに生物の大量絶滅が5回起き、いま人類が6回目を引き起こそうとしています。しかし、人類の意識が高まれば、まだ人類が救われる可能性も残っています。そうなれば新型コロナウイルスパンデミックは有用だったといえるはずです。今回の危機を経て私たち人類と環境の関係、人間同士の関係も変わっていくと思います」と述べるのでした。


スイス生まれの哲学者・作家であるアラン・ド・ボトンは、「絞首台の希望」について語ります。「人間は無知なのでしょうか、それとも都合の悪いことを無視しているのでしょうか?」という質問に対して、ボトンは「両方でしょうね。人間は愚かで傲慢で、欠陥だらけの痛ましい動物です。古代ギリシア人はそれを知っていました。有史以前の時代から、そうした性質は私たちの文化的なDNAに組み込まれているのです」と答えています。


「けれど、私たちはそれを認識しておらず、いま『謙虚』という名の大きなパイを喉につまらせています。飲みこむ力がないんです」という発言に対しては、ボトンは「私たちは、このパイをすべて食べきらなければなりません。人間はこれまで、自分たちは完璧で、安全が保障されていて、状況をコントロールできていると強く信じながら進化してきました。ところが実際には、有害な生物や災難にさらされている、傷つきやすい薄い皮膚のような存在なのです。しかし一方で、私たちは皆どう死ぬべきかわかっています。これはいいことです」と述べ、「いいことなんですか!?」という問いには「もちろんです。『死』だけが、人間がこれまでずっと効率的かつ系統的にできている唯一のことですから」と答えています。さらに、ボトンは「たとえ生き続けたいと願っていても、私たちは死に方を知っています。これはとても重要なことです」と述べます。


「『底辺』に備えよ」では、「死に方を知っていることに、安らぎを見出せるのでしょうか?」という質問に対して、ボトンは「見出せます。たとえそれが、いささか暗い安らぎだとしても。私の一番好きな哲学は、ストア派です」と答えます。インタビュアーが「私もセネカの著作を読みました。セネカは不安にとらわれた人びとに教えを説いた哲学者ですね」と言えば、ボトンは「その通りです。ストア派の哲学者たちは、平和に生きるためには『すべてうまくいく』などと考えないことだと説きました。つまり、『笑って。大丈夫、すべてうまくいくから』などと言う人たちは皆、自分の首を絞めているだけなのです。心に平安をもたらす唯一の方法は、最悪のシナリオを想定することです。そうすれば何が起ころうとも、大丈夫。なぜなら、最悪の事態を受け入れる準備がすでにできているのですから」と述べています。


「コロナ時代に必要なのは、ユーモア、愛、友情」では、「最悪の事態の想定をすると、なおさら不安になるのではありませんか?」という質問に対して、ボトンは「では、実際のところ不安とは何なのでしょう? 不安とは未知、もしくは制御不能なことに対して、必死に対処・コントロールしようとする心の動きです。しかし、現実をコントロールしようとする試みは失敗する運命にあります。その現実がパンデミックであるなら、なおさらです。不安をコントロールするのは不可能だと、私たちは気づくべきです。すべてが不確かなのですから。完璧な安全など存在しません。フランスの哲学者ミシェル・ド・モンテーニュは『たくさんの疑いを枕にして寝れば、思考のバランスがよくなる』という言葉を残しました。こういった哲学こそが、いま求められているものです」と述べます。


わたしたちは、幸福な時間を共有するために友情があると思いがちだけれども、じつはその反対なのであると指摘し、ボトンは「友情とは、痛み、恐れ、不安そして悲劇を共有するためにあります。この先、数ヵ月を共に生きる友人の存在が非常に重要になるでしょう。もうひとつ必要なのが、ロールモデルです。自分ではなかなかできない行動を示し、その行動力で私たちを魅了してくれる人材です。これまで、私たちは億万長者や華やかな生活を満喫するセレブに憧れてきましたが、そんな人物はもはや役に立ちません。私たちに必要なのは、ひどい苦しみのなかでどう生きるかを知っている人たちです。彼らから、私たちはいま取るべき行動を学べます。たとえば仏教徒がつねにブッダの教えに立ち返るように、ロールモデルを参考にするのは効率のよい思考の枠組みなのです」と述べています。


いい死に方と悪い死に方があると考えているというボトンは、「私はいま50歳でそこそこ生きていますが、同年代やもっと年上の人たちと同じように永遠に生きたいとも思います。けれど、もしコロナ危機で命を落とすならそれも仕方ないことです。私たちは永遠に生きる必要があるという考えを捨てるべきだと思います。とてつもなくネガティブなことを言っているように聞こえたら申し訳ないのですが、50歳の人間ならすでに人生でたくさんのことを成し遂げたはずです。50歳の人間が1年以内に脳卒中を起こす確率は1.5%です。心臓発作とか、もっとぞっとするような病気にかかる可能性もあるし、交通事故に遭うかもしれません。私たちはずっと健康のまま長く生き続けられると信じたい誘惑にかられますが、そんなことはあり得ないのです」と述べます。


「必要なのは『絞首刑の希望』」では、「人間は小さな希望なしでは生きられません」と言うインタビュアーに対して、ボトンは「『希望』と聞いて、私が思い浮かべるのが画家のアンリ・マティスです。マティスは苦労の多い人生を送りましたが、彼の絵は希望と幸せにあふれています。太陽は輝き、花が咲き誇り、人びとは微笑みを浮かべて踊っています。彼の作品は感傷的ではありません。感傷的な作品を作る芸術家は、人生は美しいと考えるものです。けれどマティスのように現実的な芸術家は、人生は痛みに埋め尽くされたものだと知っています。だからこそ、希望の大切さを理解しているのです。現実が暗闇だからこそ、輝くようなレモンや花の絵が必要なのです。根拠のない空虚な希望や、『すべてがうまくいくから心配しないで』という安易な慰めではなく、マティスの希望こそがいまの私たちには必要なのです。つまり、私たちには『絞首刑の希望』が必要なのです。人間は皆、最終的には絞首台へと向かいます」と述べるのでした。

唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)

 

ボトンの死生観は、わたしにはよく共感できました。コロナ社会は「死」を意識する社会であり、誰もが死生観を持つべきだと思います。ただ、「死」だけで終わってしまっては意味がなく、さらに「葬」について考える必要があると思います。拙著『唯葬論――なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)にも書きましたが、最も重要なのは、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということです。特に、コロナ禍の中にあっては看取りもできず、遺族は故人の葬儀に立ち会うことすらできません。まさに今、問われるべきは「死」でなく「葬」なのではないでしょうか。世界の賢人16人の思索が詰まった本書を読み終えて、わたしはそのように思いました。

 

 

2021年6月3日 一条真也