『52ヘルツのクジラたち』

52ヘルツのクジラたち

 

一条真也です。
今年のゴールデンウィークも終わりです。例年はこの時期に公開される話題の映画をたくさん観るのですが、昨年に続いて今年もコロナ禍で多くの作品が公開延期されました。その代わりといっては何ですが、次回作『心ゆたかな読書』(現代書林)の校正をじっくり行いました。125万部発行の「サンデー新聞」に連載中の「ハートフル・ブックス」で取り上げた本のうち、珠玉の150冊を紹介するブックガイドです。それから、校正作業の合間に小説を読みました。『52ヘルツのクジラたち』町田そのこ著(中央公論新社)、『自転しながら公転する』山本文緒著(新潮社)、『お探し物は図書室まで』青山美智子著(ポプラ社)の3冊ですが、いずれも女性によって書かれており、2021年本屋大賞にノミネートされています。


3冊とも人生の厳しさと人間の優しさをハートフルに描いた傑作でしたが、わたしが最も感動し、泣きながら読み終えた『52ヘルツのクジラたち』が本屋大賞を受賞しました。わたしは同書を次回の「ハートフル・ブックス」で取り上げ、7月刊行予定の『心ゆたかな読書』の最後の150冊目として紹介することに決めました。小倉が舞台になっていることも嬉しかったです。著者は、 1980年生まれで、福岡県京都郡在住。 「カルメーンの青い魚」で、第15回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。2017年に同作を含む『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』でデビュー。他に『ぎょらん』(新潮社)、『うつくしが丘の不幸の家』(東京創元社)があります。

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本書の帯

 

本書のカバーには暗い深海を描いたような福田利之氏の装画が使われ、帯には「2021年本屋大賞ノミネート!」「全国書店員が選んだいちばん!うりたい本」「『王様のブランチ』TBS系毎週土曜あさ9時30分より生放送」BOOK大賞2020 受賞」「読書メーターOF THE YEAR 2020 第1位」「ダ・ヴィンチ BOOK OF THE YEAR 2020 第4位」「受賞多数で話題の感動作品!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「52ヘルツのクジラとは――他の鯨が聞き取れない高い周波数で鳴く、世界で一頭だけのクジラ。たくさんの仲間がいるはずなのに何も届かない、何も届けられない。そのため、世界で一番孤独だと言われている」「自分の人生を家族に搾取されてきた女性・貴瑚と、母に虐待され『ムシ』と呼ばれていた少年。孤独ゆえ愛を欲し、裏切られてきた彼らが出会い、新たな魂の物語が生まれる――」と書かれています。

f:id:shins2m:20210506154722j:plain2021年本屋大賞ノミネートの3冊

 

最近の小説を読んでつくづく思うのは、みんな書き出しの一文が秀逸だということ。読み始めたとたん、いきなりは好奇心の胸ぐらをつかまれて相手の陣地へ引きずりこまれるような感覚をおぼえます。たとえば、『お探し物は図書室まで』の書き出しは、「彼氏ができた、と沙耶からラインがきたので『どんな人?』と訊いたら、『医者』とだけ返ってきた」ですし、『自転しながら公転する』は「今日私は結婚する。書類上ではまだ煩雑な手続きが残っているが、今日これから結婚式を挙げ、今夜から彼の部屋で暮らすことになる」です。そして、本書『52ヘルツのクジラたち』の書き出しは、「明日の天気を訊くような軽い感じで、風俗やってたの? と言われた。フウゾク。一瞬だけ言葉の意味が分からなくてきょとんとし、それからはっと気付いて、反射的に男の鼻っ柱めがけて平手打ちした。ぱちんと小気味よい音がする」でした。


まどろっこしい前置きはなしで、冒頭にキャッチーな言葉を置いて、「つかみはOK!」といった感じです。読者は「え?」と思い、そのまま一気に物語の流れに呑み込まれてゆきます。しかし、本書の内容は「風俗」という刺激的な単語のイメージとはかけ離れて、非常に重いテーマを扱っています。それも、児童虐待、ネグレクト、モラハラ、DV、LGBT、介護・・・・・・さまざまな現代社会の課題がいくつも扱われています。「ちょっと詰め込み過ぎでは?」と心配してしまうほどですが、サスペンスフルな物語の中にそれらは無理なく溶け込んでいきます。


今年4月14日、東京・神保町で「2021年本屋大賞」の発表会と授賞式が行われました。大賞を受賞した町田そのこ氏は、クジラのブローチをつけて登壇。自作について、「自分の中でわだかまりとして残っていた問題。これを書くことで虐待問題に対する自分の姿勢を再確認して整理し直した」と振り返り、さらに「(この本が出た)昨年の4月は新型コロナで世の中が今よりもっと混乱していた。その中で無名に近い私の本が、果たしてどこまでがんばれるんだろうと不安でした。ただ、この本はどんどん存在感を増していった。この本を売らなきゃとがんばっていただいた出版社、書店の皆さん、たくさんの人の思いが詰まった本を受け取ってくださった読者の皆さんのおかげです」と涙ながらにスピーチしました。

 

本書は、親から長年にわたって虐待を受け、心に深い傷を負った女性・貴瑚が主人公の長編小説です。貴瑚は、かつて祖母が住んでいた大分県の田舎の家に引っ越してきます。そこで、彼女は、言葉を発することができない少年に出会います。少年もまた、親から虐待されているのでした。貴瑚が少年を初めて自分の家に上げたときの彼女の心中が以下のように描かれています。

  

 この子からは、自分と同じ匂いがする。親から愛情を注がれていない、孤独の匂い。この匂いが、彼から言葉を奪っているのではないかと思う。
    この匂いはとても厄介だ。どれだけ丁寧に洗っても、消えない。孤独の匂いは肌でも肉でもなく、心に滲みつくものなのだ。この匂いを消せたと言うひとがいたら、そのひとは豊かになったのだと思う。海にインクを垂らせば薄まって見えなくなってしまうように、心の中にある水が広く豊かに、海のようになれば、滲みついた孤独は薄まって匂わなくなる。そんなひとはとてもしあわせだと思う。だけど、いつまでも鼻腔をくすぐる匂いに倦みながら、濁った水を抱えて生きているひともいる。わたしのように。(『52ヘルツのクジラたち』P.51~52)


書名となっている「52ヘルツのクジラ」とは、普通のクジラと声の周波数が全く違うクジラのことです。クジラにもいろいろな種類がいますが、どれもだいたい10~39ヘルツの周波数で歌います。しかし、52ヘルツの歌声のクジラがいて、あまりに高音ゆえに他のクジラたちには聞こえません。この「52ヘルツのクジラ」について、貴瑚は少年に説明するのでした。

 

 52ヘルツのクジラ。世界で一番孤独だと言われているクジラ。その声は広大な海で確かに響いているのに、受け止める仲間はどこにもいない。誰にも届かない歌声をあげ続けているクジラは存在こそ発見されているけれど、実際の姿は今も確認されていないという。
 「他の仲間と周波数が違うから、仲間と出会うこともできないんだって。例えば群がものすごく近くにいたとして、すぐに触れあえる位置にいても、気付かないまますれ違うってことなんだろうね」
    本当はたくさんの仲間がいるのに、何も届かない。何も届けられない。それはどれだけ、孤独だろう。
  「今もどこかの海で、届かない声を待ちながら自分の声を届けようと歌っているんだろうなあ」
(『52ヘルツのクジラたち』P.71~72)


「52ヘルツのクジラの声」とは、誰も聞けない周波数の音でした。本書には、虐待をはじめ、さまざまな辛い体験のさ中にある人々の「声が届かない悲しみ」「声を聞いてもらえない絶望感」が満ち溢れています。今も、多くの人々が「叫んでも届かない悩み」「聞いてほしくても言えない悩み」を抱えて、52ヘルツの声を上げながら生きているのです。心に重い石を抱えてひっそりと生きるとは残酷なことですが、死なずに生きていれば、その石をどかしてくれ、52ヘルツの声を聞き取ってくれる人が現れる可能性があります。そういう人とは、自身も「叫んでも届かない、聞いてほしくても言えない」体験をした人です。52ヘルツの声を上げつづけた人が、他人の52ヘルツの声をキャッチするのです。そして、孤独の中にあった人の絶望を希望に変えるのです。

隣人の時代』(三五館)

 

しかしながら、世の中には、自身が52ヘルツの声を上げた経験がなくとも、他人の52ヘルツの声を聞き取ることのできる稀有な人もいます。それは、一般に「お節介」と称される人々です。拙著『隣人の時代』(三五館)で、わたしは、高齢者の孤独死や児童の虐待死といった悲惨な出来事を防ぐには、挨拶とともに、日本社会に「お節介」という行為を復活させる必要があると訴えました。昔は、お節介な人が町内に必ず1人はいました。そういう人は、孤独死しそうな独居老人のことも、児童虐待が行なわれているような家庭のことも確実に把握していました。はっきり言って、「親切」と「お節介」は紙一重です。でも、ディープな人間関係がわずらわしいからといって「お節介」な人々をどんどん排除していった結果、日本は「無縁社会」などと呼ばれるようになってしまいました。



わたしは、地域社会には「お節介」というものも、ある程度は必要であると思います。無縁社会を乗り越えるためには、「お節介」の復活が求められると言えるでしょう。「無縁社会」などと呼ばれるようになるまで日本人の人間関係が希薄化しました。その原因のひとつには個人化の行過ぎがあり、また「プライバシー」というものを重視しすぎたことがあります。そのため、善なる心を持った親切な人の行為を「お節介」のひと言で切り捨て、一種の迷惑行為扱いしてきたのです。しかし、「お節介」を排除した結果、日本の社会は良くなるどころか、悪くなりました。わたしは、「お節介」の復活を訴えたいです。


隣人の時代』(三五館)では、「隣人祭り」というものを提唱しました。「隣人祭り」とは、地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うことです。都会に暮らす隣人ったいが年に数回、顔を合わせます。だれもが気軽に開催し参加できる活動なのです。『52ヘルツのクジラたち』の最後には、バーベキュー・パーティーの描写が登場します。幸福感に溢れた描写ですが、新型コロナウイルスの感染拡大によって、このような食事会を開けなくなっている現状がまことに残念です。

 

 お酒を飲み、お肉を食べ、笑い合う。ひとが増えて宴は一層盛り上がる。日が沈み、空には星が瞬き、遠くからは波の音がする。わたしはビールを飲む手を止め、空を仰いだ。温かな笑い声。大事なひとの声。しあわせの匂い。死んでいたわたしが、ここにこうしているのが、ただただ不思議だ。(『52ヘルツのクジラたち』P.248)

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北九州市で開催された「隣人祭り」 

 

 「隣人祭り」といえば、20世紀末にパリで生まれましたが、2003年にはヨーロッパ全域に広がり、2008年には日本にも上陸しました。同年10月、北九州市で開かれた九州初の「隣人祭り」をわが社はサポートさせていただきました。日本で最も高齢化が進行し、孤独死も増えている北九州市での「隣人祭り」開催とあって、マスコミの取材もたくさん受け、大きな話題となりました。冠婚葬祭互助会であり、高齢者の会員さんが多いわが社はNPO法人と連動しながら、「隣人祭り」を中心とした隣人交流イベントのお手伝いを各地で行ってきました。


コロナ禍前の2019年(令和元)まで、毎年750回以上の開催をサポートしましたが、最も多い開催地は北九州市の小倉でした。『52ヘルツのクジラたち』には、貴瑚が救った「52」と呼ばれる少年が以前、小倉の馬借に住んでいたことから、貴瑚とその友人の美晴と52は、3人で小倉を訪れます。小倉駅の周辺のホテルに宿泊しますが、砂津のチャチャタウン小倉の観覧車が「幸せのシンボル」として登場するのもサプライズでした。

 

 小倉駅は、駅舎からモノレールの線路が飛び出して真っ直ぐに伸びている変わった作りをしている。その線路に沿うようにして歩き始めた。拓けた町並みに、美晴が「はじめて来たけどけっこう都会じゃん」と言う。
 「ねえ、52。あんた、こういうところに住んでたの? だったらあんな田舎に移り住んで、不便だったでしょ」
(『52ヘルツのクジラたち』P.128)


この小説は、「愛する人を亡くした人」のための物語、すなわち、グリーフケア小説でした。主人公の貴瑚は、自分が発した52ヘルツの声を聞き取ってくれたかけがえのない人を亡くし、その悲しみを忘れるために東京から九州の田舎町に移住するのですが、その田舎で隣人たちからさまざまなケアを受け、再生していきます。彼女は、自宅近くの海に迷い込んだクジラをその「いまは亡き愛する人」の生まれ変わりだと思い、彼女の心は救われるのでした。


愛する人を亡くした人へ』(現代書林) 

 

グリーフケアといえば、最近わたしは、どんな小説を読んでも、どんな映画を観ても、テーマがグリーフケアであることに気づきます。この理由には3つの可能性があると思います。1つは、わたしの思い込み。2つめは、神話をはじめ、物語というものはすべてグリーフケアの役割を果たしていること。3つめは、本当にグリーフケアを題材とした作品が増えていること。わたしは3つとも当たっているような気がします。

f:id:shins2m:20190817095756j:plainグリーフケアの時代』(弘文堂)

 

わたしには、『グリーフケアの時代』(弘文堂)という共著がありますが、その共著者の1人である上智大学グリーフケア研究所の特任教授で宗教哲学者の鎌田東二先生が、「シンとトニーとムーンサルトレター第193信」で、わたしが何でもグリーフケアの物語に思えるという問題について以下のコメントを寄せて下さいました。「それは単なる思い込みや思い違いではなく、どんな映画や物語にも『グリーフケア』の『要素』があるのだと言えます。そのようなスペクトラムが物語要素として含まれているということではないでしょうか? 美学理論として、アリストテレスの『カタルシス』論はとても有名ですが、アリストテレスは『詩学』第6章で『悲劇』を『悲劇の機能は観客に憐憫と恐怖とを引き起こして、この種の感情のカタルシスを達成することにある』と規定していますね。この『カタルシス』機能は『グリーフケア』の機能でもあるとおもいます」と述べています。


また、鎌田先生は「カタルシスの語源は、古代ギリシャ語の“κάθαρ (kathar)”で、不浄を取り除く浄化儀礼の意味を持っています。つまり、お祓い効果があると考えられてきたわけです。身心霊を浄化するはたらきが『カタルシス』で、それは『排泄』の意味も持っていました。排便や排尿ばかりでなく、落涙すること、すなわち涙を流すことも1つの排泄行為ですね。泣くことによる排泄浄化作用は確かに日々実感するところです。もちろん、あまりに悲しみが深いような場合、涙も出ない、泣くことさえできないという、一種の機能不全や機能停止状態が起こることもありますが、しかし、泣ける段階や状態を経て、次の状態や段階に進むことができるようになります。わたしは、アリストテレスが言う『悲劇』だけでなく、『喜劇』も『音楽』もみな『カタルシス』効果を持っているので、すべてが『グリーフケア』となり得るということだと考えます。笑いのカタルシス効果も絶大でしょう?」と述べます。


さらに、鎌田先生は「大笑いをしている時に涙が出ることがしばしばありますよね。泣き笑いと繋げて言うことがありますが、泣くことと笑うことは感情の爆発であり開放であり、心の排泄であるために、心の浄化につながるわけです。このカタルシス機能は、日常の中にうまく取り込むことで、ストレスの解除にもなり、免疫力のアップにもなります」と述べるのでした。なるほど、「カタルシス」が「グリーフケア」に通じることはよく理解できます。わたしは『52ヘルツのクジラたち』を読み終えたとき、途中で登場人物たちの苦悩や悲嘆に共感して涙が止まらない場面もありましたが、読後感は非常に爽やかでした。考えてみれば、本書にはいくつもの苦悩や悲嘆が描かれていますから、それらを乗り越えた(と感じる)体験は非常に濃いカタルシスをわたしに与えてくれたのでしょう。

 

52ヘルツのクジラたち

52ヘルツのクジラたち

 

 

2021年5月6日 一条真也

「こどもの日」はレインボーマン! 

一条真也です。
5月5日は、「こどもの日」です。「端午の節句」でもあります。拙著『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)に詳しく書きましたが、男の子のお祭りと思われている「端午の節句」は、もともと女の子のお祭りでした。田植えが始まる前に早乙女と呼ばれる若い娘が「五月忌み」という田の神のために仮小屋や神社などにこもりケガレを祓い清めたのが始まりです。つまり、田の神に対する女性のお清めの日でした。

決定版 年中行事入門』(PHP研究所)

 

男の子の行事に変わったのは平安時代からです。端午の節句で使われる菖蒲が「尚武(武事を尊ぶこと)」や「勝負」に通じるということで、男の子が菖蒲でつくった兜で遊ぶようになり徐々に変化していったものです。江戸時代になると、五節供の1つの「端午節供」に定められ、武者人形を家で飾るようになりました。また、中国の「竜門を登って鯉が龍になった」という故事から鯉のぼりを立てるようになり、粽(ちまき)と柏餅を食べるようにもなります。雛人形と同じく、五月人形の販売促進の色彩が近年強くなってきましたが、少子化の現在、子供に関する年中行事をもっと普及させることが求められます。

f:id:shins2m:20210504105304j:plain「こどもの日」は「こどもに戻る日」 

 

さて、わたしにとっての「こどもの日」は「こどもに戻る日」です。毎年、この日には童心を思い起こすようにしています。そのために、昭和の少年時代にタイムスリップすることができる本を読みます。

f:id:shins2m:20210504105359j:plain「こども日」に読んできた本

 

たとえば、ここ数年の「こどもの日」にはブログ『昭和ちびっこ未来画報』ブログ『ぼくらの昭和オカルト大百科』ブログ「今年の『こどもの日』は『怪獣の日』だった!」ブログ『昭和ちびっこ怪奇画報』ブログ『タケダアワーの時代』ブログ『日本昭和トンデモ児童書大全』で紹介した本、を取り上げました。

f:id:shins2m:20210504011418j:plain昨年の「こどもの日」に読んだ本

 

昨年は、ブログ「昭和のこどもの本と映画」で紹介した『昭和こども図書館』と『昭和こどもゴールデン映画劇場』(ともに大空出版)を取り上げました。ともに、「こどもの日」に読もうと思って楽しみに取っておいた本でした。2冊とも1960~70年代のキッズカルチャーの研究家である初見健一氏の著書です。わたしは初見氏の本の大ファンで、そのほとんどを読んでいますが。初見氏は1967年生まれで、わたしの4歳下ですが、いわゆる同世代だと言えます。ですから、この2冊に登場する本や映画も懐かしいものばかりでした。

f:id:shins2m:20210505001532j:plain愛の戦士レインボーマン」の全話DVD 

 

そして、今年の「こどもの日」は、「愛の戦士レインボーマン」のDVDを観ようと思っています。東宝製作の特撮テレビ番組で、原作は川内康範です。1972年(昭和47年)10月6日から1973年(昭和48年)9月28日までNET(現・テレビ朝日)系で毎週金曜日の19:30から20:00に全52話が放送されました。インドの山奥でダイバダッダからヨガの秘術を学んだレインボーマンが、ミスターK率いる死ね死ね団に立ち向かう物語ですが、当時小学生だったわたしは想像を絶するほど大きなインパクトを受けました。その全話のDVDを数年前に購入していたのですが、「いつか、こどもの日にでも観たいな」と楽しみにしていたのです。



Wikipedia「愛の戦士レインボーマン」の「概要」には、主人公レインボーマンについて、「レインボーマンは変身ヒーローの名前である。レインボーマンは必要とする能力に合わせて、七曜にちなむ7種類の姿に変化し、それぞれの姿にちなんだ超能力を発揮する。単独ヒーローが状況に応じて様々に姿や能力を変化させる要素(フォームチェンジ)は、当時としては斬新なものであり、のちの特撮番組にも応用されている。キャラクターデザインは、『正義を愛する者 月光仮面』の監督を務めた岡迫亘弘によるものである」と書かれています。



7種類の姿とは、それぞれ「月」「火」「水」「木」「黄金」「土」「太陽」の化身という設定であり、小学生のわたしはその発想そのものに魅了されたものです。Wikipedia「愛の戦士レインボーマン」の「概要」には、「本作は東宝がテレビドラマのヒーロー物に初参入した番組である。また1970年代の川内康範原作作品としてはテレビアニメ『正義を愛する者 月光仮面』に次ぎ、川内原作作品としても初の変身ヒーローものである。原作者の川内は千葉真一主演した1960年のテレビドラマ『新七色仮面』、『アラーの使者』を本作品の基としているが、単純な勧善懲悪ものではなく、川内の東南アジアにおける旧日本兵の遺骨収集の体験が反映された、数々の特徴をもっている。すなわち、かつて日本に虐待されたと自称する外国人が組織立って日本人に復讐しようとするという敵の設定、祖国が外国から迫害を受けている現実を目の当たりにしながらも、共に戦う仲間を得ることもなく、日本を守るために孤独な戦いを続けるレインボーマンの『祖国愛』、主人公の私生活やヒーローとしての苦悩に重点を置き、主人公をヒーロー番組の人物設定にありがちな完全無欠な性格としていない点、などである」とあります。


仮面ライダーの敵が「ショッカー」なら、レインボーマンが敵対する勢力は「死ね死ね団」です。日本人を憎悪し、日本という国家の滅亡と日本人撲滅を企む悪の秘密結社です。宇宙人や怪物などではない、外国人(白人)による組織です。Wikipedia「愛の戦士レインボーマン」の「概要」には、「ほかの変身ヒーロー番組のように、いわゆる怪人は登場しない。しかし、殺人プロフェッショナルなど、特殊な能力を持った異形の怪人的なキャラクターは存在している」と書かれています。また、「戦いは、変身ヒーローなどに多い1話完結による『怪人対主人公』ではなく、約1クール(13話)からなる『政治的結社の陰謀対それを阻止する主人公』であり、登場する殺人プロフェショッナルやサイボーグはレインボーマン打倒が目的で送り込まれるケースが多い。ヒーロー誕生から敵組織との戦いに至る流れも従来のヒーロー番組とは異質であり、第1話においてはレインボーマンは幻影のみの登場、2-4話ではレインボーマンとなったタケシの人間ドラマが中心で、敵組織の『死ね死ね団』は4話目にして初めて登場する」と書かれています。

f:id:shins2m:20210503171721j:plain死ね死ね団のテーマ」の歌詞を見よ!

 

この「死ね死ね団」のテーマ曲ですが、「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死んじまえ〜」で始まる、トンデモない歌でした。「金で心を汚してしまえ」とか「黄色い猿めをやっつけろ」などの危険な歌詞もあります。「ニッポン人は邪魔っけだ」「黄色いニッポン、ぶっつぶせ」という、凄まじい反日ぶり。ついには、「世界の地図から消しちまえ」「地球の外に放り出せ」と歌われる始末です。とにかく、数百回は「死ね」を連呼しているのではないでしょうか。この世紀の怪曲を作詞したのは、森進一の「おふくろさん」を作詞した、あの川内康範



死ね死ね団」ですが、後に一連の「オウム真理教事件」が起こったとき、オウムとさまざまな点で酷似していると騒がれました。オウム真理教はリアル「死ね死ね団」だったわけですが、今なら東京五輪を強行開催して日本人をコロナで皆殺しにしようとしているIOCを連想してしまうのは、わたしだけではありますまい。インドの変異株じゃなくて、インドの山奥で修行したレインボーマンがIOCの悪だくみを阻止して、なんとか東京五輪を中止してくれないか・・・・・・そんな馬鹿なことを考えているわたしは、あと5日で58歳になる妄想親父なのでありました。

 

2021年5月5日 一条真也

「みどりの日」は庭へ!

一条真也です。
大型連休中ですが、自宅の書斎で次回作『心ゆたかな読書』のゲラ校正に没頭しています。5月4日は「みどりの日」ですね。わたしの妻の名前は「緑」というのですが、もちろん全国の緑サンのために国が休日を定めたわけではありません。祝日法の第2条によれば、「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨としています。ならば、「みどりの日」には庭に出て、新緑の輝きを満喫したいと思います。

f:id:shins2m:20210504120201j:plainわが家の庭 で

 

わたしは、もともと庭園ほど贅沢なものはないと思っています。いくら立派なハードであろうが、庭園には絶対かないません。庭ほど、人の心を豊かにするものはないのです。西洋における庭園は、『旧約聖書』に出てくるエデンの園を再現する試みでした。人気のイングリッシュガーデンでも幾何学的なフランス式庭園でもみんなそうです。



そのエデンの園をもっとも忠実に再現しようとしたのがイスラムの庭園文化でした。『コーラン』において、アラーの神はまさしく、楽園を庭園として規定しました。そしてイスラムの人々は、来世にそれを熱望するだけでなく、現世においてもそのイメージを実現しなければならないと考えたのです。そのあたりは、拙著『リゾートの思想』(河出書房新社)や『リゾートの博物誌』(日本コンサルタントグループ)に詳しく書きました。


中国では道教の思想による神仙庭園が発達し、日本では仏教の庭園文化が花開きました。寺院の境内に極楽浄土の荘厳を試み、寺院の環境から生じる雰囲気によって信仰心を強めようとしたのです。ここに寺院庭園の1つの形式として浄土式庭園が生まれます。庭園とは、天国や極楽、つまりハートピアの雛形だったのです。


わが庭こそハートピア!

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オリュンポスの神々が見守る

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馬と獅子に陽光が降り注ぐ

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池にも緑が・・・

以前、わたしはリゾート・プランナーをやっていたことがあります。この世に楽園をつくろうと思って、数多くのリゾート計画に携わりました。その多くはバブル崩壊などで立ち消えになりましたが、現代人の病んだ心を癒す幸福の空間としてのリゾートは必要だと今でも思います。わたしにとっての楽園とは、わが家の庭なのかもしれません。

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昨秋、猪に荒らされた直後の庭 

f:id:shins2m:20210505002352j:plainその後、なんとか整地しました

 

わたしは、毎日をバタバタと忙しく過ごしています。なかなか、庭の手入れを手伝う時間がありません。せめて、「みどりの日」ぐらいは、罪滅ぼしに芝生の草むしりでもしたいと毎年、庭に出ていました。しかし、昨年の11月に猪にわが家の芝生は荒らされてしまいました。結果的には、それによって『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を書く機会を得たわけですが、やはり今は亡き愛犬ハリーとの思い出が詰まった芝生がなつかしいです。来年春には新たに芝生を張り替えたいと思っています。来年の「みどりの日」には芝刈りがしたいです!

f:id:shins2m:20100418122401j:plainハリーとの思い出が詰まった庭 

 

2021年5月4日 一条真也

憲法改正と五輪中止を!

一条真也です。
大型連休中ですが、わたしはステイホームしています。本当は連休を利用して『五輪は、要らない』という本を書き下そうかとも考えましたが、どうぜ今から書いても遅いと気づいて止めました。代わりに、次回作である『心ゆたかな読書』(現代書林)のゲラが出たので校正しています。さて、5月3日は「憲法記念日」ですね。

f:id:shins2m:20210503165152j:plain時事通信」より

 

わたしは憲法改正肯定派ですが、昨年まで盛り上がっていた憲法改正に向けた機運が一気にしぼんでしまい、残念に思っています。安倍前首相は首相在任中、国会演説などで改憲への意欲を示して、与野党論議を強く促してきました。これに対し、菅首相は言及自体が少なく、3月の自民党大会では改憲を「党是」としながらも具体像は語らず、「まずは国民投票法改正案成立を目指す」と述べるにとどめました。改憲に消極的な印象の菅首相ですが、改憲論議の前提となる国民投票法改正案の審議は進展し、今国会成立へ与野党の調整が大詰めを迎えています。

f:id:shins2m:20210503165222j:plain神戸新聞NEXT」より 

 

憲法といえば、日本国憲法25条は「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(生存権)を有する」と明記しています。「国は社会福祉社会保障、公衆衛生の向上と増進に努めなければならない」とも規定していますが、長引くコロナ禍は社会に暗い影を落としています。厚生労働省によると、2020年の全国の自殺者は前年より912人多い2万1081人。09年のリーマン・ショック以来、11年ぶりに前年を上回りました。


男性は11年連続で減ったものの、女性は過去5年で最多になっています。小中高生の自殺者数も急増し、499人という結果は統計のある1980年以来、最多になりました。コロナ禍で、特に深刻なのが、ひとり親世帯や雇用が不安定な女性たちです。「神戸新聞」には、「憲法の施行から3日で74年。改めて生存権が問われている」と書かれています。「衣食足りて礼節を知る」と言いますが、こんな状況でありながら東京五輪を強行開催するのは狂気の沙汰だと考えるのは、わたしだけではありますまい。


日本国憲法では、あらゆる日本国民の平等を保証していますが、それは五輪憲章でも同じこと。五輪においては、あらゆる参加選手は平等であり、公平に扱われることを保証しています。しかし、ながら、今回の東京五輪は非常に公平性を欠く流れになっています。感染症の世界的権威であるオタゴ大学のマイケル・ベイカー公衆衛生学教授が東京五輪の中止を勧告したと、ニュージーランドの大手メディア「スタッフ」報じました。感染症を専門とする立場から東京五輪の中止または再延期を切実に訴えたベイカー教授は、開催を強行すれば「オリンピック精神への裏切り」と厳しく断じました。

 

「高所得国はアスリートに高い安全性を保証することができるかもしれないが、低所得国のアスリートが参加する場合はどうか。特に予防接種を受ける場合、それはぜい弱な人々からワクチンを奪うことを意味する」と国の状況によって五輪への準備に大きな格差ができてしまうと指摘。さらに、「五輪はグローバルな一体感とフェアプレー精神によって祝福されることを目的としている。低所得国はパンデミックによって荒廃している。そこにフェアプレー精神はない」と糾弾したのです。

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琉球新報」より 

 

もはや公平性の欠片もない東京五輪ですが、ブルシット・セレモニーとしての「聖火リレー」はまだ続いています。新型コロナウイルス感染拡大中の沖縄県内では、2日間にわたって聖火リレーが繰り広げられました。感染拡大対策で、沖縄本島内で公道でのリレーが中止となり、無観客の特設コースが名護市と糸満市に集約されました。会場周辺には「立入禁止」と書かれた規制線や目隠しのフェンスが数百メートルにわたり張り巡らされました。この状況での聖火リレーに、ツイッターでは「無意味の極み」「もうVR(仮想現実)でええ」などと批判や皮肉るコメントも多く見られたそうです。


ある投稿者は、「聖火リレーが地元に来て尚更(なおさら)思うのが、せっかく近くを走ってるのに見に行けないし『今日だったの?』ていう人も多いと思う。こんな状況でオリンピックやる気でいるのが理解できない。地域の祭り、学校行事が中止でオリンピック開催?何言ってんだ」と率直な意見をつぶやいていたそうです。まったく、その通りですね。というわけで、日本政府には、「憲法改正」と「五輪中止」への働きかけを強く望む次第です。

 

2021年5月3日 一条真也

「エヴァンゲリオン」とグリーフケア

一条真也です。
大型連休中の5月3日、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第34回目がアップされます。今回のタイトルは、「『エヴァンゲリオン』とグリーフケア」です。

f:id:shins2m:20210428165712j:plain「『エヴァンゲリオン』とグリーフケア」 

 

冒頭、「(注)作品のストーリーに触れている部分があります」との注意書きの後、「最近、不思議なことがある」と続きます。不思議なことというのは、何の映画を観ても、テーマがグリーフケアであることに気づくのです。この現象の理由としては3つの可能性が考えられます。1つは、わたしの思い込み。2つめは、神話をはじめ、小説にしろ、マンガにしろ、映画にしろ、物語というのは基本的にグリーフケアの構造を持っているということ。3つめは、実際にグリーフケアをテーマとした作品が増えているということ。わたしとしては、3つとも当たっているような気がしています。

 

少し前に話題のアニメ映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観ました。「エヴァンゲリオン」は、1990年代に社会現象を巻き起こしたアニメシリーズです。2007年からは「新劇場版」シリーズとして再始動しており、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」は同4部作の最終作となるアニメーションです。汎用型ヒト型決戦兵器 人造人間エヴァンゲリオンに搭乗した碇シンジ綾波レイ式波・アスカ・ラングレー真希波・マリ・イラストリアスたちが謎の敵「使徒」と戦う姿が描かれます。総監督は、「シン・ゴジラ」なども手掛けてきた庵野秀明です。

 

四半世紀にもわたる壮大な物語は、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」で幕を閉じました。鑑賞後、わたしは「エヴァ」とはまさにグリーフケアの物語であることを知りました。碇ゲンドウは最愛の妻であるユイを失います。ユイとの再会を願う彼は、とんでもない方法でその実現を計画し、その企みは息子であるシンジを巻き込みます。この映画において、シンジはある愛すべき存在を失います。ゲンドウは、最愛の人を失うという自分が味わったこの世で最大の苦しみを息子にも味わわせようとしたのでした。最後に、ゲンドウとシンジが対峙したとき、ゲンドウはシンジに「おまえも、死者の想いを受け止められるようになったとは大人になったな」という言葉を口にします。

 

また、「シン・エヴァンゲリオン劇場版」には、何度も「儀式」という言葉が登場しました。シンジの上司であるミサトも口にしましたが、なんといってもゲンドウの口から何度も「儀式」という単語が語られました。そう、「エヴァ」とは儀式の物語でもあるのです。何の儀式かというと、死者の葬送儀礼、すなわち葬儀です。最期のセレモニーである葬儀は人類の存続に関わってきました。故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えます。もし葬儀を正しく行わなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自死の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。


2021年5月3日 一条真也

『世界一わかりやすい「論語」の授業』 

一条真也です。
57冊目の「一条真也による一条本」は、『世界一わかりやすい「論語」の授業』(PHP文庫)です。2011年12月19日に刊行されました。編集は、造事務所さんにお願いしました。わたしにとっては、『論語』そのものについての初めての著書になります。

f:id:shins2m:20210128143322j:plain世界一わかりやすい「論語」の授業
(2011年12月19日刊行)

 

本書のカバー表紙には孔子と弟子たちのイラストが描かれ、帯には「孔子先生による白熱LIVE!」「個性豊かな5人の弟子と一緒に学ぶ、笑いあり涙ありのかつてない超入門書」と書かれています。また、カバー裏表紙には以下のように書かれています。「2500年の時空を超えて、笑いあり涙ありの伝説の講義が現代に蘇える!本書では、山奥の学校で教鞭をとる孔子先生が、個性豊かな5人の弟子たちに『論語』を伝授します。『勉強が大の苦手、子路』『お金儲けに目がない、子貢』『成績ナンバー1の秀才、顔回』『クラスのムードメーカー、冉有』『自分勝手な問題児、宰我』といったように、あなたに似た弟子がきっとみつかるでしょう。『大事なのは、読書と実践と誠実と信義の4つだけ』『立派な人は、人と調和しようとするが、決して人に流されたりはしない』『どうすれば親孝行ができるのか? それは、病気以外のことで親に心配をかけないことだ』など、マンガと超訳を駆使し、難しい金言が手に取るようにわかる! 白熱の授業がついに開講! 文庫書下ろし」

f:id:shins2m:20210413161552j:plain孔子文化賞受賞記念の帯バージョン

 
論語』は、孔子とその弟子の言行を弟子たちがまとめた書物です。孔子は、紀元前551年、現在の中国に生まれました。同じ聖人であるブッダとほぼ同時代の人で、ソクラテスより80数年早いですね。千数百年にわたって『論語』は、わたしたちの祖先に読みつがれてきました。意識するしないにかかわらず、これほど日本人の心に大きな影響を与えてきた書物は他に存在しません。とくに江戸時代に徳川幕府儒学を奨励すると、必読文献として、武士階級のみならず、庶民の間にも広く普及しました。


湯島聖堂の巨大孔子

 

「君子」という言葉が『論語』には多く登場します。
初めは地位のある人を、後に徳のある人を指す言葉になりました。君子は、いわゆる最高の人格者である聖人とは異なります。あくまで現実社会に存在する立派な人格者で、生まれつきなれるものではありません。『論語』の憲問篇に「君子は上達す」とあるように、努力すれば達しうる境地、それが君子なのです。


湯島聖堂孔子像の前で

 

儒教とか君子とかいうと、孔子は堅苦しくストイックな印象があるのかもしれませんが、大いに人生を楽しんだと思います。何しろ、酒を飲み、きれいな色の着物を好み、音楽を愛した人でした。『論語』には「楽しからずや」「悦ばしからずや」といったポジティブな言葉が多く見受けられます。仏典や聖書には人間の苦しみや悲しみについては出てきても、楽しみや喜びなどはまず見当たりません。この点、『論語』にポジティブな言葉が多いのは、本当にすばらしいことだと思います。


5人の弟子が登場します

 

また、『論語』に出てくる孔子は完全無欠な聖人としてではなく、血の通った生身の人間として描かれています。そして、孔子は何よりも偉大な先生でした。たとえば、弟子それぞれによって教え方を変えたりしました。すなわち、相手に一番ふさわしいメッセージを与えたのです。本書には、タイプの異なる5人の弟子が登場します。きっとこの本を読むあなたに似た弟子が必ず見つかると思います。


北陸大学での講義のようす

 

わたしは当時、北陸大学の客員教授として、「孔子研究」の授業を担当していました。学生の中には、孔子を生んだ国である中国や儒教が盛んな韓国からの留学生もたくさんいました。彼らに孔子が残したメッセージをわかりやすく伝えるため、わたしは黒板に『論語』の一節を書き、身振り手振りをまじえ、ゆっくりとした日本語で説明していました。日本人のみならず、中国人や韓国人の「こころ」のDNAの中には、孔子が説いた「人の道」がきっと生きていると信じています。

                                   
5つの授業から構成されています

本書の「目次」は、以下の通りです。
〈はじめに〉「『論語』を学んで、君子になろう!」
「楽しく学べる「論語」学校」
「本書の6大特徴」
1限目
[下学上達]成長するため、学び続ける
(1)人は学問で成長
(2)学問への心構え 
(3)何をするにもまずは「健康」
(4)豊かな人生を送るための学問
(5)学べば近づく理想の自分
孔子が遺したもの〈1〉]
門下に集った有能な人材「孔門十哲」その(1)
2限目
[人間関係]他者から信頼、尊敬される
(1)人とのつながりで成り立つ社会
(2)つき合うべき相手の判断基準
(3)人生において友人は宝物
(4)意思の疎通のさまざまな重要性
(5)好かれる人 嫌われる人
孔子が遺したもの〈2〉]
門下に集った有能な人材「孔門十哲」その(2)
3限目
[率先垂範]先頭に立ち、指導力を発揮する
(1)リーダーが備えるべき資質
(2)リーダーとしての下の者への接し方
(3)だれもがあこがれる理想の上司の姿
(4)目指すべき真のリーダー像
(5)努力の継続から生まれるリーダー
孔子が遺したもの〈3〉]
日本のリーダーが取り入れた「儒教」の概念
4限目
成功哲学]目標を定め、達成する
(1)望みどおりの人生を生きる条件
(2)人格をさらに高めるための教養
(3)万事に欠かせないバランス感覚
(4)成功するために避けること
(5)本当の成功 本当の幸福
孔子が遺したもの〈4〉]
日本人になじみ深い
論語』出典の「故事成語
5限目
[礼儀作法]日々の生活を円滑にする
(1)見直すべき礼儀作法
(2)肉親への礼儀作法
(3)社会人に必要な基本的な礼儀作法
(4)日常生活において実践する礼儀作法
(5)社会秩序を支える礼儀作法
論語」学校卒業式


6大特長があります

 

それぞれの授業ごとに『論語』の金言を紹介。
さらに、わたしの超訳を加えた上で解説しています。
本書には、類書にはない、次の6大特長があります。
1.テーマ〜この授業で、何について学べるかが、ひと目でわかります。
2.金言〜『論語』に収録されている孔子の教え(金言)を紹介します。
3.超訳〜金言を現代風に解説しています。金言とセットで読みましょう。
4.授業内容〜金言をもとに、孔子が「人として大切なこと」を教えてくれます。
5.補習授業〜この授業でいちばん大切な教えを、孔子と生徒が確認します。
6.授業のキーワード〜授業に出てきた重要な単語をわかりやすく説明します。

 
「わかりやすさ」を追求しました

 

本書は、造事務所さんの編集協力により、マンガを取り入れるなど、とにかく「わかりやすさ」を追求しました。やはり造事務所と一緒に作った『開運! パワースポット「神社」へ行こう』(PHP文庫)と同じく、つぼいひろき氏がマンガを描いてくれています。おかげさまで、類書を圧倒する非常にポップな『論語』入門書になったと思います。どこからでも気軽にページを開き、楽しみながら『論語』の魅力を味わえます。


北陸大学での講義のようす

 

論語』は全部で20篇あり、512の短文が収められています。その中でも、特に現代人が指標生きるうえでの指標となる金言を100程度選びました。なお、書き下し文は岩波文庫論語』(金谷治訳注)を参考にしています。本書を読まれた方が、社会の中で幸せに生きるための言葉に1つでも多く出会い、その言葉が一生の宝物となることを願っています。


北陸大学での講義のようす

 

大山倍達は「空手バカ一代」ですが、わたしは「論語バカ一代」を目指しています。ブログ「論語三昧」に、わたしの『論語』への傾倒ぶりが書かれています。当時も今も『論語』ブームであり、はっきり言って類書は多いです。しかし、「論語バカ一代」が書いた『世界一わかりやすい「論語」の授業』をぜひ御一読下さい。同書はおかげさまで多くの読者を得て、特に電子書籍ではアマゾンでも1位を続けています。

 

世界一わかりやすい「論語」の授業 (PHP文庫)
 

 

 

2021年5月2日 一条真也

5月度総合朝礼

一条真也です。
新型コロナウイルスの感染拡大が収まらないどころか悪化する中、5月になりました。1日の朝、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールで、サンレー本社の総合朝礼を行いました。もちろん、ソーシャルディスタンスには最大限の配慮をしています。

f:id:shins2m:20210501103714j:plain最初は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20210501084720j:plain社歌斉唱のようす

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新緑カラーのマスク姿で登壇しました

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新緑カラーのマスクを取りました

 

全員マスク姿で社歌の斉唱および経営理念の唱和は小声で行いました。それから社長訓示の時間となり、わたしが五月(さつき)の新緑をイメージしたマスク、ネクタイ、ポケットチーフという姿で登壇しました。わたしは、まず、「4月25日から東京・大阪・京都・兵庫の4都府県に3回目の緊急事態宣言が発出されました。アナクロそのものである禁酒法と灯火統制には、あきれてものが言えません。そこまでして、東京五輪を開催したいのでしょうか?」と言いました。

f:id:shins2m:20210501085335j:plain社長訓示のようす

 

それから、わたしは以下のような内容の社長訓示を行いました。国民のほとんどは、五輪の開催に反対しています。また、落語家の立川志らく氏も言っていましたが、子どもたちが運動会もできずに悲しい思いをしているのに、どうして大人の運動会を無理して開催しなければならないのか。世界的に変異株が生まれているのに、どうして世界の人々を日本に集めるのか。命より大事な運動会などありません。そもそも五輪を「平和の祭典」などと表現する輩もいますが、結婚こそは「最高の平和」であり、本当の平和の祭典とは、五輪などではなく、結婚式のはずです。

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日本人にとって儀式とは何か?

 

ところで、「入学式も卒業式もムダ。3月4月すべての儀式が日本人を不幸にする」という記事が配信され、強い違和感をおぼえました。記事のリード文には、「3月4月の日本では、卒業式や入学・入社式等々多くの行事が行われますが、それらはすべて『ムダな儀式』と言い切ってしまって間違いないようです。今回のメルマガ『冷泉彰彦プリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、前掲の行事を『オワコン』と一刀両断。その上で、それらの儀式を無意味と判断せざるを得ない理由を、冷静な筆致で明らかにしています」と書かれています。記事を読んでみると、率直な感想は「春の一連の儀式について悪意を持って書くとこのようになるのかな」と思いました。また、主張に論拠もなく、主観を振りかざすばかりで、特に得るものがありませんでした。

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1年遅れの入学式について

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熱心に聴く人びと

儀式については、当然いろいろな意見があると思いますが、1人1人の多様な人間が、それぞれの儀式で何を得るかなどを考えず、価値感の押し付けをする独善的な印象です。この春、新型コロナウイルスの影響で昨春の入学式を中止とした大学が今春、新2年生向けに「1年遅れの入学式」を行うケースが相次ぎました。オンライン授業中心でキャンパスに通うこともままならなかった学生たちは「ようやく大学生の実感が湧く」と喜んでいました。1年遅れの入学式を希望するかと大学側が新2年生たちにアンケートを取ったところ、じつに80%以上の学生が希望したそうです。これを知ったわたしは、彼らが入学式もないまま大学生活をスタートして、どんなに不安な毎日を送っていたかと思い、泣けてきました。わたしが客員教授を務める上智大学でも、新型コロナウイルスの影響で去年中止となった入学式が開かれ、400人もの新2年生たちが一年遅れの式典に臨みました。

f:id:shins2m:20210501085127j:plain儀式は何のためにあるのか?

 

そもそも、儀式は何のためにあるのか?
儀式が最大限の力を発揮するときは、人間のココロが不安定に揺れているときです。もともと、「コロコロ」が語源であるという説があるぐらい、ココロは不安定なものなのです。まずは、この世に生まれたばかりの赤ちゃんのココロ。次に、成長していく子どものココロ。そして、大人になる新成人者のココロ。それらの不安定なココロを安定させるために、初宮参り、七五三、成人式、結婚式があります。さらに、老いてゆく人間のココロも不安に揺れ動きます。なぜなら、人間にとって最大の不安である「死」に向かってゆく過程が「老い」だからです。しかし、日本には老いゆく者の不安なココロを安定させる一連の儀式として、長寿祝いがあります。

f:id:shins2m:20210501115929j:plainココロを安定させるカタチ を!

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熱心に聴く人びと

そして、人生における最大の儀式としての葬儀がある。葬儀とは「物語の癒し」です。愛する人を亡くした人のココロは不安定に揺れ動きます。ココロが動揺していて矛盾を抱えているとき、儀式のようなきちんとまとまったカタチを与えないと、人間のココロはいつまでたっても不安や執着を抱えることになります。このように、カタチにはチカラがあるのです。葬儀という儀式の本質は卒業式です。そう、「人生の卒業式」です。卒業とは環境が激変することであり、最もココロが不安定となってストレスが増大します。これに続く入学式ではストレスが最大になります。だから、ココロを安定させるカタチである卒業式や入学式が必要なのです。

f:id:shins2m:20210501085217j:plain鎌田先生からのメッセージ

 

わたしの文通相手である宗教哲学者の鎌田東二先生も、「シンとトニーとムーンサルトレター第193信」において、「儀礼や儀式は思いをカタチにするために必要なプロセスであり様式であり大切な象徴作用であると考えているので、それは無駄であるどころか、人間文化と人間行動の根幹をなすエートス(倫理)とパトス(情念)の基盤であると認識しています。実際、上智大学の学生の入学式や卒業式、また 上智大学グリーフケア研究所グリーフケア人材養成講座への社会人受講生への開講式の様子を見たり、感想を聞いたりしていると、今もなお、節目節目の儀式がいかに大事であるか、各人各個の人生の節目や覚悟やふりかえりや思い出になっているか、痛感します」と述べられています。

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最後に道歌を披露しました

 

人のココロは、人生のさまざまな場面でのカタチによって彩られます。人には誰にでも「人生の四季」があるのです。その生涯を通じて春夏秋冬があり、その四季折々の行事や記念日があります。大切なことは、自分自身の人生の四季を愛でる姿勢でしょう。そして、最後に「儀式は日本人を不幸にするどころか、幸福にするテクノロジーです。わたしたちは儀式を生業(なりわい)としていることに誇りを持って、日本人の幸福のために励みましょう! 」と述べてから、以下の道歌を披露しました。

 

カタチにはチカラがあると思い知れ

     儀式なくして人生はなし 

 

f:id:shins2m:20210501090325j:plain「今月の目標」を唱和

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最後は、もちろん一同礼!

 

総合朝礼の終了後は、サンレーの本部会議を行います。昨年はなんとかコロナイヤーを黒字で乗り切りましたが、コロナ2年目となる今年は正念場を迎えています。全社員が全集中の呼吸で全員の力を合わせて最後まで走り抜きたいです。大型連休の最中ではありますが、変異種の感染にも万全の注意を払いながら、気を引き締めていきたいです。

 

2021年5月1日 一条真也拝