『孔子とドラッカー 新装版』 

一条真也です。
54冊目の「一条真也による一条本」は、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)です。2014年7月20日に刊行されました。2006年刊行の『孔子とドラッカー』は多くの方々に読まれ、版を重ねてきましたが、全面アップデートを目指して新装版を刊行したのです。前回と同じく、「出版界の青年将校」こと中野長武さんが編集してくれました。現在、中野さんは三五館シンシャの代表です。


孔子とドラッカー 新装版
(2014年7月20日刊行) 

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本書の帯

 

新装版のカバーは、コラージュを使ったPOPなデザインになっています。帯に「二人がいつも助けてくれた!」と大書され、「大学で『孔子研究』『ドラッカー研究』の講義を担当、いま最も碩学とされる経営者の、『マネジメント』を理解する『論語』の読み方」というコピーが記されています。もちろん版元が考えたコピーですが、自分のことですので非常に面映いです。特に「碩学」という言葉には、穴があったら入りたい心境です。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には「『究極のマネジメント』がここにある!」として、「ドラッカーを最高の経営通、孔子を最大の人間通としてとらえる私は、両者の思想に大きな共通点を発見した。孔子は政治という視点、ドラッカーは経営という視点であったが、ともに『どうすれば、社会の中で人間は幸せになれるか」を追求したのである。この発見をもとに、人間の心を動かす法則を集めてみた」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。
「はじめに――平成心学のために」
第1章 無限のマネジメント

  •    愛と思いやりこそ、すべての基本である
  •    大義名分を持たない者はほろびる
  •    人としてふみおこなうべき道を守る
  •    知識よりも智慧によって自己を知る
  •    あらゆる人に真心で接し、誠を尽くす
  •    人の真の価値は信念によって決まる
  •    生命体の連続性を説く壮大なる観念
  •    年少者の想いと年長者の信頼
  •    無私の強い想いが共感を呼ぶ
  •     それは必ず実現できる
  •     悪を垣間見ることも必要である
  •     天地自然の理を知り、経営理念を持つ
  •     宇宙の一員であるという人間観の発見

第2章 和合のマネジメント

  •    主体性を保ちながら他者と協調する 
  •    山の頂で再会することを誓いあう
  •    ライバルの存在が真の実力を養う
  •    アリストテレスに学ぶ対話教育の可能性
  •    コーチングとは、叱りながら褒めること
  •    黙々と人知れず、心を貯金する
  •    学びは人間学と職業学にきわまる
  •    本、メール、ハガキ、人の心を読む
  •    書くことにより縁と志は強くなる
  •    見えないものを見る眼とは何か
  •    リーダーは言霊を繰り返し語れ
  •    いい話も悪い話も耳傾けて聞け
  •    袖すり合った多少の縁をも生かせ
  •    絶望の中にも生きる意味を見つける
  •    人事を尽くして天命を待つ
  •    自分の運を信じれば、道は開ける
  •    論語と算盤で、義と利は両立する
  •    過失は責任転嫁せず、心から謝罪すべし
  •    時間とは人間の生命そのものである
  •       時代を見通す先見力が必要である
  •    統計的研究が行き詰まりを打開する

第3章 天心のマネジメント

  •    サービスとは、喜びを与えること
  •       とにかく自らの強みに集中せよ
  •       自分の弱さを容認し、弱さに徹する
  •    五感で感じれば、心は豊かになる
  •       心ある謝罪と感謝で信頼を得る
  •     顧客満足だけが企業を存続させる
  •     決して逃げずに正しいことをする
  •     上達して君子に至れば、信を得る
  •     公のための怒りをもって事にあたる
  •     ユーモアと笑顔が福を呼ぶ
  •        感情量の大きさが人を動かす
  •        ひとりの狂者が世界を変える
  •     ミッションこそが企業の命である
  •     天を相手に正々堂々と仕事する

「あとがき――月光経営をめざして」
「引用・参考文献一覧」

 

論語 (岩波文庫)

論語 (岩波文庫)

 

 

孔子とドラッカー』が刊行されてから5年。その間、本書を取り巻く環境は激変しました中国では孔子リバイバルが起こり、たいへんな『論語』ブームとなりました。ブームの火付け役は、北京師範大学の于丹(ユータン)教授です。彼女が中国CCTVの人気番組で『論語』についての講話を行なったところ、大ヒットしたのです。当時は中国の全人口の約半分が視聴しているといわれ、その数はなんと7億人だそうです。そのときの講話をまとめた本は、海賊版も含め、これまでに1000万部以上が売れたとか。中国の最高指導者・胡錦濤国家主席もいたく感動したそうで、多くの中国の人々が『論語』を愛読するようになったといいます。北京オリンピックの開会式では、『論語』の言葉が引用されました。

 

マネジメント[エッセンシャル版]
 

 

 一方、ドラッカーは日本で大ブームとなりました。作家の岩崎夏海氏の『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』(『もしドラ』)が2009年末にダイヤモンド社から発売されるや、大ベストセラーとなったのです。ライトノベル風にドラッカーのマネジメント理論を解説した同書は、2011年4月現在で電子版とあわせ累計で250万部を突破。NHKでアニメ化、人気アイドルの主演で映画化もされるという一種の社会現象にまでなりました。この『もしドラ』によって、これまでビジネスマンの世界では有名であった「ドラッカー」の名前が一躍、日本中に知れ渡ることになったと言えるでしょう。

 

 

このように時代は、明らかに「孔子」と「ドラッカー」を必要としています。本書『孔子とドラッカー 新装版』は、わたしが発見した多くの両者の共通点を中心に、「人は、必ず心で動く」ということを説いた本です。本書によって、孔子ドラッカーの新しい一面を知っていただくのも嬉しいですが、何より「人間の心」に関心を持っていただければ、著者としても新装版を出した甲斐があると言えます。新装版ではカバーを一新し、ハードカバーをソフトカバーに変えただけではありません。本書の中に出てくる項目の多くを新たに改稿しました。特に、「義」や「智」の一部を書き換えた他、「信」「悌」「欲」「縁」「祈」「謝」「笑」「泣」をほぼ全面改稿、さらには新たに「過」という項目を書き加えました。そして、改稿した項目についてはすべて孔子およびドラッカーの考え方に触れています。まさに、最強モードで生まれ変わったと言えるでしょう。

 

 

 

2021年4月26日 一条真也

土偶の正体

一条真也です。
4都府県に3度目の緊急事態宣言が発出された25日の日曜日、自宅の書斎でヤフーニュースを見ていたら、興味深い記事が目に飛び込んできました。JBpressが配信した「日本考古学史上最大の謎『土偶の正体』がついに解明」というタイトルの記事です。

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「ヤフーニュース」より 

 

ブログ「縄文展」でも紹介したように、わたしは縄文時代に並々ならぬ関心を抱いています。今から約1万3000年前、氷期が終わりに近づいて温暖化が進み、入り江や干潟が生まれ、現在の日本列島の景観が整いました。この頃に日本では土器作りが始まります。縄文時代の幕開けです。「土偶」とは縄文時代に作られた素焼きの人形です。1万年以上前から土偶の制作が始まり、およそ2000年前には姿を消しました。



現在までに2万点近い土偶が発見されていますが、女性や妊婦をかたどったものだというのが従来の定説でした。有名な青森県亀ヶ岡遺跡から出土した遮光器土偶重要文化財東京国立博物館所蔵)などは、宇宙服を着た古代の宇宙人であるといったSF的見解も流行しました。しかし、2021年4月に刊行された『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』(晶文社)で、人類学者の竹倉史人氏は驚きの新説を提唱しました。

 

土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎

土偶を読む――130年間解かれなかった縄文神話の謎

  • 作者:竹倉 史人
  • 発売日: 2021/04/24
  • メディア: 単行本
 

 

当該記事で、竹倉氏は「結論から言おう」と述べ、続けて「土偶縄文人の姿をかたどっているのでも、妊娠女性でも地母神でもない。〈植物〉の姿をかたどっているのである。それもただの植物ではない。縄文人の生命を育んでいた主要な食用植物たちが土偶のモチーフに選ばれている。ただしここで〈植物〉と表記しているのは、われわれ現代人が用いる『植物』という認知カテゴリーが、必ずしも縄文人たちのそれと一致しないからである。私の土偶研究が明らかにした事実は、現在の通説とは正反対のものである。すなわち、土偶の造形はデフォルメでも抽象的なものでもなく、きわめて具体的かつ写実性に富むものだったのである。土偶の正体はまったく隠されておらず、常にわれわれの目の前にあったのだ」と述べます。



また、竹倉氏は以下のように述べています。
「ではなぜわれわれは一世紀以上、土偶の正体がわからなかったのか。それは、ある一つの事実がわれわれを幻惑したからである。すなわち、それらの〈植物〉には手と足が付いていたのである。じつはこれは、『植物の人体化(アンソロポモファイゼーション、anthropomorphization)と呼ばれるべき事象で、土偶に限らず、古代に製作されたフィギュアを理解するうえで極めて重要な概念である。たしかに土偶は文字ではない。しかしそれは無意味な粘土の人形(ひとがた)でもない。造形文法さえわかれば、土偶は読むことができるのである。つまり土偶は一つの“造形言語”であり、文字のなかった縄文時代における神話表現の一様式なのである』

 

 

そしてそこからひらかれる道は、はるか数万年前の人類の精神史へとつながっているとして、竹倉氏は「私の土偶の解読結果が広く知れ渡れば、日本だけでなく、世界中の人びとがJOMONの文化に興味を寄せ、そしてDOGŪというユニークなフィギュアが体現する精神性の高さに刮目することだろう」と述べます。また、竹倉氏は、19世紀末にイギリスの人類学者ジェームズ・フレイザーが著した『金枝篇』に言及し、「私が特に注目したのはフレイザーが叙述している『栽培植物』にまつわる神話や儀礼である。植物の栽培には必ずその植物の精霊を祭祀する呪術的な儀礼が伴うことを、彼は古今東西の事例をあげて指摘している」と述べます。

 

 

「野生の思考」を生きる人びとにとって、植物を適当に植えるということはあり得えません。播種が行われるのは単なる畑ではなく、植物霊が集う聖地だからです。竹倉氏は、「一粒の小さな種が発芽し、伸長し、何倍もの数の種を実らせるのはまさに奇跡であって、精霊(生命力)の力と守護がなければ絶対に成就しない事業である。それゆえ播種にあたっては、植物の順調な活着と成長を精霊に祈願してさまざまな呪術的儀礼が行われる。古代人や未開人は『自然のままに』暮らしているという誤解が広まっているが、事実はまったく逆である。かれらは呪術によって自然界を自分たちの意のままに操作しようと試みる。今日われわれが科学技術によって行おうとしていることを、かれらは呪術によって実践するのである」と述べます。

 

儀式論

儀式論

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2016/11/08
  • メディア: 単行本
 

 

このあたりは拙著『儀式論』(弘文堂)の第四章「呪術と儀式」で詳しく書きましたが、竹倉氏は「呪術が科学技術より優先する社会において重要なのは、儀礼を通じて、自分たちが資源利用する植物の精霊と円滑なコミュニケーションをとることである。とりわけその食用植物が自分たちの食生活の中心となっていたり、交換財としての価値が高い場合には、『植えっぱなし採りっぱなし』ということはあり得ない。播種の春には歓迎会が開催され、人間界へ来訪する精霊たちをご馳走と歌舞でもてなし(予祝儀礼)、収穫の秋にはふたたび宴席を設けて当該シーズンの精霊の事業を顕彰し(収穫儀礼)、翌年の来訪を約束して盛大な送別会が行われる。こうしたことからも、『植物を成長させる精霊』という観念と『それを祭祀する儀礼』という事象が、植物栽培によって生命を繫いできたわれらホモ・サピエンスにとっていかに普遍的なものであるかがわかるだろう」と述べます。

 

図説 金枝篇

図説 金枝篇

 

 

竹倉氏は、「フレイザーの『金枝篇』は、こうした植物霊祭祀の慣習と心性が、食用植物を重点的に資源利用するほぼすべての文化においてみられることを明らかにした人類学の古典なのである」と述べます。縄文時代にはすでに広範な食用植物の資源利用が存在していました。しかも地域によっては、トチノミなどの堅果類を“主食級”に利用していた社会集団があったこともすでに判明していることを指摘し、竹倉氏は「ということは、そうした植物利用にともなう儀礼が行われていたことは間違いないのであるが、なぜか縄文遺跡からは植物霊祭祀が継続的に行われた痕跡がまったくといっていいほど発見されていないのである。一方、それとは対照的に、動物霊の祭祀を行ったと思われる痕跡は多数見つかっている」と述べています。



ここで疑問が浮かびます。なぜ、最重要と思われる植物霊祭祀の痕跡は見つかっていないのか。これについて、竹倉氏は「植物霊祭祀の痕跡が見つかっていない」のではなく、本当はすでに見つかっているのに、われわれがそれに気づいていないだけだという可能性を示唆します。そして、「実はこれこそが私の見解なのだ。つまり、『縄文遺跡からはすでに大量の植物霊祭祀の痕跡が発見されており、それは土偶に他ならない』というのが私のシナリオである。このように考えれば、そしてこのように考えることによってのみ、縄文時代の遺跡から植物霊祭祀の痕跡が発見されないという矛盾が解消される」と述べるのでした。


この竹倉氏の説には大いに納得。エーリッヒ・フォン・デニケンやグラハム・ハンコックといったトンデモさんたちが好む古代宇宙人説などよりも、フレイザーの『金枝篇』という古典中の古典からヒントを得て、人間は儀礼を必要とする存在であることを見事に解き明かしています。竹倉氏の著書『土偶を読む 130年間解かれなかった縄文神話の謎』は早速、アマゾンで注文。東京五輪開催のための緊急事態宣言発出に気分が重くなっていたところ、古代のロマンに触れて、想像力の翼を伸ばすことができました。

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古代のロマン、大好物です! 

 

2021年4月25日 一条真也

『100文字でわかる世界の宗教』(文庫版)

一条真也です。
ついに、25日から4都府県に3回目の緊急事態宣言が発出されました。アナクロそのものである禁酒法と灯火統制には、呆れて物が言えません。そこまでして、東京五輪を開催したいのでしょうか。みんな、トーマス・バッハ教祖(IOC会長)の説く「五輪教」というカルト宗教に洗脳されたように感じるのは、わたしだけではありますまい。
このまま東京五輪が強行開催されれば、世界中から選手や関係者が集まってきます。当然ながら、彼らはさまざまな信仰を持っていることでしょう。
100文字でわかる世界の宗教
(2011年3月36日刊行) 

 

宗教といえば、53冊目の「一条真也による一条本」として、『100文字でわかる世界の宗教』(ワニ文庫)をご紹介します。東日本大震災発生から間もない2011年3月26日の刊行で、2006年刊行の『100文字でわかる世界の宗教』(ベスト新書)の増補改訂版です。 

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本書の帯

 

本書のカバー表紙には、各宗教を象徴するアイコンが描かれ、帯には「キリスト教 聖地エルサレムには、イエスの墓が2カ所ある!?」「イスラム教 イスラム銀行は、なんと金利ゼロ!?」「仏教 密教を日本に伝えた空海最澄は、ケンカ別れをした!?」「教義、タブーから歴史まで、いまどきの宗教事情がわかる!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

カバー裏表紙には、「紀元前から世界の政治、経済、文化、歴史に多大な影響を与えてきた宗教。本書は、キリスト教イスラム教、仏教の『三大宗教』をはじめ、ユダヤ教ヒンドゥー教の教義や開祖、慣習などを、たったの100文字で解説する。『エルサレムは3つの宗教の聖地』『キリストの名前の由来は、ユダヤ教の伝説だった』『スンニ派は慣行重視、シーア派は血縁重視』など、日本人になじみの薄い宗教の実態が明らかになる」とあります。

 

本書の「目次」は、以下の通りです。
「宗教――人間の精神をつくるもの」一条真也
【Section1】キリスト教
ボクの罪を告白します
すべての人を救う「愛の宗教」
エス旧約聖書新約聖書/三位一体/7つの大罪/カトリックプロテスタント東方正教会グノーシスキリスト教原理主義/アダムとイヴ/最後の審判ゴルゴタの丘/十字軍/聖母マリア/ユダ/洗礼/告解
【Section2】イスラム
ようこそ!イスラムの世界へ
過酷な砂漠を生き抜く叡智
ムハンマドコーラン/六信五行/イスラム教の禁則/シーア派スンニ派スーフィズムイスラム原理主義/アサシン/ラマダーン/メッカ巡礼/一夫多妻制/ジハード/モスク/オスマン帝国
【Section3】仏教
悟りをひらきたい!
執着を捨て、苦しみの世界から脱出
釈迦/仏教経典/般若心経/三法印、四聖諦、八正道/大乗仏教/上座仏教/チベット仏教ダライ・ラマ
【Section4】ユダヤ教
神と契約しませんか?
ユダヤ人は、神に選ばれた民族なり!
ヤハウェモーセ十戒/律法と戒律/カバライスラエル嘆きの壁反ユダヤ主義死海文書/割礼/ラビ
【Section5】ヒンドゥー教
カレー屋さんの店主に聞いてみました!
今も人びとの暮らしにとけこむ悠久の神々
バラモン教ヒンドゥー教の神/ヴェーダとバガバッド・ギーター/解脱/カースト制度ガンジーヒンドゥーナショナリズム/石窟寺院/シーク教とシーク戦争
【Section6】その他の宗教
宗教はいったいいくつある?
民族の数だけ、文化の数だけ存在する宗教
神道修験道儒教道教ジャイナ教ゾロアスター教ブードゥー教ミトラ教マニ教/カルト宗教
「参考文献」

 

いわゆる「世界宗教」とは、キリスト教イスラム教・仏教の3大宗教のことです。本書は、「1.キリスト教」「2.イスラム教」「3.仏教」「4.ユダヤ教」「5.ヒンドゥー教」「6.その他の宗教」といったふうに6つの章に分かれています。「その他の宗教」では、神道修験道儒教道教ジャイナ教ゾロアスター教ブードゥー教ミトラ教マニ教、そしてカルト宗教を取り扱っています。それぞれの章には多くのキーワードによる項目があり、それぞれ2ページで図解・イラスト入りで、100文字でシンプルに説明しています。

 

もともと本書は新書でしたが、パートナーは造事務所さんでした。現在は、「出版界の木下藤吉郎」こと堀川尚樹さんが社長を務めている編集プロダクションです。「世界一やさしい宗教の本」をめざして作りましたが、非常に反響を呼び、版を重ねてきました。このときも単なる文庫化ではなく、イスラム教を中心に大幅に改稿しました。当時、リビアにしろ、エジプトにしろ、何が起こっているのかを本当に理解するには、表面の政治ばかりを見てもダメだと痛感しました。その裏にあるイスラム教のことがわからないと絶対に理解できないと思ったのです。

ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)

 

21世紀は、9・11米国同時多発テロから幕を開いたと言ってよいでしょう。あの事件はイスラム教徒の自爆テロリズムによるものとされていますが、この世紀が宗教、特にイスラム教の存在を抜きには語れないということを誰もが思い知りました。宗教というものを「戦争エンジン」とみなし、「宗教は、要らない」と言う人が多いことは知っています。しかし、やはり人類にとって宗教は必要不可欠なものであると、わたしは確信しています。何だかんだ言っても、宗教とは、とどのつまり人間の救済システムであるはず。人間はほんの短い人生の間に老病死や貧困や人間関係など、さまざまな苦悩を抱え、しばしば絶望に至ります。一切の希望の光を見失い、自ら生命を断つ者も少なくありません。そんな危機的状況から救い出してくれて、人々に「生きる意味」を与えてくれるものが宗教です。


ハートフル・ソサエティ』(三五館) 

 

宗教はまた、究極の不安である「死」の不安から人間を解放し、「死ぬ覚悟」を与えてもくれます。つまり、宗教は人間の心を救い、かつ豊かにしてくれるのです。その救いのメカニズムとして、神の観念、聖職者、儀礼、修行といった、実に手の込んだ仕掛けが用意されています。どれだけ多様な形式があるにせよ、あらゆる宗教は神や絶対者に最大の価値を置くとともに、人間の心というものにも価値を置いています。「人の心はお金で買える」などと主張する宗教は当然ながら存在しません。いずれの宗教も、心ゆたかな社会、ハートフル・ソサエティへの水先案内人となりえるのです。そして、最終的に平和エンジンとなりえるのも、やはり宗教しかありません。

日本三大宗教のご利益』(だいわ文庫)

 

日本人は、よく宗教を知らないといわれます。正月には神社に行き、七五三で神社にお参りする。クリスマスを盛大に祝い、結婚式は教会であげる。そして、葬儀では仏教のお世話になる。ある意味で、宗教的に「いいかげん」というか「おおらか」なところが、代表的な日本人の宗教感覚だといえるかもしれません。みずからが信じる神のためには戦争をも辞さない、ユダヤ教イスラム教といった「一神教」の人々には、燃えるような宗教心が宿っています。ですが、日本人の心の底に横たわるのは、むしろゆるやかな宗教心ではないでしょうか。


100文字でわかる世界の宗教』(ベスト新書)
 

そして、そんな日本人たちは言います。「宗教がちがったって、同じ人間じゃないか。どうして宗教のために人間同士が争わなければならないのか」と。たしかに、そのとおりです。人間は人間です。けれども、ハードとしての肉体は同じであっても、ソフトとしての精神がちがう場合、それははたして同じ人間だと言い切れるのでしょうか。答えは否。精神をないがしろにすることは、とうていできません。そして、その精神にもっとも影響を与えるものこそが、宗教なのです。人間の営み、数々あれど、宗教ほど歴史があって、かつ興味深いものはないのです。そんな宗教の世界を100文字で解説してみました。まさに、世界一やさしい宗教の本だと思います。1人でも多くの方が本書を読まれて、真の国際人となられることを願っています。

 

100文字でわかる世界宗教 (ワニ文庫)

100文字でわかる世界宗教 (ワニ文庫)

  • 発売日: 2011/03/18
  • メディア: 文庫
 

 

 

2021年4月25日 一条真也

「アンモナイトの目覚め」 

一条真也です。
4都府県に3回目の緊急事態宣言が発出されることが正式決定した23日の夜、小倉のシネコンで、イギリス・オーストラリア・アメリカ合衆国合作のドラマ映画「アンモナイトの目覚め」を観ました。「世界の歴史上で最も偉大な古生物学者」と称賛されるメアリー・アニングの物語ですが、ケイト・ウィンスレットシアーシャ・ローナンという二大女優の演技合戦には圧倒かつ魅了されました。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『愛を読むひと』などのケイト・ウィンスレット、『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』などのシアーシャ・ローナンが出演したドラマ。1840年代のイギリスを舞台に、化石収集家の妻に惹かれていく女性古生物学者の姿を映し出す。メガホンを取るのは『ゴッズ・オウン・カントリー』などのフランシス・リー。『ブリジット・ジョーンズの日記』シリーズなどのジェマ・ジョーンズをはじめ、ジェームズ・マッカードル、アレック・セカレアヌ、フィオナ・ショウらが共演する」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「イギリス南西部にある海沿いの町ライム・レジスで、世間とのつながりを断つようにして生活する古生物学者メアリー・アニング(ケイト・ウィンスレット)。かつては発掘した化石が大英博物館に展示されて脚光を浴びたが、今は土産物用のアンモナイトの発掘で生計を立てていた。ある日、彼女は化石収集家の妻シャーロット(シアーシャ・ローナン)を数週間預かる。裕福で容姿端麗と、全てが自分と正反対のシャーロットに冷たくしながらも、メアリーは彼女に惹かれていく」



最近、わたしは何の映画を観ても、グリーフケアの映画に思えます。この「アンモナイトの目覚め」も、そうでした。ケイト・ウィンスレット演じるメアリー・アニングは8人の兄弟を亡くしており、そのために彼女の母親は感情をなくしていました。メアリーはその母と二人暮らしで、生涯独身を貫きます。一方のシアーシャ・ローナン演じるシャーロット・マーチソンは「うつ病」を患っており、夫からは見捨てられています。このように人生に絶望し、内面に深いグリーフを抱えている二人は運命の出会いを果たし、お互いにケアし合います。この映画では女性同士の同性愛が描かれますが、考えてみれば恋愛にはグリーフケアの要素があることに今更ながら気づきました。



わたしが何の映画を観てもグリーフケアの映画に思えるということを知った「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二先生は、「何を見ても『グリーフケア』に見えるというのは、思い込みや思い違いではなく、どんな映画や物語にも『グリーフケア』の『要素』があるのだとおもいます。そのようなスペクトラムが。アリストテレスは『詩学』第6章で『悲劇』を『悲劇の機能は観客に憐憫と恐怖とを引き起こして,この種の感情のカタルシスを達成することにある』と規定していますが、この『カタルシス』機能は『グリーフケア』の機能でもあるとおもいます。しかし、アリストテレスが言う『悲劇』だけでなく、『喜劇』も『音楽』もみな、『カタルシス』効果を持っていますので、すべてが『グリーフケア』となり得るということだと考えます」というメールを送って下さいました。なるほど! さすがはTonyさん!



主演のケイト・ウィンスレットは大好きな女優です。ヒロインのローズ役で主演したブログ「タイタニック3D」で紹介した恋愛映画の金字塔的大作がなんといっても代表作ですが、ブログ「女と男の観覧車」ブログ「コンテイジョン」で紹介した映画でも強い存在感を放っていました。1975年生まれで、現在は45歳であるケイト・ウィンスレットですが、わたしは1913年に生まれ、1967年に没したヴィヴィアン・リーの再来であると思っています。ともにイギリス人女優であり、多くのシェイクスピア作品にも出演した実績を持つ実力派女優でもあります。また、ヴィヴィアン・リー出世作にして代表作である「風と共に去りぬ」(1939年)とケイト・ウィンスレット出世作にして代表作である「タイタニック」は、ともに20世紀を代表する恋愛映画の超大作です。



シャーロットを演じたシアーシャ・ローナンアイルランド出身で、現在は27歳ですが、ブログ「ラブリーボーン」で紹介した映画では変質者に殺される14歳の少女役を、ブログ「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」で紹介した映画ではスコットランド女王メアリー・スチュアートを好演しました。映画「アンモナイトの目覚め」では、とにかくシャーロット役の彼女が美しかったです。弱々しく、はかなげで、透明感のある存在でした。しかし、メアリー・アニングとの恋に落ちてからは情熱的で生命力に溢れる女性に変貌します。2人が愛し合う濡れ場では、オールヌードで体当たりの演技を披露しており、驚きました。ケイト・ウィンスレットの方は20歳の新人の頃に出演した「日蔭の二人」ですでに全裸になっていますが、まさか「ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語」のシアーシャ・ローナンが脱ぐとは! また、二人のラブシーンの濃厚なこと! 正直、想定外の過激さでした。


正直言って、わたしは「ブロークバック・マウンテン」などに代表される男性の同性愛映画は嫌いなのですが、女性の同性愛映画は大丈夫です。特に二人とも美女の場合は「眼福」のように思えてしまいます。これまでに見た中で「きれいだな!」と思ったのは、2015年のアメリカ映画「キャロル」でのラブシーンです。「キャロル」は、「ブルージャスミン」のケイト・ブランシェットと「ドラゴン・タトゥーの女」のルーニー・マーラが共演し、1950年代ニューヨークを舞台に女同士の美しい恋を描いた恋愛ドラマです。「太陽がいっぱい」などで知られるアメリカの女性作家パトリシア・ハイスミスが52年に発表したベストセラー小説「ザ・プライス・オブ・ソルト」を、「エデンより彼方に」のトッド・ヘインズ監督が映画化しました。同性ながらも強く惹かれ合う女性たちの心情を、これ以上ないほど切なく美しく描いていました。 

 

アンモナイトの目覚め」に話を戻します。ケイト・ウィンスレットシアーシャ・ローナンの、ある意味で贅沢きわまりないラブシーンを見ながら、ふと、「この二人の役を日本人に演じさせるとしたら、誰がいいだろう?」と思いました。というのも、先日、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)を原案とする映画「愛する人へ」の製作が決定したのですが、プロデューサーから提案された出演者の候補リストを見て、あまりの豪華メンバーに仰天したのです。日本人なら誰でも知っているような有名俳優の名前がずらりと並んでいました。映画作りの醍醐味はキャスティングにあるそうですが、「『アンモナイトの目覚め』の日本版を製作するとしたら、メアリーとシャーロット役は誰にするか?」という考えに取り憑かれました。 

 

ずばり、わたしは、メアリー役は斉藤由貴、シャーロット役は広末涼子というキャスティングを思い浮かべました。わたしは両女優のファンなのですが、ともに国民的アイドルだったにもかかわらず、その私生活でのスキャンダルから、「魔性の女」の印象が強いですね。この二人が濃厚なラブシーンを演じるとなると、ものすごい話題になるでしょう。ぜひ、観てみたい! 実際、「アンモナイトの目覚め」を観た方ならわかると思いますが、斉藤由貴はメアリーの、広末涼子はシャーロットのイメージがありますね。というわけで、とんでもない妄想を抱きながら(苦笑)、わたしは小倉のシネコンを後にしたのであります。


映画の冒頭は、少女時代のメアリーが発掘したイクチオサウルスの全身化石が大英博物館に運びこまれるシーンです。映画の最後は、そのイクチオサウルスの全身化石が再登場します。非常に含蓄のあるラストシーンでした。大古の恐竜が化石となってミュージアムに展示されるぐらいの悠久の時間が流れる中で、人間の悲嘆や恋愛感情は封印されたり、目覚めたりします。「人生とは何か」あるいは「人間とは何か」、さらには「生命とは何か」ということを考えずにはおれません。大英博物館は大好きな場所です。もうずいぶん御無沙汰ですが、新型コロナウイルスの感染拡大が終息したら、また訪れたいものです。

 

2021年4月24日 一条真也

『隣人の時代』  

一条真也です。
52冊目の「一条真也による一条本」は、『隣人の時代』(三五館)です。「有縁社会のつくり方」というサブタイトルがついています。刊行日は、2011年3月18日。あの「東日本大震災」の発生から1週間目の日でした。


隣人の時代』(2011年3月18日刊行)

 

表紙カバーには、朝の港町の写真が使われています。ブログ『無縁社会』で紹介した本は、夕暮れの大都会の写真を表紙にしています。しかし本書は、朝日を浴びる地方都市の写真を表紙に使いました。日本人なら、誰でもこの写真を見て、懐かしさと温かさを感じると思います。この街は北海道の小樽だそうです。前方に海が見えます。しかし、本書が刊行されたとき、海といえば、津波を連想したのが哀しいです。「津波で壊滅した岩手県陸前高田市宮城県南三陸町や荒浜の街並みは、どんな光景だったのか。そこには、どんな人たちが生活していたのか」と思うと、とても胸が痛みました。 

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本書の帯

 

帯には、「なんだ、答えはすぐそばにあった!」と大書され、「日本一“隣人祭り”を開催する 冠婚葬祭互助会社長が提案する解決策」とのコピーが記されています。「すぐそば」というのは、すぐ近くの隣人という意味もあります。また、「お世辞・お節介・お手伝い」といった日常の人間関係の智恵も示しています。

 

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本書の帯の裏 

 

帯の裏には、「わたしたちは『無縁社会』にどう向き合えばよいのか。さらにいうなら、どうすれば『無縁社会』を乗り越えられるのか。わたしは、その最大の方策の1つは、『隣人祭り』であると思います。『隣人祭り』とは、地域の隣人たちが食べ物や飲み物を持ち寄って集い、食事をしながら語り合うことです。都会に暮らす隣人ったいが年に数回、顔を合わせます。だれもが気軽に開催し参加できる活動なのです」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。
はじめに
――「無縁社会」の先にあるもの

人間にとっての「幸福」の正体
時代のキーワード「無縁化」
冠婚葬祭互助会の誕生
 ――50年前、何があったのか?
セレモニーホールの登場
 ――仏教者から葬儀の主導権を奪った?
互助会と隣人祭り
「隣人の時代」がはじまる
第1章 
「となりびと」の復権

無縁社会の波紋
フランスの隣人祭りはなぜ成功したのか?
互助会が「隣人祭り」を日本流にアレンジ
「こころ」と「こころ」がつながるとき
 ――タイガーマスク運動と隣人サーカス祭り
心ない言葉――ボランティアと「株式会社」
冠婚葬祭業界のインフラ整備
「いま」「ここに」居合わせる奇跡
さあ、隣人の出番!
「コミュニティ」を定義する
神社の統合と、コミュニティの解体
日本人にインプットされたデータ
祭りの基本構造
「隣人」と「祭り」をむすぶ
イノベーションされた都市のマツリ
 ――受け継がれるDNA
祈りと感謝のかたち
 ――人間は一人では生きていけない
第2章 
わたしを憶えておいてください
5人の女性の物語――『赤い鯨と白い蛇』
「自分のことを忘れないでくれ、そう言われたの」
死者がもう一度死ぬとき
「となりびと」は「おくりびと
 ――「秋深き隣は何をする人ぞ」
靖国と「死者の遇し方」
死者の霊が帰る場所
全人類のお墓
なぜすべての墓は滅びていくのか?
隣人祭り」と「隣人祀り」
あなたのお葬式をイメージしてください
迫りくる「単身急増社会」
単身世帯を包みこむコミュニティとは何か
ハマちゃんとスーさんの「無縁」
寅さんの世界の「人間距離」
網野善彦の「無縁」論
ユートピアとしての「無縁」
第3章 
生きることは、つながること
「今どき社員旅行」のワケ
サラリーマンが会社を辞めたくなる理由
 ――人間関係は難しい
「相互扶助」は人間の本能である
コマドリの巣の中で
「結」と「講」の遺産
 ――日本のボランティアの源流
ひきこもり群は増殖する
迷惑とは何か?
葬儀と隣人祭りの共通点
さとしわかるか
SFの世界を生きる
史上もっとも感動的な著者と読者の交流
生きることは、つながること
隣人関係における心温まるエピソード
第4章 
「となりびと」と仲良くなる方法
大きな礼と、小さな礼
絶対に消えず、もっとも普遍性のある「知識」  
道徳+芸術=礼儀作法
負の状況下における礼儀作法の効用
最強の護身術
わたしが愛用する魔法
世間様」というコミュニティ
江戸っ子のよい癖
大切な、世辞の心得
言葉のパワーの使い方
あなたの隣人とはだれか?
隣人愛の実践者
 ――社会運動家賀川豊彦
忘れられた巨人
赤ん坊たちの葬式――もらい子殺し
マザー・テレサの「死を待つ人々の家」
大やけどを負った少女の最期
太陽はよく光る!
IT革命の本当の主役 
 ――ドラッカーの予言
まずはじめに感謝してしまえ
「夢の団地」の孤独な死
孤独死ゼロ」を合言葉に
死に方は生き方
当たり前の再発見
孤独死予備軍の「ないないづくし」
隣人祭りを開催しよう!
 ――きっかけは「お祝い」
あなたが生まれてきたことは正しい
 ――誕生日の意味
世界最小の文芸作品
孔子孟子と、お節介
第5章 
有縁社会のつくり方
「独居老人」のと「一人親」の結合
 ――難問解決の方程式
「となりびと」が地域の子を育てる
忘れられない事件
「おむすび」のお年玉
あんたもわしもおんなじいのち
友人が多いほど風邪を引きにくい
 ――医学的見地から「格差社会」を検証する
人々が幸せに暮らすためのポイント
「お互いさま」の社会
ユイ・モヤイ・テツダイ
ナナメの社会関係
新しい互助行為の提案
ソーシャル・ネットワークの可能性
「冠婚葬祭とはひと言でいって、何ですか?」
「霊能力」から「礼能力」へ
「となりびとの光」を観る
沖縄力――いちゃりばちょーでい
おわりに
――隣人と祭りを!
「おもな参考文献」

f:id:shins2m:20210413173809j:plain有縁社会再生三部作

 

本書が刊行された2010年とは、いろいろな意味で、日本社会の変容が指摘された年でした。宗教学者島田裕巳氏が『葬式は、要らない』を書き、NHKが「無縁社会」キャンペーンを展開したのも2010年です。この流れに強い危機感を抱いたわたしは、『葬式は必要!』(双葉新書)、『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)、そして本書を立て続けに書きました。「有縁社会再生三部作」と呼んでいます。そう、本書はもともと「無縁社会」を乗り越え、「有縁社会」を再生するために書かれました。しかし、東日本大震災の直後に刊行されたことは、とてつもなく大きな意味があったと思います。刊行時点においても死者や行方不明者の数が増える一方であり、まったく予断を許さない状況でした。でも、わたしは「この大災害によって、日本に『隣人の時代』が呼び込まれるかもしれない」とも思いました。1995年の阪神淡路大震災のときに、日本に本格的なボランティアが根づきました。つまり、あのときが日本における「隣人の時代」の夜明けだったわけです。東日本大震災の発生で、また多くの方々が隣人の助けを必要としました。NHKが言う「無縁社会」や朝日新聞が言う「孤族の国」では、困っている人を救えません。各地で、人々が隣人愛を発揮しなければ、日本は存続していけなかったのです。



実際、東日本大震災の発生から、多くの人々が隣人愛を発揮しました。ブログ「人と人とのつながり」で紹介した「豪雪人情」のような出来事が各地で相次いでいるのです。もちろん被災地で大変な状況に巻き込まれた人たちの悲惨なニュースも入ってきますが、一方では救援に尽力する人たちの様子も伝わってきています。東北の避難所では、ボランティアの人々がおにぎりを握っています。地震発生当日の東京では、都内の仕事場から帰る足を奪われた人たちに暖を取ってもらうために、営業時間が過ぎても店を開放している飲食店がありました。また、道往く人を励ますために、売れ残ったお菓子類を無料で配った和菓子屋さんもありました。関東で停電が実施されたとき、「自分たちも節電に努めよう」というチェーン・メールが日本中を回りました。



日本の各地で、誰かを助けようとして必死になっている人々がいたのです。いわば、多くの人々が隣人愛を発揮しているのです。そして、隣人愛の発揮は国内だけではありませんでした。2011年2月の大地震で犠牲者多数を出したニュージーランドのキー首相は東日本大震災の発生翌日、日本の要請を受けて、総勢54人の災害救助隊を2陣に分けて日本へ派遣すると発表しました。さらに、東日本大震災は各国でも話題になりました。Twitterでは、海外から「#PrayforJapan(日本のために祈ろう)」というハッシュタグで被災者の無事を祈るツイートが世界中から寄せられました。そして、100を超える国々が被災国・日本の支援に名乗りをあげました。

 

人間の由来(上) (講談社学術文庫)

人間の由来(上) (講談社学術文庫)

 

 

なぜ、世界中の人々は隣人愛を発揮するのでしょうか。その答えは簡単です。それは、人類の本能だからです。「隣人愛」は「相互扶助」につながります。「助け合い」ということです。わが社は冠婚葬祭互助会ですが、互助会の「互助」とは「相互扶助」の略ですよく、「人」という字は互いが支えあってできていると言われます。互いが支え合い、助け合うことは、じつは人類の本能なのです。

 

人間の由来(下) (講談社学術文庫)

人間の由来(下) (講談社学術文庫)

 

 

チャールズ・ダーウインは1859年に『種の起源』を発表して有名な自然選択理論を唱えましたが、そこでは人類の問題はほとんど扱っていませんでした。進化論が広く知れわたった12年後の1871年、人間の進化を真正面から論じた『人間の由来』を発表します。この本でダーウインは、道徳感情の萌芽が動物にも見られること、しかもそのような利他性が社会性の高い生物でよく発達していることから、人間の道徳感情も祖先が高度に発達した社会を形成して暮らしていたことに由来するとしたのです。そのような環境下では、お互いに助け合うほうが適応的であり、相互の利他性を好むような感情、すなわち道徳感情が進化してきたのだというわけです。

 

〈新装〉増補修訂版 相互扶助論

〈新装〉増補修訂版 相互扶助論

 

 

このダーウインの道徳起源論をさらに進めて人間社会を考察したのが、ピョートル・クロポトキンです。クロポトキンといえば、一般にはアナキストの革命家として知られています。しかし、ロシアでの革命家としての活動は1880年半ばで終わっています。その後、イギリスに亡命して当地で執筆し、1902年に発表したのが『相互扶助論』です。ダーウインの進化論の影響を強く受けながらも、それの「適者生存の原則」や「不断の闘争と生存競争」をクロポトキンが批判し、生命が「進化」する条件は「相互扶助」にあることを論証した本です。

 

この本は、トーマス・ハクスレーの随筆に刺激を受けて書かれたそうです。ハクスレーは、自然は利己的な生物同士の非情な闘争の舞台であると論じていました。この理論は、マルサスホッブスマキアヴェリ、そして聖アウグスティヌスからギリシャソフィスト哲学者にまでさかのぼる古い伝統的な考え方の流れをくみます。その考え方とは、文化によって飼い慣らされなければ、人間の本性は基本的に利己的で個人主義的であるという見解です。それに対して、クロポトキンは、プラトンやルソーらの思想の流れに沿う主張を展開しました。つまり、人間は高潔で博愛の精神を持ってこの世に生まれ落ちるが、社会によって堕落させられるという考え方です。平たく言えば、ハクスレーは「性悪説」、クロポトキンは「性善説」ということになります。

 

 

『相互扶助論』の序文には、ゲーテのエピソードが出てきます。博物学的天才として知られたゲーテは、相互扶助が進化の要素としてつとに重要なものであることを認めていました。1827年のことですが、ある日、『ゲーテとの対話』の著者として知られるエッカーマンが、ゲーテを訪ねました。そして、エッカーマンが飼っていた2羽のミソサザイのヒナが逃げ出して、翌日、コマドリの巣の中でそのヒナと一緒に養われていたという話をしました。ゲーテはこの事実に非常に感激して、彼の「神の愛はいたるところに行き渡っている」という汎神論的思想がそれによって確証されたものと思いました。「もし縁もゆかりもない他者をこうして養うということが、自然界のどこにでも行なわれていて、その一般法則だということになれば、今まで解くことのできなかった多くの謎はたちどころに解けてしまう」とゲーテは言いました。さらに翌日もそのことを語りながら、必ず「無尽蔵の宝庫が得られる」と言って、動物学者だったエッカーマンに熱心にこの問題についての研究をすすめたといいます。

 

 

クロポトキンによれば、きわめて長い進化の流れの中で、動物と人類の社会には互いに助け合うという本能が発達してきました。近所に火事があったとき、私たちが手桶に水を汲んでその家に駆けつけるのは、隣人しかも往々まったく見も知らない人に対する愛からではありません。愛よりは漠然としていますが、しかしはるかに広い、相互扶助の本能が私たちを動かすというのです。クロポトキンは、ハクスレーが強調する「生存競争」の概念は、人間社会はもちろんのこと、自然界においても自分の観察とは一致しないと述べています。生きることは血生臭い乱闘ではないし、ハクスレーが彼の随筆に引用したホッブスの言葉のように「万人の万人に対する戦い」でもなく、競争よりもむしろ協力によって特徴づけられている。現に、最も繁栄している動物は、最も協力的な動物であるように思われる。もし各個体が他者と戦うことによって進化していくというなら、相互利益が得られるような形にデザインされることによっても進化していくはずである。以上のように、クロポトキンは考えました。

 

 

クロポトキンは、利己性は動物の伝統であり、道徳は文明社会に住む人間の伝統であるという説を受け入れようとはしませんでした。彼は、協力こそが太古からの動物の伝統であり、人間もまた他の動物と同様にその伝統を受け継いでいるのだと考えたのです。「オウムは他の鳥たちよりも優秀である。なぜなら、彼らは他の鳥よりも社交的であるからだ。それはつまり、より知的であることを意味するのである」とクロポトキンは述べています。また人間社会においても、原始的部族も文明人に負けず劣らず協力しあいます。農村の共同牧草地から中世のギルドにいたるまで、人々が助けあえば助けあうほど、共同体は繁栄してきたのだと、クロポトキンは論じます。

 

ニコマコス倫理学〈下〉 (岩波文庫 青 604-2)

ニコマコス倫理学〈下〉 (岩波文庫 青 604-2)

 

 

古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「人間は社会的動物である」と言いました。近年の生物学的な証拠に照らし合わせてみると、この言葉はまったく正しかったことがわかります。結局、人間はどこまでも社会を必要とするのです。人間にとっての「相互扶助」とは生物的本能であるとともに、社会的本能でもあるのです。人間がお互いに助け合うこと。困っている人がいたら救ってあげること。これは、人間にとって、ごく当たり前の本能なのです。いままた、世界は「相互扶助」を必要としています。新型コロナウイルスの感染拡大で人類社会が根底から揺さぶられている中、世界中の賢者たちがコロナ時代のキーワードとして「相互扶助」を挙げているのです。新しい「隣人の時代」の訪れを感じながら、いま、万感の想いで本書を読み返したいと思います。

 

隣人の時代 有縁社会のつくり方

隣人の時代 有縁社会のつくり方

 

 

 

2021年4月23日 一条真也

『老後レス社会』 

老後レス社会 死ぬまで働かないと生活できない時代 (祥伝社新書)

 

一条真也です。
『老後レス社会』朝日新聞特別取材班(祥伝社新書)を読みました。サブタイトルは、「死ぬまで働かないと生活できない時代」です。朝日新聞特別取材班は、格差と超高齢化によって、人生後半の生き方、そして働き方が大きく変わろうとしている現在地を報じようと、各部の一線記者が集まった取材班だそうです。未曽有の少子高齢化・人口減少問題に取り組む長期企画「エイジングニッポン」の一環として、2019年に「老後レス時代」シリーズの取材を開始。就職氷河期世代を「ロストジェネレーション」と名付けた同紙の企画とも連動。執筆陣は総勢9名。 

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本書の帯

 

帯には杖をついて歩く老人の後ろ姿の写真とともに「68歳で警備員デビュー」「仕事をしない『会社の妖精さん』」「孤独死に怯える非正規シングル」「年金だけでは足りない」「そこに『コロナで雇い止め』が」「『一億総活躍』の過酷な現実と悲惨な未来――どう生き抜くか」「朝日新聞本紙、朝日新聞デジタルの大反響シリーズをフォローアップした1冊!」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「失われる『老後』」として、「私たちの人生から、『老後』という時間が消えていく。何歳になっても働き続けるのが当たり前・・・・・・そんな時代の足音がひたひたと聞こえる。今まで納め続けてきた年金や、必死に蓄えた貯蓄だけで、老後の生活資金は足りるのだろうか。そんな人生終盤の不安が多くの人の足元に忍び寄る。どうやら私たちは、高齢になっても働き続ける、『老後レス社会』を迎えようとしている。(中略)誰もが人生の半分を設計し直さなければならない。そんな『老後レス社会』がやってくる。65歳以上を、自己責任の呪縛に囚われる暗黒の未来にするか、あるいは豊かな人生の収穫期とするか。多くの人たちの人生後半戦に向けた思いや判断、行動を紹介していきたい。(本文から)」とあります。

 

カバー前そでには、「待ち受けるのは暗黒の未来(ディストピア)か」として、以下の内容紹介があります。
「2040年問題―一九年後、日本の人口は六五歳以上の高齢者が35%を占めると推計されている。社会保障費が増大する一方で、労働力不足は深刻化。政府は『一億総活躍』と称し、高齢者の就労促進を謳うが、そこには公的支援を抑えようとする意図が透けて見える。70歳を過ぎてもハローワークに並ぶ。もはや『悠々自適の老後』はなくなった。死ぬまで働かなければ生きていけない『老後レス社会』が到来する。朝日新聞本紙と朝日新聞デジタルで好評を博したシリーズに、新たな取材による加筆を全面的に施し、『老後のなくなった日本の現実』と、避けられない未来をどう生きるかを考える」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
序章 消える「老後」
1章 高齢警備員
           ―過酷な現場でも「死ぬまで働く」理由
2章 会社の妖精さん―働かないおじさんたち
3章 ロスジェネたちの受難―私たちは、のたれ死に?
4章 定年前転職の決断 ―妖精さんとは呼ばせない
5章 死ぬまで働く ―前を向いた高齢者たち
6章 老後レス社会を生きる―定年延長、再雇用、
           そして年金。近未来へのヒント
「おわりに」


「はじめに」には、「この国で、『少子高齢化』と『人口減少』という言葉を聞かぬ日はありません。加えて、経済的格差は広がるばかりで、それにコロナ禍による景気低迷や失業の増加が追い打ちをかけている。『老後への不安』は、すでに日本社会の通奏低音となっています。このまま高齢者が増加し、現役世代がさらに減り続ければ、私たちの人生の終盤は大きく変わらざるを得ないだろう・・・・・・。意識する、しないにかかわらず、多くの日本人は薄々そう感じているのではないでしょうか」と書かれています。


また、工事現場で車や歩行者を誘導している警備員や、オフィスを清掃している作業着姿の人が、どう見ても70代以上だと気付くことが増えたとして、「高齢者を積極的に雇用する企業も現われ、定年退職後に新たに別の仕事を始めたり、地方へ移住して第2の人生を歩んだり、という選択もよく耳にします。そうかと思えば、高齢期を前に企業内で居場所を失った中高年のサラリーマンや、数十年先の老後への不安に苛まれる単身で非正規雇用の若い男女もいます」と書かれています。



本書は、2019年から2020年にかけて、日本の少子高齢化と人口減少をめぐるさまざまな問題を特集した朝日新聞の企画「エイジングニッポン」の一環として生まれました。参加した記者たちは30代から50代まで幅広い世代にまたがっており、当人たちもまた、自らの人生後半戦について思い惑いながら、取材を進めたそうです。「老後レス社会を生きるヒントを見つけたいという思いは、この本を手に取ってくださった方と共通しています」と述べられています。


2020年は世界中が新型コロナウイルスに翻弄されましたが、「コロナだけではありません。市場のグローバル化と日本経済の低迷、地球温暖化による気候変動、東アジアの安全保障環境の変化など、国内外の情勢は予測不可能なことばかりです。こんな確定的なことが何も言えない現在の日本で、確実に予想できる事象が1つあります。近い将来に高齢者人口が激増するということです。そして、どんなに時代が変化しようと、人間は必ず年を取るという事実もまた、変わることがありません。1人の例外もなく、すべての人が自分ごととして考えなければならないのが、老後レス社会なのです」と述べられています。


そして、「医療技術の進歩は目覚ましく、とりわけ世界有数の長寿国である日本では、今後も平均寿命が延びると予想されています。これは、あえて皮肉な表現をすると、『簡単には死ねない時代』がやってくるということでもあります。人生100年時代の到来を、『長寿の夢の実現』と見るのか、それとも『長生きリスクの増大』と考えるのか。それは、これからの私たちの選択と行動にかかっています」と述べられるのでした。


序章「消える『老後』」の冒頭の「忍び寄る不安」では、「私たちの人生から、『老後』という時間が消えていく。何歳になっても働き続けるのが当たり前・・・・・・。そんな時代の足音がひたひたと聞こえる。いままで納め続けてきた年金や、必死に蓄えた貯蓄だけで、老後の生活資金は足りるのだろうか。そんな人生終盤の不安が多くの人の足元に忍び寄る。どうやら私たちは、高齢になっても働き続ける、『老後レス社会』を迎えようとしている」と書かれています。


また、「老後が怖い」と考える人がじわじわと増えているとして、「日本社会は戦後一貫して平均寿命を延ばし続け、世界に冠たる長寿国となった。100歳以上の人口は増え続け、2020年には8万人を超えた。人類史上、誰もが望んだ『長生き』という幸せを真っ先に手に入れた国で、老後に不安を募らせている人々が増えているというのは、何という皮肉だろう」


「生活の足腰が弱まる人々」では、所得の落ち込みにとどまらず、さまざまなかたちで「生活の足腰」が弱まっている人たちも増えているとして、「象徴的なのが、就職氷河期に社会に出た氷河期世代『ロストジェネレーション』(ロスジェネ)である。90年代半ばから2000年代半ばまで、企業が業績悪化のために新卒採用を極端に絞り込むと同時に、政府は規制緩和として派遣労働を多くの業種で解禁した。このタイミングで就職活動をしたロスジェネたちは非正規雇用に多く就き、雇用も収入も社会的地位も不安定なまま、中年になった人が多い。中高年の引きこもりや、高齢の親と同居の子の危機、いわゆる『7040問題』『8050問題』も、この世代の不遇が深く関わっている」と述べられています。


家族のかたちも変わり始めています。世帯類型を見ると、「単身世帯」は2015年で約35%に上り、「夫婦のみの世帯」や「夫婦と子からなる世帯」を超えて多数派となりました。50歳時点での未婚の人の場合、いわゆる生涯未婚率は男性がほぼ4人に1人、女性が7人に1人で、今後も上がり続けると推計されています。男性よりも平均寿命の長い女性は、将来的に高齢単身世帯となる可能性が高く、貧困に陥りやすいそうです。


「有史以来の転換点」では、日本が直面する危機について、国立社会保障・人口問題研究所の前副所長で明治大学特任教授を務める金子隆一氏が、「有史以来の大きな転換点」と形容しています。日本の人口は2008年頃にピークを過ぎ、これから徐々に加速しながら、最後はつるべ落としに減っていきます。この国の人口が1億を突破したのは戦後の高度成長期の1967年であり、今後は2050年を過ぎた頃に逆に1億人を切ると見込まれていますが、金子氏によれば「1億という同じ人口規模でも中身はまったくと異なる」といいます。


「2040年問題という『時限装置』」では、この人口オーナスのピークが日本を直撃するのは、いつかという問題が提起されます。いま、研究者や政府関係者の間で最も懸念されているのが、「2040年問題」であるとして、「この頃、団塊ジュニアという大きな人口の塊が高齢世代入りし、老年人口が最多となる。先に述べたように、この世代はロスジェネとして経済基盤も弱く、単身率も高い。日本社会そのものの持続可能性が大きな危機に瀕する年、それが2040年だ」と書かれています。


昭和と令和の高齢者像の違いを分かりやすく示しているのが、昭和の国民的漫画「サザエさん」に登場する一家の大黒柱、磯野波平です。「昭和と令和、それぞれの『波平さん』」では、「頭髪はかなり寂しくなり、趣味は盆栽で、家ではいつも和服姿でくつろいでいる。まだ会社勤めをしているが、すでにシルバーの雰囲気を漂わせている波平さん。長男のカツオ、次女のワカメはまだ小学生ではあるものの、長女のサザエは結婚して、孫のイクラにも恵まれた。現代の都市部の感覚では、波平の年齢は60代半ばか後半ぐらいのイメージだろう。しかし、作中では、まだ54歳とされている。朝日新聞四コマ漫画の連載が本格的に始まった1950年代は55歳定年が一般的であり、まさに定年直前という設定だった」と書かれています。


「『一億総活躍社会』の本音」では、「現役世代が減っていく以上、高齢者の力を生かすことの重要性は否定しがたい。その一方で、政権の姿勢には危うさも感じられる。高齢者の増加に伴って必然的に増える公的支援を、できる限り抑えることに力点を置かれているように見えるからだ。コロナ禍では『ためらわずに申請を』と呼びかけているが、これまで国は、国民が貧困に落ち込んだ際の最後の切り札である生活保護を、できるだけ絞り込もうとしてきた。疾患に対する抵抗力や基礎体力が落ち、健康状態も急変しやすい高齢期は、いざという時に確実に受け止めてくれるセーフティーネット(安全網)がなければ、安心して働くことはできない」と述べられています。そして、「ディストピアか、人生の収穫期か」では、安倍氏を継いだ菅義偉首相が、目指す社会像として「自助・共助・公助」を掲げたことが紹介され、「一見、当たり前のようにも思えるが、重要なのはそのバランスである」と指摘されます。

 

交通誘導員ヨレヨレ日記

交通誘導員ヨレヨレ日記

 

 

1章「高齢警備員」の「職場は『70歳以上が8割』」では、「警備会社で働いてみて驚いたのは、働く高齢者の多さだった。なかには80歳を超えた人も。いまの勤務先では、70歳以上が8割を占めている。そう社長が教えてくれた。『超高齢化社会に進む現代日本の縮図がここにある』。そんな思いが日増しに強くなった。交通誘導で道行く車のドライバーに罵声を浴びせられ、警備員自身が「最底辺の職業」と自嘲する。そんな現場の実態と、人間臭いドラマを描けば面白いのではないか――。薄れていた出版の仕事への意欲がまたよみがえってきた」と書かれています。こうして書き上げたのが『交通誘導員ヨレヨレ日記』(三五館シンシャ)でした。


交通誘導員ヨレヨレ日記』は「当年73歳、本日も炎天下、朝っぱらから現場に立ちます」というコピーをつけられ、2019年7月に出版されました。初版は5000部でしたが、その後の増刷で7万6000部(2021年4月時点)のスマッシュヒットになったそうです。この本、わたしは版元の三五館シンシャから献本を受けました。じつは、同社の中野長武代表が「出版界の青年将校」と呼ばれた三五館の編集者時代にわたしの担当だったのです。無縁社会を乗り越えるための方策を書いた『隣人の時代』をはじめ、多くの一条本を編集して下さいました。三五館は残念ながら倒産しましたが、それらの本は、三五館シンシャからオンデマンドで発売されています。


「『働きたい』のか、『働かざるをえない』のか」では、本来、喜ぶべきことであるはずの長寿化が不安をもたらし、人生最大のリスクとなると指摘し、「そんな社会に私たちは生きている。2019年の国民生活基礎調査によると、全世帯5178.5万(2019年、総務省統計局)中、年収300万円未満の世帯が全体の3分の1を占めている。2019年度の内閣府世論調査では、『日頃の生活で悩みや不安を感じている』と回答した人に理由を聞いたところ、『老後の設計』を挙げた人が56.7%(複数回答)で最も多かった。そんな中、安倍首相は在任中、『一億総活躍』というスローガンを掲げ、高齢者らの就労を促す方向に舵を切った」

 

また、「65歳を超えて働きたい。8割の方がそう願っておられます」「(高齢者の)豊富な経験や知恵は、日本社会の大きな財産です。意欲ある高齢者の皆さんに70歳までの就業機会を確保します」という総理の発言にネットはざわついたことが紹介され、「働かなきゃ食えないんだよ!」「大半の人は『働きたい』じゃなくて、『働かざるを得ない』ですよね」という反発が書き込まれたそうです。内閣府によると、この「8割」という数字は2014年度の「高齢者の日常生活に関する意識調査」をもとにしたものでした。ただし、これは仕事をしている人に分母を限定した数字で、回答者全体では約55%だとか。これを受けて、本書には「自分の意思として働きたいのか、生活のために働かざるを得ないのか。多くの人が感じる老後不安は、派手なスローガンで覆い隠すには、あまりに大きすぎる」と書かれています。


「『新しい生活困難層』が出現した」では、「なぜ、いま、『働かなくては生きていけない』高齢者が増えているのか?」という疑問について、福祉政策を専門とする中央大学法学部教授の宮本太郎氏は「生涯現役で元気に働き続けましょう、と上から号令をかけるだけでは、老いに関わるさまざまな困難を忘れた空想論になってしまいます。老後もばりばり働いてコロリと死ぬ『ピンピンコロリ』が理想だと圧力をかけるような空気はおかしいでしょう。老後を人生の付録のように考えないという意味での『老後レス』だったらいいのですが、実生活の厳しさを忘れた『人生レス』の施策は困ります」と答えています。


3章「ロスジェネたちの受難――私たちは、のたれ死に?」の「失われた世代(ロストジェネレーション)」では、日本において65歳以上の人口がピークを迎えるのはいまから約20年後の2042年で、高齢者の数は3935万人まで膨れあがることが紹介され、「同時に高齢化率も高まり、2036年には3人に1人、2065年には2.6人に1人が65歳以上となる。そんな時代に高齢者デビューするのが、主に団塊世代の子どもとして1971年から74年に生をうけた第2次ベビーブーマー、いわゆる団塊ジュニア世代なのだ。現在は40代後半にあたるが、生産年齢人口のうちで最大の人口ボリュームを持ち、世代全体の人口は800万人近くにも上る」と説明されています。

 

この世代を特徴づけるのは、人口規模が大きいことに加えて、バブル崩壊後の深刻な景気低迷期に社会に出ることになった、という歴史的背景です。本書には、「1990年代後半から2000年代前半、業績が低迷し、過剰な社員を抱えた企業の多くが採ったのは、社員のリストラではなく、新卒者の採用を極端に絞り込むという方策だった。この戦後最悪の『就職氷河期』と、大学や専門学校、高校を卒業するタイミングが重なったのが、1970年前半から80年代前半にかけて生まれた人たちであり、団塊ジュニア世代をまるまる含んでいる」と説明されています。

 

2000万人規模ともいわれるロスジェネは、いまや30代後半から40代となっているとして、「いまだ少なくない人々が不安定雇用にとどまり、低賃金にあえぎ、親と同居し、家族を持てず、将来展望に不安を抱いている。メディアでは『アラフォー・クライシス』や『中年フリーター』といった新たな呼び名もついた」と説明されています。このロスジェネは、「妖精さん」と呼ばれる企業の余剰人員と対極に位置する存在とも言えるとして、「企業内で居場所を失いながらも安定した収入が保障されている妖精さんたちと比べて、希望通りの職に就けず、低収入で、社会での居場所すら見つけられない人が、ロスジェネには多いのだから」と述べられています。


「不安定な雇用の先頭走者」では、「なぜ、この世代は落とし穴から抜け出せないのか」と問いかけ、2つの理由を示します。1つ目は、「非正規雇用の拡大だ。バブル崩壊後の規制緩和で派遣労働の対象職種が広げられ、正規、非正規という身分制度のような分断が労働市場に生まれた。雇用の不安定化は、その後の世代にも及んでおり、ロスジェネはその先頭走者となった」。2つ目は、「最大の原因は、日本独特の雇用慣行である。新卒時の一括採用、年功序列、終身雇用は、戦後の高度成長を支えてきた。まっさらの若者を会社が丸抱えして職業教育を施し、労働力を確保する。右肩上がりの時代には一定の効用があっただろう」と書かれています。


しかし、バブル崩壊後の長期不況で、この雇用システムは矛盾を露わにします。年長世代の雇用を守ろうとする日本企業の多くは、世代間のバランスを顧みずに新規採用を絞り込みました。その後に景気回復しても、新卒の採用が優先され、この世代は見捨てられた。いわば、「妖精さん」を守るために正社員から弾き出されたのが、ロスジェネたちだとも言える。いまになって経済界は新卒一括採用や終身雇用の廃止を唱え始めているが、中年になったロスジェネを救済するには、もはや平時の雇用改革では遅すぎる。


4章「定年前転職の決断」記者コラム「コロナは『日本人の老後』をどう変えた?」では、2021年春に卒業予定の大学生の就職内定率は69.8%(2020年10月現在)だったことが紹介されます。前年同期からの下げ幅7ポイントは、2008年のリーマン・ショックが直撃した2010年卒に比肩します。コロナ禍が就職活動期と重なってしまった世代が、「ロスジェネ世代」の再来となりかねません。


前年の最終的な就職内定率は過去最高の98%で、東京大学教授の本田由紀氏によれば、「どのタイミングで新卒就職するかによって明暗がはっきりと分かれてしまう」という事態が繰り返されれば、新たな生活不安定層が生まれることになるといいます。本書には、「若い世代の生活が不安定だと出生数に影響する。2020年の出生数は85万人を割り込む見通しで、翌21年は80万人を下回る可能性もある。コロナ禍により、日本の人口ピラミッドがさらに不安定化しかねない」と書かれています。


そして、「いくら元気に長く働けていても、誰もがいずれは年老いる。ロスジェネ世代や、コロナ禍で脆弱さがあらわになった非正規雇用の人たちは、『自助』による備えには限界がある。強制加入だが、本質は『共助』である年金や医療の社会保険、最後のセーフティーネットである『公助』の生活保護や福祉で何とか支え続けるしかない。特に、死ぬまで受け取れる公的年金は重要だ」と述べられるのでした。本書を読んで、わたしは暗澹たる気分になりました。特に、失われた世代(ロストジェネレーション)の人々が置かれた過酷な境遇に言葉を失いました。しかし、当然ながらロスジェネの人々の中には優秀な人材も多いはずであり、会社の経営者としては、そういう人材のわが社への中途入社をぜひ促進したいと思いました。また、「老後レス」で長生きがリスクとなる時代における互助会の在り方も考えたいと思いました。

 

無縁社会 (文春文庫)

無縁社会 (文春文庫)

 

 

それにしても、日本はどうしてこんな国になってしまったのでしょうか? 「老後レス社会」の他にも「無縁社会」という大きな問題があります。2010年、NHK「無縁社会」キャンペーンが大きな話題となりました。身元不明で「行旅死亡人」となった男の意外な人生、家族に引き取りを拒否された遺体の行方、孤独死の現場を整理する「特殊清掃業者」。年間32000件にも及ぶ無縁死の周辺を丹念に取材し、血縁、地縁、社縁が崩壊した現代社会へ警鐘を鳴らしました。番組は菊池寛賞を受賞し、「無縁社会」という言葉は同年の流行語大賞にも選ばれました。

 

孤族の国 ひとりがつながる時代へ
 

 

「老後レス社会」を連載した朝日新聞紙上で、2010年末には「孤族の国」という大型企画がスタートしました。「家族」という形がドロドロに溶けてしまいバラバラに孤立した「孤族」だけが存在する国という意味だそうです。「孤族の国」の内容はNHK「無縁社会」とほぼ同じです。NHKへの対抗心から朝日が連載をスタートさせたことは明白ですが、「無縁」とほぼ同義語の「孤族」という言葉を持ってくるところが何とも情けないと思いました。

 

隣人の時代 有縁社会のつくり方

隣人の時代 有縁社会のつくり方

 

 

なぜならば、「無縁社会」キャンペーンに対抗するならば、「有縁社会」キャンペーンしかありえないからです。ちなみに、「有縁社会のつくり方」として、わたしが書いた本が『隣人の時代』(三五館)です。現在は、『交通誘導員ヨレヨレ日記』の版元の三五館シンシャの代表である中野長武さんが編集してくれました。日本の高齢者の多くが「老後レス社会」と「無縁社会」から挟み撃ちを受けている現在、改めて『隣人の時代』を多くの方々に読んでいただきたいと心から願っています。

 

 

2021年4月22日 一条真也

哲学・芸術・宗教の時代

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一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「哲学・芸術・宗教の時代」という言葉を取り上げることにします。

ロマンティック・デス』(国書刊行会

 

最初は、1991年10月15日に刊行されたロマンティック・デス〜月と死のセレモニー国書刊行会)の中で登場した言葉です。20世紀の終わり、さまざまな場面で、「21世紀は、哲学・芸術・宗教の時代である」と言われてきました。フランスの文化相も務めた作家アンドレ・マルローは「21世紀はスピリチュアリティ(精神性)の時代である」と述べましたが、わたしはより具体的に、哲学・芸術・宗教が人々の主要な関心事になる時代と表現しました。

ハートフル・ソサエティ』(三五館)

 

その後、2005年9月9日に刊行されたハートフル・ソサエティ(三五館)、同書のアップデート版として2020年5月20日に刊行された心ゆたかな社会(現代書林)では、「哲学・芸術・宗教の時代」という一章を設けて、より詳しく説明しました。
そもそも哲学とは何でしょうか。また、芸術とは、宗教とは何か。一言で語るならば、それらは人間が言語を持ち、それを操り、意識を発生させ、抽象的な思考力を持つようになったことと引き換えに得たものです。わたしたちが知っているような話し言葉の誕生が、人類の先史時代を特徴づける1つの出来事だったことに疑問の余地はありません。あるいは、それこそが実際に先史時代を特徴づけた決定的な出来事だったのかもしれません。

f:id:shins2m:20210410135313j:plain心ゆたかな社会』(現代書林)

 

言語を身につけた人類は、自然界に新たな世界をつくり出すことができました。つまり、内省的な意識の世界と、他者とともにつくりあげて共有する世界、わたしたちが「文化」と呼ぶものです。ハワイの言語学者デリック・ビッカートンは、「言語こそが、人間以外のあらゆる生物を拘束する直接体験という監獄を打ちこわし、時間や空間に縛られない無限の自由へとわれわれを解き放ったのである」と述べています。人間は言葉というものを所有することによって、現実の世界で見聞したり体験したことのない、もしくは現実の世界には存在しない抽象的イメージを、それぞれの意識のなかに形づくることができます。そして、そのイメージを具現化するために自らの肉体を用いて自然を操作することができるのです。まさしく、その能力を発揮することが文明でした。それによって人間はこの自然の上に、田や畑や建造物などの人工的世界を建設し、地球上で最も繁栄する生物となったのです。

 

言語のルーツ

言語のルーツ

 

 

抽象的なイメージ形成力を持ち、自然を操作する力を持ち、自らの生存力を高めてきた人間ですが、その反面で言語を持ったことにより大きな原罪、あるいは反対給付を背負うことになりました。人間はもともと宇宙や自然の一部であると自己認識していました。しかし、意識を持ったことで、自分がこの宇宙で分離され、孤立した存在であることを知り、意識のなかに不安を宿してしまったのです。実存主義の哲学者たちは、それを「分離の不安」と言います。しかし、不安を抱えたままでは人間は生きにくいので、それを除去する努力をせざるを得ませんでした。この営みこそが文化の原点であり、それは大きく哲学・芸術・宗教と分類することができます。したがって、文明と文化は相互補完の対概念であると言えるでしょう。

 

人間 (岩波文庫)

人間 (岩波文庫)

 

 

「分離の不安」が言語を宿すことによって生じたのであれば、麻薬を麻薬で制するがごとくに、言語を十分に使いこなすことによって真理を求め、悟りを開こうとしたのが哲学でした。また、その言語を操る理性や知性からもう一度「感性」のレベルに状態を戻し、不安を昇華させようとする営みが芸術であると言えるでしょう。そして宗教とは、その教義の解読とともに、祈り、瞑想などの行為を通して絶対者、神、仏、ブラフマンといったこの世の創造者であり支配者であろうと人間が考える存在に帰依し、悟ろうとしたり、心の安らぎを得ようとする営みだったのです。

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このように、哲学・芸術・宗教は同根であり、人間が言語を操って抽象的イメージを形成し、文明を築いていく代償として「分離の不安」を宿したことへのリアクションだと言えます。インターネットに象徴されるさまざまなテクノロジーやグローバルな資本主義によって、人類はますます文明化していきます。その結果として、21世紀はまた、哲学・芸術・宗教のルネッサンスの世紀となるのです。

f:id:shins2m:20210410134723j:plain宇宙の情報システム

 

哲学・芸術・宗教を統合するものとして、わたしは「宗遊」という言葉を提唱しています。宗教の「宗」という文字は「もとのもと」という意味で、わたしたち人間が言語で表現できるレベルを超えた世界です。いわば、宇宙の真理のようなものです。その「もとのもと」を具体的な言語とし、習慣として継承して人々に伝えることが「教え」なのです。だとすれば、明確な言語体系として固まっていない「もとのもと」の表現もありうるはずで、それが儀礼であり、広い意味での「遊び」だと言えます。

唯葬論』(三五館)

 

「宗遊」には、もう1つの意味もあります。ずばり、「葬儀」の別名です。わたしは唯葬論(三五館、サンガ文庫)の中で「葬儀は遊びよりも古い」と記しました。実際、世界的に見ても相撲・競馬・オリンピックなどの来歴の古い「遊び」の起源はいずれも葬儀と深い関係があります。古代の日本では、天皇の葬儀にたずさわる人々を「遊部(あそびべ)」と呼んでいました。葬儀と「遊び」とのつながりをこれほど明らかにする言葉はありません。そもそも、はるか7万年前、ネアンデルタール人が最初に死者に花をたむけた瞬間から、あらゆる精神的営為は始まりました。これからの多死時代において、葬儀のもとに、「死」を見つめ、魂を純化する営みである哲学・芸術・宗教は統合されるのかもしれません。そして、その大いなる精神の営みはもはや葬儀とは呼ばれず、「宗遊」という新しい名を得ると思います。

 

2021年4月21日 一条真也