4月度総合朝礼

一条真也です。
4月になりました。素晴らしい晴天となった1日の朝、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールにおいて、サンレー本社の総合朝礼を行いました。もちろん、ソーシャルディスタンスには最大限の配慮をしています。

f:id:shins2m:20210401120507j:plain4月度総合朝礼前のようす

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最初は、もちろん一同礼!

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社歌斉唱のようす

f:id:shins2m:20210401085039j:plain春マスク姿で登壇しました

 

全員マスク姿で社歌の斉唱および経営理念の唱和は小声で行いました。それから社長訓示の時間となり、わたしが春を呼ぶピンクの不織布マスク姿で登壇しました。わたしは、まず、「昨日、京都出張から戻ったら、PCに「入学式も卒業式もムダ。3月4月すべての儀式が日本人を不幸にする」というとんでもないネット記事が届いていたので、一気に30分ぐらいで反論を書き、ブログ「儀式が日本人を不幸にする?」をUPしました。大量のアクセスが集中したようですが、儀式不要論に対峙するのもわが社の使命だと考えています。興味のある方はぜひ、ご覧下さい」と言いました。続いて、春マスクを取って、以下のように述べました。

f:id:shins2m:20210401120614j:plainこれから新入社員を迎えます

 

いよいよ、4月ですね。今日は、この後、辞令交付式が行われます。今年も新入社員のみなさんを迎えることができます。心より歓迎いたします。コロナ禍によって多くの企業が苦境に陥っています。当然ながら、新卒の採用というのは厳しくなります。わたしは、今年の新入社員に大いに期待しています。なぜなら、彼らほど、会社に入ることの喜びと社会人になることの責任感を胸に抱いている者はいないと思うからです。みなさんも、ぜひ新しい仲間たちを温かく迎えてあげて下さい。そして、会社の先輩として、社会人の先輩としての見本になって下さい。

f:id:shins2m:20210401120822j:plainグレート・リセット」について

 

ダボス会議」といえば、世界のリーダーたちが連携する国際機関で、著名な政治家や実業家、学者らが招かれ、意見を交わします。2020年1月に開催される年次総会のテーマは「グレート・リセット」でした。グレート・リセットとは、より良い世界をもたらすために、わたしたちの社会と経済のあらゆる側面を見直し、刷新することです。世界経済フォーラムを創設したクラウス・シュワブ会長は、この「リセット」が意味するものについて、「世界の社会経済システムを考え直さないといけない。第二次世界大戦後から続くシステムは異なる立場のひとを包み込めず、環境破壊も引き起こしている。持続性に乏しく、もはや時代遅れとなった。人々の幸福を中心とした経済に考え直すべきだ」と語っています。ここでシュワブが言う「第二次世界大戦後から続くシステム」とは、「無限の成長を前提とするシステム」です。

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人類社会のグレート・リセット とは? 

 

そのシュワブとオンラインメディア代表のティエリ・マルレの共著に『グレート・リセット』があります。同書には、「人間らしさの見直し」として、2020年3月のイタリアの状況に言及しています。その時期、死者が1万人を超え、新型コロナウイルス感染症による破滅的状況にあったイタリアでは、著名なオペラ歌手が近所の住人のために自宅のバルコニーから歌を披露しました。また、医療従事者に敬意を表し、人々は毎晩声を合わせて歌いました。その後、この現象はほぼヨーロッパ全土に広まりました。助け合いの精神や、困っている人を助けようとするさまざまな行動も見られました。

f:id:shins2m:20210401085427j:plain「人間らしさの見直し」について

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熱心に聴く人びと

 

市民全員が強制自宅隔離になると、人々は以前よりも人助けに時間を割き、互いにいたわりあい、このことで共同体意識が強まりました。同書には、「至るところで、親切心や寛大さ、利他主義を表すちょっとした行動が常識になりつつあるように思えた。協力という概念、共同体を重んじる考え、社会の利益と思いやりのためなら、自分の利益を犠牲にする価値観が重んじられるようになった」と書かれています。

f:id:shins2m:20210401090031j:plainエコノミーにヒューマニティを!

 

ビジネス書の分野でベストセラーを連発している山口周氏は、コロナ後の社会を構想した著書『ビジネスの未来』で「エコノミーにヒューマニティを」と訴え、「ここに、私たちが向き合わなければならない本質的な課題があります。真に問題なのは『経済成長しない』ということではなく『経済以外の何を成長させれば良いのかわからない』という社会構想力の貧しさであり、さらに言えば『経済成長しない状態を豊かに生きることができない』という私たちの心の貧しさなのです」と述べています。これは、拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)の主張に通じます。

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「生きるに値する世界」へ

 

わたしたちの社会は、これからどちらの方向へ向かうべきなのか。それは、「便利で快適な世界」を「生きるに値する世界」へと変えていくことであり、これを別の言葉で表現すれば「経済性に根ざして動く社会」から「人間性に根ざして動く社会」へと転換させるということになります。今後の社会を、優しく、愛と思いやりに満ちた、感性豊かなものにしていくためには、この「経済性から人間性」への転換がどうしても必要になります。

f:id:shins2m:20210401090502j:plain「経済性から人間性」への転換について

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熱心に聴く人びと

 

そして、「経済性から人間性」への転換を実現するために必要なのは、ここ100年のあいだ、わたしたちの社会を苛み続けてきた三つの強迫、すなわち「文明のために自然を犠牲にしても仕方がない」という文明主義、「未来のためにいまを犠牲にしても仕方がない」という未来主義、「成長のために人間性を犠牲にしても仕方がない」という成長主義からの脱却が必要です。その他にも、わたしはコロナ後の社会を予見した多くの本を読みましたが、いずれも「人間性」というものを重視しています。

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「相互扶助」の時代が来た!

 

そして、もうひとつキーワードがあります。それは、「相互扶助」です。ネアンデルタール人ホモ・サピエンスの遺跡からもわかるように、死者の埋葬と並んで、相互扶助は人類の本能であるとされています。わたしも、そう思います。最近観たアニメ映画「シン・エヴァンゲリオン劇場版」には、相互扶助を絵に描いたような村が登場し、非常に感動しました。人類が生き延びるには「相互扶助」という本能を呼び起こすことが必要なのです。

f:id:shins2m:20210401120656j:plain道歌を披露しました

 

互助会の「互助」とは、「相互扶助」の略です。「相互扶助」が最重要となるコロナ後の社会で、互助会は大きな存在感を放つでしょう。コミュニティホールである紫雲閣がワクチン接種の会場になるかもしれません。社会に貢献し、人類の存続を支えるという大いなる志をもって頑張りましょう!」と述べてから、以下の道歌を披露しました。

 

世直しは 人と人とが助け合ふ

    心ゆたかな人の世めざし  

 

f:id:shins2m:20210401090840j:plain「今月の目標」を唱和

f:id:shins2m:20210401090907j:plain最後は、もちろん一同礼!

 

総合朝礼の終了後は、松柏園ホテルで新入社員の辞令交付式を行います。明日は、本部会議と新入社員への社長訓話を行います。昨年はなんとかコロナイヤーを黒字で乗り切りましたが、コロナ2年目となる今年は正念場を迎えています。全社員が全集中の呼吸で全員の力を合わせて最後まで走り抜きたいです。

 

2021年4月1日 一条真也拝  

遺体を前に葬儀をあげられる幸せ

一条真也です。
相変わらずのコロナ禍の中、4月になりましたね。1日、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第33回目がアップされます。今回のタイトルは、「遺体を前に葬儀をあげられる幸せ」です。

f:id:shins2m:20210330102817j:plain「遺体を前に葬儀をあげられる幸せ」

 

2011年3月11日は、日本人にとって決して忘れることのできない日になりました。三陸沖の海底で起こった巨大な地震は、信じられないほどの高さの大津波を引き起こし、東北から関東にかけての太平洋岸の海沿いの街や村々に壊滅的な被害をもたらしました。2021年3月11日の東日本大震災発生10年を前に、宮城県東松島市で見つかった遺体の身元が、震災で行方不明となっていた61歳の女性と判明しました。

 

警察によれば、2月17日に、東松島市野蒜にある会社の敷地内で、白骨化した遺体を発見。警察が、歯形やDNA鑑定で身元の確認作業を進めたところ、東日本大震災で被災し行方が分からないままになっていた東松島市野蒜の奥山夏子さん(当時61歳)と判明。宮城県警のまとめでは、県内ではいまも1215人の行方が分からないままだといいます。心が痛みます。

 

東日本大震災における遺体確認は困難を極めました。津波によって遺体が流されたことも大きな原因の1つで、同じ震災でも、阪神淡路大震災のときとは事情が違っていました。これまでの日本の災害や人災の歴史を見ても、東日本大震災を「史上最悪の埋葬環境」と言った葬祭業者も多かったです。

 

そんな劣悪な環境の中で、日夜、必死に頑張っておられたのが自衛隊の方々でした。東日本震災において、自衛隊は多くの遺体搬送を担いました。「統合任務部隊」として、最大で200人もの隊員が「おくりびと」となったのです。遺体搬送は、自衛隊災害派遣では初めての任務で、整列、敬礼、6人で棺を運ぶという手順を現場で決められたといいます。

 

本来は人命を守るはずの自衛隊員が遺体の前で整列し、丁寧に敬礼をする姿には多くの人が感銘を受けました。わたしも非常に感動しました。そこには、亡くなった方に敬意を表するという「人間尊重」の姿があったからです。そして、埋葬という行為がいかに「人間の尊厳」に直結しているかを痛感しました。

 

東日本大震災では、これまでの災害にはなかった光景が見られました。それは、遺体が発見されたとき、遺族が一同に「ありがとうございました」と感謝の言葉を述べ、何度も深々と礼をされていたことです。従来の遺体発見時においては、遺族はただ泣き崩れることがほとんどでした。しかし、この東日本大震災は、遺体を見つけてもらうことがどんなに有難いことかを遺族が思い知った初めての天災だったように思えます。遺体を前に葬儀をあげることができるのは、じつは幸せなことなのです。

 

2021年4月1日 一条真也

桜は日本人の心

一条真也です。
コロナ禍にあっても、日本各地で桜が咲いています。
わが家の庭の桜の老木も、今年もなんとか花を咲かせてくれました。日本人は「限りある生命」のシンボルである桜を愛してきました。日本人がいかに桜好きかは、毎年のように桜に関する歌が発表されて、それが必ずヒットすることからもよくわかります。

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わが庭の老木に咲いた桜 

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わが庭の夜桜with満月

 

わたしが桜好きと知っている全国の知人や読者の方々から素晴らしい桜の写真の数々がLINEで届きました。LINEの情報は韓国で丸見えだそうですが、この美しい桜の写真を見れば、韓国の人々はみな日本が好きになるのではないでしょうか?  

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小倉城の夜桜(末藤様提供)

 

平安時代より以前は、日本で単に「花」といえば梅を指しました。平安以後は桜です。最初は「貴族の花」また「都市の花」であった桜だが、武士が台頭し、地方農民が生産力を拡大させるにしたがって、次第に「庶民の花」としての性格を帯びてきます。よく「花は桜木、人は武士」などといわれますが、これは江戸中期の歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」に用いられて以降、流行語となりました。

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金沢城址の満開の桜(青木様提供)

 

日本人は、月と花に大きな関心を寄せてきました。月も花も、その変化がはっきりと眼に見える「かたち」であらわれることから、自然の中でも時間の流れを強く感じさせます。特に日本においては、桜が「生」のシンボルとされました。桜ほど見事に咲いて、見事に散る花はないからです。そこに日本独自の美意識も生まれました。

f:id:shins2m:20210331184707j:plain京都迎賓館の枝垂れ桜(秋丸様提供)

 

国学者本居宣長は桜を日本人の「こころ」そのものとしてとらえ、「敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」という和歌を詠みました。桜を見て、「ああ美しいなあ」と感嘆の声を上げること、難しい理屈抜きで桜の美しさに感動すること、これが本当の日本精神だというのですね。まさに、桜は日本人の心です!

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桜は日本人の心です!

 

2021年3月31日 一条真也

儀式が日本人を不幸にする?

一条真也です。
31日、京都から小倉に戻りました。
小倉に到着した後、パソコン・メールをチェックしていたら、新しい「まぐまぐニュース」が届いていました。いつも頼んでもいないのに送信されるニュースですが、今日は、とんでもないタイトルの記事が紹介されていました。「入学式も卒業式もムダ。3月4月すべての儀式が日本人を不幸にする」という記事です。

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「MAG2NEWS」より

 

記事のリード文には、「3月4月の日本では、卒業式や入学・入社式等々多くの行事が行われますが、それらはすべて『ムダな儀式』と言い切ってしまって間違いないようです。今回のメルマガ『冷泉彰彦プリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、前掲の行事を『オワコン』と一刀両断。その上で、それらの儀式を無意味と判断せざるを得ない理由を、冷静な筆致で明らかにしています」と書かれています。

 

記事を読んでみると、率直な感想は「春の一連の儀式について悪意を持って書くとこのようになるのかな」と思いました。また、主張に論拠もなく、主観を振りかざすばかりで、特に得るものがありませんでした。当然いろいろな儀式については様々な意見があると思いますが、1人1人の多様な人間が、それぞれの儀式で何を得るかなどを考えず、価値感の押し付けをする独善的な印象です。しかしながら、タイトルは刺激的であり、こんな記事がネットの世界で独り歩きするのは好ましくありません。「これは、ちょっと看過できないな」と思った次第です。

f:id:shins2m:20210331182047j:plain日本経済新聞」2021年3月29日夕刊

 

最近、新型コロナウイルスの影響で昨春の入学式を中止とした大学が今春、新2年生向けに「1年遅れの入学式」を行うケースが相次いでいます。オンライン授業中心でキャンパスに通うこともままならなかった学生たちは「ようやく大学生の実感が湧く」と喜んでいるそうです。1年遅れの入学式を希望するかと大学側が新2年生たちにアンケートを取ったところ、じつに80%以上の学生が希望したそうです。これを知ったわたしは、彼らが入学式もないまま大学生活をスタートして、どんなに不安な毎日を送っていたかと思い、泣けてきました。文部科学省の調査によりますと、大学などの入学式は去年、78%が延期や中止になったということで、この春全国の多くの大学が新2年生向けの入学式を開催することにしています。

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毎日新聞オンライン」より

 

一昨日の29日、わたしが客員教授を務める上智大学では、新型コロナウイルスの影響で去年中止となった入学式が開かれ、新2年生たちが1年遅れの式典に臨みました。上智大学では去年、新型コロナウイルスの影響で入学式を中止し、この1年間ほとんどの授業はオンラインで行われました。わたしもオンラインで講義しました。今年の新入生の入学式は来月1日に実施することが決まり、大学は、1年間厳しい環境で学んできた新2年生のためにも節目の行事を開きたいと1年遅れの入学式を開くことにしたのです。新2年生の入学式は感染対策のため29日から3日間、6回に分けて開催され、29日午前、東京・四谷のキャンパスの大教室で開かれた式にはおよそ400人が参加しました。



1年遅れの入学式では、上智大学の曄道佳明学長が「私たちより不便を、厳しい闘いを強いられている人たちが世界に多くいることを忘れてはなりません。いま私たちが何をすべきか、考え続けましょう。ご入学おめでとうございます。ようこそ上智大学へ」と祝いのことばを述べられました。これに対し、新2年生代表で総合人間科学部看護学科の世良明日花さんが「この入学式を新たなスタートラインとして、勉学にいそしむことを誓います」と挨拶しました。入学式に保護者は参加できませんでしたが、スーツ姿の新2年生たちは「入学式」と書かれた看板の周りに、オンラインなどで知り合っていた同級生たちと集まり、笑顔で記念写真を撮っていました。

儀式論』(弘文堂)

 

さて、儀式はわたしの専門でございます。『儀式論』(弘文堂)という600ページの著書も書きました。同書の帯には、「人間が人間であるために儀式はある!」と大書されています。では、儀式とは何でしょうか。人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも、ころころ動いて不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。人間は儀式を行うことによって不安定な「こころ」を安定させ、幸せになれるように思います。その意味で、儀式とは人間が幸福になるためのテクノロジーです。そう、カタチにはチカラがあるのです。


サンデー毎日」2015年10月18日号

 

さらに、儀式の果たす主な役割について考えてみたいと思います。それは、まず「時間を生み出すこと」にあります。日本における儀式あるいは儀礼は、「冠婚葬祭」と「年中行事」の2種類に大別できますが、これらの儀式は「時間を生み出す」役割を持っています。「時間を生み出す」という儀式の役割は「時間を楽しむ」や「時間を愛でる」にも通じます。日本には「春夏秋冬」の四季がありますね。わたしは、冠婚葬祭は「人生の四季」だと考えています。七五三や成人式、長寿祝いといった儀式は人生の季節であり、人生の駅です。セレモニーも、シーズンも、ステーションも、結局は切れ目のない流れに句読点を打つことにほかなりません。 わたしたちは、季語のある俳句という文化のように、儀式によって人生という時間を愛でているのかもしれない。それはそのまま、人生を肯定することにつながります。

人生の四季を愛でる』(毎日新聞出版

 

儀式が最大限の力を発揮するときは、人間の「こころ」が不安定に揺れているときです。まずは、この世に生まれたばかりの赤ん坊の「こころ」。次に、成長していく子どもの「こころ」。そして、大人になる新成人者の「こころ」。それらの不安定な「こころ」を安定させるために、初宮参り、七五三、成人式、結婚式があります。さらに、老いてゆく人間の「こころ」も不安に揺れ動きます。なぜなら、人間にとって最大の不安である「死」に向かってゆく過程が「老い」だからです。しかし、日本には老いゆく者の不安な「こころ」を安定させる一連の儀式として、長寿祝いがあります。そして、人生における最大の儀式としての葬儀があります。葬儀とは「物語の癒し」です。 愛する人を亡くした人の「こころ」は不安定に揺れ動きます。「こころ」が動揺していて矛盾を抱えているとき、儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の「こころ」はいつまでたっても不安や執着を抱えることになります。もちろん、葬儀は必要です!

f:id:shins2m:20210125161111j:plain葬式は必要!』(双葉新書) 

 

葬儀という儀式の本質は卒業式です。「人生の卒業式」です。卒業とは環境が激変することであり、最も「こころ」が不安定となってストレスが増大します。これに続く入学式ではストレスが最大になります。だから、「こころ」を安定させる「かたち」である卒業式や入学式が必要なのです。人の「こころ」は、人生のさまざまな場面での「かたち」によって彩られます。人には誰にでも「人生の四季」があるのです。その生涯を通じて春夏秋冬があり、その四季折々の行事や記念日があります。大切なことは、自分自身の人生の四季を愛でる姿勢でしょう。ちなみに、儀式を重んじる日本人の精神性を見事に描いた作品は、社会現象にまでなった『鬼滅の刃』です。

f:id:shins2m:20201221125540j:plain「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林) 

 

まあ、冷泉氏の記事の中には、学校教育のあり方など、首肯できる点も少なからずありましたが、これは標題の儀式不要論というよりも、日本的共同体改革論のように感じました。例として、冷泉氏は日本的な共同体を「メンバーシップ」型、あるいは「ネバネバした共同体」と表現し、「生産性の低下、幸福度の低下、そして国際競争力の喪失を招いています。結果的にその集団全体を不幸にしている」と述べています。また、学校暦と学校での儀式の乖離から、卒業式等を不要と断じていますが、それらは組織として改善か必要な点を論っているのであって、それが儀式の要不要という論点には結びつかないのは明白です。

 

個人的には、冷泉氏はアメリカの個人主義にかぶれ過ぎているのか、「孝」の視点、すなわち受け継ぎ、繋いでいくという視点が不足しているように思えます。だから東大受験という、保護者の協力なくしてはクリアし得ない目標を達成した親にすら、入学式というケジメをつける必要がないと言ってしまえるのではないでしょうか。ただ、冷泉氏が言っているように、卒業式の時期や来賓のシステムなど、確かに改革が必要な点は多々あるとは思います。そうした文化を改善しながら、儀式もアップデートしながら、後代に繋げていけば良いでしょう。それを問題があるからといって、儀式そのものを廃止してしまうのは、『論語』にある「羹に懲りて膾を吹く」ではありませんか!

 

冷泉氏は、「日本の場合は、終身雇用の非専門職によるネバネバした共同体が、企業の意思決定勢力であり同時に守旧派勢力として君臨しており、その貴族的であり同時に奴隷的でもある特権階級に入るための『受験競争』があるという制度が長く続いてきました。その特徴を象徴するものが、この3月から4月に共同体を出たり入ったりする際の儀式であり、その一連の儀式のナンセンスが、この共同体システムの崩壊を示しているわけです。にもかかわらず、実は崩壊しているにも関わらずそのゾンビのような実態に気づくことなく、相変わらず訓示をしたり、辞令交付をしたり、コロナ禍の下でも歓送迎会を深夜までやったりしているわけです」と述べています。厚生労働省の深夜までの飲み会はたしかにケシカランですが、訓示や辞令交付まで冷泉氏的にはNGなのですね。これは恐れ入りました。

 

明日、わが社は不安な「こころ」を抱えているであろう新入社員を迎える辞令交付式を行い、社長訓示も行います。入社式について、冷泉氏は「大学の入学式以上に意味不明なのが、企業の入社式です。最悪なのが、社長のスピーチですが、昨今の定番というのは2種類あります」と述べます。1つは「諸君にはわが社を変革してもらいたい」というもので、2番目の定番はスピーチの中で社長が「色々あったがわが社は大丈夫だ」と述べるというパターンだとか。たしかに、このようなステロタイプな社長訓示は珍しくないかもしれませんね。わたしは、しませんけどね。
まあ、ステロタイプといえば、この記事の根底に厳然として在る「長年アメリカに住んでるけど、日本はこんなに遅れてるんだよ」という、上から目線でアメリカかぶれの物言いが一番ステロタイプではないかと思いますけどね。
最後にひとつ、冷泉氏に質問したいことがあります。
それで、アメリカ人は幸福ですか?

 

2021年3月31日 一条真也

平成心学

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一条真也です。
わたしは、これまで多くの言葉を世に送り出してきました。この際もう一度おさらいして、その意味を定義したいと思います。今回は、「平成心学」という言葉を取り上げることにします。

 

論語 (岩波文庫)

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伝習録 (岩波文庫 青 212-1)

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  • 発売日: 1936/09/30
  • メディア: 文庫
 
都鄙問答 (岩波文庫 青 11-1)

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  • 作者:石田 梅岩
  • 発売日: 2007/02/01
  • メディア: 文庫
 

 

かつて、孔子の思想的子孫と言うべき明の王陽明は「心学」を開き、日本の石田梅岩は江戸時代に「石門心学」を唱えました。そしていま、「平成心学」の時代です。社会が「ハート化社会」を経て、「心の社会」を迎え、さらには「心ゆたかな社会」であるを呼び込むため、21世紀を生きるすべての人々が学ぶべきものが「平成心学」です。


ハートフル・ソサエティ』(三五館)

 

最も価値のある人間の心を知るために、哲学・芸術・宗教に対する理解を深めるとともに、その根底にある「死」を直視することが求められます。そして、平成心学とは特に経営者にとって必要なものです。なぜなら、マネジメントの極意とは「人を動かす」ことであり、「人を動かす」とは「人の心を動かす」ことに他ならないからです。ここに、儒教の開祖である孔子とマネジメントの発明者であるドラッカーが一本の線でつながります。


孔子とドラッカー』(三五館)

 

FROM HEARTFUL COMPANY TO HEARTFUL SOCIETY! 

心ゆたかな社会は、心ゆたかな会社から!

心の経営=ハートフル・マネジメントを中心とした平成心学を学んだ経営者たちが心ゆたかな会社をつくってこそ、心の社会は生まれます。経営者の存在とは、それほど社会的意義の大きいものなのです。また、心ゆたかに生きるためには、「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を持つことが不可欠であり、平成心学はそのために必要な知識のみならず、気功や礼法などの技術の習得にも努めます。


ハートフル・カンパニー』(三五館)

 

さらに、「石門心学」は神道・仏教・儒教を融合した日本人の心の豊かさを追求したものでしたが、「平成心学」は神・仏・儒のハイブリッドな精神文化である日本の冠婚葬祭をふまえ、さらにはグローバル社会を生きるためにユダヤ教キリスト教イスラム教をはじめとした世界の諸宗教への理解を深めることも目的とします。いわば、総合幸福学なのです。わたしは「平成心学三部作」として、『ハートフル・ソサエティ』、『孔子とドラッカー〜ハートフル・マネジメント』、『ハートフル・カンパニー』の3冊を三五館より上梓しました。なお、平成心学を学ぶための塾が「平成心学塾」で、わたしが塾長を務めています。


平成心学塾」の看板の前で

 

2021年3月31日 一条真也

死を乗り越えるレオナルド・ダ・ヴィンチの言葉

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あたかも良く過ごした一日が、安らかな眠りをもたらすように、 良く生きられた一生は、安らかな死をもたらす。このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。今回の名言は、イタリアのルネサンス期を代表する芸術家であるレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)の言葉です。絵画、彫刻、建築、土木、人体、その他の科学技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残し、万能の天才とも評されました。代表作に「モナ・リザ」「最後の晩餐」「ウィトルウィウス的人体図」などがあります。

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチが、人類の中でも指折りな天才であることに疑問を持つ人はいないでしょう。今日に残る業績からも明らかなように、彼は絵画に限らず、多くのジャンルでその才気を発揮しています。そんなダ・ヴィンチが死に対し、このようなポジティブな考えを抱いていたとは、なんだか嬉しくなります。彼の言葉に触れると、死とは安らぎを与えてくれるゴールだという気がしてきます。

 

 

わたしは、多くの著書で「死は不幸ではない」と言い続けています。もし死が不幸なら、人は不幸に向かって生きていることになり、人生とは最初から「負け戦」ということになるからです。彼の言葉にはそんな思いは微塵もありません。死とは、よく生きられた人へのご褒美なのです。
なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。ご一読下されば、幸いです。

 

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2021年3月31日 一条真也

京都の夜は鎌田東二先生と

一条真也です。京都に来ています。
14時半からのブログ「京都の『お別れの会』」で紹介したセレモニーに参加した後、わたしはホテルグランヴィア京都の15階にある中華料理店「樓外樓」を訪れました。そこで、「バク転神道ソングライター」こと京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生とお会いしました。

f:id:shins2m:20210331084524j:plain満月の夜、鎌田東二先生と 

 

鎌田先生とお会いするのは昨年12月5日以来です。そのときも同じホテルの和食店でお会いしました。鎌田先生は3月20日に70回目の誕生日を迎えられたのですが、この日、ちょっと遅めの誕生日祝いをしました。昨日29日は満月で、リニューアル2回目となる「ムーンサルトレター第192信」も無事にUPしました。この日は雲と黄砂で月は隠されていましたが、わたしたちは思う存分、ムーンサルト・リアル・トークを展開しました。

f:id:shins2m:20210331094343j:plainムーンサルトレター第192信」も無事にUP!

 

話題は、2人ともに応募している月周回旅行のこと、二宮尊徳のこと、日本民俗学のこと、わたしが副理事長を務めている冠婚葬祭文化振興財団が設立を計画している儀礼・儀式学会のこと、そして日本における相互扶助とグリーフケアのこと・・・・・・いろいろと多岐にわたりました。わたしの個人的な悩みにも相談に乗っていただきましたが、的確で慈愛に溢れたアドバイスをいただき、ありがたかったです。心が軽くなったような気がしました。

f:id:shins2m:20210331094413j:plain 「ムーンサルトレター第192信」より

 

やはり、春夏秋冬の四季があるように、最低でも年に4回は鎌田先生にお会いしたいものです。鎌田先生とは、近いうちに「冠婚葬祭と神道」をテーマにした対談本を作ることも約束して、JR京都駅で別れました。鎌田先生、有意義な時間を与えていただき、心より感謝いたします!

 

2021年3月30日 一条真也