「中外日報」に『満月交心』が紹介

一条真也です。
中外日報」といえば、京都に本社を置く日本最大の宗教新聞です。特に、仏教界の方々はほとんど購読されているのではないでしょうか。同紙に、「バク転神道ソングライター」こと宗教哲学者の鎌田東二氏と小生の共著である『満月交心 ムーンサルトレター』(現代書林)の書評記事が掲載されました。

f:id:shins2m:20210219141016j:plain中外日報」2021年2月19日号

 

書評は、「時事社会論じる月々の対話収録」の見出しで、以下のように書かれています。
「歌(和歌・歌謡・詩)こそ日本宗教の核だとする宗教哲学者の鎌田東二氏と、弔いこそ人間の人間たるゆえんだと考える作家の一条真也氏が、毎月の満月の日に交わす『WEB文通』をまとめた書籍の第3弾。2015年7月から20年4月まで収録した。
互いの活動報告のほか、コロナ禍はもちろん、『絶歌』出版、終戦70年、オウム事件原発事故、熊本地震、『沈黙―サイレンス―』や『シン・ゴジラ』といった話題の映画、グリーフケア天皇即位などの時事や社会的課題について語り合っており、ページを開くとその時々の世情が思い出される。
一条氏は人類の存在を示す最古の遺跡が埋葬の痕跡であるように、死者を弔うことこそサルとヒトの違いだと語る。向き合うべきは自分の死というより、他者をどのように葬り弔うかだと強調する。そして祖先祭祀を重視する儒教への関心につながっていく。韓国の研究者の『儒学は道徳倫理の学ではなく、美学である』との言葉に強い共感を示し、礼法や儀式を支える価値観と結び付く。また神々や怨霊を鎮める所作が上代の神楽や中世の能楽の起源だとする鎌田氏の説と重なり合う。
結論や正解が用意されているわけではないが、言葉のセッションがじわじわと互いに影響を及ぼす過程は読み手にも刺激的だ」

 

満月交心 ムーンサルトレター

満月交心 ムーンサルトレター

 

 

2021年2月19日 一条真也

『探偵小説と日本近代』

探偵小説と日本近代

 

一条真也です。
『探偵小説と日本近代』吉田司雄編著(青弓社)を紹介します。わたしは幻想文学(ホラー・ファンタジー)、SF、ミステリーが人間の「こころ」に与える影響というものに深い関心を抱いています。本書もその関心から読んだのですが、論考集なので硬めの文章が多かったです。しかし、わたしの知らないことがたくさん書かれており、興味深い箇所も少なくありませんでした。

 

本書のカバーには宝珠光寿の銅版画が使われており、表紙には「科学的な言説と大衆的な不安とが交差するなかから誕生した探偵小説は、時代をどのように表象してきたのか。近代文学の探偵小説的なるものの系譜を追いながら、魔的で奇怪な物語空間を縦横無尽に論じ尽くす論考集」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。
序章
探偵小説という問題系
――江戸川乱歩幻影城』再読
吉田司雄
1 『幻影城』とうカノン
2 「変格」と「本格」
3 「発見」された「起源」
4 『幻影城』の外へ
第1章
前衛としての「探偵小説」
――あるいは太宰治表現主義芸術
(原仁司)
1 探偵小説と精神分析――佐藤春夫を例として
2 モンタージュ――太宰治と探偵小説(1)
3 モンタージュ――太宰治と探偵小説(2)
4 倫理的課題――探偵小説における「罪」の概念
第2章
近代日本文学の出発期と「探偵小説」
――坪内逍遥黒岩涙香内田魯庵高橋修
1 坪内逍遥の翻訳探偵小説
2 「自叙体小説」=「探偵小説」の試み
3 黒岩涙香『無惨』の探偵
4 内田魯庵の「探偵小説」批判
第3章
さまよえるドッペルゲンガー
――芥川龍之介「二つの手紙」と探偵小説一柳廣孝
1 芥川と「探偵小説」
2 「二つの手紙」――ドッペルゲンガーと探偵小説
3 さまよえるドッペルゲンガー
第4章
探偵小説と変形する肉体
――谷崎潤一郎「白昼鬼語」と江戸川乱歩「鏡地獄」
森岡卓司)
1 探偵小説は代行する――江戸川乱歩の探偵小説論
2 身体と他者の痕跡――谷崎潤一郎「白昼鬼語」
3 身体と他者の不在――江戸川乱歩「鏡地獄」
4 探偵の臨界
第5章
砕け散る暗い部屋(カメラ・オブスキュラ
――小栗虫太郎黒死館殺人事件』と電気メディア時代
(永野宏志)
1 精神分析と探偵小説
2 電気仕掛けの語り手
3 情報の寓話(アレゴリー
4 回転扉の建築
5 電気抵抗(レジスタンス)する読者
第6章
戦後文学としての本格推理
――横溝正史『本陣殺人事件』再考
小松史生子

1 本陣――「家」をめぐる物語
2 定住への憧憬――戦後住宅事情と「密室」
3 戦後文学としての本格推理
        ――プライベートへの渇仰
第7章
「五〇年問題」と探偵小説
 ――戦後文学におけるジャンルの交錯(紅野健介)
1 「五〇年問題」とは何か
2 新日本文学界の分裂
3 占領下の文学市場
4 大衆文学の戦後
5 読者と大衆
6 「人民文学」の作家たち
7 『真空地帯』と探偵小説
8 中園英助のスパイ小説
「あとがき」吉田司雄

 

幻影城の時代 完全版 (講談社BOX)

幻影城の時代 完全版 (講談社BOX)

  • 発売日: 2008/12/17
  • メディア: 単行本
 

 

序章「探偵小説という問題系――江戸川乱歩幻影城』再読」の1「『幻影城』というカノン」では、工学院大学助教授(日本近代文学専攻)の吉田司雄氏が、「江戸川乱歩の『幻影城』は日本における探偵小説研究のカノン(正典)ともいえる重要な位置を占めている一冊である。江戸川乱歩によって真に探偵小説らしい探偵小説が日本でも誕生したことは周知の事実だろうが、乱歩はまた探偵小説の研究と資料収集の第一人者でもあった。このことは近代日本における探偵小説の歴史を振り返ろうとするとき、ある種の困難を予感させる。最も信頼・重視すべき歴史記述の1つが、その歴史上最も重要な位置を占めるべき人物によって書かれている。それゆえ、資料の自己言及的性格を斟酌しなければならなくなるからである」と述べています。

 

 

幻影城』がカノン化される過程で、乱歩は名実ともに日本の探偵小説の中心人物としてのポジションを確固たるものにしたとして、吉田氏は、乱歩がかつて「不健全派」だの「変格」だのと侮蔑された作品まで「探偵小説」(戦後の木々高太郎の言い方では「推理小説」)とみなされることを嫌ったことを指摘します。乱歩は「探偵問答」において「科学小説は科学小説と呼び、怪奇小説怪奇小説と呼べばいいので、無理に探偵小説にすることはない」といい、「『抜打座談会』を評す」において「私の過去の作品で云へば、『人間椅子』『鏡地獄』などは変格と云はないで、怪奇小説と名づけて貰ひたいし、『押絵と旅する男』『パノラマ島奇談』などは幻想小説、『虫』などは犯罪小説と呼んで貰ひたい」と注文をつけていましたが、そうはなりませんでした。著者は、「これらの作品は一般的には今日も『探偵小説』として受け取られているように思う。それは日本の誇る『探偵小説作家』江戸川乱歩の代表作だからである。そして『本格』探偵小説との埋めがたい差異を説明するために、かつての否定的ニュアンスを拭い取った、いってみれば安全な用語として、『変格』の一語はなお生きつづけている」と述べています。

 

イデオロギーの崇高な対象 (河出文庫)

イデオロギーの崇高な対象 (河出文庫)

 

 

第1章「前衛としての『探偵小説』――あるいは太宰治表現主義芸術」の1「探偵小説と精神分析――佐藤春夫を例として」では、亜細亜大学助教授(日本近代文学専攻)の原仁司氏が、スロベニアの哲学者スラヴォイ・ジジェク精神分析学の父であるジグムンド・フロイトらの言説を借りながら、「探偵は、夢を分析するように、事件の現場を『さまざまな要素からなるブリコラージュとして』(ジジェク)捉える。ちょうど精神分析医が夢を合成されたものとして、すなわち『心の形成物の集塊として捉える』(フロイト)ように、探偵は、最初に出合った平板かつ有機的な事件の全体像を、懐疑のまなざしによって一度、解体させるのである。解体させるとはいっても、全体像を得る契機を否定するのではなく、事件の細部(部分)にこだわりそれを科学の目で凝視することによって、再び事件における「真の」全体像―核心をつかもうとするのである。したがって事件の細部(部分)は、解体された事件の全体像を再構成し、真相(真実)を引き出すための異化的な手段としてもちいられることになる」と述べています。

 

 

原氏は、かつてジョイスプルーストらの「意識の流れ」を「モンタージュ」と呼びなしたのはエルンスト・ブロッホであると指摘し、「ブロッホは、大戦間に発生した『表現主義論争』において、表現主義モンタージュを後期ブルジョア芸術から生まれた貴重な「遺産」として評価し、擁護したことでも知られている。彼に限らずドイツ・ワイマール期(1919~33年)に活躍した優れた思想家や批評家――例えばヴァルター・ベンヤミンジークフリート・クラカウアーなど――は、こぞって探偵小説を精神分析の理論やアヴァンギャルド芸術(特に表現主義モンタージュ)との相関性において解釈しようと試みていた」と説明しています。

 

心理学〈上〉 (岩波文庫)

心理学〈上〉 (岩波文庫)

 

 

また、原氏は、「意識の流れ」の用語概念を発明したウィリアム・ジェイムズの「我々が、可笑しいと思うのは、可笑しいという心理があるからではない。可笑しい顔の表情をつくる筋肉の運動があるからだ」という言葉を紹介し、「この言葉は、20世紀の初頭において人間の心理――『内面』が、いかに唯物論的な尺度で理解されつつあったか、その変移をよく象徴している。『即ち心理を無限に遡ぼれば、心理以前に先づ形(外界の存在)があるといふ事に到着するのである。先づ初めに物質がある』と、形式主義文学論争(1928~30年)の掉尾を飾った中河與一もいう。心理を、徹底して合理的に、実証主義的に突きつめていくことと、モンタージュの技法をポストモダンの芸術表象の場に見いだしていくこととは、パラレルな関係だったのである」と述べています。

 

佐藤春夫 作品全集

佐藤春夫 作品全集

 

 

さらに、1「探偵小説と精神分析――佐藤春夫を例として」では、佐藤春夫太宰治の作品に探偵小説のにおいを微妙に嗅ぎとっていることを指摘し、原氏は「佐藤の指摘する『読者が進んでこのわなに陥ちて行くように仕掛けられてある』『忌々しい』『トリック』とは、それを探偵小説の法則に置き換えれば、犯人(=作者)が画策するフィクショナルな状況設定――例えば自殺や事故に見せかけるなどの偽装行為――とほぼ同類である。もっとも、探偵小説の犯人のように自分の行為(犯罪)を隠しとおそうとするような目論見は太宰にはない。が、周囲の人間を自分と同じ泥水のなかに引き込むことによって、自分の正体をカムフラージュするような確信犯的な書き方を、彼はたしかにおこなっている。したがって、佐藤のいうように、そこに『書かれていること』(=状況設定)をそのまま真実(=事件の真相)と思い込んでしまえば、すなわちそれは読者(=探偵)の敗北を意味するだろう」と述べます。

 

 

その太宰治は、「小説の神様」と呼ばれた志賀直哉の作品を、「詰め将棋」のように人間の心理を捉えて、その因果関係(心理と行動、行為と動機の関係)を説明しようとする「古くさい」「日記のような」小説だと批判しました。原氏は、「要するに志賀の心理描写、そして独特の『リアリズム』を、科学的な実証性に基づくだけの単純稚拙な小説技法にすぎぬと太宰は応酬したわけである。その志賀への批判の妥当性については、また別に稿を改め再説するとしても、たしかに太宰治という小説作者は、文壇に登場以来、人間の複雑な内面心理が自然主義的『リアリズム』によっては決して十全には描かれぬことを一貫して主張しつづけていた。そして、少なくとも太宰は、この応酬の時点において『探偵小説』を科学的な因果律に基づいて書かれる小説形式であると解釈し、また、人間の『内面』は『探偵小説』のごとき心理解剖によって描かれるべきではないという見方に立っていたことが確認される。彼にとって、客観的なカメラ・アイを駆使して登場人物の『内面』を精細にのぞき込もうとする手法――動機と行為の関係を解析するような心理描写――は、最も嫌厭すべき小説作法だったのである」と述べています。

 

芥川龍之介 作品全集

芥川龍之介 作品全集

 

 

第3章「さまよえるドッペルゲンガー――芥川龍之介『二つの手紙』と探偵小説」の1「芥川と『探偵小説』」では、横浜国立大学助教授(日本近代文学専攻)の一柳廣孝氏が、以下のように述べています。
芥川龍之介谷崎潤一郎佐藤春夫と並べれば、大正文壇のトップランナーたちとまとめてみたくなるが、彼らは同時に探偵小説中興の祖でもあった。例えば江戸川乱歩は、谷崎の1917~20年に発表された諸作品をあげながら『私はこれらの作を憑かれたるが如く愛読した記憶がある。そして私の初期の怪奇小説はやはりその影響を受けているし、横溝君なども谷崎文学の心酔者』だったと述べ、『谷崎潤一郎についでこの種の作風に優れた作家は芥川龍之介佐藤春夫であった』と指摘していた。さらに乱歩は、大正文壇における探偵小説への関心を象徴する企画として、『中央公論』1918年7月臨時増刊号の『秘密と開放』特集をあげる。その創作欄には『芸術的新探偵小説』という表題のもとに、谷崎潤一郎『二人の芸術家の話』、佐藤春夫『指紋』、芥川龍之介『開化の殺人』、里見弴『刑事の家』の4編が収録された。以後、探偵小説史の文脈において谷崎、佐藤、芥川の3人は特別な地位を与えられ、今日に至っている」

 

小酒井不木 作品全集

小酒井不木 作品全集

 

 

英米における detective story が探偵による謎の解明を主とした小説を意味していたのに対し、日本ではいわゆる怪奇・幻想小説、科学小説、犯罪小説なども「探偵小説」の範疇に収められたとして、一柳氏は「のちに甲賀三郎によって謎解き系が『本格』、怪奇・幻想系が『変格』と分類され、やがて後者の代表的作家として小酒井不木海野十三夢野久作らがあげられるようになるが、こうした分類が必要になるほど、戦前の探偵小説のフレームは広かった。したがって芥川を『変格』探偵小説の文脈に位置づけることも、なんら不自然ではない、ということになる」と述べています。



2「『二つの手』」――ドッペルゲンガーと探偵小説」では、明治後期に日本に移入された心霊学の文脈では、死を間近に控えた人間が別の場所に姿を現す例とドッペルゲンガーの関係が論じられているとして、一柳氏は「初期心霊学研究の成果とされるガーニー、マイヤーズ、ポドモア『生者の幻像』(1886年)を援用しながら、ここでは肉体から抜け出した霊魂の動きを、実体化したドッペルゲンガーとして把握する。当時、心霊学がアカデミズムから「新科学」として注目を集めていたことを考えれば、ここにも一定の説得的なコンテクストが生じてくる。心霊学の広範な影響範囲に関しては、19世紀末から欧米の怪奇小説に登場する、いわゆるゴーストハンターの存在が象徴的だろう」と述べます。

 

 

アルジャノン・ブラックウッド『妖怪博士ジョン・サイレンス』(1908年)、ウィリアム・ホープ・ホジスン『幽霊狩人カーナッキ』(1914年)など、この時期には多くの心霊探偵小説が書かれています。一柳氏は、「『超自然』的な事件に対し、科学と心霊学に基づく論理的・実証的な解明をめざす彼らの活躍は、探偵小説の世界に心霊学という解釈コードを持ち込んだ。しかもそれは、科学と固く手を結んでいた。心霊学は科学と連動することで、あらたな「合理」の道を開いたとみなされたのだ。さらに近代日本においては催眠術による暗示療法が注目されていて、大正期にはその発展形ともいうべき霊術が広く受容されていたことも考慮する必要があるだろう」と述べるのですが、これは卓見であると思います。

 

陰獣 (角川文庫)

陰獣 (角川文庫)

 
【「新青年」版】黒死館殺人事件

【「新青年」版】黒死館殺人事件

 

 

第5章「砕け散る暗い部屋(カメラ・オブスキュラ)――小栗虫太郎黒死館殺人事件』と電気メディア時代」の3「情報の寓話(アレゴリー)」では、早稲田大学非常勤講師(日本近代文学専攻)の永野宏志氏が、江戸川乱歩の『陰獣』と小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』を取り上げ、「表象の能力を一手に引き受ける19世紀的探偵のたどり着く先は、『陰獣』が示すように電気通信メディアのグローバルな普及による物語世界からの読者なる分身の離陸という新たな事態だ。このような2つの系が恣意的な関係にある比喩は、古来修辞学でアレゴリーと呼ばれる。『陰獣』と『黒死館殺人事件』はシンボリックというより、アレゴリカルな探偵小説と呼ぶべきだろう」と述べています。ということで、本書は日本近代文学を専攻する研究者たちが探偵小説を多角的な視点から考察した内容となっており、わたしの知的好奇心を満たしてくれました。

 

探偵小説と日本近代

探偵小説と日本近代

  • 作者:吉田 司雄
  • 発売日: 2004/03/01
  • メディア: 単行本
 

 

2021年2月19日 一条真也

「論語と算盤」で行こう!

一条真也です。
18日、小倉の気温は0度で、朝から雪が降りました。寒さに震えましたが、この日の早朝から松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。

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松柏園の庭園に雪が・・・

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月次祭のようす

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コロナ完全対応で執り行われました

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玉串奉奠で拝礼する佐久間会長

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わたしも拝礼しました

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神殿での一同拝礼!

 

皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さり、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが社長として玉串奉奠を行いました。会社の発展と社員の健康・幸福、それに新型コロナウイルスの感染拡大が終息することを祈念しました。

f:id:shins2m:20210218083427j:plain本日の「天道塾」のようす

f:id:shins2m:20210218083503j:plain最初は、もちろん一同礼!

f:id:shins2m:20210218083938j:plain訓話する佐久間会長

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新時代の互助会のあり方を問いました

神事の後は、恒例の「天道塾」を開催しました。最初に佐久間会長が訓話を行いました。会長は、「いま、日本電産永守重信という方に注目しています。まだ76歳だそうですが、1兆円以上の事業を成功されていることも素晴らしいですが、その社員教育がまた素晴らしい」と述べました。それから、松下幸之助出光佐三稲盛和夫といった経営の先達たちの名を挙げ、そのルーツには渋沢栄一がいたとして、「論語と算盤」について語りました。そして、「コロナがまだ収まりませんが、互助会の役割はますます高まるものと信じています。時代の変化に合わせた新しい募集の形を考えて、未来を創造していきましょう」と述べました。

f:id:shins2m:20210218091229j:plainわたしが登壇しました

 

それから、社長であるわたしが登壇して、訓話を行いました。今日は黄色のネクタイに合わせた色の不織布マスクを着けました。わたしはまず、「いよいよワクチンが日本に入ってきましたが、新型コロナウイルスの終息には程遠いですね。まだまだ先が見えません。日本各地に緊急事態宣言が発令されていますが、先月は各事業部において新年祝賀式典を行いました。責任者のみなさんからは、力強い決意表明を受け取りました」と述べました。それから以下のような話をしました。

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渋沢栄一の話をしました 



佐久間会長の話と重なりますが、新しいNHK大河ドラマ「青天を衝け」が2月14日から始まりました。主人公は新1万円札の顔になる渋沢栄一です。約500の企業を育て、約600の社会公共事業に関わった「日本資本主義の父」として知られています。晩年は民間外交にも力を注ぎ、ノーベル平和賞の候補に二度も選ばれています。その彼が生涯、座右の書として愛読したのが『論語』でした。渋沢栄一の思想は、有名な「論語と算盤」という一言に集約されます。それは「道徳と経済の合一」であり、「義と利の両全」です。結局、めざすところは「人間尊重」そのものであり、人間のための経済、人間のための社会を求め続けた人生でした。

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マスクを外して、渋沢栄一を語る 

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熱心に聴く人びと

渋沢栄一は、天保18年(1840年)、武蔵国榛沢郡血洗島(現在の埼玉県深谷)に豪農の子として生まれています。慶応3年(1867年)、15代将軍となった徳川慶喜実弟で、後に最後の水戸藩主となる徳川昭武が、将軍慶喜の名代としてパリ万国博覧会に派遣されます。このとき、慶喜に仕えていた渋沢は、昭武のお供を命ぜられ、フランスへ渡りました。渋沢がフランスに滞在しているとき、江戸幕府は滅びます。そこで渋沢は、明治元年(1868年)に帰国します。そこからの渋沢は、まさに快刀乱麻の大活躍でした。

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拠り所は『論語』! 

 

渋沢栄一は、第一国立銀行(現在の東京みずほ銀行)を起こしたのをはじめ、日本興業銀行東京銀行(現在の東京三菱)、東京電力東京ガス王子製紙、石川島造船所、東京海上火災東洋紡清水建設麒麟ビール、アサヒビールサッポロビール、帝国ホテル、帝国劇場、東京商工会議所東京証券取引所聖路加国際病院日本赤十字病院、一橋大学日本女子大学東京女学館など、おびただしい数の事業の創立に関わりました。渋沢は、「自分さえ儲かればよい」とする欧米の資本主義の欠陥を見抜いていました。ですから、彼は「社会と調和する健全な資本主義社会をつくる」ことをめざしますが、その拠り所を『論語』に求めました。

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右手に『論語』、左手に算盤! 

 

なぜ、実業家である渋沢が『論語』を読み込んだのか。それは、彼が会社を経営する上で最も必要なのは、倫理上の規範であると知っていたからです。渋沢の思想は、有名な「論語と算盤」という一言に集約されます。それは「道徳と経済の合一」であり、「義と利の両全」です。結局、めざすところは「人間尊重」そのものであり、人間のための経済、人間のための社会を求め続けた人生でした。特筆すべきは、あれほど多くの会社を興しながら財閥を作ろうとしなかったことです。後に三菱財閥を作った岩崎弥太郎から手を組みたいと申し入れがありましたが、これを厳に断っています。利益は独占すべきではなく、広く世に分配すべきだと考えたからです。

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わが名の由来は『論語』の「中庸之和」 

 

論語』はわたしの座右の書でもあります。わたしの「庸和」という名前の出典は『論語』の「中庸之和」です。2012年に孔子文化賞を受賞したとき、世界孔子協会の孔健会長が特製論語の扉に「佐久間先生謹呈 中庸之和」と書いて下さいました。この名をつけてくれたのは祖父の栗田光十郎で、筋金入りの『論語』好きでした。ちなみに、松柏園ホテルの「松柏」も、『論語』の「歳寒くして、然る後に松柏の彫むに後るるを知る」に由来します。わたしも、松柏園も、『論語』の申し子なのであります。そこんとこ、ヨロシク!(笑)

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論語』を生かした3人の日本人とは?

 

わたしは、『論語』の真価を最も理解し、それを現実面でも生かした日本人が3人いると思っています。聖徳太子徳川家康渋沢栄一です。聖徳太子は「十七条憲法」や「冠位十二階」に儒教の価値観を入れることによって、日本国の「かたち」を作りました。徳川家康儒教の「敬老」思想を取り入れることによって、徳川幕府に強固な持続性を与えました。そして、渋沢栄一は日本主義の精神として『論語』を基本としたのです。

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論語』は最高の成功指南書!

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熱心に聴く人びと

 

聖徳太子といえば日本そのものを作った人、徳川家康といえば日本史上における政治の最大の成功者、そして渋沢栄一は日本史上における経済の最高の成功者と言えます。この偉大な3人がいずれも『論語』を重要視していたということは、『論語』こそは最高最大の成功への指南書であることがわかります。渋沢には、『論語』の言葉を題材にして、自身の経験や思想を縦横無尽に語った『論語と算盤』という著書がありますが、日本人が書いた最高の『論語』入門書だと言えます。 

f:id:shins2m:20210218091447j:plain論語と算盤」とは、ハートフル・マネジメント !

 

経営学ピーター・ドラッカーは著書『マネジメント』上田惇生訳(ダイヤモンド社)で、「率直に言って私は、経営の『社会的責任』について論じた歴史的人物のなかで、かの偉大な明治を築いた偉大な人物の一人である渋沢栄一の右に出るものを知らない。彼は世界の誰よりも早く、経営の本質は『責任』に他ならないということを見抜いていたのである」と絶賛しました。そう、「利の元は義」です。自分の仕事に対する社会的責任を感じ、社会的必要性を信じることができれば、あとはどうやってその仕事を効率的にやるかを考え、利益を出せばよいのです。「論語と算盤」とは、ハートフル・マネジメントを言い換えたものです。ドラッカー渋沢栄一をこよなくリスペクトするのも当然だと言えます。

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論語と算盤」で行きましょう!
 

そして、渋沢自身は孔子をこよなく尊敬していました。わたしの著書に『孔子とドラッカー新装版』(三五館)という本がありますが、渋沢栄一こそは、まさに孔子ドラッカーをつなぐ偉大なミッシング・リンクでした。わたしも、渋沢と同じく「利の元は義」だと確信しています。そして、「論語と算盤」こそは、わがサンレーの目指す「天下布礼」の別名であると思っています。『青天を衝け』は20%の高視聴率でスタートしましたが、時代が『礼』の思想を求めているのでしょう。まさに、わたしたちの時代です。これからも、『論語と算盤』で行きましょう!」と述べてから降壇しました。

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佐久間会長からコメントが!

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最後は、もちろん一同礼!


わたしが降壇すると、佐久間会長がマイクを取って、「いまの社長の話には、『会長はこう言ったけど、自分はこう思う』といったことがまったくありませんでした。事業の継承というのは思想の継承であり、考え方が同じであることが何より嬉しく、心強く感じました」とのコメントを頂きました。わたしの考えは、もともと佐久間会長の受け売りですので、それは当然のことだと思います。こうして、 今年最初の「天道塾」は大いに盛り上がって終了しました。

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雪が舞う松柏園の庭園にて

 

午後からは、全互協のグリーフケアPTのリモート会議が行われます。わたしは座長として参加いたします。一昨日は全互協の儀式継創委員会のリモート会議に、昨日は同じく全互協の正副会長会議に初のリモート参加しました。全互協本部のある東京まで行こうかとも思いましたが、緊急事態宣言でスターフライヤーが極端な減便をしており、上京できる状況にありませんでした。冠婚葬祭業界もまだまだ業難の中にありますが、「天下布礼」のために頑張ります!

 

2021年2月18日 一条真也

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一条真也です。
本当は16日から東京出張しようと思っていましたが、緊急事態宣言でスターフライヤーが大幅に減便され、定宿のホテルも館内レストランなどが閉鎖されて不便なので、緊急事態宣言の間は出張を控えることにしました。17日は、全互協の正副会長会議にリモート参加。

f:id:shins2m:20210217201405j:plainiPhone12ProMax をついにGET!

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箱もイカしています!

その日、前から注文していたスマホをついに入手しました。iPhone12ProMaxです。iPhoneの最高級機種につき、2020年11月13日の発売以来、なかなか製造が追いつかなかったそうですが、3ヵ月も経ってようやく手に入れることができました。わたしは、築80年のボロ家に住み、旧型のボロ車に乗っていますが、「天下布礼」のために毎日ブログをUPしており、いくつかのサイトを運営していることもあって、スマホだけは最新機種を使うようにしているのです。

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カメラがエクセレント!!

f:id:shins2m:20210217201657j:plain5Gの時代です!!

 

これまでは、iPhone11ProMaxを使っていました。それまでに使っていたiPhoneに比べ、格段にカメラの機能が進化していました。今度のiPhone12ProMaxは、iPhone11ProMaxと同じ3眼カメラですが、「LiDAR(ライダー)スキャナ」が搭載されており、暗い場所でのより速いオートフォーカスを実現しています。また、5倍光学望遠ズームレンジにグレードアップし、広角・望遠で写真をより美しく撮影できるようになりました。また、iPhone12シリーズ最大の進化ポイントは5Gの対応で、5G対応エリアでは大幅に通信速度が向上します。

f:id:shins2m:20210217201805j:plainほぼ日のアースボール」にかざしてみる

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まさにSFの世界です!

 

処理能力についても、iPhone12シリーズではA14Bionicチップを搭載し、スマートフォン最速クラスの高い処理能力を実現しています。さらに、iPhone12シリーズから防水機能も向上し、これまで「水深4メートルで最大30分間の耐水性能」だったのが「水深6メートルで最大30分間の耐水性能」に進化したようです。これで津波や洪水に巻き込まれても安心です。ブログ「ほぼ日のアースボール」で紹介したハイテク地球儀にもかざしてみました。


それにしても、iPhoneなどというモノを発明したスティーブ・ジョブズは偉大だと、つくづく思います。ブログ『the four GAFA』で紹介した本の第3章「アップル――ジョブズという教祖を崇める宗教」では、「聖と俗と」として、著者のスコット・ギャロウェイは「物体がスピリチュアルな目的に使われるとき、それが神を崇めるものとして神聖視されることはよくある。スティーブ・ジョブズイノベーション・エコノミーのキリストとなった。彼の輝かしい偉業であるiPhoneは彼を崇めるための道具となって、他の物体やテクノロジーの上位にたてまつられている」と述べます。

 

 

さらに、スコット・ギャロウェイはアップルの挑戦について、「21世紀最初の10年、ジョブズがアップルに帰還したのち、同社はビジネス史上最大のイノベーションに乗り出した。その10年でアップルは世界を揺るがし続けた。1000億ドル規模の新たなカテゴリーを生み出す製品やサービスを次々と打ち出したのだ。それがiPod、iTunes、アップルストア、iPhone、iPadである。このようなものはそれまで存在しなかった」と述べています。


そう、iPhoneは稀代のイノベーターとして歴史に名を残したスティーブ・ジョブズが創業したアップル社の製品です。ジョブズについては、ブログ「スティーブ・ジョブズの志」ジョブズへの追悼メッセージ)、ブログ『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』(カーマイン・ガロの著書の書評)、ブログ『スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション』(カーマイン・ガロの著書の書評)、ブログ『スティーブ・ジョブズ』ウォルター・アイザックソンの著書の書評)などを、よろしければ参考にされて下さい。

 

スマホ脳(新潮新書)

スマホ脳(新潮新書)

 

 

そのスティーブ・ジョブズは、自分の子どもには絶対にスマホを与えなかったそうです。そのことを書いた『スマホ脳』アンデシュ・ハンセン著、久山葉子訳(新潮新書)という本があります。世界的な精神科医脳科学の最新研究から恐るべき真実を明らかにした世界的ベストセラーです。「わたしたちは1日平均2600回スマホに触り、10分に1回手に取っている」「現代人のスマホのスクリーンタイムは1日平均4時間に達する」「スマホのアプリは、最新の脳科学研究に基づき、脳に快楽物質を放出する〈報酬系〉の仕組みを利用して開発されている」「1日2時間を超えるスクリーンタイムはうつのリスクを高める」「スマホを傍らに置くだけで学習効果、記憶力、集中力は低下する」などの驚くべき事実が次から次に登場。この本を読んだら、スマホを触るのが怖くなりました。まあ、わたしはスマホ依存症になって本を読まなくなるということはないでしょう。せっかくの情報最新兵器を適度に使っていきたいと思います。

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新書本や文庫本と大きさ比べ!(笑) 

 

2021年2月17日 一条真也拝 

『モダニズム・ミステリの時代』

モダニズム・ミステリの時代: 探偵小説が新感覚だった頃

 

一条真也です。
モダニズム・ミステリの時代』長山靖生著(河出書房新社)を読みました。「探偵小説が新感覚だった頃」というサブタイトルがついており、1920年代に勃興・隆盛するモダニズム文学と探偵小説。怪奇、犯罪、科学といったテーマを軸に、相互に影響しあう熱い磁場を活写した本です。1962年生まれの著者は、本業である歯科医の仕事のかたわらに近代日本の文化史・思想史から、文芸評論や現代社会論まで、幅広く執筆活動を行っています。ブログ『日本SF精神史【完全版】』ブログ『奇異譚とユートピア』で紹介した本に続いて、著者の新刊を読みました。 

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本書の帯

 

本書のカバー表紙には古賀春江「海」1929年(東京国立近代美術館蔵)が使われ、帯には「怪奇、幻想、科学、犯罪、心理・・・・・・より新しいものへ、より未知なるものへ!」「100年前の1920年、『新青年』創刊。そして『文藝時代』『文學時代』へ――探偵小説と新感覚派らのモダニズムとが相互乗り入れする文学シーンはこんなにも可能性に満ちていた――!」「戦間期日本の想像力を問い直す、もうひとつの文学史」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、「本書では、変格探偵小説にまま見られる都市性や科学的幻想性に、またモダニズム文芸に見られるミステリ表現、あるいは探偵小説要素に、特に注目することになる。そしてそのように探偵小説とモダニズム文学が接近し、重なり合っている部分が大きな作品を、モダニズム・ミステリと呼ぶ。(・・・・・・)モダニズム作家が書いたモダニズム・ミステリは、さしずめ変格探偵小説の中でも、その極北に位置する脱ジャンル的作品群ということになるだろう。そしてそれは、その辺境性のゆえにモダニズムとミステリ双方の本質を明らかにする上で益するところがあると私は考えている」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
序章「ミステリとモダニズム
第一部 幻想探偵の作法
第1章 光学トリックの迷宮、異界への郷愁
第2章 乱歩と宇野浩二式幻想空間
第3章 幻想空間浅草と魔術・犯罪・ファンタジー
第4章 堀辰雄 遊戯としての犯罪
第二部 人造人間幻想 
      人間改良と機械的存在
第5章 人体改造と犯罪学・優生学
第6章 電気人形、ロボット、アンドロイド 
第7章 ロボットの恋と犯罪
第三部 モダニズム文芸誌の
         探偵小説指向
第8章 私の目は薔薇だ
第9章 「文藝時代」の科学主義
第10章 尖端・探偵雑誌としての「文學時代」
第11章 川端康成の科学・事件・探偵小説
第12章 犯罪心理から心理そのものの異常性へ
「あとがき」
「引用作品出典/参考文献」
「主要人名索引」

 

 

序章「ミステリとモダニズム」の冒頭で、江戸川乱歩が「二銭銅貨」で雑誌「新青年」からデビューしたのは大正12(1923)年4月増大号のことであると紹介し、著者は「乱歩の登場はその後の探偵小説のイメージを決定するほどの影響力を持っていた。日本でも創作探偵小説が可能であることを示して後続者のための門戸を広げ、作風においては謎解き、犯罪、法廷、疑獄事件はもちろん、猟奇、奇想、怪奇、神秘、幻想、科学、冒険、ナンセンスなど、人間の好奇心を刺激するあらゆる謎めいたものを内包するジャンルとして成長していく起点となった。殊に変格探偵小説への寛容さの一因は、乱歩の作風にあったといっても過言ではあるまい」と述べています。

 

小酒井不木 作品全集

小酒井不木 作品全集

 

 

続けて、著者は「もちろん乱歩だけでなく、多くの探偵作家が多様な作風を競い合い、ジャンルを拡張させていった。大正末期から昭和初頭に登場した作家だけでも、乱歩のほかに小酒井不木甲賀三郎横溝正史渡辺啓助海野十三夢野久作小酒井不木久生十蘭木々高太郎大下宇陀児蘭郁二郎らがいた。探偵小説にはトリックのオリジナリティを厳しく問われるというジャンル特性があるが、そのこともまた、より新しいもの、未知なるものを取り入れた作品を生み出す原動力となった。『新青年』が大正9(1920)年に創刊されているのは象徴的だ。1920年代には日本でもモダニズム文化が花開いたが、探偵小説とモダニズムは、時期だけでなく受容する層も重なるようにして広まった。モダニズムは今現在ならびに来るべき未来をとりあえずは肯定的に受け止め、先端的なものを積極的に取り入れようとする運動だった」と述べています。

 

 

乱歩は、自身が影響を受けた作家として谷崎潤一郎をあげ、作品では大正6年の「魔術師」「ハッサン・カンの妖術」、7年の「金と銀」「人面疽」「白昼鬼語」、8年の「呪われた戯曲」「或る少年の怯れ」、9年の「途上」などをあげました。さらに佐藤春夫芥川龍之介、里見弴らの名もあげています。また別の随筆では「白状すると、私は潤一郎、春夫、浩二という順序で傾倒して来た」(「宇野浩二式」大正15)とし、宇野浩二に惹かれたとも語っています。著者は、「これらの作家、作品の影響を受けたのは乱歩ばかりでなく、多くの探偵作家に認められる。また谷崎や芥川と直接かかわった一般文壇の後続世代も、当然ながらその怪奇・幻想・妖美な作風の影響を受け、その作品を前提として新たな展開を試みることになった。その代表格が横光利一川端康成、中河與一、稲垣足穂堀辰雄吉行エイスケ龍膽寺雄といった新感覚派や新興芸術派の作家たちだ」と述べます。

 

宇野浩二 作品全集

宇野浩二 作品全集

 

 

また、「『探偵をする』ということ」として、著者は「一般文壇で探偵趣味を披露したのは、谷崎や芥川が最初というわけではない。森鴎外にも探偵趣味は見られるし、夏目漱石の小説に「探偵」がしばしば登場したことはよく知られている。『吾輩は猫である』では、寒月君とのあいだに縁談を抱える金田家が、苦沙彌先生の隣家の車屋を買収して様子を探らせ、何人かの偵察者をそれと知られないように偽装しながら送り込む。『坊ちゃん』では新任教師にイタズラを仕掛ける生徒が、教師のふるまいを密偵し、そうかと思うと坊ちゃんと山嵐は偽善的な教頭の醜聞を探り出し、張り込んだりもする。そもそも坪内逍遥が『小説神髄』で唱えた『人情を写す』という価値観にはじまる日本の近代小説は、日常生活の中でふだんなら見過ごして気付かないような自他の内面や、人々を動かす社会構造などを描き出すことを目指したのであり、近代文学それ自体が人間の内面に迫り、事象の背景を暴くという意味で、本質的に探偵的ジャンルだったといえるかもしれない。『心を探る』ことは今も文学の重要な課題だろう」と述べています。

 

 

「同時代文学に遍在する探偵性とモダン性」として、著者は「モダニズム近代主義)の語は、19世紀にも伝統主義に対抗する思想を指す語として使用されていたが、狭義には第一次世界大戦後から1930年代に及ぶ戦間期にみられた多様な前衛芸術運動を指している。ダダイズムシュルレアリスム、フォービズム、フォルマリズム、キュビスム表現主義新即物主義、・・・・・・。未来派は1909年にイタリアではじまったが、この運動もモダニズムに加えていいだろう。モダニズム様式の建築や、モダニズムの名の下に総括される様々な芸術運動が日本でも試行されるようになるのは大正期からであり、最盛期は昭和に入ってからだ」と説明します。

 

恐怖・ユーモア小説編 (新青年傑作選)

恐怖・ユーモア小説編 (新青年傑作選)

  • 発売日: 1991/07/01
  • メディア: 単行本
 

 

これらモダニズム運動の日本における受容は、ほとんど江戸川乱歩以降の創作探偵小説の勃興、隆盛と同時進行的に展開していましたが、単に時期が重なっていただけではなく、同時代の関心を共有し、互いの作品からも取り入れ合っていました。著者は、「それは例えば光学機器がもたらすイリュージョン、国際性としての異国情憬と植民地趣味、手品・魔術・心霊術への関心、格差拡大と労働運動拡大を背景にした社会不安、心理学・犯罪学への関心、ロボットや人体改造などの未来技術への関心など多岐にわたる。殊に科学は重要だった」と述べています。モダンであることは科学的・躍動的であることと同義でしたが、「新青年」も探偵小説は科学的な思考、合理的な思考を備えた知的文芸である点をしきりに強調していたといいます。



また、著者は以下のようにも述べています。
「科学と不思議(幻想・怪奇)は一見矛盾する思考のように感じられるが、古典物理学から相対性理論の提唱を経て量子力学的世界へ、医学や薬学・化学の発展が毒ガスや整形手術から優生学に至る人体改造の提唱に至ることに端的に表れているように、1920年前後の科学は19世紀的な安定した世界像に終止符を打つものとなっていた。多くの一般読者層は科学への関心を高める一方、先端科学を理解不能な魔術的なものとも感じていた。新元素の発見や無線電話(ラジオ、無線操縦、テレビジョンなどの技術)など「目に見えないもの」の活用は、生活を豊かにする素材として歓迎される一方、新たな精神不安を抱かせもした。実際、誰かが電波で自分に話しかけて来る、自分が電波で操られるといった妄想は、ラジオ放送の開始前後から急激に増える」

 

 

これらはすべて探偵小説にトリックやフェイクとして利用されましたが、モダニズム文芸にも貪欲に取り入れられていました。また今日のSFに通じる科学小説は、戦前には探偵小説の一種とみられていましたが、それは両者に共通する科学と推論への関心の強さにあると推測する著者は、「新奇なトリックを追求していけば先端知識を超えて架空の技術や仮定の理論に行きつく。また未来の人間や世界のありようを推理することは極めてモダンなミステリでもあった。犯罪学や超常現象を含む異常心理(当時の用語だと変態心理)もまた探偵趣味と密接に結びついた先端科学であり、先端風俗でもあった」と述べています。

 

 

著者いわく、異常と正常、人間と機械は接近し、自意識と肉体、都市と過去は乖離していきました。その歪みのあいだから奥深い闇が覗き、精神医学や本格探偵はそれを探り尽くそうとし、モダニズムや変格探偵は戯れようとしたのです。「探偵小説・モダニズム文学・プロレタリア文学」として、著者は「乱歩は理論としては本格を探偵小説の本道と重視しながらも、実作においては猟奇的、幻想的な作品でより幅広い支持を受けたというのが実情だったが、そうした関心のありようは大衆的人気だけでなく、文壇人も同様だった。科学の進歩によって現実世界に説明し切れない謎が却って増えた時代、神秘は新たなリアリティの場でもあった」と述べています。

 

ポー名作集 (中公文庫)

ポー名作集 (中公文庫)

 

 

「拡張するミステリ」として、著者は、「ミステリ」の語源がギリシャ語のミュステリオン(人智の及ばぬ謎、神秘)にあることを紹介します。だから中世キリスト教世界では神による超越的出来事を描いた、主に『聖書』に基づく物語をミステリと呼びました。そこでは“謎”の理由は神の叡智と力に帰結するわけですが、著者は「これに対してエドガー・アラン・ポーが創始しアーサー・コナン・ドイルによって確立された近代ミステリは、神秘的としか思えないような謎を、証拠と論理的推論によって解明し、合理的理解の範囲内での真相にたどり着くという枠組みを正統とした。これが本格探偵小説だ」と説明します。

 

 

とはいえ“謎”それ自体は、必ずしも犯罪とは限りませんし、また“合理的”の範囲が誰にとっても共通し、いかなる時代でも永遠に変わらないというわけでもありません。著者は、「異常心理もまた現実には存在するし、超常現象の実在をとなえる人々もいる。少なくとも作家が書き得たものであれば、たとえ大多数の読者にとって理解しがたいものだったとしても、人間の想像の範囲内にあるのである。したがって、ありえないような謎の提示や、謎への対応姿勢の位相によって、ミステリには怪奇小説幻想小説、(異常)心理小説、ナンセンス小説、間諜小説、科学小説と呼ばれるようなものも含まれる。これらが戦前の言葉でいう変格探偵小説だ」と説明します。

 

 

そして、著者は「戦前の探偵小説界では、しばしば本格と変格のあいだでの論争はあったものの、実態としては本格と変格は探偵小説の両輪で、相互に刺激し合うことで内容を深めてきた。探偵小説は欧米でもそのはじまりから、やはり神秘幻想への関心という意味でのミステリ要素を帯び続けていた。そもそもポーは探偵小説よりも幻想小説や科学小説を数多く書いていたし、ドイルもまた心霊術に強い関心を抱いていた上に『失われた世界』の作者でもあった。起源がミュステリオンにあるのだから、すべての謎が人智で解き明かされなくとも、やはりそれはミステリなのだ」と述べるのでした。

 

学研の日本文学 佐藤春夫 田園の憂鬱

学研の日本文学 佐藤春夫 田園の憂鬱

 

 

第一部「幻想探偵の作法」の第1章「光学トリックの迷宮、異界への郷愁」では、「レンズがもたらす別世界」として、著者は「異常な光景をもたらすレンズは、古風な遠眼鏡だけではない。佐藤春夫は乱歩に先行して、『田園の憂鬱』で〈眼鏡をかけて見ると、天地は全く別箇のものに見え出した〉と書き、レンズを通して現実を異化しようとする視線の特権性を主張していた。その佐藤作品には蜃気楼を取り入れたものもあるが、乱歩の「押絵と旅する男」の冒頭でも、話者は魚津に蜃気楼見物に出かけた帰りだと述べていた。蜃気楼も自然が生み出す光学トリックだが、1920年代の日本には蜃気楼観光ブームがあった。芥川も「蜃気楼」で鵠沼海岸のそれにふれている。「押絵と旅する男」の話者自身もまた蜃気楼に惹かれたひとりであり、「西洋の魔術師のような風采のその男」の語る「兄」同様、空想的「眺め」の愛好者であることがあらかじめ示されている」と述べています。



著者は「映画」にも言及し、「映画はレンズによって幻想の景色をもたらすシステムであり、人は映画を通して現実には行ったこともない場所(さらには時間)を『観る』ことになる。蜃気楼と映画の類似性は、さらに〈蜃気楼とは、乳色のフィルムの表面に墨汁をたらして、それが自然にジワジワとにじんで行くのを、途方もなく巨大な映画にして、大空にうつし出したようなものであった〉という言葉によって強調され、レンズの介在も〈喰いちがった大気の変形レンズを通して、すぐ眼の前の大空に、焦点のよく合わぬ顕微鏡の下の黒い虫みたいに、曖昧に、しかもばかばかしく拡大されて、見る者の頭上におしかぶさってくるのであった〉と重ねて言及されている」と述べています。


大正・昭和初期の探偵小説や幻想小説には、望遠鏡や双眼鏡、そして顕微鏡がよく出て来ますが、それには光学機器の国内生産化による低価格化、民間への普及という現実も関係していました。著者は、「つまりそうした小説群もまた、それとは気付き難い隘路を通じて軍需産業の恩恵に浴していたのである」と述べます。また、著者は、人間が「眺め」によって異世界と現実世界を混同し、レンズを媒介として異世界の中に入っていくという設定は、バーチャルリアルの先駆をなしていたと見ることもできると指摘します。これも乱歩に突出した発想ではなく、1920年代の文学にはある程度共通していた事象であり、乱歩が直接参照した可能性のある(逆に影響を及ぼした可能性も)作家に宇野浩二牧野信一もいました。

 

浅草公園 或シナリオ

浅草公園 或シナリオ

 

 

 

第3章「幻想空間浅草と魔術・犯罪・ファンタジー」では、浅草の風景は興行と切り離せませんが、この時代の好奇心旺盛な作家は、自作の映画化やシナリオ執筆にも積極的だったことが指摘されます。芥川龍之介はシナリオ形式の作品「浅草公園」を書きました。谷崎潤一郎は大正9年に大正活映株式会社脚本部顧問に就任し、後には自らも制作に関わりました。大正13年、直木三十五(当時の筆名は直木三十三)はマキノ省三の家に居候していましたが、映画に強い関心を抱き、マキノと組んで翌14年に映画制作プロダクション「連合映画芸術家協会」を設立しています。また同年には、衣笠貞之助監督が横光利一の『日輪』を映画化しました。『日輪』は邪馬台国を舞台にした小説だが、映画では天照大神に引き付けた表現があったため不敬罪に抵触するとの懸念から上映中止になりました。しかしこれを契機として新感覚派と映画の接近が進み、翌15年には衣笠貞之助横光利一川端康成岸田國士片岡鉄兵らが「新感覚派映画連盟」を結成することになります。



新感覚派映画連盟」というグループ名は新聞辞令によるものでした。当初から横光らが名乗っていたわけではなかったのですが、事後的にこの名が定着しました。ただし横光は妻の病気などのために十分に映画に関与することができず、片岡もスランプのため斬新な幻想的アイディアが浮かばなかったそうです。結局、川端の『狂った一頁』(当初のタイトルは『狂へる一頁』)だけが首尾完結したシナリオとして完成されたのみでした。『狂った一頁』は、1926年(大正15年)に公開され、監督は衣笠貞之助、主演は井上正夫。無字幕のサイレント映画として公開されましたが、激しいフラッシュバックや多重露光、キアロスクーロ、素早いショット繋ぎ、オーバーラップなどの技法を駆使して斬新な映像表現を試みた、日本初のアヴァンギャルド映画です。物語は精神病院が舞台で、狂人たちの幻想と現実が交錯して描かれる。大正モダニズムの成果である本作は、ドイツ映画『カリガリ博士』(1920年)に触発されたものであるが、そこに日本人固有の家族観が入れられているところに独自の工夫があります。著者は、「この作品は日本で作られた表現主義的映画として、なかなかの力作だ」と評価しています。



『狂った一頁』がインスパイアされた『カリガリ博士』とは、ロベルト・ヴィーネ監督による、革新的なドイツのサイレント映画です。一連のドイツ表現主義映画の中でも最も古く、最も影響力があり、なおかつ、芸術的に評価の高い作品です。精神に異常をきたした医者・カリガリ博士と、その忠実な僕である夢遊病患者・チェザーレ、およびその二人が引き起こした、ドイツ山間部の架空の村での連続殺人についての物語ですが、登場人物の1人であるフランシスの回想を軸にストーリーが展開します。初期の映画では直線的なストーリー進行が大半を占めましたが、『カリガリ博士』は、その中でも複雑な話法が採用された一例でもあります。この映画は当時の日本の作家や文化人に多大な影響を与えたとされています。ちなみに、『カリガリ博士』も『狂った一頁』も、現在はYouTubeで全篇を鑑賞することができます。本当に良い時代になったものです!

 

魔術 (1年生からよめる日本の名作絵どうわ)

魔術 (1年生からよめる日本の名作絵どうわ)

 

 

さて、次は、わたしが偏愛する2人の作家、谷崎潤一郎芥川龍之介の話です。谷崎は「ハッサン・カンの妖術」という短編小説に、ハッサン・カンという名のインド人魔術師を登場させました。その後、芥川龍之介は「魔術師」という短編小説に、ハッサン・カンの弟子であるマティラム・ミスラというインド人魔術師を登場させています。もともと谷崎と芥川の文学を愛するわたしは、謎のインド人であるマティラム・ミスラに多大な関心を抱いていました。

 

夢見る帝国図書館

夢見る帝国図書館

 

 

ブログ『夢見る帝国図書館』で紹介した中島京子氏の小説にもマティラム・ミスラが登場するのですが、「谷崎は、ハッサン・カンの妖術を学んだミスラ氏の神通力によって、古代インドの世界観の中で中心にそびえる聖山、須弥山に導かれ、亡き母が一羽の美しい鳩になっている姿に出会う。一方、芥川がミスラ氏に見せられるのは、須弥山だの輪廻の世界だのではなくて、若干、手品じみた魔術ではあった。しかし、芥川はすっかりその魔術の虜になってしまい、ミスラ氏に懇願して、その魔術を教えてもらうことになる」と書かれています。

 

催眠術の日本近代

催眠術の日本近代

 

 

さて、谷崎の「ハッサン・カンの妖術」ではジンを使い魔として使役しての妖術だったものが、芥川の「魔術」では誰でも習得可能な催眠術の一種へと「近代化」「科学言説化」されています。著者は、「そこには夏目漱石が『琴のそら音』に書いている『狸が人を婆化す云ひやすけれど、何で狸が婆化しやせう。ありやみんな催眠術でげす・・・・・・』という作中作・有耶無耶道人著『浮世心理講義録』の記述を彷彿とさせるものがある」と指摘し、さらには「芥川作品中のミスラ君が催眠術だと言い張る術は、超現実の出現を客観的に示す証拠実例として、泉鏡花や『遠野物語』に登場したものと同質だった。『私は魔術師ではない』と魔術師が言った。さて、彼は本当に魔術師ではなく、ただ奇術を見せただけなのだろうか?」とも述べます。 



著者は、SF作家のアーサー・C・クラークが「十分に発達した科学は魔術と見分けがつかない」(クラークの三法則の第三法則)としていることを紹介し、「モダニズム期に魔術への関心が高まった背景には、科学の再魔術化(不合理化ではなく、難解化したために専門家でなければ知識人でも理解しがたいものとなった)という事態と無関係ではないかもしれない。理解できないことが現実として提示され、それは否定できないが理解もできないという宙吊り状態を、苦痛と感じるか快楽とするかは、知性の問題ではなく気質にかかわるものとなりつつあった」と述べています。



さらに、「モダンと模倣」として、著者は「こうした同じテーマや作中人物の共有を、われわれはどう考えたらいいのだろうか」と読者に問いかけ、以下のように述べるのでした。
モダニズム文学は、都市化による生活の変化を肯定的に受け止め、科学(自然科学も社会科学も)に強い関心を向ける。機能的で無機質なビルヂング、飛行機や高速機関車、ロケットに流線型、映画にセルロイドにコルクに新元素、心理学に犯罪学、アインシュタインの空間論にベルクソンの時間論・・・・・・。ただしその関心は、必ずしも現実の自然科学や社会科学の理解や受容とは結びついておらず、それらがもたらすであろう生活や感情の変化への興味に主眼が置かれている。だからモダニストにとって科学はしばしば錬金術や魔術と混合され、天文学は星占いに、建築学バベルの塔や天体建造に、術学的な虚実取り混ぜての学者名の羅列や学説の引用は、呪文となんら変わらない。シュルレアリスム運動もまた、モダニズムの一派であるといえる。さらにそれは、浅草オペラやカジノ・フォーリーのレビュー芝居や、エロ・グロ・ナンセンスの都市風俗・大衆文化とも結びついていた」



第二部「人造人間幻想 人間改良と機械的存在」の第5章「人体改造と犯罪学・優生学」では、「人体修復術から『人造人間』へ」として、 1920年前後に義手や義足、義眼が盛んに製造され、整形手術も格段の進歩を見せたことが紹介されます。これは、第一次世界大戦で発生した大量の戦争犠牲者の社会復帰という切実な課題があったためでした。失われた身体の一部や容貌の回復を主目的としたそれらの技術向上のために、戦時下で開発された多様な機械技術や素材開発が転用されもしました。探偵小説やモダニズム文芸には、人工臓器や臓器移植、あるいは工学的な欠損補綴といった開発途上(あるいは当時はまだ夢物語)だった諸技術も頻繁に出て来ますが、それらへの関心もまた、戦争被害と人体修復術の関係抜きには考えられないとして、著者は「人体の一部の非生物由来の人工材料で補うことや電子頭脳と人間の融合などの技術は、21世紀の今日では現実的に十分あり得るようになってきた。義手義足といった工学的補綴物を人間の神経と連動させて自動的に動かす研究も進んでいる。そうした現代の最先端研究技術は、100年ほど前の探偵小説やモダニズム文芸で、既に未来技術として描かれていたわけだ。この時期に普及し探偵小説でも注目された心理学や精神分析もまた、戦場の恐怖からの復帰と無関係ではなかった」と述べています。

 

女の一生 (新潮文庫)

女の一生 (新潮文庫)

 

 

また、御船千鶴子らによる「超能力」の真偽をめぐる千里眼事件に世間の耳目が集まっていた明治43(1910)年、騒動関連の記事とならんで「東京朝日新聞」では9月16日から10月4日にかけて、連載記事「危険なる洋書」を掲げていました。「危険なる洋書」といえばマルクス主義文献を指すことが多かったのですが、この記事が主に取り上げているのは政治的な危険思想書よりもむしろ、明治民法的な家父長制的社会秩序に反する欲望を刺激するような文芸作品だったとして、「フローベル、ゾラなどの写実主義から自然主義に至る作家から、ロシアのツルゲーネフクロポトキントルストイアンドレーエフなどの『破壊思想』、また『頽廃詩人』であるヴェルレーヌランボーボードレール、女性の自己決定を描いて家庭秩序に反するイプセンやズーダーマン、熱情過多なダヌンチオ、そして耽美主義のオスカー・ワイルド、皮肉屋のジョージ・バーナード・ショー、無慈悲なチェーホフといった面々がやり玉に挙げられている」と書かれています。

 

孤島の鬼

孤島の鬼

 

 

「人間改良と優生学」として、著者は畸形や人体実験をテーマとした江戸川乱歩の小説『孤島の鬼』を取り上げます。後に「江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間」として映画化されるこの怪作を優生学思想に対するアンチテーゼと受け止め、「劣等遺伝子保有者を排除して人類の進歩を促進しようという考えは、19世紀中葉から1930年代にかけて、多くの知識人を捉えた思想だった。ゾラのルゴン=マッカール叢書は劣等気質の遺伝を受けた人々が代を重ねて破滅に至る物語だったし、フェビアン協会社会主義者たちの多くも優生学的政策を支持していた。進化論、優生学への関心は日本の社会主義にも見られた。大杉栄は大正期にダーウィンの『種の起源』を翻訳しているし、動物学者の丘浅次郎エスペラント運動に参加し、社会主義思想にも強い関心を示している。社会の改良を目指す思想が、彼らをして人類そのものを改良しようという夢想へと誘ったのかもしれない」と述べます。



また、当時の世間一般の認識では、チェーザレ・ロンブロゾの生来性犯罪者説などの流布もあり、犯罪者気質は遺伝的要素が強く、身体的特徴から識別できると考えられていたことを紹介し、著者は「ロンブロゾの生来性犯罪者説は、犯罪者を人類学上の特異的な変異のひとつと見做し、身体的表徴と精神的表徴によって識別できるとした。またロンブロゾは、生来性犯罪者は隔世遺伝で発現する先祖返りの一種であるとも述べている。この学説は20世紀初頭には学術的には異端視され排除されたが、身体的特徴から犯罪予備軍を感知し得るという思想は、今日の犯罪プロファイリングにも影響を与えている。また探偵小説には生来性犯罪者説やその亜流が間々見られた。小酒井不木の『闘争』や海野十三「赤耀館事件の真相」、そして小栗虫太郎黒死館殺人事件』、夢野久作ドグラ・マグラ』などが生来性犯罪者説を重要なモチーフとしていた」と述べています。



さらに、ダーウィンの進化論では優勝劣敗(適者生存)と共に突然変異を進化の重要因子としていることを指摘し、著者は「その意味では進化には突発的な『革命』の要素があった。これに対して優生学は、遺伝子の『選択的配合』と『適正な継承』の理論だった。1920年代から30年代にかけて高まっていった優生学の喧伝は、現実的な理由のほかに、革命的進化論から継承的優生学へという国策の閉塞化も影響していた」と説明しています。ただし1920年代、30年代にはナチス・ドイツだけでなく、英米でも優生学的見地に立った人類の選別という考えが、かなり広く知識人層・社会的指導者層に支持されていたのは事実であり、ナチスの暴挙をヒトラーの妄想のみに帰することができないとして、著者は「われわれは認識しておく必要がある。日本が総動員体制に向かっていく過程で、モダニズム文芸は個々の作家の作風に解体され、探偵小説は反社会的であるとして事実上執筆が困難となるが、そうした社会思想の醸成に、モダニズム文芸も探偵小説も全く無関係だったということはできない」と述べるのでした。


第7章「ロボットの恋と犯罪」では、「電波――通信と操縦がもたらす恐怖」として、著者はニコラ・テスラを取り上げて、「『魔術的』な科学技術といえば、忘れてならないのはニコラ・テスラだ。交流方式・無線操縦・蛍光灯などの発明者として知られるニコラ・テスラ(1856~1943)は、高周波・高電圧を発生させる共振変圧器テスラコイルも製作、1905年には内部にテスラコイルを設置した高さ57メートルのウォーデンクリフ・タワーを、J・P・モルガンの経済支援を受けて建設している。電波による通信、送電実験を目的としたものだったが、アメリカが第一次世界大戦に参戦すると、攻撃の目印にされるとして、1917年にタワーは解体・撤去された。この件に関しては、発明家としての名声と電気事業をめぐってテスラと対立していたトーマス・エジソンの政略によるものとの噂もあった」と述べています。



 

テスラはテスラコイルを用いた空中放電実験を行い、装置を用いて「宇宙人と交信している」と発言したとも噂されています。20年代以降のメディアでは、自然科学と神秘主義のはざまに立つ、胡散臭い魅力を持った存在として扱われるようになり、昭和初頭の日本でも「科学知識」などのポピュラー・サイエンス雑誌に、装置が放つ稲妻のような放電の傍らに平然と立つテスラの姿が紹介されるなどしました。著者は、「テスラの発明とパフォーマンスは、殺人電波や電波によって脳に干渉し他人を操るマッド・サイエンティストという科学小説や探偵小説、あるいは映画での表現に大きな影響を与えた」と述べています。このマッド・サイエンティストの源流が『カリガリ博士』であることは言うまでもありません。



 「電波」で人間を操ったというテスラの実験について、著者は「それまで自他共に悪魔憑きや狐憑きなどといわれていたような人々が、『憑りつく存在』として『電波』を、より身近で合理的なものとして認知するようになったというのが時系列的な流れだ。ニコラ・テスラの放電実験は、まさにそうした電波的神秘を可視化させたものとして、一部の人々を高揚させた。テスラの無線操作も、『誰かに操られている』という妄想ないしは弁明に利用された。これは日本では海野十三蘭郁二郎の科学小説や変格探偵小説に活用されることになる。脳波によってロボットを操縦するというアイディアと、電波で人間も操縦し得るという考えは同質のものといってよい」と述べています。



こうした科学と神秘の絡み合いの中に、蓄音機の発明には「死者の声を聴きたい」という願望が絡んでいたのではないかと推測する著者は、「19世紀後半、写真撮影が大衆に普及しはじめた時代には、死んだ家族の姿を現存する家族写真に混入させる『心霊写真』もまた意図的に作られ、そこから『本物の心霊写真』という別の物語が派生したことも加える必要があるかもしれない。これらの映像や音声記録の新技術は、ミステリやホラーのトリックに(あるいは犯行の証拠として)用いられることになった。20世紀前半には活動写真/映画が、トリックや怪異現象と結びつけられるようになる。モダニズム期には『発声映画(トーキー)』が特に注目を集めた。一方、現実の無線通信技術はというと、1900(明治33)年、かつてエジソンの下で技師をしていた経験を持つレジナルド・フェッセンデンが、世界で初めて電波に音声を乗せることに成功した。さらに彼は電動式の高周波発振器を開発・改良し、1906年12月24日に自身の『無線局』からクリスマスの挨拶や音楽、そして『聖書』の朗読を発信した」と述べています。



第三部「モダニズム文芸誌の探偵小説指向」の第8章「私の目は薔薇だ――怪奇幻想からミステリ、科学的知覚へ」では、「『文藝時代』――新感覚派の誕生」として、著者は以下のように「四次元」という概念の発見について述べています。
アインシュタインは1905(明治38)年に「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」などを立て続けに発表した。ミンコフスキーは1907年頃、特殊相対性理論が、「時間」と空間の3つの次元をひとつに組み合わせた四次元の時空を用いると簡潔に記述できることに思い至った。ミンコフスキー時空における時間軸は、空間軸とは異なり、可逆的ではなく一方向性を持つ特殊な軸と設定されていたが、時間もまた空間と同様に座標軸のひとつであるという認識が一般化した時、そこに可逆的な時間や、時間が空間的に重なる世界を表現するイメージが生まれたのは当然だったろう」



四次元空間は時間と空間が一体化した時空だとする考えを基盤とし、しかし純粋には重力ゼロでないと成立しないことから、重力は四次元空間の曲がりに相当するとした一般相対性理論が発表されるのは1916(大正6)年のことでした。またアインシュタイン特殊相対性理論で、相対速度が光速に近い場合の時間と空間に対する変換は、ニュートン時空的な絶対時間と絶対空間を前提としたガリレイ変換ではなく、時間と空間が入り混じるローレンツ変換によらなくてはならないことを示しました。そこから導かれる帰結として「時間の進み方は観測者によって異なる」という考えが生まれたわけですが、著者は「先端的なものに強い関心を示す『文藝時代』の同人たちは物理学が提示する世界観にも関心を抱いていた。特に稲垣足穂はしきりにアインシュタインの理論やミンコフスキー時空を話題にして各人の想像力を刺激し、横光利一も強い関心を抱いた」と述べています。

 

タイム・マシン ウェルズSF傑作集

タイム・マシン ウェルズSF傑作集

 

 

また、「四次元の『発見』と科学小説、探偵小説」として、著者は、「四次元」という考え方を小説に持ち込んだのはH・G・ウェルズの『タイムマシン』(1895)であろうと推測し、「『タイムマシン』は物理学界で四次元という概念が定着する以前に書かれている。アインシュタイン特殊相対性理論を発表したのは1905年だったが、空間三次元に時間一次元を加えた「四次元」時空を用いれば、特殊相対性理論を簡潔に説明できることを、1908年にヘルマン・ミンコフスキーが発表した。いわゆるミンコフスキー時空だ。これを受けてさらにアインシュタインは、四次元時空に「曲がり」を導入して重力をも記述できる一般相対性理論を導いたのだった。四次元時空という概念への道は、1890年代の双曲四元数の発展によって開かれつつあったとはいえ、ウェルズの直覚の鋭さには驚かされる」と述べています。



さらに、「物理学、心霊小説、そして科学」として、著者は「19世紀末からベル・エポックを経て世界大戦後の1920年代は、科学の時代である一方で心霊主義の時代でもあった。コナン・ドイル心霊主義に関心を寄せていたことはよく知られており、その影響は作品にも表れている。またアガサ・クリスティーの小説にもしばしば霊媒師や占い師が登場する。もちろんその多くは小説を装飾する目くらましであり、事件の真相は別のところにあって『合理的』な解決が示されるのだが、事件は解決しても心霊主義的部分は棚上げされたままの作品もある」と述べています。

 

 

こうした傾向は現代ミステリにも見られるとして、著者は「ホラーも書いているミステリ作家は多いし、留守番電話やケータイ、録画画像など時代とともに進歩してきた様々な技術が、ミステリのトリックに活用される一方、この世のものでない何かとの連絡ツールとして登場することがある。これらは19世紀末の心霊主義流行以来の伝統だ。蓄音機や電話の発明には、異界からの声を聞きたいという願望が関係していたし、科学者の中にも心霊主義や超能力に関心を持ち、本気で研究に取り組んだものもいた。日本では明治末期の御船千鶴子らによる『千里眼事件』が有名だ」と述べています。ちなみに、著者が書いた『千里眼事件』(平凡社新書)は「科学とオカルトの明治日本」を活写した名著であり、わが愛読書です。

 

 

当時の心霊ブームに関連して、著者は、物理学者のオリバー・ロッジ(1851~1940)を取り上げます。初期無線通信の検波器に用いられたコヒーラや点火プラグの発明者として知られるロッジは、一方で心霊現象研究協会の重要メンバーの1人であり、エーテルの研究家でもありました。彼は若くして死んだ息子のレイモンドと霊界通信が出来たと信じ、その交信録『レイモンド』をまとめました。これは日本でも、野尻抱影により大正13年に翻訳が出ています。日本では、川端康成は、幼いうちに両親を失い、育ててくれた祖父も看取っており、死への感覚が人一倍鋭く、物理学や心理学の本も熱心に読んでいたそうです。また、「新思潮」時代からの仲間である今東光の父・武平は日本に神智学をもたらした人物で、ジッドゥ・クリシェナムルテらと親交があり、その著作を翻訳していました。今東光、日出海周辺の人々は神智学に触れています。


 

 

モダニズム文学の諸運動は、大なり小なり世界大戦の衝撃を背景にして生まれました。日本も大戦に参加したとはいえ、その規模はささやかで、日露戦争以降はベル・エポックが続いているようなもので、多分に手法的受容に止まっていましたが、著者は「それが関東大震災の衝撃により、科学主義や無意識、意識の流れといった観念と共に、心霊主義モダニズムに重要な意味を占めていた理由を、体感的に知るに至った」と述べます。少なくとも川端康成堀辰雄には、そうした理解があったといいます。そして、著者は「人の命が、花のそれと変わらないという感覚は、通常は『儚さ』の意識としてメランコリックに受け止められる。しかし川端はそのようには描いていない。さらに横光の『頭ならびに腹』の擬人的比喩表現をも考え合わせれば、それはモノも人も同じという考えに行き着く。それはヒューマニズムではないが、ニヒリズムでも決してない。人間を特権視しないという意味では反ヒューマニズムだが、花もヒトもモノさえもが相等しいと考えるなら、死は怖れの対象ではなくなる。新感覚派には確かに新しい科学主義的な倫理が芽吹いていた」と述べるのでした。

 

『堀辰雄全集・152作品⇒1冊』

『堀辰雄全集・152作品⇒1冊』

 

 

「あとがき」では、その冒頭に、堀辰雄の「僕には何処から何処までが夢であり、そして現実であるのか区別することが出来ない」、江戸川乱歩の「現し世は夢 夜の夢こそまこと」という2つの言葉が引用されています。著者は「この2人の言葉を並べただけでも、本書が描こうとした時代状況は伝わるのではないかと思います。夢と現実、幻想と科学は相互侵犯的であり、またモダンも探偵も共に『科学的』であることを目指しました」と述べています。また、「今から100年ほど前の1920年前後、世界には“新しさ”への関心が溢れ、それを称賛し謳歌したいという衝動が広くみられました。近代日本の探偵小説は、そんなモダニズム時代に育まれました。他者に先んじて真相にたどり着こうとする探偵が、科学捜査技術や心理学の先端理論に敏感なのは当然で、時にその推論は未知の空想科学上に立脚することにすらなります」とも述べます。

 

横光利一 作品全集

横光利一 作品全集

 

 

著者は、何人よりも先端的であろうとするモダニストの関心は“今ここ”をはみ出して、空想的な未来領域へと踏み込んでいこうとするとして、「先端性の加速は必然的に未来へと――ユートピアであれディストピアであれ――手を掛けることになる。名探偵と創造的犯罪者は、いわば個人に刻印されたユートピアディストピアのようなものです。モダニストであった横光利一川端康成堀辰雄らの表現にはシュルレアリスムの影響がみられる一方、破壊すべき近代合理主義自体が未熟だった日本の状況を受けて、死後や異世界といった神秘主義的色彩を帯びた作品も書きましたが、それらを描く際も自動書記的ではなく理論的に、最新物理学や遺伝学などを参照しており、探偵小説と基盤を共有しました」と述べるのでした。

 

江戸川乱歩 作品全集

江戸川乱歩 作品全集

 

 

探偵小説というものは近代戦争が発生するところまで文明が進化してきた時代だからこそ誕生したものだという見方があるようですが、そこには人間の「心の闇」が見事に描かれています。本書を読んで、江戸川乱歩らの探偵小説がさらに興味深く読める気がしましたし、谷崎潤一郎芥川龍之介川端康成堀辰雄といった、わたしがもともと好きだった作家たちがモダニストであることを確認しました。時間があれば、彼らの作品もまとめて読み返してみたいです。

 

 

2021年2月17日 一条真也

『奇異譚とユートピア』

奇異譚とユートピア - 近代日本驚異<SF>小説史

 

一条真也です。
『奇異譚とユートピア長山靖生著(中央公論新社)を紹介します。「近代日本驚異〈SF〉小説史」というサブタイトルがついており、明治期以降、ヴェルヌやロビダの影響を受けながらも、独自に発展した科学小説や政治小説の夢想力と生成過程を当時の世相から考察した本です。著者は評論家・歯学博士。1962年、茨城県生まれ。91年に鶴見大学大学院を修了。学生時代から文芸評論家として活動。横田順彌らと古典SF研究会を創設し、初代会長に就任。大衆小説・科学小説・思想史研究・家族や若者の問題など、多ジャンルにまたがる旺盛な執筆活動を行っています。ブログ『日本SF精神史【完全版】』で紹介した本に続いて、ハードカバーで529ページもある本書を読みました。なお本書は、「SFマガジン」に2012年1月号から16年2月号にかけて連載した「SFのある文学誌」を加筆修正、再構成した内容です。

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本書の帯

 

カバー表紙には、江戸時代の日本に出現した謎の「うつろ船」、「天空の城ラピュタ」を連想させるロビダの描いた空中都市、『文明之花』の表紙、ヴェルヌの『月世界へ行く』の挿絵などが使われ、帯には「近代日本の夢想力の起源と系譜」「海外の小説の影響を受けながらも独自に発展した科学小説、冒険小説、政治小説をジャンル別に考察、当時の時代背景とその生成過程を分析する」「かつて日本人は夢を生きていた!」とあります。

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本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
はじめに「近代驚異小説の可能性」
第1章 異国幻視と江戸文芸の余韻
第2章 阿蘭陀SFと維新後の世界
第3章 文明開化への揶揄と反骨
第4章 世界はいかに可能か―― 
      明治初期のヴェルヌ・ブーム
第5章 宇宙を目指した明治精神
第6章 内地雑居の未来
第7章 ロビダの浮遊空間と女権世界
第8章 日本の中心で女権を叫ぶ若者たち
第9章 演説小説の多様な展開
第10章 予告された未来――
        それぞれの明治23年
第11章 挑発する壮士小説
第12章 進化論の詩学
終章 国権小説のほうへ

 

はじめに「近代驚異小説の可能性」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。「近代は驚異の時代だった。もちろん驚くべき事態や奇異な出来事は前近代にも少なからずあった筈だ。現に実話と称する怪異譚は数多く残されている。だが近代という時代は、そうした驚異というものを、人間が挑み、解明し、自ら生み出す対象として手中に収めた。少なくともそのようにしようと努め、今は解き明かせないとしても解き明かし得る謎として自己の理性の下に置いた。同時代を舞台にした冒険譚、発明物語を数多く描いてSFの祖といわれることになるジュール・ヴェルヌの一連の小説は、《驚異の旅》シリーズという総題によって括られていた」

 

また、著者は「ヴェルヌ以前にも、荒唐無稽な冒険譚や不思議物語は数多く書かれていたが、そうした空想的物語と《驚異の旅》が大きく異なっているのは、ヴェルヌがあらゆる不思議は解明し得るという強い信念によって作品を統御していたことによる。共に空想であるにしても、幻想が悪夢や妄想、宿命的な暗黒や諦念と親しいのに対して、驚異は願望やユートピア、熱意と奇蹟による達成を夢見ている。私が本稿で概観しようとする驚異小説とは、まさにそうした希望と近代的な啓蒙の意志を帯びた奇異譚である」と書いています。ちなみに、奇異譚という文字をロマンスの訳語として用いたのは坪内逍遥だったそうです。

 

 

さらに、著者は「今日でもロマンスが絶えたわけではない。推理小説、ファンタジー、SFなどのジャンル小説は、実験的な作品もあるもののロマンスの系統に属しているし、剣豪や忍者が活躍する時代小説はもちろんのこと、実在の人物に仮託された多くの歴史小説も、一種の幻想を描いている。豊かな想像力を特徴とする作品を「仮説の文学」と呼んでいた安部公房は、ルキアノス『本当の話』から『ガリヴァー旅行記』『ドン・キホーテ』『西遊記』などについて〈この仮説の文学の伝統は、自然主義文学などよりは、はるかに大きな文学の本流であり〉(「仮説の文学」)とした」と述べています。

 

ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)

ガリヴァー旅行記 (岩波文庫)

 

 

著者がここで描こうと考えているのは、同じく奇異譚の系譜に属しながらも、江戸時代以前の奇想物語とは趣を異にした、どこか「現実」を意識し、何がしかの有用性なり思想性なりを帯びた作品群だそうです。著者は、「物語に実用的な利用法がなければならないわけではないし、むしろそうした啓蒙的な作品は逍遥以来の文学史の中では低く見られてきた。だが、小説の中にも実用性を求め、実用性こそがロマンを書きたてる時代が確かにあった。江戸後期の異国船騒動から明治中期にいたる激動期の日本は、そういう時代だった」と述べます。



第1章「異国幻視と江戸文芸の余韻」では、「うつろ船――海からの円盤と異界のメッセージ」として、著者は、現実と虚構の狭間で揺れる〈異界〉物語のひとつに「うつろ舟」あるいは「うつぼ舟」と呼ばれる漂着船の話があることを紹介します。日本各地には古くから、常世の国より神が漂着したなど、さまざまな漂着伝説があり、逆に南方海上の彼方には蓬萊山や浄土があると信じられて、船に乗って海に飛び出す渡海信仰などもありました。常陸国も勿来の関から鹿島灘まで海岸線が長く、漂着伝説にはこと欠かない土地柄でした。しかしそのなかでも、はらやどりの事例は特別でした。

 

東西不思議物語 (河出文庫)

東西不思議物語 (河出文庫)

 

 

澁澤龍彦は、『東西不思議物語』で、「ウツボ船の伝説は日本各地にたくさん残っているが、そのなかでも、いちばん奇想天外で、なにかSF作品を思わせるようなところがある」と述べています。著者は、「『SF的』とされる理由のひとつは、うつぼ舟の形態にあった。金属とガラスで出来た円盤型の舟――といえば、現代人には江戸時代の異国船よりもむしろ空飛ぶ円盤を連想させるだろう。実際、当時はその絵が兎園小説に載せられる以前から、さまざまに書き写されて好事家の間に流布していたようだ」と述べています。「うつろ船」は「うつろ舟」や「ウツボ舟」とも呼ばれましたが、著者は「ウツボ舟が漂着したとされる享和3年前後は、日本近海に異国船がしきりに出現するようになった時期だった。黒船来航まではまだ半世紀あるが、すでに異国襲来の危機は、敏感な人には感じられていたのである」とも述べます。



うつろ船には異国文字が刻まれていたといいます。その文字は神代文字ではないかという者もいますが、著者は「神代文字というのは、漢字伝来以前の神代の昔にあったとされる、日本独自の文字のことだ。その存在が江戸中期頃からしきりに話題になり、探索されるようになった。新井白石も関心を持ち、出雲大社に神代より伝わった秘宝として、漆で文字を書いた竹筒があり、また尾張熱田神宮にも神代文字を刻んだ遺物があるとし、ぜひそれを見たいと述べている。また肥人の書、薩人の書というのもあるとしている」と説明します。

 

古事記 (岩波文庫)

古事記 (岩波文庫)

  • 作者:倉野 憲司
  • 発売日: 1963/01/16
  • メディア: 文庫
 

 

神代文字の存否をめぐっては、儒学者国学者のあいだで議論が繰り広げられました。著者によれば、ふつう「国儒論争」というのは、記紀神道伝承)にいう神と儒学が奉ずる聖人の性格的違いや優劣をめぐって戦わされた議論を指しますが、それと並行して、神代文字をめぐる議論も行なわれました。儒学者が概ね神代文字存在説に否定的だったのに対して、国学者には「存在する」と主張する者が多かったのです。発見された神代文字による書物には、『日本書紀』『古事記』に書かれている神代の出来事が、すべて「歴史の真実」として書き直されていたり、はては神武天皇即位以前に複数の天皇がいたとする超古代史などが書かれていました。多いものでは神武天皇以前に百数十代の天皇がいて、しかもひとりの天皇の治世が数百万年におよんだなどとするものもありました。いわゆる「古史古伝」です。



著者は、以下のように述べています。
古史古伝の中には、竹內文書のように明治以降に作られたものもあるが、『上津文』は江戸後期には世に現われていたらしい(ただしそれもまた、江戸後期の国学者神道家によって書かれたと考えるべきだろう)。こうした古史古伝のなかには、古代の天皇は日本だけでなく世界全土を統治しており、『天之浮舟』に乗って空を飛んで世界中を飛び回って神として君臨したという伝承を含むものがある。もうお気づきだと思うが、『天之浮舟』は『ウツボ舟』型をしていたといわれる。つまり、完全に空飛ぶ円盤である」


うつろ舟が話題になっていた当時、日本の近海には異国船がよく出現するようになっており、鹿島灘沿岸でもしばしば異国船の船団が目撃されていました。常陸国は江戸に程近く、その噂は江戸にも届いていたといいます。著者は、「その報告例は文化6(1809)年頃から急増し、文化13年には漁師が異国船に乗り移って、彼らの捕鯨ありさまを見学するという出来事もあった――というのは表向きで、実際には数年前から密貿易をしていたらしい」と述べています。


そんな中、幕府をも震撼させる事件が、文政7(1824)年7月に起こった。イギリスの捕鯨船が損傷し、乗組員が大津浜に上陸したのです。船は大きく大砲も備えていました。著者は、「幕府は秘密裡に長崎通詞を派遣したものの、意思の疎通を欠き、水戸藩では侵略目的の視察ではないかとの疑いを強めた。そう誤解した一因は、異国人が嵐のために船が破損したことを伝えようとして、悪魔が空から風を吹きかけて嵐が起きる様子を絵に描いで見せたのを、それを何やら邪悪な絵を示して、パテレンの秘法で当方を呪詛していると解釈したことにあった」と述べています。

 

耳袋 1 (平凡社ライブラリー340)

耳袋 1 (平凡社ライブラリー340)

 

 

江戸時代の物語世界では、南蛮人は魔法を使う者だと相場が決まっていました。『耳袋』には、長崎に派遣された役人が、オランダ人のカピタンの好意で、バテレンの秘術により水盤を使って長崎から江戸を眺めた話が出てきます。また鶴屋南北出世作『天竺徳兵衛万里入船』(文化元=1804)には、蝦蟇の仙人が使う呪文として「南無さつたるまぐんだりや、しゅこせうでん」「はらいそ、はらいそ」などという言葉が出てきます。著者は、「サンタ・マリア、守護聖人、ハライソである。現代の欧米人が日本といえばニンジャを思い浮かべるように、江戸時代の日本人の多くは、キリシタンは魔法使いだと思っていたのである。このような異国への誤った認識、過剰な好寄心と、異国船出現のニュースが重なったところに生まれたのが『うつろ舟』説話だったのだろう」と推測します。

 

日本SF精神史【完全版】

日本SF精神史【完全版】

 

 

第4章「世界はいかに可能か――明治初期のヴェルヌ・ブーム」では、『日本SF精神史』において、著者が、リラダンの『未来のイヴ』(1886)から『鉄腕アトム』に至るロボット物語には、老化・腐敗しないボディへの憧れがあると指摘したことが紹介されます。続けて、「ヴェルヌは近代人・近代社会が推奨する時間的正確さや経済合理性という規範意識は、必然的に『ロボットのような人間』を求める方向に進むはずだと看破していたのである。われわれがヴェルヌ作品のそうした側面を取り立てて意識しないのは、われわれが既にヴェルヌ時代の欧米人以上に『金がすべて』で、機械的正確さのなかで生きることに慣れ、ほとんどすべての問題を金で解決するような生き方を自明のものとしているためだ。実際われわれは、発明も冒険も、教育さえも、金なしでは解決できないという価値観に染まっている。そして時間に追いまくられて生活している」と述べます。

 

八十日間世界一周 (創元SF文庫)

八十日間世界一周 (創元SF文庫)

 

 

興味深いのは、19世紀後半の欧米社会では、広告やタイアップについて、現代のそれに近いような感覚が既に生まれていた点です。著者は、「『八十日間世界一周』新聞連載中のこと、評判に目をつけた大手の船舶会社が何社も、小説の主人公に是非自分の会社の船を使ってもらいたいと申し出、多額のタイアップ謝礼を提示したという。まさに『金がすべての世の中』だが、ヴェルヌはこれらの申し出をすべて断ったという。しかしその一方で、鉄道や汽船それ自体の利便性を強調するような記述はふんだんに盛り込んでいる。それはヴェルヌにとっては、現実を描き近未来を語るために必須の行為だった」と述べています。



そもそも世界一周の賭けの契機になったのは、インドで鉄道が開通し、80日間で世界一周ができるようになったと「モーニング・クロニークル」紙が報じ、その是非をめぐって議論が交わされたためでした。実際にほぼ同内容の記事がフランスの雑誌「ル・マガザン・ピトレスク」1870年4月号に載り、ヴェルヌはそれに触発されて本書を着想したといわれているそうです。著者は、「このこと自体が、帝国主義によって世界が列強諸国の資本下に組み込まれつつあった時代を反映していた」と述べます。ヴェルヌの《驚異の旅》は、地球のあらゆる地点にまで及びました。アジア、アフリカはもちろん北極や南極点、空中、海底、地底にも赴くし、遂には宇宙空間にまで飛び出します。ミシェル・セールによれば、「ヴェルヌは世界という学校に入学して、ラプラスオーギュスト・コントが記述した限界のすみずみに到る空間、そして出来事の総体を究め尽くそうとしたのであり、19世紀当時の課題を総覧しようとした」のだといいます。



本書には明治20年までのあいだに刊行されたヴェルヌの翻訳リストが掲載されていますが、なんと40冊もあります。著者は、「まず目に付くのは、世界一周、月世界、海底、北極、アフリカ内地などといった空間的な広がりを示す言葉である。そして速度。80日間での世界一周は、現在なら優雅なヴァカンス期間だが、当時としては驚異のスピードだった。そもそもヴェルヌの小説のなかでも、80日間で世界を一周するというのは、賭けの対象となるような冒険であり、速度への挑戦だった。ちなみにトーマス・クック旅行会社が世界一周の団体観光旅行を売り出したのは、まさにこの時期だったのだが、現実のツアーの所要日数は222日間だった。ヴェルヌはそれを、小説のなかで3分の1に短縮してみせたのである。そのほかにも、『九十七時間二十分』や『三十五日間』など、時間すなわちスピードを示すキイワードがタイトルに付けられている作品が多い」と述べています。


続けて、著者は、明治日本におけるヴェルヌ人気について、「幕末に開国し、明治になって欧米との交易が盛んになって以来、日本人の意識は広く海外に向けられるようになった。明治10年代のジュール・ヴェルヌ人気には、そうした広い世界に対する日本人の関心の強さが、端的に現れていた。しかもその好奇心はいささか過激で、ふつうの世界地理を越えて、アフリカや北極といった辺境はもとより、海底や地中、さらには月世界にまで及ぶ冒険へと、強く引き付けられていた。現実の科学技術の発展度合いはさておき、好奇心のレベルにおいては、日本人は既に世界最新のレベルに達していたといえよう。明治初期の日本人は、ヴェルヌ作品をノンフィクションか、近いうちに達成されるであろう科学文明のプロトコールとして受容した節がある。そしてそれは作者自身の意図に沿った読みでもあった。ヴェルヌは自分が描いたことは、今現在まだ起こっていないとするならば、近い将来に起こるであろうことであり、その意味で現実がちょっとばかり未来にはみ出したものと考えていた」と述べます。

 

地底旅行 (創元SF文庫)

地底旅行 (創元SF文庫)

 

 

ちなみに、わたしが最も好きなヴェルヌ作品は『地底旅行』ですが、著者も「古代生物と地球空洞説」として、「私は古生物や進化論への興味からSFに入った人間(本業の歯科医も脊椎動物の歯式分類に興味を持ったのがきっかけ)なので、ヴェルヌ作品でも、『地底旅行』(原著初刊1864年)には特別な愛着がある。恐竜などの古生物が、地底世界で生きているという発想には、小学生の頃にはじめて読んで以来魅了され、今でもわくわくする。偏屈な教授が古代文字を解読して・・・・・・という道具立ても、とても好きなパターンだ」と述べています。これを読んで、1歳年長の著者に強い親近感をおぼえました。

 

恐竜100万年 [AmazonDVDコレクション]

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ゴジラ

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ところで、『地底旅行』では、地球が100万年に誕生したと書かれているのですが、これを著者は「残念」としながらも、どうも「100万年」という時間区分には、近代神学的な意味があるらしいと推測します。というのも、映画「恐竜百万年」では人類と恐竜が共に生存していたとしていますし、映画「ゴジラ」(昭和29=1954)では、古生物学者の山根博士が、国会の専門委員会で「今からおよそ200万年前、恐竜やブロントザウルスなどが全盛を極めていた時代・・・・・・学問的にはジュラ紀というのですが・・・・・・その頃から次の時代白亜紀にかけて、極めて稀れに生息していた海棲爬虫類から陸上獣類に進化しようとする過程にあった、中間型の生物であったと見て差支えないと思われます。仮にこれを大戸島の伝説に従ってゴジラと呼称します」と解説する場面があるからです。著者は、「100万年」というのは一般の人々が想像できる時間軸の限界長さであり、それを超えるとかえってリアリティを感じられなくなると歴代の物語作者達は危惧していたのかもしれないと推測し、「宇宙のはじまりから惑星や恒星の誕生、太陽系の概要などが紹介され、さらに地球環境の話、マントル説、そして稚拙ながらも進化論、系統発生までが説かれているのは、注目に値する」と述べます。



ジュール・ヴェルヌは1905年3月24日、77歳でこの世を去りました。死因は糖尿病の発作でした。その葬儀には、多くのファンや地元市民が参列しましたが、その中には地質学協会や地元産業協会の役員たちの姿もありましたが、フランス政府の文化行政の高官やアカデミー・フランセーズからの公式参会はありませんでした。しかし、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は、ヴェルヌ作品に魅了された幼少期の思い出に鑑み、状況が許せば参列したかったとの談話を発表したとか。初めて知りましたが、「いい話」ですね。 

 

美藝公 (文春文庫 (181‐4))

美藝公 (文春文庫 (181‐4))

 

 

第5章「宇宙を目指した明治精神」では、月に行く物語の数々が紹介されます。その中には、いわゆる夢オチが多いのですが、著者は「SFに限らず現代小説では『これは夢でした』という夢オチは、最も安直な決着で忌避すべきものと考えられている。夢オチのマジックリアリズムはいただけない。もっとも、それを逆手にとって、われわれが生きている現実社会を悪夢として描写しながら、『空想だから』と笑ってみせることで、覚めない夢としての現実の悪夢性を強調してみせたのが筒井康隆『美藝公』であり、『これはフィクションです』というドラマの決まり文句を用いてハルヒの暴走を無効化してみせたのが『涼宮ハルヒの溜息』だった」と述べています。

 

 

さらに、著者は「夢オチは、想像力の爆発を封印する咒文のようなものだ。その一方には、夢の中の出来事を現実と見做す魔術的世界観の存在がある。神秘主義思想では、夢はもう1つの現実であり、睡眠中に人間の魂は肉体を離れて別な場所に行くことがあると考えられていた。ユング心理学を待つまでもなく、夢を未来の予言とするのは、洋の東西を問わず、古くから一般的なことだった。王朝文学に現われる生霊も、生者の魂が浮遊したものであった。つまり『夢に見た』ことは、未来の出来事であれ異世界の出来事であれ、魂が経験したことであり、もう一つの現実として、目覚めているときの現実世界にも影響を与えるものと考えられていた」と述べています。

 

 

神秘主義に造詣の深いエレミーレ・ゾラによると、夢の価値を重んずる世界観の中では、夢は高次の存在との出会う最善の方法とされているといいます。ゾラの『元型の空間』には、「マリヤは天使から受胎告知を受けたが、その天使の夢をみてマリヤの受始を知った」(丸小哲雄訳)と書かれています。著者は、「逆言すれば、夢に見たことであって現実ではなかったというタイプの夢オチは、夢世界と現実世界を峻別しているという意味では、夢と現実が交通しているとする神秘主義とは一線を画した『近代的』で『科学的』な態度なのだ。だとすれば、夢オチは近代小説の指標ということになる」と述べています。



ここで「神秘主義」という言葉が出てきましたが、ここから「心霊主義」まではすぐそこです。19世紀は科学技術の時代であると同時に、心霊主義が大流行した時代でもありました。著者は、「自然科学の発達と経済合理性の浸透によって、欧米の知識人階層のあいだでは信仰(特に教会主導による教理)に対する疑問が広まった。その一方で激変する社会への不安から、大衆のあいだではかえって俗流宗教運動が広まった。心霊主義も、広い意味ではそうした宗教(もしくは擬似宗教)運動の一部といえるだろう。18世紀のメスメリズムは、心霊ブームの中で復権し、動物磁気や幽体離脱は、『心霊科学』として疑似科学的な装いも施されて、一部の人々には本気で信じられ、疑問視する多くの人にとっても、ちょっと気になる話題だった。魂だけが肉体から離れて旅をするという心霊現象を認めるならば、夢のなかでの体験は、必ずしも現代の『夢オチ』のような『すべて夢でした』とイコールではないだろう」と述べます。

 

 

著者は「心霊小説」という語を用いていますが、この概念を、非現実的現象や知覚を説明するに際して、空想的なそれも含めて科学的論理性を以て臨むのがSFであるのに対して、超自然的観念で説明する(あるいは説明の必要性を回避する)一群の小説を指す語として用いているとして、「神秘主義的小説という言い方もできようが、本来の神秘主義は宗教的なものだ。昔からSF入門の類では、SF概念を諸神話や『聖書』の記述までさかのぼり得るとすることもあるのだが、信仰に基づく物語は正しくは宗教的真実の記録であり、啓示の産物であって創作ではない(そのように扱うことが宗教ならびに当の作品への敬意ある態度だ)」と述べています。

 

ねじの回転 (新潮文庫)

ねじの回転 (新潮文庫)

 

 

著者が「心霊小説」と呼んでいるのは、伝統的で集合的な宗教の教理とは一線を画したところで、作者が近代的な創作として書いた物語だそうです。そこで超自然な魂の体験を描いているという点では従来の宗教小説と似ていますが、その方法や世界観が個人的想像/創造であり、その個別性において「近代小説」といい得る作品群です。そして、著者は「怪奇小説のかなりの部分、時にミステリの一部にもこうした傾向の作品が見られるだけでなく、初期のSFならびにファンタジーとの境界は曖昧である。現代SFでは夢オチは残念な、とてもつまらない結末と見做されるが、心霊小説的解釈からするとそうではない。眠りとは一般的には休息であるが、物語においてそれはしばしば精神の高揚の臨界点突破を意味し、意識の覚醒の表現となる。そのとき物語は、もはや叙述的であることを超越して、霊的真実の啓示という様相を帯びるだろう」と述べるのでした。

 

第7章「ロビダの浮遊空間と女権世界」では、「空に浮かんだ未来――アルベール・ロビダの20世紀」として、著者は「なにしろフランスは昔から発明大国だったのである。殊に、現実と空想との狭間にあってはそうだった。たとえば飛行機の真の発明者は、ライト兄弟ではなく、クレマン・アデールであることを、フランス人なら誰でも知っている。アデールが製作したアヴィオン3号が300メートルの飛行に成功したのは1897年のことだったといわれており、ライト兄弟の1903年の飛行に先立つこと6年前の出来事だった(フランス陸軍の検分委員会の前で行われた公開実験では飛ばず、別の折には強い風に煽られて浮いたこともあったとの説もある)。また自動車は、1886年にダイムラーがガソリン自動車を作るより100年以上も昔、1770年頃にニコラ・ジョゼフ・キニョールが蒸気自動車を製作している。それも2台も。『キニョールの砲車』と呼ばれたそれは、馬を使わずに大砲を引いて進軍するために作られた『自動車』だったが、操縦が難しく、暴走して大破するなどのトラブルが起きて実用には不向きだったというが、暴走するくらいだから実際に走ることは走ったのである(なお2台作られたうち1台は大破して廃棄されたが、もう1台は現存し、フランスの技術博物館に保管展示されている)」と述べています。



そんなフランスで、ヴェルヌとほぼ同時代に活躍した作家の1人にアルベール・ロビダがいました。特に彼の『第二十世紀』は、明治前期の日本でも3種類の翻訳が出版されており、それなりに人気を博していました。著者は、「ロビダといえば空。そして飛行船。魚を模したものなど流線型をした大小の飛行船が空を行き交い、巨大なホテルやカジノ、オペラハウスも空に浮かんでいるのがロビダの世界だ。大西洋を横断するツェッペリン号色顔負けの大型飛行船から、個人用飛行船まで。市内には乗合空中船や空中タクシーもあり、家の屋根には発着場が・・・・・・。それだけでなく、ときどき気球部分なしの、空行くカヌーのような飛行艇(翼はない)の絵も見られる。これはどうやら電気で動いているらしいのだが、その構造はよく分からない」と述べています。



飛行機械の発達によって起こるであろう社会変化として、ロビダは「時間が余る」と考えていたそうです。科学技術が発達して産業の機械化が進むと、経営者・支配階層はもちろんのこと労働者も勤務時間が短縮され、人々の生活にゆとりが出来、充実した余暇が過ごせるようになると考えられていたのです。人々は個人用の飛行船を持つようになり、家の2階、アパートメントのベランダは発着場になります。もちろん家族用の飛行艇や恋人同士のための2人乗り飛行艇だって作られ、人々は飛行船で散歩し、夕方ともなれば空中に浮かんだ空中オペラハウスに観劇に出かけるという寸法です。著者は、「それにしても、交通機関・生産技術が発達したら余暇が増えるという発想が、いかにもフランス的であり、19世紀的な気がする。いや、同時代フランスのヴェルヌは、交通機関の発達を競争に結び付けて『八十日間世界一周』を書いている。しかしそこには賭けという遊びであると同時に経済的投機である行為が外在しており、しかも早回りなので余暇どころの話ではなかった。だから、優雅な楽観主義はロビダの特徴というべきなのかもしれない。そして「技術やスピードが向上したら楽になる」と考える人々は、ヴェルヌではなくロビダの裔なのだ」と述べるのでした。

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

 

 

第10章「予告された未来――それぞれの明治23年」では、「予告された未来の記録」として、SF作品にはタイトルに年数を刻んだ作品が少なくないことが指摘されます。ジョージ・オーウェルの『一九八四年』、アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』などの忘れ難い作品がありますが、著者は「明治前期の人々が不安と期待に胸躍らせながら待ち望んでいたのは「明治23(1890)年」だった。明治14年、当時、大隈重信は国会の早期開設を強く迫り、一時はそれが実現するかと思われたが、政府は10年後の開設を約束することで取りあえず急進論を退けた。大隈らは下野し、改進党によるあらたな民権運動が拡がったことは、既に幾度もふれたとおりである(その前に征韓論で敗れて下野した板垣退助らによる議会開設要求があった)。このときから約束された10年後、すなわち『明治23年』までの時間は、日本人にとって特別な、『来るべき未来』になった。そして政治小説には、この年数をタイトルや角書に謳った作品が現れるようになる。

 

坪内逍遥 作品全集

坪内逍遥 作品全集

 

 

坪内逍遥は「仮作物語」をノベル(尋常の譚)とロマンス(奇異譚)とに分け、未来に設定した物語は荒唐無稽な奇異譚であるとしていました。しかも逍遥は、文学潮流の変化を「進歩」であるばかりでなく、「進化」と捉えていました。逍遥によれば、ジャンルにすら優劣進化の別があり、戯曲よりも散文による仮作物語のほうが優越しているとし、さらに仮作物語のなかでもロマンスからノベルへの「進化」を、スペンサーの社会進化説的な「優勝劣敗」で説いていたのです。著者は、「坪内逍遥は、自身の政治小説『内地雑居 未来之夢』(明治19)を『寓意小説』としていたが、これは純粋な小説ではないものの荒唐無稽な奇異譚よりは『進化』しているとの自負に基づく表現だった。逍遥は〈小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ〉とし、未来という未知の未体験の世界を描くことを本質的に否定していたが、尾崎行雄は『政治小説』『科学小説』も『小説』であり、〈是れ近時小説の進歩に非ずや〉として、新たな小説の可能性として肯定しようとしたのだった」と述べています。

 

尾崎咢堂全集 (1958年)

尾崎咢堂全集 (1958年)

 

 

ちなみに、戦前日本で長らくSFに相当する語として用いられるようになり、戦後の「空想科学小説」という名称(ただし、江戸川乱歩は戦前に、海野十三の作品を「空想科学小説」と評した)につながっていく「科学小説」という名称が、文学史にはじめて登場するのは、尾崎行雄による『雪中梅』下編序においてだそうです。なお、19世紀から20世紀初頭にかけての英米で、SFに近い意味合いで用いられていたのは、「サイエンティフィック・ロマンス」ないし「サイエンス・ロマンス」という名称で、「サイエンティフィック・ノベル」という名称は一般的ではなかったとして、著者は「フランス語ではロマンは長編小説、ヌーヴェルは中編小説を指す言葉であり、両者間に質的差異はなかった。しかし大陸に比して小説の成立が遅れた英国では、大陸の『ロマン』を批評的に継承発展したジャンルとしてノベルを打ち立てた(という意識が持たれているが、両者間の差異がそれほど決定的であるかどうかは見解のわかれるところではある)」と述べています。なかなか興味深い問題ですね。



第12章「進化論の詩学」では、われわれは、少し前に生み出されたものを、機械であれ衣服であれ、それどころか思想さえる「古い」といって切り捨て、何だか自分はそれを乗り越えているかのように感じていますが、それは誤りであるとして、著者は「私はPCはおろか真空管ひとつ作れないし、デリダどころか紀元前のソクラテス孔子も十分には理解していない。現代人と古代人のあいだには知識や経験の差はあっても生物学的な違いはない。前近代には、そもそも社会や文化が進歩するものだという考えは社会的コンセンサスを持ったものではなかった。儒学思想においてもキリスト教思想においても、本来、歴史は『進歩』するものとは考えられていなかった。儒教道徳が重んじたのは古代にいたという聖人君子の遺徳を訓古修得し、古の『あるべき本来の形』に戻ることだったし、キリスト教道徳でも楽園追放以前の無垢にして清廉なる精神の恢復が(原罪を犯した以上、不可能だとしても)理想とされた。それが近代以降、自然科学の発達によって生産性や生活水準が日進月歩で向上し、『新しい』ことが『良きこと』とされる価値観が確立された」と述べています。


「あとがき」を、著者は「驚異小説(坪内逍遥のいう奇異譚のなかでも特に奇想性に富んだもの)は現代風にいえばエンターテイメントに分類されるだろう。そこにはSF、冒険小説、恋愛小説、推理小説など多様な可能性の萌芽が見て取れる。実際、ある仮定から出発して理論によってその先を推し測る思考を指して『推理』とした作者も既に明治前期にいた。それだけでも充分に驚異に値する」と書きだしています。しかし、「それだけではない」として、「日本は欧米列強からの外圧で不平等条約を強いられ、維新・開化期にはその条約改正と近代国家建設が責務として国民のうえに重くのしかかった。そうした重圧の下で、しかし変化への予兆や高揚は確かにあった。その可能性への喜びと不安が込められているのが奇異譚であり驚異小説だと私は考えている。過去ではなく未来に、自分たちが切り拓くべき世界としてユートピアを思い描いた人々の情熱と、その変転の経緯を明らかにすることは、われわれにとって決して無意味ではないだろう。何しろわれわれは未だにそれを社会的にも文芸的にも、完全には達成していないのだから」と述べています。ここに本書という大著を書き上げた著者の「志」が示されていると思いました。本書によって初めて知った事実や書籍も多く、著者には読書の喜びを改めて教えていただきました。

 

奇異譚とユートピア - 近代日本驚異<SF>小説史

奇異譚とユートピア - 近代日本驚異<SF>小説史

  • 作者:長山 靖生
  • 発売日: 2016/03/24
  • メディア: 単行本
 

 

2021年2月16日 一条真也

一番歌が上手い歌手は誰か?

一条真也です。
わたしは、会社近くのコンビニでよく「週刊文春」を買います。今ちょうど『2016年の週刊文春柳澤健著(光文社)を読んでいるのですが、日本最強メディアを追わないと、時代に乗り遅れる気がしますね。

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週刊文春」最新号の表紙

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週刊文春」最新号の目次
 

最新号となる2月18日号も買いました。
トップ記事は「東京五輪を壊す男 森喜朗黒歴史』」で、次が「貴乃花 激白5時間『【優一】新妻への非道と【景子】離婚の真実』」でした。どちらも一応は読みましたが、正直言って、最も興味深かったのは「小川彩佳『離婚も考えてる。でも・・・』」「夫のウソと“白ビキニ愛人”の正体」でした。

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桑田佳祐さんの連載コラム 

 

その他、連載コラムの「ポップス歌手の耐えられない軽さ」の内容が非常に興味深いものでした。サザンオールスターズ桑田佳祐さんが書いているコラムですが、この号のタイトルは「続・一番歌が上手いって何だ!?」。「続」とあるので先週号(2月11日号)に掲載されている「一番歌が上手いって何だ!?」を開いてみると、桑田さんは「誰が一番、歌が上手いのか!?」というよくあるランキング・ネタに言及し、「そもそも歌とは、技術や正確性を競うものなのか? いや、ごく当たり前の答えだが、アタシは違うと思う。歌とはすなわち、その善し悪しや好き嫌いは、あくまでもその歌を楽しみ享受してくれる人、すなわちファンの皆様が決めるものだ」と述べ、次号で「アタシが独断と偏見で『歴代最強の歌い手』を選んでみたらどうなるか??」を大発表すると告知しています。これは楽しみ!!



そして、次号のコラムで、桑田さんは「アタシの経験値、世代感覚、単なる好みから選出すると、日本の歌謡曲史上『最強の男性歌手』は、尾崎紀世彦さんである!!」と書いています。《好きな理由 その①》は、桑田さんと同じ茅ケ崎出身であること。《好きな理由 その②》は、「1970年、遅咲きながらも衝撃的で華麗なるデビューを果たし、『また逢う日まで』では、当時、世の中に漂う沈鬱なムードを、全部、ぜーんぶ持っていってくれた!!」こと。《好きな理由 その③》は、カントリー、ハワイアン・ミュージックを音楽的基盤に持ち、シンガーとして日本語の歌謡曲を『ポピュラー・ミュージック』の領域に押し上げたこと。《好きな理由 その④》は、「ここが一番本題かもしれないが、言わずと知れた『声質』『声量』の豊かさは超一級品!!」なこと。



そして、《好きな理由 その⑤》は、顔が、元「フリー」「バッド・カンパニー」のヴォーカル、ポール・ロジャーズに似ている(笑)こと。尾崎紀世彦について、桑田さんは「洋楽を歌う時、英語の発音がメチャ素晴らしい。これは、歴代の日本の男性歌手の中では圧倒的である!! 尾崎さんの場合、単に『外国人ぽい』というのではなく、『尾崎紀世彦の洋楽』にしてしまうから凄い!! やっぱり、あのモミアゲの太さはダテではない(笑)」と最大級の賛辞を送ります。



桑田さんは、「そして女性歌手だったら、『最強』は、ちあきなおみさんだ!! 」と述べます。1969年に「雨に濡れた慕情」でデビューして以来、「四つのお願い」や「喝采」といったヒット曲を次々と放ちました。まさに(総合格闘技でいう)「『寝てよし、立ってよし』とは彼女の事だ」と桑田さんは評します。また、「クレパスのような二十四色濃淡溢れる歌声。物語性の強い、歌唱難易度がすこぶる高い楽曲も、見事に歌いこなすその実力はまさに天下一品!!」と絶賛するのでした。



ちあきなおみはデビューからしばらく経つと、取り上げる曲の雰囲気が変化しますが、桑田さんは「もっと音楽的なチャレンジがしたい」「‟私の歌”をさらに深堀りしたい」「ちあきなおみを演出するのは、自分自身以外にはいない」という思いを本人が強く持ったのではないかと想像しています。さらに桑田さんは、「とびっきりの才能をお持ちな彼女の事。自負や目指すところがあまりに高く、周囲や日本の芸能界の慣習と、なかなか折り合いのつかない事も多々あったのかもしれない」と想像しています。

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カラオケでよく歌いました♪

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いつも熱唱してしまいます♪
 

桑田さんが、「最強の男性歌手」に尾崎紀世彦、「最強の女性歌手」にちあきなおみの名前を挙げたのは大いに納得しました。かの「ひとり紅白歌合戦」からもわかるように日本の歌謡曲を愛し抜いている桑田さんならではのチョイスだと思います。蛇足ながら、わたしなら男性歌手に前川清沢田研二、女性歌手に美空ひばり、MISHAをエントリーしたいと思いますが・・・・・・。じつは、尾崎紀世彦また逢う日まで」はわがカラオケ・レパートリー曲なのであります。2019年7月3日にメモリード創立50周年記念祝賀会前夜祭として長崎で行われた互助会経営者カラオケ大会で、わたしは「また逢う日まで」を歌ったのですが、なんと優勝しました!(笑)

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喝采」も大好きな名曲です♪

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この歌は心に沁みますね♪

 

そして、ちあきなおみ喝采」もわがカラオケ・レパートリー曲です。もちろん現在はコロナでカラオケ自体に行きませんが、コロナ以前はよく歌いました。この歌は元恋人の葬儀の場面を歌ったナンバーですが、そこには悲しい物語があって、しみじみと心に沁みる名曲ですね。桑田さんは、以下のように述べます。
尾崎紀世彦さんと、ちあきなおみさん。少し『お題』と方向は逸れたが、大好きなお二人の話が出来て本当に良かった。結局、歌の上手さとは何なのだろう!? 1つ言えるのは、その曲に出逢い、上手く寄り添って、その結果として曲の妙味を最大限に引き出せた人こそが、最も上手い歌手なのだと思う」

 

最後に、桑田さんは「アタシにとっての『最強の歌手』とは、人物としても大変魅力的で、色っぽい人の事だったんだね!! 偉大なる大先輩方の事は、決して忘れません。尾崎紀世彦さん、ちあきなおみさん、本当にありがとうございました」と述べるのでした。ちなみに、わたしが一番好きな歌手は桑田佳祐その人です。桑田さんの歌で、どれだけ人生が豊かになったか計り知れません。いつかお会いして、直接、感謝の言葉を述べたいと思っています。



そして、「人物としても大変魅力的で、色っぽい人」といえば、やはり、桑田圭祐さん自身もリスペクトされている前川清さんを置いて他にありません。前川さんがわが社のイメージ・キャラクターになって、社名のサウンドロゴを含んだCMソングを歌って下さったことは、わたしにとって最高の喜びです!

 

2021年2月15日 一条真也