『論語のこころ』

論語のこころ (講談社学術文庫)

 

一条真也です。
14日から、新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく緊急事態宣言の対象区域に福岡県も追加されることになりました。こういう混迷の時代には、古典を読んで、「何が正しいか」「いま、何をすべきか」を見定めることが大切だと思います。『論語のこころ』加地伸行著(講談社学術文庫)を再読しました。2005年に刊行された著者の『すらすら読める論語』(講談社)に大幅な加筆を施して再編集した文庫版です。当ブログの記事で、ひそかに人気があるのが論語関連本の書評記事です。わたしが読んできた『論語』や儒教に関する本は、ブログで取り上げた後、書評サイトである「一条真也の読書館」の「論語・儒教」のコーナーに保存しています。その内容は、いずれ『論語論』という本にまとめたいと思っているのですが、そこに本書『論語のこころ』が入っていなかったので、久々に読み返した次第です。著者は日本を代表する中国哲学者で、わたしが私淑する儒教の師です。じつは今度、著者と対談させていただくという企画が持ち上がり、大変光栄に思っております。

 

カバー裏表紙には、以下の内容紹介があります。
「時代を超えて読み継がれる『論語』。人間のありのままに見とおし、人間にとっての幸福とは何かという視点にもとづいて道徳を論じ、読む者の人生の指針となってきた、その叡智とは? 同書から百二十余の章段を選んで体系化、解説と原文、現代語訳を配して、読み進めることで作品の理解が深まる実践的な『論語』入門。不朽の古典のエッセンスを読む!」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
「凡例」
第一章 『論語』の名句
第二章 『論語』を読む楽しさ
第三章 自分の幸せだけでいいのか
第四章 他者の幸せを求めて
第五章 「学ぶ」とは何か
第六章 教養人と知識人と
第七章 人間を磨く
第八章 若者との対話
第九章 人生用ノート
第十章 孔子
第十一章 愛と死と孝と
第十二章 孔子の生涯とその時代と
「おわりに」

 

 

 「はじめに」では、いわゆる世間では、『論語』と言えば、道徳の権化のように思われており、しかも日本人の道徳観、あるいは道徳感から言えば、『論語』が説く道徳とは、人に対して従順でひたすら耐えるようなもの、人間を抑圧するものといった捉えかたが大半であろうとして、著者は「それは大いなる誤解である。『論語』は、人間をありのままに見透し、そうした人間にとっての幸福とは何かという視点に基づいて道徳を論じ、そうありたいことを主張している。その内容は、けっして難しいものではないし、実行できるものばかりである」と述べています。

 

ところが、そういう基本的道徳(たとえば、親を大切にする、夫婦は仲よくする、友人にはまごころを尽くすなど)を現代人は軽視します。いや、馬鹿にさえしているとして、著者は「とりわけ高学歴の者にそういうことが多い。彼らが説く道徳とは、世界平和についてであり、社会福祉についてであり、人権についてであり、環境についてであり・・・・・・とどまるところを知らない〈抽象的・観念的〉道徳である。しかし、身近な人間(両親・配偶者・友人など)に対して愛しきることができない者が、どうして人権や福祉や環境などについて配慮することができるのであろうか。ましてそういう人が平和を語るなど、空理空論でしかない」と述べます。

 

本書については、以下のように説明しています。
「本書は、第1章から第11章まで、各章ごとに解説を置き、そのあとにそれぞれに関わる文を『論語』から選んで並べている。これらは、私なりに体系化して順序を立てているので、最初から読み始められるのがよろしかろうと思う。もっとも、心に深い悩みをお持ちの方は、第11章の『愛と死と孝と』をまず読まれたい。そこには、儒教の本質が述べられており、また日本人の心に最も触れる問題について述べているからである」

 

第三章「自分の幸せだけでいいのか」では、「人間を価値で分ける」として、著者は「孔子は人間を根底から見すえた人である。冷徹とさえ言ってよい、その人間観は」として、孔子の「中人以上は、以て上を語ぐ可きなり。中人以下は、以て上を語ぐ可からず」という言葉を紹介します。すなわち、孔子は人間を二つに分け、ものごとについて、きちんと分かる人と分からない人とに区別しました。そして、その後者を〈民〉としたのです。これは差別ではなく、区別です。著者は、しかし、それは知性の問題であり、人間には、その他に感性や徳性もある。この感性や徳性について、民のそれはどのようなものであろうか。それは、己の幸福を第一とするものである。幸福――これは人間ならばだれしもが求める。けれども、幸福と言ってもさまざまだ。その中で、民は己の幸福を第一に求めるのである。これは今日においてもほぼ似た状況であろう」と述べています。

 

また、「法と道徳と」として、著者は「聞けば、近代法学において自然法と法実証主義との二つの対立する立場があるとのことである。自然法派とは、この世における人間の営みは、自然法(大いなる道理とか、歴史的伝統の中で生き残った人間の知恵とか、民族的同意のある慣行など)に基づくとする。孔子が重んじた礼はこの領域に入る。一方、法実証主義派とは、文章化した法律、その逆も可で、法律化した文章――それにのみ従うとする。たとえば、人類史上、最悪の悪逆無道の政治家とされるドイツのヒットラーがその政権獲得に至るまでの道は、法律に基づいていて合法的であり、法実証主義的には正しいとされている」と述べています。

 

第四章「他者の幸せを求めて」では、「志をもって生きよ」として、著者は「他者の幸せのために生きよう――そのように考えること、それが〈志〉を立てることなのだ。己の幸福だけを懸命に考えること、それは志を立てることではなくて、利己主義の徹底にすぎない。だからこそ、己の幸せの現実化として大富豪になったとしても、社会的高位を得たとしても、どこか空しく、どこか寂しく、どこか侘しい。まわりを振りかえれば、心の友も、まごころある後輩も、だれもいないではないか」と述べます。孔子は、弟子に〈志〉を求めました。たった1回の人生を志を持って生きよ、と。著者は、「その志すものは、現代ならばさまざまにある。医療の道、介護の道、いやそのような道徳的な〈他者のための幸せ〉だけがすべてではない。間接的ならば、食糧を運ぶことも、ニュースを伝えることも、タクシーを運転することも・・・・・・人々のための仕事である」と述べるのでした。

 

第五章「『学ぶ』とは何か」では、「民の事は民に聞け」として、著者は「民の学ぶべきことは、生活者の知恵・技能・経験であり、知的世界は余分なものであった。たとえば文字を知らずとも生活に特に不便はなかったのである。その意味では、わずらわしい人工的な〈知性の世界〉など拒否しようとする老荘思想の気分は、民の生活の気分と一脈相通ずるものがある」と述べています。しかし、「為政者の条件」として、「民の生活を指導する官、換言すれば、民の幸福を考える為政者(民から富を収奪する搾取者などという単純な見かたは採らない。少なくともまともな統治者は、民は人間社会の根本であるとする〈民本主義者〉である。古今東西を問わず)――道を志す者は、為政者でありたいという単なる願望だけでは志を果たすことはできない。当然、為政者としての条件が必要である」とも述べます。

 

また、著者は「為政者を志す者は、実務的にまず〈知〉の技術者でなくてはならなかった。文字、そして文章――ことばを使えない者は多数の民を統率することはできなかった。しかし、農民の場合、その大半は文字につながる道はなかった。今日の中国でも、文字の読めない者は相当な人数であろう。ところが、孔子の場合、母が儒集団の一員であった」と述べます。儒は、「礼」を専門とする知識人集団でした。孔子は幼いとき、儒たちの儀式を見てその真似をしていたといいます。著者は、「当然、儒たちが使っていた漢字に親しむ機会があっただろう。初歩的とはいえ、この文字の知識や儀礼感覚が孔子の生きてゆく武器となったのである。一般農民のほとんどは文字を知らないのであるから、少しでも文字を知っているのは、たいした事であった」と述べます。

 

さらに、「知性の鍛錬と徳性の涵養と」として、著者は孔子の教育観に言及し、「教育は単なる知的技術者を造ることが目的なのではなくて、知性に徳性を加えた人間を造ることであるとする立場である。教育は人間を造ることが目的であり、その人間とは、知性と徳性とを備えた者のことである。その具体像とは、人間社会の規範(礼)を身につけた者である。すると、他者の幸福を実現するために志を立て、為政者となるために〈学ぶ〉こととは、まず知性の鍛錬であり、延いては徳性の涵養であった」と述べています。

 

しかし、それは言うは易く、実現はなかなか難しいものです。著者は、「孔子の学校に集まった弟子たちにおいて、それを実現できた者は多くなかった。それどころか、早く為政者の地位に就職したいという者もいた。もちろん、孔子の推薦を受けてである。そのような人物の場合、詩・書・礼・楽の実地訓練のようなものに関心があり、知的技能が身につけばそれでよいと考えていた。これに対して孔子は批判的であり、知性の鍛錬だけに終わっている者を嫌い、徳性の涵養にも努めている人材を良しとした。そこで孔子は両者の区別をしたのである。〈君子〉と〈小人〉というふうに」と述べます。

 

第六章「教養人と知識人と」では、「知徳の合一が為政者の条件」として、「孔子は、知的訓練に加えて道徳的訓練を行なった。両者は、孔子の理想から言えば、どちらが欠けてもだめなのである。私の見るところ、『小人』は知的訓練のみに終わっている知識人、『君子』は、知的訓練と道徳的訓練との両者をこなしきれた人、すなわち教養人ということであろう。念のために言えば、『教養がある』と言うとき、日本語においては知識の豊かな人、いろいろなことを知っている人というふうに理解されやすい。そうではなくて、中国におけるように、知識人であって同時に道徳的な人を指して教養人と言うべきである。私はそのような意味として使っている。そこで私は、君子を教養人、小人を知識人と訳しているのである」と述べます。

 

また、「徳性を磨くには」として、著者は「世界に平和をとか、世界の貧しい人を救おうとか、差別をなくし人権を守ろう・・・・・・といった大きなテーマは抽象的であり、どうしてよいのか分かりにくい。そのようなことで悩むよりも、自分が今すぐにでも可能な身辺の問題について徳性を磨くべきであろう。たとえば、飲料を飲み干したあとのペットボトルをそのへんに放置しないとか、列車やバスに乗れば老人や妊婦に席を譲るとか、並んだ列を乱さないとか・・・・・・いくらでも身辺に徳性を磨く機会があるではないか。しかし、そのことすら実行できない知識人がどれほど多くいることであろうか。これもみな、日本の教育すなわち小人養成学校卒業の結果ということであろう」と述べています。まったく同感です。儒教は現実に即した教えなのです。

 

儒教とは何か 増補版 (中公新書)

儒教とは何か 増補版 (中公新書)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2015/11/21
  • メディア: 新書
 

 

さらに、著者は儀式の専門集団であった「原儒」について、こう述べています。
「原儒集団は、大儒(親分)が小儒(子分)を指揮するという構造になっていた。いろいろな祈禱の担当の中で、喪(葬)礼の担当者でもある原儒集団にとって、喪礼は重要な収入源である。その際、大儒は小備に対して支配的指導を行なっていたことであろうが、その地位を支えるものの一つは、礼(当然、音楽も含まれる)の専門家であったことである。こうした知識や秘儀の伝承を独占的に行なっていたからこそ、小儒を支配できたのであろう」と述べています。

 

 

孔子は、こうした原儒系礼楽(小儀礼)をも吸収し、一方、都への留学によって学び得た国家的礼楽(大儀礼)を柱とする儒教体系を構成していった人物でしたが、著者は「孔子において重視されていたのは、大儀礼である。なぜなら、行政家として社会に活躍するためには、小儀礼はもちろんのこと、大儀礼に習熟する必要があったからである。この大儀礼中心の儒が君子儒であり、小儀礼中心の儒が小人儒であると考える」と述べます。孔子の「礼」に対する考え方がよくわかりますね。

 

第七章「人間を磨く」では、「道徳を軽視する現代の教育」として、著者は「ほとんどの人間は未熟である。礼儀は他人に言われてはじめて気づくことが多い。経験不足だからである。私が大学の学生のころであった。母の死があり、年賀の欠礼挨拶を発信したところ、折りかえし何人かの方たちから弔書をいただいた。学んだ。それ以来、人から欠礼挨拶をいただいたとき、その方に弔辞を述べてきている。当たりまえと言えば当たりまえではあるが、こうしたことを学ぶ機会がなければ、意外と気づかないものである」と述べています。この一文を読んで、わたしは冷や汗が出ました。なぜなら、以前、著者から年賀の欠礼挨拶の葉書を頂戴したことがあるからです。著者の兄上が亡くなられたろのことでしたが、わたしは弔辞を述べた葉書をお出しすることを忘れていました。「礼」の専門家を目指しているくせにお恥ずかしい限りですが、こういったことを改めて学べるにも読書の素晴らしさだと思います。

 

論語 (岩波文庫)

論語 (岩波文庫)

 

 

また、東北大学名誉教授を務められた金谷治先生という方がおられました。岩波文庫の『論語』の訳注を行われた儒教学の第一人者で、著者の師でもありました。著者が20代の頃、金谷先生は中国哲学の学界における中心的メンバーの1人でしたが、当然、若い著者に対しての呼びかけは「加地君」であり、それは当然のことであった。ところが、著者が研究者として一人立ちし活動していたある時期から、呼びかけが「加地さん」に変わったそうです。著者は、「これは常人にはなかなかできないことである。後輩に対して、『君』から『さん』に切り換えるには、相当の徳性が必要である。私が金谷先生に対して一段と尊敬の念を深くしたことは言うまでもない。後年、博士学位論文を先生に提出申しあげた。それは金谷先生に対する人間としての敬意の最大表現であり、恩返しであった。後輩に対しての、『君』から『さん』へ――この学んだことをいま私は実行しつつある」と述べられています。含蓄のあるお話ですね。まさに、「礼」の実践篇ではないでしょうか。

 

また、「古典で己を磨く」として、著者は「今日の日本で、文化・教育において最も軽視されているのは道徳であり徳性である。今日の中国もまた同様である。それは、道徳を最も重視した孔子の世界とは対極にある。ところが、実社会において、最も求められるのが徳性であり道徳なのである。実生活においてそれは微動だにしていない。たとい能力主義、実績主義が大きく取りあげられようとも、日本では、先輩後輩の序列は、そう簡単には崩れない。相手に対して、きちんと礼節を弁えている人間のほうが、そうでない人間よりも必ず成績がいい。他者の不幸を知って平気で笑っている人間は相手にされない」と書いています。

 

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2009/09/10
  • メディア: 文庫
 

 

しかし、著者は「と書いてきて、いささか空しくなる」と告白し、「徳性や道徳を意識しない人間は、上述のような話を聞かせても、まず理解不能だからである。道徳的・徳性的感覚がないからである。そういう人は、学校生活よりも遥かに長い社会生活をどのようにして過ごすのであろうか。失敗や挫折が待っているだけであろう。しかも自分はその原因を知らない。とすれば、実社会に出る前、まずは学校生活・家庭生活においてきちんとした道徳教育をすることがその人のためになる。人間を磨くことの第一歩である。そのときの材料として『論語』は選ぶ価値がある」と述べます。

 

ギリシア神話

ギリシア神話

  • 発売日: 2020/02/21
  • メディア: 単行本
 

 

さらに著者は、「己を磨くとき、すなわち修養を心がけるとき、古典はそれを助けてくれる。己を磨くその状況を古典がきちんと言い表してくれるときがあるし、逆に、古典のことばに沿って己を磨くこともある。その意味で古典を読むことは重要である。もっとも、その古典も、ギリシャ神話に曰く、とか、プラトン曰く、とか、というのでは日本人の心に響かないし、浮いてしまっている。やはり日本や中国の古典でないと様にならない」と述べるのでした。これまた、まったく同感です。ちなみに、わたしは日本人に必読の古典とは、『古事記』『論語』『般若心経』であると考えています。


サンデー毎日」2017年9月17日号 

 

ブッダが開いた仏教、孔子が開いた儒教は、日本人の「こころ」に大きな影響を与えました。加えて、日本古来の信仰にもとづく神道の存在があります。わたしは多くの著書で、「日本人の精神文化は神道儒教・仏教の三本柱から成り立っている」と繰り返し述べました。神儒仏が混ざり合っているところが日本人の「こころ」の最大の特徴であると言えるでしょう。それをプロデュースした人物こそ、かの聖徳太子でした。宗教編集者としての太子は、自然と人間の循環調停を神道に担わせ、儒教によって社会制度の調停をはかり、仏教によって人心の内的不安を解消しました。すなわち心の部分を仏教で、社会の部分を儒教で、自然の部分を神道が、それぞれ平和分担する「和」の宗教国家構想を聖徳太子は説いたのです。

 

超訳 古事記

超訳 古事記

  • 作者:鎌田 東二
  • 発売日: 2015/06/23
  • メディア: Audible版
 
はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵

はじめての「論語」 しあわせに生きる知恵

  • 作者:一条真也
  • 発売日: 2017/07/07
  • メディア: 単行本
  
般若心経 自由訳

般若心経 自由訳

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2017/08/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

その三宗教の聖典こそ、『古事記』『論語』『般若心経』なのです。わたしには、それらが日本人の「過去」「現在」「未来」についての書でもあるように思えてなりません。すなわち、『古事記』とは、わたしたちが、どこから来たのかを明らかにする書『論語』とは、わたしたちが、どのように生きるべきかを説く書。『般若心経』とは、わたしたちが、死んだらどこへ行くかを示す書。この考えを知った宗教哲学者の鎌田東二氏は、「『古事記』とは、日本人の来し方行く末を明示する書。『論語』とは、人間修養を通して世界平和実現を指南する書。『般若心経』とは、迷妄執着を離れて実相世界を往来する空身心顕現の書」と述べられました。

 

四書五経 (東洋文庫0044)

四書五経 (東洋文庫0044)

 

 

第九章「人生用心ノート」のでは、「日本・日本人を論ずるなら」として、著者は「日本人として、日本のことを考え、日本のことを論じようとするならば、歴史的背景として、少なくとも江戸時代からの伝統を踏み、読書人のかつての必読書であった四書ぐらいは読んでおけと言いたい。俗に、かつてはだれしも儒教四書五経を学んだとよく言われているが、それは嘘である。五経(易・詩・書・春秋・礼記)を学び切るには時間も学力も必要であり、だれもが学び切ったわけではない。しかし、五経を学習する前提としての四書を学んだ者は山ほどいた。と言うよりも、一般人としては、四書の学習をもって、ある意味では十分であった」と述べています。

 

第十一章「愛と死と孝と」では、「仏教の死生観」として、著者は「生きてあること自体が絶えず変化し、死への接近を意味するこの矛盾。それを形で現すようになるのが、老であり病であり、そして死である。生・老・病・死――すべてこれは常無きもの、無常であり、つまりは苦である。現世とはこうした苦の世界であるとするものの、仏教はたとい死ぬとも四十九日を経て再び生まれてくることができるとした。ただし、あくまでも苦の世界への再来であるから再び生・老・病・死の苦の一生を経て、また生まれる。そのことを繰りかえす」と述べています。

 

仏教のこのような死生観に対して、東北アジア(中国・朝鮮・ベトナム北部そして日本)の人々は抵抗しました。なぜなら、輪廻転生とは異なる死生観をすでに持っていたからであるとして、著者は「それは儒教の死生観であった。いや、儒教において表現されたと言うべきであろう。そこで、儒教とインド仏教とが、激しく対立したのではあったが、仏教は、中国で生きのびてゆくためには結局は儒教の死生観を取り入れざるをえず、インド仏教の死生観と儒教の死生観とを融合する形で、中国仏教が成立する。この中国仏教から日本仏教へとその形が受け継がれていった。つまり、日本仏教はインド仏教とは別の宗教なのである」と述べます。

 

沈黙の宗教――儒教 (ちくま学芸文庫)

沈黙の宗教――儒教 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 単行本
 

 

そこで、「儒教の死生観」として、著者は「精神と肉体とは融合しているが、精神を支配するものを魂、肉体を支配するものを魄とする。この魂・魄が合一融合しているとき、生きている。死を迎えると、魂魄は分離し、魂は天上へ、魄は地下へとゆく。魂の『云』は、竜が空にいて、その尾がすこし現れた形で、『雨』冠をつけて『雲』となる。すなわち、空に浮かぶ雲が魂のイメージである。一方、地下と言っても、人間が掘ることのできる程度のものであるが、そこへ魄が行く。肉体は死を迎えると腐敗し、ついには白骨となる。この白骨の『白』が魄のイメージである。この『白』の原形は、白骨化した頭蓋骨を表している。その状態から言えば、雲はそのまま空中に浮遊しているが、魄の場合、白骨をそのままにしておくと犬や狐が骨を銜えてどこかへ持ってゆくかもしれないので、そうならないように管理するようになる。それが墓である」と述べます。なんという、わかりやすい説明でしょうか!

 

なお儒教では、死を遠ざけるということで、実際に亡くなった日の1日前を観念的な命日とします。ですから、観念的命日から数えて満2年目の実際の命日までは、満2年間プラス1日となります。このたった1日でも数え年という数えかたに依れば1年となるので、満2年間プラス1日は、3年になります。月数で言えば25ヵ月。そこでそれを「三年之喪」と称し、大祥と言うのです。以後、命日に祖先祭祀の儀礼を行ないます。ただし4代(亡き父母・亡祖父母・亡曾祖父母・亡高祖父母)までの命日です。また、始祖はともに常に祭り、今(当代)の5代以前はすべて始祖と合祀します。著者は、「このような考えかたが日本仏教において生きている。すなわち小祥が一周忌、大祥が三回忌、実際に亡くなった日を祥月命日と称して。また儒教の祖先祭祀を日本仏教は先祖供養と言う」と述べています。

 

葬式は必要! (双葉新書)

葬式は必要! (双葉新書)

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2010/04/20
  • メディア: 新書
 

 

さて、もう1つ重要な儀礼があります。葬儀です。「喪礼と葬儀と」として、著者は「人間が他の動物と決定的に異なる点は、自分の仲間(家族・友人・知人など)の死体を処理することである。インド仏教では、精神は輪廻転生してゆくが、次に生まれるときは何になるか分からないので死体には意味がなくなる。そのため、焼いて捨てる。焼かれた骨灰は、母なる川のインダス川に投ぜられる。当然、墓はないし、先祖供養もない。最近、お調子者で無学な知識人が〈散骨〉などということを主張しているが、なんのことはない、インド仏教(すべてのインド宗教も)方式のことである。しかし儒教は、精神の招魂だけではなくて、肉体の復魄も行なうから、死体を捨てたりせず、埋めて墓を建てる。その以前に、一定の規則に基づく葬儀をきちんと行なうのである」と述べています。

 

決定版 冠婚葬祭入門 基本マナーと最新情報を網羅!

決定版 冠婚葬祭入門 基本マナーと最新情報を網羅!

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2019/03/22
  • メディア: 単行本
 

 

著者いわく、今日で言う「葬儀」は、正しくは〈喪礼〉です。死体を土に葬むる〈葬〉のは、喪礼中の1つの儀式ですから、全体を覆って〈葬儀・葬礼〉と称するのは実は正しくありません。「冠婚葬祭」ではなくて「冠婚喪祭」と表現すべきなのです。「婚」も古典的には「昏」と記します。昏――夕方の〈陰〉が進みゆくのとともに、〈陰〉である女性がそこに溶けこみつつ輿入れしてくるのです。著者は、「この葬儀もまた日本仏教の中に取り入れられ、日本人にとって重要な意味を持つ。にもかかわらず、日本仏教界の一部の者は、己が僧侶であるにもかかわらず、『葬式仏教は本来の仏教ではない』などと公言している。愚かな話である。儒教的死生観を取り入れた日本仏教はインド仏教とは別の宗教であることが分かっていないから、そのように公言するのである」と述べています。

 

葬式に迷う日本人

葬式に迷う日本人

 

 

「葬式仏教」について、著者は「葬式仏教――そのとおりである。日本人が宗教に求めるものの一つはそれである。それのどこがいけないのか。日本人が宗教的に求めるものに対して応えることができない宗教など滅ぶだけのことである。日本仏教が今もなお生き続けているのは、日本人が宗教的に求めるものにこれまで日本仏教が応えてきたからである。葬儀・建墓・先祖供養と。そのことに日本仏教者はもっと自信を持て」と喝破します。まったく同感です。この日本を代表する儒者の言葉をあらゆる僧侶に聞いてもらいたいと思います。

 

 

つまりは、儒教的死生観は日本人の原宗教意識の反映であるということだとして、著者は「あえて言えば、東北アジア地域に共通する原宗教意識を、いち早く見透し、掬いあげ、文字で表現し、体系化したのが儒教であった。だから、儒教が日本に伝来したとき、そのころの日本人たちは、自分たちの意識をきちんと反映し表現していた儒教をすっと受け容れることができたのである。そのころの日本人たちの宗教は、原神道とも言うべきものであった。その原神道が、儒教を栄養分として吸収し、神道へと展開していったのである」と述べます。

 

ご先祖さまとのつきあい方 (双葉新書(9))

ご先祖さまとのつきあい方 (双葉新書(9))

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2010/09/15
  • メディア: 新書
 

 

ここで、「愛と死と孝と」として、著者は「葬儀においては、親の葬儀を最も厳粛に行なうのであり、祖先祭祀においては最も鄭重に行なうことになる。儒教はこう述べる。親の〔延いては祖先の〕祭祀を行なうことを、孝の一つとする。もちろん、子の親に対する愛も孝である」と述べ、以下のように整理します。(1)祖先祭祀(過去)をきちんとすること、(2)子が親に愛情(現在)を尽くすこと、(3)子孫一族(未来)が増えること、この三者を併せて、〈孝〉としたのである。子が親に対して愛情を尽くすことだけが孝であると思うのは、儒教が言う孝の部分的理解でしかないのである。

 

孝経 全訳注 (講談社学術文庫)

孝経 全訳注 (講談社学術文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2007/06/08
  • メディア: 文庫
 

 

そして、儒教が柱とする孝とは、死を背景とする宗教性を有するものでありながら、孝は同時にさまざまな道徳の源である家族道徳の基本でもあると指摘し、著者は「だから、孝を基本としてその上に、さまざまな複合道徳が重なってゆく。つまり、道徳性を有していることは言うまでもない。孝とは、宗教性と道徳性との両方があるがゆえに、東北アジアの思想として揺るがぬ地位を保ち続けてきたのである。今日、孝は死語のように見えるが、けっしてそうではない。祖先祭祀(慰霊)は、東北アジアの人々の原宗教意識であり、その原点に立ち返って孝を捉えるとき、〈生命の連続の自覚〉は可能である」と述べるのでした。単行本はすでに読んでいましたが、今回、改めて文庫版を読み返してみて、再発見したことがたくさんありました。後半は、日本の葬儀の本質に迫っており、大変勉強になりました。やはり、著者は、心から尊敬する師です。

 

論語のこころ (講談社学術文庫)

論語のこころ (講談社学術文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2015/09/11
  • メディア: 文庫
 

 

2020年1月14日 一条真也

「一条真也の映画館」500回!

一条真也です。わたしは映画が大好きです。
当ブログでは映画レビューの記事をUPしていますが、そのままオフィシャル・シネマ・レビュー・サイト「一条真也の映画館」に転載しています。同サイトには「一条真也のハートフル・ブログ」および「一条真也の新ハートフル・ブログ」にUPしてきた映画が紹介されていますが、ブログ「風と共に去りぬ」の転載をもって、500回を迎えました。

f:id:shins2m:20210112172808j:plain一条真也の映画館」TOPページ

 

映画ほど魅惑的なものはありません。映画を観れば別の人生を生きることができますし、世界中のどんな場所にだって、いや宇宙にだって行くことができます。さらには、映画を観れば、死を乗り越えることだってできます。古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説がありますが、洞窟も映画館も暗闇の世界です。そして、映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。

f:id:shins2m:20210112172859j:plain風と共に去りぬ」で500回達成!

 

闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかなりません。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。サイト開設時の最新作品はブログ「カフェ・ソサエティ」で紹介したウディ・アレン監督作品でしたが、わたしは「わがシネマ・ソサエティにようこそ!」と言いたかったです。この「シネマ・ソサエティ」は、もちろん、「ハートフル・ソサエティ」に通じています。なお、記念すべき第1回目に取り上げた映画は、ブログ「鬼婆」で紹介した新藤兼人監督の異色ホラーでした。

f:id:shins2m:20210112172922j:plainサイト開設時の最初の作品は「カフェ・ソサエティ

 

一条真也の映画館」では、これまで旧ブログ、新ブログで紹介してきたすべての映画を「ヒューマンドラマ」「ラブロマンス」「宗教・死生観」「ホラー」「SF」「ファンタジー」「ミュージカル」「ミステリー&サスペンス」「ヒストリー」「ドキュメンタリー」「アニメ」「特集」などのカテゴリーに分類して整理しました。これまでお目当ての映画ブログをなかなか探せなかった方にも便利ではないかと思います。


映画カテゴリーの一覧

 

それぞれの映画レビューの冒頭には予告編の動画を貼り付けていますが、これらはすべてオープンな宣伝用の動画です。DVDやブルーレイが発売されている作品に関しては、レビューの最後で紹介しています。クリックすればアマゾンに飛び、商品を購入することができます。まだ映像商品が発売されていない場合は、原作小説やコミックをご紹介する場合もあります。 

f:id:shins2m:20210112172941j:plain記念すべき第1回目は新藤兼人監督の「鬼婆

 

なお、「一条真也の映画館」500回を記念して、拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)を10名様にプレゼントいたします。ブログ「紀伊國屋書店新宿本店「命」フェアで拙著が選ばれました!」で紹介したように、日本最大の書店のブックフェア「命 読みます」で100冊の中に選ばれた本です。

f:id:shins2m:20210112180841j:plain

 

一条真也の映画館」500回達成記念
死を乗り越える映画ガイド』プレゼント!

【お申込み】
書籍名・郵便番号・住所・氏名・年齢をご記入の上、メールでご応募ください。
【Email】 info@ichijyo-shinya.com
【お申込み締切】 2021年2月末日 

死を乗り越える映画ガイド あなたの死生観が変わる究極の50本

死を乗り越える映画ガイド あなたの死生観が変わる究極の50本

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2016/09/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2021年1月13日 一条真也

「風と共に去りぬ」

一条真也です。
九州が記録的な大雪に見舞われた夜、家から出ることができないわたしは、書斎で何か映画のDVDでも観ようかと思いました。ふと、「一条真也の映画館」があと1回で、ちょうど500回目になることに気づきました。それならば、わたしの一番好きな作品を再鑑賞して記念すべき500回目を迎えたいと思い立ち、映画史上に燦然と輝く名作である「風と共に去りぬ」を観ました。何度観ても、感動してしまいます!



ヤフー映画の「解説」には、「1939年に製作され、アカデミー賞主演女優賞を始め10部門に輝いた不朽の名作。大富豪の令嬢スカーレット・オハラが、愛や戦争に翻弄されながらも、力強く生き抜く姿を描く。66年の歳月を経てデジタル・ニューマスター版となった本作は、最新の技術により当時の鮮明な映像を再現することに成功した。ヒロインを演じたヴィヴィアン・リーのチャームポイントであるグリーンの瞳が、より一層魅力的に輝いている」とあります。

f:id:shins2m:20210109161433j:plain

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、「南北戦争勃発寸前のアメリカ。南部の大富豪の娘にして、絶世の美女スカーレット・オハラは、名家の御曹司アシュレー(レスリー・ハワード)に思いを寄せていた。しかし、彼が別の女性と結婚するといううわさを聞いてしまい、嫉妬からとんでもない行動を取ってしまう」です。

 

わたしは、小学6年生のときに『風と共に去りぬ』と出合いました。本よりも映画との出合いのほうが先で、1975年10月にテレビの「水曜ロードショー」で2週にわたって放映された「風と共に去りぬ」を観たのです。新聞のテレビ欄を見ていた母が「テレビで『風と共に去りぬ』が放送される。すごいね!」と言っていた記憶があります。普段は夜遅くまでテレビを観ることは許されないのに、その日の夜は母と一緒に「風と共に去りぬ」を観たのでした。主役のスカーレット・オハラを演じたヴィヴィアン・リーの美しさに子ども心に一目惚れしたわたしは、「将来、この人に似た女性と結婚したい!」と思いました。



すっかり「風と共に去りぬ」とヴィヴィアン・リーの虜になってしまったわたしは、少しでも関連情報を得たくて、「スクリーン」や「ロードショー」といった映画雑誌の定期購読を始めました。映画音楽のLPの全集なども買いましたね。そして、雑誌で紹介されているブロマイドやスチール写真の通販を買い求め、ついにはレット・バトラー(クラーク・ゲーブル)とスカーレットが抱き合っている巨大パネルを購入して勉強部屋に飾っていました。ずいぶんマセた小学生でしたが、このパネル、なんとわたしが結婚したしたときに寝室にも飾ったのです。幼かった長女がその写真を見て、「パパとママだ!」と言っていたことが思い出されます。わたしの妻が本当にヴィヴィアン・リーに似ていたかどうかは秘密です。(笑)


サンデー毎日」2016年10月9日号

 

さて、「水曜ロードショー」では、ヴィヴィアン・リーの吹き替えを栗原小巻さんが担当したが、ラストシーンの「明日に希望を託して」というセリフが子ども心に深く残りました。原作では"Tomorrow is another day."というセリフですが、訳書では「明日は明日の風が吹く」と訳していました。それをテレビでは「明日に希望を託して」というセリフに変えて、栗原さんが力強く言い放ったのです。わたしは非常に感動し、わが座右の銘となったのでした。「風と共に去りぬ」をリアルタイムで上映した小倉昭和館の77周年祝賀会で、栗原小巻さんにお会いしました。わたしは、栗原さんに少年時代の感動のお礼を申し上げました。栗原さんは、とても喜んで下さいました。まことに至福の時間となりました。

 

 

わたしが小学6年生のときに感動したスカーレットの最後のセリフについて、ブログ『謎解き『風と共に去りぬ』で紹介した名著の中で、著者の鴻巣友季子氏が以下のように述べています。
「Tomorrow is another day.はもともと16世紀前半まで起源を遡る諺のようなもので、原型は Tomorrow is a new day.だった。スカーレット・オハラの『口癖』であり、彼女は絶体絶命のピンチに陥るたびに、これを『おまじない』のように唱える。そう、口癖なので、むしろラストシーンらしい華々しい決め台詞的な訳語は似合わない。なのに、つい決め台詞らしく訳してしまうのは、いろいろな要素が関係しているだろう。全編を単独で訳すか、一貫したポリシーをもってチェックしないかぎり、このシンプルな台詞がヒロインの口癖だと気づきにくいのだと思う。同様に、レット・バトラーの有名な台詞"I don′t give a damn."(どうでもいいね)も彼がよく使う言い回しである。これは、わたし自身も全編を訳してみて初めてわかったことだ」

 

新約聖書 福音書 (岩波文庫)

新約聖書 福音書 (岩波文庫)

 

 

"Tomorrow is another day."について、さらに鴻巣氏は「スカーレットはこのおまじないを唱えて、何度となく危機を乗り越えていく。そのため、映画や舞台では『明日に希望を託しましょう』などと前向きに訳されたこともある。実際、16世紀に登場したこの英語の諺には、『今日うまく行かなくても明日には好転するかもしれない』という励ましがある。とはいえ、その根底には、むしろネガティヴなキリスト教ニヒリズムがないだろうか? 日本語でネガティヴというと悪い意味にとられそうだが、『後ろ向き』『否定的』というより、『受動的』と訳したらいいだろうか」と述べます。
ちなみに、このフレーズと同様の意味をもつ、あるいはその下地と考えられている文言に、『新約聖書』の「マタイ福音書」の6:34、Take therefore no thought for the morrow:for the morrow shall take thought for the things of itself.があります。「明日のことは思い悩むな。明日のことは明日が考える」という意味です。感動のセリフのルーツは、なんと「マタイ福音書」にあったのですね!

 

 

テレビで映画「風と共に去りぬ」を観た後、マーガレット・ミッチェルの原作小説も買いました。小倉の金山堂書店(現在は「資さんうどん」の場所にありました)で河出書房新社から出ていたソフトカバーの3巻本を買いました。表紙にはヴィヴィアン・リー演じるスカーレットの写真をはじめ、映画のスチール写真が使われていました。戦後翻訳界の第一人者であった大久保康雄の訳でしたが、やはり小学生には難しく苦戦しました。それでも、1カ月くらいかけて3巻本を読破した記憶があります。海外文学の長編を読み通したのも、それが初体験だったと思います。

 

風と共に去りぬ (1975年)

風と共に去りぬ (1975年)

 

 

さて、ブログ「『1939年映画祭』のお知らせ」で紹介したように、2019年は、わが社のセレモニーホールで画期的なイベントを開催しました。 ブログ「友引映画館」で紹介したように、わが社は互助会の会員様や高齢者の方向けに無料の映画上映会を行ってきましたが、ついに映画史に残る三大名作を上映。

f:id:shins2m:20191019111408j:plain

 

1939年は映画史における奇跡の年でした。西部劇の最高傑作「駅馬車」、ラブロマンスの最高傑作「風と共に去りぬ」、そしてミュージカルおよびファンタジー映画の最高傑作「オズの魔法使い」の3本が誕生したからです。その3つは、すべて、その年のアカデミー賞を受賞しています。そして、それぞれが現代作品にも多大な影響を与え続ける、名作中の名作たちが今年で製作80周年を迎えました。この3作を愛してやまないわたしは、2019年にわが社のコミュニティセンターの施設数が80となったことを機として、「1939年映画祭」を開催することにしたのです。

f:id:shins2m:20191031154634j:plain
本日の看板の前で

f:id:shins2m:20191031152316j:plain
上映会場となる大ホールの前で

 

2019年10月31日は、ハロウィンの日でもありましたが、そんな若者のお祭り騒ぎとは無縁の高齢者の方々が小倉紫雲閣の大スクリーンで「風と共に去りぬ」を楽しまれました。「風と共に去りぬ」は、わたしが生まれて初めて観た本格的長篇映画であり、わたしにとって歴代ベスト1の名作です。

f:id:shins2m:20191031181132j:plain
おかげさまで満員になりました!

f:id:shins2m:20191031172906j:plain
「1939年映画祭」のオープニングロゴ

f:id:shins2m:20191031173119j:plain
主催者挨拶をしました

f:id:shins2m:20191031173033j:plain
ご来場いただき、ありがとうございます!


上映に先立って、主催者挨拶があり、わたしが登壇しました。わたしは、超満員の観客席に向かって一礼してから、以下のように挨拶しました。
「みなさん、こんばんは。本日は、友引映画館へご来場いただき、ありがとうございます。映画上映に先立ちまして、わたしどもサンレーがこの映画上映会を行っている理由を簡単にご説明いたします。サンレーでは日ごろお世話になっている地域の皆さまに対し、社会貢献として少しでも還元する意味で、各地にあるセレモニーホール紫雲閣を葬儀だけでなく、趣味の会などの行事にも活用できるように無料開放しております。本日の映画上映会もその一つで、葬儀が行われることが比較的少ない友引の日に主に実施するということで2018年7月に始まりました」

f:id:shins2m:20191031173056j:plain
これから「風と共に去りぬ」を上映します!

 

また、わたしは以下のように述べました。
「今月から12月にかけて合計8回上映するのは、いずれも1939年のアカデミー賞を受賞した、西部劇の『駅馬車』、ラブロマンスの『風と共に去りぬ』、ミュージカルの『オズの魔法使』の3本です。3つの作品とも制作されて80年となりますが、ちょうどわたしどもの紫雲閣の数がこの度全国80カ所に達したのを記念し、いわば『末広がり』の80つながりで開催することにいたしました」

f:id:shins2m:20191031173347j:plainどうぞ、最後までお楽しみください!

 

さらに、わたしは以下のように述べました。
「本日の上映作品は、『風と共に去りぬ』ですが、この作品は上映時間が3時間40分余りの大作でございますので、間に一度15分程度のトイレ休憩の時間を挟んで上映いたします。どうぞ自由な席にお座りいただき、大きなスクリーンで映画館の感覚を味わっていただければと思います。『風と共に去りぬ』はわたしが一番好きな映画です。わたし自身、とても楽しみにしています。どうぞ、最後までお楽しみください!」



繰り返しになりますが、わたしが初めてテレビで観た本格的な長編映画が「風と共に去りぬ」でした。それまでTVドラマは観たことがあっても、映画それも洋画を観るのは生まれて初めてであり、新鮮でした。まず思ったのが「よく人が死ぬなあ」ということ。南北戦争で多くの兵士が死に、スカーレットの最初の夫が死に、二人目の夫も死に、親友のメラニーも死ぬ。特に印象的だったのが、スカーレットとレットとの間に生まれた娘ボニーが落馬事故で死んだことです。わたしは「映画というのは、こんな小さな女の子まで死なせるのか」と呆然としたことを記憶しています。

f:id:shins2m:20191031162120j:plain
明日に希望を託して!

 

このように、わたしは人生で最初に鑑賞した映画である「風と共に去りぬ」によって、「人間とは死ぬものだ」という真実を知ったのです。多くの愛する人を亡くしたスカーレットは、最後には最愛のレットにも去られますが、深い悲しみの中で「明日に希望を託して」と宣言します。わたしは、「風と共に去りぬ」とは大いなるグリーフケアの物語であったことに今更ながら気づきました。そして、無性に感動しました。

f:id:shins2m:20191031162021j:plain大いなるグリーフケアの物語 

 

逆に、「スクリーンの中で人は永遠に生き続ける」と思ったこともありました。中学時代、北九州の黒崎ロキシーという映画館で「風と共に去りぬ」がリバイバル上映されたことがあります。狂喜したわたしは、勇んで小倉から黒崎まで出かけ、この名作をスクリーンで鑑賞するという悲願を達成したのです。そのとき、スクリーン上のヴィヴィアン・リーの表情があまりにも生き生きとしていて、わたしは「ヴィヴィアン・リーは今も生きている!」という直感を得ました。

f:id:shins2m:20191031161838j:plainヴィヴィアン・リーは今も生きている!

 

特に、彼女の二人目の夫やアシュレーがKKKに参加して黒人の集落を襲っているとき、女たちは家で留守番をしているシーンを観たときに強くそれを感じました。椅子に座って編み物をしているヴィヴィアン・リーの顔が大写しになり、眼球に浮かんだ血管までよく見えました。それはもう、目の前にいるどんな人間よりも「生きている」という感じがしたのです。


死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

それを観ながら、わたしは「こんなに生命感にあふれた彼女が実際はもうこの世にいないなんて」と不思議で仕方がありませんでした。拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)の中で展開した「映画は不死のメディア」という考えは、このときに生まれたのかもしれません。

f:id:shins2m:20191031162144j:plain
感動しました!

 

黒崎ロキシーで初めてスクリーンで「風と共に去りぬ」を観た時も感動しましたが、それから40年後、わが小倉紫雲閣の大スクリーンで「風と共に去りぬ」を観ることができ、本当に感無量でした。現在、新型コロナウイルスの感染拡大防止のために「友引映画館」はお休みしていますが、コロナが落ち着いたら、また感動の名画を続々と上映していく予定です。無料ですので、よろしければ、ぜひお越し下さい!

f:id:shins2m:20191203083156j:plain
西日本新聞」2019年12月3日朝刊

 

アメリカで人種差別撲滅のための「Black Linves Matter」運動が続く中、昨年6月に映画「風と共に去りぬ」がストリーミングサービス「HBO Max」の配信ラインナップから削除されたことが話題を呼びました。問題視された理由は「奴隷制を肯定的に描いたり」「南部戦争以前の南部を賛美したり」しているからだといわれていますが、それでも、わたしは「風と共に去りぬ」が映画史に残る不朽の名作であることに変わりはないと思います。もちろん黒人差別は絶対悪ですが、政治と芸術は別であり、現代の政治運動が歴史的名作を抹殺することはあってはなりません。


風と共に去りぬ」こそは、わたしに映画の楽しさ、素晴らしさを教えてくれた究極の作品であり、これからも死ぬまで何度も観直すことでしょう。最後に、現在、世界中で猛威を振るっている新型コロナウイルスが風と共に去ってくれることを願ってやみません。
I hope  covid-19  will go away with the wind! 

f:id:shins2m:20210109155534j:plainわたしの所蔵しているスペシャルDVD

 

 

2021年1月12日 一条真也

 

『令和の「論語と算盤」』

令和の「論語と算盤」

 

一条真也です。
『令和の「論語と算盤」』加地伸行著(産経新聞出版)を読みました。わが儒教の師である著者は1936年生まれ、京都大学文学部卒業。高野山大学名古屋大学大阪大学同志社大学立命館大学を歴任。現在、大阪大学名誉教授。文学博士。中国哲学史・中国古典学専攻。著書(編著などを除く)に「加地伸行(研究)著作集」三巻として『中国論理学史研究』『日本思想史研究』『孝研究』ならびに『中国学の散歩道』(研文出版)、『儒教とは何か』『現代中国学』『「論語」再説』『「史記」再説』『大人のための儒教塾』(中央公論新社)、『沈黙の宗教――儒教』『中国人の論理学』(筑摩書房)、『論語 全訳注』『孝経 全訳注』『論語のこころ』『漢文法基礎』(講談社)、『論語』『孔子』『中国古典の言葉』(角川書店)、『家族の思想』『〈教養〉は死んだか』(PHP研究所)などがあります。

f:id:shins2m:20200817185101j:plain
本書の帯

 

本書の帯には「右往左往するなかれ」と大書され、「危機には古典だ」「国家、日本、死。」「東北アジアを知り尽くす碩学が半可通を一刀両断」と書かれています。また帯の裏には「“『論語』述而に曰く、・・・・・・必ずや事(こと)に臨んで懼(おそ)れ[慎重に]、謀(はかりごと)を好んで而(しか)して成(な)す者たれ、と”」「日本人が知っておきたい根本」「不確定の時代を生き抜くための知恵と古典の教えが満載」と書かれています。

f:id:shins2m:20200817185318j:plain
本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
始めに──古典の知恵とは
 序章 コロナ禍に
第一章 日本文化の深層
第二章 国民国家とは
第三章 〈不平不満老人〉社会
第四章 権威とは
第五章 建前の浅はかさ
第六章 まっすぐに見よ
第七章 日本人が語り継ぐべきもの
第八章 日本の教育は
 附篇 日本人の死生観
 後記

 

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2009/09/10
  • メディア: 文庫
 

 

「始めに──古典の知恵とは」で、著者は以下のように述べています。
「『論語』述而にこうある。『述べて作らず、信じて古を好む』と。その意味は、私(孔子)は、〔古典・古制・古道について〕祖述しはするが、創作はしない。すなわち〈古代のすぐれた人たちのことば・考えを、信じ、彼らによって表されている〈古典・古制・古道が好きである〉と。つまり、自分がなにか或ることについて論じるとき、自分の考えをただ主張するのではなくて、古典を拠りどころにして、その主張の締めとして、その主張に該当する古典のことばを探し求め、その古典のことばを引用して記すという形を採ることとなる。そういう文章を読む人は、文中に引用された古典の文と出合うこととなり、ああ、これは『論語』だなとか、あ、これは『春秋左氏伝』だなとか、おう、これは『礼記』だな・・・・・・と楽しんで読むことになるのである。こうした引用をする文章を読んで楽しむのが東北アジア文化圏の人々の〈教養〉であった。いわば、文章に埋め込まれた古典探しゲームのような遊びであった。この形は、もちろん日本や朝鮮半島等の教養人においても受け継がれていった。自分が書く文章に古典を埋め込んで引用するのが、すぐれた文章であったのである」

 

 

第一章「日本文化の深層」の「元号『令和』の出典」では、新元号である「令和」の出典が『万葉集』の或る〈序〉からと公表されたものの、その序は中国の『文選』中の帰田賦(きでんのふ)を踏んでいるので『文選』を出典とすべしという意見が妥当であるとした上で、令和は『万葉集』を出典とし、同箇所は『文選』を出典とし、それはさらに経書の『儀礼』『周礼』などを出典とするという話になってゆく。というような理屈を捏ねるのが、老生ら中国哲学・中国古典学者であるから、世人から嫌われるのも、宜なるかな」と述べています。



「全国戦没者追悼式は宗教行為」では、主催者の政府が〈祭〉の意味を知らずに書き誤っているとして、著者は「すなわち、いくら『全国戦没者之霊』と書いた柱を立ててる、式典会場の日本武道館にその神霊は存在していない。式典において、われわれが誠を尽くして諸霊をお招きし、それに感応された全国戦没者万霊が天上から地上に降り立たれる。その諸霊が憑りつかれる場所(依り代)として設営されたのが祭壇中央の柱なのである。霊魂の在す場所なのである。だから場所を表す『位』字が必要。正しくは『全国戦没者之霊位』と書くべきである。この依り代は、儒教における木主(神主)であり、日本仏教はそれを導入して位牌と称している」と述べています。まったく、その通りだと思います。



また、著者は、「人間の死後、その霊魂の存在を認め、生者遺族がその霊魂を招き降して出会い、慰霊鎮魂をする〈祭〉が、東北アジアの死生観の具体的行為であり、その本質はシャマニズムである」と述べています。著者いわく、この〈祭〉は歴とした宗教行為です。つまり、全国戦没者追悼式は政府主催の宗教行為そのものの〈国祭〉なのだとして、「霊魂の存在を認めること自体が宗教であることが分からぬのか。多くの日本人は、主として日本仏教を通じて、幼少のころから慰霊鎮魂の場に接し、誠を尽くすことを心得ている。仏壇の前での日々のお勤めがそれにつながっている。そういう国民的宗教心があってこそ全国戦没者追悼式が国民に支持されていることを、政府とりわけ保守政権は確と胸に刻むことだ。われわれ日本人は諸霊に対して粛然と襟を正し、慰霊する」と述べます。


「土葬の正統性を知らぬ社説」では、東日本大震災で、身元確認が困難な遺体を埋葬する必要がありましたが、そのことを「毎日新聞」が「火葬を望む遺族感情」として揶揄したことに対して、著者は「私は目を疑った」として、「結論だけを言おう。(1)儒教文化圏(日本・朝鮮半島・中国など)では、土葬が正統である。それは儒教的死生観に基づいている。(2)火葬はインド宗教(インド仏教も含む)の死生観に基づいて行われ、火で遺体を焼却した後、その遺骨を例えばガンジス川に捨てる。日本で最近唱えられている散骨とやらは、その猿まねである。(3)日本の法律で言う『火葬』は遺体処理の方法を意味するだけ。すなわち遺体を焼却せよという意味。その焼却後、日本では遺骨を集めて〈土葬〉する。つまり、日本では(a)遺体をそのまま埋める〈遺体土葬〉か、(b)遺体を焼却した後、遺骨を埋める〈遺骨土葬〉か、そのどちらかを行うのであり、ともに土葬である。(4)正統的には(a)、最近では(b)ということ。(b)は平安時代にすでに始まるが、一般的ではなく最近ここ50年来普及したまでのことである」と喝破していますが、これは痛快でした。まさに、その通りです。



「二十年ごとの新造と千年にわたる墨守と」では、平成25年(2013年)の伊勢神宮式年遷宮について、著者は「式年遷宮に真剣に関わるのは、大工も参列者も生涯にただ一度という厳粛さに大きな意味があるからではなかろうか。一方、法隆寺式年遷宮の始まりよりは少し前に建立されてから約1400年、火災は別として、ずっとそのままである。これまた凄い話。古き良きものを守り続けているのは、日本人の底力である。20年ごとの新造と1000年以上もの墨守との両者には、正反対のものを併せ持ってゆく日本人のしたたかさがある。新造―宋代の王安石曰く、変を尚ぶは天道なり(「河図洛書義」)、と。墨守―明代の王廷相曰く、千古を閲して(経て)変はらざる者は、気種(物の素)の定まる有ればなり(『慎言』)、と」と述べています。



 

日本国憲法――抑止力なき個人主義」では、児童虐待で幼い命を落とした子どもたちについて、著者は「私ども老夫婦は、家の仏壇にこの子たちの紙牓(紙位牌)を立て、涙ながらに供養をし続けている。真言宗信者の作法に従い、般若心経一巻、光明真言をはじめとして諸真言を誦し奉る。わけても、地蔵菩薩の御真言『おんかかかびさんまえいそわか』――それは声にならなかった。幸薄く去ってゆくあの子たちに対して、この老夫婦ができることは、ひたすら菩提を弔い、供養を続けるほかない。私どもになにができようか」と述べています。わたしは、これを読んだとき非常に感動しました。そして、縁もゆかりもない気の毒な子どもたちにそこまでの情けをかけ、誠を捧げられる著者ご夫妻に心からの尊敬の念を抱きました。

 

個人主義とは何か (PHP新書)

個人主義とは何か (PHP新書)

 

 

日本に蔓延する個人主義について、著者は「欧米人が個人主義教育を可能にし実現してきたのは、ともすれば個人主義の自律からはずれようとする人間に対して、それを許さぬ抑止力として、唯一最高絶対神を置いていたからである。キリスト教がその典型。もちろん欧米人に無宗教者はいる。それらの人は当然に利己主義者となる。一方、われわれには個人主義という思想はなかったが、東北アジア流に自律してきた。それが可能であったのは、われわれ凡人への抑止力として、それぞれの祖先を置いたからである。『御先祖さまが許さぬ』という、われわれの抑止力は、かつては生きていたのである」と述べています。

 

先祖の話

先祖の話

 

 

さらに、著者は「自己の祖先を祭り〈生命の連続〉を実感しつつ生きてゆくこと、それは儒教的な死生観なのであるが、今日では、日本仏教の中に融合されている。戦後教育においては、祖先という抑止力を教えてこなかったため、抑止力なき個人主義教育からは、ただ利己主義者を生み出すのみとなった。そういう利己主義者が頼るのは金銭だけである。当然、祖先も、祖先以来の生命の連続の大切さ、厳粛さも分からない。ひたすら求めるのは日本国憲法の『婚姻は両性の合意のみに基づく』夫婦の幸せだけであり、子を虐待し〈殺人〉して恥じぬ人間の屑を生んできたのだ」とも述べます。

 

ご先祖さまとのつきあい方 (双葉新書(9))

ご先祖さまとのつきあい方 (双葉新書(9))

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2010/09/15
  • メディア: 新書
 

 

拙著『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)で、わたしは以下のように書きました。
「わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの『あいだ』に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。その流れを意識したとき、何かの行動に取り掛かる際、またその行動によって自分の良心がとがめるような場合、わたしたちは次のように考えるのです。『こんなことをすれば、ご先祖様に対して恥ずかしい』『これをやってしまったら、子孫が困るかもしれない』こういった先祖や子孫に対する『恥』や『責任』の意識が日本人の心の中にずっと生き続けてきました」
日本人は、欧米流の個人主義の外見だけを真似て、先祖という縦糸を視野に入れた価値観を忘れてしまいました。ぜひ、もう一度、大いなる「いのち」の連続性を思い出すべきであると思います。


第二章「国民国家とは」では、文部科学省東日本大震災の被災地における私費留学生に対して、国費留学生なみに、3月の1ヵ月分(学部学生に12万5000円)を奨学金として支給することにしましたが、なんと台湾からの学部留学生は除外しました。このことについて、著者は「渡台後の生活において、公私ともになんの差別も受けなかった。のみならず、台湾の学者と私との間の合言葉は、『国家に国境あるも、学問に国境なし』であった。お蔭で、希望すれば、貴重な文献を自由に閲覧することができた。例えば、四庫全書という、清王朝における最大の国家的企画である巨大叢書(1781年完成)の原本(4セットの内の一つを台湾が所有・管理)を披見したとき、ぱーっと墨の香りが漂った。墨に依る写本だからである。その瞬間、まさに日中両国の〈筆硯の縁〉に感動した」と述べ、「学問に国境はない」ことを強く訴えています。



第三章「〈不平・不満老人〉社会」の「家族主義を教えない悲劇」では、著者は「山中伸弥・京大教授と老生との対談がBSフジにおいて放映された。(収録は28年1月18日)そのテーマとは、細胞の本質と儒教の根源とが、〈生命の連続〉を求めるという点で一致する不思議さについてが中心であった。併せて教育論も」と述べ、その内容が以下のように紹介されています。
「細胞には、遺伝子を中心として、分化し展開してゆく設計図がすでに存在している。それは、生き続けるという生命の本質であり、細胞から成り立つ身体が老いてゆくと、次の新しい身体に乗りかえ乗りかえして連続して生きてゆく。その本質は〈生命の連続〉である。すなわち、細胞研究とは〈生命の連続〉の研究なのである」

 

儒教とは何か 増補版 (中公新書)

儒教とは何か 増補版 (中公新書)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2015/11/21
  • メディア: 新書
 

 

一方、儒教について言えば、「〔己れの〕身は父母の遺体なり」(『礼記』祭義)という観念があるとして、著者は「『身』とは、『自分の身体』という意味。『遺体』とは、古くからある儒教のことばで、『遺した体』という意味。現代では、『遺体』は死体の丁寧な表現であるが、それは本来の意味すなわち『自分の身体は父母が遺した身体』という意味とずれて使われている。その元来の〈遺体〉観に基づき、儒教は、祖先から自己までの〈生命の連続〉を強烈に意識し、それを思想化してゆき、祖先崇拝という宗教化ともなっていったのである。これが儒教の本質なのである。そして地域的には、東北アジア(中国・朝鮮・日本・ベトナム北部等)に広がっていった」と述べています。



第五章「建前の浅はかさ」の「テレビコメンテーターはふわふわ分子」では、世論なるものは、ふわふわと浮き漂っているものであり、60年安保闘争で騒がしく、学生運動が盛んに時期にそれが顕著であったとして、著者はそれから60年を経たが、事情に変わりはない。世はふわふわ分子の海である。しかし、異なる点がある。今の人は集合するということをしなくなってきている。現代の大学では学生の集合など見かけない。集まっているとすれば、ライブショーだの講演会だのであって、集合の意味が違う。今の学生は、個か孤か知らんが、集まりはしない。けれど、大半は昔と同じくミーハーふわふわである」と述べています。



第六章「まっすぐに見よ」の「あふれる利己主義者」では、就職活動における学生の非礼を取り上げ、著者は「もし、会社から採用内定の通知が届いたならば、ただちに就職する会社を決め、そこへお礼と入社後はがんばりますという返事を出す。そして第二、第三の内定通知は、すぐさま辞退の返事をすべきである。にもかかわらず、内定通知が来たあと、順番に承諾の返事を出し、その3社の内、どれを選ぶか、じっくり考えると言う。と言うことは、3社の内、2社は採用計画が狂うのみならず、その2社に採用される可能性のあった学生の就職機会を奪ったことになる。そんな勝手極まる学生は、採用しても、ものの役に立たない。単なる利己主義者を雇うことになるだけではないか」と述べています。



また、自己の内定数を3とか5とかと誇るのは、人間としての資質に欠けるところがあるとして、著者は「つまりは、大学教育を受けたとしても、道徳性を高められなかったということだ。そうなると、教育の問題というよりも、その人間自身の持つ欠陥の問題であろう。そういう欠陥例の最たるものは、子の虐待死という行為である若者男女がくっついて同棲。やがて子が生まれると男はどこかへ逃げだす。女は再びつまらぬ男とくっつき、今度は己の実子を男とともに虐待して殺す。男は二人とも無職で、女の収入あるいは女の生活保護費にぶら下がる最低の連中。これは、己だけが幸せになればいいとする利己主義そのものである。のみならず、反省とか悔恨といった謙虚さなどまったくない。その実例が最近あった」と述べます。



第七章「日本人が語り継ぐべきもの」の「日本の皇室と中国の皇帝と」では、著者は「天皇には、少なくとも室町時代以降、権力がなかった。一方、中国皇帝には権力があったので、それを奪おうとする者が現れる。これが日中両国の歴史や人間の在りかたの大きな差となってくる。すなわち、日本では、権力の交替があっても、天皇の権威は奪われず常に権力の上に立ってきた。中国では、王朝の交替とは権威・権力の両方を奪うことであった。今日、世界の正常な国では、政権(権威・権力)は民主主義すなわち選挙方式によって承認される。だから、選挙結果によって権威・権力を失うことがある。そのとき、一種の不安定な政情となる。しかし、わが国はそうではない。わが国の政権には、権力はあるが権威はない。首相は権力者ではあるものの、権威は皇室に在る」と述べています。



また、現代日本人はどの首相に対しても敬意を払わないことを指摘し、著者は「首相に権威を認めていないからである。だから、首相がいくら交替しても、皇室の権威は不動であるので国家として不安定とならない。これがわが国の底力となっている。わが国はどのような危機に際しても、皇室の権威の不動によって政治が安定しており、必ず立ち直ることができたのである。それはこれからもそうであろうし、またそうでなくてはならない」と述べます。まったく同感です。

 

孝経 全訳注 (講談社学術文庫)

孝経 全訳注 (講談社学術文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2007/06/08
  • メディア: 文庫
 

 

「皇室無謬派と皇室マイホーム派と」では、皇室無謬派こそ皇室を誤らせるとして、著者は「歴代の皇室では皇族の学問初めの教科書には『論語』と並んで、いやそれ以上に儒教の『孝経』を選ぶことが圧倒的に多かった。なぜか。『孝経』は、もちろん孝について、延いては忠について教えることが大目的であるが、もう一つ目的があった。それは臣下の諫言を受け入れることを述べる諫諍章(『孝経』第十五章)を教えることである。皇室は無謬ではない。諫言を受容してこそ安泰である。そのことを、皇室の方々は、幼少より学問の初めとして『孝経』に依って学ばれたのである。諫言――皇室はそれを理解されよ」と述べています。

 

後拾遺和歌集 (岩波文庫)

後拾遺和歌集 (岩波文庫)

  • 発売日: 2019/09/19
  • メディア: 文庫
 

 

また、折口信夫は、天皇の本質を美事に掴み出しているとして、著者は「すなわち、歴代の御製を拝読すると、中身がなにもないと言う。例えば『思ふこと今はなきかな撫子の花咲くばかり成りぬと思へば』(花山天皇)。このような和歌は庶民には絶対に作れない。庶民は個性を出そうとするが、天皇は個性を消し去る。それは〈無〉の世界なのである(折口説の出典名を失念、読者諸氏許されよ)」と述べています。しかしながら、この御製(出典:『後拾遺和歌集』)は、自らの息子たちの安泰を安堵した内容と解釈することが一般的であり、ある種、個性の塊ということが出来るのではないかとも思います。わが師の解釈に異を唱えるわけではありませんが、違った見方もできるように思われます。

 

折口 信夫 作品全集

折口 信夫 作品全集

 

 

それはともかく、折口の天才的文学感覚は御製の性格を通じて、〈無〉という天皇の本質を的確に示しているとして、著者は「〈有〉の世界にいるわれわれ庶民は、やれ個性の、やれゼニカネの、やれ自由の、やれ人権の、などと事・物の雁字搦めになっている。そして〈有〉のマイホーム生活を至福としている。皇室は〈無〉の世界に生きる。それを幼少からの教育によって培い、マイホーム生活と絶縁するのである。なお、皇室を神道の大本とするという論は一面的である。皇室は同時に日本仏教とも深く関わるからである。京都の泉涌寺に安置されている歴代天皇の位牌は仏教者であることを示す。皇族は、神道・日本仏教さらには儒教に深く関わり、東北アジア諸文化を体現する。日本の核にして〈無〉である以上、可能な限り、皇居奥深くに在され、やれ国際学会の、やれ国連なんとかの開会式などといった庶民のイベントにはお出ましにならないことである。これは、草莽の老骨の切なる諫言である」と述べるのでした。



靖国神社――古代からの慰霊鎮魂」では、著者は「私はここに靖国神社に対して新しい1つの提案をいたしたい」と述べます。それは、日本人の心に沿ったありかたとしてであるといいます。その提案とは、靖国神社の現行の春秋二例大祭の他に、8月15日に夏季特別大祭を新しく設けるというもので、著者は「靖国神社拝殿に向かって左に、鎮霊社という小さな社がひっそりと建っている。昭和40年の創建で、靖国神社に合祀されていない日本人神霊(例えば西郷隆盛)や全世界の戦死者・戦禍犠牲者(例えば湾岸戦争関係者)の神霊がそこに祀られている。その諸霊を英霊とともに新設の夏季特別大祭において降神して祭神とし、慰霊鎮魂の誠を尽くしていただきたいのである」と述べています。わたしも、この提案に大賛成です。


われわれ日本人は、慰霊鎮魂を古代から行ってきました。敵への怨みも味方への親しみも越え、「怨親平等に回向する」のがわれわれ日本人であるとして、著者は「そうした心のままに、8月15日の靖国神社(全国の護国神社)夏季特別大祭に参拝しよう。この拙稿を記しつつある折しも、盂蘭盆の期間であり、人々は祖霊と有縁無縁一切精霊とに回向するときではないか。これは日本人の国民的心情である。それに基づけば、日本国を代表する首相であるならば、おのずと主体的に参拝することとなるであろう」と述べます。さらには、「主体的なのであるから、靖国神社問題を政策カードぐらいにしか思っていない外国勢力に右顧左眄することはない。いや、首相だけではない。両陛下もまた日本人の心情、『怨親平等』を深く確と理解しておられるはずである。『すべての戦死者のために、平和のために祈る』ことを靖国神社が具体的に積極的に示されんことを願ってやまない」と述べるのでした。

 

100文字でわかる 世界の宗教 (ベスト新書)

100文字でわかる 世界の宗教 (ベスト新書)

  • 発売日: 2006/12/06
  • メディア: 新書
 

 

附篇「日本人の死生観」では、「一神教多神教と」として、著者は「宗教では、人間の何万年という歴史の中で、いろいろなものが出ては消え、消えては現れて・・・・・・といった長い歴史がある。その中で、今日にまで生き残っている世界的なものは、一神教とインドの諸宗教と、そして儒教の3宗教だけである」と述べています。これを断言することは大胆なようにも思えますが、なるほど、言われてみればその通りであることがわかります。宗教とは、とりもなおさず「死」を説明するものです。「儒教文化圏の〈死〉」として、著者は「遠い時代では、亡くなった方の頭蓋骨を家廟・祠堂(一族の慰霊安所)に納めておき、命日にそれを取り出してだいたいは孫がかぶった。その姿が(鬼)。明け方の暗い中で音楽を演奏して香を焚き、亡き人の魂を呼び、酒を撒いて魄を呼び、荘重な慰霊の文章を読み上げる。すると魂魄が帰ってくる」と述べています。

 

葬式は必要! (双葉新書)

葬式は必要! (双葉新書)

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2010/04/20
  • メディア: 新書
 

 

魂魄が帰ってくる場所とは、魂魄の依りつく形代(場所)です。やがて帰ってきた魂魄が形代に取りつき、亡き人の頭蓋骨をかぶった人(形代)が両手両足を動かして狂乱状態になるのですが、それが文字で残っています。すなわち異常の「異」であり、この状態になると故人が帰ってきたというわけです。著者は、「これが慰霊の根本的意味である。葬儀は家族が死者の思い出と共に皆と会う儀式である。インド仏教には祖先の霊を戻す儀式はない。お盆やお彼岸はインド仏教にはない。しかし、中国仏教・日本仏教は、インド仏教と異なり、お盆・お彼岸・先祖供養を取り入れていったので、儒教儀礼の色が非常に濃い」と述べています。

 

沈黙の宗教――儒教 (ちくま学芸文庫)

沈黙の宗教――儒教 (ちくま学芸文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2011/04/08
  • メディア: 単行本
 

 

さらに、「儒教の本質は〈生命の連続〉」として、「頭蓋骨を使った儀式は気持ちが悪いこともあり、頭蓋骨に代わるものができた。それが木製の位牌である。位牌の上部は丸く削ってあるが、それは頭蓋骨の形の名残である。何万年も前から慰霊の儀式を行い、今も位牌を祀っている理由は、亡き人がこの世のその位牌に帰って依りつくことを信じているからである。真心を尽くして呼べば、亡き人(魂魄、霊魂)が帰ってくるとする慰霊の祭祀なのである。これらが〈死〉についての儒教の説明である」と述べます。なんという、わかりやすい説明でしょうか!

 

儀式論

儀式論

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2016/11/08
  • メディア: 単行本
 

 

そして、著者は「昔は結婚式や葬儀に親戚一統が集まり、家族(一族)主義はついこの間までの日本にあった。お葬式のときは、遠くにいる親戚にも呼び掛けるべきなのである私の友人の話では、親戚が亡くなったので遠い郷里のお葬式に帰ったら、葬儀の日に、初七日も四十九日もするという。葬儀と同じ日においてである。次に会うのが大変だからと最近多いとのこと。そんなご都合主義を言ったらいけない。面倒でも一周忌にお呼びする、三回忌にお呼びする、そういう努力があってこそ親戚が仲良くなっていくのではないか。家族といった繋がりが消えてしまったら、これからの日本はどうなるのか。おそらく、単なる利己主義集団となってゆくことであろう。その利己主義を否定するために、個人主義あるいは宗族(一族)主義が生まれてきた歴史性を知らぬ愚かな〈現代化〉である」と述べるのでした。

 

決定版 冠婚葬祭入門 基本マナーと最新情報を網羅!

決定版 冠婚葬祭入門 基本マナーと最新情報を網羅!

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2019/03/22
  • メディア: 単行本
 

 

わたしは冠婚葬祭業を営んでいますが、結婚式にしろ、葬儀にしろ、人の縁がなければ成り立たない商売です。わたしは常々、この仕事にもしインフラがあるとしたら、それは人の縁に他ならないと広言しています。「無縁社会」などと呼ばれている日本を、「有縁社会」へと変えなければなりません。特に、血縁を結び直す「法事」とは、先祖との交流の場です。わたしはそれを日常生活の中に持ち込みたいと思っています。それが「先祖とくらす」ということです。「先祖とくらす」文化の体系が「冠婚葬祭」です。

f:id:shins2m:20120713134423j:plain
加地伸行先生と

 

わたしは、著者と現代社会のさまざまな問題について、よく1時間以上も電話で話すのですが、今年は直接お会いして、対談本を作ることになりました。まことに不遜ではありますが、日本最高の儒教研究の権威である加地先生と、ぜひ「冠婚葬祭」の意味や重要性について意見交換をさせていただきたいと願っています。

 

令和の「論語と算盤」 (産経セレクト S 19)

令和の「論語と算盤」 (産経セレクト S 19)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2020/08/21
  • メディア: 新書
 

 

2020年1月11日 一条真也

北陸は災害級大雪!

一条真也です。
10日は小倉の天気も良く、積もった雪も次第に溶けてきました。雪も溶かせば、鬼も滅することのできる太陽光線(SUNRAY)の偉大さを痛感しました。しかし、上空の強い寒気と停滞するJPCZ(日本海寒帯気団収束帯)の影響で発達した雪雲が流れ込み、北陸ではすでに大雪災害になっています。



北陸は、わが社の重要な営業エリアです。
10日には石川県内で成人式が行われることもあり、大変心配していました。サンレー北陸の東専務に連絡したところ、雪は積もっているものの、成人式は滞りなくサービス提供できたとのことで、安心しました。昨年まで北陸の冠婚事業部の部長で、今年1月1日から大分の冠婚事業部の部長となった山下執行役員は、成人式ヘルプのため金沢へ。成人式会場近くの様子を写メで送ってくれました。

f:id:shins2m:20210110163342j:plain
成人式会場の近くのようす

f:id:shins2m:20210110163416j:plain
ヒマラヤの案内人・シェルパ
 

車が完全に雪に埋まっており、大雪のレベルが九州の比ではありません。今まで「大雪で大変な目に遭った」などと思っていた自分が恥ずかしくなりました。また、ヒマラヤの案内人であるシェルパみたいな男の写真を送ってきたので何かと思ったら、山下執行役員の写真だったので驚きました。彼の同期である松柏園ホテルの井口総支配人に見せたところ、「寒すぎて老けたような・・・」とのコメントが返ってきました。

f:id:shins2m:20210110163526j:plain
雪に埋まった霊柩リムジン

f:id:shins2m:20210110163810j:plain雪に埋まった霊柩リムジン 

 

車が埋まるといえば、紫雲閣事業部の霊級リムジンも雪で埋まったそうです。これは青木部長が写真を送ってくれました。東専務によれば、「この2日間、毎朝この状態です」とのことで、こんな大変な状況でも葬儀を滞りなく行ってくれた紫雲閣スタッフのみなさんには感謝するばかりです。まさに、地上の星

f:id:shins2m:20210110163628j:plain
雪に埋まった中山所長の車

f:id:shins2m:20210110164242j:plain
雪に埋もれた中山所長の車

 

SMセンターの中山所長の車も雪に埋もれて立ち往生しました。中山所長からは、写真とともに「わたしの車が雪にはまって、近所のかたがたが総出で助けてくれて、助け合いの精神を感じている次第です。隣近所両隣との付き合いは大事だと改めて感じています」とのLINEが届きました。そう、こういった災害のときこそ互助会の「相互扶助」の精神が求められます!

f:id:shins2m:20210110170926j:plainマリエールオークパイン小松の前の景色

f:id:shins2m:20210110171002j:plain
雪すかしをする伊藤支配人

そして、北陸といえば、マリエールオークパイン小松の伊藤支配人を忘れることはできません。今年8月で73歳になるという伊藤支配人からは「金沢は3年ぶりの大雪になりました積雪量は、65cmにまであがりました。ただ、3年前は金沢は87cmまで積もりました。成人式は、何事もなく無事 小松地区は終了しました。実は、朝からず~と 雪すかしで、年寄りの私には、大変キツかったです。でも、お客様から、『大変ですね。ご苦労様です』と声をかけて下さった事で、疲れが取れました」とのLINEが届きました。北陸のみなさん、それぞれ大変だったようですが、怪我もなくて良かったです。今回の大雪では、「助け合い」や「良い人間関係」の大切さを再確認したようですね。わたしは、14日(木)に金沢に入ります。災害級の大雪の中でも「天下布礼」に励む北陸のみなさんに会えることを楽しみにしています!



2021年1月10日 一条真也

『論語と算盤』 

論語と算盤 (創業者を読む (1))

 

一条真也です。
論語と算盤』渋沢栄一著(大和出版)を再読。
当ブログの記事で、ひそかに人気があるのが論語関連本の書評記事です。わたしが読んできた『論語』や儒教に関する本は、ブログで取り上げた後、書評サイトである「一条真也の読書館」の「論語・儒教」のコーナーに保存しています。その内容は、いずれ『論語論』という本にまとめたいと思っているのですが、そこに本書『論語と算盤』が入っていなかったので、久々に読み返した次第です。NHK大河ドラマの次回作は「青天を衝け」(2021年2月14日開始予定)ですが、主人公は本書の著者である渋沢栄一です。新1万円札の顔としても注目される人物で、約500の企業を育て、約600の社会公共事業に関わった「日本資本主義の父」として知られています。晩年は民間外交にも力を注ぎ、ノーベル平和賞の候補に2度選ばれています。その彼が生涯、座右の書として愛読したのが『論語』でした。

 

本書のカバー表紙には渋沢栄一翁の顔写真が使われ、「近代日本の『実業界・銀行の父』の発言から、ビジネス・経営の‟原点”を学び、今、‟日本と日本人”を再考するための指針」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。
解説「今、この本をどう読み、何を学ぶか」草柳大蔵
処世と信条
立志と学問
常識と習慣
仁義と富貴
理想と迷信
人格と修養
算盤と権利
実業と士道
教育と情誼
成敗と運命

 

解説「今、この本をどう読み、何を学ぶか」の1「物差しのない時代」では、評論家の草柳大蔵氏が「本書の主人公である渋沢栄一という人は、乗り超えるべきパラダイム(封建的身分制)に挑戦し、一挙にパラダイム無き時代(明治維新)に身を起した人である。渋沢は、その行動基準を挙げて『論語』に求めており、本書の中では『孔子教・論語主義』というおもしろい表現をしている。しかし、昔から『論語読みの論語知らず』という言葉があるとおり、論語にせよその他の原理にせよ、自分が依拠したものにがんじがらめになってしまう人物がいる。『活学』という言葉があるが、渋沢はまさに論語の真髄をとらえて、これを実人生に活かして使った典型であり、今日流にいえば『歩く論語』であり『行動する論語』であったといえるであろう」と述べています。

 

また、草柳氏は「渋沢は実業界に身を投ずるにあたって、「論語を以て商業上のバイブル」とした。国家の実力を涵養する『富』をつくるにあたって『罪悪の伴わぬ神聖なる富』を目標としたからである。そのためには『一つの守るべき主義を持たなければならぬ』と考えると述べ、本書の「それは即ち私が常にいっているところの仁義道徳である。仁義道徳と生産利殖とは決して矛盾しない。だからその根本の理を明かにして、かくすればこの位置を失わぬということを、我れ人共に十分に考究して、安んじてその道を行うことが出来たならば、敢て相率いて腐敗堕落に陥るということなく、国家的にも個人的にも、正しく富を増進することが出来ると信じる」という渋沢の言葉を紹介します。

 

2「『自己定位』の出来た人」として、草柳氏は「彼は天保11年(1840年)2月13日、武蔵国榛沢郡血洗島(現在、埼玉県深谷市血洗島)に生まれている。昭和6年11月11日没、91歳と9か月という長寿であった。生家は、農業・養蚕・藍玉商を兼ねて裕福であったが、父の市郎右衛門の代には荒物商や金融業まで営み、地方の資産家として頭角をあらわしていた。しかし、家庭の躾はきびしく、栄一は6歳のときに三字経の手ほどきを父から受け、1年あまりのうちに孝経、小学、大学、中庸と進み、ついには論語にまで及んだ。7歳のときから隣村の尾高藍香につき、四書・五経をはじめ左伝、史記漢書国史略、それに日本外史を学ぶ。当然、読書力が身について、11、2歳のころには『通俗三国志』『里見八犬伝』を読破するに及んでいる」と紹介します。最後の『里見八犬伝』は「仁義礼智忠信孝悌」の儒教の八大徳目がテーマとなっていることは有名です。

 

そして、渋沢栄一について、草柳氏は「討幕・出仕・洋行・新政府官吏と、まるで異なる立場に立ちながら、彼はその場その場で全力を尽して事に当っている。けっして、自分を見失っていない。権力の部品にもならなければ、状況に埋没してもいない。いわば、彼自身の『自己定位』が出来ているのである。その秘密を、読者はおそらく本書の中に読みとられるであろう。論語にかぎらず、漢籍からの引用も自由自在なら、『円いものほど転びやすい』など俗諺にも通じている。その魅力を探るのも読書の楽しみではあるまいか」と述べるのでした。

 

以下に、わたしの心に響いた本書の言葉を紹介していきたいと思います。「処世と信条」の「論語と算盤とは、はなはだ遠くしてはなはだ近いもの」では、著者は「今の道徳によって最も重なるものともいうべきものは、孔子のことについて門人達の書いた論語という書物がある。これは誰でもたいてい読むということは知っているが、この論語というものと、算盤というものがある。これは、はなはだ不釣り合いで、大変に懸隔したものであるけれども、私は不断にこの算盤は論語によって出来ている、論語はまた算盤によって本当の富が活動されるものである、故に論語と算盤は、はなはだ遠くしてはなはだ近いものであると始終論じておるのである」と述べています。

 

また、「士魂商才」では、「士魂商才というのも同様の意義で、人間の世の中に立つには武士的精神の必要であることは無論であるが、しかし武士的精神のみに偏して商才というものが無ければ、経済の上から自滅を招くようになる。故に士魂にして商才が無ければならぬ。その士魂を養うには、書物という上からはたくさんあるけれども、やはり論語は最も士魂養成の根底となるものと思う。それならば商才はどうかというに、商才も論語において充分養えるというのである。道徳上の書物と商才とは何の関係が無いようであるけれども、その商才というものも、もともと道徳を以て根底としたものであって、道徳と離れた不道徳、詐瞞、浮華、軽佻の商才は、いわゆる小才子小利口であって、決して真の商才ではない。故に商才は道徳と離るべからざるものとすれば、道徳の書たる論語によって養える訳である。また人の世に処するの道はなかなか至難のものであるけれども、論語を熟読玩味してゆけば大いに覚るところがあるのである。故に私は平生、孔子の教えを尊信すると同時に、論語を処世の金科玉条として、常に座右から離したことは無い」と述べています。

 

さらに著者は、「我が邦でも賢人豪傑はたくさんいる。その中でも最も戦争が上手であり、処世の道が巧みであったのは徳川家康公である。処世の道が巧みなればこそ、多くの英雄豪傑を威服して15代の覇業を開くを得たので、200余年間人々が安眠高枕することの出来たのは実に偉とすべきである。それ故、処世の巧みな家康公であるから、種々の訓言を遺されている。彼の『神君遺訓』なども、我々処世の道を実によく説かれている。しかしてその『神君遺訓』を私が論語と照し合せて見たのに、実に符節を合するが如くであって、やはり大部分は論語から出たものだということが分った」と述べます。

 

そして、著者は「不幸にして孔子は日本のような万世一系の国体を見もせず知りもしなかったからであるが、もし日本に生れまたは日本に来て万世一系の我が国体を見聞したならば、どのくらい讃歎したか知れない。韶を聞いて美を尽し善を尽せりと誉めたどころでは無い。それ以上の賞讃尊敬の意を表したに違いない。世人が孔子の学を論ずるには、よく孔子の精神を探り、いわゆる眼光紙背に徹する、底の大活眼を以てこれを観なければ、皮相に流れる虞れがある。故に私は人の世に処せんとして道を誤まらざらんとするには、先ず論語を熟読せよというのである。現今世の進歩に従って欧米各国から新しい学説が入って来るが、その新しいというは我々から見ればやはり古いもので、すでに東洋で数千年前にいっておることと同一のものを、ただ言葉のいい回しをうまくしておるに過ぎぬと思われるものが多い。欧米諸国の日進月歩の新しいものを研究するのも必要であるが、東洋古来の古いものの中にも棄て難いもののあることを忘れてはならぬ」と述べるのでした。

 

「得意時代と失意時代」では、著者は「およそ人の禍は多くは得意時代にきざすもので、得意の時は誰しも調子に乗るという傾向があるから、禍害はこの欠陥に喰い入るのである」として、「誰でも目前に大事を控えた場合には、これをいかにして処置すべきかと、精神を注いで周密に思案するけれども、小事に対するとこれに反し、頭から馬鹿にして不注意のうちにこれをやり過してしまうのが世間の常態である。ただし箸の上げ下しにも心を労する程小事に拘泥するは、限りある精神を徒労するというもので、何もそれ程心を用うる必要の無いこともある。また大事だからとて、さまで心配せずとも済まされることもある。故に事の大小というたとて、表面から観察してただちに決する訳にはゆかぬ。小事かえって大事となり、大事案外小事となる場合もあるから、大小に拘わらず、その性質をよく考慮して、しかる後に相当の処置に出るように心がくるのがよいのである」と述べています。

 

また、「小事から大事を醸す」として、著者は「小事の方になると、悪くすると熟慮せずに決定してしまうことがある。それがはなはだよろしくない。小事というくらいであるから、目前に現われたところだけではきわめて些細なことに見えるので、誰もこれを馬鹿にして念を入れることを忘れるものであるが、この馬鹿にしてかかる小事も、積んでは大事となることを忘れてはならぬ。また小事にもその場限りで済むものもあるが、時としては小事が大事の端緒となり、一些事と思ったことが後日大問題を惹起するに至ることがある。あるいは些細なことから次第に悪事に進みて、遂には悪人となるようなこともある。それと反対に小事から進んで次第に善に向いつつ行くこともある。始めは些細な事業であると思ったことが、一歩一歩に進んで大弊害を醸すに至ることもあれば、これが為、一身一家の幸福となるに至ることもある。これ等はすべて小が積んで大となるのである」と述べます。

 

これに添えて一言して置きたいことは、人の調子に乗るはよくないということであるとして、著者は「『名を成すは常に窮苦の日にあり、事を取るは多く得意の時に因す』と古人もいっておるが、この言葉は真理である。困難に処する時はちょうど大事に当ったと同一の覚悟を以てこれに臨むから、名を成すはそういう場合に多い。世に成功者と目せらるる人には、必ず『あの困難をよくやり遂げた』、『あの苦痛をよくやり抜いた』というようなことがある。これ即ち心を締めてかかったという証拠である。しかるに失敗は多く得意の日にその兆をなしておる。人は得意時代に処してはあたかも彼の小事の前に臨んだ時の如く、天下何事かならざらんやの概を以て、いかなることをも頭から呑んでかかるので、ややもすれば目算が外れてとんでもなき失敗に落ちてしまう。それは小事から大事を醸すと同一義である。だから人は得意時代にも調子に乗るということ無く、大事小事に対して同一の思慮分別を以てこれに臨むがよい。水戸黄門光圀公の壁書中に『小なる事は分別せよ、大なることに驚くべからず』とあるのは、真に知言というべきである」と述べるのでした。

 

「立志と学問」の「秀吉の長所と短所」では、著者は「乱世の豪傑が礼に嫺わず、とかく家道の斉わぬ例は、単に明治維新の際における今日のいわゆる元老ばかりでは無い。いずれの時代においても乱世には皆そうしたものである。私なども家道が斉ってると口はばったく申し上げて誇り得ぬ一人であるが、かの稀世の英雄豊太閤などが、やはり礼に嫺わず、家道の斉わなかった随一人である。もとより賞むべきではないが、乱世に生い立ったものには、どうもこんなことも致し方のない次第で、あまり酷には責むべきでも無かろうと思う。しかし豊太閤にもし最も大きな短所があったとすれば、それは家道の斉わなかったことと、機略があっても、経略が無かったことである。もしそれ豊太閤の長所はといえば、申すまでもなく、その勉強、その勇気、その機智、その気概である」と述べています。

 

「社会と学問との関係」では、著者は「元来人情の通弊として、とかくに功を急ぎ大局を忘れて、勢い事物に拘泥し、僅かな成功に満足するかと思えば、さほどでもない失敗に落胆する者が多い。学校卒業生が社会の実務を軽視し、実際上の問題を誤解するのも、多くはこの為である。是非ともこの誤れる考えは改めねばならぬが、その参考として学問と社会との関係を考察すべき例を挙げると、あたかも地図を見る時と実地を歩行する時との如きものである。地図を開いて眼を注げば、世界もただ一目の下にある。一国一郷は指呼の間にある如くに見える。参謀本部の製図は随分詳密なもので、小川小邱から土地の高低傾斜までも明らかに分るように出来ておるが、それでも実際と比較してみると、予想外のことが多い」と述べています。

 

続けて、著者は「それを深く考慮せず、十分に熟知したつもりでいよいよ実地に踏み出して見ると、茫漠として大いに迷う。山は高く谷は深し、森林は連らなり、川は広く流るるという間に、道を尋ねて進むと、高岳に出会い、何程登っても頂上に達し得ぬ。あるいは大河に遮られて途方に暮れることもあろうし、道路が迂回して容易に進まれぬこともある。あるいは深い谷に入っていつ出ることが出来るかと思うこともある。至るところに困難なる場所を発見する。もし、この際十分の信念がなく、大局を観る目の明がないなら、失望落胆して勇気は出でず、自暴自棄に陥って、野山の差別なく狂い回る如きこととなって、ついには不幸なる終りをみるであろう」とも述べるのでした。地図:実地=学問:社会、といったところでしょうか。

 

「常識と習慣」の「動機と結果」では、「私は志の曲がった軽薄才子は嫌いである」として、著者は「いかに所作が巧みでも、誠意のない人はともに伍するを懌ばないが、しかし神ならぬ身には人の志まで見抜くということは容易ではないから、自然志の良否はとにかく、所作の巧みな人間に利用されぬとも限らぬのである。かの陽明説の如きは、知行合一とか良知良能とかいって、志に思うことがそれ自身行為に現われるのであるから、志が善ならば行為も善、行為が悪ならば志も悪でなければならぬが、私ども素人考えでは、志が善でも所作が悪になることもあり、また所作が善でも志が悪なることもあるように思われる。私は西洋の倫理学や哲学というようなことは少しも知らぬ。ただ四書や宋儒の学説によって、多少性論や処世の道を研究しただけであるが、私の如上の意見に対して、期せずしてパウルゼンの倫理説と合一するというものがある。その人のいうには、英国のミュアヘッドという倫理学者は、動機さえ善ならば、結果は悪でもいいという、いわゆる動機説で、その例として、クロムウエルが英国の危機を救わんが為に、暗愚の君を弑し、自ら皇帝の位に上ったのは、倫理学上悪でないといっているが、今日最も真理として歓迎せらるるパウルゼンの説では、動機と結果、即ち志と所作の分量性質を仔細に較量してみなければならぬという」と述べています。

 

「仁義と富貴」の「孔夫子の貨殖富貴観」では、著者は「従来儒者孔子の説を誤解していた中にも、その最もはなはだしいのは富貴の観念、貨殖の思想であろう。彼等が論語から得た解釈によれば、『仁義王道』と『貨殖富貴』との二者は氷炭相容れざるものとなっている。しからば孔子は『富貴の者に仁義王道の心あるものはないから、仁者となろうと心がけるならば富貴の念を捨てよ』という意味に説かれたかというに、論語二十篇を隈なく捜索してもそんな意味のものは一つも発見することは出来ない。否、むしろ孔子は貨殖の道に向って説をなしておられる。しかしながらその説き方が例の半面観的であるものだから、儒者がこれに向って全局を解することが出来ず、ついに誤りを世に伝えるようになってしまったのである」と述べています。

 

また、「義理合一の信念を確立せよ」では、「余が平素の持論としてしばしばいうところのことであるが、従来利用厚生と仁義道徳の結合がはなはだ不十分であった為に、『仁をなせば則ち富まず、富めば則ち仁ならず』利につけば仁に遠ざかり、義によれば利を失うというように、仁と富とを全く別物に解釈してしまったのは、はなはだ不都合の次第である。この解釈の極端なる結果は、利用厚生に身を投じたものは、仁義道徳を顧みる責任はないというようなところに立ち至らしめた。余はこの点について多年痛歎措く能わざるものであったが、要するにこれ後世の学者のなせる罪で、すでにしばしば述べたる如く、孔孟の訓が『義理合一』であることは、四書を一読する者のただたに発見するところである」と書かれています。

 

「理想と迷信」の「かくの如き矛盾を根絶すべし」では、著者は「強い者の申し分はいつもよくなるということは、一つの諺として仏国に伝わっているけれども、だんだん文明が進めば、人々道理を重んずる心も、平和を愛する情も増して来る。相争うところの惨虐を嫌う念も、文明が進めば進む程強くなる。換言すれば、戦争の価値は世が進むほど不廉となる。いずれの国でも自らそこに顧みるところがあって、極端なる争乱は自然に減ずるであろう。また必ず減ずべきものと思う。明治37、8年頃、露西亜のグルームとかいう人が『戦争と経済』という書を著作して、戦争は世の進むほど惨虐が強くなる、費用が多くなるから、ついには無くなるであろう、という説を公にしたことがある。かつて露西亜皇帝が平和会議を主張されたのも、これらの人の説によったものであると、誰やらの説に見たことがある」と述べています。この「文明が進めば、戦争はなくなる」という考え方には異論もあるでしょうが、このようにポジティブな思考には大いに共感できます。

 

「これは果たして絶望か」では、著者は「帰一というのは外でもない、世界の各種の宗教的観念、信仰等は、ついに一に帰する期のないものであろうか。神といい、仏といい、耶蘇といい、人間の履むべき道理を説くものである。東洋哲学でも西洋哲学でも、自然些細な事物の差はあるけれども、その帰趣は一途のように思われる。『言忠信、行篤敬なれば、蛮狛といえども行われん』といい、反対に『言忠信ならず、行篤敬ならざれば、州里といえども行われんや』といっておるのは、これは千古の格言である。もし人に忠信を欠き行いが篤敬でなかったならば、親戚故旧たりともその人を嫌がるに違いない。西洋の道徳もやはり同じような意味のことを説いている。ただ西洋の流義は積極に説き、東洋の流義は幾分か消極に説いてある。例えば、孔子教では、『己の欲せざるところ、人に施す勿れ』と説いてあるのに、耶蘇の方では『己の欲するところ、これを人に施せ』と、反対に説いてあるようなもので、幾分かの相違はあるけれども、悪いことをするな、よいことをせよという。いい現わし方の差異で、一方は右から説き、一方は左から説き、しかして帰するところは一である。かように程合いのもので、深く研究を進めるならば、おのおの宗派を分かち、門戸を異にして、はなはだしきは相凌ぐというようなことは、実は満鹿らしいことであろうと考える」と述べています。

 

「日新なるを要す」では、著者は、孟子が「利殖と仁義道徳とは一致するものである」と言ったことを紹介した後、「その後の学者がこの両者を引き離してしまった。仁義をなせば富貴に遠く、富貴なれば仁義に遠ざかるものとしてしまった。町人は素町人と呼びて賤められ、士の俱に齢いすべきものでないとせられ、商人も卑屈に流れ、儲け主義一点張りとなった。これが為に経済界の進歩は幾十年幾百年遅れたか分らぬ。今日は漸次消滅しつつあるが、まだ不足である。利殖と仁義の道とは一致するものであることを知らせたい。私は論語と十露盤とを以て指導しているつもりである」と述べています。

 

「人格と教養」の「人格の標準はいかん」では、著者は「人は万物の霊長であるということは、人皆自ら信じておるところである。同じく霊長であるならば、人々相互の間における何等の差異なかるべき筈なるに、世間多数の人を見れば、上を見るも方図がなく、下を見るも際限なしというている。現に我々の交際する人々は、上王公貴人より、下匹夫匹婦に至るまで、その差異もまたはなはだしいのである。一郷一村に見るも、すでに大分の差があり、一県一州に見れば、その差はさらに大きく、これを一国に見ればますます懸隔して、ほとんど停止するところなきに至るのである。人すでにその智愚尊卑においてかように差等を有するとすれば、その価値を定むるもまた容易のことではない。いわんやこれに明確なる標準を付するにおいてをやである。しかし人は動物中の霊長としてこれを認むるならば、その間には自ら優劣のあるべき筈である。殊に人は棺を蓋うて後、論定まるという古言より見れば、どこかに標準を定め得る点があると思われる」と述べています。

 

「修養は理論ではない」では、「修養はどこまでやらねばならぬかというに、これは際限がないのである。けれども空理空論に走ることは最も注意せねばならぬ。修養は何も理論ではないので、実際に行うべきことであるから、どこまでも実際と密接の関係を保って進まねばならぬ」として、著者は「これを漢学に求めてみれば、孔孟の儒教支那においては最も尊重されて、これを経学または実学といって、かの詩人または文章家が弄ぶ文学とは全く別物視してある。しかしてそれを最もよく研究し発達せしめたのがかの支那栄末の朱子である。けだし朱子は非常に博学で、且つ熱心にこの学を説いたのである。ところが、朱子の時分の支那の国運はどうであったかというに、ちょうどその頃は宋朝の末で、政事も頽廃し、兵力も微弱にして、少しも実学の効は無かったのである。即ち学問は非常に発達しても、政務は非常に混乱した。つまり学問と実際とが全く隔絶していたのである。つまり本家本元の経学が宋朝に至りて大いに振興したにもかかわらず、これを採って実際に用いなかったのである。しかるに日本においてはその空理空文の死学であった宋朝儒教を利用した為、かえって実学の効験を発揮したのである。これをよく用いたのは徳川家康である」と述べています。

 

「誤解されたる修養論を駁す」では、著者は「修養は人を卑屈にするというは、礼節敬虔などを無視するより来たる妄説と思う。およそ孝悌忠信仁義道徳は日常の修養から得らるるので、決して愚昧卑屈でその域に達するものではない。大学の致知格物も、王陽明致良知も、やはり修養である。修養は土人形を造るようなものではない。かえって己の良知を増し、己の霊光を発揚するのである。修養を積めば積むほど、その人は、ことにあたり物に接して善悪が明瞭になって来るから、取捨去就に際して惑わず、しかもその裁決が流るる如くなって来るのである。故に修養が人を卑屈愚昧にするというは大なる誤解で、極言すれば、修養は人の智を増すにおいて必要だということになるのである。ここを以て修養は智識を軽んぜよというのではない。ただ今日の教育は、あまりに智を得るのみに趨って、精神を練磨することに乏しいから、それを補うための修養である。修養と修学を相容れぬ如くに思うのは大なる誤りである。けだし修養ということは広い意味であって、精神も智識も身体も行状も向上するように練磨することで、青年も老人も等しく修めねばならぬ。かくて息むことなければ、ついには聖人の域にも達することが出来るのである」と述べています。

 

「権威ある人格養成法」では、著者は「現代青年にとって最も切実に必要を感じつつあるものは人格の修養である。維新以前までは、社会に道徳的の教育が比較的さかんな状態であったが、西洋文化の輸入するにつれて思想界に少なからざる変革を来たし、今日の有様ではほとんど道徳は混沌時代となって、即ち儒教は古いとして退けられたから、現時の青年にはこれが十分咀嚼されておらず、というて耶蘇教が一般の道徳律になっておる訳ではなおさらなし、明治時代の新道徳が別に成立したのでもないから、思想界は全くの動揺期で、国民はいずれに帰向してよいか、ほとんど判断にさえ苦しんでおるくらいである。従って一般青年の間に人格の修養ということはほとんど閑却されておるかの感なきを得ないが、これは実に憂うべき趨向である。世界列強国がいずれも宗教を有して道徳律の樹立されておるのに比し、ひとり我が国のみがこの有様では、大国民としてはなはだ恥ずかしい次第ではないか」と述べるのでした。

 

「算盤と権利」では、著者は「論語主義は己を律する教旨であって、人はかくあれ、かくありたいというように、むしろ消極的に人道を説いたものである。しかしてこの主義を押し広めて行けばついには天下に立てるようにはなるが、孔子の真意を忖度すれば、初めから宗教的に人を教える為に説を立てようとは考えてなかったらしいけれども、孔子には一切教育の観念がなかったとはいわれぬ。もし孔子をして政柄を握らしめたならば、善政を施き国を富まし、民を安んじ、王道を十分に押し広める意志であったろう。換言すれば、初めは一つの経世家であった。その経世家として世に立つ間に、門人からいろいろ雑多のことを問われ、それについて一々答を与えた」と述べています。

 

また、キリスト教儒教イエス・キリスト孔子の思想を比較し、著者は「基督教に説くところの『愛』と論語に教うるところの『仁』とはほとんど一致していると思われるが、そこにも自動的と他動的との差別はある。例えば、耶蘇教の方では、『己の欲する所を人に施せ』と教えてあるが、孔子は『己の欲せざる所を人に施す勿れ』と反対に説いているから、一見義務のみにて権利観念が無いようである。しかし両極は一致すといえる言の如く、この二者も終局の目的はついに一致するものであろうと考える。しかして余は、宗教としてはた経文としては耶蘇の教えがよいのであろうが、人間の守る道としては孔子の教えがよいと思う。こはあるいは余が一家言たるの嫌いがあるかも知れぬが、殊に孔子に対して信頼の程度を高めさせるところは、奇蹟が一つもないという点である。基督にせよ、釈迦にせよ、奇蹟がたくさんにある。耶蘇は磔せられた後3日にして蘇生したというが如きは明らかに奇蹟ではないか。もっとも優れた人のことであるから、必ずそういうことはないと断言出来ず、それらは凡智の測り知らざるところであるといわねばなるまいが、しかしこれを信ずれば迷信に陥りはすまいか。かかる事柄を一々事実と認めることになると、智は全く晦まされて、一点の水が薬品以上の効を奏し、焙烙の上からの灸が利き目があるということも事実として認めなくてはならなくなるから、そのよって来たるところの弊ははなはだしいものである」とと述べています。

 

「合理的の経営」では、著者は「自分は常に事業の経営に任じては、その仕事が国家に必要であって、また道理に合するようにして行きたいと心がけて来た。たといその事業が微々たるものであろうとも、自分の利益は少額であるとしても、国家必要の事業を合理的に経営すれば、心は常に楽しんでことに任じられる。故に余は論語を以て商売上の『バイブル』となし、孔子の道以外には一歩も出まいと努めて来た。それかから余が事業上の見解としては、一個人に利益ある仕事よりも、多数社会を益して行くのでなければならぬと思い、多数社会に利益を与えるには、その事業が堅固に発達して繁昌して行かなくてはならぬということを常に心していた。福沢翁の言に『書物を著わしても、それを多数の者が読むようなものでなくては効能が薄い、著者は常に自己のことよりも国家社会を利するという観念を以て筆を執らなければならぬ』という意味のことがあったと記憶している。事業界のこともまたこの理に外ならぬもので、多く社会を益することでなくては正径な事業とはいわれない。仮りに一個人のみ大富豪になっても、社会の多数が為に貧困に陥るような事業であったならばどんなものであろうか。いかにその人が富を積んでも、その幸福は継続されないではないか。故に国家多数の富を致す方法でなければいかぬというのである」と述べるのでした。

 

「実業と士道」の「武士道は即ち実業道なり」では、著者は「武士道の神髄は正義、廉直、義俠、敢為、礼譲等の美風を加味したもので、一言にしてこれを武士道と唱えるけれども、その内容に至りてはなかなか複雑した道徳である。しかして余がはなはだ遺憾に思うのは、この日本の精華たる武士道が、古来もっぱら士人社会のみに行われて、殖産功利に身を委ねたる商業者間に、その気風のはなはだ乏しかった一事である。古の商工業者は武士道に対する観念を著しく誤解し、正義、廉直、義俠、敢為、礼譲等のことを旨とせんには、商売は立ち行かぬものと考え、かの『武士は食わねど高楊枝』というが如き気風は商工業者にとっての禁物であった。惟うにこれは時勢のしからしめたところもあったであろうけれども、士人に武士道が必要であった如く、商工業者もまたその道が無くては叶わぬことで、商工業者に道徳はいらぬなどとはとんでもない間違いであったのである」と述べています。

 

続けて、著者は「けだし封建時代において、武士道と殖産功利の道と相背馳するが如く解せられたのは、なおかの儒者が、仁と富とは並び行われざるものの如く心得たと同一の誤謬であって、両者共に相背馳するものでないとの理由は、今日すでに世人の認容し了解されたところであろうと思う。孔子のいわゆる『富と貴とはこれ人の欲するところなり、その道を以てせずしてこれを得れば処らざるなり、貧と賤とはこれ人の悪むところなり、その道を以てせずしてこれ得るも去らざるなり」とは、これ誠に武士道の真髄たる正義、廉直、義俠等に適合するものではあるまいか』と述べます。

 

さらには、著者は「孔子の訓において、賢者が貧殿に処してその道を易えぬというのは、あたかも武士が戦場に臨んで敵に後ろを見せざるの覚悟と相似たるもので、またかのその道を以てするに非ざれば、たとい富貴を得ることがあっても、安んじてこれに処らぬというのは、これまた古武士がその道を以てせざれば一毫も取らなかった意気と、その軌を一にするものといってよろしかろう。果してしからば富貴は聖賢もまたこれを望み、貧賤は聖賢もまたこれを欲しなかったけれども、ただかの人々は道義を本とし富貴貧賤を末としたが、古の商工業者はこれを反対したから、ついに富貴貧越を本として道義を末とするようになってしまった。誤解もまたはなはだしいではないか」と述べるのでした。

 

「教育と情誼」の「孝は強うべきものに非ず」では、著者は「いかにも私の自慢話のようになって恐縮であるが、実際のこと故、憚からずお話しする」として、「確か私の23歳の時であったろうと思うが、父は私に向い『その許の18歳頃からの様子を観ておると、どうもその許は私と違ったところがある、読書をさしてもよく読み、また何事にも利発である、私の思うところからいえば、永遠までもその許を手もとに留めおいて、私の通りにしたいのであるが、それではかえってその許を不孝の子にしてしまうから、私は今後その許を私の思う通りのものにせず、その許の思うままにさせることにした』と申されたことがある。いかにも父の申された如く、その頃私は文字の力の上からいえば、不肖ながらあるいはすでに父より上であったかも知れぬ。また父とは多くの点において、不肖ながら優ったところもあったろう。しかるに父が無理に私を父の思う通りのものにしようとし、かくするが孝の道であると、私に孝を強ゆるが如きことがあったとしたら、私はあるいはかえって父に反抗したりなぞして、不孝の子になってしまったかも知れぬ。幸いにかかることにもならず、及ばぬうちにも不孝の子にならずに済んだのは、父が私に孝を強いず、寛宏の精神を以て私に臨み、私の思うままの志に向って私を進ましめて下された賜物である。孝行は親がさしてくれて初めて子が出来るもので、子が孝をするのではなく、親が子に孝をさせるのである」と述べています。

 

また、「偉人とその母」では、著者は「婦人に対する態度を耶蘇教的に論じて云々することはしばらく別とするも、人間の真正なる道義心に訴えて、女子を道具視してよいものであろうか。人類社会において男子が重んずべきものとすれば、女子もやはり社会を組織する上にその一半を負うて立つ者だから、男子同様重んずべき者ではなかろうか。すでに支那の先哲も、『男女室におるは大倫なり』というてある。いう迄もなく女子も社会の一員、国家の一分子である。果してしからば女子に対する旧来の侮蔑的観念を除却し、女子も男子同様国民としての才能智徳を与え、倶に共に相助けてことをなさしめたならば、従来5千万の国民中2500万人しか用をなさなかった者が、さらに2500万人を活用せしめることとなるではないか。これ大いに婦人教育を興さねばならぬという根源論である」と述べます。

 

そして、「成敗と運命」の「成敗は身に残る糟粕」として、著者は「とにかく人は誠実に努力黽勉して、自ら運命を開拓するがよい。もしそれで失敗したら、自己の智力が及ばぬ為と諦め、また成功したら智慧が活用されたとして、成敗にかかわらず天命に託するがよい。かくて敗れてもあくまで勉強するならば、いつかは再び好運に際会する時が来る。人生の行路はさまざまで、時に善人が悪人に敗けた如く見えることもあるが、長い間の善悪の差別は確然とつくものである。故に成敗に関する是非善悪を論ずるよりも、先ず誠実に努力すれば、公平無私なる天は、必ずその人に福いし運命を開拓するようにしむけてくれるのである」と述べるのでした。この言葉は、わたしの人生の指針ともなっています。

 

わたしは『論語』の真価を最も理解した日本人が3人いると思っています。聖徳太子徳川家康渋沢栄一です。聖徳太子は「十七条憲法」や「冠位十二階」に儒教の価値観を入れることによって、日本国の「かたち」を作りました。徳川家康儒教の「敬老」思想を取り入れることによって、徳川幕府に強固な持続性を与えました。そして、渋沢栄一は日本主義の精神として『論語』を基本としたのです。聖徳太子といえば日本を作った人、徳川家康といえば日本史上における政治の最大の成功者、そして渋沢栄一は日本史上における経済の最高の成功者と言えます。この偉大な3人がいずれも『論語』を重要視していたということは、『論語』こそは最高最大の成功への指南書であることがわかります。『論語』の言葉を題材に、自身の経験や思想を縦横無尽に語る渋沢栄一の『論語と算盤』は、日本人が書いた最高の『論語』入門書であると同時に、『渋沢論語』でもあるのです。

 

論語と算盤 (創業者を読む (1))
 

 

2020年1月10日 一条真也

山本リンダ最強説

一条真也です。
九州は記録的な大雪となっています。
小倉の自宅に命からがら帰ってきましたが、ブログ「どうにもとまらない!」ブログ「記録的大雪!」で紹介した小倉出身の女性歌手・山本リンダの動画が大きな反響を呼んでいるようです。



草刈正雄が小倉が生んだ芸能界のヒーローなら、山本リンダは小倉が生んだ芸能界のヒロインです。1951年3月4日、福岡県小倉市(現:北九州市)に生まれました。父親はアメリカ人、母親は日本人のハーフでした。父親はアメリカ軍の軍人でしたが、リンダが1歳の頃に朝鮮戦争で戦死。そのため女手一つで育てられました。リンダは母に楽をさせたいと思い、モデルのオーディションに応募。1962年に雑誌「装苑」のモデルオーディションを受検したことをきっかけに、人気モデルとして活動します。1966年、高校在学中の15歳の時に、シングル「こまっちゃうナ」で歌手デビュー。同曲が大ヒットとなり、国民的アイドルとして全国に知られるようになりました。翌年、「第18回NHK紅白歌合戦」で紅白初出場を果たします。当時は舌っ足らずな口調を売りにした、いわゆる「可愛い子ちゃん歌手」でした。

 

しかし、デビュー曲「こまっちゃうナ」が大ヒットした後はヒットに恵まれず、人気は低迷。1971年7月から同年12月まで「仮面ライダー」(毎日放送)に出演。1972年、キャニオンレコード移籍第2弾目のシングルレコードとして、当時の売れっ子作詞家・作曲家であった阿久悠・都倉俊一のコンビによる「どうにもとまらない」を発表。セクシーな大人の歌手にイメージチェンジして発表した同曲は大ヒットとなり、第14回日本レコード大賞作曲賞、第3回日本歌謡大賞放送音楽賞、有線放送大賞夜の有線大賞を受賞。また第23回NHK紅白歌合戦にも5年ぶりにカムバックしました。



1973年には「狙いうち」が大ヒット。この年、第10回ゴールデン・アロー賞グラフ賞、キャニオンレコードヒット賞を受賞。第24回NHK紅白歌合戦にも出場。セクシーな激しい歌と踊りで人気を獲得し、後のピンク・レディーに先駆けて「アクション歌謡」を全国に定着させました。「狙いうち」というタイトルが「ボールをヒットさせる」ことを想起されることから、東京六大学野球明治大学応援団は、作詞者の阿久悠明治大学OBであったこともあり、同曲を「チャンステーマ」として導入しました。それが甲子園にも伝播し、以後は高校野球の応援歌の定番となり、また中日ドラゴンズの応援(得点のチャンスを迎えた時)でも使われていました。



じつは、わたしは山本リンダこそは日本の芸能界が生んだ最強の女性アイドルではないかと考えているのです。彼女は現在の日本の芸能界を席巻しているハーフ・タレントの先駆け的存在ですが、とにかくスタイルが良い。顔もバービー人形みたいに可愛いし、リズム感があってダンスはキレキレだし、さらに加えて歌が抜群に上手い。こんな完璧なアイドルはなかなかいません。山本リンダ最強説を証明するのが、1974年の第25回紅白歌合戦の紅組ラインダンス(ロケットダンス)です。ザ・ピーナッツ梓みちよ、石田あゆみ、チェリッシュの松崎悦子、小柳ルミ子桜田淳子山口百恵といった日本芸能史を彩る錚々たるメンバーの中で山本リンダはラインダンスのセンターを務めているのですが、そのスタイルおよびルックスは群を抜いています。まるで、日本版ワンダーウーマンみたいです。これは非常に貴重な動画ですね。

f:id:shins2m:20210109185646j:plain

 

新型コロナウイルスですが、1都3県に緊急事態宣言が再出されるも、9日の東京都の新規感染者は2268人で3日連続で2000人を超え、埼玉、千葉、神奈川の3県をはじめ、岐阜、静岡、三重、滋賀、兵庫、長崎の9県で過去最多を更新。全国で新たに7775人という過去2番目の多さの感染が確認され、重症者は827人と最多を更新、国内のコロナ死者はついに4000人を超えました。感染は拡大し続けるし、雪はまったく降りやまないし、日本は大変な事態になっていますが、名曲「どうにもとまらない」を口ずさめば、少しは気が軽くなるかもしれません。沖縄の「なんくるないさー」にも似て、「どうにもとまらない」はシャレにならない深刻な現状をいったん客観視して、不安から逃れる呪文のような気がします。



2021年1月9日 一条真也