死を乗り越えるベーコンの言葉

f:id:shins2m:20210102125142j:plain

 

死は我々の友である。死を受け入れる用意の出来ていないものは、何かを心得ているとはいえない。
フランシス・ベーコン

 

一条真也です。
言葉は、人生をも変えうる力を持っています。
今回の名言は、フランシス・ベーコン(1561年~1626年)の言葉です。ベーコンは、イギリスの哲学者、神学者、法学者。著作『ノヴム・オルガヌム―新機関』『ニュー・アトランティス』『学問の進歩』『ベーコン随想集』など。

 

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)

ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)

  • 作者:ベーコン
  • 発売日: 1978/06/16
  • メディア: 文庫
 

 

ベーコンは、シェイクスピアとほぼ同時代人の人です。ベーコンといえば「イドラ」が有名です。人間は日常生活において多くの偏見や誤解をもって生きていると考えました。彼はこのような偏見のことを「種族のイドラ」、「洞窟のイドラ」、「市場のイドラ」、「劇場のイドラ」という4つの分類をしています。


 

 

種族のイドラ」とは人間という種族である以上存在してしまう、精神や感覚の誤り。「洞窟のイドラ」とは個人の性格や育った文化の違いから生まれる偏見。「市場のイドラ」とはコミュニケーションの中で、言葉のあやから生まれる偏見。「劇場のイドラ」とは権威のあるものや権力者の言うことが正しいと無条件に信じてしまう偏見。いずれも人間の合理的な認識を妨げる偏見であって、これらにとらわれることなく真に開かれた精神をもって事象に当らねばならない、それがベーコンの思想です。

 

随筆集 (中公クラシックス)

随筆集 (中公クラシックス)

  • 作者:ベーコン
  • 発売日: 2014/09/09
  • メディア: 単行本
 

 

「死を友と呼ぶ」彼の言葉には、非科学的で非合理的なものを積極的に理解しようとしている姿が現れているのではないでしょうか。このような生き方をしたベーコンですが、ある時、彼は鶏に雪を詰めて冷凍技術の実験をしていて、それがもとで亡くなったといいます。いかにも実験科学者ベーコンらしい亡くなり方ですね。なお、この言葉は『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)に掲載されています。

 

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

死を乗り越える名言ガイド 言葉は人生を変えうる力をもっている

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2020/05/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

2021年1月3日 一条真也拝 

初詣

一条真也です。
正月2日は、嬉しい初夢を見て、最高の寝覚めでした。内容は秘密です。この日の昼過ぎ、北九州の門司にある皇産霊神社を訪れ、初詣をしました。ここには、サンレーグループの総守護神である皇産霊大神(みむすびのおおかみ)が祀られています。

f:id:shins2m:20210102152355j:plain皇産霊神社

f:id:shins2m:20210102150805j:plain
しっかり参拝しました

f:id:shins2m:20210102150759j:plain
柏手を打って願をかけました

f:id:shins2m:20210102150716j:plain
もちろんお賽銭も入れました

 

例年は家族とともに元旦の早朝に初詣をしますが、今年は新型コロナウイルスの感染防止のために歳旦祭が初めて中止となり、初詣も延期することにしました。毎年恒例の「初日の出」「巫女舞」「獅子舞」も見ることができませんでした。今年は、東京に住んでいる2人の娘も帰省せず、寂しい正月となりました。

f:id:shins2m:20210102150905j:plain皇産霊神社の瀬津神職とともに

f:id:shins2m:20210102151924j:plain名物の「河童像」の前で

f:id:shins2m:20210102151503j:plain新名物の「聖徳太子像」の前で

 

もともと、この皇産霊神社は、こよなく太陽を愛する佐久間進会長の「北九州で朝日が一番美しい青浜に神社を建てたい」という願いがかなって1996年に建立されました。毎年、元旦には何千人もの人々がこの神社を訪れ、初日の出を拝んでいます。

f:id:shins2m:20210102151137j:plain神社境内にはたくさんの「庸軒道歌」が・・・

f:id:shins2m:20210102151146j:plain「禮宗」とは庸軒の父です!

f:id:shins2m:20210102152416j:plain
念ずれば花ひらく

f:id:shins2m:20210102152505j:plain
間島大神


境内には多くのわたしが詠んだ短歌、すなわち庸軒道歌掲示されています。ブログ「『朝日新聞』元旦朝刊に庸軒道歌が紹介されました」で紹介したように、昨年の元旦には新年早々の嬉しいサプライズがありました。あれから、もう1年が経ったとは!

f:id:shins2m:20210102150846j:plain皇産霊神社の鳥居を背に

 

鳥居の向うには、九州最北端の美しい青浜の海が広がっています。その両隣には、「お天道さま ありがとうございます」と「ご先祖さま ありがとうございます」の文字が書かれた2つの看板が飾られています。まさに、ここにはシンプルな日本人の信仰の原点があります。初詣を終えて、わたしは非常に清々しい気分になりました。やはり、日本人は初詣をしないと新しい年を迎えられませんね。

f:id:shins2m:20210102153007j:plain帰り道に見た「天使のヴェール」

 

帰り道、青浜の海の向こうに雲の切れ間から太陽光が差し込む神秘的な光景が見れました。数年前の初詣の際にも見られた光景ですが、その際に次女が「天使のヴェール」という呼び名を教えてくれました。この日にお参りした際、わたしは、いくつかのお願い事を神様にしましたが、その最大の願いは「どうか、2人の娘たちが幸せになりますように」でした。

 

2021年1月2日 一条真也拝 

おせち料理

一条真也です。
昨日の元旦、昼に実家に寄り、両親に会ってきました。今年は2人の孫娘が一緒ではないので両親は寂しそうでしたが、そこでお屠蘇を飲み、雑煮を食べ、おせち料理を食べました。おせち料理といえば、今年は5つのおせちをいただきました。

f:id:shins2m:20201231132743j:plain松柏園ホテルの四段おせち

f:id:shins2m:20201231130726j:plainマリエールオークパイン延岡の三段おせち

f:id:shins2m:20201231132529j:plain
マリエールオークパイン日田の四段おせち

f:id:shins2m:20201231130135j:plain金沢・八寿栄の二段おせち

f:id:shins2m:20201231125347j:plain
マリエールオークパイン那覇の二段おせち

北九州市小倉・松柏園ホテルおよび大分県日田市・マリエールオークパイン日田の四段おせち、マリエールオークパイン延岡の三段おせち、石川県金沢市・八寿栄のニ段おせち、そして今回初登場のマリエールオークパイン那覇の二段おせちです。沖縄にはもともと「おせち料理」の習慣はありませんでしたが、わが社が文化イノベーションとして提案させていただきました。味見などのチェックをかねて、各地のわが社の店から取り寄せました。

 

さらには、ブログ「武士の献立」で紹介した映画からもわかるように金沢は和食のメッカですが、マリエールオークパイン金沢のおせちも大変好評です。ここ数年来、和食が熱い注目を浴びています。ブログ「和食の世界遺産登録」で紹介したように松柏園ホテルマリエールオークパイン金沢は、それぞれ世界遺産登録の祝福メッセージ広告を新聞に掲載しました。


「朝日」「毎日」「読売」「西日本」新聞2013年12月6日朝刊


北國新聞」2013年12月6日朝刊

 

外食産業やコンビニ産業の発達により、今では一年中何でも揃っています。現代の日本は、非常に季節感をおぼえにくい社会となりました。でも、おせち料理を食べると、「ああ、正月だなあ」という実感が湧きます。正月とは、もともと農耕の神様である「年神さま」を各家庭に迎えて祝うもの。床の間に正月用のおめでたい掛け軸をかけ、年神さまへのおせち料理を重箱につめ、それを家族で食べるのが日本人の慣習でした。



「おせち」のルーツは、平安時代にまでさかのぼります。宮中で行われていた「御節供(おせちく)」から始まったそうです。「御節供」は、5月5日の「端午の節句」や7月7日の「七夕」などの五節句に、神前に供える料理の総称でした。やがて、節句の一番初めの正月料理を「おせち」と呼ぶようになったのです。江戸時代後期には、広く庶民が食べるようになりました。それがきっかけで、おせち料理は全国に広がっていきました。



おせち料理は、「めでたさ」を重ねるという縁起をかついで、重箱に詰めて食卓に並べられます。中でも、黒豆、数の子、田作りの3種は「三つ肴(さかな)」と言われるおせちの代表格です。それらの料理には、それぞれ意味があり、願いが込められています。黒豆は、一年中「まめ(まじめ)」に働き「まめ(健康的)」に暮らせるように。数の子はたくさんの卵から子孫繁栄を、田作りは小イワシを田の肥料にしていたことから五穀豊穣の願いが込められています。

 

他に、なますは紅白の縁起もの、ごぼうは「田夫」とかけて働き者になるように、エビは腰が曲がるまで丈夫にという長寿を、昆布巻きは「よろこぶ」の言葉にかけ、きんとんは「金団」と書き財産や富を得るものとされています。おせち料理には、わたしたちの先祖から代々受け継がれてきた「願い」や「祈り」が込められています。まさに、究極のスピリチュアル・フードですね。今年も、おせちを食べながら、「ああ、日本人で良かった」と思っています。


和を求めて』(三五館)

 

2021年1月2日 一条真也

『鬼滅の刃』にみる供養のあり方

一条真也です。
みなさま、お正月withコロナはいかがお過ごしでしょうか? 1月1日、産経新聞社の WEB「ソナエ」に連載している「一条真也の供養論」の第30回目がアップされました。今回のタイトルは、「『鬼滅の刃』にみる供養のあり方」です。 

f:id:shins2m:20201228164022j:plain「『鬼滅の刃』にみる供養のあり方」

 

あけまして、おめでとうございます。年が明けても、世間では新型コロナウィルスと『鬼滅の刃』の話題で持ちきりですね。『鬼滅の刃』とは、吾峠呼世晴氏の漫画ですが、アニメ化・映画化され大ヒットし、もはや社会現象にまでなっています。本当は、『鬼滅の刃』のように、あまりにも流行になったものはスルーしたいと思っていました。

 

しかし、インサイト代表の桶谷功氏が「このようにブームを巻き起こしているものがあったら、たとえ自分の趣味ではなかろうが、軽薄なはやりもの好きと思われようが、必ず一度は見ておくべきです。社会現象にまでなるものには、どこか優れたものがあるし、『時代の気分』に応えている何かがある。それが何なのかを考えるための練習材料に最適なのです」と述べているのを知り、「その通りだな」と思いました。実際、大当たりでした。

 

まず、この物語のテーマは、わたしが研究・実践している「グリーフケア」ではありませんか! 鬼というのは人を殺す存在であり、悲嘆(グリーフ)の源です。そもそも冒頭から、主人公の竈門炭治郎(かまどたんじろう)が家族を鬼に惨殺されるという巨大なグリーフから物語が始まります。

 

また、大切な人を鬼によって亡き者にされる「愛する人を亡くした人」が次から次に登場します。それに対して、鬼殺隊に入って鬼狩りをする一部の人々は、復讐という(負の)グリーフケアを自ら行います。しかし、鬼狩りなどできない人々がほとんどであり、彼らに対して炭治郎は「失っても、失っても、生きていくしかない」と言うのでした。強引のようではあっても、これこそグリーフケアの言葉ではないでしょうか。

 

炭治郎は、心根の優しい青年です。鬼狩りになったのも、鬼にされた妹の禰豆子(ねずこ)を人間に戻す方法を鬼から聞き出すためであり、もともと「利他」の精神に溢れています。その優しさゆえに、炭治郎は鬼の犠牲者たちを埋葬し続けます。無教育ゆえに字も知らず、埋葬も知らない仲間の伊之助が「生き物の死骸なんか埋めて、なにが楽しいんだ?」と質問しますが、炭治郎は「供養」という行為の大切さを説くのでした。

 

さらに、炭治郎は人間だけでなく、自らが倒した鬼に対しても「成仏してください」と祈ります。まるで、「敵も味方も、死ねば等しく供養すべき」という怨親平等の思想のようです。『鬼滅の刃』には、「日本一慈しい鬼退治」とのキャッチコピーがついており、さまざまなケアの姿も見られます。鬼も哀しい存在なのです。『鬼滅の刃』は、まさに現代のグリーフケア物語そのものです。“癒し”を求める現代社会がこの作品を欲しているのも大いにうなづけます。わたしは、『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)という本を書き、新年早々に刊行することになりました。ご一読をお願いいたします。

 

 

2021年1月1日 一条真也

正月withコロナ

一条真也です。
あけまして、おめでとうございます。
昨日の大晦日、東京の新たな感染者は1337人と初めて1000人の大台を超え、国内の感染者も初めて4000人を超えて4519人となり、過去最多を更新しました。こうなったら、諸悪の根源である東京五輪の中止を1日も早く決定し、緊急事態宣言も発出すべきだと考えるのは、わたしだけではありますまい。

f:id:shins2m:20181231174551j:plain
あけまして、おめでとうございます!

 

そんな中でも、おかげさまで、令和3年(2021年)を無事に迎えることができました。例年は家族とともに門司の皇産霊神社で初詣をするのですが、今年は新型コロナウイルスの感染防止のために歳旦祭が初めて中止となり、初詣も延期することにしました。今年は東京に住んでいる2人の娘も帰省せず、寂しい正月となります。

f:id:shins2m:20201231125029j:plain
わが家の玄関脇の正月飾り

 

わが家では、いつものように正月の飾りをしました。
鏡餅はもちろん、羽子板や干支にあたる丑(牛)の置物も飾りました。ずっと新型コロナウイルスに翻弄され続けてきましたが、正月を迎えると、「ああ、自分は日本人なのだ」と実感します。

 

決定版 おもてなし入門

決定版 おもてなし入門

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2015/01/31
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

拙著『決定版 おもてなし入門』(実業之日本社)にも書きましたが、正月には日本流「おもてなし」の原点があります。もともと正月というのは、年神を迎える年中行事です。古い信仰の形では、年神は祖霊神としての性格が強かったといわれています。ですから、お盆とは対の関係にあったといえます。そのあたりは、拙著『なぜ、一流の人はご先祖さまを大切にするのか?』(すばる舎)に詳しく書きました。

 

なぜ、一流の人はご先祖さまを大切にするのか?

なぜ、一流の人はご先祖さまを大切にするのか?

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2017/09/22
  • メディア: 単行本
 

 

かつての日本では盆と正月にはふるさとに帰省して、家族で過ごすということが当たり前に行われてきました。特にお盆休みが娯楽性を高める今では、正月だけが家族の絆を深める習慣と言えるでしょう。大晦日から新年を家族で迎え、年に一度、親戚が集まって会食をする。そして孫たちが祖父母からお年玉をもらうという光景が当たり前でした。今では孫たちのお年玉は振り込んでほしい、という親もいるというのですから、お年玉が単なるお金のやりとりになってしまったのは、本当に残念です。


わが家は、セコムと正月飾りのコラボで完全防衛!

 

ブログ『大人のお作法』で紹介した本で、著者である國學院大學客員教授岩下尚史氏は、「正月の本義」として、「『伝統芸能』だの『伝統文化』といった言葉がやたらと取り沙汰されるようになったのは、わたくしたちの暮らしの中で昔から伝承されてきたいろいろな型が、ついに消えてなくなってしまう前触れなのかもしれません。極端なことを言うようですが、正月だってそのうち実体がなくなるでしょうね。おそらく今の80代の人たちが絶える頃には、寺社は別としても、古風な信仰を保つ人たちを除いては、単なる1月になるだろうと、わたくしは見ています」と述べていますが、今年の正月は早くもこの予言が的中したような気がしてなりません。

f:id:shins2m:20201228132541j:plain松柏園ホテルの前で

f:id:shins2m:20201228133215j:plain
松柏園ホテルの正月飾りの前で

f:id:shins2m:20201228133005j:plain
松柏園ホテルのロビーで

f:id:shins2m:20201228132944j:plain
松柏園ホテルのロビーで

 

日本には各種の年中行事がありますが、その最たるものが正月です。年中行事は、なぜ大切か。岩下氏は「年中行事を大切にする心がけがあれば、生活に抑揚も出ます。春の宵に内裏を飾り、端午の菖蒲冑に邪気を払い、七夕の五色の糸に願いを掛け、菊の着せ綿の香も高く、名月に畑の幸を供えて福徳を祈るなど・・・・・・季節ごとの風流を手取り足取り教えれば、書物からは決して得ることのできない、しめやかな情愛が子供に沁み込むことでしょう」と述べます。

 

 

民俗学者折口信夫は、年中行事を「生活の古典」と呼び、『古事記』や『万葉集』や『源氏物語』などの「書物の古典」とともに、正月、雛祭り、七夕、盆などの「生活の古典」が日本人の心にとって必要であると喝破しました。この観点から、わたしは『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)を世に送り出しましたが、日本人の「こころの未来」のため心を込めて書きました。コロナ禍はまだまだ続くかもしれませんが、日本人が「生活の古典」を大切にする心を失わないことを願うばかりです。

f:id:shins2m:20201228132901j:plain今年も、よろしくお願いいたします!

 

2021年1月1日 一条真也

今年の私的10大ニュース!

一条真也です。
ついに大晦日になりました。新型コロナウイルスの猛威に翻弄された今年は、忘れがたい年となりました。さまざまな「今年の10大ニュース」が発表されていますが、わたしも私的10大ニュースを考えました。
それでは、第10位から行ってみましょう! 

●第10位 
前川清さんとの出会い

f:id:shins2m:20200807074348j:plain初対面から意気投合しました!

 

詳しくは、こちらをクリックして下さい

 

●第9位 
『死を乗り越える読書ガイド』出版

f:id:shins2m:20201223203303j:plain死を乗り越える読書ガイド』(現代書林)

 

詳しくは、こちらをクリックして下さい。 

 

●第8位 
『死を乗り越える名言ガイド』出版

f:id:shins2m:20201223203342j:plain死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)

 

詳しくは、こちらをクリックして下さい

 

●第7位
『満月交心 』出版
 ムーンサルトレター集5冊目に!

f:id:shins2m:20201223203417j:plain満月交心  ムーンサルトレター』(現代書林)

詳しくは、こちらをクリックして下さい。 

 

●第6位 初の講義ビデオ収録

f:id:shins2m:20200908142530j:plain九州国際大学の特別講義収録のようす

 

詳しくは、こちらをクリックして下さい

 

●第5位 初のオンライン講義

f:id:shins2m:20201111185849j:plain上智大学のオンライン特別講義のようす

 

詳しくは、こちらをクリックして下さい

 

●第4位 
ハートフル・スタンプ発売!

f:id:shins2m:20201223203907j:plain一条真也のハートフル・スタンプ

 

詳しくは、こちらをクリックして下さい。 

 

●第3位 
オフィシャル・サイトリニューアル

f:id:shins2m:20201020215617j:plain新オフィシャルサイト のTOP画面

 

詳しくは、こちらをクリックして下さい

 

●第2位 
『心ゆたかな社会』出版
 一条本が100冊に!

f:id:shins2m:20200604103154j:plain心ゆたかな社会』を上梓!

f:id:shins2m:20201223204106j:plain毎日新聞」2020年7月6日朝刊 

 

詳しくは、こちらをクリックして下さい

 

●第1位 
『「鬼滅の刃」に学ぶ』執筆

f:id:shins2m:20210129202828j:plain全集中の呼吸で書きました!

f:id:shins2m:20201223204200j:plain近刊『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)

 

詳しくは、こちらをクリックして下さい

 

もっとも、この10大ニュースは、あくまでも作家・一条真也にとってのランキングであり、経営者・佐久間庸和としては、グリーフケア資格認定制度発会式の開催とか、福岡市進出、そしてコロナ禍での黒字確保などが上位に入ります。ここ数年、上梓した著書の数が以前に比べると少ないです。これは、一昨年から一般社団法人 全日本冠婚葬祭互助協会(全互協)の副会長に就任、昨年からグリーフケアPTの座長、今年から一般財団法人 冠婚葬祭文化振興財団の副理事長にも就任して、さらに多忙になったこともあり、自ら執筆活動を控えた結果です。


2015年に出版された「一条本
2016年に出版された「一条本
2017年に出版された「一条本

f:id:shins2m:20191231111638j:plain2018年に出版された「一条本

f:id:shins2m:20191222005447j:plain2019年に出版された「一条本」+α

f:id:shins2m:20201224102716j:plain2020年に出版された「一条本

 

しかしながら、今年は一条本がついに100冊になりましたし、年末は『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)を約20日間で書き上げました。同書は新年早々に発売されますが、わたしの新たな代表作になるような気がします。また来年には、儒教研究の第一人者である中国哲学者の加地伸行先生との対談本、125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」に連載中の「ハートフル・ブックス」150本分をまとめた『心ゆたかな読書』、さらにはサンレー創立55周年記念出版である『アンビショナリー・カンパニー』などの上梓も予定されています。来年も、「天下布礼」のために全集中の呼吸で頑張りますので、よろしくお願いいたします。
それでは、みなさま、良いお年をお迎え下さい!

 

2020年12月31日 一条真也

「ソウルフル・ワールド」

一条真也です。
ついに大晦日になりました。九州でも雪が積もっていますが、北陸では記録的大雪とのことで、おせち料理の配送を心配しています。ブログ「一条賞(映画篇)発表!」を30日の正午にUPしましたが、その直後に、ディズニー&ピクサー新作のアニメ映画「ソウルフル・ワールド」を観ました。今年最後の映画鑑賞は配信作品でしたが、素晴らしい感動の名作で、わたしの世界観にパーフェクトにマッチしました!



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「[配信作品]生まれる前にどんな人間になるかを決める『魂(ソウル)の世界』をテーマにした、ディズニー&ピクサーによるアニメ。青くかわいらしい姿をした『ソウル』たちが存在する世界に迷い込んだ音楽教師が、自分のやりたいことを見つけられずにいるソウルに出会う。監督は『モンスターズ・インク』や『インサイド・ヘッド』などのピート・ドクター。共同監督をドラマシリーズ『スター・トレックディスカバリー』の脚本に携わったケンプ・パワーズが務める」

f:id:shins2m:20201230150854j:plain

 

ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「ジャズピアニストになることを夢見る音楽教師のジョーに、ニューヨークのジャズクラブで演奏するチャンスが巡ってくる。しかし喜びもつかの間、彼はマンホールに落ちてしまう。そこには青くかわいい姿の魂(ソウル)たちの世界が広がり、人間として生まれる前にどんな自分になるかを決めていた。夢を追い続けるジョーがそこで出会ったのは、自分がどのようになりたいかを決められない『ソウルの22番』だった」



この映画、じつはノーマークだったのですが、「映画を愛する美女」こと映画ブロガーのアキさんが教えてくれました。なんでも、映画評論家の町山智浩氏がツイッターで「世界中の人に観てほしい映画ですね」「今年観た映画のベストワンです」と大絶賛しているとか。町山さんといえば、わたしが最もリスペクトするシネフィルですので、「これは観なければ!」と思ったものの、劇場上映作品ではなく、ディズニープラスのサイトでしか観れないとのこと。迷わず、アキさんに従ってディズニープラスに加入しました。それにしても、「ソウルフル・ワールド」なんて、タイトルからして、わたしの好みではありませんか!



その「ソウルフル・ワールド」をわが書斎で観終わった印象は、ブログ「インサイド・ヘッド」ブログ「リメンバー・ミー」で紹介したディズニー&ピクサーによる両アニメ作品をミックスしたような印象でした。2015年にアメリカで公開された「インサイド・ヘッド」は、第88回アカデミー長編アニメ映画賞を受賞。11歳の少女の頭の中を舞台に、喜び、怒り、嫌悪、恐れ、悲しみといった感情がそれぞれキャラクターとなり、物語を繰り広げます。田舎から都会への引っ越しで環境が変化した少女の頭の中で起こる、感情を表すキャラクターたちの混乱やぶつかり合いなどを描いています。「ソウルフル・ワールド」のソウルたちの造形は、「インサイド・ヘッド」に登場する感情たちの姿によく似ていました。



2017年にアメリカで公開された「リメンバー・ミー」は、第90回アカデミー長編アニメ映画賞を受賞しています。また、2018年の一条賞(映画篇)の大賞に輝いた作品でもあります。1年に1度だけ他界した家族と再会できるとされる祝祭をテーマにした作品で、死者の国に足を踏み入れた少年が、笑いと感動の冒険を繰り広げます。テーマパークのような死者の国の描写、祖先や家族を尊ぶ物語に引き込まれる名作でした。「魂」と「音楽」がテーマというのは、まさに「ソウルフル・ワールド」と同じですが、「リメンバー・ミー」の舞台が死後の世界であるのに対して、「ソウルフル・ワールド」のそれは生まれる前の世界ということになっています。

 

 

「ソウルフル・ワールド」の主人公ジョー・ガードナーがゾーンに没入して奏でるピアノの音色は素晴らしいです。ピアノですから、もちろん音楽なのですが、彼の演奏は絵画的でもあります。わたしは、大好きな絵本作家エリック・カールの絵本『うたがみえる、きこえるよ』を連想しました。黒い服を着たバイオリニストが登場して演奏するだけの物語なのですが、バイオリニストの最初のセリフ以外は、全く文字がありません。イラストのみの絵本です。まさにエリック・カールのコラージュの傑作であり、そのコラージュの色使いは、彼の最高傑作とも言われています。



『うたがみえる、きこえるよ』のバイオリニストの奏でた音は、やがて色となりはじけて、月と太陽が生まれます。月と太陽は海に溶け合い、さまざまな生物が生まれます。まるで天地創造ですが、深い海はやがて少女となり、少女の涙は、土に命の恵みを与え、そこから根が張り、芽が息吹きます。やがて芽は成長し、大きな花をつけて花から飛び散った花びらは、また色となり、バイオリン奏者の奏でる音となり、バイオリンに吸い込まれていきます。楽器を演奏するという営みがいかに神話的な行為であるかを見事に表現しています。わたしはアニメーション化された『うたがみえる、きこえるよ』のビデオを2人の娘たちが幼い頃によく一緒に観ました。2人とも成人した今となっては、なつかしい思い出です。



そんな『うたがみえる、きこえるよ』のバイオリニストに通じるものを、「ソウルフル・ワールド」のジョー・ガードナーは持っています。つまり、バイオリンにピアノと楽器は違えど、彼らの演奏は聴く者の魂(ソウル)に響くのです。ジョーの音楽はジャズです。ブログ「真夏の夜のジャズ」で紹介した映画を観て以来、わたしもジャズの魅力を再認識しました。ジャズは、19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ合衆国南部の都市を中心に派生した音楽ジャンルです。 西洋楽器を用いた高度なヨーロッパ音楽の技術と理論、およびアフリカ系アメリカ人の独特のリズム感覚と民俗音楽とが融合して生まれました。初期から白人ミュージシャンも深く関わり、黒人音楽であると同時に人種混合音楽でもありました。演奏技法なども急速に発展し、20世紀後半には世界の多くの国々でジャズが演奏されるようになり、後のポピュラー音楽に多大な影響を及ぼしました。つまり、ジャズという音楽ジャンルは黒人と白人が平和的コラボレーションを展開して発展させてきたジャンルなのです。

ハートフル・ソサエティ』(三五館)

 

ジャズもそうですが、「音楽」というものを発明した人類は、つくづく偉大であると思います。拙著『ハートフル・ソサエティ』(三五館)の「哲学・芸術・宗教の時代」にも書きましたが、人類が最初に発明した芸術とは、おそらく音楽であったとされています。人類がこの地球上に誕生してから現在に至るまで、人間が追い求めてきたものは「私とはいったい何者か」という自己の存在確認と意味の追求だったということができます。そして、それは近代文明の発達とともに「私の幸福とはいったい何か」という自己の存在の目的を追求することに少しずつ変わっていったのです。有史以前の音楽には、豊かな意味性があったといいます。自分たちの集落の音楽と他の集落の音楽を区別して、戦闘のときにそれを自分たちの戦意を鼓舞するために使いました。あるいは、誕生の祝いの歌、死者を弔う歌というふうに、目的に合わせて音楽に意味を持たせていたのでしょう。

 

青い鳥 (新潮文庫)

青い鳥 (新潮文庫)

 

 

いま、「私とはいったい何者か」と書きましたが、「ソウルフル・ワールド」というアニメ映画でも、まだこの世に生まれていないソウルたちが「私とはいったい何者か」ということを問われます。それは「どのような人間として生きるか」ということにつながります。わたしは、かわいいソウルたちの姿を見ながら、メーテルリンクの『青い鳥』に出てくる「未来の国」を思い浮かべました。チルチルとミチルが最後に訪れる国ですが、ここでは、これから将来生まれてくる子どもたちが出番を待っています。彼らは、人間が長生きするための妙薬を33種類も発明するとか、誰も知らない光を発見するとか、羽がなくても鳥のように飛べる機械を発見するとか、とにかく人類のために何か役立ちたいという大きな志を抱いています。「未来の国」では、運命の支配者である「時」のおじいさんも登場します。「時」のおじいさんは、「子どもたちの生まれる時は運命によって決まっており、それを変えることはできない」と言います。

涙は世界で一番小さな海』(三五館)

 

また、「時」のおじいさんは「人間は地上に生まれるとき、たとえ発明などではなく、罪でも病気でもよいから何か1つは土産を持っていかなければならない」とも言います。これは人間の使命というものについて考えさせてくれます。そして、「未来の国」の子どもたちは、将来の自分たちの両親についてよく知っていました。赤ちゃんは生まれる前に、お母さんと約束して、今度の人生ではどういった使命を果たすのかを心に決めているというのです。でも、彼らが地球に到着した時点で、宇宙はその記憶を消してします。ごくたまに、記憶が残っている子どもが存在する。そのような考えが『青い鳥』に描かれています。神秘学や心霊主義にも詳しかったメーテルリンクは、そのような思想をどこかで学んだのかもしれません。わたしも、拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)で紹介しました。

 

 

さて、「私とはいったい何者か」という問いは、「この地上において、私は他人からどのような人間と認識されたいのか」という問いでもあります。そして、それは、経営学ピーター・ドラッカーがよく語ったことでした。ドラッカーは「自己実現」の大切さを強調してきました。そして、そのための「自己刷新」や「自己啓発」の大切さを説きました。わたしは、よく講演などで若いビジネスピープルに「自己刷新」という考え方を伝えています。ドラッカーによれば、人間は何をもって後世の人々に記憶されたいかを常に自問しなければなりません。著書『非営利組織の経営』(ダイヤモンド社)で、ドラッカーは「私が13歳のとき、宗教の先生が生徒1人ひとりに『何によって人に憶えられたいかね』と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこう言った。『いま答えられるとは思わない。でも、50歳になって答えられないと問題だよ。人生を無駄に過ごしたことになるからね』」(上田惇生訳)と述べています。

ドラッカー思考』(フォレスト出版

 

何によって人に憶えられたいか。若い頃に誰かにそう問いかけられた人は運のよい人です。そして、その問いを自らに問いかけ続けていけば、自然と人生が実りあるものになるとドラッカーは述べています。拙著『ドラッカー思考』(フォレスト出版)で、わたしは読者に問いかけました。「あなたは、何によって憶えられたいですか」と。やり手の営業スタッフでしょうか。凄腕のマーケッターでしょうか。優秀な経理スタッフでしょうか。はたまた、多くのお客様から愛される接客スタッフでしょうか。その職種や内容は関係ありません。何でもいいのです。大切なのは、あなたが何をめざし、その目標に向かって自己刷新の努力を続けてゆくことなのです。

 

 

また、生まれる前の世界のソウルたちには「何のために生きるのか」という最大のテーマがあります。人間の生きがいとは何でしょうか。それについて、英文学者であり「現代の賢者」と呼ばれた故・渡部昇一氏が、著書『「人間らしさ」の構造』(講談社学術文庫)の中で1つの例をあげています。ここに1個のどんぐりがあるとします。そのどんぐりにとっての生きがい、つまり本望は何でしょうか。それはコロコロと転がって池に落ち、そこでドジョウに見守られながら腐ってしまうことではないでしょう。また石の上に落ちて乾上がってしまうことでも、鳥か何かに食べられてしまうことでもないでしょう。どんぐりの生きがいは、しかるべく豊穣な地面に落ちて、亭亭たる樫の木になることでしょう。

 

完全なる人間 [第2版]:魂のめざすもの

完全なる人間 [第2版]:魂のめざすもの

 

 

どんぐりを割って、いくら顕微鏡で調べてみても、そのなかに樫の木の原形は見えません。しかし、しかるべき条件に置かれれば、やがて芽が出て、何十年後には大きな樫の木になるのです。つまり、どんぐりの中には樫の木になる性質が潜在していると言えます。エイブラハム・マズローなどの心理学者が、「自己実現」という言葉を唱えました。どんぐりが樫の木になるのも自己実現であるし、受精卵が人間になるのも自己実現です。どんぐりも可能性のかたまりですし、受精卵も可能性のかたまりです。あなたも、自分の可能性を展開しているときに生きがいを感じるのです。つまり、自己実現は生きがいそのものといってよいのです。



また、地上の人間の世界とは「社会」と呼ばれます。そこで生きていくには「ミッション」というものが非常に重要です。もともとキリスト教の布教を任務として外国に派遣される人々を意味する言葉でしたが、現在はより一般的に、何らかの任務を担って派遣される使節団やそうした任務のもの、あるいは「社会的使命」を意味するようになってきています。ミッションというものを知れば、「私がここにいる理由」がわかるでしょう。よくいわれる「ミッション経営」とは、社会について考えながら仕事をすることであると同時に、顧客のための仕事を通して社会に貢献することです。すなわち、顧客の背後には社会があるという意識を持つということです。

孔子とドラッカー新装版』(三五館)

 

個人においても、使命感というものが大切です。日本における帝王学の第一人者で陽明学者の安岡正篤によれば、自分を知り、自力を尽くすほど難しいことはないそうです。自分がどういう素質能力を天からあたえられているか、それを称して「命」と呼びます。それを知るのが、命を知る「知命」です。知って、それを発揮していく、すなわち自分を尽くすことを「立命」といいます。『論語』の最後には、「命を知らねば君子でない」と書いてありますが、これはいかにも厳しく正しい言葉です。自分の素質能力を発揮できないとしても、せめて自分の素質能力を知らなければ立派な人間ではないというのです。ドラッカーは「仕事に価値を与えよ」と述べましたが、これはとりもなおさず、その仕事の持つ「ミッション」に気づくということにほかなりません。



そして、「ソウルフル・ワールド」では、“メンター”であるジョーと“ソウル”である22番との間で「人生の目的」についての興味深い会話が交わされます。地上に生まれ落ちることを数千年ものあいだ頑なに拒んできた22番は、これまで、アルキメデスコペルニクスマリー・アントワネットリンカーンガンジーマザー・テレサカール・ユングジョージ・オーウェルモハメド・アリといった人類史を飾る超有名人たちの霊をメンターとしてきました。彼らは必死に「地上で人間として生まれるように」と22番を説得しますが、それでも22番は拒み続けます。しかし、あるアクシデントからジョーの肉体に入り込んでしまった22番は、「肉体を持って生きることも悪くない」と思うのです。


ジョーの肉体に入った22番が、間違って猫に入り込んでしまったジョーの霊に対して「きらめき」という言葉を使います。それは「人生の目的」というものに直結するキーワードでしたが、「それは君にとって何?」と問うジョーに対して、22番は「歩くことかな」と答えます。数千年もの長いあいだ肉体を持たなかった22番にとって、ジョーの肉体を得て2本の足で地上を歩くことは想定外の幸福感を与えてくれるものだったのです。しかし、ジョーは「そんなの人生をかけるようなことじゃない。ただの生活だよ」との否定的な言葉を吐き捨てるのでした。最後は、ジョーは自分の言葉が間違っていたことを知ることになるのですが・・・・・・。

ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー

 

わたしは、22番が語った「きらめき」という言葉は、まさに「ハートフル」という言葉の同義語であると思いました。当ブログの読者の方の多くはご存じかと思いますが、「ハートフル」は『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)に始まる一連の拙著のタイトルにも入っている、わたしの考え方が集約された代名詞的キーワードです。人は感動する事によってハートフルになれます。天にも昇るような、おいしいものを食べてハートフルになったり、魂を揺り動かすような音楽を聴いて、映画を観て、テーマパークで遊んで、ハートフルになったりします。素晴らしい自然に触れたり、スポーツで汗を流したりするうちにハートフルになることもあります。また、結婚式という人生で最も輝いたセレモニーにおいてハートフルになる人も多いでしょう。

f:id:shins2m:20200516165530j:plain心ゆたかな社会』(現代書林)

 

「ソウルフル・ワールド」には、数々のハートフルな場面が登場します。それは、音楽の演奏で感動する。髪を切って爽快な気分になる。自転車で風を切る。美味しいピザを食べる。陽だまりの心地よさや紅葉の美しさを噛みしめる。そして、背筋を伸ばして颯爽と歩く・・・・・。みんな幸せな気分になる行為です。人間は、幸福になるためにこの世に生まれてきているという真実が、ここで明らかになります。天上のソウルフルから地上のハートフルへ。そう、ソウルフル・ワールドはハートフル・ソサエティに通じていたのです。映画「ソウルフル・ワールド」のメッセージとは、「世界中の人間たちよ、コロナ禍を超えて、心ゆたかな社会を生きよ!」ではないでしょうか。わたしには、そう思えてなりません。前代未聞の1年の最後の最後に、自分の考えにぴったりと合う映画を観ることができて、わたしはハートフルになれました!

f:id:shins2m:20201231135856j:plainこの記事、多くの人に読まれてます!

 

2020年12月31日 一条真也