『「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』

 

Think CIVILITY(シンク シビリティ) 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である

 

一条真也です。
『「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』クリスティーン・ポラス著、夏目大訳(東洋経済)を読みました。著者は、ジョージタウン大学マクドノー・スクール・オブ・ビジネス准教授。活気ある職場を作ることを目的とし、グーグル、ピクサー国際連合世界銀行国際通貨基金、米労働省財務省・司法省・国家安全保障局などで講演やコンサルティング活動を行っています。その仕事は、CNN、BBC、NBC、MSNBC,CBS、ABC、「タイム」「ウォール・ストリート・ジャーナル」「フィナンシャル・タイムズ」「フォーブス」「フォーチュン」「ニューヨーク・タイムズ」「ワシントン・ポスト」など、世界中のテレビ、ラジオ、紙メディアで取り上げられているとか。ノースカロライナ大学チャペルヒル校ケナン=フラグラー・ビジネス・スクールで博士号取得。博士号取得以前は、スポーツ・マネジメントとマーケティングを行う大手企業IMGに勤務。

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本書のオリジナルの帯 

 

本書の帯には「じわじわ10万部」「共感の声、続々!」「上司、部下、家族 あなたのそばにもきっといる無礼な人」と書かれていますが、オリジナルの帯には「一流のエリートほど、なぜ、不機嫌にならないのか?」と大書され、「ビジネスに効く! 人間関係も良くなる!」「社内『処世術』の秘訣」「礼節メールの極意」「危険人物の見抜き方」「怒りを鎮めるコツ」「『職場の無礼さ』の研究、20年の集大成!」「全米で話題『礼節の科学』、日本初上陸!」と書かれています。

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アマゾンの「内容紹介」には、「ビジネスでも、人間関係でも、最強の武器になる礼節の力を徹底解説!」「《こんな職場から抜け出したい人必読。あなたもあなたの周りもきっと変わります!》として、こう書かれています。

■些細なことで怒鳴ってくる、上司がいる

■部下が言うことを聞いてくれない

■アルバイトがまじめに働かない

■社長や経営陣が独善的すぎる

■お客さんが横暴なことを言ってくる

■成果を出しても、なかなか出世できない

■ストレスをついつい溜め込み過ぎてしまう

■仕事につながる人脈が築けない

 

また、《世界中から、絶賛の声が続々!》として、以下のように紹介されています。「まさに最高のタイミングで書かれた最高の本だ。すべての人にとっての必読書」―ダニエル・H・ピンク(『モチベーション3.0』著者)
「読んでいて引き込まれる。ちょっとした言動が、いかに人間関係全体に大きな影響を及ぼすかがわかる」―ラズロ・ボック(『ワーク・ルールズ!』著者)
「これほど質が高く、有用で、しかも心に強く訴えかけてくるビジネス書は、ここ何年か読んだことがない」―ロバート・I・サットン(『あなたの職場のイヤな奴』著者)
「読めば、きっと現状を打破し、自信を持って前に進むための助けとなる」―パブリッシャーズ・ウィークリー

 

さらに、《誰でもできる!仕事で成果を出すための戦略をエビデンスに基づき紹介!》として、こう書かれています。

■なぜ、本当にできる人は礼節を重んじるのか

■あなたの礼節をチェックするリスト

■礼節を高めるための方法とは

■まわりの礼節を高めてチームで成果をだす方法とは

■あのマイケル・ジョーダンが大切にする2つの言葉

■世界最高の職場、グーグルが取り組むプログラム

■会社に損害を与える無礼な人の4つの対策不法とは

■「成功の自覚」があなたを強くする

■即レスが正しいとは限らない!生産性を下げるメールとは

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

はじめに「礼節は最強の武器になる」

第1部 なぜ礼節ある人は
      得をするのか

第1章 無礼な人が増えた根本理由

第2章 無礼な人がもたらす5つの費用

第3章 礼節がもたらす5つのメリット

第4章 無礼は無礼を生み、礼節は礼節を生む

第2部 あなたの礼節を
        高めるメソッド

第5章 あなたの礼節をチェックしよう

第6章 礼節ある人が守る3つの原則

第7章 無意識の偏見を取り除こう

第8章 ワンランク上の礼節を身に付けるための5つの心得

第9章 礼節あるメールの作法を身に付ける

第3部 礼節ある会社になる
        4つのステップ

第10章 礼節ある人を見極める採用システムを作る

第11章 礼節を高めるコーチングを取り入れる

第12章 誤った評価システムを改善する

第13章 無礼な社員とどう向き合うか

第4部 無礼な人に狙われる
         場合の対処法

第14章 無礼な人から身を守る方法

おわりに「あなたはどういう人間になりたいか」

「謝辞」

 

はじめに「礼節は最強の武器になる」では、「無礼な職場では、半分の人がわざと手を抜く」として、著者は、自分でもそんな経験をしたし、愛する父が長年にわたって、無礼な上司に苦しめられる姿を見たこともあって、「職場の無礼」を研究することに人生を捧げることを決めたと述べます。そこで働く人が気持ち良く仕事をして大きな成果を出せるような、明るい職場や企業文化を作る手伝いがしたいと思ったからだそうです。そのためにはまず「無礼な態度がいかに大きな害をもたらすか」を多くの人に理解してもらう必要があり、著者は「無礼な態度の横行する会社が、そうでない会社に比べ、どのくらいの金銭的損失を被っているのかを確かめることにした。具体的な数字を企業の経営者たちに示せば、理解してもらいやすいと考えたのだ」と述べています。

 

また、「礼節は自分も人も幸せにする」として、著者は「他人に無礼な態度を取ると、結局、自分が大きな損をするとわかっている人は多い。でも逆に、礼儀正しく節度ある態度で周囲に接すると自分にも良いことがあるとわかっている人は意外に少ない。それに、礼節は努力次第で高められると理解している人も少ない。だからこの本を読むことは、きっとあなたと職場の礼節を高める助けになるはずだ。この本は、あなた、そしてあなたが働く職場の礼節を高める方法を解説した、実用的なガイドブックだ」と述べています。

 

第1部「なぜ礼節ある人は得をするのか」の第1章「無礼な人が増えた根本理由」では、「礼節が悪化し続ける本当の理由とは」として、著者が考えた理由を挙げています。そもそもなぜ、礼節は悪化し続けているのだろうか。その理由として最初に考えられるのは、グローバリゼーションです。著者は、「文化の違う人たちが同じ場所にいるために、ある人が何の気なしに言ったこと、したことが、別の人には無礼と感じられる、そういうことはあるかもしれない」と述べます。

 

次に、テクノロジーの進歩が考えられます。著者は、「電子通信機器は、私たちを驚くようなかたちで結びつけてくれることがある。ただ、その一方で、コミュニケーションに際しては、誤解や欠落が生じやすい。また、コンピュータの上だと、たまったストレスを吐き出すように、普段なら考えられない暴言を吐く人もいる。距離があるから大丈夫だと思うのか、平気で他人を侮辱し、罵倒する人も少なくない。コンピュータで他人と関わることが増えすぎたために、もはや面と向かって接する方法がわからなくなっている人もいる。他人も自分と同じく、感情を持った生身の人間だということをつい忘れがちになる」と述べています。

 

そして、著者は「原因はグローバリゼーションなのか、あるいは世代間ギャップや、職場環境や人間関係の変化、テクノロジーの進歩なのか、それは明確ではないが、ともかく現代の私たちが、自分にばかり目を向け他人にはあまり目を向けないというのは事実だ。そのせいで、他人の扱いが無礼なものになってしまい、結果として皆に害をもたらしているわけだ」と述べるのでした。

 

第2章「無礼な人がもたらす5つの費用」では、「無礼な人は同僚の健康を害する」として、著者は「勤務時間の長さ、仕事の負荷、与えられている権限、裁量の大きさなどは、直接、寿命の長さには影響していなかった。重要だったのは、ともに働く人たちの態度が協力的、友好的かどうかだった。また、職場に友好的でない人がいると、死亡リスクが高まることもわかった。たとえば、中年と呼べる年齢の会社員の場合、同僚が友好的でない人は、友好的な人に比べ調査期間だけで約2.4倍の人数が死亡している」と述べます。

 

また、「無礼な人は会社に損害をもたらす」として、「ひどい叱責を受けた原因が本人の能力不足にあったとしても、また重大なルール違反(障害者用のスペースに車を停める、など)にあったとしても、それはまったく無関係で、ともかく中の誰かが誰かをひどく叱責するだけで、その企業に対する印象は極端に悪化する。事情はどうであれ、無礼な態度を見てしまうと、顧客はその企業に悪い印象を抱くことになる。態度の悪い人を目にしてしまうと、自分の体験が損なわれるからではないか、と私たちは考えた。たとえば、あなたが高級レストランに食事に行ったとする。その場であなたが何より見たくないのは、誰かが粗末に扱われている場面ではないだろうか。たとえ閉じられた扉の向こうだろうと、誰かがひどい言葉で叱責されるのは、顧客にとって気分の良いものではない」と書かれています。

 

さらに、「無礼な人はまわりを攻撃的にする」として、無礼な態度を取られると、人の心はジェットコースターに乗り恐怖を味わった時のようなストレスにさらされることを指摘し、著者は「ストレスは認知能力の低下を招く。そして時に身体の健康までも損なうことがある。理不尽な扱いを受けると、その前とは別人になってしまうとも言える。持っているはずの力を発揮できなくなる。無礼な態度を軽く見てはいけない。ほんのちょっとした言葉、態度が重大な影響をおよぼすことがある。しかも、特定の個人だけでなく、組織全体に影響がおよぶことも多い。この問題についてそろそろ真剣に考えるべき時だと私は考えている。たいしたことはない、と甘く見て放置していると、いつか取り返しのつかない事態になってしまう恐れもある」と訴えます。

 

第3章「礼節がもたらす5つのメリット」では、著者は「礼節ある言動とは、つまり相手を丁重に扱う言動ということだが、必ず心から相手を尊重する気持ちがないとうまくはいかない。見返りに相手から何かを得よう、自分の属する企業の利益につなげようという気持ちが背後にあると、いくら相手を丁重に扱ったところで意味がなくなってしまう」と述べています。

 

マキャベリは「人を従わせようと望む者は、命令の仕方を知る必要がある」「愛されるよりも恐れられる方がはるかに安全だ」と言いました。著者がこれまでに会ったリーダーたちのほとんどはマキャベリの意見に賛成で、礼節が大切だとする私の意見には明確に懐疑的な姿勢を示したそうですが、これについて、著者は「もし自分が一歩踏み出して、皆を丁重に扱ったら、自分の権威をもはや尊重しなくなるのではないかと恐れたのだ。彼らはとにかく厳しく、粗雑な態度、傲慢な態度を取り、自分を遠い存在に感じさせるべきだと信じていた。少し無礼なくらいの方がビジネスの世界では出世できると考えていたのだ。私の実施したアンケート調査では、回答者の40パーセント近くが、仕事の場で下の人間に優しく接したら、それにつけ込まれるのではと恐れていた。そして、半数近くが、自分を誇示するのが言うことをきかせる最良の方法だと考えているとわかった」と分析しています。

 

ここで【個人編】として、著者は「礼節ある人が得られる3つのメリット」として、礼節ある人は出世が早く、仕事で業績をあげる可能性が高いことを指摘し、1つめのメリットとして「仕事が得やすい」ことを挙げます。礼節ある人には「声がかかりやすい」のです。職場での人間関係について1万人以上を対象に行われたアンケート調査では「協力を頼む同僚を選ぶ時は、自らに『この人と働くと楽しいだろうか』と問いかける人の方が、『この人は、手伝ってもらう仕事に詳しいだろうか』と問いかける人よりも多い」という結果が出たそうです。この結果について、著者は「他人に優しく接している人、気分の良い接し方をしている人の方が、声がかかりやすいということだ。人に何かを頼まれる機会が多ければ、能力を証明する機会も多くなるし、良い評判も広まりやすくなる。そしてますます、選ばれる機会が増えていく。こうして、『能力はあるけれど無礼な人』との差は時間が経つごとに開いていく」と分析します。

 

2つめのメリットは「幅広い人脈が築ける」で、著者は「礼節ある人はそうではない人よりも、たやすく大きな人的ネットワークを築くことができる。ネットワークが大きくなればそこに有能な人が含まれている可能性も高まるだろう。ソーシャルメディアなども発達した現代では、自ら積極的、活発に動き回って大規模な人的ネットワークを築こうとする人も多い。ただし、熱心なだけではネットワークはなかなか広がらない。それに加えて、その人に礼節がなければ周囲に人は集まってこないだろう。コンピュータのネットワークでの人間関係においても、礼節が重要な意味を持つと感じている人は多い」と述べています。

 

そして3つめのメリットは「出世の可能性が高まる」です。「無礼な態度は、成果をあげる足枷になる」として、著者は「礼節ある態度とはたとえば、人に感謝する、人の話をよく聞く、わからないことは謙虚に人に尋ねる、他人の良さを認める、成果を独り占めせずに分かち合う、笑顔を絶やさない、といったことを指す。こうした態度は業績の向上にも役立つ。反対に、無礼な態度は、仕事で成果をあげる上で足枷になってしまう」と述べています。

 

グーグルでは、社内の180のチームを対象にした調査を行いましたが、その結果、チームのメンバーが誰かよりも、メンバーどうしがどう関わり合うか、メンバーがともにどう仕事を進めていくか、また各メンバーが互いの貢献を正しく評価できるかといったことが重要だということがわかったそうです。メンバーの安心感が強いほど、他のチームメートのアイデアを積極的に取り入れますし、グーグルを離れる可能性も少なくなります。安心している従業員は会社により多くの利益をもたらすし、上層部からの評価も約2倍高くなるというのです。

 

第4章「無礼は無礼を生み、礼節は礼節を生む」では、「礼儀作法が一度、崩れてしまえば、もはや人間が優しさや慎みを取り戻す見込みはほとんどなくなってしまう」というサミュエル・ジョンソンの言葉が紹介されています。著者は、「誰かに無礼な態度を取ること、取られることを、『自己完結的』な体験だと思っている人は多い。直接、やりとりをした当事者どうしで完結することだと思っている人が多いのだ。だが、実際には、無礼さはウイルスのように人から人へと伝染していく。その後、関わった人たちすべてに悪影響を与え、人生を悪い方に導くことになる」と述べています。

 

また、無礼さは脳に焼き付くものですが、「忘れられない悪影響が残る」として、著者は「脳の中で感情に大きく関わるのが『扁桃体』というアーモンド形の小さな部位であることはかなり以前からよく知られている。たとえば、いつも上司のオフィスのすぐそばで仕事をしている会社員がいたとする。上司のオフィスからは、誰かに無礼な態度で接している声が頻繁に聞こえてくる。扁桃体がはたらくのはそういう時だ。その声を聞いた時、扁桃体は良くない感情を生み出し、それは脳内に広まってしまう。しばらくすると、上司のオフィスのドアを見るだけで、負の感情が起きるようになるだろう」と述べています。

 

続けて、著者は以下のようにも述べています。
「無礼な態度に触れてしまうと、その後は、少しのきっかけでその時の感情が蘇ってしまうのだ。無礼な態度を取った本人が隔離されたあとも、それは続く。隔離しても問題がすべて解決するわけではない。人間の心は些細な出来事で傷ついてしまう。たとえば、誰かに悪口を言われる、大勢の前で自分の能力を否定される、といったことがあると、言った本人に悪気はなくても、傷跡は残るし、仕事にも悪影響がある。幸福感も低下してしまう」

 

著者いわく、無礼さだけでなく礼節の伝染力も強いそうで、「今日から始める「10/5ウェイ」として、「ルイジアナ州の大病院、オクスナ―・ヘルス・システムでは、礼儀正しい態度の影響力を重要視し、それを最大限に活かすために病院公式の『ガイドライン』を策定した。『10/5ウェイ』と名づけられたこのガイドラインでは、誰かと10フィート(約3メートル)以内に近づいたら目を合わせ、微笑みかけること、5フィート(約1.5メートル)以内に近づいたら『こんにちは』声をかけることが定められた。このガイドラインが実際に運用され始めると、病院内にはすぐに礼儀正しい態度が広まった。患者の満足度も向上し、『この病院がいい』いう推薦を受けて来る患者も増えた」という事例を紹介しています。

 

第2部「あなたの礼節を高めるメソッド」の第6章「礼節ある人が守る3つの原則」では、「些細なふるまいがなぜ大事なのか」として、著者は「これまでに、人間の200種類を超える行動特性が調査の対象となっている。その中でも特に重要だとわかったのが、『温かさ』と『有能さ』の2つだ。この2つが、他人に与える印象を大きく左右する。この2つがほぼすべてと言ってもいい。良い印象にしろ、悪い印象にしろ、この2つでその90パーセントが決まってしまうからだ。あなたが誰かに『温かい』『有能』という印象を与えることができれば、その人はあなたを信頼する可能性が高い。あなたを信頼してくれた人とは良好な人間関係を築くことができる。その人はあなたが何かをする時に、おそらくそれを支持し、応援してくれる。ただ、ひとつ注意しなくてはいけないことがある。『温かさ』と『有能さ』は相反する特性と思われがちだということだ」と述べています。

 

第7章「無意識の偏見を取り除こう」では、無意識の偏見を鎮める方法について言及されます。著者は、社会神経科学者のジェイ・ヴァン・バヴェル、ウィル・カニンガムによる実験を紹介し、「自分の周囲の人たちについて考えてみよう。個々の人たちについて、自分と共通しているのは何か、また違っているのは何かを考えてみる。たとえば、『子供を持つ親である』『同じ街に住んでいる』『同じスポーツチームのファンである』『同じ教団に属している』といった共通点が見つかるだろう。自分と同じグループに属する人に対して良い感情を持つのは人間として自然なことだ。つまり、重要なのは、個々の人と共通のアイデンティティ、グループを見つけることである」と述べています。

 

第8章「ワンランク上の礼節を身に付けるための5つの心得」では、「あなたの行動がまわりを変える」として、職場で礼儀正しくあるためには、微笑むだけでは不十分で、他にも必要なことはたくさんあることが指摘されます。著者がこれまでに行った調査と、コンサルティングをしてきた経験によれば、必要なことは大きく分けて、以下の5つです。

(1)与える人になる

(2)成果を共有する

(3)褒め上手な人になる

(4)フィードバック上手になる

(5)意義を共有する

 

また、ワンランク上の礼節を身に付けるための心得の1つとして「褒め上手な人になる」も挙げられていますが、「感謝上手な人は収入が多い」として、著者は「感謝をきちんと伝えれば、相手はあなたのことをより信頼するようになるだろう。信頼感が高まり人間関係が良くなれば、それだけ仕事でも成果があげられる。それは収入増にもつながる。これは本当の話である。感謝の意をまめに他人に伝える人は、そうでない人に比べ、収入が約7パーセント多いというデータもある。他人に感謝を伝えられる人は、そうでない人に比べて血圧が約12パーセント低いとも言われる。ストレスが少なく、明朗で身体も健康であることが多い。また単純に良い気分でいられることが多いのは間違いないだろう」と述べています。

 

さらに、ワンランク上の礼節を身に付けるための心得の1つとして「意義を共有する」も挙げられますが、「礼儀正しいことを当たり前にする」として、著者は「人の心をつかむには、努力、やる気、成果を必ず、認め、褒め、報いる姿勢を見せる必要がある。一人ひとりのサクセスストーリーを必ずチーム全体で共有するようにする。物事が前に進んでいることを皆が認識できること、皆が自分のいる意味を感じられることも大切だ。リーダーが必要に応じ、自分の時間とエネルギーを惜しみなく注ぎ込むようにする。リーダーがチームのメンバーの心をつかめば、職場からは無礼な態度がなくなり、皆が仕事に打ち込み、業績も向上するだろう」と述べています。

 

第9章「礼節あるメールの作法を身に付ける」では、やってはいけないメールの3つの使用方法として、「会って伝えるべきことをメールで済ます」「勤務時間以外にメールを送る」なども挙げられていますが、わたしには特に「会議中にスマートフォンをチェックする」が印象的でした。
著者、以下のように述べています。
「今ではノートパソコンやスマートフォンとへその緒でつながってしまっているような人が多いので、そのつながりを断ち切るのは容易なことではない。私が企業に勤務する人たちから最もよく聞く愚痴は、「自分が話をしているのに上司がノートパソコンやスマートフォンから目を離してくれない」ということかもしれない。まずは本書の読者から実践してもらいたい。誰かと会って話をする時は、ノートパソコンやスマートフォンは脇へ置こう。目の前にいる人との話を最優先していると姿勢で示そう。古いやり方に戻り、会話中のメモも紙とペンで取るようにする。そうすると、相手の言うことを忘れないようにしたい、という気持ちを伝えることができるし、相手を尊重していることも伝わる。尊重されるのは誰にとっても嬉しいことである」

 

第3部「礼節ある会社になる4つのステップ」の第10章「礼節ある人を見極める採用システムを作る」では、「文明にとって知恵より大切なものがある。それは品格である」というH・L・メンケンの言葉が紹介されています。無礼な人を入れないことが重要であると主張する著者は「無礼な社員にかかるコストは年間1万2000ドル」として、「企業に悪影響をおよぼすような人を入れるべきではない。態度の悪い人がひとりいるとその影響は感染症のように広がってしまう。無礼な態度がコストになることはすでに書いてきた。しかし、何よりも問題なのは、礼節に欠ける人間をうっかり中に入れてしまうことだ。まずそれを防がなくてはならない」と述べています。ある調査によれば、有害な社員が1人いると、「スーパースター」と呼べるほど特別に優秀な社員2人、あるいはそれ以上が達成した生産性向上を帳消しにしてしまうそうです。

 

第12章「誤った評価システムを改善する」では、「礼節の高さを評価する」として、著者は「礼節を欠いて低い評価を受ければ、次からは気をつけて表現を和らげるなどの配慮をする人は多いはずだ。ただ、礼節の高さを体系的に評価する仕組みを持っている企業は私の知る限り存在しない。採用の際に礼節を重んじる企業、経営理念の中で、礼節、敬意、包括、尊厳などの重要性を強調している企業は多くあるが、礼節の高さを評価する企業はないということだ。対人関係のスキルや、感情を制御する能力、良きチームプレーヤーになり得る資質などを評価する基準を持っている企業はわずかながら存在している」と述べています。ちなみに、わが社もそんな会社だと自負しているのですが・・・・・・。

 

第14章「無礼な人から身を守る方法」では、「無礼さのストレスは人それぞれ」として、「無礼な態度が、その標的になった人にとってどのくらいストレスになるかは、立場の上下によっても大きく変わる。自分より上の立場の人に無礼な態度を取られた場合、これまでの調査では、全体の3分の2近くのケースで、同等からそれ以下の人に同様のことをされた場合よりもストレスが強くなるとわかった。また上司の命令や、会社の方針により、無礼な同僚とともに働くことを強制された場合には、絶望感が強くなることもわかっている」と述べています。

 

「未来に目を向けるための7つの方法」として、著者は「目標を定め、進歩を実感する」「自分を成長させてくれるものを見つける」「メンターの助けを得る」「仕事に意味を見出す」「社内外で良い人間関係を築く」「社外の活動で成功を目指す」などを挙げていますが、わたしには「食事、睡眠、運動、マインドフルネスを活用する」が興味深かったです。特に「運動は、礼節ある態度を身に付けるのに役立つ。また同様に、他人の無礼な態度への対処にも効果がある。無礼な扱いを受けると、怒り、恐れ、悲しみなどのネガティブな感情が起きるが、そうした感情にうまく対処できるようになるのだ。運動をしていると、自分の体験を良い方に解釈できるようになる。そして、自分を悪い方向に導きそうな、良くない思考、感情を即座に捨て去ることができるようになる」というくだりが参考になりました。

 

おわりに「あなたはどういう人間になりたいか」では、「自分の周囲にいる人たちに、敬意をもって品位ある態度で接していれば、その人たちは成長していく。反対に、同じ人たちに敬意のないひどい態度で接していれば、皆、だめになっていく」というリチャード・ブランソンの言葉が紹介されています。「変わるタイミングなんて関係ない」として、著者は「まず人の話をよく聞くよう努める。それが礼節を高めるための基本だ。他人と健全で、有意義で、持続的な関係を築くためにはそれが必要になる。まず、相手の存在を認める。顔を合わせれば必ず丁寧に挨拶する。笑顔を向ける。相手を自分の仲間にする。特に、皆から忘れられがちな人、理解や助けを求めている人たちを仲間に引き入れるようにする。直接顔を合わせる時だけでなく、メールやSNSで交流する時にも、同様に礼儀正しく丁寧な態度を保つ。人間関係を築く上で大事なのは、相手に何か自分の持っている資源を与えることだ(もちろん、与え方にも気をつけなくてはいけない。ただ与えればいいというものではない)」と述べます。そして、「礼節を身に付けるのに遅すぎるということはない。また、同時に早すぎるということもない」と述べるのでした。

 

本書を読んで、「人間尊重」という「礼」の精神をミッションとするわが社の方向は間違っていないことを再確認しました。最後に、本書で紹介されている「無礼な人がもたらす5つのデメリット」と「礼節がもたらす5つのメリット」をご紹介したいと思います。

無礼な人がもたらす5つのデメリット

●同僚の健康を害する
●会社に損害をもたらす
●まわりの思考能力を下げる
●まわりの認知能力を下げる
●まわりを攻撃的にする

礼節がもたらす5つのメリット

●仕事が得やすい
●幅広い人脈が築ける
●出世の可能性が高まる
●礼節ある上司のチームは高い業績をあげる
●礼節ある経営者は従業員に安心感を与える

 

 

2020年8月2日 一条真也

8月度総合朝礼

一条真也です。
文月晦日、7月31日に全国で新たに確認された新型コロナウイルスの感染者は過去最多となる1563人でした。東京では過去最多の463人、大阪府は過去2番目の216人でしたが、愛知県が過去最多の193人、福岡県も過去最多の170人の感染が確認されました。また、沖縄県でも過去最多の71人の感染が確認され、玉城知事が会見で県独自の緊急事態宣言を発表しました。

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最初は、もちろん一同礼!

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社歌斉唱のようす

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わたしも小声で斉唱しました

そんな中、8月になりました。先月に続いて、わが社が誇る儀式の殿堂である小倉紫雲閣の大ホールで、サンレー本社の総合朝礼を行いました。全員マスク姿で社歌の斉唱および経営理念の唱和は小声で行いました。
それから社長訓示の時間となり、わたしは登壇しました。

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小倉織のマスク姿で登壇しました

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訓示の前にマスクを外しました

わたしは、まず、「8月になりましたが、新型コロナウイルスの猛威が止まりません。一昨日からは梅雨が明けて猛暑となっています。みなさん、感染と熱中症の両方に気をつけて下さい」と言いました。それから、「8月は6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日、12日の御巣鷹山日航機墜落事故の日、そして15日の終戦の日・・・3日置きに日本人にとって忘れられない日が訪れます。そして、それはまさに日本人にとって最も大規模な先祖供養の季節である『お盆』の時期とも重なります。まさに8月は『死者を想う季節』だと言えるでしょう」と述べました。

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社長訓示のようす

 

続いて、わたしは「今年の夏は特別です。昨年までとは違って『コロナの夏』だからです。国が『GoToトラベル』キャンペーンを展開しても、感染を怖れて旅行に出かける人は少ないようです。それでは、お盆になっても墓参りも行かないかというと、そうでもないようで、『せめて墓参りだけはしたい』という人が多いと聞きます」と言いました。
先日、「産経新聞」から「コロナ『自粛』で祈り、供養の機会『増えた』 日本香堂調査『大切な故人、心の拠りどころに』」というネット記事が配信されました。記事には、「新型コロナウイルスの感染拡大防止で続いた自粛期間中、親族など身近な故人への祈り、願いごとをする人が増えていることが調査で明らかになったと書かれていました。

f:id:shins2m:20200801120804j:plainなぜ人間は死者を想うのか

 

コロナ禍で先祖との「絆」を求める指向が高まっていることも明らかになりましたが、日本香堂は「未曽有の経験に揺れ動いた心の拠りどころとして、大切な故人に見守られているような、安らぎのひとときという実感を強めているのではないか」と分析しています。
拙著『唯葬論』(サンガ文庫)で、わたしは、「なぜ人間は死者を想うのか」という問いを立て、人間に「礼欲」という本能がある可能性を指摘しました。

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人間には「礼欲」がある!

 

人間を「社会的動物」と呼んだのはアリストテレスで、「儀式的存在」と呼んだのはウィトゲンシュタインですが、儀式とは人類の行為の中で最古のもの。ネアンデルタール人も、現生人類(ホモ・サピエンス)も埋葬をはじめとした葬送儀礼を行っていましたわたしは、祈りや供養や儀式を行うことは人類の本能だと考えています。この本能がなければ、人類は膨大なストレスを抱えて「こころ」を壊し、自死の連鎖によって、とうの昔に滅亡していたのではないでしょうか。

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熱心に聴く人びと

 

また、冠婚葬祭とは「祈り」や「供養」の場であるとともに、「集い」や「交流」の場でもあります。人間には集って他人とコミュニケーションしたいという欲求があり、これも「礼欲」の表れだと言えるでしょう。冠婚葬祭などに参加しづらいコロナ禍の現状下で、人々は多大なストレスを感じていることを確認できました。「社会的存在」である人間は常に「隣人」を必要とします。冠婚葬祭は「死者への想い」と「隣人性」によって支えられていますが、それらは「礼欲」の両輪と言えるでしょう。

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‟BIG  NEWS”を発表!

 

コロナ禍の中にあっても、わが社の施設はオープンし続けました。この仕事は社会的必要性のある仕事なのです。そして、わたしはビッグニュースを社員のみなさんに披露しました。なんと、日本を代表する超大物歌手がわが社のCMキャラクターとなることが決定したのです。わたしが「日本一、歌のうまいエンターテイナー」とかねてからリスペクトしていた方です。早速、8月上旬にCMを撮影します。「どうぞ、お楽しみに!」と言うと、みんな驚いた様子でした。

f:id:shins2m:20200801121217j:plain疫病の流行りし世には亡き人を想ふこころのさらに強まり
 

わたしは、「ということで、新型コロナウイルスが完全終息するのはまだ先のことでしょうが、礼欲がある限り、儀式文化を基軸としたわが社の事業は永久に不滅です!」と述べてから、以下の道歌を披露して降壇しました。

 

疫病の流行りし世には亡き人を
 想ふこころのさらに強まり(庸軒)

 

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訓示後は「今月の目標」を唱和

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最後は、もちろん一同礼!

 

総合朝礼の終了後は、大会議室で北九州本部会議を開催します。コロナ時代にあっても未来を拓くための有意義な会議にしたいと思います。みんなで力を合わせて、「コロナの夏」を乗り切ろう!

 

2020年8月1日 一条真也

『コロナの時代の僕ら』

一条真也です。
125万部の発行部数を誇る「サンデー新聞」の最新号が出ました。同紙に連載中の「ハートフル・ブックス」の第147回分が掲載されています。取り上げた本は、『コロナの時代の僕ら』パオロ・ジョルダーノ著/飯田亮介訳(早川書房)です。

f:id:shins2m:20200801194352j:plainサンデー新聞」2020年8月1日号

 

とにかく、今回の新型コロナウイルスの感染拡大は想定外の事件でした。緊急事態宣言という珍しい経験もすることができましたが、一方で、わたしを含め、あらゆる人々がすべての「予定」を奪われました。個人としては読書や執筆に時間が割けるので外出自粛はまったく苦ではありませんでしたが、冠婚葬祭業の会社を経営する者としては苦労が絶えませんでした。

 

もっとも、コロナとの付き合いはまだ終わってはいません。緊急事態宣言の最中、わたしはイタリアの小説家パオロ・ジョルダーノによる話題の書『コロナの時代の僕ら』を読みました。この本には、著者がイタリアの新聞「コリエーレ・デッラ・セーレ」紙に寄稿した27のエッセイが掲載されています。

 

著者あとがき「コロナウイルスが過ぎたあとも、僕が忘れたくないこと」は、まことに心を打つ文章です。
「僕は忘れたくない。今回のパンデミックのそもそもの原因が秘密の軍事実験などではなく、自然と環境に対する人間の危うい接し方、森林破壊、僕らの軽率な消費行動にこそあることを。僕は忘れたくない。パンデミックがやってきた時、僕らの大半は技術的に準備不足で、科学に疎かったことを。僕は忘れたくない。家族をひとつにまとめる役目において自分が英雄的でもなければ、常にどっしりと構えていることもできず、先見の明もなかったことを。必要に迫られても、誰かを元気にするどころか、自分すらろくに励ませなかったことを」

 

最後に著者は、「家にいよう。そうすることが必要な限り、ずっと、家にいよう。患者を助けよう。死者を悼み、弔おう」と書いています。これを読んで、わたしはアンデルセンの童話「マッチ売りの少女」を連想しました。この短い物語には2つのメッセージが込められています。1つは、「マッチはいかがですか?マッチを買ってください!」と、幼い少女が必死で懇願していたとき、通りかかった大人はマッチを買ってあげなければならなかったということです。少女の「マッチを買ってください」とは「わたしの命を助けてください」という意味だったのです。これがアンデルセンの第1のメッセージでしょう。

 

では、第2のメッセージは何か。それは、少女の亡骸を弔ってあげなければならなかったということです。行き倒れの遺体を見て、そのまま通りすぎることは、人として許されません。死者を弔わなければなりません。そう、「生者の命を助けること」「死者を弔うこと」の2つこそ、国や民族や宗教を超えた人類普遍の「人の道」です。今回のコロナ禍は、改めてそれを示したのです。

 

コロナの時代の僕ら

コロナの時代の僕ら

 

 


2020年8月1日 一条真也

「紫雲閣」年内6店新設へ

一条真也です。
新型コロナウイルスが猛威を増しています。30日の全国の新規感染者数は1301人で、過去最多となりました。この日、やはり過去最多となる367人の新規感染者を出した東京を離れ、北九州に戻りました。ちょうど、この日から北部九州が梅雨明けしており、いきなりの猛暑でした。ちなみに福岡県も121人で過去最多でしたね。サンレー本社の社長室に着くと、「ふくおか経済」の8月号が届いていました。ブログ「一条本100冊の取材」で紹介した、わたしのインタビュー記事が掲載されています。

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記事は「ビジネスインタビュー」のコーナー、「『紫雲閣』年内6店を新設へ」のタイトルで、こう書かれています。
「冠婚葬祭大手(株)サンレーが、各地で展開するセレモニーホール『紫雲閣』の新店舗を相次いでオープンさせる。6月の「遠賀紫雲閣」に次いで、夏までに飯塚市行橋市で2店を開業させ、秋には宮若市に2店、その後、年内オープンをめどに福岡市で2 店を着工する。コロナ禍で冠婚葬祭も従来のように催せないが、佐久間庸和社長は「人類史をみると、感染症が大流行した際は死者が増えて埋葬も満足にできず、人々は心を痛めてきた。その反動で、疫病後は儀式を大切にする時代がやってきている」と語る。また、同社は以前から『紫雲閣』を単なる葬儀施設でなく、葬儀もできる施設であり日頃から人々が集う『コミュニティセンター』へと転換を図っている。その上で、『コロナで人々が集まることもままならないが、人間は本来、直接会って語り合う欲求を持っている。コロナが落ち着けば、必ずコミュニティセンターの必要性が出てくる』と力を込める」

 

また、「一条真也として著書が100冊に」の見出しで、以下のように書かれています。
「佐久間社長は本業の傍ら、作家・一条真也として、社会・経営・宗教・儀式・冠婚葬祭研究など数々の著作で知られる。その著書が5月に発行した『心ゆたかな社会〜「ハートフル・ソサエティ」とは何か』(現代書林)で100冊目となった。著書の中で最も強く訴えているのは『一番大切なのは心。政治、経済、宗教、芸術、哲学、すべて目指しているのは心豊かな社会だということ』。同著を読んだ政財界人から賞賛する声も直接届いているといい、『みんながコロナ後のビジョンを求めているのではないか』としている。
自身の著作活動は、大学卒業後に勤務した大手広告代理店時代に始まっている。処女作は1988年の『ハートフルに遊ぶ』(東急エージェンシー)。これを皮切りに広告代理店〜サンレー入社直後までに合計9冊を上梓。その後は社業に専念すべく約10年間著作活動をストップ。再び作品を発表したのは社長就任から2年が経った2003年からで、そこから約16年で90冊を上梓したことになる。
その間には、宗教学者島田裕巳氏の著書への反論で『葬式は必要!』(2010年、双葉新書)を発表。競合他社も含めて業界から多くの支持を得た。ちょうどその頃、訪れていた宗像大社境内で仏具店(株)はせがわの長谷川裕一会長(当時、現相談役)と遭遇。『その時に、長谷川会長が私のことを同行者に「みなさん、この人は『葬式は必要!』という本を書いて、日本を救った人ですよ!」と紹介してくださって。穴があったら入りたかった』のだとか。
その後も『儀式論』(16年、弘文堂)、『決定版 冠婚葬祭入門』(19年、PHP研究所)など多くがベストセラーになった。これまで提唱してきたのは、前述の心の大切さに加えて、『人間尊重』の精神、そしてそこからくる礼の大切さ『天下布礼』、『有縁社会』の大切さ、グリーフケアの大切さなど。これらを著書の中でビジョンとして示し、同時にサンレーの社業の中で実践してきた。実際に同社では社員100人以上が上級心理カウンセラーの資格を持ち、愛する人を亡くされた遺族のグリーフフケアに注力している。『心ゆたかな社会』では、北九州の将来についても言及する。今の日本は老いを嫌う嫌老社会であると指摘し、反対に『好老社会』になるべきだという。高齢化率が高い北九州は、逆転の発想でそこを強みにして、『日本一の好老都市に生まれ変わればいい』と語った」

 

心ゆたかな社会 「ハートフル・ソサエティ」とは何か
 

 

2020年7月31日 一条真也

『結局うまくいくのは、礼儀正しい人である』

CHOOSE CIVILITY 結局うまくいくのは、礼儀正しい人である

 

一条真也です。
東京に来ています。29日の東京の新規感染者は250人でしたが、わたしは自民党本部での意見交換会に参加後、経済産業省を訪問。さらに全互協で4つの会議に参加。
全国でも新たに1261人の感染が確認されましたが、コロナ禍の中にあって、わたしは改めて「礼」というものを考え直しています。特に「ソーシャル・ディスタンス」と「礼」の関係に注目し、相手と接触せずにお辞儀などによって敬意を表すことのできる小笠原流礼法が「礼儀正しさ」におけるグローバル・スタンダードにならないかなどと考えています。日本人古来の徳である「礼」の価値が、世界的に見直されるかもしれません。『結局うまくいくのは、礼儀正しい人である』P・M・フォルニ著、大森ひとみ監修、上原裕美子訳(ディスカヴァー・トゥエンティワン)を読みました。
2011年に刊行された『礼節のルール』、同書を新書化して2012年に刊行した『礼節「再」入門』の新装版として昨年刊行された本です。

 

礼節のルール

礼節のルール

 
礼節[再]入門 (ディスカヴァー携書)

礼節[再]入門 (ディスカヴァー携書)

 

 

著者は、アメリカ・メリーランド州ボルチモアに本部を置くジョンズ・ホプキンス大学イタリア文学教授です。長年、礼節の理論と歴史を教えています。1997年にジョンズ・ホプキンス・シビリティ・プロジェクトを設立。その活動は「ニューヨーク・タイムズ」をはじめとした国内外のメディアに注目されているそうです。2002年に本書の原書『Choosing Civility』が発売され、10万部を超すべストセラーになりました。ABC、CBS、BBCなどのテレビ番組にも出演多数。イタリア出身。

f:id:shins2m:20200427174052j:plain本書の帯

 

本書の帯には「『無礼な人』は、目立つだけ。『礼儀正しい人』は、人がついてくる。」「ルール2 あいさつをする」「ルール4 人の話をきちんと聞く」「ルール7 そこにいない人の悪口を言わない」「『礼節』研究の創始者によるベストセラー」「『礼節「再」入門』が新装版で登場!」と書かれています。 

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本書の帯の裏

 

また帯の裏には、「米国の名門ジョンズ・ホプキンス大学で礼節の理論と歴史を教える著者による、『礼儀正しさ』の原則25を紹介!」と書かれています。カバー前そでには、「礼儀正しくするのは自分らしさを捨てることではないか、と言う人もいますが、私はそうは思いません。礼儀正しくすることは、ある面の自分らしさを抑えながら、別の面の自分を出すことではないでしょうか。礼節は人生のクオリティを高める手助けとなるものなのです」と書かれています。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「はじめに」

第1章 礼節
    ――人生の質を高める技術

他者とともによく生きるために

人は人の中で生きることで磨かれる

礼節とは永遠に色あせない不変の原則

愛とは礼節の先にあるもの

自制する心がよりよい未来を作る

礼節は成功のために不可欠な人生の部品

人とのつながりが健康を守る

第2章   礼節のルール25

【ルール01】周囲の人に関心を向ける

【ルール02】あいさつをして敬意と承認を伝える

【ルール03】相手をいいひとだと信じる

【ルール04】人の話をきちんと聞く

【ルール05】排他的にならない

【ルール06】親切な話し方をする

【ルール07】そこにいない人の悪口を言わない

【ルール08】ほめ言葉を贈る。そして受け入れる

【ルール09】NOの気持ちを察し、尊重する

【ルール10】人の意見を尊重する

【ルール11】身だしなみと仕草に気を配る

【ルール12】人と協調する

【ルール13】静けさを大切にする

【ルール14】人の時間を尊重する

【ルール15】人の空間を尊重する

【ルール16】真摯に謝罪する

【ルール17】自尊心を持って自己主張する

【ルール18】個人的なことを質問しない

【ルール19】最高のおもてなしをする

【ルール20】配慮ができる客になる

【ルール21】お願いするのは、もう一度考え直してから

【ルール22】無駄な不満を言わない

【ルール23】前向きに批判し、受け入れる

【ルール24】環境に配慮し、動物にやさしくする

【ルール25】人のせいにしない

第3章   人はなぜ礼節を見失うのか?

親しみのカルチャーもときと場合をわきまえて

過度の‟ルール破り称賛”は考えもの

権威の消失が礼節の危機を招く

都市生活の無名性が人間関係を不安定にする

平等社会と礼節とのつながり

自己実現の時代のメッセージ

本当に礼節は失われつつあるのか?

よく生きるために、私たちは何をなすべきか

「監修者あとがき」

 

「はじめに」の冒頭には、以下のように書かれています。
「21世紀となった今、礼儀正しさとは、どういう意味を持つのでしょうか。礼節とは、どのように身につければいいのでしょうか。礼節によって、人生のクオリティはどのように上がるのでしょうか。そもそも、友人や同僚、周囲の人に対して、どう振る舞うべきなのでしょうか。いつどんなときでも礼儀正しくしなければならないのでしょうか。無礼な態度をとられたときには、どう対応すればいいのでしょうか。いったい礼節とは何でしょうか」

 

第1章「礼節――人生の質を高める技術」では、最初に「他者とともによく生きるために」として、「人生には大切なものが3つある。ひとつは、人に親切にすること。もうひとつは、人に親切にすること。そしてもうひとつは、人に親切にすること」という作家のヘンリー・ジェイムズの言葉が紹介されています。

 

「人生は他者とのふれあいによって決まるもの」と信じているという著者は、「よい人間関係に恵まれれば、人生は輝きます。人間関係が損なわれると、人生も損なわれます。幸せになりたいなら、他者とともによく生きる方法を学ばなければなりません。そのカギを握るのが『礼節』なのです。礼儀正しくしていれば、他者とうまくふれあうことができます。私たちは礼節ある生き方をすることによって、思慮深い心を育て、自己表現とコミュニケーションの力を伸ばし、さまざまな状況におだやかに対応できるようになります」と述べています。

 

「人は人の中で生きることで磨かれる」では、長年、礼節をテーマにした講義やワークショップを行なってきた著者が、「礼節とは何を意味するか」について、以下のような結論を挙げています。

・礼節とは、複雑なものである。

・礼節とは、よいものである。

・礼節とは、ていねいに、礼儀正しく、
 行儀やマナーを守ることである。

・礼節は哲学や倫理学の領域にあるものである。

 

この4点に沿って本書を書いたという著者は、「礼節ある人間でいるということは、つねに他人の存在を意識して、その意識のすみずみに寛容さと敬意と配慮を行き渡らせることです。礼節とは善意の表れです。誰か個人に親切で配慮ある態度をとるだけでなく、地域や地球全体のすこやかさに関心を持つことでもあるのです」と述べています。

 

礼節(=Civility)という言葉の由来は、都市(=City)と社会(=Society)という言葉にあります。ラテン語で「市民が集まるコミュニティ」を意味する言葉「Civitas」から来ています。Civitasは文明(Civilization)の語源でもあります。著者は、「礼節という言葉の背景には、都市生活が人を啓蒙する、という認識があるのです。都市は人が知を拓き、社会を築く力を伸ばしていく場所なのです。人は都市に育てられながら、都市のために貢献することを学んでいきます」と述べます。そして、礼節とは「よい市民になること」「よき隣人であること」を指しているといいます。

 

「礼節とは永遠に色あせない不変の原則」では、著者は「礼節ある生き方を選ぶということは、他者や社会のために正しい行動を選ぶということです。他者のために正しく行動すると、その副産物として人生が豊かにふくらむのです」と述べ、「他人に親切にするのはよいことである」という真理は永久に色あせないと主張しています。

 

「愛とは礼節の先にあるもの」では、「人間は何を求めているのか」という問いに対して、精神分析学者ジークムント・フロイトは、「人は幸せを求めている、幸せであり続けたいと思っている」と言ったことが紹介されます。著者は、「フロイトは幸せをおびやかすものを列挙しました。人は病気のせいで不幸になることもありますし、自然の脅威のせいで苦しみを強いられることもありますが、フロイトによると、何よりつらい不幸の原因は、他者との関係性で生じるものです」と述べています。

 

また、著者は次のようにも述べています。
「傷つくのを避けて他人を寄せつけないのは無意味です。人間関係が引き起こす痛みを最低限にする努力をしながら、人間関係を築いていく方法を学ぶべきなのです。人間関係によって生じる痛みを最低限に抑える方法とは“他人と上手に接していけるようになること”です。この大切な素養を身につけるのに、魔法を学ぶ必要はありません。礼節を学べばいいのです。礼節は人間関係の痛みの予防薬でもあるのです」

 

さらに著者は、「ものごとには順番があります」と述べ、まずは、自分中心の意識を抑えることが優先であり、そのうえで、本当の愛を理解するチャンスがやってくるとして、「まずは行儀作法、その次に愛なのです。行儀作法の練習を通じて、赤の他人を含め、他者を自分自身と同じに愛せるようになる人もいるでしょうし、愛情の範囲が家族と友人に限られる人もいるでしょう。しかし行儀作法こそ、愛を知るための最初の一歩です。その方法は、誰もが多少なりとも身につけられるはずです」と述べるのでした。

 

「自制する心がよりよい未来を作る」では、著者は「無作法とは、弱い人間が強さをよそおうことだ」という社会哲学者のエリック・ホッファーの言葉を紹介し、「礼儀正しくするのは自分らしさを捨てることではないか、と言う人もいますが、私はそうは思いません。礼儀正しくすることとは、ある面の自分らしさを抑えながら、別の面の自分を出すことではないでしょうか。自己表現を控えたと感じたとしても、同じくらいに自分を表す行動をしているのです。本当の礼儀は人生を損なうものではありません。むしろ、正しい行動を選ぶことで満足を積み重ねることになるのです。礼節は人生のクオリティを高める手助けとなるものなのです」と述べます。

 

「礼節は成功のために不可欠な人生の部品」では、礼儀正しさには、自由と拘束の両方が伴うことが指摘されます。なぜなら、人は他人に親切にすることで、自分も親切にしてもらえることを願うからです。著者は、「自分中心の意識を少し放棄して、相手も同程度には譲ってくれると期待するのです。つまり、礼節を守ることは『社会というデリケートなゲームで、全員が気持ちよくいられるようにしよう、とおだやかに圧力を加える行為』と言うことができるでしょう」と述べています。

 

「人とのつながりが健康を守る」では、健康でいるためには他者とつながる必要があるとして、著者は「他人と交流する能力は、まちがいなく健康を左右します。つまり、礼節を守るのは気分がよくなるからだけでなく、健康のためでもあるのです。言ってしまえば、人を大事にすることは自分を大事にすることなのです」と述べます。また、健康でいるためには、人生に目的や意味を感じられなくてはなりません。そして、人生の目的や意味は、かならず他者の存在と結びついています。やはり、身のまわりにいる人を敬意と配慮をこめて大切に扱うことが重要になるというわけで、著者は「だからこそ、やはり礼節を学ぶ必要があります。学べば学ぶほど、礼節は利他主義と利己主義の自然な共存状態を生み出すということが、はっきりとわかってくるでしょう」と述べるのでした。

 

第2章「あいさつをして敬意と承認を伝える」では、「すべての行動は、そこにいる人への敬意のしるしをこめたものでなければならない」というアメリカ合衆国初代大統領のジョージ・ワシントンの言葉が紹介されます。著者は「『こんにちは』『おはよう』といったあいさつは、他者を尊重していることを示す基本的な言葉です。『おはよう』を言うとき、そこには『あなたの存在を承認し、敬意を感じている』という意味がこめられます」と述べます。あいさつすることで、実際に口に出さなくても、「私たちがよい関係かどうか、あなたが意識しているのを知っています。私も意識しています。安心してください。私は、私たちがよい関係だと感じています」というメッセージを伝えているのです。

 

また、著者は次のようにも述べています。
「あいさつは、その人がその人であるということを尊重する行為です。あいさつを通じて存在を認めるだけでなく、あなたを傷つける意図はないよ、あなたが安泰であるかどうか気にかけているよ、というメッセージを表明しているのです。『お互いに善意を持って接しよう』と呼びかけることにもなります。これは、礼節をかたちづくる大切な要素です」

 

人間関係を良くする17の魔法

人間関係を良くする17の魔法

  • 作者:一条 真也
  • 発売日: 2011/09/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

あいさつこそは、「人間尊重」の第一歩です。わたしは冠婚葬祭の会社を経営しています。冠婚葬祭の根本をなすのは「礼」の精神です。では、「礼」とは何でしょうか。それは、2500年前に中国で孔子が説いた大いなる教えです。平たくいえば、「人間尊重」ということです。わたしは、人類が生んだあらゆる人物の中で孔子をもっとも尊敬しています。孔子こそは、人間が社会の中でどう生きるかを考え抜いた最大の「人間通」であると確信しています。その孔子が開いた儒教とは、ある意味で壮大な「人間関係学」といえるのではないでしょうか。そんなことを拙著『人間関係を良くする17の魔法』(致知出版社)に書きました。同書では、「挨拶」についても一章を費やして詳しく考えました。なぜ、人間は礼をするのでしょうか。多くの首相を指導した安岡正篤は、「本当の人間尊重は礼をすることだ。お互いに礼をする、すべてはそこから始まらなければならない」といいました。「経営の神様」といわれた松下幸之助も、何よりも礼を重んじました。彼は、世界中すべての国民や民族が、言葉は違うがみな同じように礼を言い、挨拶することを、人間としての自然の姿、すなわち「人の道」であるとしました。

 

礼を求めて

礼を求めて

 

 

ところが、その人間的行為である「礼」を軽視する人がいます。挨拶もしなければ、感謝もしない。礼は「人の道」、いわば「人間の証明」であるにもかかわらず、お礼は言いたくない、挨拶はしたくないという人がいるのです。礼とは、そのような好みの問題ではありません。人間であれば、必ずしなければならないものです。というより、自分が人間かどうかを表明する、きわめて重要な行為なのです。よく武道の世界では「礼に始まり、礼に終わる」と言われます。人間関係もまた、礼に始まり、礼に終わることを知りましょう。およそ、人間関係を考えるうえで挨拶ほど大切なものはないでしょう。「人間尊重」の基本となるものであり、「こんにちは」や「はじめまして」の挨拶によって、初対面の相手も心の窓を開きます。

 

論語 増補版 (講談社学術文庫)

論語 増補版 (講談社学術文庫)

  • 作者:加地 伸行
  • 発売日: 2009/09/10
  • メディア: 文庫
 

 

ルール03「相手をいい人だと信じる」では、性善説が取り上げられます。孔子と並んで儒教の聖人とされる孟子は「人間の本性は善きものだ」という揺るぎない信念を持っていました。人間の本性は善であるのか、悪であるのか。 これに関しては古来、2つの陣営に分かれています。東洋においては、孔子孟子儒家が説く性善説と、管仲韓非子の法家が説く性悪説が古典的な対立を示しています。 西洋においても、ソクラテスやルソーが基本的に性善説の立場に立ちましたが、ユダヤ教キリスト教イスラム教も断固たる性悪説であり、フロイト性悪説を強化しました。

 

孟子 (講談社学術文庫)

孟子 (講談社学術文庫)

  • 作者:貝塚 茂樹
  • 発売日: 2004/09/11
  • メディア: 文庫
 

 

そして、共産主義を含めて、すべての近代的独裁主義は、性悪説に基づきます。 毛沢東が、文化大革命孔子孟子の本を焼かせた事実からもわかるように、性悪説を奉ずる独裁者にとって、性善説は人民をまどわす危険思想であったのです。著者は、「性善説を選択するということは、礼節ある生き方であると同時に、人生に健全な純粋さを保つための道でもあります。相手はいい人であると想定して接するというのは、実際にそういう人として行動するよう相手を促すことにもなります。

 

性善説について、著者は以下のように述べています。
性善説を選択すれば、確実に人生のクオリティは高まります。赤の他人で終わったかもしれない人と、良好な関係を結ぶことができるからです。とはいえ、やりすぎないように気をつけなければなりません。他人を性善説で見たせいで、自分の身に危険がおよぶ可能性があるからです。楽観とは『考えない』ことではなく、『正しく現実を見る』ことでなくてはなりません」

 

ルール06「親切な話し方をする」では、自分が話している相手は、傷つくこともある「人間」という生き物なのだということを、いつも念頭に置いておく必要があるとして、著者は「言葉の力を軽んじてはいけません。自分の言葉は相手を不必要に傷つけるかもしれないし、いやな気持ちにさせるかもしれない――会話をするときは、それを忘れないでください。つねに相手の存在を意識し、自分の欲求を鎖でつないでおくのです」と述べています。

 

また著者は、「ていねいで親切な言葉は、心のバランスと信頼を守る傘になります。その傘の内側に相手を引き入れ、安心させることができます。親切な話し方を身につけられれば、人間関係は著しく改善するでしょう。日々の生活のクオリティも格段にアップするはずです」とも述べます。『人間関係を良くする17の魔法』では「言葉遣い」という章も設けましたが、そこで「もし、あなたにどうしても人間関係がうまくいかない人がいるとしたら、その人に対して正しい言葉遣いをしているかどうか、よく考えてみてください」と読者に呼びかけました。そして、「言葉遣いは人間関係を良くする魔法ともなります。そこで、最低限必要なのが普通語と尊敬語の違いを知ることです。普通語とは、気のおけない家族や友人の間で使う言葉です。尊敬語とは、目上の人やお客様に対しての言葉です」と述べ、具体的に説明しました。

 

ルール08「ほめ言葉を贈る。そして受け入れる」では、「リーダーは積極的にほめなければならない」として、著者は「アメリ労働省の統計では、離職理由のトップは『仕事で評価されていないと感じるから』というものでした。積極的にほめることで報いていくのはリーダーに必要な資質であるという見方は広く支持されています。現代の労働環境でリーダーになれる人物とは、思いやりがあり、業績だけでなく部下の努力を称賛して、自信を持たせていける人なのです」と述べています。

 

 

拙著『孔子とドラッカー新装版』(三五館)に書きましたが、部下をほめることについては、日本電産創業者の永守重信氏が達人です。永守氏は、口で叱って文章で褒めるといいます。つまり、褒めちぎりの手紙を書くのです。なぜなら、この手紙を本人が10回読めば10回、20回読み返してくれれば20回褒めたことになるからです。また、しょっちゅう顔を合わせている社員であっても、手紙を直接渡さずに、ポストに投函して自宅に送ることもあるといいます。これをやるのは主として妻帯者や家族と同居している社員です。最初に手紙を受け取るのは社員の妻や両親で、「社長から手紙をもらった」ということで家族の関心が集中します。開いてみると褒めちぎりの内容だから、家族にも胸を張って公開できます。

 

他にも、叱った社員と仲のよい同僚に、「今日、彼を叱ったんだが、仕事も熱心だし見どころもある」と耳打ちして、社長が頼りにしていることを遠回しに本人に伝えるという方法もあります。本人にストレートに褒め言葉をかけるよりも、妻や親、同僚などを通じて間接的に褒めるほうが数倍の効果があるのです。叱ったことは後に残さず、褒めたことはいつまでも残るようにしておくのは、ハートフル・マネジメントの真髄であると言えるでしょう。

 

龍馬とカエサル

龍馬とカエサル

  • 作者:一条真也
  • 発売日: 2019/08/30
  • メディア: オンデマンド (ペーパーバック)
 

 

また、部下は叱ったり褒めたりするだけの存在ではありません。何よりも、リーダーの真意を伝えるべき存在です。拙著『『龍馬とカエサル』(三五館)に書きましたが、会議や朝礼や全社集会など、経営者はとにかく語ることが仕事である。松下幸之助は、次の三点が重要だと言いました。すなわち、燃える思いで訴える、繰り返し訴える、なぜ訴えるのかを説明する。この三つの繰り返しをしなければ、リーダーの真意は社員には伝わらないというのです。なかなか自分の考えが社員に伝わらないと思うなら、自分が十分な努力をしているかどうか、よく考えてみるべきでしょう。社員や部下はテレパシーを操る超能力者ではないのですから、リーダーが言葉で繰り返し伝えなければ、彼らは決してそれを理解できないのです。

 

ルール09「NOの気持ちを察し、尊重する」では、「礼儀正しくするべきか、本心を伝えるべきか」として、著者は「人生のクオリティを高めるためには礼儀正しくすることが必要不可欠です。よいマナーを学ぶということは、感受性を育てることでもあります。暴力をはじめとした、私たちを苦しめる数々の悪とたたかうためにも、礼節は大切にしなければならないのです。礼節を大切にして、世界に浸透させようと努める過程で、私たちは現代社会に必要な知恵を再発見していけるのではないでしょうか」と述べています。

 

ルール11「身だしなみと仕草に気を配る」では、身内と一緒のときはマナーを忘れることが多いかもしれませんが、本当は身内に対して礼儀を守ることこそ、愛情を示す何よりたしかな方法であるとして、著者は「愛情とは、気持ちだけのものではありません。本当の愛は行動で成り立つものです。身だしなみを整えると、たいてい心身ともにすこやかな気持ちになります。気分がよくなり、自分のことが好きになります。そうすると、他人にも親切にしたくなり、回り回って自分も親切にしてもらえるのです」と述べています。

 

人間関係を良くする17の魔法』では「身だしなみ」という章も設けましたが、そこで、相手の視覚、聴覚、嗅覚に不快感を起こさせることのないように気遣いすることを訴えました。これは「三つの不快」と呼ばれ、自分の意志に関わらず、強制的に入ってくる情報なのです。そして、その中でも特に気をつけなければならないのが「視覚不快」です。そして、相手に好印象を与えることで、良好な人間関係がスタートしますが、その基盤には「礼」の心がなければならないと述べました。特にビジネスで相手と商談をするような場合に重要なことは、「礼」の心の中でも「つつしみ」の心を大切にすることです。「つつしみ」は、人と人とのコミュニケーションを深く進めてゆく上で、人や場面との調和を崩さないように心掛けるということです。その上で、オシャレをすることが大切ですね。

 

ルール13「静けさを大切にする」では、著者は「映画や芝居、オペラ、コンサートなどを観に行って、ほかの観客のお喋りが気になることがあります」と書いています。がまんできるのならいいのですが、そうでないならまずは視線を向け、それから丁重に「すみませんが、お喋りが気になって楽しめないのです」と、頼んでみることを勧めます。著者は「これで解決しなかったら、これ以上交渉することはお勧めしません。事態がエスカレートするのは避けるべきでしょう。席を移るか、劇場の係員に相談するのがベターです」と述べています。大人の対応ですね。気の短いわたしも見習いたいものです。

 

ルール14「人の時間を尊重する」では、電話をかけるときには、細心の気配りが必要と書かれています。相手の都合の悪い時間に割り込んでしまう可能性があるからです。電話でつながったら、まず最初に「今お話ししても、ご迷惑ではありませんか?」と聞くべきであり、もし相手が大丈夫だと言ったとしても、短く切り上げること。相手が忙しそうな印象を受けたら、極力手短にしましょう。電話は簡潔にするのが原則だと述べています。

 

最短で一流のビジネスマンになる! ドラッカー思考

最短で一流のビジネスマンになる! ドラッカー思考

  • 作者:一条真也
  • 発売日: 2009/09/15
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

時間を尊重するといえば、わたしは「人生とは時間を生きること」だと考えています。拙著『最短で一流のビジネスマンになる!ドラッカー思考』(フォレスト出版)にも書きましたが、1つひとつの時間の積み重ねが、人の一生です。時間とは生命そのものなのです。たとえば、ある人が待ち合わせの時間に遅れて来た場合、他人が被る迷惑は計り知れないほど大きいといえます。待たされる時間は、完全に「失われた時間」になるのです。経営コンサルタントの山崎武也氏は時間を守らない人は信用できないだけでなく「時間泥棒」と呼んでいます。強盗された時間という財物は取り返すことができない生命の一部であり、待たせた人の生命の一部を奪うことは「時間泥棒」どころか「部分的殺人」の罪と断ずることもできるというのです。

 

ルール15「人の空間を尊重する」では、自宅でも、家族それぞれのテリトリーを尊重することは大切であると書かれています。人はそれぞれ自宅の中でも「自分の場所」と感じるスペースがあり、一緒に住む家族であっても、そうした場所に踏み込まないでほしいと感じるのは、別に不合理なことではないとして、著者は以下のように述べます。「誰かが使っている寝室や洗面所に割り込むのは控えましょう。子どもも5歳を過ぎたら、両親の部屋に入るときには断ってから入るように教えるべきです。一方、リビングやキッチンなどはみんなの場所です。そこを一定時間、独占して使うのなら、家族の迷惑にならないかどうか確かめましょう。友人を家に連れてくるタイミング、帰すタイミングには、きちんと判断力をはたらかせましょう。友人がうるさくしないよう、あなたが責任をもたなくてはなりません」

 

ルール16「真摯に謝罪する」では、著者は「なぜ、あやまることはこうもむずかしいのでしょうか。それは、真摯に謝罪するためには、自分のプライドとたたかわなくてはならないからです。謝罪することを考えると、人は心もとない気持ちになるものです。けれど、勇気を出してあやまってみれば、それでどんなにすっきりするか、わかるはずです。信じていただけないかもしれませんが、私はあやまるのが好きです。借金を返済し終わったときの解放感と同じ気持ちよさを感じます。実際、謝罪とは道徳的な借金の返済と言ってもよいでしょう。英語では「あなたにあやまらなければいけない」という意味で、『私はあなたに謝罪の返済義務を負っている』いう表現をしますが、それももっともなことなのです」と述べています。

 

第3章「人はなぜ礼節を見失うのか?」の「よく生きるために、私たちは何をなすべきか」では、著者は「20世紀末は、礼節が失われていくことへの懸念が大きく高まった時代でした。しかし私は、礼儀に関してこれほど多くの取り組みが行われ、礼節ある社会のための活動が活性化した時代は、ほかになかったのではないかとも思うのです。近年、社会の低俗化が進んでいる点については否定できませんが、同時に、敬意と節度、配慮とやさしさを日常生活に取り入れようとする努力も、広がってきているのです。このふたつの動きは、当然、無関係ではありません。後者は前者の存在によって引き起こされたものだからです」と述べています。

 

また著者は「人生で最も重要なのは他者とのふれあいである」と断言し、「ふれあいの質の改善を、最優先事項とするべきではないでしょうか。礼節を守るのは、人と人とのふれあいの質を上げる最も確実な方法です。ふれあいの質が高まれば、人生はうるおいます。とてもシンプルなことなのです。私たちはただ、いったん足を止め、考え、そして行動すればいいだけなのです。早く始めれば、それだけ成果も大きくなるでしょう」と提言します。まったく同感です。

 

「監修者あとがき」では、株式会社大森メソッド代表取締役社長兼CEOで、世界を代表するイメージコンサルタントとして知られる大森ひとみ氏が、「礼節が見直される今、このときに」として、以下のように述べています。
「日本には古くから、思いやり、尊敬、自制、協力、責任、誠実、知恵、調和、美徳といった礼節を重んずる文化がありました。これは、日本人の遺伝子に組み込まれたDNAでもあります。ですから、日本社会においては『礼儀正しさが大切だ』と言っても、今さら珍しい言葉や概念ではありません。しかし、世界がますます小さくなる中で日本でも、いじめ、虐待、詐欺、不正などモラル無き行動が横行するようになってきています。これは日本人のDNAに刻み込まれていたはずの礼節が失われつつあるきざしでもあり、多くの人々が少なからず『礼儀正しさの大切さ』をあらためて感じているのではないでしょうか」

 

礼道の「かたち」

礼道の「かたち」

  • 作者:佐久間 進
  • 発売日: 2017/10/14
  • メディア: 単行本
 

 

わたしの父である佐久間進は実践礼道・小笠原流の宗家ですが、日本古来の礼節を重視する文化について『礼道の「かたち」』(PHP研究所)にまとめ、「礼儀正しさの大切さ」を広く訴えています。また大森氏は、「礼節はビジネスパーソン必須のスキル」として、礼節は、よりよい社会を作る基盤として見直されてきていますが、もうひとつの側面に、グローバル化するビジネス社会においての必須のツールとして注目されているという面があると指摘し、「個人の間でも価値観が多様化し、ビジネスが文化の垣根を越えて行われることが当然となった時代には、異なる考え方をもった人同士をつなげるルールが必要です。それこそが礼節でもあると考えられているのです」と述べます。

 

さらに大森氏は、「『シビリティ=礼節、礼儀正しさ』を実現することは、ビジネスパーソンにとって、信頼され、相手から選ばれるためのセルフマーケティングであり、自分の価値を高めるセルフブランディングなのです。ビジネスを前進させるプラットホームであり、すべてのビジネスの基盤であると言ってもよいでしょう」と述べるのでした。まったく同感です。わたし自身、学生時代より小笠原流礼法を学び、「礼」を何よりも重んじて生きてきましたが、本書を読んで、「礼」はビジネスにおいても不可欠なものであることを再確認しました。

 

CHOOSE CIVILITY 結局うまくいくのは、礼儀正しい人である

CHOOSE CIVILITY 結局うまくいくのは、礼儀正しい人である

 

 

2020年7月30日 一条真也

「MOTHER マザー」

一条真也です。東京に来ています。
28日、互助会保証の監査役会および取締役会に出席。その後、「出版寅さん」こと内海準二さんと打ち合わせをしてから、TOHOシネマズ日比谷で日本映画「MOTHER マザー」を一緒に鑑賞しました。映画館はガラガラでしたが、内海さんとはかなりの距離のソーシャル・ディスタンスを取りました。最新設備のTOHOシネマズ日比谷は非常に換気も良く、過密な飛行機よりもはるかに安全だと思いました。でも、感染者がこのまま増え続けたら、また緊急事態宣言が発令されて、映画館も休業するかもしれませんね。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「実際に起きた祖父母殺害事件をベースに、社会の底辺で生きる母親と息子を取り巻く過酷な現実を描いた人間ドラマ。『新聞記者』などに携わってきた河村光庸が企画・製作を手掛け、『タロウのバカ』などの大森立嗣が監督を務めた。社会の闇へ落ちていくシングルマザーを長澤まさみ、内縁の夫を阿部サダヲ、息子を演技未経験ながら初めてのオーディションで選出された奥平大兼が演じるほか、夏帆、仲野太賀らが共演」 

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
「男にだらしなく自堕落な生活を送るシングルマザーの秋子(長澤まさみ)は、息子の周平に異常に執着する。秋子以外に頼れる存在がいない周平は、母親に翻弄されながらもその要求に応えようともがくが、身内からも絶縁された母子は社会から孤立していく。やがて、17歳に成長した周平(奥平大兼)は凄惨な事件を引き起こしてしまう」



こんなにも胸糞悪いというか、嫌な気分になる映画を観たのは久しぶりです。これだけ人を嫌な気分にさせるというのも、ある意味、映画のパワーかもしれません。ブログ「園子温の世界」で紹介した「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」「恋の罪」などの園子温監督の一連の映画、ブログ「凶悪」で紹介した白石和彌監督の映画など、実際の犯罪をモデルにした映画は多いですが、この「MOTHER  マザー」ほどは胸糞悪くありませんでした。本当に観ていて腹が立って仕方がないというか、何度も人生をやり直すチャンスがあったのに、少なくともわが子を社会復帰させるチャンスがあったのに、すべて自分でぶち壊してしまう負のスパイラルにストレスを感じました。ブログ「4連休明けに東京へ!」で紹介したように、前日にスターフライヤーの機内で、わたしはNPO法人「抱樸」の奥田知志理事長にお会いしました。奥田理事長は生活困窮者を救済するプロ中のプロですので、ぜひ、この映画を観てほしいと思いましたね。
どうして、金もないのに、パチンコやゲーセンやホストクラブに通うのか? どうして、育てる能力もないのに子どもを産むのか? どうして、クズそのもののDV男(内縁の夫)に未練を抱くのか? さまざまな疑問が暗い想念となって、わたしの心に溜まっていきます。自分からどんどん泥沼にはまっていく人間の姿に、愚かさよりも恐怖を感じました。そう、この映画はどんなホラー映画よりも怖かったです。



「MOTHER  マザー」は、ブログ「コンフィデンスマンJP プリンセス編」で紹介した映画と同じく、長澤まさみの主演作です。コロナ禍で公開のタイミングがたまたま合致したとはいえ、正反対と言ってもよい、まったく違ったタイプの人格を見事に演じ切る彼女の役者魂には敬意を表したいです。彼女は「コンフィデンスマンJP プリンセス編」では大富豪の遺児の母親になりすます詐欺師の役でしたが、「MOTHER  マザー」では本物の母親を演じます。しかし、それは実の息子に実の両親を殺させるという、とんでもない毒親でした。血族を殺害する「尊属殺」は最も罪が重く、また一般に「人の道」から最も外れた行為として知られますが、この女、なんと三代にわたって家族を破滅させたのです。



この映画の公開に合わせるようにして、今月、毒親が起こした胸糞の悪い事件が明るみに出ました。
1つめは、東京都大田区蒲田の自宅マンションに長女を8日間置き去りにして死亡させたとして、保護責任者遺棄致死の疑いで母親が警視庁に逮捕された事件です。彼女の育児放棄の末、幼い命が奪われました。捜査関係者によると、母親が6月13日まで8日間過ごした鹿児島県の交際男性の元から帰宅すると、幼女はごみが散乱する6畳居間のマットレスの上で亡くなっていたそうです。



もう1つは、3歳と1歳の幼い子どもを11日間にわたって鹿児島市内の自宅に置き去りにしたまま、ホテルに滞在していたとして、20代の夫婦が保護責任者遺棄の疑いで逮捕された事件です。夫婦はこの期間、食事を与えるため、自宅には数回戻る程度だったということで警察は、日常的なネグレクト=育児放棄があったとみて調べを進めているそうです。今月21日の夕方、3歳の長女が自宅近くを歩いていたところを通りがかった人が見つけたほか、その日の夜には部屋の前を通りがかったマンションの住人が、半開きになっていたドアから1歳の次女が裸で倒れているのを見つけ、いずれも警察に通報したため、事態が発覚したということです。両事件ともに鹿児島が関係しているのは奇遇ですが、「世も末だ」と思ったのは、わたしだけではないはずです。



ネグレクトを扱った映画といえば、多くの人が「誰も知らない」(2004年)を思い浮かべることでしょう。「巣鴨子供置き去り事件」を題材として、是枝裕和監督が15年の構想の末に映像化した作品です。この事件は、東京都豊島区で1988年に発覚した保護責任者遺棄事件です。父親が蒸発後、母親も4人の子を置いて家を出ていき、金銭的な援助等を続けていたとはいえ実質ネグレクト状態に置かれていました。都内の2DKのアパートで暮らす4人の兄妹の父親はみな別々で、学校にも通ったことがなく、3人の妹弟の存在は大家にも知らされていませんでした。映画「誰も知らない」では、母(りょう)の失踪後、過酷な状況の中で幼い弟妹の面倒を見る長男(柳楽優弥)の姿を通じ、家族や周辺の社会のあり方を問いかけました。



さて、映画「MOTHER マザー」のモデルになった事件とは、どういう内容だったのか。産経ニュースが2014年7月16日に配信した「次女、強盗も認める老夫婦殺害追起訴公判埼玉」という記事には、「川口市西川口のアパートで3月、住民の無職、小沢正明さん=当時(73)=と妻の千枝子さん=同(77)=が殺害された事件で、強盗罪に問われた夫妻の次女、立川千明被告(41)=窃盗罪で公判中=の追起訴審理公判が15日、さいたま地裁(井下田英樹裁判長)で開かれた。立川被告は『(間違いは)ありません』と、窃盗罪に続き起訴内容を認めた。起訴状などによると、立川被告は3月26日、息子の少年=強盗殺人と窃盗の非行内容で検察官送致=が小沢さん夫妻を殺害したことを知った上で、共謀して現金約8万円やキャッシュカードを奪ったなどとしている。検察側は、夫妻に約30万円の借金があった立川被告が、さらに借金をしようと少年に『殺してでも借りてこい』と指示したなどと指摘。また事件当日、借金を拒んだ夫妻を殺害した少年と現場近くの公園で合流した際には『お金はどうすんのよ』などと迫り、少年が再び夫妻方に戻って金品を奪ったなどと主張した」と書かれています。

ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書

 

孫が祖父母を殺害するというのは、最も罪の重い「尊属殺」です。祖父母とは孫にとって「先祖」でもありますが、わたしは『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)で、先祖というものの意味を考えました。わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在です。遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」に漂うもの、それが現在のわたしたちにほかなりません。その流れを意識したとき、何かの行動に取り掛かる際、またその行動によって自分の良心がとがめるような場合、わたしたちは次のように考えるのです。「こんなことをすれば、ご先祖様に対して恥ずかしい」「これをやってしまったら、子孫が困るかもしれない」こういった先祖や子孫に対する「恥」や「責任」の意識が日本人の心の中にずっと生き続けてきました。それらの「恥」や「責任」の意識が失われたからこそ、現代日本社会の荒廃ぶりがあり、ハートレス社会となった現状があるわけですが、「恥」や「責任」の意識の欠片もない「MOTHER マザー」の秋子という主人公は、まさにそのハートレス社会のシンボルです。殺人を犯した息子は15年の懲役刑だそうですので、まだ刑務所の中にいるかと思いますが、読書が趣味とのことですので、可能ならば、『ご先祖さまとのつきあい方』をぜひ読んでほしいです。わたしが差し入れできるのなら、そうしたいです。


葬式は必要!』(双葉新書) 

 

また、この映画で秋子が息子や娘について、「わたしが生んだんだから、どんなふうに育てようが、わたしの勝手だよ!」と何度も言うシーンがあるのですが、この言葉には強い違和感を覚えました。言うまでもなく、子どもというのは親の所有物ではありません。それは、葬儀の場から家族以外の人をロックアウトする「家族葬」、通夜も告別式もせずに火葬場に直行する「直葬」といった最近の「薄葬」化の風潮とも通じるように思います。そもそも「家族葬」などという言葉が誤解を招くもとになっていますが、故人は家族だけの所有物ではありません。友人や知人や周囲の人々との縁や絆があって、はじめて故人は自らの「人生」を送ることを忘れてはなりません。拙著『葬式は必要!』(双葉新書)にも書いたように、生物としての「ヒト」はその生涯を終え、葬儀で多くの他人に弔ってもらうことによって初めて社会的存在としての「人間」となるのです。「わたしの家族なんだから、葬式をしようがするまいが、わたしの勝手だよ!」というのは、絶対に通用しません。



さて、この映画で長澤まさみとともに強烈な存在感を放っていたのが阿部サダヲです。秋子の内縁の夫となる名古屋在住のホストを演じますが、この男がこれ以上ないぐらいのクズで、最後は金を借りたヤクザに追い込まれて、たぶん殺されています。こいつは秋子や子どもに殴る蹴る暴行を加えるだけでなく、ラブホで子どもがいる前で秋子を抱くような恥知らずの男です。彼が名古屋のホストクラブで秋子を接客しているシーンがあるのですが、シャンパンを一気飲みする秋子を囲んでホストたちが「いい女!」とか掛け声を上げる、いわゆる「コール」で盛り上げる場面が印象的でした。いま、東京で感染者が増大している大きな原因として、夜の街、それもホストクラブの存在が指摘されています。他の飲食店のように、アクリル板やフェイスシールドで接客するならまだ感染リスクも低いのでしょうが、「コール」や「デュエット」や「アフター」などのホストクラブ独自の接客スタイルが封印されない限り、ホストたちに未来はないでしょう。



最後に、この映画、なんといっても、長澤まさみの汚れ役の凄まじさに圧倒されます。彼女の大ファンだという内海さんも、「あの長澤まさみがこんな汚れ役をやるとは!」と驚いていました。たしかに、彼女のデビュー作「世界の中心で、愛をさけぶ」(2004年)のヒロインの薄幸な運命に涙した者からすれば、今回の彼女の怪演は目を見張ります。わたしの最も好きな女優である岩下志麻は、「40歳までに汚れ役をやらないと、役者としての成長がないよ」と野村芳太郎監督から説得されて、松本清張原作の「鬼畜」(1978年)で鬼のような女を演じましたが、よく考えたら、「MOTHER  マザー」も「鬼畜」も同じ種類の映画ですね。


わたしは基本的に「美人女優は汚れ役など演じる必要はない」と考えている昔かたぎの男です。でも、「青春の門」の吉永小百合にしろ、「怒り。」の広瀬すずにしろ、美女であればあればあるほど、「キレイ」「かわいい」と言われるだけでは物足りず、役者としての実力を試したいと思うもののようですね。ただ、長澤まさみの場合、「MOTHER  マザー」で体当たりの演技をしたと言いますが、それならば、もう少し脱ぐべきだったと思います。せっかく濡れ場が何度もあったのに、下着姿にとどまり、セミヌードのシーンすらなかったのは中途半端で、少々残念でした。

 

2020年7月29日 一条真也

「日本老友新聞」に『心ゆたかな社会』が紹介されました

一条真也です。東京に来ています。
28日は社外監査役を務める互助会保証株式会社の監査役会および取締役会に出席。明日29日は早朝から自民党本部を訪れ、国会議員の先生方との意見交換会に参加。その後は全互協の正副会長会議や理事会などに出席する予定です。
さて、超高齢社会のオピニオンペーパーである「日本老友新聞」の2020年8月1日号に、拙著『心ゆたかな社会』(現代書林)が紹介されました。

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「日本老友新聞」2020年8月1日号 

 

紹介記事には以下のように書かれています。
「新型コロナが終息した社会は、人と人が温もりを感じる世界。アフターコロナ、ポストコロナを見据えた提言の書。ホスピタリティ、マインドフルネス、セレモニー、グリーフケア・・・次なる社会のキーワードは、すべて『心ゆたかな社会』へとつながっている。ポスト・パンデミック社会の処方箋――ハートフル・ソサエティの正体がわかった! 名著『ハートフル・ソサエティ』の刊行から15年、今、著書百冊目にあたる書籍として世に問う!」

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「リトル・ママ」2020年8月号 号

 

ブログ「『リトル・ママ』に『心ゆたかな社会』が紹介されました」で紹介したように、先日は、乳幼児を育てるお母さんたちが読む新聞で同書を紹介していただきました。赤ちゃんのママからお年寄りまで、広い年代層の方々に読んでいただきたいと願っています。そして、あらゆる年代が力を合わせてハートフル・ソサエティを実現したいものですね!

 

心ゆたかな社会 「ハートフル・ソサエティ」とは何か
 

 

2020年7月28日 一条真也