『エイリアン』

エイリアン──科学者たちが語る地球外生命

 

一条真也です。
東京に来ています。1月7日に配信されたCNNの記事には驚きました。英国初の宇宙飛行士の1人だった化学者のヘレン・シャーマン女史が、英日曜紙オブザーバーのインタビューの中で、「宇宙人は間違いなく存在する。地球上で人類に紛れ込んでいるかもしれない」という見解を明らかにしたのです。『エイリアン』ジム・アル=カリーリ編(紀伊國屋書店)を読みました。「科学者たちが語る地球外生命」というサブタイトルがついています。編者はイギリス・サリー大学教授(理論物理学)。英国科学協会会長、王立協会フェロー。専門は量子力学、量子生物学。科学番組のプレゼンテーターを務めるなど一般向けの多彩な活動で人気を集めており、王立協会マイケル・ファラデー賞、スティーヴン・ホーキング・メダルなどを受賞。

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本書の帯

 

本書の帯には、「もはやSFではない!」「天文学、宇宙物理学、生化学、遺伝学、神経科学、心理学・・・・・・各分野の第一線に立つ20人が、地球外生命の定義、存在するための条件と可能性、その形態、探査方法を検討。現実として浮かび上がる新しい『エイリアン』の姿」「極限環境微生物か、無機質な知性体か?」と書かれています。 

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本書の帯の裏

 

帯の裏には、以下のように書かれています。
「エイリアンの探索は、軽薄だとか、ときには――陰謀論や緑の小人が付きまとい――ばかげているとさえ見なされるテーマだ。しかし実は、地球外生命について考えることで、われわれはみずからの存在にかかわるきわめて深遠な疑問をいくつか投げかけ、答えを見つけはじめることまでできるようになっている。近年変わったのは、こうした深遠な疑問がもはや神学者や哲学者だけの領分ではなくなり、真面目な科学者もかかわるようになったということである。(中略)このアンソロジーは、あなた自身が結論を下すのに役立つはずだ。きっと楽しんでもらえるにちがいない。・・・・・・(「はじめに」)」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

はじめに――みんなどこにいるんだ?

    ジム・アル=カリーリ(理論物理学者)

第1章 われわれとエイリアン

    ――ポストヒューマンはこの銀河全体に広まるのか

    マーティン・リース(宇宙論者)

第Ⅰ部  接近遭遇

第2章 招かれ(ざ)る訪問者

    ――エイリアンが地球を訪れるとしたらなぜか

    ルイス・ダートネル(宇宙生物学者)

第3章 空飛ぶ円盤

    ――目撃と陰謀論をおおまかにたどる

    ダラス・キャンベル(科学番組司会者)

第4章 地球上のエイリアン 

    ――タコの知性からエイリアンの意識について何を知りうるか

    アニル・セス(認知神経学者)

第5章 誘拐――地球外生命との接近遭遇の心理学

    クリス・フレンチ(心理学者)

第Ⅱ部 どこで地球外生命を探したらいいか 

第6章 ホーム・スウィート・ホーム

    ――惑星をハビタブルなものにする条件は

    クリス・マッケイ(惑星科学者)

第7章 隣家の人――火星の生命を探る

    モニカ・グレイディ(宇宙科学者)

第8章 もっと遠く――巨大ガス惑星の衛星は生命を育めるか

    ルイーザ・プレストン(宇宙生物学者)

第9章 怪物、獲物、友だち――SF小説のエイリアン

    イアン・スチュアート(数学者)

第Ⅲ部 われわれの知る生命

第10章 ランダムさと複雑さ――生命の化学反応

     アンドレア・セラ(無機合成化学者)

第11章 深海熱水孔の電気的な起源

     ――生命は地球でどのように生まれたか

     ニック・レーン(進化生化学者)

第12章 量子の飛躍

     ――量子力学が(地球外)生命の秘密を握っているのか

     ジョンジョー・マクファデン(分子遺伝学者)

第13章 宇宙の必然

     ――生命の発生はどのぐらい容易なのか

     ポール・C・W・デイヴィス(理論物理学者)

第14章 宇宙のなかの孤独――異星文明はありそうにない

     マシュー・コッブ(進化生物学者

第Ⅳ部 エイリアンを探す

第15章 それは銀幕の向こうからやってきた
      ――映画に見るエイリアン

     アダム・ラザフォード(遺伝学者、著作家

第16章 われわれは何を探しているのか?
     ――地球外生命探査のあらまし

     ナタリー・A・キャブロール(宇宙生物学者)

第17章 宇宙にだれかいるのか?
     ――テクノロジーと、ドレイクの方程式と、地球外生命の探索

     サラ・シーガー(惑星科学者、宇宙物理学者)

第18章 大気に期待――遠くの世界に生命のしるしを見つける

     ジョヴァンナ・ティネッティ(宇宙物理学者)

第19章 次はどうなる?――地球外知的生命探査の未来

     セス・ショスタク(天文学者

「訳者あとがき」

「インターネット」
「参考文献」
「アダム・ラザフォードの必見エイリアン映画リスト」
「索引」
「執筆者紹介」



「はじめに――みんなどこにいるんだ?」では、理論物理学者のジム・アル=カリーリが、イタリア生まれのアメリカのノーベル賞物理学者で、20世紀の科学に莫大な貢献をいくつかしたエンリコ・フェルミの投げかけた単純な疑問を取り上げ、こう述べます。
フェルミが言いたいことは、こうだった。宇宙の誕生ははるか昔で、サイズもばかでかく、天の川銀河だけで5000億近くも恒星があって、その多くには惑星系がある。だから、地球が不思議なことに特別でないかぎり、宇宙は生命でごった返しているはずで、そのなかには、宇宙旅行に必要な知識と技術をもつほど高度な知性を備えた種もいるにちがいない。それならきっと、われわれの歴史上のどこかの時点でエイリアンが訪れていたはずだ。それどころか、フェルミが発言した当時報告されていた空飛ぶ円盤の目撃例も、本当だったかもしれない。フェルミにしてみれば、地球が特異でないとしたら、知的生命がほかのどこかにもいる可能性は圧倒的に高いばかりか、ある程度の勢力拡大の野心と十分に発達した宇宙旅行の技術をもつ異星文明が、これまでに天の川銀河全域に移住しているだけの時間はたんまりあったはずなのである。ならば、彼らはみんなどこにいるのか?」



続けて、カリーリは、「フェルミが出した結論は、『恒星間旅行に要する距離はとても長いから、光速を超えるものはないという相対性理論の制約により、エイリアンはだれも途方もない長旅をして地球を訪れることなど考えないだろう』というものだった。どうやら彼は、『技術の進んだ異星文明の存在は、そうした異星人が故郷の惑星を離れなくても検知できるにちがいない』とは考えなかったらしい。なにしろ、過去100年ほどにわたり人類は、十分に進歩して十分に近いところで耳をそばだてているエイリアンに、自分たちの存在を知らせつづけてきたのだ(近いというのは、地球から950兆キロメートル以内。100光年、つまり光が100年で進む距離に相当するためである)」と述べています。無線やテレビが発明されて以来、さらに最近では人工衛星や携帯電話の通信も急増して、人類は電磁波のおしゃべりを宇宙に拡散しています。カリーリは「かなり進歩したエイリアンが、十分に近い場所にいて、たまたまわれわれの太陽系に電波望遠鏡を向けていたら、人類の存在を示すかすかなシグナルをとらえることだろう」と述べるのでした。



第1章「われわれとエイリアン――ポストヒューマンはこの銀河全体に広まるのか」では、宇宙論者のマーティン・リースが、「SETIについて思うこと――見込みと手法」として、「宇宙に知的生命が広く存在していたとしても、われわれはそのうち特殊なごく一部を認識できるだけという可能性もある。われわれには思いも寄らないやり方で現実をとらえる『脳』もあるかもしれない。あるいは、黙想して省エネルギーの生き方をし、みずからの存在をいっさい明らかにしない脳も考えられる。まずは、われわれの地球のように、寿命の長い恒星のまわりを回る惑星に目を向けるべきだ、SFで想像される世界のほうが、生命が見つかりそうな場所についてもっと刺激的なイメージを見せてくれるとしても。とくに、ETを習慣的に『異星文明』と呼ぶのは限定しすぎではなかろうか」と述べています。リースによれば、「文明」とは個人の集まった社会を意味するそうです。一方、ETは1個の統合された知性体という可能性もあります。リースは「信号が送られていても、われわれは解読の仕方を知らなくて人工的なものとは気づいていないのかもしれない。AM(振幅変調)方式しか知らない無線技師は、現代の無線通信の解読には苦労するだろう」と述べています。



第3章「空飛ぶ円盤――目撃と陰謀論をおおまかにたどる」では、科学番組司会者のダラス・キャンベルが、有名な「ロズウェル事件」について、「今日、いつしかパロディに陥っているものの、ロズウェルは現代アメリカの大衆文化で重要な一部をなし、政府不信の大きな象徴となっている。2016年にはヒラリー・クリントンが、UFOへの政府の関与を調査することを選挙公約にまでした。それが、票を集めそうなほど大いに人々の興味を引くことなのである」と述べています。
ビル・クリントンバラク・オバマも、「ジミー・キンメル・ライブ!」というトークショー番組に出演してUFO問題への自分たちの関与について軽口をたたきました。クリントンは、2期目の任期中にロズウェル文書の再調査を命じたことを認めています。キンメルがクリントンに、ロズウェルとエリア51について「エイリアンがそこにいるのを目にしていたら、私たちに教えてくれますか?」と尋ねると、ビルは「ええ・・・・・・そうしますよ」と答え、大喝采を浴びました。「とはいえ、そう答えるものだとはあなたも思うだろう。ロズウェルは決して『事件解決』となりえないのだ」と、キャンベルは述べています。



第8章「もっと遠く――巨大ガス惑星の衛星は生命を育めるか」では、宇宙生物学者のルイーザ・プレストンが「今後について」として、「地球外生命を探している多くの科学者は、そうした生物の姿について、大衆文化のエイリアンとはまるで異なるものを思い描いている。彼らは灰色や緑の小人を探したり、その実在を期待したりしておらず、むしろ、単純な極限環境微生物や、アミノ酸などの有機化合物や、過去の生命の存在をほのめかす生物痕跡を見つける可能性のほうが高い。地球上の極限環境生物や、それが耐えられる環境条件をよく知るほど、別世界、とくに太陽系の外惑星の衛星に、生命がいる可能性は高まるのだ」と述べています。

 

コンタクト〈上巻〉

コンタクト〈上巻〉

 
コンタクト〈下巻〉

コンタクト〈下巻〉

 

 

第9章「怪物、獲物、友だち――SF小説のエイリアン」では、数学者のイアン・スチュアートがその冒頭で、カール・セーガンが著書『コンタクト』で述べた「もし私たちしかいなかったら、宇宙がずいぶんもったいないんじゃないかな」という言葉を紹介します。そして、スチュアートは「一見したところ、異星の生物や文明にかんするSFのストーリーは、未来のカウボーイとインディアンの話にすぎず、ただハードウェアがコルト45や弓矢より趣向を凝らしたものになっているように思われる。だが、ここまで語った話からわかるように、よくできたSFでエイリアンが主に果たしている役割は、われわれを人たらしめるものを探る、創意に富む手だてを新たに提供することだ。エイリアンは、われわれが乗り越えるべき問題を提示し、われわれ自身の欠点や弱点を検討するための鏡となる。エイリアンの扱い方や、彼らの存在に対する反応の仕方は、われわれ自身について多くのことを明らかにしてくれる。われわれはすでにエイリアンに会っており、それはわれわれなのである」と述べるのでした。

 



第19章「次はどうなる?――地球外知的生命探査の未来」では、天文学者のセス・ショスタクが「発見は何をもたらすか」として、以下のように述べています。
「SETIによる発見は胸を高鳴らせるだろうが、それは得られる情報のためではない。地球外に知性をもつ何かがいることを教えてくれるからであり、それ自体が哲学的に驚くべき結果なのだ。大騒ぎになるだろう。もちろん長期的には、見つかる信号がなんであれ、そこにコードされた情報が引き出せるかもしれないし、すでに述べたように、それがわれわれを超える知性の持ち主からのものであることは、ほぼ間違いない」ショスタクによれば、人類という種族の宗教や自尊心や未来といったものへの影響に、おぼろげに気づかされる可能性もあるそうです。見つけた信号がまるで理解できず、われわれが唯一の存在でないと知り、その意味を考えるしかないのかもしれません。一方で、17世紀にヨーロッパの進んだ数学や科学に触れた日本人が受けたような打撃を味わうことも考えられるといいます。ショスタクは「自分たちの未来を導く力や、挑戦する力にさえ、自信がもてなくなるおそれもある」と言っています。



さらに、セス・ショスタクは、「天文学者は、太陽以外の恒星をめぐるハビタブルな惑星を発見しつづけている。NASAケプラー宇宙望遠鏡によるデータの解析が続けられるにつれ、1年以内に地球にそっくりの別世界が見つかることもありうる。そうした惑星は、明らかに生命を宿す場所の候補となるだろうし、ひょっとしたら知的生命も宿しているかもしれない」と述べます。しかしながら、生命を宿す場所だからといって、知的生命がそこにとどまるとはかぎりません。それどころか、「われわれ自身の経験から考えれば、無線通信を発明したらほどなく揺りかごから出てしまいそうだ。すると知的生命は、はるかに賢く、細胞をもつ生体に比べて長命で広く行きわたる存在へと向かう足がかりにすぎないのかもしれない。ここにひとつの教訓がある。地球の外に知性体を探す際には、ほかの恐竜を探す恐竜になってはいけない」と、ショスタクは警鐘を鳴らします。



SETIとは、電波を用いた知的な生命体の探査です。SETIは、カール・セーガン原作で、ジョディ・フォスターが主演したSF映画「コンタクト」(1997年)で有名になりましたが、科学的な宇宙人探査がスタートしてすでに50年が経過しました。本書を読んで、この半世紀、特に最近の20年間の研究の軌跡がよくわかりました。地球外生命の研究は驚くべき発展を遂げており、いつか人類を震撼させるような大ニュースが届くことを期待しています。エイリアンは実在したほうが絶対に面白いに決まっているではないですか!

 

エイリアン──科学者たちが語る地球外生命

エイリアン──科学者たちが語る地球外生命

 

 

2020年2月20日 一条真也

「男と女 人生最良の日々」  

一条真也です。
18日、東京に来ました。
各種の打ち合わせを済ませた後、夜は日比谷にあるTOHOシネマズシャンテでフランス映画「男と女 人生最良の日々」を観ました。ずっと観たかった映画です。前作「男と女」「男と女Ⅱ」も大好きな作品ですが、今回の完結編(?)も素晴らしかったです。ハリウッド映画では絶対にありえない、老人同士の会話と回想のみで名作が完成したこと自体が奇跡的であり、大いに感動しました。また、わたし自身の人生の修め方についても想いを馳せることができました。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
カンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した名作ロマンス『男と女』の53年後を描いたラブストーリー。かつて熱い恋に落ちた男女のその後の人生を描く。メガホンを取った『愛と哀しみのボレロ』などのクロード・ルルーシュ、主演を務めた『ローラ』などのアヌーク・エーメと『愛、アムール』などのジャン=ルイ・トランティニャンら前作の面々が集結した」

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ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
レーシングドライバーとして活躍し、現在は老人ホームで暮らしているジャン・ルイジャン=ルイ・トランティニャン)は、記憶があいまいになりつつある中で、妻に自殺されたころに出会って強く惹かれ合ったアンヌ(アヌーク・エーメ)という女性のことだけは忘れていなかった。アンヌを追い求めるジャンの姿を目の当たりにした息子は、離れてから数十年も経っている二人を再会させるため、彼女を捜そうと思い立つ」

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もともと、わたしは「男と女」(1966年)という映画が大好きでした。共にパートナーを亡くした男と女が子供を通して出会い、過去にとらわれながらも互いに惹かれ合う姿を描いていますが、有名な「ダ~バ~ダ~、ダバダバダ、ダバダバダ♪」というフランシス・レイ作曲のテーマ曲とともに、「こんなロマンティックな恋愛がこの世にあるのか!」と完全に魅了されました。主演女優のアヌーク・エーメの美しさは神々しいまででしたし、さまざまなシーンを映し取る巧みなカメラワークも忘れられません。

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その20年後、「男と女Ⅱ」(1986)が公開されました。運命の出会いから20年ぶりに再会した2人。今では映画のプロデューサーとして成功しているアヌーク・エーメ演じるアンヌは、自分の娘を主演に立てて、かつての2人の愛の姿を映画として製作しようとします。そして、いまだにレーサー稼業を続けるルイとの愛も再び燃えあがろうとするのでした。前作ほどではないですが、やはり名シーンに溢れた思い出の映画です。

 

そして今回、「男と女 人生最良の日々」を観て、わたしは猛烈に感動しました。ルルーシュ監督は勿体ぶって、なかなか主題歌の「ダ~バ~ダ~、ダバダバダ、ダバダバダ♪」を流してくれませんでしたが、焦らされ続けた末についに主題歌が流れたのはルイとアンヌが53年ぶりに2人でドライブを楽しむシーン。もう感動のあまり涙が出てきました。映画に出てくるセリフも含蓄があり、冒頭には「最良の日々は、この先の人生に訪れる」というヴィクトル・ユゴーの金言が紹介され、老いたルイの「死は納めなければならない税金である」とか、アンヌの「1人のときは死ぬのが怖くなる。2人になると、相手が死ぬのが怖くなる」という「死」についての名言が登場しました。ちょうど今、わたしは『死を乗り越える名言ガイド』(現代書林)という本の校正を行っているところなので、ひときわ心に沁みました。それにしても、人生を終える直前に最愛の女性と再会できたルイがうらやましくて仕方がありません!



あと、この映画を観て、わたしは「やはりアヌーク・エーメは美しい!」と思いました。この映画には、わたしの大好きなモニカ・ベルッチも出演しています。確かに彼女も美しく、魅力的なのですが、アヌーク・エーメの神々しさには敵いません。アヌーク・エーメは現在なんと87歳ですが、年齢を重ねても美しいものは美しい。彼女はすでに70年以上のキャリアを誇る、フランスというよりもヨーロッパを代表する女優の1人です。欧米各国で各賞を獲得するなど国際的にも高く支持され、「映画史上最もセクシーな女優の1人」とも評されました。晩年期に入った近年も、各地で名誉賞を受賞しています。


Wikipedia「アヌーク・エーメ」の「来歴」には、「1932年4月27日、パリで生まれた。両親はともにユダヤ系の舞台俳優(コメディ俳優)。パリ9区のミルトン通り小学校に通っていたが、ユダヤ人迫害が激しくなってきたので、両親により送られたアキテーヌ地方のコニャック近郊バルブジュー=サン=ティレールで育った。ナチス・ドイツによるフランス占領期には、黄色の星を胸に身に付けるのを避ける為、母親の姓"デュラン"を名乗った。モルジヌの寄宿学校 (パンショナ, Pensionnat))に入り、この頃ロジェ・ヴァディムとも知り合った。1947 年、14歳の時にパリでその美貌からスカウトされ、アンリ・カレフ監督の『密会 (La Maison sous la mer) 』(1947年)に出演し、女優としてデビューした。その際、この作品の役名"アヌーク"を彼女が芸名に用いた。続いて、お蔵入りし未発表作品となったデビュー2作目 『La Fleur de l'âge 』(1947年)において、1作目から脚本で関わっていた詩人ジャック・プレヴェールが、芸名に"エーメ"を付け加えることを提案した。高校課程にあたるリセ課程はイギリスで学び、さらに演劇学校に通った」と書かれています。



また、エーメの「来歴」には、「1958年の『モンパルナスの灯』ではアメデオ・モディリアーニの妻ジャンヌ・エビュテルヌを演じ、その美貌で世界的な人気を博した。その後、フェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』(1960年)や『8 1/2』(1963年)やジャック・ドゥミ監督の『ローラ』(1961年)などに出演した。1966年、クロード・ルルーシュ監督の『男と女』でヒロインを演じ、ゴールデングローブ賞『主演女優賞』と英国アカデミー賞『外国女優賞』を受賞し、『アカデミー主演女優賞』にもノミネートされた。1980年には『Salto nel vuoto』でカンヌ国際映画祭『女優賞』を受賞した。 晩年期に入ると、2002年 セザール賞『名誉賞』、2003年 ベルリン国際映画祭『金熊名誉賞』などの各名誉賞を受賞している」と書かれています。



クロード・ルルーシュ監督は、1937年パリ生まれ、当年82歳です。Wikipedia「クロード・ルルーシュ」の「来歴」には、「パリ9区のユダヤアルジェリア人の家庭に生まれる。1960年に初の長編『Le propre de l'homme』を撮るが、『クロード・ルルーシュという名を覚えておくといい。もう二度と聞くことはないだろうから』と『カイエ・デュ・シネマ』誌に書かれるなど評論家からは酷評され、その後フィルムを破棄した。 その後も映画監督として活動しながら、PVの前進でもあるジュークボックスでかけるスコピトンの監督としてジャンヌ・モロー、クロード・ヌガロ、ジョニー・アリディ、ダリダ、クロード・フランソワらのシングル盤の映像を量産する。 彼が無名でスポンサーが付かず自主製作した、1966年公開の『男と女』カンヌ国際映画祭パルム・ドールアカデミー外国語映画賞を受賞、ようやく日の目を浴びた」と書かれています。クロード・ルルーシュも、アヌーク・エーメも、ともに「パリのユダヤ人」だったのですね。



続けて、ルルーシュの「来歴」には、「1968年の『白い恋人たち』は、同年のカンヌ国際映画祭で上映される予定であったが、この年の五月革命で映画祭自体が中止となった。また、映画自体は成功したものの、評論家の多くが五月革命の支持者で、ド・ゴール政権下のオリンピックという権威主義的と看做される題材を監督したために、『体制派』というレッテルを長く貼られ、正当な評価を受けられない時期が続いた。40年後の2008年、第61回カンヌ国際映画祭クラシック部門のオープニング作品として上映され、会場にはルルーシュ本人も訪れた。一方で、自作以外の製作者としても活躍し、ジャン=ダニエル・ポレの異色作『SF惑星の男』(1968年)、アリアーヌ・ムヌーシュキンの大作『モリエール』(1978年)なども手掛けている」とも書かれています。



さて、「男と女 人生最良の日々」を観たわたしは、老人ホームで暮らす主人公ルイが過去の記憶が抜け落ちている場面が印象的でした。そして、 ブログ「アリスのままで」で紹介したハリウッド映画を連想しました。主演のジュリアン・ムーアが第87回アカデミー賞で主演女優賞を受賞した傑作です。若年性アルツハイマー病と診断された50歳の言語学者の苦悩と葛藤、そして彼女を支える家族との絆を描く人間ドラマです。この映画を観たとき、わたしは究極のエンディングノートを目指して作った『思い出ノート』(現代書林)について考えました。エンディングノートとは、自分がどのような最期を迎えたいか、どのように旅立ちを見送ってほしいか・・・それらの希望を自分の言葉で綴る記述式ノートです。各種のエンディングノートが刊行されて話題となっていますが、その多くは遺産のことなどを記すだけの無味乾燥なものであり、そういったものを開くたびに、もっと記入される方が、そして遺された方々が、心ゆたかになれるようなエンディングノートを作ってみたいと思い続けてきました。また、そういったノートを作ってほしいという要望もたくさん寄せられました。

思い出ノート』(現代書林)

 

そこで、わたしは『思い出ノート』を作り、「思い出」によって人生を修めるという生き方を提案したのです。その中には、「今までで一番楽しかったこと」ベスト5、「今までで一番、悲しかったこと、つらかったこと」ベスト5、「子どもの頃の夢・あこがれていた職業・してみたかったこと」、「今までで最も思い出に残っている旅」、「これからしたいこと」、そして「やり残したこと」ベスト10といった項目も特徴的です。そして、「生きてきた記録」では、大正10年(1921年)から現在に至るまでの自分史を一年毎に記入してゆきます。参考として、当時の主な出来事、内閣、ベストセラー、流行歌などが掲載されています。こういったアイテムをフックとして、当時のことを思い出していただくわけです。



そして、その記憶のフックの中には映画が入っています。わたしの場合、将来、認知症などになったとしたら、人の名前や顔は忘れてしまうのではないかと思います。でも、何かの映画を観たとき、その映画を一緒に観た人だけは思い出せるような気がします。それぐらい、映画というのは役者、ストーリー、映像、音楽などからなる総合芸術であり、人間の記憶の深い部分を刺激する力を持っていると思います。

死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)

 

拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)において、わたしは映画とは「時間を生け捕りにする芸術」であると述べました。流れ去る時間をそのまま「保存」するからですが、「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながります。だからこそ、映画の誕生以来、無数のタイムトラベル映画が作られてきたのでしょう。しかし最近、映画そのものがタイムマシンであると思えてきました。思い出の映画を観たとき、人間の大脳はタイムマシンと化して、なつかしい「あの頃」に連れて行ってくれるのではないでしょうか。そんな気がしてなりません。映画とは思い出そのものなのです!

 

2020年2月19日 一条真也

グリーフケアの本質  

一条真也です。
18日、早朝から松柏園ホテルの神殿で恒例の月次祭が行われました。皇産霊神社の瀬津神職が神事を執り行って下さり、祭主であるサンレーグループ佐久間進会長に続いて、わたしが社長として玉串奉奠を行いました。わたしは、会社の発展と社員の健康・幸福を祈念しました。

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f:id:shins2m:20200218081545j:plain拝礼する佐久間会長

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わたしも拝礼しました

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神殿での一同礼!

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訓話する佐久間会長

神事の後は、恒例の「天道塾」を開催しました。最初に佐久間会長が訓話を行いました。会長は会場を埋め尽くしたマスク姿の人々を見てギョッとしたようで、「新型コロナウイルスの感染が拡大していますが、接客業でマスクをすることの是非を考えてみましょう」と言って、「社長はどう思うか?」とわたしに質問しました。わたしは、「現在、全国の一流ホテルやタクシーでもみんなマスクをしています。マスクをしないのは国会中継に写る国会議員とTV出演中の芸能人と夜のお店の人たちぐらいです。現在のような場合、冠婚葬祭業ではマスクをするべきだと思います。お客様も、そのほうが安心です」と答えました。その後、会長は沖縄への想いや不老長寿などについて述べました。

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わたしが登壇しました

 

佐久間会長に続いて、わたしが登壇しました。わたしは昨日、取材を受けた「月刊フューネラルビジネス」のインタビュー内容を中心に話しました。わたしは、グリーフケアの普及が、日本人の「こころの未来」にとっての最重要課題と位置づけています。上智大学グリーフケア研究所客員教授として教鞭をとりながら、社内で自助グループを立ちあげグリーフケア・サポートに取り組んでいます。2020年からは、副会長を務める全互協と同研究所のコラボを実現させ、互助会業界にグリーフケアを普及させるとともに、グリーフケアの資格認定制度の発足にも取り組んでいます。全互協内にグリーフワークPTを発足させ、わたしが座長として2021年秋にグリーフケア資格認定制度を開始するべく活動を進めています。

f:id:shins2m:20200218090947j:plainグリーフケアの本質について話しました

 

それから「グリーフケア」の本質についての話をしました。グリーフケアの目的は主に2つあります。「死別の喪失に寄り添う」ことと「死の不安を軽減する」ことです。人間にとって最大の不安は「死」です。死の不安を乗り越えるために、人類は哲学・芸術・宗教などを発明し、育ててきました。哲学・芸術・宗教は「死の不安を軽減する」ために存在していると言っても過言ではなく、それらの偉大な営みが「グリーフケア」という一語のもとに集約されてきています。「こころの時代」と言われてきて久しいですが、「こころの時代」とは「死を見つめる時代」であり、「グリーフケアの時代」です。

f:id:shins2m:20200218091215j:plainグリーフケアと互助会について

 

グリーフケアが冠婚葬祭互助会にとってなぜ必要になっているのか」についても話しました。冠婚葬祭互助会は、結婚式と葬儀の施行会社ではなく、冠婚葬祭に係る一切をその事業の目的としています。確かに結婚式と葬儀を中心に発展してきた業界ではありますが、結婚式と葬儀のいずれも従来は近親者や地域社会で行なってきたものが、時代の流れにより対応できなくなり、事業化されてきたとも言えます。

f:id:shins2m:20200218092425j:plain「悲縁」を互助会が育てている!

 

グリーフケアについても、葬儀後の悲嘆に寄り添うということから考えると、まさに冠婚葬祭の一部分と言えると思います。このグリーフケアについても、従来は近親者や地域社会が寄り添いクリアしてきた部分でしたが、現在その部分がなくなり、今必要とされているのです。「血縁」や「地縁」が希薄化する一方で、遺族会自助グループに代表される「悲縁」を互助会が育てているとも言えます。

f:id:shins2m:20200218091500j:plainなぜ、グリーフケアを学ぶのか?

 

わが社の営業エリアのような地方都市においては、一般的に両親は地元に、子息は仕事で都市部に住み離れて暮らす例が多く、夫婦の一方が亡くなって、残された方がグリーフケアを必要とれる状況を目の当たりにすることが増えています。地域社会との交流が減少している中、葬儀から葬儀後において接触することが多く故人のことやその家庭環境が分かっている社員が頼りにされるという状況も増えています。互助会としては、このような状況を放置することはできません。しかしながら、グリーフケアの確かな知識のない中、社員の苦悩も増加しており、グリーフケアを必要とされている方はもちろん、社員そして会社のために必要です。

f:id:shins2m:20200218091136j:plain互助会のCSRを!

 

次に、 「冠婚葬祭互助会がグリーフケアに取り組むことで、地域社会との関係がどのように変わっていくか」について話しました。グリーフケアにとどまらず、地域社会が困っていることや必要としていることに関わっていくのは、冠婚葬祭互助会のような地域密着型の企業にとっては事業を永続的に続けていくために必要なことです。それは社会的責任(CSR)を果たすことにつながり、地域に認められる存在となる重要なキーポイントだと思います。この日は、以上のような話をしました。

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沖縄からの中継のようす

f:id:shins2m:20200218102255j:plain最後は、もちろん一同礼!

 

その後、サンレー沖縄の佐久間康弘社長からの話があり、天道塾は終了しました。わたしは、そのまま北九州空港へ。スターフライヤーで東京に飛びます。今日は、各種の打ち合わせ。明日は全互協の正副会長会議および正副会長委員長会議、および互助会保証の監査役会打ち合わせなどに参加します。新型コロナウィルスの感染拡大の中、出張するのは気乗りしませんが、「天下布礼」のために頑張ります!

 

2020年2月18日 一条真也

バレンタインデーの願い

一条真也です。
18日、早朝から松柏園ホテルの神殿で月次祭、続いて同ホテルで天道塾が開催されました。それらに参加した後、わたしは北九州空港へ。そこからスターフライヤーで東京に飛びます。この日、「西日本新聞」に「令和こころ通信 北九州から」の第20回目が掲載されました。月に2回、本名の佐久間庸和として、「天下布礼」のためのコラムをお届けしています。今回のタイトルは「バレンタインデーの願い」。

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西日本新聞」2020年2月18日朝刊

 

2月14日はバレンタインデーでした。妻が朝一番で手作りのチョコレート&クッキーをくれました。もう30年以上もずっと2月14日には手作りのチョコを贈ってくれています。感謝しかありません。また、会社のみなさんや読者の方々からたくさんのチョコを頂戴しました。サンレー本社の女子社員のみなさんからは「日頃の感謝を込めて」とか、読者の方からは「執筆の合間にチョコっと召し上がってください」などと書かれた直筆カードが添えられていました。まさに、「かたじけなさに涙こぼるる」思いです。

 

クリスマスと同じように、戦後の日本の中で定着した欧米由来の年中行事の1つがバレンタインデーです。バレンタインというのは3世紀に実在した司祭の名前で、彼が殉教した日が2月14日でした。なぜ求愛の儀式になったかというと、戦争に出征する兵士たちの結婚を禁止した当時の皇帝の命令に背いて、結婚を許可したことで司祭が処刑されたからです。もとは求愛の儀式として欧米で定着したものでしたが、日本では女性から告白する、その際にチョコレートをプレゼントする意味合いを持ちました。その後、求愛儀式というより、同僚や仲間への気遣いとしての「義理」、さらには自分や友人に「ごほうび」を与える、そんな儀式に変わりつつあります。

 

映画「ショコラ」や「チャーリーとチョコレート工場」などでも描かれましたが、チョコレートは人の心を豊かにする素敵なお菓子です。しかし、わたしたちの手元に届くまでには深刻な事情があることをご存知でしょうか。2007年に出版されたキャロル・オフの『チョコレートの真実』(英治出版)という本によれば、原料となるカカオを栽培するアフリカの農園で働く子どもたちは、自分たちの過酷な労働の結果、夢のように甘くて美味しいお菓子が生まれることを知らないといいます。同書を読んだわたしは、カカオ農園で働く子どもたちにチョコレートを味あわせてあげたいと思いました。そして、「自分たちは人を幸せな気分にする素晴らしいものを作っている」ことに気付かせてあげたいと願いました。

 

ところで、わたしは、聖マザー・テレサをリスペクトしています。彼女の偉大な活動のひとつに「死を待つ人の家」を中心とした看取りの活動があります。ここで死にゆく人々は、栄養失調から苦悶の表情を浮かべている人も多いそうですが、いまわの際に氷砂糖やチョコレートなどを口に含ませると安らかに微笑んで旅立ってゆくといいます。アフリカの子どもたちや、インドの老人たちも含めて、あらゆる人々に美味しいチョコレートが行き渡り、みんなが幸せな気分になれますように!

 

2020年2月18日 一条真也

「ノートルダムの鐘」  

一条真也です。
17日の小倉は初雪が降って、かなり寒かった!
「フューネラルビジネス」誌のインタビュー取材を受けた後、わたしはJR小倉駅に向かい、博多行きの新幹線に乗りました。小倉駅のホームは寒風吹きすさぶ過酷な場所でした。JR博多駅に到着すると、キャナルシテイ博多の中にある「キャナルシティ劇場」を訪れました。

f:id:shins2m:20200217180404j:plainキャナルシティ劇場の前で 

f:id:shins2m:20200217180437j:plainキャナルシティ劇場にて

 

公式サイトの「はじめに」には、「世界的文豪ヴィクトル・ユゴーとディズニー音楽の巨匠アラン・メンケンが紡ぐ愛の物語」として、以下のように書かれています。
「『ノートルダムの鐘』は、世界的文豪ヴィクトル・ユゴーの代表作『Notre-Dame de Paris(ノートルダム・ド・パリ)』に想を得た作品です。これまでにも映画化、舞台化が繰り返されていますが、劇団四季が上演するのはディズニー・シアトリカル・プロダクションズが製作し、2014年に米国カリフォルニア州サンディエゴのラ・ホイヤ劇場で初演。その翌年2015年にニュージャージー州ペーパーミル劇場で上演されました」

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続けて、以下のように書かれています。
「楽曲は、1996年に製作され翌年にアカデミー賞にノミネートされた ディズニー劇場版長編アニメーションに基づき、作曲アラン・メンケン(『アラジン』、『美女と野獣』他)と作詞スティーヴン・シュワルツ(『ウィキッド』他)が手掛けるなど、劇団四季のレパートリー作品でもなじみあるクリエイターが楽曲を担当。脚本はピーター・パーネル(『On a Clear Day You Can See Forever』他)、演出はスコット・シュワルツ(『Jane Eyre』他)が手掛けています」



続けて、以下のように書かれています。
「15世紀末のパリを舞台に、ノートルダム大聖堂の鐘楼に住む男カジモド、その彼を密かに世話する大聖堂聖職者フロロー、同警備隊長フィーバス、そして、その3人が愛するジプシー娘エスメラルダが綾なす愛の物語―。今回の演出版では、ユゴーの原作がもつシリアスな印象を重要視し、人間誰もが抱える“明”と“暗”を繊細に描くことで、深く美しい人間ドラマに創り上げました。実際に、『心に強く訴え、熱烈に感情を揺さぶる。素晴らしいパフォーマンスに促され、観客は喝采する』(バラエティ誌)、『強力で魅力的。愛と報復の物語に新鮮な深みを得る。圧倒的な喜び』(サンディエゴ・ユニオン・トリビューン)、など、国内批評家に好意的な印象を与えています。まさに“大人のための上質な演劇作品”と呼ぶことができるでしょう」



 公式サイトの「ストーリー」には、「カジモドの切なく悲しい愛の物語。そのなかに見出す、ひとすじの光とは――」として、こう書かれています。
「15世紀末のパリ。街の中心に存在するノートルダム大聖堂の鐘突き塔には、カジモドという名の鐘突きが住んでいた。幼き時に聖堂の聖職者フロローに引き取られた彼は、その容貌から、この塔に閉じ込められ、外の世界と隔離されていた。塔上から街を眺めて暮らす日々。友と言えば、何故か彼を前にした時に生命を宿す石像(ガーゴイル)と、鐘だけ。いつも自由になることを夢見ていた」



続けて、以下のように書かれています。
「今年も、年に一度の“らんちき祭り”の日がやってきた。大いに盛り上がる人々の様子に堪えることができなくなったカジモドは、ガーゴイルたちにそそのかされ、塔を抜け出した。美しきジプシーの踊り子エスメラルダと出会う。折しも、最も醜い仮装をした者を決めるコンテストが始まったところ。自分が持っているものを活かすべきと言うエスメラルダに手を引かれ、カジモドはステージに上がる。その容貌が仮装ではないと知った聴衆は、残酷なまでに嘲りの言葉を浴びせ、彼を捕えようとする。エスメラルダは咄嗟にかばう。大聖堂へ戻ったカジモド。彼を大衆の面前にさらしてしまったことの責任を感じたエスメラルダも、後を追う。差別の情なく、誠実で優しい言葉をかけるエスメラルダ。カジモドにとっては生まれて初めての経験。彼女へ愛を抱くことは必然だった」



さらに、以下のように書かれています。
「一方、聖職の身でありながら、エスメラルダの美しさに邪悪な欲望を抱いたフロローは、市民と教会を守るという名目で、大聖堂警備隊長フィーバスにジプシー排除を命じ、彼女の捜索を始める。しかし、フィーバスもまた、以前からエスメラルダの魅力にとりつかれていた。彼は命令に背き、エスメラルダを救出しようとするが、逆にフロローに刺され重傷を負ってしまう。大聖堂へ逃げ込むフィーバスとエスメラルダ。二人の間に愛の萌芽を感じたカジモドは、これまで感じたことない心痛を得ながらも、愛するエスメラルダのために、二人をかくまう。エスメラルダはジプシーの隠れ家“奇跡御殿”の地図が暗示されたペンダントのお守りをカジモドに託し、姿を消す」



そして、以下のように書かれています。
「カジモドのエスメラルダへの愛情を察したフロローは、その想いを利用すべく、故意に奇跡御殿襲撃計画を漏らす。危険を知らせようと御殿へ向かうカジモドとフィーバス。ペンダントに導かれるままたどり着くが、フロローの罠にはまり、エスメラルダもろとも捕らえられてしまう。大聖堂に幽閉されたカジモドたち。フロローはエスメラルダへ自分の愛を受け入れるのならば解放すると迫る。取引に応じるよう説得するフィーバス。しかしエスメラルダは頑なに拒む。フロローの愛は憎しみへと変わり、エスメラルダを火刑へ。やがて刑執行のそのとき、カジモドは縄をほどき、エスメラルダを救出するが・・・」



さて、「ノートルダムの鐘」の感想ですが、あまりピンときませんでしたね。今回は劇団四季さんのご招待で鑑賞したので、気が引けるのですが、登場人物がストーリーを語る演出にすごく違和感がありました。特に最後、主人公のカジモドが背中のコブが消えた状態で、「ノートルダム寺院の地下室から、背骨の曲がった焼死体が出てきました」などと、彼自身の最期のようすを他人事のように語る場面を見て、「おいおい、それは、ありえないだろう!」と思いました。音楽などは悪くなかったのですが、最後のカジモドの語りを聞いて、一発で興醒めになりましたね。同じ異形の主人公の物語なら、「オペラ座の怪人」のほうがずっと完成度が高かったです。



まあ、「オペラ座の怪人」は、もともとミュージカル作品として作られたので、当然といえば当然ですが・・・・・・。一方、「ノートルダムの鐘」はディズニー・アニメをミュージカル化したものです。その違いは歴然としていました。やはり、ディズニー・アニメのミュージカル化はアニメを超えることができませんね。あと、わたしは1階最後列のほぼ中央の席だったのですが、すぐ目の前の席に巨人が座ったので、舞台のかなりの部分が見えない状態でした。せっかく楽しみにしていたミュージカル鑑賞だったのに、まことに残念でした。

 

2020年2月17日 一条真也

「フューネラルビジネス」取材  

一条真也です。
17日、12時半からリーガロイヤルホテルで開催されたロータリークラブの小倉5クラブ合同例会に出席。その後、14時から サンレー本社で業界誌のインタビュー取材を受けました。総合ユニコムが発行している「月刊フューネラルビジネス」の取材です。

f:id:shins2m:20200217122652j:plainRC小倉5クラブ合同例会に参加しました

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インタビュー取材のようす

 

同誌はフューネラル業界のオピニオン・マガジンとして知られています。互助会経営者には、基本的に同業者が読む業界誌の取材を受けたがらないという傾向がありますが、わが社は「天下布礼」の旗を掲げていますので、少しでも業界発展のためになるならとインタビューをお受けしました。また、今回は「グリーフケア特集」の取材ということなので、万障繰り合わせて時間を作りました。

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グリーフケアについて話しました

 

わたしは、グリーフケアの普及が、日本人の「こころの未来」にとっての最重要課題と位置づけています。上智大学グリーフケア研究所客員教授として教鞭をとりながら、社内で自助グループを立ちあげグリーフケア・サポートに取り組んでいます。2020年からは、副会長を務める全互協と同研究所のコラボを実現させ、互助会業界にグリーフケアを普及させるとともに、グリーフケアの資格認定制度の発足にも取り組んでいます。全互協内にグリーフワークPTを発足させ、わたしが座長として2021年秋にグリーフケア資格認定制度を開始するべく活動を進めています。このあたりを、お話できる範囲で話しました。

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グリーフケアの本質とは?

 

それから「グリーフケア」の本質についての話をしました。グリーフケアの目的は主に2つあります。「死別の喪失に寄り添う」ことと「死の不安を軽減する」ことです。人間にとって最大の不安は「死」です。死の不安を乗り越えるために、人類は哲学・芸術・宗教などを発明し、育ててきました。哲学・芸術・宗教は「死の不安を軽減する」ために存在していると言っても過言ではなく、それらの偉大な営みが「グリーフケア」という一語のもとに集約されてきています。「こころの時代」と言われてきて久しいですが、「こころの時代」とは「死を見つめる時代」であり、「グリーフケアの時代」です。

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グリーフケアと互助会について

グリーフケアが冠婚葬祭互助会にとってなぜ必要になっているのか」についても話しました。冠婚葬祭互助会は、結婚式と葬儀の施行会社ではなく、冠婚葬祭に係る一切をその事業の目的としています。確かに結婚式と葬儀を中心に発展してきた業界ではありますが、結婚式と葬儀のいずれも従来は近親者や地域社会で行なってきたものが、時代の流れにより対応できなくなり、事業化されてきたとも言えます。グリーフケアについても、従来は近親者や地域社会が寄り添いクリアしてきた部分でしたが、現在その部分がなくなり、今必要とされているのです。「血縁」や「地縁」が希薄化する一方で、遺族会自助グループに代表される「悲縁」を互助会が育てているとも言えます。

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なぜ、資格認定制度が必要か?

 

地方都市においては、一般的に両親は地元に、子息は仕事で都市部に住み離れて暮らす例が多く、夫婦の一方が亡くなって、残された方がグリーフケアを必要とれる状況を目の当たりにすることが増えています。地域社会との交流が減少している中、葬儀から葬儀後において接触することが多く故人のことやその家庭環境が分かっている社員が頼りにされるという状況も増えています。互助会としては、このような状況を放置することはできません。しかしながら、グリーフケアの確かな知識のない中、社員の苦悩も増加しており、グリーフケアを必要とされている方はもちろん、社員そして会社のために必要です。そのための資格認定制度であると考えます。

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グリーフケアは互助会のCSRである!

 

グリーフケアは悲嘆への対応、「冠婚葬祭」のなかで「葬」と「祭」に関わることが多く、「大切な人を亡くしたこと」に対してどのようなことが出来るかということです。これまでは「葬」の儀式以後に法事法要といった儀式でその一部に対応してきましたが、現在の宗教離れや考え方の多様化によって機能不全に陥ってきたことは否めません。冠婚葬祭互助会は生まれてから「死」を迎えるまで人生の通過儀礼に関わっています。葬儀が終わっても法事法要のお世話など故人だけでなくその家族にも寄り添い続け、また新たな「生」や「死」に対しても家族と一緒に寄り添っていきます。それは社会的責任(CSR)を果たすことにつながり、地域に認められる存在となる重要なキーポイントだと思います。

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さまざまな質問をお受けしました

 

互助会が冠婚葬祭のすべてとグリーフケアを行うことによって人が生きていくうえで必要な儀式とケアが行えることになります。古来よりその役目を担ってきた地域の寺院の代わりに不可欠なとして存在していくことで地域社会に必要なものとして、より根差していけるのではないでしょうか。また、地域ごとにセレモニーホールを持つ冠婚葬祭互助会は寺院が担ってきた地域コミュニティの中心としての存在となり得ることが可能です。それは人と人が関わりあう地域社会の活性化にもつながっていくと考えられます。この日の取材では、以上のような話をしました。

f:id:shins2m:20200217152620j:plain柴山社長の思い出を話しました

 

最後に、ブログ「柴山文夫氏お別れ会」でも書いたように、ラックの柴山社長は数年前に最愛のお嬢様を亡くされ、それを機にグリーフケアの重要性を唱えておられました。ブログ「全互協総会in仙台」で紹介した昨年8月22日の業界の会合では、「歴代会長と正副会長の懇談会」に出席され、「互助会こそグリーフケアに取り組むべき」「グリーフケアによって、葬祭スタッフは仕事に誇りを持てる」「早急にグリーフケアの資格認定制度の立ち上げを!」と強く訴えられました。

f:id:shins2m:20200124133147j:plain故人の遺志を必ず継ぎます!

 

その後、全互協内にグリーフケアPTが発足し、わたしが座長になりました。2021年秋スタートを目指して、資格認定制度も動き始めました。昨年11月25日に行われた互助会保証の取締役会の終了後、そのことを互助会保証の会長に就任されたばかりの柴山氏にお伝えすると、当時かなり衰弱した様子だった氏はニッコリと笑って「それは良かったですね。頑張って下さい!」と言って下さいました。それが、わたしとの最後の会話になりました。その約3週間後に柴山氏は人生を卒業されたのです。わたしは、「柴山氏の遺志を継ぎ、必ずや互助会業界にグリーフケアを浸透させたいです」と述べました。

 

2020年2月17日 一条真也

『南方熊楠と宮沢賢治』

南方熊楠と宮沢賢治 (平凡社新書0933)

 

 一条真也です。
2月17日になりました。この日、『南方熊楠宮沢賢治鎌田東二著(平凡社新書)が刊行されます。版元から献本されたので、わたしは3日前に読了しました。「日本的スピリチュアリティの系譜」というサブタイトルがついていますが、わたしは本書の刊行を心待ちにしていました。本が届くやいなや、出張先の神戸に向かう新幹線の車中で貪るように読みました。ブログ『世直しの思想』ブログ『世阿弥』で紹介した著者の二大「集大成」を経て、ブログ『日本人は死んだらどこへ行くのか』で紹介した本では「死」と「死後」と「葬」を軽やかに語った著者ですが、令和の時代になって日本思想史の謎を解く稀有な名著が誕生しました。

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本書の帯

 

本書の帯には「観察と詩情、直感的理解の高みへ」と大書され、続いて「自然観察と農民芸術」「熊野と花巻」「真言密教法華経」「異なる場所、異なる立場と手法で、それぞれに日本のスピリチュアリティの本質を見抜かんとした二人の驚くべき共通点とは? 明治・大正期日本に燦然と輝く二つの知的巨星を比較対照する評伝!」と書かれています。

 

カバー前そでには、以下の「内容紹介」があります。
「明治・大正期、日本では近代国家形成に伴う独特の解放感が生まれていた。宗教や伝統社会への自由な問い直し。そして、自然と人間を繋ぐ神秘の探求。そのなかで、ひときわ輝きを放つ二つの知的巨星があった。
和歌山・熊野の地で独自の民俗学を展開した南方熊楠
岩手・花巻にあって農本主義的表現を志した宮沢賢治
彼らがそれぞれに探求した『世界の真実』の、共通点と違いは何だろうか。自然/人間精神の総合的な智=『生態智』を見抜かんとし、当時最新の西洋思想をも援用して挑んだ二つの知性とは。日本のスピリチュアリズムにおける最高到達点の秘密を探る!」

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本書の帯の裏

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

序章  二人のM・K 

    ――横一面男と縦一面男

第一章 観察と聴取 

    ――五感の彼方へ・
              熊楠と賢治の超感覚

第二章 真言密教法華経 

    ――二人のM・Kの宗教世界

第三章 1910年の熊楠と賢治 

    ――ハレー彗星インパクトと
               変態心理学

第四章 妖怪学の探求と表現

終章  生態智を生きる道

「引用・参考文献」
「あとがき」



序章「二人のM・K――横一面男と縦一面男」の冒頭は、「横一面男・南方熊楠」として、こう書かれています。
南方熊楠とかけて何と解く。『横一面男』と解く。『縦なしの横一面男』と解く。その心は、『あらゆるものごとや出来事にどこまでもつながっていって果てしがない、キリがない、際限がない』からである。物・事・心が相互に連絡・連関し合い、どこまでも連なり、一大知的宇宙を日々膨張させ、更新して止むことがない。そんな運動体、それが『一切智曼陀羅』人間・南方熊楠である」



続いて、著者は「縦一筋男・宮沢賢治」として、「このような奇人変人、常識はずれの南方熊楠に対し、宮沢賢治とかけて何と解く。『縦一筋男』と解く。『横抜きの縦一直線男』と解く。その心は、『よだかの星』のよだかのように、どこまでもどこまでも垂直に天空飛行し、銀河系の彼方に飛び込んでいって木っ端微塵に散らばっていこうとするからである。それが『銀河系曼陀羅』人間・宮沢賢治である」とも書いています。

 

わたしは、これを読んで「さすが!」と感心しました。
というのも、南方熊楠宮沢賢治も、彼らが活躍した当時はどうあれ、現在では二人とも大変な有名人であり、彼らについての書籍も多く、論考も出尽くした観があります。そこにあえて著者・鎌田東二氏が二人について論じるとなると、何か読書の意表を衝くパンチが必要です。本書では、いきなり「横一面男・南方熊楠」と「縦一筋男・宮沢賢治」という先制のワンツー・パンチを繰り出してくれました。「二人のM・K」という表現も秀逸ですが、「横一面男」と「縦一筋男」はさらにお見事です。

 

日本人は死んだらどこへ行くのか (PHP新書)

日本人は死んだらどこへ行くのか (PHP新書)

 

 

もともと、著者は「キャッチフレーズの名人」です。秀逸なコピーセンスの持ち主で、いつも感服しています。たとえば、神と仏の違いについて、著者は「神は在るモノ/仏は成る者」「神は来るモノ/仏は往く者」「神は立つモノ/仏は座る者」などの言葉を残しています。また、スピリチュアルケアやグリーフケアで話を傾聴することが重要な理由として、3つの「シ」を持ち出します。『日本人は死んだらどこへ行くのか』において、著者は「ある人が身近な人の死に遭遇したり、死を意識したときに物語る言葉を一心に聞くのは、相手に心の拠り所をつくらせる、非常に重要な確認・納得行為です。つまり、『死』が『史』への認識を深めさせ、さらに『史』を物語るべく『詩』にしていくプロセスを、各自が意識していくべきなのです。今後さまざまな意味で、3つの『シ』が顕在化してくると思います」と述べていますが、この3つの「シ」でも、名コピーライターとしての著者の面目躍如ですね。

 

春と修羅 (愛蔵版詩集シリーズ)

春と修羅 (愛蔵版詩集シリーズ)

 

 

本書の第一章「観察と聴取――五感の彼方へ・熊楠と賢治の超感覚」では、南方熊楠宮沢賢治という二人の巨人の思想でこれまで難解で理解されにくかった部分を鮮やかに解き明かします。まず、「わたくしという現象」として、賢治が壮大なる野心と大自信を持って1000部自費出版した最初の著作である心象スケッチ集『春と修羅』の冒頭の「序」の冒頭にある「わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)/風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です」という有名な言葉を紹介します。



宮沢賢治は、自分を一個の「電燈」と考えました。それでは、その電燈の電源はどこにあるのかというと、「銀河系統」とも「第四次延長」とも法華経「第十六如来寿量品」が説く「久遠実成の本仏」とも言えます。要するに、電燈を明滅させる宇宙電流(銀河電流)があり、その光を送信してくる「本体」がある。そのような「本体」の根源に永遠の仏(久遠実成の本仏)がいると、賢治は考えたというのです。著者によれば、『春と修羅』の「春」とは、「ひかり」の送信元の銀河や久遠実成の本仏を象徴しているといいます。それに対して、「修羅」とは、「わたくし」として明滅し、苦悩や瞬間の喜悦に一喜一憂するせわしく忙し気な現象態だといいます。その現象態の感官に映し出された「風景」や「けしき」や「みんな」が、この『春と修羅』にスケッチされた点滅事象なのです。賢治は、その事象をあるがままに映し、「こゝろのひとつの風物」としてそのまま記録しただけなのであり、だからこそ『春と修羅』は「詩集」ではなく「心象スケッチ」なのです。

 

そして、点滅事象として映し出され、スケッチされたものが「虚無」ならば、事象そのものが虚無なのであって、世界はそのようにある、ということになります。だからこそ、「すべてがわたくしの中のみんなで」、かつ、「みんなのおのおののなかのすべて」なのです。「わたくし」の中に「みんな」が映ずるし、「みんな」それぞれの中に「すべて」があるし、映り合う。こうして世界はホログラフィックなネットワークの中にある。宮沢賢治が『春と修羅』の「序」で言わんとしていることは以上のようなことであり、著者によれば、これは華厳経密教の「重重帝網」の捉え方と共通するといいます。

 

農民芸術概論綱要

農民芸術概論綱要

 

 

「透明な幽霊の複合体と複心」として、宮沢賢治が「透明な幽霊の複合体」として「わたくし」を捉えていたことは、南方熊楠が自己の心を「複心」と捉えていたことと通じるものがあると、著者は述べます。熊楠は「この世界のことは決して不二ならず〔一つではない、一つとして同じものはない〕、森羅万象すなわち曼陀羅なり」と喝破しました。著者は、「熊楠によれば、世界は『不二』ではない。賢治風に言えば、『各別各異』に生きている(「まづもろともにかがやく宇宙の微塵となりて無方の空にちらばらう/しかもわれらは各々感じ 各別各異に生きてゐる」『農民芸術概論綱要』「農民芸術の綜合」)。それは、『森羅万象』が個別多様でありつつ『各別各異』に『密接錯雑』し合っている『曼陀羅』であるということである」と述べています。

 

南方熊楠コレクション〈第1巻〉南方マンダラ (河出文庫)

南方熊楠コレクション〈第1巻〉南方マンダラ (河出文庫)

 

 

さらに、熊楠によれば、その森羅万象曼陀羅の中にあっては、個人の「心」は「単一」ではなく、「複心」であるといいます。賢治風に言えば、「透明な幽霊の複合体」。だから、人の「心」は一つではなく「数心」が集まったもので、それは点滅・明滅し、常に変わりゆきます。しかし、変化しつつも、以前の「心の項要(印象)」を印づけ、刻み、スケッチします。この「複心」の内、多くの「数心」が死後も留まるわけではなく、少しは残存するのです。「永留」(永続、霊魂不滅)するものもあります。「天才」というのも、そうした「心」、すなわち意識の層のありようと関係します。たとえば、ふと良い考え(妙想)が浮かんだりすることがありますが、これらは仏教にいうアーラヤ識(阿羅耶識)の生み出す「妙見」です。意識は表面的で顕在的な「上層の心機」、つまり自我意識的な理性的表層意識が働いていますが、その下層には潜在的な「潜思陰慮する自心不覚識」たるアーラヤ識があるのです。

 

だからこそ、そのような潜在意識のはたらきを用いて、遠くを見たり聞いたりするテレパシー的な「静的神通」や、遠くのものを近くに呼び寄せるテレポート的な「動的神通」などの「神通力」も発現する。また、「即身成仏」も可能である。このような神秘現象が起こる機序(メカニズム)というものが、実はあるのだ。これが熊楠の考えです。著者は以下のように述べます。
「熊楠と賢治には、基本的に仏教的な縁起や無常の思想がある。森羅万象は留まることなく変転し、生成変化する。しかし、そのような変化相を生み出す本体としての真言密教大日如来や久遠実成の本仏が想定されている。縁起的関係性と本体論的な実在性の両極を、二人の思考は楕円軌道でめぐる。一方では現象学的な微分思考の分子生態学の列車に乗って、他方では形而上学的な永遠思考の霊子生態学の列車に乗って。そんな両極の緊張とダイナミズムの中で、二人のM・Kの果敢な探究と表現が生まれたのである」

 

銀河鉄道の夜

銀河鉄道の夜

  • 作者:宮沢 賢治
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1982/12/17
  • メディア: ハードカバー
 

 

熊楠はテレパシー的な「静的神通」の実在を認めていましたが、賢治もまたテレパシーには関心を持っていました。『銀河鉄道の夜』第三次稿を読むと、そのことがよくわかります。賢治はそこで、ブルカニロ博士にテレパシー実験をさせています。賢治にとって、『春と修羅』は「或る心理学的な仕事」の下準備のための下書きのようなものでした。著者は、賢治が『春と修羅』の「序文」で試みたのは「歴史と宗教の位置を全く変換しようと企画」したことであるといいます。そして、宗教の新次元を披き、歴史軸を「第四次延長」として立体化し、そこにおけるわたしたちがまだ気づかずにいる未知なる世界感覚を開示しようとしたといいます。賢治が一番やりたかったことは、そんな、認識のコペルニクス的な転回を伴う「或る心理学的な仕事」だったのです。では、具体的にそれは何かといえば、実は、透視やテレパシー実験などを含む、心の不思議な次元と作用の解明でした。著者は「当時の言葉で言えば、変態心理学、その後の用語では超心理学や異常心理学や深層心理学トランスパーソナル心理学の問題領域であった」と述べています。

 

心理学概論

心理学概論

  • 作者:元良勇次郎
  • 出版社/メーカー: 丁未出版社(ほか)
  • 発売日: 1915
  • メディア:
 

 

ドイツ文学者の植田敏郎は、著書『宮沢賢治とドイツ文学〈心象スケッチ〉の源』において、宮沢賢治には日本に心理学という学問を導入した東京帝国大学文科大学心理学教授の元良勇次郎の『心理学概論』の影響があったことを指摘しています。この元良勇次郎の愛弟子が「千里眼事件」で東京帝国大学助教授を辞任することになった福来友吉でした。著者は述べています。
「さまざまなアプローチを駆使して心という内界の現象の解明をめざした初期の心理学において、透視や念写は人間の持つ不思議な心的能力を実験的に解明するまたとない現象であった。福来は東京帝国大学で複数の科学者の立ち合いのもと、二度にわたる『千里眼』の公開実験を実施するが、それが『手品』であると疑われ、その疑惑を晴らすことができぬまま東京帝国大学助教授の座を追われることになった」



宮沢賢治はこの事件が起きた明治43年(1910年)、盛岡中学校の2年生として在学する15歳の少年でした。著者は、「世上を騒がせた『千里眼事件』のニュースを新聞などで見て、賢治は心霊研究や超能力研究を含む新しい心理学の動向に関心を向け始めていたかもしれない。それが、後の『春と修羅』の『或る心理学的仕事』となり、『銀河鉄道の夜』でのテレパシー『実験』となった」と書いています。このように賢治に大きな影響を与えた福来友吉の教え子の1人に柳宗悦がいます。民藝運動を起こした思想家、美学者、宗教哲学者として知られていますが、福来が研究した心霊現象にも深い関心を寄せていました。賢治は作品中でよく「宇宙意志」という言葉を使いましたが、これは柳が『白樺』第6・7号掲載の「新しき科学」で主張した「宇宙の意志」の影響ではないか、と著者は推測します。

 

柳宗悦コレクション3 こころ (ちくま学芸文庫)

柳宗悦コレクション3 こころ (ちくま学芸文庫)

 

 

柳によれば、自然界の法則も「宇宙の意志」のはたらきによるものであり、すべての現象が「心霊の影像」だといいます。世界とは「宇宙の霊的意志の表現」ですから、森羅万象に宇宙意志や心霊の影像を見て取る「万有神論(Pantheism)」こそ、世界の実相を把握した「宗教、哲学及科学が融合せらる可き唯一の最終点」であると柳は結論づけています。このような主張を柳が発していた明治43年9月当時、「心霊」という言葉も流行語の1つでした。たとえば、同年、高橋五郎は『心霊万能論』(前川文栄閣)を出版していますし、前年の明治42年に平井金三は『心霊の現象』(警醒社)を刊行しています。

 

心霊万能論

心霊万能論

  • 作者:高橋五郎
  • 出版社/メーカー: 前川文栄閣
  • 発売日: 1910
  • メディア:
 

 

そのような状況下、柳は「新しき科学」の論考で、

①「人間とは何か」
  を問う生物学における人性の研究
②「物質とは何か」 
  を問う物理学における電気物質論
③「心霊とは何か」
  を問う変体心理学における心霊現象の攻究

の「三つの科学」を新科学の最前線の学問として情熱的に論じ、そこで、精神感応(テレパシー)、透視力(クレール・ヴオワイアンス)、予覚(プレモニシヨン)、自動記述(オートマテイツクライテイング)、霊媒、心霊による物理現象や妖怪現象などの超常現象や死後の存在についての「実証」を試みました。つまり彼は、「新しき科学」の最前線を「心霊現象の攻究」に見ていたのです。著者は、「賢治がこのような『新しき科学』の影響圏にいたことはまちがいない。そしてそれを独自の観点と経験から補強し、実証しようとしていた。それが賢治の抱いていた『或る心理学的な仕事』であった。その心理学は、柳の言う『変体心理学』であり、那智山で熊楠が発した『変態心理学』である」と述べています。

 

「魂遊あるいは対外離脱体験」として、著者は熊楠や賢治が、臨死体験に見られるような対外離脱的な体験の持ち主であることを紹介します。また、二人はともに幽霊などを見ることができる見霊者でもありました。ある意味で、二人は「霊的天才」であり、さまざまな宗教の教祖のような「宗教的天才」だったのでしょう。著者は「二人の宗教を一言で言えば、真言宗法華経大日如来と久遠実成の本仏、空海日蓮あるいは田中智学、両部曼陀羅と法華曼陀羅(大曼陀羅)、と言えるだろう」と述べています。さらに詳しく二人の信仰を見ると、著者は「熊楠には、3つの宗教性のレベルがある。1つは、トーテミズム。2つめは真言密教。3つめは神社の意味論と機能論。この3つである。熊楠は真言密教曼陀羅世界を自然科学的な世界像と結びつけて捉えていたが、彼の宗教意識の根幹にはトーテム信仰と呼べる原始生命観があった」と分析します。

 

では、賢治の信仰はどうだったのか。彼には隠し念仏から法華経までの大変複雑な混淆した重層信仰があったとして、著者は以下のように述べています。
隠し念仏浄土真宗も、アニミズムシャーマニズムもトーテミズムも、それぞれに濃厚な宗教的意味世界を持っている。賢治の存在感覚はそれら各個それぞれの意味も世界も理解できる。しかし、それを包括しつつ一貫させる理法を賢治は持たなかった。だがそれらをすべて包含しながら、一つに串刺ししていく存在の理法とコンパス(羅針盤)が法華経には詰まっていた。アニミズムもトーテミズムもシャーマニズムもみな法華経が包含できる。日蓮法華経は独自の曼陀羅思想を持っているからだ」
さらに、熊楠と賢治がそれっぞれに辿り着いた仏教について、著者は「熊楠仏教と賢治仏教に共通するのは、アニミズムやトーテミズムやシャーマニズムを内包しつつ曼陀羅として包摂し体系化する密教的な世界観であった。そしてそれが動植物や鉱物への共振的探針を伴った」と述べるのでした。



第三章「1910年の熊楠と賢治――ハレー彗星インパクトと変態心理学」では、ハレー彗星の到来によって、世界中に騒動が巻き起こり、日本人も大いに影響を受けたことが興味深く紹介されています。ハレー彗星の影響によって地球規模の気象変化がどのように起こるのかまったく予測がつかなかったために、多くの人々は地球と生命の危機を強く意識しました。著者によれば「世界同時性=地球的同時性が認識され始めた」ことになりますが、19世紀以来の西欧諸国による植民地支配、通信・交通網の整備、新聞雑誌等の大衆メディアの隆盛によって、ハレー彗星到来は全地球的な問題となったのです。この時、地球という惑星の中で「世界は1つ」あるいは「惑星的運命共同体」という認識がリアリティを持ち始めました。著者は、さまざまな著書で、この年の大変化を、「ハレー彗星インパクト」あるいは「1910年問題」などと呼んでいます。

 

天界と地獄 (講談社文芸文庫)

天界と地獄 (講談社文芸文庫)

 

 

そのような「ハレー彗星インパクト」の起こった1910年は日本のスピリチュアリティの歴史においても特筆すべき年でした。この年、「白樺」派の旗揚げ、鈴木大拙によるスウェーデンボルグ『天界と地獄』の翻訳、東京帝国大学心理学助教授の福来友吉による透視や念写の超能力実験が行われ、石川啄木が「時代閉塞の現状」で憂慮した「閉塞」状況の内面突破とでもいうべき動きが起こっていたのです。著者は以下のように述べます。
「それは百年前の“スピリチュアル・ブーム”であった。そのような中で、同年に京都帝国大学助教授に転任した西田幾多郎は翌年1月に『善の研究』を出版した。それは『純粋意識』の考察を通して『時代閉塞』の内面突破をはかった試みであったとも言える。ここに共通しているのは、特異な心理学的課題であった。福来友吉はそれを透視実験として試みたが、その実験が詐欺だと批判され、『千里眼事件』がきっかけとなって後年東京帝国大学心理学科を追われることになる」



そもそも心を対象として起こってきた経験科学が「心理学(Psychology)」でした。日本では明治初年に「心理学」の訳語が作られ、その後、明治20年代(1880年代から90年代)に本格的に「心理学」が導入されました。東京帝国大学文科大学で初代心理学の教授が誕生し、正式に大学の授業科目となり、専攻課程となっていきます。その東京帝国大学文科大学の初代心理学教授が、宮沢賢治に影響を与えたとされる元良勇次郎でした。「宮沢賢治の心理学」として、著者は「『春と修羅』で言う『第四次延長』とブルカニロ博士が言う『実験』とは密接につながっている。それは時空を連結するテレパシックな認知のありようであった。博士の『実験』は『遠くから私の考を人に伝へる実験』で、それはまさしくテレパシーの実験そのものであった。賢治はこのような『実験』を含む『或る心理学的な仕事』の実行を構想していた。賢治は、元良勇次郎の『心理学概論』や、福来友吉の影響を受けている」と述べています。

 

からだ・こころ・生命 (講談社学術文庫)

からだ・こころ・生命 (講談社学術文庫)

  • 作者:木村 敏
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2015/10/10
  • メディア: 文庫
 

 

一方、著者は精神医学者の木村敏が、個的心理的時間体験を「アンテ・フェストゥム─祭りの前─統合失調的」「ポスト・フェストゥム─祭りの後─鬱病的」「イントラ・フェストゥム─祭りの最中─癲癇的」と三類型化したことを紹介し、「南方熊楠の『永遠の今』」として、「南方熊楠は、間違いなく、この『イントラ・フェストゥム=祭りの最中』的人間である。南方熊楠は『イントラ・フェストゥム=祭りの最中』的人間であるゆえに、その思考の中に歴史学がない、時間論がないとも言える。熊楠には基軸となるような明確な時間軸がない。これは若い頃に何度か癲癇発作を起こしていたことも関連があるであろう」と述べています。

 

決定版 年中行事入門

決定版 年中行事入門

 

 

また、著者は熊楠と同時代の民俗学者であった折口信夫を取り上げて、「南方熊楠は、典型的な『イントラ・フェストゥム=祭りの最中』的人間だった。それに対して、折口信夫には『古代』あるいは『生活の古典』という『古(いにしえ)』の基準があった。その『古代』という時間軸は、幸運なことに、大正10年(1921年)の沖縄探訪旅行によって沖縄という空間に転位し、『生活の古典』あるいは『らいふ・いんでっくす』として明示的かつ体系的に確かめられた。一方、日本民俗学の父であり、祖と言える柳田國男も、日本民俗学を立ち上げ、市民権を獲得しようと努める中で、常に歴史学を意識し、それと拮抗したので、明確な時間軸を持っていた。歴史学は基本的に文献学、テキスト・クリティックを時系列的に行うことによって成り立つ学問だから」
ここで紹介されている折口信夫の「生活の古典」という考えや柳田國男の『年中行事覚書』に書かれたメッセージにインスパイアされたわたしは,『決定版 年中行事入門』(PHP研究所)を上梓しました。

 

南方熊楠全集 第1巻 十二支考

南方熊楠全集 第1巻 十二支考

 

 

しかし、柳田國男折口信夫や、またすべての歴史学者が持つような歴史認識や歴史意識が南方熊楠にはありませんでした。著者は述べます。
「歴史的思考・時間的意識を振りかざすことがないために、その代わりに、事例だけが『永遠の今』に空間的に配列される。『南方熊楠全集』第一巻に収められた『十二支考』は、十干十二支の干支の時間軸をテーマにしているにもかかわらず、時間についての言及が一切なく、すべてが空間的に際限なく配列され続ける。それは『腹稿』(下書き原稿)を見るとより明らかであるこうした一回起的意識が欠如していることは、南方熊楠が研究した粘菌が永劫回帰的・循環的・自己変容的ということとも密接に関係しているかもしれない。南方熊楠にとって『心』は『複心』で、『密接錯雑』していた。すべてがそのような『錯雑』系の複雑系、それが南方熊楠空間である。そしてその『イントラ・フェストゥム=祭りの最中』の空間感覚を容れる社会運動が神社合祀反対運動だったのである」

 

妖怪学講義 第1巻 (国立図書館コレクション)

妖怪学講義 第1巻 (国立図書館コレクション)

 

 

第四章「妖怪学の探求と表現」では、「井上円了の心理学と妖怪学から始まる」として、著者は「1910年の心理学を考える際に避けて通ることができないのは、それ以前にすでに確立していた井上円了の心理学についてである」と述べます。「おばけ博士」とも「妖怪博士」とも呼ばれた井上が、「妖怪学」という一大体系の中に「哲学(純正哲学)」と「心理学」を明確に位置づけていたからであるとして、著者はこう述べます。
井上円了は自分を『明治第二世代』と位置づけているが、円了より少し後に生まれた明治第三世代の南方熊楠福来友吉は、円了流の合理主義『心理学』には飽き足らず、それを一歩も二歩も深化させる『変態心理』や『幽霊』の研究に突き進んだ。熊楠にとってはその『変態心理学』は、その時の今ここ(熊野・那智)において、『生態学』とも『民俗学』とも結びついた新たなる探究であった。同時に、福来友吉の「心理学」実験(透視=千里眼、念写)も、新しい段階の実験心理学(精神物理学)を切り拓く探究であったが、実験の真偽や作為を疑われ、結局アカデミズムを追われることになった。その福来友吉の新しい「変態心理学」的探究に関心を抱き、それをさら『新しき科学』として展開しようとしたのが柳宗悦宮沢賢治であった」



井上円了よりも後に生まれた明治第三世代の南方熊楠出口王仁三郎柳田國男や、さらには福来友吉宮沢賢治は、円了流の合理主義「哲学」や「心理学」には飽き足らず、それを一歩も二歩も深化させる「変態心理」や「幽霊」や「民俗」や「霊性」の研究に突き進んだとして、著者は以下のように述べます。
「熊楠にとってはその『変態心理学』は、熊野・那智の地に根付いた『生態学』や『民俗学』と結びついた新たなる探究であった。そしてその探求の核心に、彼の生家の新義真言宗根来派という真言密教のコスモロジカルな世界観は大きな指針となり影響力を持った。そしてその密教は、円了的合理性を内面突破する『大日如来の不思議』を内包していた」

 

神界のフィールドワーク―霊学と民俗学の生成

神界のフィールドワーク―霊学と民俗学の生成

 

 

ロンドン滞在中に土宜法龍に書簡を送った熊楠は、西洋ではもう「千里眼」などは「古臭く」、今は「死の現象」を研究している最中であるとしていると報告しています。これは非常に重要なことで、著者は、「日本では、21世紀になってようやくにして『死生学』などの『死の現象』の研究が一般化してきた。熊楠ならばものともしないが、日本の学問風土の中では、これまで性の研究と死の研究はタブー視されてきた一面がある。そんな壁や境界を熊楠は果敢に突破し越境している。ロンドンの熊楠は井上円了の『妖怪学講義』を参照しつつ、その先の『秘密』に踏み込もうとした。そのことは、平田篤胤に端を発するといえる『霊学』や『民俗学』の探究者であった出口王仁三郎柳田國男からの、井上円了批判とも共通する視点と問題意識である」
ここで「霊学」や「民俗学」という語が並んで登場していますが、わたしは著者の出世作である『神界のフィールドワーク』(創林社)を連想しました。もう数え切れないほど読み返したわが青春の愛読書ですが、サブタイトルが「霊学と民俗学の生成」でした。同書には賢治や王仁三郎が大きく取り上げられています。

 

ざしき童子(ぼっこ)のはなし (宮沢賢治どうわえほん)

ざしき童子(ぼっこ)のはなし (宮沢賢治どうわえほん)

 

 

井上円了に始まる同時代の「妖怪学」探求に刺激されて、宮沢賢治もさまざまな「妖怪物語」を生み出していきました。「宮沢賢治の妖怪物語」として、著者は、「宮沢賢治が見霊者的な資質を持っていたことはいくつかの証拠がある。花巻農学校の教え子もそのことを語り、賢治自身の書いたものの中にもその様子がうかがわれる。賢治にとって、妖怪とはこの世における不意の『出現』という気配と構造がある。どこか、世界の破れ目からまったく異質な存在や世界が現われ出るある種の異様と異変。賢治の妖怪物語はそのような世界存在論として物語化されている。その構造と特性がもっとも顕著に表われている作品が、『ざしき童子のはなし』と『ペンネンネンネンネン・ネネムの日記』である」と述べます。

 

遠野物語―付・遠野物語拾遺 (角川ソフィア文庫)

遠野物語―付・遠野物語拾遺 (角川ソフィア文庫)

 

 

ざしき童子といえば、柳田國男の『遠野物語』が有名ですが、同書の話者は遠野村の村長をしていた佐々木喜善でした。彼は賢治が書いた童話を読んで、賢治と佐々木喜善がともに死去する昭和8年(1933年)の前年の昭和7年の4月から5月にかけて6回も病床の賢治を訪ね、ザシキワラシの話を中心にいろいろと話を聞いたそうです。著者は、「もともと文学青年で霊視的体質を持っていた佐々木喜善は、ザシキワラシについては民俗学的研究の担い手であり、その道の専門家である。と同時に、出口ナオと出口王仁三郎が教導する大本教の熱心な信者で、宗教的世界観と運動に深い理解と関心を持っていたので、熱烈な法華経信仰を持ち、国柱会に入会所属していた賢治とは、思想信条が異なっていたとはいえ、共振共鳴するところが多々あった」と述べています。

 

終章「生態智を生きる道」で、いよいよ本書は佳境を迎えます。「天台本覚思想と二人のM・K」として、著者は、熊楠と賢治が、妖怪変化する世界の中で、分子生物学的な視点を内包する広大な生態学的な思考を持っていたことを改めて指摘します。そして、「熊楠の場合、それは横一面的に拡張される空間的で博物学的な連鎖連結を帯び、賢治の場合、縦一直線に延びる時間的で進化論的な連鎖連結を帯びていた。言ってみれば、前者は分子生態博物学、後者は分子生態進化学とも言える科学的志向性を持っていたが、共通するのは分子生態学的なまなざしを密教大日如来法華経の久遠実成の本仏によって包摂している点である。そこではマクロとミクロが相互浸入し、金胎不二の両界(両部)曼陀羅のように統合されている」とまとめています。

 

このような部分と全体のホーリスティックな相互浸入的統合を「生態智」と呼ぶ著者は、熊楠の「萃点」も、賢治の「すきとほつたほんたうのたべもの」も、そのような「生態智」の統合的結節点であると主張します。「生態智」とは、「自然に対する深く慎ましい畏怖・畏敬の念に基づく、暮らしの中での鋭敏な観察と経験によって練り上げられた、自然と人工との持続可能な創造的バランス維持システムの技法と知恵」であると説明し、熊楠の神社合祀反対運動の論理によく表わされているように、それは神社などの聖地や、霊場や、古代からのさまざまな生活文化のワザの中にも色濃く保持されたといいます。



聖地といえば、比叡山を数えきれないほど歩き続け、法螺貝を吹き鳴らし続けてきた著者は「現代の修験者」であると思いますが、「修験道とは、この身をもって天地自然の中に分け入り、そのエネルギーに浸され、賦活されて、天然自然の力と叡智を感受・理解し、それを有情無情の存在世界に調和的につなぎ循環させていく知恵とワザの体系と修道である。その修行と思想の核心に、『生態智』の獲得と体現がある。法螺貝を吹き鳴らす中にも生態智的交歓が観取される。熊楠や賢治がその核心に保持していたのも、このような『草木国土悉皆成仏』のような本覚思想ではないか。熊楠ならば『粘菌成仏』、賢治ならば『なめとこ山の熊成仏』であり、『鹿おどり踊成仏』である」と述べています。このくだりを読んで、著者はついに熊楠と賢治という二人の巨人の思想を完全に読み切ったと確信しました。

f:id:shins2m:20150220190458j:plain法螺貝を奏上する現代の修験者!

 

本書の最後には以下のように書かれています。
「昭和8年(1933年)の9月21日、一人のM・K宮沢賢治は強い思いを残しながら、満37歳の若さでこの世を去った。そして、もう一人のM・K南方熊楠は、その8年後、昭和16年(1941年)12月29日に満74歳でこの世を去っていった。二人のM・Kが遺したメッセージを、『如是我聞』、私はかく(本書)の如く聞いた」
宮沢賢治南方熊楠も、すでにこの世の人ではありません。著者は二人の死者のメッセージを聞いたのです。すなわち、本書は死者の霊魂と会話する「交霊の書」です。そして、二人の霊魂を慰める「慰霊の書」であり、鎮める「鎮魂の書」でもあります。

 

賢治も熊楠も、その思想の最重要部分の難解さで知られていました。特に、賢治の「透明な幽霊の複合体」と熊楠の「複心」には、多くの研究者が悩まされてきました。高校時代に小遣いを貯めて、筑摩書房の『校本 宮沢賢治全集』や平凡社の『南方熊楠全集』を買い込み、彼らの思想の到達点に迫ろうとしたわたしも、最後は「透明な幽霊の複合体」や「複心」の前に苦悶の表情を浮かべながら頭を掻きむしったことを記憶しています。その「透明な幽霊の複合体」や「複心」の謎も本書で見事に解き明かされました。

 

なぜ、彼らがそのような謎めいたメッセージを残したかというと、別に後世の読者を困らせてやろうとしたわけではなく、時代の制約からそのような表現しかできなかったのでしょう。しかし、自らのメッセージの真意を正確に汲み取られないほど辛くて切ないことはありません。物言えぬ死者ならば、なおさらです。まさに「死んでも死にきれない」といったところです。それを大正も昭和も平成も通過して令和の時代になって、著者である鎌田東二氏がついに死者のメッセージをダブルで解読したのです。さぞ、二人の霊も浮かばれたことでしょう。

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著者・鎌田東二氏と(撮影:秋丸知貴)

 

著者が成し遂げたのは、死者たちが遺した謎のメッセージの解読だけではありません。それはもっと高次元の道へと続く仕事です。それはアニミズムとトーテミズムと仏教を内包した2つのマンダラ的思想、南方マンダラと宮沢マンダラをアウフヘーベンしたことです。それはもはや著者オリジナルの「鎌田マンダラ」とでも呼ぶべき新思想であり、「新しき科学」です。「新しき科学」とは、著者とわたしの共通の研究テーマである「グリーフケア」のことでもあります。ブログ「全互協新年行事」で紹介した今年の1月22日に行われたグリーフケアのパネルディスカッションで、わたしは「死を乗り越えるために人類が発明した哲学・芸術・宗教が『グリーフケア』として再編集、統合される」と述べました。そして、「そこには科学が必要である。なぜ葬式は必要かと考えた場合、そこにサイエンスの光を当てると『グリーフケア』が浮かび上がってくる」と述べました。

 

 

著者は、1992年に刊行された『「気」が癒す』(集英社編集部編、集英社)に「野の科学 ──宮沢賢治南方熊楠」(『エッジの思想──イニシエーションなき時代を生きぬくために 翁童論 Ⅲ』新曜社、2000年に収録)という本書の基になる論考を書いています。そこで、「今、都市全体が、ひいては地球全体が『注文の多い料理店』になりつつある時代に『すきとほったほんたうのたべもの』をみのらせ食べることができなければ、都市は滅び、文明は自滅するしか道はないであろう。そのことをこの二人は愚者の笑いと叡智をもって発信しつづけているのである」と述べています。それから、およそ30年近い時がめぐり、機が熟して本書が誕生しました。著者が言うように、30年前に比べて「野」の事態はいよいよ深刻になっています。「世直し」が必要です。今後の日本における「世直し」には、間違いなく「グリーフケア」が最重要になってきます。著者の不肖の「魂の弟」であるわたしは、これからも著者の「楽しい世直し」の道をともに歩いていく覚悟です。

 

 

2020年2月17日 一条真也