松本清張記念館

一条真也です。
建国記念の日」となる11日の小倉は天候に恵まれた日となりました。この日、わたしは北九州市立「松本清張記念館」を訪れました。松本清張といえば、司馬遼太郎と並ぶ昭和を代表する国民作家です。昨年は清張生誕110年でした。わたしは、清張原作の映画を集めたDVD-BOX「松本清張セレクション」全3集、全15本を昨年末から鑑賞していましたが、昨夜ようやくすべて観終わりました。すると、もっと清張のことが知りたくなり、久々に記念館を訪れたいと思ったのです。

 

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松本清張記念館の前で

 

生涯に700冊もの著作を残した作家・松本清張は、1992年(平成4年)8月4日に享年82歳で逝去しました。その生前の功績を称え後世に語り継ぐことを目的として、清張の郷里である小倉北区に記念館を建設することになり、死後からちょうど6年目の1998(平成10年)8月4日に小倉城址域の南西端の一角に開館しました。

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松本清張記念館の礎石 

館内では、作家としての清張の業績について、映像や展示物などで紹介しています。なかでも、東京都杉並区高井戸の自宅の外観をはじめ、遺族から寄贈を受け、書斎や書庫・応接間を清張が亡くなった当時の状態で忠実に再現した展示室が目玉の1つです。ある。また、オリジナルドキュメンタリー映像「日本の黒い霧 - 遙かな照射」の上映も行っている他、随時実施される企画展、講演会などのイベントも開催されています。

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プログラム『松本清張記念館』より



松本清張記念館公式HPの「松本清張について」というページでは、「全力で駆け抜けた巨人 松本清張」として、以下のように書かれています。
松本清張はあらゆる規範をこえた作家である。日本の文学史上初めて出現した多様にして明確な個性を有する作家ということができる。芥川賞を受賞した「或る『小倉日記』伝」が本来は直木賞の候補作だったという経緯が示すように、一つの型に分類することが不可能な大きさを持った文学者だった。『脱領域の文学』と評される萌芽を出発から胚胎していたのである」



続いて、以下のように書かれています。
「作家としては異例の四十二歳からのスタートであったが、新しい物語性と平明さが多くの読者に支持され、『点と線』『眼の壁』などが空前のベストセラーとなった。売れる作品への『中間小説』という一括りの評価に反撥しての『文学には純文学と通俗文学の二つしかない』とする発言は、松本清張の文学観、文学への矜持を端的に表すものであった。主題によって形式を決定し、表現の方法を考える。そして『内容は時代の反映や思想の照射を受けて変貌を遂げてゆく』という主張は、現役のまま八十二歳で没するまで変わることはなかった」

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館内に置かれた『松本清張全集』

さらに、以下のように書かれています。
「主題への関心のおもむくままに重ねられた探求によって、主題はさらに深まり広がって行った。小説世界の枠をとびこえるのは時間の問題であったろう。不断の向上心、強靭な精神力で自らを動かし、つねに新たな分野へと向かって行ったのである。フィクション、ノンフィクション、評伝、古代史、現代史へと創作の領域を拡大し、驚異的な努力で独自の世界を構築したのである。いずれの分野においても、究極の目的は人間存在の深奥を見据えることであった。普遍的なテーマによって人間を描き、歴史・社会の闇に迫ろうと試みた一作家の孤独な営為は、じつに多くの人びとに感銘と勇気を与えつづけたのである。作家生活四十余年、その作品は長篇、短篇他あわせて千篇に及ぶ」

f:id:shins2m:20200211151243j:plain特別企画展「E・A・ポーと松本清張」の看板

 

この日、記念館の地下展示室では、清張生誕110年・ポー生誕210年 特別企画展「E・A・ポーと松本清張」が開催されていました。松本清張記念館公式HPに「開催趣旨」が以下のように書かれています。
「2019年は、松本清張が生まれて110年、エドガー・アラン・ポーが生まれて210年にあたります。清張は、ポーが生を受けたちょうど100年後に、誕生したのです。これを記念し、エドガー・アラン・ポー松本清張についての企画展を開催します。清張は、若いころからポーを愛読していました。ポーは推理小説の始祖と言われ、清張のみならず、日本はもちろん世界のミステリー界にとって重要な作家です。この二人の作家の記念すべき節目の年に、清張作品に見えるポーの世界を紹介するとともに、両作家の直筆資料など、貴重な品々を展示いたします」

f:id:shins2m:20200211151433j:plain「E・A・ポーと松本清張」の看板前で

f:id:shins2m:20200211154227j:plain特別企画展「E・A・ポーと松本清張」の撮影コーナー

 

エドガー・アラン・ポーの影響を受けた作家といえば、ペンネームそのものがオマージュとなっている江戸川乱歩が思い浮かびますが、松本清張も強く影響を受けていたことを知りました。清張は『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞作しましたが、故郷の小倉に縁があった森鷗外の文学を愛読していたことで知られています。その鷗外の『諸国物語』にはポーの「大渦巻」をドイツ語から重訳した「うずしほ」という作品が収められており、これを清張が読んで影響を受けた可能性が高いそうです。わたしは、「DNDリーディング」ともいうべき作家間の影響関係に関心が深いので、非常に興味深く感じました。

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各種プログラムを求めました

 

同じく地下にあるミュージアムショップでは、資料として『松本清張記念館』『松本清張展』『松本清張砂の器」展』『世界文学と清張文学』『E・A・ポーと松本清張』といったプログラム、「霧の旗」「球形の荒野」「花実のない森」「黒い画集 あるサラリーマンの証言」のDVDなどを求めました。いつか、わが社の「友引映画館」で清張映画祭などを開催したいと考えています。松本清張記念館を出た後は、小倉城周辺を散策して、リバーウォークで買い物をしてから帰宅しました。

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小倉城周辺を散策しました

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小倉城とリバーウォーク

 

2020年2月11日 一条真也

厄除け祝いの会  

一条真也です。
JR中津駅前にあるわが社の結婚式場「ヴィラルーチェ」においてブログ「厄除け祈願祭」で紹介した神事を行った後は、18時から「厄除け祝いの会」が開催されました。毎年、北九州の合同厄除け祝いには参加しますが、大分は初めてです。

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厄除け者の入場

f:id:shins2m:20200210175918j:plain厄除け者のみなさん

今回の「合同厄除け祝」には、5名の厄除け者が参加しました。「開会の辞」の後は、厄除け者入場、そして、厄除け者紹介が行われます。厄除け発起人代表挨拶は前年の厄除け者が務めますが、今年は日田紫雲閣の古澤社員が立派に務めました。

f:id:shins2m:20200210180421j:plainわたしが挨拶しました

 

それから、わたしが登壇し、社長として祝辞を述べました。わたしは、儀式文化は「人生儀礼」と「年中行事」の2つから成っていると述べ、厄除け祝いは人生儀礼であることを説明しました。そして、節分に代表される年中行事の重要性について話しました。民俗学者折口信夫は、年中行事を「生活の古典」と呼びました。彼は、『古事記』『万葉集』『源氏物語』などの「書物の古典」とともに、正月、節分、雛祭り、端午の節句、七夕、盆などの「生活の古典」が日本人の心にとって不可欠であると訴えました。

f:id:shins2m:20200210180342j:plain「生活の古典」を大切に!

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大いに役に立って下さい!

 

文化が大きく変化する、あるいは衰退するのは、日本の場合は元号が変わった時であると言われています。実際、明治から大正、大正から昭和、昭和から平成へと変わったとき、多くの「生活の古典」としての年中行事や祭り、しきたり、慣習などが消えていったといいます。そして、平成も終わり、令和の時代となりました。どうか、令和の時代においても「生活の古典」を大切にしていきたいものです。そして、厄年の「厄」を落としたみなさんがぜひ、会社や社会の役に立ってほしいと述べました。

f:id:shins2m:20200210180511j:plain厄除け者に記念品を贈呈しました

f:id:shins2m:20200210180540j:plain再び祝辞を述べました

f:id:shins2m:20200210180703j:plain大盃に酒を注がれる

f:id:shins2m:20200210180841j:plainカンパ~イ!

 

挨拶の後で、わたしは厄除け者に記念品を贈呈しました。いつも北九州では、記念品は男性がベルト、女性が傘で、男女ともに松柏園特製の恵方巻も贈られます。今回は男性のみだったので、みなさんに超高級ベルトをお贈りしました。それから厄除け者による「大盃の儀」が行われ、次々と酒を飲み干す姿に会場が大いに沸きました。その後、サンレー大分の祐徳事業部長による乾杯の音頭を合図として、今夜の祝宴が華やかにスタートしました。

f:id:shins2m:20200210181123j:plain「厄除け祝いの会」のようす

f:id:shins2m:20200210183701j:plain記念撮影をしました

f:id:shins2m:20200210184028j:plain厄除け者による福豆・餅・五円玉配り

f:id:shins2m:20200210185210j:plain営業推進部による余興

f:id:shins2m:20200210190026j:plain葬祭部による余興

f:id:shins2m:20200210190524j:plain冠婚部による余興

 

それから、厄除者挨拶と記念撮影がありました。厄除け者は、福豆・餅・五円玉配りも行いました。わたしは、お酒をついだりつがれたりしながら、みなさんと大いに語り合いました。けっこう寒い夜でしたが、参加者の熱気で会場がヒートアップしました。その後はカラオケタイムで、営業推進部、葬祭部、冠婚部の順番で秀逸なパフォーマンス合戦が繰り広げられました。

f:id:shins2m:20200210190936j:plainカラオケの口上を述べました

f:id:shins2m:20200210191318j:plain赤いマフラーとハットが届く

f:id:shins2m:20200210191411j:plainリンダリンダ」を歌いました♪



最後は、わたしの番が来ました。
このような祝宴の場合、いつもは北島三郎先生の「まつり」を歌ってきましたが、この日はネズミ年の年男にちなんで、ブルーハーツの「リンダリンダ」を歌いました♪ 赤鬼が赤いマフラーとハットを届けてくれました。わたしは赤いマフラーを首に巻くと同時に、アントニオ猪木ばりに「元気ですか~ッ!」とブチかましました。イントロの後の「ドブネズミみたいに~♪」のくだりで、すでに大盛り上がり! 今日も、つかみはOK牧場!(笑)

f:id:shins2m:20200210191433j:plain今夜も熱唱しちまいました♪

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リンダリンダリンダリンダリンダ~♪

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狂乱のパフォーマンス!

f:id:shins2m:20200210191654j:plain厄除け者とともに歌いました♪

 

わたしはネズミが憑いたみたいに、もといキツネが憑いたみたいにハイテンションで、客席を練り歩きながら「リンダリンダ」を熱唱しました。最後は「還暦者、厄除け者のみなさん、今日はおめでとうございました!」と叫ぶと、割れんばかりの盛大な拍手をいただきました。いやあ、大変盛り上がりました!

f:id:shins2m:20200210191952j:plainアンコールで「あの時君は若かった」を歌う♪

f:id:shins2m:20200210191929j:plainこのタンバリンさばきを見よ!

f:id:shins2m:20200210192133j:plain怒涛のフィナーレ!

 

わたしが「リンダリンダ」を歌い終わると、アンコールが起こりました。わたしは固辞したのですが、なかなか鳴りやみません、仕方がないので、ザ・スパイダースの「あの時君は若かった」を歌うことにしました。タンバリンを演奏しながら、還暦者を指さしながら歌ったのですが、ヒップ・タンバリンの場面では、大いに盛り上がりました。最後に「厄除け者のみなさん、今日はおめでとうございました!」と叫ぶと、割れんばかりの盛大な拍手をいただき、巨大クラッカーから金のテープが発射されました。

f:id:shins2m:20200210192324j:plain厄除け者による謝辞のようす

 

最後は、厄除者代表謝辞として、日田紫雲閣の多田副支配人が立派に大役を務めました。それから、 サンレー名物「末広がりの五本締め」です。この「人間関係を良くする魔法」は、全国的にもすっかり有名になりました。マリエールオークパイン日田の辻支配人がしっかりと締めてくれました。

f:id:shins2m:20200210192536j:plain最後は「末広がりの五本締め」で

 

大分の「厄除け祝いの会」は初めて参加しましたが、みなさんと心が通じた気がしました。本当に、参加して良かったです。これからも、可能な限り、こういった行事には参加したいです。厄除け者のみなさん、誠におめでとうございました。これからの活躍に大いに期待しています!

 

2020年2月11日 一条真也

厄除け祈願祭  

一条真也です。
10日、大分県内にあるわが社の施設を複数視察した後、中津市の結婚式場「ヴィラルーチェ」を訪れました。午後からサンレー大分事業部の会議に出席。各部門からの報告を聞き、いろいろと指示をしました。その後は、社員の登用面接を行いました。

f:id:shins2m:20200210171122j:plainヴィラルーチェ にて

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「太陽の神殿」に続く回廊にて

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「太陽の神殿」の前で

f:id:shins2m:20200210171730j:plain「厄除け祈願祭」のようす

 

17時半からはヴィラルーチェ内の「太陽の神殿」で「厄除け祈願祭」の神事が執り行われました。祭主は、闇無濱(くらなしはま)神社の重松宮司でした。わたしは、サンレー社長として、玉串奉奠を行いました。厄年に当たる大分事業部の3人の社員が参加しました。厄年の「厄」とは、災厄の「厄」ではなく、役員の「役」です。つまり、共同体の中で一定の役割を果たすという意味での「厄」年だそうです。厄年が災いの年になることがあるのは、年齢に応じて与えられた役割を果たすことができない、つまりさまざまな難題課題を解決することができず、それに振り回されてしばしば失敗してしまうからだ、という考え方によるようですね。

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最初は、もちろん一同礼!

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低頭しました

 

男性の42歳というのは、たしかに重要な時期です。というのも、50代、60代といった老年期にある者と、10代、20代にある若者や青年たちとのあいだを責任をもってつなぎ、文化を伝達し、集団の中で中心的な、また中堅的な役割を果たさなければならないからです。このとき、その年齢に達した人たちは、集団の中での主要な役割を振り分けられます。その役割を果たすためには、それ相応の覚悟や能力や集中力が必要です。その集中力を発揮することによって、つつがなく課題を達成し務めを果たしたときに、その人は集団の中で認められ、評価され、次のステップに向かって進んでいくことができるのです。

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玉串奉奠で柏手を打ちました

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玉串奉奠する厄除け者
 

このような役割を振りあてられ、その役割を果たすことができるかどうかという試練を受けることが、厄年の根本的な意味です。それを災いとするのも、人生のよき糧、養分とするのも、すべてはその人次第です。どのような困難が降りかかってこようとも、積極的に前向きに取り組み、課題を解決し、能力を高め、周りからも評価を受けることによって、さらに大きな人格として成長を遂げていく。その時期が厄年なのです。厄除け者のみなさんは、破魔矢とお守りを受け取りました。しかし、基本的に厄年というのは、村落共同体や町の共同体の中で、一定の年齢に達した者が受けるネガティブ・イメージです。その負のイメージがなぜできたかというと、それが大変な時期だからです。

f:id:shins2m:20200210172809j:plain宮司から御守を受け取る厄除け者

f:id:shins2m:20200210172951j:plain最後は、もちろん一同礼!

 

災難が起こってくると考られるようになる以前は、この年齢になると、いろんなことをしなければいけないので神頼みをします。その時期になると神様に頼んで、この役割がちゃんと果たせますようにと祈る。それをいつしか災いと見るような「厄年」の漢字をあて、厄年信仰が確立していきました。ふだんは神仏など信じない人でも、厄年を迎えるとどうも不安になり、神社で厄除け祈願をすると安心します。神事を終えた厄除け者たちも、心なしか安心した表情をしていました。神事の終了後は、記念撮影をしました。

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神事後に記念撮影をしました

 

2020年2月10日 一条真也

『幽霊の歴史文化学』

幽霊の歴史文化学 (二松学舎大学学術叢書)

 

一条真也です。
『幽霊の歴史文化学』小山聡子・松本健太郎編(思文館出版)を読みました。二松学舎大学学術叢書の1冊ですが、非常に興味深い内容でした。カバー前そでには、「本来、目に見えないはずの幽霊――しかしこれまで日本人は、それを文学作品や映像コンテンツによって描いてきた。『幽霊』という言葉の意味は時代によって変遷し、それはときに現代人の多くが想像するものと大きく異なる。人びとは幽霊をどう感知し、それを表象するためにいかなる工夫をしてきたのか、幽霊になにを求めたのか。歴史学、メディア学、文学、美術史学、宗教学、社会学民俗学等さまざまな研究分野から日本人の精神世界の一端に迫る」との内容紹介があります。

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

幽霊の歴史文化学への招待(小山聡子)

第Ⅰ部 幽霊の存在論――それはどう生起するのか

生と死の間――霊魂の観点から(山田雄司

幽霊ではなかった幽霊――古代・中世における実像(小山聡子)

死霊表象の胚胎――記紀・万葉を中心に(松井健人)

第Ⅱ部 幽霊の表現論――それはどう描かれるのか

化物振舞――松平南海侯の化物道楽(近藤瑞木

『新釈四谷怪談』のお岩が映しだすもの
――占領期の日本映画検閲と田中絹代のスターイメージをめぐって(鈴木潤

祟りきれない老婆と猫――中川信夫『亡霊怪猫屋敷』のモダニティ(山口直孝

幽霊とゾンビ、この相反するもの
――肉体と霊魂の関連性と価値観の伝播について(岡本健)

予見者・反逆者・哲学者――大塚睦の「幽霊」(足立元) 

第Ⅲ部 幽霊の空間論――それはどこに出没するのか 

上から出る幽霊――地上七・八尺の異界(山本陽子

立ち現れる神霊――御嶽講の御座儀礼(小林奈央子)

大都市江戸の怪異譚――『耳袋』と『反故のうらがき』から(内田忠賢)

デジタル時代の幽霊表象
――監視カメラが自動的/機械的に捕捉した幽霊動画を題材に(松本健太郎)

現代社会の幽霊(ゴースト)的読解
――ホラー映画の表象とメディアの物質性(マテリアリティ)(遠藤英樹)

あとがき(松本健太郎)

「索引」

 

「幽霊の歴史文化学への招待」で、日本宗教史学者で二松学舎大学文学部教授の小山聡子氏は以下のように述べます。
「本来、目に見えないはずの幽霊。しかし、日本の歴史を紐解くと、これまでの日本人は、目に見えないはずの幽霊を、想像力たくましく、文学作品や絵画、写真、映像によって盛んに表現してきたことがわかる。表現してきただけではない。それぞれの時代の制約のなかで、耳でその声を聴き、交信しようと試みてきたのである。本書は、これまでの日本人が幽霊を感知し、さらにそれを表象するためにいかなる工夫をしてきたのかを、歴史学、メディア学、文学、美術史学、宗教学、社会学、観光学、地理学といった専門分野の研究者によって、多角的視点から論じた本である。書名の『歴史文化学』は、それらの多様な学問領域を総称する言葉として用いている」

 

また、小山氏は「どのような人間にも、いつかは必ず死の時が訪れる。人間は死んだらどうなるのか。これは、人類が存続する限り永遠に続けられる、普遍的かつ通時的な問いかけである。日本における幽霊表象の歴史的系譜をたどることは、日本人の精神世界を浮き彫りにすることにつながる。これまでの日本人は、死をどのようにとらえ表象してきたのだろうか。その表象のあり方には、人間にとっての永遠の課題である死への恐怖の超克をいかに果たそうとしたのかという点も反映されているはずである。このような点についても、幽霊の表象を検討することにより考えていきたいと思う」とも述べています。非常に興味深い問題提起ですし、わたしの研究テーマである「グリーフケア」とも深い関係がありそうです。

 

夢幻能 (朝日選書)

夢幻能 (朝日選書)

 

 

第Ⅰ部「幽霊の存在論――それはどう生起するのか」では、小山氏が「幽霊ではなかった幽霊――古代・中世における実像」の「はじめに」で以下のように述べています。
「古代・中世の幽霊に関しては、古くは田代慶一郎氏の研究がある。田代氏は、夢幻能(霊的な存在が主人公となる作品)を論じるなかで、世阿弥(1363~1443)がそれまでほとんど使われてこなかった幽霊という語を使いはじめ、死者の魂という意味の怖くない幽霊を作り出した、とした。田代氏によると、怖くない幽霊は能だけに見られ、しかも世阿弥一代で消滅したのだという。さらに氏は、幽霊という語そのものはなくてもそれに相当するものは遙か以前からあり、怨霊やモノノケがそれであるとし、それらも幽霊として含めて論じている」

 

また、小山氏は「幽霊」という言葉について、「幽霊の語の初見についても、これまでの幽霊研究が歴史史料を綿密に調査したうえでなされてこなかったことにより、諸説がある。川崎晃氏が僧玄昉(?~746)に関する論考の脚注で、天平19年(747)の『唐僧善意大般若波羅蜜多経奥書願文』に幽霊という語が見え、それが日本の文献上の初見かと指摘しているにもかかわらず、幽霊に関する研究ではこの指摘はまったく引用されてこなかった」と述べています。これは、わたしも初めて知りました。

 

中右記 (増補史料大成)

中右記 (増補史料大成)

 

 

続けて、小山氏は「それによって、幽霊の語の早い事例として、『中右記』寛治3年(1089)の、藤原道長の死霊を『幽霊』と呼ぶ事例が挙げられてきた。そのうえ、田代氏の、幽霊という語は世阿弥以前にはほとんど普及していなかったという指摘についても、再検討されることはなく、現在にいたっている。幽霊という語の早い事例が8世紀であるにもかかわらず、中世後期にならないと普及しないというのは、あまりにも不自然ではないだろうか」と述べています。さらに、小山氏は「日本人の精神世界を探るうえで、幽霊研究は欠かすことができない。日本の歴史のなかでは、しばしば死者との交流を試みたり、畏怖したり、祀ったりすることにより、現世に生きる者と死者との関係がよりよいものとして保たれるよう、努力がなされ続けてきたのである」と述べます。

 

 一「文献上の早い事例」として、小山氏はきわめて重要な指摘を行います。
田代慶一郎氏の研究以来、世阿弥以前は幽霊という語がほとんど使われてこなかったとする説は、否定されてこなかった。しかしこれは誤りである。本稿末の『古文書・古記録にでてくる幽霊一覧』をご覧いただきたい。じつは、とりわけ古文書には幽霊という語が頻出している。幽霊という語がでてくるのは、古文書のなかでも、死者の供養のための願文と寄進状である。これまでの多くの幽霊研究が、文学作品の分析を中心に行われてきたために、古文書や古記録にでてくる幽霊の用例は見落とされてきたのであろう。幽霊は、あくまでもフィクションの作品で語られるものであり、いわゆる歴史史料には記されないだろうという思い込みによるのであろうか。とにもかくにも、幽霊研究では、とくに古文書の幽霊が見落とされてきた。幽霊という語の古い事例は、文学作品ではなく、古文書と古記録のなかに見出すことができる。それゆえ、古文書や古記録の幽霊の分析なくして、古代・中世の幽霊を論じることなどできない」

 

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

唯葬論 なぜ人間は死者を想うのか (サンガ文庫)

 

 

そして、小山氏は、「幽霊という語の早い事例は8世紀中頃であり、それ以降も古文書や古記録に非常に多くでてくるのである。そのなかでも、とくに願文や寄進状に幽霊という語がでてくる。これは幽霊が多くの場合死霊を指し、追善供養の対象であったことによるのだろう。また11世紀初頭の史料をもとに、幽霊が神に近いものとしてとらえられていたことを指摘した。これは、死霊それ自体が神と等質性を持っているからだろう。さらに12世紀以降には、幽霊という語が死霊という意味だけではなく、死者、さらには死体という意味も持ったことを明らかにした。死体に関しては一例しか確認できなかったものの、死者を指す事例は中世を通じて多く確認することができる」と述べるのでした。このあたりはこのあたりは拙著『唯葬論』(サンガ文庫)の「幽霊論」でも詳しく論じました。

 

文学研究者で産業新聞社記者の松井健人氏は、「死霊表象の胚胎――記紀・万葉を中心に」の「はじめに」で、「古代人の思考と現代人の思考はまるで違う。たとえば『現代人と同じように、平安時代の人々も恋をしていたから、時代が違っても人間は同じ心を持っているのだ』と謳う言説に触れることがままあるが、人間の持つ自意識を中心に据ですべてを意味づける現代の感覚と、人間世界の対極にある世界(自然・外界・神の世界・向こう側)を絶対化する古代の感覚が、同じであるはずがない」と述べ、戦前の著名な研究者である内藤湖南は、「応仁の乱(1467年)以前の歴史は外国の歴史と同じであり、応仁の乱以後の『われわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史』だけを学べばよく、古代の歴史を研究する必要などない」と喝破したことを紹介します。

 

二「記紀の多様な死霊観」として、松井氏は、古代人は、死霊とは「青」の衣服を着ていると認識することがあったことを指摘し、「鳥たちを殯の執行役に任じたのは、鳥が死霊を天に運ぶ存在、または死霊そのものの表象であるという古代人の考えが反映されたためである。このことは、和歌の世界でも重要になる」と述べています。そして「おわりに」で、松井氏は「記紀と『万葉集』において、死霊が赴く他界がどのようにイメージされていたかをおおまかにいえば、天上・地下・山・海といった4つの類型に大別できる。古代人が明確なひとつの他界観を有さなかったことは注目されてよい」と述べています。

 

最後に、松井氏は「ところで『青』であるが」として、以下のような非常に興味深いエピソードを述べています。
「近年、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンのデイヴィッド・ジェムズ氏率いる研究チームが『線虫は死ぬ間際、青い光を放つ』とする論文を発表し、学会だけでなく一般からも注目された。氏らは、カエノラブディティス・エレガンス(Cエレガンス)という線虫が死んでいく過程を、紫外線を照射して観察し、細胞膜が壊死する際に細胞内から放出されるアントラニル酸によって、この線虫から『death fluorescence』(直訳すると「死の蛍光」)が発せられると結論した。この『死の蛍光』は死ぬ2時間前から発せられはじめ、死の瞬間にもっとも輝き、6時間かけて消える。もちろんヒトの死はまだもって不明な点が多いうえ、ここでの青は当然あざやかなブルーのことであるが、死が青い光をもたらすというこの生物学の研究は、本稿の論旨と一部重なる部分があってたいへん興味深かった」

 

第Ⅲ部「幽霊の空間論――それはどこに出没するのか」では、人間・環境学者で二松学舎大学文学部准教授の松本健太郎氏が「デジタル時代の幽霊表象――監視カメラが自動的/機械的に捕捉した幽霊動画を題材に」の一「体験不可能な体験としての『死』」として、「人間とは死という、その直接的な体験が自らを終焉へとみちびく事象を必死に遠ざけようとする一方で、言葉や映像メディアを介してそれを意識化し、生きているうちはけっして到来するはずのないその疑似体験さえ試みようとする。たとえばテレビゲームにおけるプレイヤーキャラクターの死、すなわち『game over』の瞬間は、そのような『疑似体験』の一例といえよう」と述べています。

 

生命と過剰 (丸山圭三郎著作集 第IV巻)

生命と過剰 (丸山圭三郎著作集 第IV巻)

 

 

続けて、松本氏は、「丸山圭三郎はその著書『ホモ・モルタリス』のなかで、人間を『本能とは異なるコトバによって〈死〉をイメージ化し、死の不安と恐怖をもつ唯一の動物である』と語ったが、まさに人間が意識化してみせる死とは原理上それ自体ではなく、単なるイメージ、もしくはコトバやメディアの効果として現前するものでしかありえない。だが、それにもかかわらず、人間は不可知な『死』という事象に対して、それを忌避しながらも好奇心をもつという両義的な感情を抱きがちである」と述べます。この「ホモ・モルタリス」の先に、わたしの唱える「ホモ・フューネラル」があります。問われるべきは「死」ではなく「葬」だというのが、わが持論です。

 

新装版 新訳 共産党宣言: 初版ブルクハルト版(1848年)

新装版 新訳 共産党宣言: 初版ブルクハルト版(1848年)

 

 

社会学者で立命館大学文学部教授の遠藤英樹氏は、「現代社会の幽霊(ゴースト)的読解――ホラー映画の表象とメディアの物質性(マテリアリティ)」の「はじめに」で、以下のように述べています。
カール・マルクス唯物論者として、幽霊(ゴースト)的なるものを否定していたと思われがちである。だが、それは正しくない。意外なことにマルクスは資本主義社会の解明にあたって、幽霊(ゴースト)にこだわっていたのである。『共産党宣言』においては、『Ein Gespenst geht um in Europa ? das Gespenst des Kommunismus.(一匹の幽霊がヨーロッパを徘徊している――共産主義という幽霊が)』という叙述があることはよく知られている話だ。それだけではない。『資本論』でも『価値とは何か』を考察する『商品論』の部分で、価値のことを『gespenstige Gegenständlichkeit(幽霊のような対象性)』と呼んでいる。それ以外にもマルクスは、あちらこちらで『幽霊(ゴースト)』的なレトリックを用いながら資本主義社会の仕組みの不思議さを抉り出そうとしていたのである」

 

九相図資料集成―死体の美術と文学

九相図資料集成―死体の美術と文学

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 岩田書院
  • 発売日: 2009/03
  • メディア: 大型本
 

 

「あとがき」で、松本健太郎氏は、「死者はどこへいくのか、そして死者はどのように(言語や映像によって)シンボル化されるのか。九相図にも描かれるように、死を契機として誰かの遺体は時間の流れとともに朽ち、その身体を形成していた肉は物質として消滅していく。しかし(映画評論家のアンドレ・バザンが「ミイラ・コンプレックス」という名称で概念化したことだが)その“消滅”を肩代わりさせるために、人びとは墓を建てたり、故人の肖像画を飾ったり、その記録映像を残したりする。それらは『非在の現前』を可能にするシンボル活動によって“不在”を補うための、あるいは、時間の流れとその先に待ち受ける『死=消滅』に抗うための(ささやかな)文化的営為であるといえるだろう」と述べています。

 

そして最後に松本氏は、「他方で人間は、かつては実在し今は失われた“物質”だけでなく、本来であればけっして実在するはずのない『幽霊』までをも想像し、それをシンボル活動によって現前させたりもする。本書が考察の主題とした『幽霊』とは、『死』という理解しがたい/耐えがたい体験から派生しつつも、存在しえないものを現前させるという意味で、人間的なシンボル化能力の究極的産物であるといえるかもしれない」と述べるのでした。怪談が好きで、ホラー映画が好きで、ゆえに幽霊が大好きなわたしですが、「幽霊」とは人類が発明した偉大なるグリーフケア文化であると考えています。松井氏の「人間的なシンボル化能力の究極的産物」という言葉に触れて、その考えが強まりました。

 

幽霊の歴史文化学 (二松学舎大学学術叢書)

幽霊の歴史文化学 (二松学舎大学学術叢書)

 

 

 2020年2月10日 一条真也

「犬鳴村」

一条真也です。
ジャパニーズ・ホラーの最新作「犬鳴村」を観ました。
ブログ「アントラム/史上最も呪われた映画」で紹介した映画と同じく7日公開の作品ですが、両作ともネットでは酷評されています。でも、それなりに面白かったです。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「『呪怨』シリーズなどの清水崇監督が、福岡県の有名な心霊スポットを舞台に描くホラー。霊が見えるヒロインが、次々と発生する奇妙な出来事の真相を突き止めようと奔走する。主演を『ダンスウィズミー』などの三吉彩花が務める。『戦慄迷宮3D THE SHOCK LABYRINTH』『貞子3D2』などを手掛けてきた保坂大輔が清水監督と共同で脚本を担当した」

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ヤフー映画の「あらすじ」は、以下の通りです。
臨床心理士の森田奏(三吉彩花)の周りで、不思議な出来事が起こる。奇妙なわらべ歌を歌う女性、行方不明になった兄弟など、彼らに共通するのは心霊スポット『犬鳴トンネル』だった。さらに突然亡くなった女性が、死ぬ間際にトンネルを抜けた後のことを話していた。奏は何があったのかを確かめるため、兄たちと一緒に犬鳴トンネルに向かう」



同じ7日に公開されたホラー映画でも、ブログ「アントラム/史上最も呪われた映画」で紹介した作品はガラガラでした。小倉のシネコンの一番小さなシアターでもわたしを含めて2名しかいませんでした。だからこそ、このイカれたフェイクドキュメンタリーが内容以上に怖く感じたのですが(苦笑)、「犬鳴村」のほうは大盛況でしたね。小倉の別のシネコンの2番目に大きいシアターがほぼ満員でした。ただ、普段は映画館に足を運ばないと思しき観客も多く、上映中に喋る人や、やたらとスマホを発光させるようなマナーの悪い人もいて閉口しました。さらに、わたしは上映直後の暗いシアターに入ってきた人から足を踏まれました。相手は気づかなかったようなので、わたしが「あなた、わたしの足を踏みましたね」と低い声で言うと、「すみません」と謝っていましたけど。正直、満員状態の北九州の映画館は苦手です。



それはともかく、映画「犬鳴村」はなかなか面白かったです。特に、冒頭のシーンは怖かったです。臨場感があって、極上の「お化け屋敷」を訪れたような体験でした。さすがは清水監督は「Jホラー」の第一人者ですね。「呪怨」シリーズを連想させる心霊描写はさすがで、「幽霊を描かせたら、天下一品!」という感じです。ただ、ラスト近くの登場するクリーチャー紛いの「犬女」はいただけませんでしたね。ハリウッドのB級映画を観ているもたいで、とにかく安っぽかったです。また、ストーリーの設定には難ありです。脚本も清水監督が手掛けていますが、村に焦点を当てなければいけないところを、いつの間にか家系に焦点が移ってしまい、ブレてしまいました。せっかく時空を超越したSF的なオチを見せたのに、ラストで奏の顔が一変する演出でブチ壊し。おそらくはマイケル・ジャクソンの「スリラー」のPVへのオマージュだと思いますが、あれでは「まだ呪いが続いているのか?」と観客に思わせて困惑させてしまい、なんとも中途半端な終わり方でした。



主人公が臨床心理士である点、YouTuberが心霊スポットの動画を撮影したことが物語の発端となる点などは、ブログ「貞子」で紹介した映画と共通しています。「リング」シリーズの中田秀夫監督の作品ですが、清水監督とともに「Jホラー」の両巨頭として知られていますね。この「犬鳴村」では「水」が重要な役割を果たし、溺死する犠牲者が続出します。このあたりは中田監督の「リング」(1998年)、「仄暗い水の底から」(2002年)を連想しました。また、「犬鳴村」では少年の母親役として奥菜恵が出演していましたが、彼女が初めてホラー映画の主演を務めた「弟切草」(2001年)や清水監督の代表作である「呪怨」(2003年)を思い出して、懐かしかったですね。

 

呪怨」での奥菜恵の絶叫演技は見事で、「和製ホラー・クイーン」の貫禄さえ感じました。今回の「犬鳴村」の主演女優である三吉彩花も悪くはなかったのですが、どうにもこういうホラー映画のスクリーンで見るには違和感もおぼえました。やはりモデル並みにスタイルが良すぎるので、ストーリーよりも彼女の容姿の方に注意が行ってしまいます。ブログ「ダンスウイズミー」で紹介した彼女の主演映画も、この「犬鳴村」も、演技そのものは下手ではなく、「熱演」と呼べるレベルなのですが、どうも彼女向きの作品ではないような気がしてならないのはわたし1人でしょうか? 素晴らしい逸材ではありますので、女優としてのこれからの活躍に期待したいです。



ところで、この「犬鳴村」という映画、当初はあまり観たいとは思いませんでした。というのも、実在の場所を舞台とした物語は良くないと思っているからです。なぜなら、その場所に住む人々への偏見を生み、差別を助長する危険性があるからです。横溝正史の探偵小説を映画化した作品にもそのような側面がありますが、金田一耕助が訪れるのはいずれも山奥とか離れ島のような辺境でした。しかし、映画「犬鳴村」の舞台は、福岡市や北九州市の両政令指定都市から近い福岡県宮若市と同県糟屋郡久山町との境を跨ぐ「犬鳴峠」です。



犬鳴峠とはいかなる場所か?Wikipedia「犬鳴峠」の「概要」には、「犬鳴峠という名前は側に位置する犬鳴山から来ている。由来は諸説あり、文献『犬鳴山古実』には『この山を犬啼と呼ぶのは谷の入口には久原へ越える道筋に滝があり、昔 狼が滝に行き着いたが、上に登れないことを悲しんで鳴いていた』と記されている。他にもこの犬鳴山はとても深いため、犬でも越えることが難しく泣き叫んだため犬鳴山と命名された説がある。他にも、律令時代に稲置(いなぎ)の境界線に位置していたことから、次第に『いんなき』と変化していった説がある。筑前方言で犬は『イン』と呼ぶため、『インナキとうげ』とも呼ばれる」と書かれています。



また、Wikipedia「犬鳴峠」の「犬鳴村伝説」には、「旧犬鳴トンネル近くに、法治が及ばない恐ろしい集落『犬鳴村』があり、そこに立ち入ったものは生きては戻れない」という都市伝説であるとして、こう書かれています。
「この都市伝説に関しては諸説あるが、概ね以下の内容である。トンネルの前に『白のセダンは迂回してください』という看板が立てられている。日本の行政記録や地図から完全に抹消されている。村の入り口に『この先、日本国憲法は適用しません』という看板がある。江戸時代以前より、激しい差別を受けてきたため、村人は外部との交流を一切拒み、自給自足の生活をしている。近親交配が続いているとされる場合もある。入り口から少し進んだところに広場があり、ボロボロのセダンが置いてある。またその先にある小屋には、骸が山積みにされている。旧道の犬鳴トンネルには柵があり、乗り越えたところに紐と缶の仕掛けが施されていて、引っ掛かると大きな音が鳴り、斧を持った村人が駆けつける。『村人は異常に足が速い』と続く場合もある。全てのメーカーの携帯電話が『圏外』となり使用不能となる。また近くのコンビニエンスストアにある公衆電話は警察に通じない。若いカップルが面白半分で犬鳴村に入り、惨殺された」
もちろん、以上の伝説はすべて事実ではありません。


いずれにせよ、このような馬鹿げた都市伝説に基づいた「犬鳴村」というホラー映画を犬鳴峠の周辺に住む方々が観たらどんな気分になるでしょうか。映画化によって差別・いじめなどの問題は起こらないのでしょうか。本気で心配になります。この映画、やたらと「実在の最凶心霊スポット、映画化」などと煽っていますが、映画の中で「この映画に登場する場所は実在の場歩とは一切関係ありません」というテロップぐらい流すべきではないでしょうか。それが映画の舞台にされた場所への「礼」であると思います。



最後に、あいかわらず新型コロナウイルスが猛威を奮っています。8日、中国政府は、湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎で、同日午前0時(日本時間同1時)時点の死者は722人、感染者は3万4546人に増えたと発表しました。新型肺炎の死者数は、2002~03年に大流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)の全世界の死者774人に迫る勢いですが、近日中に確実にSARSを抜くでしょう。この日、「犬鳴村」を鑑賞した映画館の観客のマナーが悪かったことはすでに書きましたが、一番嫌だったのは、マスクもしないでやたらと咳をする老人が近くにいたことでした。それも尋常ではなく、上映中ずっと咳をしているのです。どんなホラー映画よりも、これが最高に怖かったですね。もちろん、わたしはマスクを装着していました。

 

2020年2月9日 一条真也

「アントラム/史上最も呪われた映画」  

一条真也です。
7日から公開されたホラー映画「アントラム/史上最も呪われた映画」を観ました。ネットではさんざん酷評されていますが、なかなか面白かったです。ただし、映画館はガラガラでした。小倉のシネコンの一番小さなシアターで鑑賞したのですが、わたしを含めて観客は2名しかいませんでした。だからこそ、内容以上に怖く感じたのですが(苦笑)。



ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「長い間封じられてきた、1本の呪われた映画をめぐる衝撃のドキュメンタリー。行方がわからなかった映画『アントラム』を発見したことから始まる恐怖を映し出す。マイケル・ライシーニとデヴィッド・アミトが監督を務め、時間をかけて情報を収集した」

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ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「1970年代のアメリカ・カリフォルニア州で映画『アントラム』が撮影されたが、ずっとお蔵入りになっていた。この作品を観た者は不幸に見舞われるというジンクスのためだが、1988年にハンガリーブダペストで初上映される。すると映画の上映中に火災が起きて映画館は焼失し、56人もの犠牲者を出す大惨事となる」



40年間封印されてきた呪われた映画の全貌を明らかにするドキュメンタリーということですが、もちろん実話ではありません。上映館が焼失して56人の犠牲者を出した悲劇も含めて、すべてフィクションです。つまり、この映画はフェイクドキュメンタリーなのです。その点を指摘し、「これはドキュメンタリーではない」などと糾弾しているレビュアーもいますが、わたしは「おいおい、幼稚なことを言いなさんな」と言いたいです。それではプロレスを「格闘技ではない!」と怒るのと変わりがありません。「真剣勝負」を謳ったUWFが格闘技ではなくプロレスだったように、フェイクドキュメンタリーとはドキュメンタリーではなくフィクションです。それを理解した上で映画を楽しまないと!

 

フェイクドキュメンタリーとは、架空の人物や事件といったフィクションを“ドキュメンタリータッチ"で描く映像作品です。「モキュメンタリー」などとも呼ばれます。擬似を意味する「モック」と、「ドキュメンタリー」のかばん語であり、「モックメンタリー」「モック・ドキュメンタリー」ともいいます。フェイクドキュメンタリーのジャンルの起源は明確には分かっていませんが、映像作品以前では1938年に放送され、オーソン・ウェルズによる実況中継風の演出が話題となったラジオドラマ「宇宙戦争」が有名です。



映画では1950年代に登場していますが、なんといっても魔女伝説を扱った低予算映画「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」(1999年)の存在が大きいです。この映画は興行収入の面で大きな成功を収めました。依頼、フェイクドキュメンタリーは、アイデアさえあれば低予算であってもヒットを狙える作品として若手作家の登竜門となりました。「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」以後も、ある家族に起こる怪奇現象を扱った「パラノーマル・アクティビィティ」(2007年)など、多くの作品が制作されています。



日本では、白石晃士監督がフェイクドキュメンタリーの第一人者として知られています。白石監督は1973年生まれ、2005年「ノロイ」で劇場作品デビュー。以降、フェイクドキュメンタリーの手法を使った作風が評価され、2012年からリリースを開始したオリジナルビデオシリーズ「戦慄怪奇ファイル コワすぎ!」では、ホラー映画ファンを中心に大きく話題を集めました。また、劇場公開監督作としても多くの佐久本がありますが、わたしは「オカルト」(2008年)、「カルト」(2013年)、韓国との合作「ある優しき殺人者の記録」(2014年)などが傑作であると思っています。



さて、そんなフェイクドキュメンタリーの「アントラム」ですが、40年の時間を経て、ドキュメンタリー映画作家のマイケル・ライシーニとデビッド・アミトが、長期間にわたる調査の結果、行方知らずだった「アントラム」の35ミリフィルムを発見したというストーリーです。2人は、新たに撮影された関係者、研究者たちの証言を交え、その封印を解くことを決意します。そして、「何が起きても、全ては見た人の自己責任」であるという“警告付き”で、ついに全世界に披露されることになったのでした。実際、日本の観客に対しても“くどい”くらいの警告が続いてから上映が開始されます。



しかし、冒頭では、映画史における地獄や悪魔の描写がスクリーンに映し出され、これがなかなかオドロオドロしかったです。また、劇中映画の「アントラム」も子どもが地面を掘っていたら地獄に通じて悪魔が出てきたというストーリーはあまりにもお粗末ですが、全編が何とも言えない不気味な雰囲気に包まれており、観客を不安な気分にさせるという点では成功していると思いました。さらには、ネタバレにならないように書くと、この映画には悪魔主義者らしき2人組が登場するのですが、こいつらが超アブナい感じです。イカレタ野郎どもをよく描いていました。悪魔の姿をした焼却炉の造形も禍々しかったですし、この映画が本当に「呪われた映画」かどうかは知りませんが、やたらと不安をおぼえたり、不愉快になるシーンが満載で、「トラウマ映画」としては合格だと思います。



さて、「アントラム/史上最も呪われた映画」は7日に公開されましたが、この日に公開されたホラー映画は他にもあります。ジャパニーズ・ホラーの「犬鳴村」です。これは福岡県に実在する「旧犬鳴トンネル」という心霊スポットであります。その先には「犬鳴村」と呼ばれる村があり、日本国憲法が適用されないエリアであるなどと噂されています。この恐怖の都市伝説がJホラー映画の第一人者である清水崇によって禁断の映画化されました。「アントラム/史上最も呪われた映画」と同じくネットでは酷評されていますが、わたしの好きな三吉彩花が主演なので、観てみようかな?

 

2020年2月8日 一条真也

営業責任者会議  

一条真也です。
6日の14時から、サンレー本社でサンレーグループ営業責任者会議が開催され、わたしも社長として会議の冒頭から参加しました。16時半から社長訓話でした。

f:id:shins2m:20200206181247j:plain最初は、もちろん一同礼!

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最初に、営業優績者の表彰をしました

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心をこめて表彰いたしました

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社長訓示をしました

 

社長訓示に先立って、営業部門の各種表彰を行いました。
わたしは感謝の念を込めて、表彰状や金一封を表彰の対象者の方々にお渡ししました。表彰式が終わると、わたしは60分ほどの社長訓話をしました。まず、ブログ「全互協新年行事」で紹介したグリーフケアのパネルディスカッションの話をしました。

f:id:shins2m:20200206172528j:plainグリーフケアと互助会について話しました

 

パネルディスカッションで「グリーフケアが冠婚葬祭互助会にとってなぜ必要になっているのか」について質問されたわたしは、次のように答えました。
冠婚葬祭互助会は、結婚式と葬儀の施行会社ではなく、冠婚葬祭に係る一切をその事業の目的としています。確かに結婚式と葬儀を中心に発展してきた業界ではありますが、結婚式と葬儀のいずれも従来は近親者や地域社会で行なってきたものが、時代の流れにより対応できなくなり、事業化されてきたとも言えます。

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悲しみに寄り添い合う「悲縁」とは?

 

グリーフケアについても、葬儀後の悲嘆に寄り添うということから考えると、まさに冠婚葬祭の一部分と言えると思います。このグリーフケアについても、従来は近親者や地域社会が寄り添いクリアしてきた部分でしたが、現在その部分がなくなり、今必要とされているのです。「血縁」や「地縁」が希薄化する一方で、遺族会自助グループに代表される「悲縁」を互助会が育てているとも言えます。

f:id:shins2m:20200206163515j:plain互助会の使命とは何か?

 

続いて、わたしは以下のように述べました。
グリーフケアは、もちろん互助会にとっても必要なものですが、簡単なものではなく、大変デリケートなものです。しかしながら、グリーフケアの担い手がなくなり必要とされている現代、人の人生をトータルにサポートするという目的からしても避けて通ることはできません。わたしたち互助会業界こそ、最もふさわしい担い手ではないでしょうか。災害支援協定などもそうですが、地域の人々が望んでいるや困っていることを担い、それを生業とするのが冠婚葬祭互助会の使命であり、将来的に地域において生き残っていく道だと考えています。

f:id:shins2m:20200206173611j:plainなぜ、グリーフケアが必要か?

 

続いて、わたしは以下のように述べました。
地方都市においては、一般的に両親は地元に、子息は仕事で都市部に住み離れて暮らす例が多く、夫婦の一方が亡くなって、残された方がグリーフケアを必要とれる状況を目の当たりにすることが増えています。地域社会との交流が減少している中、葬儀から葬儀後において接触することが多く故人のことやその家庭環境が分かっている社員が頼りにされるという状況も増えています。互助会としては、このような状況を放置することはできません。しかしながら、グリーフケアの確かな知識のない中、社員の苦悩も増加しており、グリーフケアを必要とされている方はもちろん、社員そして会社のために必要です。

f:id:shins2m:20200206165722j:plain「葬」と「祭」に関わるグリーフケア

 

さらに、わたしは以下のように述べました。
グリーフケアは悲嘆への対応、「冠婚葬祭」のなかで「葬」と「祭」に関わることが多く、「大切な人を亡くしたこと」に対してどのようなことが出来るかということです。これまでは「葬」の儀式以後に法事法要といった儀式でその一部に対応してきましたが、現在の宗教離れや考え方の多様化によって機能不全に陥ってきたことは否めません。冠婚葬祭互助会は生まれてから「死」を迎えるまで人生の通過儀礼に関わっています。葬儀が終わっても法事法要のお世話など故人だけでなくその家族にも寄り添い続け、また新たな「生」や「死」に対しても家族と一緒に寄り添っていきます。

f:id:shins2m:20200206170436j:plain互助会の社会的責任(CSR)を果たす

2番目のテーマとして、 「冠婚葬祭互助会がグリーフケアに取り組むことで、地域社会との関係がどのように変わっていくか」が提示されました。それについて、わたしは、以下のように答えました。グリーフケアにとどまらず、地域社会が困っていることや必要としていることに関わっていくのは、冠婚葬祭互助会のような地域密着型の企業にとっては事業を永続的に続けていくために必要なことです。それは社会的責任(CSR)を果たすことにつながり、地域に認められる存在となる重要なキーポイントだと思います。

f:id:shins2m:20200206170457j:plain地域社会に必要な存在へ・・・・・・・・・

 

また、わたしは以下のようにも述べました。
グリーフケアに限っても、グリーフケアが必要な人が増加していくことは、地域社会にとって不安要因となったり、地域交流を阻害する要因にもつながりますが、グリーフケアにより地域社会に復帰する人が増えることは、これらの要因を取り除くことになり、地域社会の交流が途絶えることなく継続したり、活発化していくことに繋がるかもしれません。その担い手が冠婚葬祭互助会だと認知されたら、それはまさにCSRを果たし、地域社会に認められる存在、ひいては地域社会に必要な存在へとつながっていくのではないでしょうか。

f:id:shins2m:20200206172309j:plain地域コミュニティの中心に!


さらに、わたしは以下のように述べました。
互助会が冠婚葬祭のすべてとグリーフケアを行うことによって人が生きていくうえで必要な儀式とケアが行えることになります。古来よりその役目を担ってきた地域の寺院の代わりに不可欠なとして存在していくことで地域社会に必要なものとして、より根差していけるのではないでしょうか。また、地域ごとにセレモニーホールを持つ冠婚葬祭互助会は寺院が担ってきた地域コミュニティの中心としての存在となり得ることが可能です。それは人と人が関わりあう地域社会の活性化にもつながっていくと考えられます。

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「志」について述べました

 

全互協のパネルディスカッションで以上のような話をしたところ、参加者の方々から大きな反響がありました。そして、「サンレーさんは志が高い互助会ですね」という嬉しい声もいただきました。志こそは、わが社が最も大切にしているものです。リーダーにとって最も大切なものも「志」であると思います。志とは心がめざす方向、つまり心のベクトルです。行き先のわからない船や飛行機には誰も乗らないように、心の行き先が定まっていないような者には、誰も共感しませんし、ましてや絶対について行こうとはしません。

f:id:shins2m:20200206172239j:plain志ある者は、無私である!

 

志に生きる者を志士と呼びます。幕末の志士たちはみな、青雲の志を抱いていました。吉田松陰は、人生において最も基本となる大切なものは、志を立てることだと日頃から門下生たちに説いていました。そして、志の何たるかについて、こう説きました。
「志というものは、国家国民のことを憂いて、一点の私心もないものである。その志に誤りがないことを自ら確信すれば、天地、祖先に対して少しもおそれることはない。天下後世に対しても恥じるところはない」
わたしは、志というのは何よりも「無私」であってこそ、その呼び名に値するのであると強調したいです。松陰の言葉に「志なき者は、虫(無志)である」というのがありますが、これをもじれば、「志ある者は、無私である」と言えるでしょう。

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最後は、もちろん一同礼!

 

平たく言えば、「自分が幸せになりたい」というのは夢であり、「世の多くの人々を幸せにしたい」というのが志です。夢は私、志は公に通じているのです。自分ではなく、世の多くの人々。「幸せになりたい」ではなく「幸せにしたい」、この違いが重要なのです。真の志は、あくまでも世のため人のために立てるものなのであり、「志」に通じている「夢」ほど多くの人々が応援してくれるために叶いやすいのでしょう。ちなみに、わたしは無縁社会を克服して、有縁社会を再生するという志を立てています。ぜひ、営業責任者のみなさんも、この志を共有していただきたい。今回は、こんな話をしました。

f:id:shins2m:20200206181046j:plain懇親会のようす

f:id:shins2m:20200206181252j:plain懇親会でカンパ~イ!

 

社長訓話が終わった後は、松柏園の「長浜」で懇親会が開かれました。最初に佐久間会長が挨拶し、「営業のみなさんはよく頑張っていますが、もう少しだけ高い目標を持って前進していただきたい」と述べました。続いて、わたしも挨拶しましたが、「『儀式』と『相互扶助』は人類普遍の価値ある営みです。みなさんは、この世で最も価値のある商品を売っているのだという誇りを持っていただきたい」と述べました。それから、玉中常務の音頭で乾杯しました。

f:id:shins2m:20200206193418j:plain末広がりの五本締め」のようす

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二次会のコンパでカンパイ!

 

各地から参集したみなさんは、お酒や料理を楽しみながら会話の花を咲かせました。最後は、岸部長による中締めの挨拶でした。岸部長は、 サンレー・オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。これをやると、みんなの心が本当にひとつになる気がします。その後も、松柏園のラウンジで二次会を開催。わが社のコンパは和気あいあいと続いたのであります。

 

2020年2月7日 一条真也