映画を愛する美女

一条真也です。
映画をこよなく愛する1人の美女をご紹介します。
アキさんという方なのですが、この「一条真也の新ハートフル・ブログ」や「一条真也の映画館」の愛読者であり、映画の翻訳者を目指されています。

f:id:shins2m:20190415153501j:plainmoment NY」より

 

 アキさんは、ニューヨークの映画ロケ地を紹介する「moment NY」という素晴らしいサイトを運営されています。同サイトには、「ティファニーで朝食を」「プラダを着た悪魔」「セックス・アンド・ザ・シティ」などの映画、「ゴシップガール」「フレンズ」などのTVドラマの舞台が美しい写真と素敵な文章で紹介されています。

 

わたしは、ブログ「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」で、アキさんのことを以下のように書きました。
「この映画で知った名言が2つあります。
処刑される直前にメアリー(・スチュアート)が言ったという『我が終わりは、我が始まりなり』という言葉。これは17世紀にフランスの哲学者ルネ・デカルトが唱えた『我思う、ゆえに我あり』に並ぶ名言であると思います。
そして、もう1つはエリザベスの『美はいずれ朽ちるが、知は永遠に輝き続ける』という言葉です。2人の女王による2つの名言には唸りましたが、わたしは最近、銀座の某所でお会いした1人の女性のことを思い浮かべました。正直言って、ものすごい美女です。中山美穂伊藤美咲に似ていますが、その2人よりも綺麗です」

映画を愛するアキさん

 

方法序説 (岩波文庫)

方法序説 (岩波文庫)

 

 

 また、わたしは以下のようにも書いています。
「しかしながら、それほどの輝く美貌の持ち主でありながら、その彼女はデカルトの哲学に興味を持ち、東京の赤坂にある女子大を卒業した後、わざわざ慶應義塾大学に再入学して哲学を学んだ経歴の持ち主でもあるのです。わたしは、彼女と『我思う、ゆえに我あり』について意見交換させていただきました。その考え方がまた非常に深くて感服しました。いやはや、『天は二物を与えず』とは言いますが、日本にも凄い方がいるものだと感心した次第です。『美』と『知』が合体したとき、“鬼に金棒”的な真の輝きを発するようで、わたしはあまりの眩しさにクラクラしてしまいました」

f:id:shins2m:20190415141351j:plain「 はじめまして

 

そのアキさんですが、このたび、「アキの映画な日々『人生は美しい』」という映画ブログを立ち上げられました。新元号の「令和」が発表された4月1日に「 はじめまして」の記事でブログ・デビューされています。まずは自己紹介として、彼女は次のように書いています。
「映画、旅行が大好きでニューヨークの映画ロケ地サイトを運営しています。ニューヨークに限らずロサンゼルスやヨーロッパなど世界各地のロケ地も行ってみたいと思っています。どうしてニューヨークのサイトからスタートしたかと言うと、私の大好きな街の1つで、初めて海外旅行をした場所でもあります。初めて行ったニューヨークの印象は『映画で観た世界』。映像で観ていた憧れの世界が目の前に広がりまばたきするのも勿体ないくらい全身鳥肌が立つほどの感動でした。それ以降、色んな国に旅行に行き、それぞれに感動ポイントはたくさんありましたが、初ニューヨークで感じた衝撃を超える感覚はありませんでした。
それ以来、なるべく毎年欠かさずニューヨークに遊びに行くようにしています。長いときは1カ月ほど滞在して語学学校へ通ったり、行ってみたかったレストランやホテル巡りをしたり、趣味の写真を撮ったり、友人に会ったり、大好きなニューヨークでの生活を思いっきり堪能しています」

f:id:shins2m:20190415151755j:plain 「moment NY」より 

 

続けて、アキさんは次のように書いています。
「そんなニューヨークを満喫中に、ふと、大好きなニューヨークで大好きな映画やドラマのロケ地をまわってみたら楽しそうだなぁと思いつき、時間を見つけてロケ地巡りを始めました。好きな映画やドラマの舞台をめぐることは想像以上に感動の連続でした。視覚、聴覚、嗅覚、触覚。全身を使ってその映画を感じることができることはロケ地巡りの最大の魅力だな、と現地に行く度に思います。思い入れの強いシーンが繰り広げられた場所に身を置いてみると、その場のニオイや街のノイズ、目の前に広がる景色を肌で感じられます。映画好きの私にとって『映画で観てきた景色の中にいる』という瞬間はなにものにも代えがたい幸せなひと時です」

 

また、彼女はブログ「記者たち~衝撃と畏怖の真実」で紹介した映画を鑑賞されたようで、その感想も「『記者たち~衝撃と畏怖の真実~』」というブログ記事に書かれていますが、この文章がまた素晴らしい!
フセイン大量破壊兵器の保持を理由にイラク侵攻を開始したアメリカですが、始めに結論を出し、その上でマスコミや専門家を加担させて既成事実を作っていきました。
イラク侵攻の為なら真実は関係ないわけですが、NYタイムズやワシントン・ポストなど大手各紙は政府の発言を支持する報道をする中、中堅新聞社ナイト・リッダー社だけが真実を追いかけ続けました。

f:id:shins2m:20190415152531j:plain『記者たち~衝撃と畏怖の真実~』」 

 

アキさんは次のように書いています。
「『ブッシュ大統領も、ワシントンポストも、みんな大量破壊兵器を保持してると言っている。真実に決まっているだろう』といった内容のセリフがありました。政治情勢に疎い国民であれば、真実になり得る十分すぎる材料でしょう。人は何かを判断するときに、発言者のバックグラウンドで信用度を図ってしまうものです。一流大学卒業、一流企業勤務、大手マスコミ、政府関係者。挙げればキリがないですが、肩書きに左右されてしまうことが往々にしてあります。メディアからすれば、国民を操ることはいとも簡単なことなのでしょう」

 

Hacks: The Inside Story of the Break-ins and Breakdowns That Put Donald Trump in the White House (English Edition)
 

 

また、彼女は「記者たち~衝撃と畏怖の真実」を観て、2016年のアメリカ民主党全国党大会を思い出したそうです。ヒラリー・クリントンバーニー・サンダースが大統領選挙における民主党候補指名を争い、サンダースが優勢と誰もが確信する中、ヒラリーが民主党代表として選出された選挙です。後に民主党内の選挙プロセスは不正に操作されたと証言する議員が現れ、元CNNコメンテーターとして有名なドナ・ブラジルは"Hacks: The Inside Story of the Break-ins and Breakdowns that Put Donald Trump in the White House"(乗っ取り:ドナルド・トランプホワイトハウスに入れた横取りと衰退のインサイド・ストーリー)という著書を刊行して話題になりました。同書では、クリントンが「米民主党全国委員会を買収し、選挙をバーニーから盗み取った」と言及しています。

 

さらに、アキさんは、マイケル・ムーア監督の映画「華氏911」を取り上げ、民主党の選挙プロセス不正疑惑にも言及。以下のように述べています。
「不正疑惑の中、ヒラリーは民主党代表として、大統領選挙をトランプ氏と戦うわけですが。多数の大手マスコミが同じ報道をすれば、それが真実になってしまう。私たちはそういう世界に生きているということ。このことを頭の片隅に置いていくだけで、この報道は果たして偏ったものではないだろうか、本当にそうだろうか、と鵜呑みにせず自分の頭で考察することができます。過信し過ぎず、一歩引いて世の中を見るクセをつけることが、情報過多な世の中にはとても大事なことだと改めて痛感させられます」

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アキさん、大いに期待しています! 

 

このように「記者たち~衝撃と畏怖の真実~」の感想を述べながら、現実の事件、本、映画などにも言及して、大衆への情報操作の恐怖を語ってゆきます。達意の文章で綴られるブログには知性と気品を感じてしまいますね。もともと「社会派映画」が大好きというアキさんですが、これからも多くの映画を鑑賞して、その感想をブログに書かれることでしょう。そのうち、彼女の該博な哲学の知識もふんだんに披露されるのではないでしょうか。彼女の映画を観る目は確かですので、いずれは「美人すぎる映画評論家」、あるいは「美人すぎる映画翻訳者」としてマスコミに注目され、メジャー・デビューされる日を楽しみにしています。アキさん、これからも頑張って下さいね!
同じく映画を愛する者として、わたしも応援しています!
「令和」への改元まで、あと16日です。

 

2019年4月15日 一条真也

 

小倉高校同窓会講演  

一条真也です。
13日、羽田空港からスターフライヤー北九州空港へ帰ってきました。翌14日、博多の西鉄グランドホテルへ向かいました。母校の小倉高校の同窓会である明陵同窓会の福岡支部の総会で記念講演を行うためです。小倉高校は、各界で活躍されているOBが多い名門であります。詳しくは、「福岡県立小倉高校出身有名人」を御覧下さい。

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開会前の会場にて

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同窓会総会のようす

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冒頭に挨拶する首藤幹事長

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総会は新幹線人身事故の影響により10分遅れの14時30分から開始されましたが、200名以上が参加して非常に盛会でした。開会宣言の後、物故者への黙とう、当番漢字挨拶、会計報告、支部長挨拶、来賓挨拶などがありました。その後、わたしの記念講演が行われました。演題は「人生の修め方」。これまで何度も話してきたテーマですが、この日は時間が30分以内とあって駆け足の講演となりました。高校の大先輩方の前、しかも高齢の先輩が多い中で「人生の修め方」について話すのは、少々緊張をおぼえました。

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わたしが登壇しました

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「人生修め方」について講演しました

f:id:shins2m:20190414150943j:plainウルマンの「青春」を紹介

f:id:shins2m:20190414150735j:plain老いと死があってこそ人生!

 

 冒頭、わたしは「アンチエイジング」という言葉についての異論を唱えました。これは「『老い』を否定する考え方ですが、これは良くありませんね」と述べました。そして、わたしは「老いと死があってこそ人生!」という話をしました。サミュエル・ウルマンの「青春」という詩がありますが、その根底には「青春」「若さ」にこそ価値があり、老いていくことは人生の敗北者であるといった考え方がうかがえます。おそらく「若さ」と「老い」が二元的に対立するものであるという見方に問題があるのでしょう。「若さ」と「老い」は対立するものではなく、またそれぞれ独立したひとつの現象でもなく、人生というフレームの中でとらえる必要があります。

f:id:shins2m:20190414151211j:plain「人生の五計」を紹介

 

理想の人生を過ごすということでは、南宋の朱新仲が「人生の五計」を説きました。それは「生計」「身計」「家計」「老計」「死計」の5つのライフプランです。朱新仲は見識のある官吏でしたが、南宋の宰相であった秦檜に憎まれて辺地に流され、その地で悠々と自然を愛し、その地の人々に深く慕われながら人生を送ったといいます。そのときに人間として生きるための人生のグランドデザインとでも呼ぶべき「人生の五計」について考えたのでした。

f:id:shins2m:20190414151504j:plain老年期は実りの秋である!

 

それから、「老年期は実りの秋である!」という話をしました。今年の夏は本当に暑かったですね。わたしはもうすぐ56歳になりますが、若い頃と違って暑さが体にこたえます。昔は夏が好きだったのですが、今では嫌いになりました。四季の中では、秋が好きです。古代中国の思想では人生を四季にたとえ、五行説による色がそれぞれ与えられていました。すなわち、「玄冬」「青春」「朱夏」「白秋」です。

f:id:shins2m:20190414151515j:plain超高齢社会をどうとらえるか

 

こうして歴史をひもといていくと、人類は「いかに老いを豊かにするか」ということを考えてきたといえます。「老後を豊かにし、充実した時間のなかで死を迎える」ということに、人類はその英知を結集してきたわけです。人生100年時代を迎え、超高齢化社会現代日本は、人類の目標とでもいうべき「豊かな老後」の実現を目指す先進国になることができるはず。その一員として、実りある人生を考えていきたいものです。

f:id:shins2m:20190414152509j:plain「迷惑」は建前、「面倒」が本音

 

それから、「終活」についての考えを述べました。
これまでの日本では「死」について考えることはタブーでした。でも、よく言われるように「死」を直視することによって「生」も輝きます。その意味では、自らの死を積極的にプランニングし、デザインしていく「終活」が盛んになるのは良いことだと思います。その一方で、わたしには気になることもあります。「終活」という言葉には何か明るく前向きなイメージがありますが、わたしは「終活」ブームの背景には「迷惑」というキーワードがあるように思えてなりません。

f:id:shins2m:20190414152804j:plain「終活」から「修活」へ

 

 いま、世の中は大変な「終活ブーム」です。ブームの中で、気になることもあります。それは、「終活」という言葉に違和感を抱いている方が多いことです。特に「終」の字が気に入らないという方に何人も会いました。もともと「終活」という言葉は就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語だとされています。ならば、わたしも「終末」という言葉には違和感を覚えてしまいます。死は終わりなどではなく、「命には続きがある」と信じているからです。

f:id:shins2m:20190414150752j:plainこれからは「修活」の時代です!

 

そこで、わたしは「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案しました。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。よく考えれば、「就活」も「婚活」も広い意味での「修活」ではないでしょうか。学生時代の自分を修めることが就活であり、独身時代の自分を修めることが婚活です。そして、人生の集大成としての「修生活動」があります。これからは「修活」の時代です。

f:id:shins2m:20190414152831j:plain「修める」という心構え 

 

かつての日本は、たしかに美しい国でした。しかし、いまの日本人は「礼節」という美徳を置き去りし、人間の尊厳や栄辱の何たるかも忘れているように思えてなりません。それは、戦後の日本人が「修行」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」という覚悟を忘れてしまったからではないでしょうか。
老いない人間、死なない人間はいません。死とは、人生を卒業することであり、葬儀とは「人生の卒業式」にほかなりません。老い支度、死に支度をして自らの人生を修める。この覚悟が人生をアートのように美しくするのではないでしょうか。

f:id:shins2m:20190414152947j:plain自分の葬儀を想像してみましょう!

 

続いて、誰でもが実行できる究極の「修活」についてもお話しました。それは、自分自身の理想の葬儀を具体的にイメージすることです。親戚や友人のうち誰が参列してくれるのか。そのとき参列者は自分のことをどう語るのか。理想の葬儀を思い描けば、いま生きているときにすべきことが分かります。参列してほしい人とは日ごろから連絡を取り合い、付き合いのある人には感謝することです。生まれれば死ぬのが人生です。死は人生の総決算。葬儀の想像とは、死を直視して覚悟することです。覚悟してしまえば、生きている実感がわき、心も豊かになります。

f:id:shins2m:20190414153241j:plain死生観の確立を!

f:id:shins2m:20190414153335j:plain盛大な拍手に感激しました

究極の「修活」とは死生観を確立することではないでしょうか。死なない人はいませんし、死は万人に訪れるものですから、死の不安を乗り越え、死を穏やかに迎えられる死生観を持つことが大事だと思います。そんな話をしているうちに終了時間となったので、わたしは「ご清聴、ありがとうございました」と言って拙い講演を終えました。すると、盛大な拍手を頂戴して感激いたしました。錚々たる諸先輩がおられる中で、わたしのような若造が記念講演をさせていただけたのは誠に光栄でした。これも34期の福岡支部の当番幹事長である首藤君をはじめ、重渕君、鳥本君といった当番幹事のみなさんのおかげです。本当に、ありがとうございました。

f:id:shins2m:20190414153857j:plain懇親会での鏡開き

f:id:shins2m:20190414154503j:plainカンパ~イ!

f:id:shins2m:20190414154643j:plain懇親会のようす

f:id:shins2m:20190414160427j:plainカレーが一番美味しかった!

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西鉄グランドホテルの前で

 

講演後は懇親会となり、鏡開きの後、副支部長の音頭による乾杯、ラグビー山田選手のビデオメッセージ、平成30年度次期幹事挨拶、明陵同窓会本部総会幹事挨拶、じゃんけん大会、校歌斉唱、城野副支部長による閉会挨拶および万歳と続きました。わたしは先輩や同級生、後輩たちとお酒を飲みながら、楽しい時間を過ごしました。
料理では、西田さんという同級生の女性が「ここのホテルはカレーが評判なので、わざわざメニューに加えてもらったんですよ」と言いながらテーブルまで持ってきて下さった西鉄グランドホテル特製のカレーが美味しかったです。
34期の当番幹事のみなさん、本当にお疲れ様でした。
「令和」へ改元まで、あと17日です。

 

2019年4月13日 一条真也

「桜を見る会」に参加しました 

一条真也です。
(現在、2019年11月10日です。この記事に大量のアクセスが集中して驚いています。なんでも、安倍総理主催の「桜を見る会」が話題になっているそうで、「桜を見る会 ブログ」で検索すると、この記事がかなり上位に来ています。自分でも「俺のブログはこんなに読まれているのか!」と仰天しました。俺って、もしかしてインフルエンサー?(笑)それにしても、天皇陛下の祝賀パレードの日に、こんな下らないことで騒がなくてもいいのではないでしょうか?)

 

4月13日の朝、今年で結婚30周年を迎える妻とともに新宿御苑を訪れ、安倍総理主催の「桜を見る会」に参加しました。春の風物詩と言える行事ですが、今年も多くの芸能人や文化人、スポーツ選手のみなさんが参加されていました。

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招待状と受付票

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新宿御苑にて

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妻も一緒に参加しました

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今年で結婚30周年を迎える妻と

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大木戸門から入りました

 

平成最後となる今年の「桜を見る会」が開催される新宿御苑環境省管轄の庭園です。都内の真ん中でありながら、美しい庭園が広がっています。安倍首相を中心に招待客のみなさんとともに、わたしたち夫婦も平成最後の「桜を見る会」を楽しみました。

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満開の桜の前に立つ妻

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桜を見る会にて

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桜を見る会にて

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八重桜を楽しみました

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屋台もありました

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芸能人もたくさん来ていました

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お笑い界の人気者が集結!

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芸能人のみなさんはやはり華やかです

f:id:shins2m:20190413093257j:plain芸能人のみなさんはやはり華やかです

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芸能人のみなさんはやはり華やかです

 

例年通り、芸能人の人たちもたくさん来ていました。
芸能人には多くのフラッシュが焚かれていました。
思ったのですが、ピコ太郎(ゴールド)とかカズレーザー(レッド)とか林家ペー&パー子(ピンク)とか、遠目からもすぐわかるイメージカラーのド派手な衣装を着た人は目立ちますね。「これぞ芸能人!」という感じでした。

f:id:shins2m:20190413093503j:plain報道陣の数もすごかった!

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安倍総理夫妻を囲んで・・・

f:id:shins2m:20190413094505j:plain大いに盛り上がりました

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出口に安倍総理のソックリさんが!

 

それにしても多くの芸能人のみなさんが、一般の参加者たちの目を楽しませていました。芸能人という存在は花道や花代などの言葉からもわかるように「人間界の花」という側面がありますが、「桜を見る会」という行事には、自然界の花と人間界の花を両方見せるという意味があるのでしょうね。
芸能人といえば、出口には安倍総理のソックリさんが立って人気を集めていました。この人、吉本興業の芸人さんだそうですが、警備員さんから退去を命じられていました。(笑)

f:id:shins2m:20190413104312j:plainこの日の八重桜を忘れません 

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平成最後の「桜を見る会」でした

平成最後の「桜を見る会」は大いに盛り上がりました。
終了後は、いったんホテルに荷物を取りに戻ってから、羽田空港に向かいました。そこからスターフライヤー北九州空港へ。明日は博多で小倉高校の同窓会福岡支部総会が開催され、そこで「人生の修め方」をテーマに講演を行います。ハードな毎日が続いてグロッキー気味ではありますが、「天下布礼」のために頑張ります!
「令和」への改元まで、あと18日です。

 

2019年4月13日 一条真也

「記者たち~衝撃と畏怖の真実~」

一条真也です。
東京に来ています。打ち合わせの合間を縫って、TOHOシネマズシャンテで映画「記者たち~衝撃と畏怖の真実~」を観ました。ずっと観たかった作品ですが、北九州では上映されていませんでした。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
イラク戦争のさなかに真実を追い続けた実在のジャーナリストたちを描く実録ドラマ。ジョージ・W・ブッシュ政権下で奔走した記者たちを、『スリー・ビルボード』などのウディ・ハレルソン、『X-MEN』シリーズなどのジェームズ・マースデン、『ハリソン・フォード 逃亡者』などのトミー・リー・ジョーンズが演じるほか、ジェシカ・ビールミラ・ジョヴォヴィッチらが共演。ウディ主演作『LBJケネディの意志を継いだ男』などのロブ・ライナーがメガホンを取った」

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ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「2002年、アメリカのジョージ・W・ブッシュ大統領は大量破壊兵器の保持を理由にイラク侵攻に踏み切ろうとしていた。アメリカ中のメディアが政府の情報を前提に報道する中、地方新聞社を傘下に持つナイト・リッダー社ワシントン支局の記者ジョナサン・ランデー(ウディ・ハレルソン)とウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)は、その情報に疑念を抱き真実を報道するため取材を進める」

 

この映画は、9・11後のアメリカにおいて、不確実な情報を口実にイラク戦争へ突き進むブッシュ政権に対して孤独な戦いを挑んだ記者たちの実話です。2003年12月、米戦略研究所はジェフリー・レコード教授の論文を発表しました。それによれば、ブッシュ政権の戦略がアメリカを「終わりのない戦い」の中に置いたと糾弾しているそうです。レコード教授は、アメリカの対テロ戦には、いつか限界が訪れると指摘しています。オバマ大統領は財政上の裏付けのないイラク侵攻の幕を引きました。

 

でも、戦争立国であるアメリカの戦いは決して終わりません。ブログ「ハート・ロッカー」で紹介した映画は、このアメリカの焦燥感をテーマとしています。テロ撲滅のために始められたイラク侵攻が、むしろテロ撲滅の邪魔になっていることを見事に暴き出しました。アメリカは敵がいないと存続できない国家なのでしょうか? それにしても、戦争をしないと存続できないとは何と貧しい国でしょうか。

 

「豊かさ」とはまさに戦争とは反対の次元にあるものだと思います。さまざまな戦争映画を観ながら、わたしは「戦争根絶のためには、ヒューマニズムに訴えるだけでなく、人類社会に『戦争をすれば損をする』というシステムを浸透させるべきではないか」などと考えます。損得勘定で動くのは経済ですが、「戦争をすれば貧しくなる」を進めて「戦争をしなければ豊かになる」という方向に持っていくことが必要です。そこで「戦争」の反対概念になるのが「観光」であり、さらには「もてなし」が最大のキーワードになります。

 

アラビアン・ナイト (福音館古典童話シリーズ)

アラビアン・ナイト (福音館古典童話シリーズ)

 

 

 わたしは子どもの頃から『アラビアンナイト』の物語が大好きで、舞台となるバクダッドをいつか訪れるのが夢でした。バクダッドはイラクの首都です。日本人が観光で訪れるなどもはや不可能です。また、わたしは大いなる「死」の文化が栄えたエジプトを訪問する計画が何度もあったのですが、そのたびにテロが起こって家族や社員の反対に遭い、いまだに、この目でピラミッドを見ていません。このように考えると、「戦争」と「観光」が正反対であることがよくわかります。もともと「戦争」とは相手国を滅ぼそうという営みであり、「観光」とは相手国の素晴らしさ(光)を観ようという営みです。まさに正反対なのです。

 

また、ジャーナリストのあり方を問う「記者たち 衝撃と畏怖の真実」を観ながら、わたしはブログ「ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書」で紹介した映画を思い出しました。「ペンタゴン・ペーパーズ」は1971年当時のアメリカにおける最高権力者であったニクソン大統領と新聞メディアが闘う物語です。もちろん実話に基づいています。スピルバーグ監督が、本作の製作を思いついたのは、トランプ政権誕生の瞬間だそうです。結果、彼はわずか1年でこの映画を完成させました。当然ながら、過去の出来事を描きながらも、現在の政治に対する抑止力としてのメディアへのエールとなっています。

 

ペンタゴン・ペーパーズ」の核心は、アメリカ政府がベトナム戦争について真実を隠していたということです。ベトナム戦争では、多くのアメリカ人兵士が死にました。当時の新聞メディアが、そして米国民がどうしても許せなかったのは、そこに無念の死を遂げた死者たちへの想いがあったからではないでしょうか。「記者たち 衝撃と畏怖の真実」にも、アメリカがイラクに戦争を仕掛けるとき、ある人物が「戦没者の慰霊碑に行ってみるといい。毎日、誰かが故人を想って涙を流している」と言うシーンが出てきます。いつの時代でも、戦争とは巨大な「グリーフ」の発生装置であることを忘れてはなりません。

 

奇しくも、わたしが「記者たち 衝撃と畏怖の真実」を観た日、ウィキリークス創設者のジュリアン・アサンジが英国の保釈条件に違反した容疑でエクアドル大使館内で逮捕されたニュースが話題になりました。アサンジ容疑者は米国の要請に基づき再逮捕されました。これにより、同容疑者は米国からの身柄引き渡しに直面することになりそうですが、ウィキリークスは、アサンジ容疑者が米国の前陸軍情報分析官チェルシー・マンニングがウィキリークスに漏らした機密情報を公にしたという共謀罪で、米国の引き渡し令状に基づいて逮捕されたとツイートしています。

 

米司法省は、アサンジ容疑者が米国の機密コンピューターに侵入しようと企てた疑いがあることを声明で明らかにしました。検察は、SIPRNETとして知られる米国政府機密ネットワークにマンニングがログオンするのに必要なパスワードを入手するのをアサンジ容疑者がほう助したとしています。ジャーナリストは機密情報の出版に関して、米国憲法修正第一項の言論の自由保護のもとにほぼカバーされており、犯罪ではありません。しかし、アサンジ容疑者はまた、機密のネットワークから情報を漏洩するようマンニングを「積極的にそそのかした」としても告発されています。司法省は、アサンジ容疑者に最大5年の服役刑が科される可能性があるとしていますが、これを「言論の自由の重大な侵害」と見る人々も多いようです。

 

日本はもうすぐ「令和」の時代を迎えますが、「平成」は平和でしたが、「昭和」の時代は戦争による大きな悲劇に見舞われました。生物学者つまり科学者であった昭和天皇は、先の戦争の敗因について、「余りに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視したこと」と述べられましたが、たしかに戦争ほど非科学的なこともないかもしれません。その精神を受け継がれた今上天皇もとことん平和を追及された方でした。新時代も戦争のない平和な日本であることを願うばかりです。
「令和」への改元まで、あと18日です。

 

 

2019年4月13日 一条真也

「ショーン・オブ・ザ・デッド」

一条真也です。
11日、沖縄から東京に入りました。
銀座で打ち合わせをした後、夜の予定まで少し時間があったので、TOHOシネマズ日比谷で映画「ショーン・オブ・ザ・デッド」を観ました。ずいぶん久々の映画鑑賞です。ゾンビが登場する英国製ホラーコメディーなのですが、予想以上に面白かったです。

 

ヤフー映画の「解説」には、こう書かれています。
「ゾンビの襲撃から生き残ろうと奮闘する主人公たちを描いたホラーコメディー。『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』『ベイビー・ドライバー』などのエドガー・ライトが監督を務め、主演のサイモン・ペッグと共同で脚本を執筆した。『ホットファズ 俺たちスーパーポリスメン!』などのニック・フロスト、『サリー 死霊と戯れる少女』などのケイト・アシュフィールドらが出演」

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また、ヤフー映画の「あらすじ」は以下の通りです。
「ロンドンの家電量販店で働くショーン(サイモン・ペッグ)は、その無気力さに嫌気が差した恋人のリズ(ケイト・アシュフィールド)から別れを告げられてしまう。次の日、落ち込んだショーンが目覚めると、街は大量のゾンビであふれかえっていた。ショーンは、愛するリズを救うため、エドニック・フロスト)と一緒に立ち上がる」

 

この映画、2004年の作品だとか。なんと15年前の作品が、ようやく日本初公開されたのです。これは珍しいケースですね。おそらくは、ブログ「カメラを止めるな!」で紹介した日本映画の大ヒットが影響しているのではないでしょうか。両作品ともに本来はゾンビ映画なのでホラーのはずなのですが、実質はコメディ映画になっています。
欧米人はゾンビが大好きみたいですが、この「ショーン・オブ・ザ・デッド」は「これぞ、B級ゾンビ映画だ!」といった感じです。B級感がハンパなく、チープでくだらない映画なのですが、とにかく笑えます。

 

特にゾンビの集団から逃れるために、主人公たちがパブに立てこもるシーンでは、ゾンビたちに気づかれないために音を立ててはいけないのですが、おバカなエドがジュークボックスを大音量で鳴らしてしまいます。その曲がクイーンの「ドント・ストップ・ミー・ナウ」なので、ブログ「ボヘミアン・ラプソディ」で紹介した大ヒット映画を観た者としては大笑いする他はありません。クイーンの名曲とゾンビの動きが意外にマッチしているので、さらに笑えます。

 

この映画に登場するショーンと親友のエドは、毎日ぐうたらな生活を送っており、観ていてイライラしました。ある日、なぜかゾンビが大量発生して、彼らは襲われます。ショーンは別れた彼女と母親を救うために敢然とゾンビ退治に挑むのでした。エドガー・ライト監督のゾンビ愛(?)を感じることのできるシーンが多かったですが、最後にゾンビと人間が仲良く共生する社会が描かれているが興味深かったです。

 

ゾンビ論 (映画秘宝セレクション)

ゾンビ論 (映画秘宝セレクション)

 

 

ところで、ゾンビの存在そのものは哲学的なテーマとなりえます。「人間とは何か」や「死とは何か」などの問いを内包しているからです。 ブログ『ゾンビ論』で紹介した、ゾンビ映画の歴史を辿りながら、その魅力を多角的に論じた本があります。この本には数々のゾンビ映画の名作が紹介されていますが、「カメラを止めるな!」がゾンビ映画の歴史を変えたと思っていましたが、そのはるか前に「ショーン・オブ・ザ・デッド」が変えていたのですね。この映画には、それぐらいのインパクトがあります。

 

ゾンビ映画の歴史に燦然と輝くジョージ・A・ロメロ監督の「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」がクランク・インしたのは1967年6月でした。同作品について、ゾンビ映画に詳しい特殊書店タコシェ店長の伊東美和氏は『ゾンビ論』でこう述べています。
「本作を好意的に取り上げた『ニューズウィーク』は、モダン・ゾンビの恐さが一種のパラノイアを生み出すことにあると分析している。ゾンビは巨大モンスターなどではなく、害悪をもたらす存在となった平均的な市民である。劇中のテレビ・ニュースがもっともらしく伝えるのは、この敵がどこにでもおり、我々を常に狙っているということ。もはや安全な場所など存在せず、自分以外の誰もが突然襲いかかってくる可能性があるのだ」

 

続けて、伊東氏は以下のように述べています。
「ロメロも同じような見方をしている。自分の発明で誇れるものがあるとすれば、それは隣人がモンスターになるというアイデアだという。モダン・ゾンビは外宇宙から飛来するのでもなく、ハイチからはるばる海を越えて上陸するわけでもない。自分たちの隣人、あるいは友人や家族がそうなるのだ。ロメロがフェイバリットに挙げる『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56年)にも通じる恐怖だが、ゾンビには密かに人間と入れ替わるような知恵も能力もない。彼らはゆらゆらと獲物に近づき、いきなり噛みつくのだ」

 

ゾンビ映画には、もう1つの金字塔的作品があります。
同じくジョージ・A・ロメロ監督の「ゾンビ」(78年)です。この映画について、伊東氏は「人が人を貪り食う!」として以下のように述べます。
「ある日突然、死者が蘇りはじめ、生者に襲いかかってその生肉を貪り食う・・・・・・。今でこそゾンビ映画カニバリズムは当たり前のものになったが、この頃は違う。いくら蘇った死体だとはいえ、人が人を食うという描写は、サメやライオンが同じことをするよりもずっと衝撃的だった。一般的な感覚からすれば、間違いなくゲテモノの部類である。配給を手掛けた日本ヘラルド映画は、『グレートハンティング』を大ヒットさせた経験もあり、当然のことながら『ゾンビ』を『残酷映画』として売り出した」

 

この「ゾンビ」という映画の原題は「ドーン・オブ・ザ・デッド」といいます。「ショーン・オブ・ザ・デッド」は、明らかにロメロの「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」や「ドーン・オブ・ザ・デッド」へのオマージュとなっています。ゾンビ映画そのものへのオマージュ作品としては、アメリカの「ゾンビランド」(2010年)がありますが、変化球だらけ「ゾンビランド」に比べて、「ショーン・オブ・ザ・デッド」のほうが直球勝負というか、ゾンビへの愛情が感じられます。その愛情ゆえに、エドガー・ライト監督は最後にゾンビと人間が共生する社会を描きます。


「ホスピタリティ」と「ミッション」が大切!

 

その共生社会では、ゾンビ化した人間たちが本能を利用して労働、それもサービス業に従事します。この場面は、つねづねサービス業の地位向上を目指しているわたしとしては正直言って不愉快でした。よくサービス業のことを「労働集約産業」などと表現する人がいます。わたしは、この言葉が大嫌いです。労働集約産業というのは「頭数さえいれば、頭はいらない」という意味だからです。
その成れの果てにゾンビの労働者が登場したわけですが、冠婚葬祭業を労働集約型産業から知識集約型産業、さらには精神集約型産業に進化させたいと願っているわたしには到底許せるものではありません。そして、サービス業を精神集約型産業の高みに押し上げるものこそ「ホスピタリティ」であり、「ミッション」だと思います。
「令和」への改元まで、あと19日です。

 

2019年4月12日 一条真也

『プロレス界vs.別冊宝島』

プロレス界vs.別冊宝島 スキャンダル15年戦争の全内幕

 

一条真也です。
沖縄に来ています。11日に東京に飛びます。
『プロレス界vs.別冊宝島別冊宝島編集部・欠端大林著(宝島社)を読みました。「スキャンダル15年戦争の全内幕」というサブタイトルがついています。

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本書の帯

 

帯には「抗議、リーク、呼び出し、内容証明・・・・・・プロレス暴露本の壮絶な舞台裏!」として、以下のように書かれています。

橋本真也「急死」事件

◎イノキボンバイエ訴訟

◎新日本「身売り」真相

◎WJ「地獄のど真ん中」

◎ノア巨額詐欺事件

◎泉田純との共闘と死闘

◎ゼロワン練習生死亡事故 ほか

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本書の帯の裏

 

また帯の裏には、「『スクープ』はこうして生まれた!」として、以下のように書かれています。

◎女とカネに生きた橋本真也の知られざる「破戒」の晩年

◎「人望がない」と書かれた草間社長の特大「抗議文」

◎『ファイト』編集長の本に猛抗議した「3人のサムライ」

原田久仁信「プロレス実録劇画」の誕生と制作秘話

別冊宝島が切り開いた「プロレス裁判報道」の世界

◎史上最悪のスキャンダル団体「WJ」の伝説と教訓

◎ノア巨額詐欺事件「泉田純」が残した最後のメッセージ

◎「信じていたのに」と抗議した元新日本著名選手の未亡人

 

カバー前そでには、以下のように書かれています。
「『ノアにカネを出したのは何が目的ですか』
成田氏は逆に質問してきた。
『三沢ママや泉田のことは知ってるの?』
『いえ、知りません。眞美さんが5000万円を知人女性からだまし取って再逮捕されたのは知っています』
『眞美と三沢ママはいま、裁判になっている。あと泉田も眞美にやられた。俺は三沢ママや泉田に何度も言ったよ。“絶対に眞美とカネの貸し借りはしないでくれよ”と。それでもあいつらは欲に目がくらんでカネを貸してしまった。自業自得なんだよ』」

 

カバー後ろそでには、以下のように書かれています。
「本書は、別冊宝島が報じた2000年代以降のマット界スキャンダルについいて、その内幕と秘話で再構成する『もうひとつの平成プロレス史』である」
「プロレスにおける勝ち負けは、試合前に決定されているという事実がファンの間に広く共有されるようになり、既存のプロレスマスコミの伝える内容が徐々にリアリティを失っていくなかで、別冊宝島編集部は選手や団体の意向に一切配慮しない方針で、マット界の『事件』を伝えてきた」

 

本書の「目次」は、以下の構成になっています。

はじめに「『暴露本』とその時代」

1章 新日本の暗黒

2章 忘れえぬ人々

3章 ノア・クライシス 

4章 告発者たち

 

はじめに「『暴露本』とその時代」で、著者の欠端氏は以下のように述べています。
「日本のプロレス界は1980年代から90年代にかけ市場規模のピークを迎えたが、2000年以降に急失速し、その後本格的な氷河期、暗黒時代に突入した。
馬場、猪木時代の終焉や総合格闘技の隆盛、団体乱立による過当競争、ネットの登場による情報化時代の到来など、その原因についてはさまざまな分析がなされているが、いわゆる『プロレス暴露本』の全盛時代は、まさにこの業界の暗黒期とパラレルな関係にあったと言える」

 

また、欠端氏は以下のようにも述べます。
「裏ネタ中心の紙面構成で知られた『週刊ファイト』(2006年に休刊)も、基本的にはプロレスマスコミのなかの異端児という立ち位置であり、業界のさまざまな不文律を破ってまでスキャンダルを報じていたわけではない。『仁義なきスキャンダリズム』が、エンタメの世界の取材手法として適切だったかどうかは分からないが、専門誌という『表のメディア』が存在する以上、同じ方向を目指しても仕方がないというのが別冊宝島編集部の考えだった」

 

1章「新日本の暗黒」の「『PRIDE』記者会見での『出禁』事件」では、1999年の夏、当時人気を博していた格闘技イベント「PRIDE」の記者会見で『格闘技通信』の記者が主催者から退場させられたことが紹介されます。同誌の記者は、少し前に行われた髙田延彦とマーク・コールマンの試合が八百長であったとして、メインの試合だったにもかかわらず豆粒みたいな写真で記事にしたのでした。それに対しての主催者側の制裁でした。当時は駆け出しの雑誌編集部員だったという著者は述べます。
「PRIDEにフェイクがあったと聞いても不思議と驚きはなかったが、記者会見場で『出禁』を言い渡されるという見せしめ的な仕打ちには大いに驚かされた。一般企業や官公庁の記者会見で、もしこんなことが起きれば『不当な圧力』としてかなりの問題になることは間違いない。1990年代にターザン山本編集長率いる『週刊プロレス』が、当時の新日本プロレスから取材拒否を受けていたことは読者として知っていたが、マット界にはいまだ前近代的な取材拒否がまかり通っているようだった」

 

「『スキャンダル路線』を決定付けた破壊王の死」では、2005年7月に「破壊王」こと橋本真也が急死したことが取り上げられ、著者は以下のように述べています。
「40歳を迎えたばかりの橋本の死(直接の死因は脳幹出血)は、金銭問題、女性問題、そして体調問題の同時複合によって起きた『ストレス死』に近いものだった。新日本時代には豪快なカネ使いで知られた橋本であったが、小川直也との抗争を経て『ゼロワン』に移籍後は収入が下がる一方だった。しかし、不相応な浪費生活はそのままで、晩年の橋本は個人的なタニマチに生活資金の援助を受ける一方、危ない筋からの借金も重ねていた」

 

「なぜ『天龍同盟』はファンの記憶に残るのか」では、天龍源一郎と「龍原砲」を組んだ阿修羅・原が取り上げられます。彼は「素行不良」を理由に「天龍革命」進行中の1988年11月、ジャイアント馬場から全日本プロレスを解雇されました。著者は以下のように述べます。
「全日本にいた最後の頃は、試合後、ロビーで若手選手を見かけると『オイッ! これでメシ食って来い! オレはちょっと疲れたから今日は寝る』と、なけなしの金を彼らに手渡したという。自分が食べる分のカネはもうなくなっていたのだ。原氏は、他者の評価を受けることに対する病的な欲求があったことを認めている。それが良い方向で開花したのが、天龍とスタートさせた『レボリューション』だった」

 

 

また著者は、阿修羅・原について、こう述べています。
「天龍の名パートナーとして阿修羅・原が活躍した期間は短かったにもかかわらず、いまでも『龍原砲』を熱く語るファンは多い。それは、リング上の『阿修羅・原』と人間としての『原進』が両極端の人格を持っていたことが原因だったのかもしれない。
野卑にして高貴。大胆にして小心。一途にして無頼。無欲にして見栄っ張り。ルーズ過ぎた私生活とは裏腹に「天龍革命」のリングだけは愚直にも手を抜かないという不思議な危うさに、観客はいつしか『我が内なる阿修羅・原マインド』を感じ取っていたのではないだろうか」

 

ケーフェイ (NAYUTA BOOKS)

ケーフェイ (NAYUTA BOOKS)

 

 

 2章「忘れ得ぬ人々」では、『週刊プロレス』二代目編集長のターザン山本が取り上げられます。彼はプロレス界で最初の暴露本として知られる佐山聡著『ケーフェイ』のゴーストライターでした。「いまなお光り輝く『ケーフェイ』の名文」で、山本が1985年に『ケーフェイ』の中で書いた次の文章が紹介されています。
「彼(注・佐山聡)は、ドラムを叩きながら、心のなかではチェロを演奏しているような男である。この本で、佐山はシューティングとプロレスの違いを徹底的に論じている。シューティングがプロレスとはジャンルを別にするものであるなら、プロレスと比較する必要はない。しかし、それをあえて比較している。そこには佐山の特別な気持ちが読み取れる。あるとき、佐山は私に向かって『もう、生き恥をかくのはいやだ』と言ったことがある。彼はプロレスラーという肩書に本物の自信を持てなくなっていた。本当の意味のプライドを持つには、プロレスとは違ったものを創造するしかない。佐山は以上のような考えからシューティングを宣言した」
たしかに、いま読んでも感動してしまう素晴らしい名文ですね。

 

なかなか、このような文章は書けるものではありません。
ターザン山本は、膨大な量の本を読んでいました。
その読書量が、数々の名文を送り出してきたのです。
「『競売』にかけられた自宅の引越し作業」では、ターザンの引越しの手伝いをしたという著者がこう書いています。
「山本氏の書棚には古い海外文学全集が隙間なく並んでおり、サルトルボーヴォワールの本を開いてみると、そこには無数の書き込みがあった。山本氏は山口県の岩国高校を卒業後、立命館大学に進学している。後に開花することになるアジテーション力と豊富なボキャブラリーは、学生時代の読書量によって培われたものだったのだろう」

 

3章「ノア・クライシス」では、「90年代の新日本タブー『権瓶選手死亡事故』」という記事が印象的でした。1995年1月、新日本プロレスの練習生だった権瓶広光選手(享年22)が練習中の事故により死去しました。当時道場で指導に当たっていた某先輩選手が、無理な練習を強いたために権瓶選手を死に至らしめたのではないかという疑惑が広がりました。著者は、当時、新日本の在籍していたある選手が絶対匿名を条件に語ったという発言を紹介しています。以下のような発言です。
「彼が亡くなった後、全選手が道場に集められ、現場監督の長州さんが大声で怒鳴ったんです。『お前ら、何をしたか分かってんのか! いいか、刑事が来るけど何も言うんじゃないぞ。分かったかコラ!』とね。警視庁の上層部と柔道のつながりがあった坂口さんが、事態を穏便に済ませるため話をしたという噂もありました。その場を見ていない選手たちは、何か隠さなければいけないことが起きたんだなと思いましたよ。でも、当時一選手が真実を告発することはできなかったし、マスコミからの追求もなかったので、噂もいつしか立ち消えとなってしまったのです」

 

『週刊ファイト』とUWF 大阪発・奇跡の専門誌が追った「Uの実像」 (プロレス激活字シリーズ vol.2)

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『週プロ』黄金期 熱狂とその正体 活字プロレスとは何だったのか?

『週プロ』黄金期 熱狂とその正体 活字プロレスとは何だったのか?

 

 

本書を読んで、プロレスとマスコミの関係の在り方について考えさせられました。プロレス・マスコミといえば、これまで「週刊ファイト」や「週刊プロレス」の功罪について多く語られてきましたが、もともとスキャンダル性を内在しているプロレスを報道するマスコミは暴露志向のほうが面白いに決まっています。プロレスそのものが「ショー」であることをカミングアウトし、パワーを失ってしまった現在、プロレス・マスコミもつまらなくなったのは当然と言えるでしょう。「令和」への改元まで、あと20日です。

 

プロレス界vs.別冊宝島 スキャンダル15年戦争の全内幕

プロレス界vs.別冊宝島 スキャンダル15年戦争の全内幕

 

 

2019年4月11日 一条真也

合同慰霊祭in沖縄

一条真也です。
沖縄の那覇市に来ています。
4月10日、サンレー主催による「第6日回 沖縄海洋散骨」が行われる予定でしたが、悪天候のため翌11日に順延になりました。まずは10日の14時から、沖縄県最大級のセレモニーホールである「サンレーグランドホール中央紫雲閣」で合同慰霊祭が開催されました。

f:id:shins2m:20190410125316j:plainサンレーグランドホール中央紫雲閣」の前で

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合同慰霊祭の祭壇

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「祈」の文字が浮かび上がる

f:id:shins2m:20190410140237j:plainわたしも参列しました

f:id:shins2m:20190410141220j:plain新城部長代理の「追悼の言葉」を聴く

 

合同慰霊祭は「開会の辞」に続いて、DVDによる映像演出の後、黙祷、「禮鐘の儀」、サンレー沖縄の新城部長代理による「追悼の言葉」、カップローソクによる献灯がありました。ご遺族の方々に続いて、わたしも献灯させていただきました。心をこめてお祈りさせていただきました。

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主催者挨拶をさせていただきました

その後、わたしが主催者挨拶をさせていただきました。
マイクを持ったわたしは、以下のように述べました。
本日は慰霊祭にご参加いただきまして、ありがとうございました。残念ながら、悪天候により海洋散骨は明日に順延となりました。沖縄での海洋散骨は平成26年より数えまして今回で6回目となります。

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世界中の海はつながっています!

 

この6年間には親御さんを亡くされた方、ご兄弟を亡くされた方、配偶者を亡くされた方、そして子どもさんを亡くされた方・・・・・・さまざまな方にご参加いただき、海洋散骨を行ってきました。その際、ご遺族の皆様に、わたしが必ずお話しすることがあります。それは「世界中の海はつながっているということ。どの海を眺めても、そこに懐かしい故人様の顔が浮かんでくるはずです」ということです。

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最高の供養です! 

 

そう、この沖縄の海も世界中の海とつながっています。
海を見れば故人様の顔が浮び、そしてさまざまな思い出を思い出すことでしょう。これは世界中のどの海を見ても共通のことなのです。そして故人様との思い出を大切にし、そして海をみると思い出してあげるということは故人様にとって最高のご供養です。

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故人の冥福と遺族の健勝を祈りました

 

沖縄では魂はニライカナイに還り、その魂は皆様を見守り続けるということだそうです。「平成」から「令和」へと元号が変わりますが、これは時代が変わっても永遠普遍なものなのです。皆様と故人様がいつかまた会う日まで、皆様が故人様のご冥福を心安らかにお祈りいただけますよう、そして本日故人様を母なる海へ送られたご家族様のこれからのご健勝を祈念いたしましてご挨拶に代えさせて頂きます。
終了後、それぞれの遺族ごとに集合写真を撮影しました。

f:id:shins2m:20190410141605j:plain主催者挨拶の後、一礼しました

 

海洋散骨とは、自分や遺族の意志で、火葬した後の遺灰を外洋にまく自然葬の1つです。散骨に立ち会う方法が主流ですが、事情によりすべてを委託することもでき、ハワイやオーストラリアなど海外での海洋散骨が最近は多くなってきました。もちろん、告別式の代わりにというのではなく、たいていは一周忌などに家族や親しい知人らと海洋散骨が行われます。「あの世」へと渡るあらゆる旅行手段を仲介し、「魂のターミナル」をめざすサンレーでは、世界各国の海洋葬会社とも業務提携しているのです。


「あの人らしかったね」といわれる 自分なりのお別れ<お葬式>

「あの人らしかったね」といわれる 自分なりのお別れ<お葬式>

 

2009年4月、わたしはオーストラリアのレディ・エリオット島での海洋葬に参列しました。レディ・エリオット島では、まさにグレートバリアリーフの美しく雄大な海に遺灰が流されました。そこで、遺族の方がつぶやいた「これで、世界中どこの海からでも供養ができる」という言葉が非常に印象的でした。そうか、海は世界中つながっているんだ!わたしは、月を「あの世」に見立てる月面葬を提唱する者ですが、その理由のひとつは月が世界中どこからでも見上げることができるからです。そして、地球上にあっても、海もどこからでも見ることができることに気づきました。月面葬も、海洋葬も、「脱・場所」という意味では同じセレモニーだったのです!そもそも、「死」というものの本質が「重力からの解放」ですので、特定の場所を超越する月面葬や海洋葬は「葬」という営みに最もふさわしいのではないかと思います。つながっている海に世界中の死者の遺灰がまかれることは「死は最大の平等である」のテーゼにも合致します。


涙は世界で一番小さな海―「幸福」と「死」を考える、大人の童話の読み方

涙は世界で一番小さな海―「幸福」と「死」を考える、大人の童話の読み方

 

それにしても、「海に散骨すれば、世界中で供養できる」という考え方は非常に重要ではないでしょうか。わたしは、拙著『涙は世界で一番小さな海』(三五館)の内容を思い浮かべました。ドイツ語の「メルヘン」の語源は「小さな海」という意味があるそうです。大海原から取り出された一滴でありながら、それ自体が小さな海を内包しているのです。ルドルフ・シュタイナーは著書『メルヘン論』で、「メルヘンには普遍性がある」と述べました。ユングはすべての人類の心の底には、共通の「集合的無意識」が流れていると主張しましたが、アンデルセンメーテルリンク宮沢賢治サン=テグジュペリらの魂はおそらく人類の集合的無意識とアクセスしていたのだと思います。

 

メルヘン論

メルヘン論

 

 

人類の歴史は四大文明からはじまりました。すなわち、メソポタミア文明エジプト文明インダス文明黄河文明です。この四つの巨大文明は、いずれも大河から生まれました。大事なことは、河というものは必ず海に流れ込むということです。さらに大事なことは、地球上の海は最終的にすべてつながっているということです。チグリス・ユーフラテス河も、ナイル河も、インダス河も、黄河も、いずれは大海に流れ出ます。

 

人類も、宗教や民族や国家によって、その心を分断されていても、いつかは河の流れとなって大海で合流するのではないでしょうか。人類には、心の大西洋や、心の太平洋があるのではないでしょうか。そして、その大西洋や太平洋の水も究極はつながっているように、人類の心もその奥底でつながっているのではないでしょうか。それがユングのいう「集合的無意識」の本質ではないかと、わたしは考えます。

 

 さらに、「小さな海」という言葉から、わたしはアンデルセンの有名な言葉を思い出しました。それは、「涙は人間がつくる一番小さな海」というものです。これこそは、アンデルセンによる「メルヘンからファンタジーへ」の開始宣言ではないかと思います。というのは、メルヘンはたしかに人類にとっての普遍的なメッセージを秘めています。しかし、それはあくまで太古の神々、あるいは宇宙から与えられたものであり、人間が生み出したものではありません。しかし、涙は人間が流すものです。そして、どんなときに人間は涙を流すのか。それは、悲しいとき、寂しいとき、辛いときです。

 

それだけではありません。他人の不幸に共感して同情したとき、感動したとき、そして心の底から幸せを感じたときに涙を流すのではないでしょうか。つまり、人間の心はその働きによって、普遍の「小さな海」である涙を生み出すことができるのです。人間の心の力で、人類をつなぐことのできる「小さな海」を作ることができるのです!そんなことを海洋葬に立会いながら考えました。「大きな海」に還る死者、「一番小さな海」である涙を流す生者・・・・・ふたつの海をながめながら、葬送という行為もまたファンタジーだと思い知るのです。明日の海洋散骨が無事に行われますように・・・・・・。
「令和」への改元まで、あと21日です。

 

2019年4月10日 一条真也