中津から宇佐へ

一条真也です。
10日の日曜日、自分で車を運転して大分県中津市に向かい、わが社の結婚式場であるヴィラルーチェ中津を訪問、視察しました。衣裳部門を担当している妻も一緒でした。同所を訪れるのはブログ「大分祝賀式典」ブログ「大分祝賀会」で紹介した会社行事が行われた1月9日以来です。約1ヵ月ぶりの訪問ですが、この日は多くのお客様で大変賑わっていました。

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福沢諭吉旧居・福澤記念館 を訪れました

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福澤諭吉翁の銅像を背景に

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福澤諭吉旧居のようす

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白鷺神社を参拝しました

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庭園に白梅が咲いていました

 

ヴィラルーチェ中津では、内原相談役が案内してくれましたが、周辺の紫雲閣などもアポなしで訪れました。これからも、いろんな施設をいきなり訪問、視察するつもりです。その合間を縫って、福澤諭吉旧居・福澤記念館に行きました。旧居に隣接して福翁ゆかりの白鷺神社もありますが、ここでサンレー大分の商売繁盛および、福沢諭吉翁が創設した慶應義塾大学に通っている次女の学業成就などを祈念しました。庭園には白梅が咲いていて綺麗でした。

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宇佐神宮の参道で

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これより境内に入る

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橋から見た夕日

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本殿を照らす夕日も神秘的

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宇佐神宮の本殿前で

邪馬台国の秘密 新装版 高木彬光コレクション (光文社文庫)

邪馬台国の秘密 新装版 高木彬光コレクション (光文社文庫)

 

 

その後、わたしたちは車で宇佐に向かい、宇佐神宮を参拝しました。「九州を代表する神社」というより、全国でその数4万にものぼる「八幡神社の総本社」というべきでしょうか。宇佐神宮は「宇佐八幡」とも呼ばれます。推理小説家の高木彬光による『邪馬台国の秘密』には、宇佐神宮の本殿の地下には卑弥呼の亡骸を納めた棺が埋められているとの大胆な推理が展開されています。ロマン溢れる宇佐神宮ですが、夕暮れの光景はひときわ神秘的でした。

 

2019年2月11日 一条真也拝 

この世の三つの毒  


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この世の中は、貪ること、怒り、愚かさの三つの毒に溢れている。人生で味わう苦しみは、つまるところ、この三毒が原因になっている。(『実相般若心経解答釈』)

 

一条真也です。
空海は、日本宗教史上最大の超天才です。
「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっています。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。

 

超訳空海の言葉

超訳空海の言葉

 

 

「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」
これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。
わたしは『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)を監訳しました。現代人の心にも響く珠玉の言葉を超訳で紹介しています。

 

2019年2月10日 一条真也

村山博雅師WFBY会長就任祝賀会

一条真也です。東京に来ています。
8日の夜、グランドプリンスホテル高輪の「プリンスルーム」を訪れました。全日本仏教青年会第18代理事長の村山博雅師が世界仏教徒青年連盟(WFBY)の会長に就任されることになり、その祝賀会に全互協代表として、儀式継創委員会の浅井委員長と一緒に出席したのです。

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祝賀会のようす

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村山師の入場

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全互協の浅井・儀式継創委員長と

 

村山師は、全日本仏教青年会第18代理事長に就任した平成23年より、東日本大震災復興支援活動の国際発信にはじまり、連盟における国際交流活動や海外自然災害に対する国際ボランティア活動など、様々な国際活動に尽力してこられました。この度の会長就任は、その類い希なる国際仏教界への影響力と功績が評価されたものだと推察いたします。

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村山博雅師とのツーショット

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村山師、浅井委員長とのスリーショット

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村山師の御挨拶

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最後は、万歳三唱で・・・・・・

 

同連盟の会長職はこれまで、連盟が結成されたスリランカと、連盟本部が置かれるタイ国からのみ選出されてきました。つまり、日本、ひいては大乗仏教圏から連盟会長を輩出するのは歴史上初めてのことであり、村玉師の任期となる今後2年間において、日本が国際仏教界で果たすべき役割は、非常に大きいと予想されます。この日は多くの方々がこの度の就任をお祝いするとともに、村山師の長年の活動へのご慰労、これからの活動に対する激励の祝賀会に集まりました。


サンデー毎日」2016年8月7日号

 

わたしは、ブログ「横浜フューネラル対談」で紹介したトークショーで村山師と共演したことがあります。パシフィコ横浜で開催された「フューネラルビジネスフェア2016」で、仏教界きっての論客で知られる村山師と「葬送儀礼の力を問う〜葬儀の本質とは」をテーマに対談させていただいたのです。


トークショーのようす

トークショーで語る村山師

 

村山師は、「萩の寺」として有名な曹洞宗東光院大阪府豊中市)の副住職であり、全日本仏教青年会の第18代理事長として活躍されました。2014年には「第1回世界仏教優秀指導者賞」も受賞されている日本仏教界のニューリーダーです。


村山師の話を拝聴する

 

トークショーの本番前の打ち合わせから、村山老師とは多様なテーマでお話しさせていただきました。わたしは、「無縁社会」や「葬式は、要らない」などの言葉が登場した背景には、日本仏教界の制度疲労にも一因があるように感じています。よく「葬式仏教」とか「先祖供養仏教」とか言われますが、日本の仏教が葬儀と先祖供養によって社会的機能を果たし、また一般庶民の宗教的欲求に応えてきたという歴史的事実を認めないわけにはいきません。


わたしも考えを述べました

 

対話の中では東日本大震災の話題も出ました。2011年の夏、東北の被災地は震災の犠牲者の「初盆」を迎えました。この「初盆」は、生き残った被災者の心のケアという側面から見ても非常に重要でした。通夜に始まって、告別式、初七日、四十九日・・・日本仏教における一連の死者儀礼の流れの中で、初盆は1つの大きな節目です。また、年忌法要そのものが日本人の死生観に合ったグリーフケア文化となっています。


だんだん白熱してきました

 

今後も仏式葬儀は時代の影響を受けて変化せざるを得ませんが、原点、すなわち「初期設定」を再確認した上で、時代に合わせた改善、いわば「アップデート」を心掛ける努力が必要ではないでしょうか。村山師とのトークショーは短い時間ながら大いに白熱し、仏教と葬儀の未来予想図を描き出し、良い思い出になりました。それにしても、そのときの対談相手が世界仏教のリーダーになられたとは誠に喜ばしく、わたしにとっても光栄なことです。村山師の今後の御活躍を心よりお祈りいたします。

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浅井委員長、熊田社長と銀座の路上で

 

さて、祝賀会ですが、最後は万歳三唱で20時半に中締めしました。まだ時間が早いので、同じテーブルだった阿波弥の熊田社長、浅井委員長ととともに銀座に繰り出し、仏教と冠婚葬祭の「これから」に想いを馳せながら痛飲しました。翌9日に飛行機で北九州に帰る予定ですが、雪が降るようですので、欠航にならないかと心配です。

 

2019年2月9日 一条真也

『平成プロレス30の事件簿』

平成プロレス 30の事件簿 (知られざる、30の歴史を刻んだ言葉と、その真相)

 

一条真也です。
もうすぐ平成が終わりますが、『平成プロレス30の事件簿』端佐富郎著(standards)を読みました。「知られざる、30年の歴史を刻んだ言葉と、その真相」というサブタイトルがついています。ものすごく面白い本ですので、プロレス・ファンの方はぜひ、お買い求めの上、ご一読下さい! 

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本書の帯 

 

本書のカバー表紙には、「新日本vsUWFインターナショナル全面対抗戦」で武藤敬司が髙田延彦を破った写真が使われ、帯には「プロレスにとって〈平成〉とは何だったのか?」として、以下のように書かれています。
「UWF分裂、髙田vsヒクソン、猪木引退、馬場・鶴田死去、NOAH旗揚げ、小川vs橋本『1・4事変』、ハッスル誕生、ALL TOGETHER開催、天龍引退、棚橋活躍・・・・・・平成30年間を騒がせた大事件の数々。その舞台裏と真の物語を、『泣けるプロレス』著者が描き切る、渾身の平成プロレス総括ノンフィクション」

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本書の帯の裏

 

また、帯の裏には「激動の平成プロレス30年史を、名ゼリフ、名シーンを手掛かりに、その真実の姿を描き出す。」と大書され、次のように書かれています。
「新日本、初の東京ドーム興行開催(1989)/SWS旗揚げ(1990)/UWF3派分裂(1991)/新日本vsUWFインター全面戦争(1995)、髙田延彦vsヒクソン・グレイシー(1997)、アントニオ猪木引退(1998)、小川直也vs橋本真也『1/4事変』(1999)、ジャイアント馬場死去(1999)/ジャンボ鶴田死去(2000)/長州力『WJプロレス』旗上げ(2003)/橋本真也死去(2005)/三沢光晴死去(2009)/『ALL TOGETHER』開催(2011)/天龍源一郎引退(2015)/高山善廣、頸椎損傷(2017)/中邑真輔、WWEタイトル挑戦(2018)・・・・・・」

 

新編 泣けるプロレス (いま伝えたい、名レスラーたちの胸が熱くなる28の話)

新編 泣けるプロレス (いま伝えたい、名レスラーたちの胸が熱くなる28の話)

 

 

平成プロレスを振り返る本はUWF関連書を含めて多数出ており、さすがのわたしも食傷気味でしたが、この本は類書とは一味違いました。著者が『泣けるプロレス』で知られる瑞佐富郎(みずき・さぶろう)氏だからでしょうか。瑞氏は愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。シナリオライターとして故・田村孟氏に師事。フジテレビ『カルトQ・プロレス大会』優勝を遠因に、プロレス取材等に従事したそうです。本名でのテレビ番組企画やプロ野球ものの執筆の傍ら、会場の隅でプロレス取材も敢行しています。著書に『新編 泣けるプロレス』(standards)があります。また、ブログ『証言UWF』ブログ『告白 平成プロレス10大事件最後の真実』で紹介した本の執筆・構成にも関わっています。

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」

1989(平成元)年 [新日本プロレス、初の東京ドーム大会開催]

「怖かった。俺の力も衰えたということかな・・・・・・」(アントニオ猪木)

1989(平成元)年 [アントニオ猪木参議院選挙当選]

「今年最高の名勝負だったよ」(長州力

1990(平成2)年 [新日本プロレス東京ドーム大会に全日本プロレス参戦]

「出るまで不安だった。『ブー! 』と来るのかと思って」(ジャンボ鶴田)

1990(平成2)年 [三沢光晴タイガーマスクを脱ぐ]

「三沢が泣いてますよ! 」(竹内宏介・「週刊ゴング」編集人)

1990(平成2)年 [天龍源一郎、SWS参加]

「一番たまったのは、ストレスとネクタイ」(天龍源一郎)

1990(平成2)年 [大仁田厚、有刺鉄線電流爆破マッチ開始]

「別の角度からプロレスの面白さを見た気がした。逃げるためのロープが、逆に危険に近づいて」(二宮清純・スポーツジャーナリスト)

1991(平成3)年 [UWF、3派分裂]

「明日、メガネの社長と会わなきゃだから」(藤原喜明)

1991(平成3)年 [新日本プロレス、「G1 CLIMAX」開催]

新日本プロレスは、今日のリーグ戦をきっかけに、これから始まります!

 」(蝶野正洋)

1994(平成6)年 [ジュニアヘビー・オールスター「SUPERS J-CUP」スタート]

「これからもこんな素晴らしい日は来ないだろう」(ワイルド・ペガサス)

1995(平成7)年[新日本プロレス対UWFインターナショナル全面戦争勃発]

ムーンサルト? よければいい。俺がトップロープに上がるのは、武藤をKOして勝どきを上げる時」(髙田延彦)

1997(平成9)年 [nWoJAPAN活動開始]

「支持を得た理由? 俺はやっぱり、最初はロゴだと思う」(蝶野正洋)

 1997(平成9)年 [『PRIDE1』髙田延彦vsヒクソン・グレイシー戦]

「髙田を応援した皆さん、すいません」(ヒクソン・グレイシー)

1998(平成10)年 [アントニオ猪木引退]

「私の後継者は、前田だと考えていた」(アントニオ猪木)

1999(平成11)年 [小川直也vs橋本真也“1・4事変”]

「気をつけてくださいね。何かあったら行きますから」(安田忠夫)

1999(平成11)年 [ジャイアント馬場死去]

「(死に顔は)笑顔でした・・・・・・」(三沢光晴)

1999(平成11)年 [前田日明引退]

「カレリンは、私にとってのゼットンでした」(前田日明)

2000(平成12)年 [ジャンボ鶴田死去]

「三沢たちの試合は、見ていてハラハラする。プロレスとして、奇麗じゃない気がするんだよ」(ジャンボ鶴田)

2000(平成12)年 [三沢光晴、「NOAH」旗揚げ]

「一応、おふくろには報告しました。『明日、旗揚げだから』って」(三沢光晴)

2002(平成14)年 [武藤敬司、全日本へ移籍]

「元子さん、全日本を、俺に下さいよ」(武藤敬司)

2003(平成15)年 [長州力、「WJ」旗揚げ]

「選手の不満が渦巻いている。文字通りのマグマだよ」(谷津嘉章)

2004(平成16)年 [エンターテインメント・プロレス「ハッスル」誕生]

「明日は坂田が負けて、自ら髪の毛を刈る予定です」(「ハッスル」スタッフ)

2005(平成17)年 [橋本真也死去]

「バカ野郎としか、出て来ねえよ・・・・・・」(武藤敬司)

2005(平成17)年 [新日本プロレスユークスの子会社に]

「俺1人でも盛り上げて行きますよ。俺が新日本プロレスだ」(棚橋弘至)

2009(平成21)年 [三沢光晴死去]

「社長のプロレスを受け継ぐ、若い奴らの試合を観てやってよ・・・・・・」(高山善廣)

2011(平成23)年 [オールスター戦「ALL TOGETHER」開催]

「プロレスの醍醐味が全て入っていた」(坂口征二)

2012(平成24)年 [新日本プロレスブシロードの子会社に]

ツイッターをやっている皆さんは、今すぐ私をフォローして下さい! 」(木谷高明新日本プロレス取締役会長)

2013(平成25)年 [小橋建太引退]

「馬場さんも三沢さんもできなかった引退試合をちゃんとやりたかった」(小橋建太)

2015(平成27)年 [天龍源一郎引退]

「天龍、今が一番かっこいいぞ! 」(引退試合の観客の一人)

2017(平成29)年 [高山善廣、頸髄完全損傷]

「俺なんてどうでもいいんで、皆さん、力を貸して下さい」(鈴木みのる)

2018(平成30)年 [中邑真輔レッスルマニアWWE王座に挑戦]

「プロレスは、言葉以上のメッセージ」(中邑真輔)

 

もう、「目次」を読んでいるだけで平成プロレスの歴史が俯瞰できます。「はじめに」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。
「その記念碑は、ジャイアント馬場が建てたものだ。だが、地元でも、それを知る人は皆無と言っていい。なぜなら、碑のどこにも、馬場の名前は刻まれていないのである。兵庫県は明石公園にあるそれには、『震災を忘れないために』と刻まれている。1995年に起こった阪神大震災の記憶のため、建てられたものだった。リング以外の公の場では自分を出すことを極端に嫌った、馬場らしい。だが、縦の長さ209cmの白御影石には、ホンの少しだけ、馬場の影が残っていた。高さが馬場の身長と同じなのだった」

 

プロレスラーの真の姿はわかりにくいとされていますが、本書では少しでもそれを浮き彫りにしようと努めています。著者は述べます。
「冒頭のジャイアント馬場のエピソード同様、本文に入れ込めなかった逸話も多数ある。子供を作らない理由を、『若い時から決めていた。守りに入るのが嫌だった。子供なんかいたら、俺の思うプロレスなんか出来なかったよ』と語ったマサ斎藤中央大学法学部を卒業し、リングでは悪の限りを尽くしたが、後年、福祉活動に情熱を傾け、その最終学歴を2004年に入学した東京福祉大学社会福祉学科としたミスター・ポーゴ。そして、東日本大震災の直後に来日し、喪章をつけて、橋本真也の遺児、橋本大地と闘ったビッグバン・ベイダ―。喪章の理由を聞くと、こう言った。『ん? 天国の橋本(真也)に頼まれたのさ』」

 

本書には数多い平成プロレスの思い出が書かれていますが、特にわたしに強いノスタルジーを抱かせたのは、1990年2月10日の「新日本プロレス東京ドーム大会に全日本レスラー参戦」のくだりでした。その日、東京ドームで開催された新日本プロレススーパーファイトin闘強導夢」で、ジャンボ鶴田谷津嘉章vs木村健吾木戸修天龍源一郎タイガーマスク(2代目)vs長州力ジョージ高野、スタン・ハンセンvsビッグバン・ベイダ―という、全日本と新日本の団体交流戦が組まれました。当時の世相と相まって、「ベルリンの壁が崩れた」などと言われ、大きな話題を呼びました。当時は東京で仕事をしていたわたしも、もちろん東京ドームに駆けつけました。

 

当日の異様な熱気をわたしはよく記憶していますが、初めて鶴田が新日本の会場に姿を現した瞬間、わたしのすぐ前の観客が「うぉー!! 鶴田だ、鶴田だ、鶴田だ~!!」と興奮状態で絶叫していたこと、天龍が不機嫌に入場してきたこと、ベイダ―とハンセンの闘いが超弩級の迫力で、「ハンセンvsアンドレ」以来の外人名勝負となったことなどが脳裏に甦ります。本書には次のように書かれています。
「それは、午後8時18分のことだった。対抗戦3試合の1試合目、『鶴田、谷津vs木村健吾、木戸』が始まる前の、休憩時だ。観客内で、ウェーブが起こった。6万3900人の巨大なウェーブは、5分かけ、ドームを1周と3分の1、回った。それは、まさにプロレスという夢が起こした光景だった」
わたしも、このウェーブの中の1人でした。
生まれて初めてのウェーブ体験であり、人生でたった一度の幸せな体験でした。

 

平成プロレス 30の事件簿 (知られざる、30の歴史を刻んだ言葉と、その真相)

平成プロレス 30の事件簿 (知られざる、30の歴史を刻んだ言葉と、その真相)

 

  

2019年2月8日 一条真也

『証言 1・4 橋本vs.小川 20年目の真実』

証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実

 

一条真也です。
『証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実』前田日明佐山聡武藤敬司村上和成ほか著(宝島社)を読みました。1999年1月4日の東京ドームで行われた新日本プロレス橋本真也とUFOの小川直也の一戦は「セメントマッチ」として大きな話題となりましたが、その真相や舞台裏を語る証言集です。ものすごく面白いので、プロレス・ファンの方はぜひ、お買い求めの上、ご一読下さい! 

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本書の帯

 

表紙カバーには、寝た状態の橋本に容赦なくパンチを叩きこむ小川の写真が使われています。帯には「『破壊王』を破滅に追い込んだプロレス史上最大の事件」「ついに明かされる黒幕の正体!」と書かれています。 

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本書の帯の裏

 

帯の裏には以下のように書かれています。
佐山聡『猪木さんは新幹線の中で“指示”を出したんだと思う』/前田日明『俺が新日本にいたら絶対に小川をシバいてる』/武藤敬司『あの試合は、俺や長州さん、健介、藤波さんが辞めた原因の一つ』/大仁田厚『1・4の橋本vs小川戦は、猪木さんの俺への当てつけ』/村上和成『絶対に譲れない猪木さんの思想が、小川さんを暴走させた』/ジェラルド・ゴルドー『猪木さんとの約束がなければ小川を殺していた』ほか」

 

カバー前そでには、こう書かれています。
「猪木の闘魂を継承し、猪木に才能を認められた男は、猪木が新日本へ送り込んだ刺客の相手に選ばれた。1999年1月4日、東京ドーム。橋本は誰と闘っていたのか――」

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「1990年代以降のプロレス界、“最大の謎”がいま解き明かされる! 1999年1月4日、新日本プロレス・東京ドーム大会で行われた橋本真也vs小川直也の“シュートマッチ”。試合開始直後から橋本を殴る、蹴るなどの“暴挙"に出る小川。これは「プロレス」ではない――。騒然とする観客とリングサイドの新日本勢。結果、橋本は大観衆の前で醜態を晒すことになった。試合は『無効試合』判定となったが、試合後、長州力佐山聡らがリングに上がり新日本、UFO勢が乱闘騒ぎに発展、遺恨を残した。小川はなぜ“暴走”したのか。そして橋本はなぜ反撃しなかったのか――。現在もプロレスファンの間で語り継がれる“疑惑の試合”。20年を経た今、当事者、関係者がその深層を告白する」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」ターザン山本

第1章 小川を「取り巻いた」男たち

佐山聡
「猪木さんが大阪からの新幹線で小川に“指示”を出したと聞いた」

村上和成

「絶対に譲れない猪木さんの思想が、小川さんを暴走させた」

ジェラルド・ゴルドー

「ミスター猪木との約束がなければ、小川をぶちのめし、殺していた」

X(元猪木事務所・UFOスタッフ)

「小川さんのことが好きな人は誰もいなかった」

 

第2章 橋本を「守った」男たち

山崎一夫

橋本の控室で、猪木を罵倒し続けた長州に感じた違和感

藤田和之

「1・4は、試合後の乱闘も含めてプロレスだと思っていました」

安田忠夫

猪木にとって1・4の小川の相手は、話題になれば誰でもよかった

加地倫三

「引退特番に関わった僕が、橋本さんのケツを拭かないといけない」

 

第3章 橋本を「見守った」レスラーたち

前田日明

「次、小川をスパナでカチ食らわせ」と橋本に電話した前田

武藤敬司

 「あの試合は、俺や長州さん、健介、藤波さんが辞めた原因の1つ」

大仁田厚

「1・4の橋本vs小川戦は、猪木さんの俺への当てつけ」

 

第4章 橋本vs小川「至近距離」の目撃者たち

金沢克彦

“シュート指令”を出した猪木の想定を超えてしまった小川の暴走

辻よしなり

「橋本は小川を『自分の人生を懸けて闘うにふさわしい男だった』と」

田中ケロ

「はしごを外され、裏切られ、橋本は解雇されたんだと思います」

上井文彦

1・4後に橋本の年俸は3800万円から3000万円に

中村祥之(元新日本プロレス営業)

橋本vs小川は、猪木の「魔性のプロデュース」が生んだ悲劇

永島勝司

試合後、電話で「ガチに見えるプロレスをやっただけ」と主張した小川

橋本かずみ

「なにかあったらラーメン屋をやりたい」と言っていた橋本

橋本真也 小川直也 完全年表」

f:id:shins2m:20200518124430j:plain今も語り継がれる「1・4事変」

 

「はじめに」の冒頭で、ターザン山本はこう書いています。
「1999年1月4日、橋本真也vs小川直也戦。すべての証言者の言葉の端々、言外には呪いの感情が透けて見えてくる。なぜか? これは第二の『舌出し事件』である。決して普通のプロレスにはしない。断じてしない。それがアントニオ猪木の執念、怨念なのだ。 やってはいけない。してはいけない。あってはいけない。その原則を根底からぶち壊す猪木流の罠と落とし穴。仕掛け。そのことでレスラー、マスコミ、関係者、ファンまでが過剰に反応し狂っていく。それを見てひとりせせら笑う。してやったり。ざまあみろ。影でアカンベーをする猪木。作・演出の猪木劇場の完成だ」

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試合後、ゴルドーらUFO勢もリングに上がる

 

ブログ『証言UWF完全崩壊の真実』で紹介した本と同じく、本書もいろんな選手や関係者の証言集です。その発言の中から、わたしが知らなかったこと、興味を引かれたこと、「なるほど」と思ったことなどを中心に抜き書き的に紹介していきたいと思います。当時、UFOの代表として小川のセコンドを務めていた佐山聡は、新日本プロレス退団後に第一次UWFに加入し、格闘技の匂いのするプロレスをつくりあげました。「たとえば、ロープに飛ばされてバーンと体当たりする。そこでバーンと体をぶつけます。これは(プロレスの)ナチュラル。しかし、総合格闘技ならば、そもそもロープに投げられるということはありえない。UWFもナチュラルとは少し少し違う。UWFは、お客さんに関節技はこんなふうに決まるんだと理解してもらわなくてならなかった。あれは将来、格闘技をやるための過程。繰り返しやってはならない。プロレスのナチュラルと格闘技は別物です。ただ、これは僕の解釈。猪木さんがどんなふうに考えていたのかはわかりません。猪木さんには昔のストロングタイルでやりたいという気持ちはあったはず。ただ、自分が動けるわけではないので、もどかしいというか。それで小川を使ったんでしょう」(佐山聡

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空前の大混乱となりました


この後、再び新日本との縁が切れたUFOは、99年3月14日に単独で横浜アリーナ大会を開催しましたが、試合後の打ち上げパーティでどんでもない事件が起こりました。佐山が猪木に向かって「殺すぞ」とフォークを突き立てたのです。それを元猪木事務所・UFOスタッフのXなる人物が目撃していました。
「佐山さんが猪木さんに『オラーッ!』ってフォークを持ちながらすごんだっていうのは、嘘でもなんでもなく、本当のことです。そのまま佐山さんは、怒って帰っちゃいましたから。猪木さんと佐山さんの間になにがあったのか、本当のところは当人同士にしかわかりません。ただあの時、UFOを猪木事務所と切り離して、別会社にするという話があったんですよ。UFOの代表は佐山さんだったんで、猪木さんからしたら、もうスポンサーも付けたし、『これ以上、俺を頼るな』って感じだったと思うんですけど、佐山さんのほうは、猪木さんにはしごを外されたと感じたんじゃないですかね」(X) 

 

この頃の猪木には、小川を使って新日本を格闘技色に染めようという思惑がありました。それは「プロレスLOVE」を標榜する武藤敬司とは真逆の方向性でした。
「猪木さんは好きなんだよ、格闘技が。格闘技ファンなんだよ。だから、猪木さんは新日本をどんどん格闘技っぽくしてほしかったんだと思うよ。それが、いままでの猪木さん自身の試合すべてを肯定することになるから。自分たちの弟子に格闘技の試合をさせて、過去の自分の試合も肯定したかったんだよ。正直な話、坂口さんや長州さん、マサ(斎藤)さんとかアマチュアイズムを追求した人は絶対に強さを追求するというか、そういう発想にならないじゃん。どれだけしんどいことかっていうのがわかってるからさ」(武藤敬司

 

本書には1・4事変に関する多くの関係者の証言が集められていますが、元「週刊ゴング」編集長の金沢克彦が明かした新事実には驚きました。
「あの1・4の10日後くらいに業界関係者の重鎮のパーティの席で、竹内宏介さん、池孝さん、門馬忠雄さんらマスコミの大御所の人たちのところに佐山さんが来て、『このたびはご迷惑をおかけしてすみませんでした。小川に興奮剤を飲ませたら効きすぎちゃったみたいで』と言ってきたらしいです」(金沢克彦
もっとも、これは佐山流のジョークで、興奮剤の正体は単なる健康食品だったそうですが・・・・・・。

 

新日本プロレスのリングアナウンサーだった田中ケロは、この1・4事変の後、橋本vs小川の遺恨対決がドーム興行に欠かせないドル箱カードに化けたことを指摘します。
「結局、あの1・4があったことで、橋本vs小川というカードが多くの人に注目されるようになって、また試合自体、緊迫感のあるいい試合になったんですよね。だから、もしかしたら猪木会長の狙いどおりだったのかもしれない。ああいう“事件”がなければ、橋本vs小川がここまで注目されたりすることはなかったと思いますからね。
だから藤波さんと長州さんが名勝負数え唄を展開していて、それがややマンネリ化してきた頃、藤原さんが“テロリスト”として乱入したことがあったじゃないですか(84年2月3日・札幌中島体育センター)。あの時と構図は一緒なんじゃないかと思うんですよ。あれも猪木会長が藤原さんに対してけしかけたと言われていますけど、その真偽はともかく、あの乱入があったからこそ、新しい展開が生まれて、新しい熱を生むこととなった。橋本と小川の一件についても、結局はそうなったんじゃないかと思います」(田中ケロ)

 

新日本プロレス取締役の永島勝司の証言もリアリティ満点です。いつもと違う緊張感は漂っていたものの、試合そのものは通常のプロレスルール。この試合の「ブック」は最初から「無効試合」に決まっていたそうです。
「それまでの流れもあったから、この試合は勝敗をつけないことにしたんだ。橋本と小川には、当日に『無効試合で』って伝えた。(レフェリーの)タイガー服部には俺から伝えてないから、ちゃんと理解していたかどうかわからないけど、少なくとも関係者の間ではそれで話はついていた。
でも、反則してレフェリーが不在になってるのに、なかなか試合が終わらないんだよな(笑)。すぐ反則を取っちゃうと試合時間が短くなりすぎるから、誰かが試合を止めさせなかったのかもしれない。それで小川がガンガンやってるし、橋本がぜんぜん動かねぇし、周りも騒ぎ出したから、これでやっと無効試合だなと。俺はダグアウトで長州と2人で観てたんだけど、試合が終わって乱闘が始まったから、『光雄(長州)、行け!』って言って背中を叩いて、アイツがドドドってリングに向かっていったんだよ。そこから騒動がもっと大きくなっちゃったんだけどな」(永島勝司

 

それにしても、20年も前の試合が今でも語られ続け、こんな340ページもの書籍になるとは驚きです。そんな試合、力道山vs木村政彦アントニオ猪木vsモハメド・アリ、髙田延彦vsヒクソン・グレイシーぐらいしかないのではないでしょうか。1・4事変とは、プロレスと格闘技が最も交差した時代の「まぼろし」だったように思います。最後に、今は亡き橋本真也選手の御冥福をお祈りいたします。合掌。

 

証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実

証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実

 

 

2019年2月7日 一条真也

『証言UWF完全崩壊の真実』

証言UWF 完全崩壊の真実

 

一条真也です。
『証言UWF完全崩壊の真実』髙田延彦+船木誠勝+坂田亘+ミノワマン大仁田厚ほか著(宝島社)を読みました。ブログ『証言UWF』ブログ『証言UWF最終章』で紹介した本の続編で、シリーズ完結篇です。ものすごく面白い本ですので、プロレス・ファンの方はぜひ、お買い求めの上、ご一読下さい!  

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本書の帯

 

カバー表紙には髙田延彦の写真が使われており、帯には「夢と理想を追い求めた男たちの苦悩――シリーズ最終作!」「髙田延彦独占告白」「UWFの全内幕!」「前田日明佐山聡」「新生U解散の衝撃」「U系3団体の終焉」と書かれています。カバー裏表紙には、桜庭和志、髙田、前田、佐山の顔写真が使われ、帯の裏には「UWFからPRIDE,そしてRIZINへ」「歴史が証明した[U]の存在意義」と書かれています。

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本書の帯の裏

 

アマゾンの「内容紹介」には、こう書かれています。
「UFCとグレイシーという2つの『黒船』、そして1990年代後半から始まる総合格闘技ブーム。“Uの幻想"は崩壊し、『パンドラの箱』を開けざるをえなくなったU戦士たち。格闘技に侵食され、UWFが完全崩壊に至った内幕を当事者、関係者の証言で詳らかにする。証言UWFシリーズの最終作についに髙田延彦が登場。第一次UWFへの移籍から、UWFインターナショナルの崩壊まで、プロレスと格闘技の間で漂流し続けた男の葛藤と苦悩とは――」

 

本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」ターザン山本

 第1章 Uインター“最強”を追い求めた終着点

髙田延彦
Uインターの後期は、すべてを手放し、一人になりたかった

金原弘光

髙田道場に誘われなかったのは、正直ショックだった

山本喧一

Uインターで“神様”だった髙田さんは孤独だった

鈴木健

田村の「真剣勝負してください」発言で髙田さんは人間不信に

佐野巧真松井大二郎

髙田さんの引退試合は、桜庭とやればよかったと思ってる

 

第2章 リングス“いびつ”な世界の終焉

坂田亘

“シュート”と“ワーク”を超えた恐るべき戦場だったリングス

北沢幹之

前田が人前で、何度も選手を殴るのだけはあんまりかなと・・・・・・

 

第3章 パンクラス“21世紀のプロレス”の消滅

船木誠勝

掌底ルールを捨てたことで、完全にUは終わりました

ミノワマン

ヒクソン戦を狙い続けた男の“プロレス愛”

高橋義生

UFCで負けたらナイアガラの滝に飛び込むつもりだった

山田学

パンクラスを罵倒する前田日明が許せなかった

 

第4章 UWF“ムーブメント”に翻弄された男たち

エンセン井上

約束を守らないから、いまでも前田さんを許してない

塩崎啓二

リングスとPRIDE「至近距離」の真実

大仁田厚

UWFがなければFMWはなかった

 

 

「はじめに」で、ターザン山本がこう述べています。
「ひと言でいうとプロレスというジャンルが持っていた根源的コンプレックス。それを“超えたい”という若者たちの切なる夢と幻想。その象徴がUWFだった。
ジャイアント馬場はそのコンプレックスに黙秘を貫いた。ボロが出るのはわかっていたからだ。アントニオ猪木はプロレスラー最強伝説をぶち上げてコンプレックスを一掃しようとした。世間を徹底的に挑発し続けることが、プロレスが生き残っていく道だと考えていたからだ」
その後、猪木の思想的DNAはUWFを誕生させます。ターザンは山本は、「怒涛のムーブメント。影響力、絶大。一気にマット界を席巻した。だがその実態はは意外と脆弱だった。イメージだけが勝手に一人歩きしたUWFは、よくある内部分裂というブラックホールにはまっていく。絶対的教祖の不在と経典なき世界。そして総合格闘技の台頭という時代の波にのまれ、UWF信者たちはバラバラに解体していった」と書いています。

 

証言UWF 最終章 3派分裂後の真実

証言UWF 最終章 3派分裂後の真実

 

  

前作『証言UWF最終章』と同じく、本書もいろんな選手の発言集(証言集)です。その発言の中から、わたしが知らなかったこと、興味を引かれたこと、「なるほど」と思ったことなどを中心に抜き書き的に紹介していきたいと思います。

 

まずは、旧UWF(ユニバーサル・プロレス)に高田伸彦(当時)が新日本プロレスから移籍する際のエピソード。
「ユニバーサルに移籍する時、まだ入門したばかりの橋本真也を誘ったの。『巨人の星』の伴宙太に似ていたから、“伴宙太”って呼んでてね。私が道場を出るため、レンタルでトラックを借りてきた時、荷積みから荷降ろしまで手伝ってくれたのも彼。橋本自身、ユニバーサルに一緒に来たい気持ちはあったみたいだけど、彼はもともと高校時代の恩師を通じて新日本に入って、岐阜の地元から“いつか故郷に錦を飾れよ”って送り出された人間だから。入門したばかりで団体を移るのは、応援してくれた地元の人を裏切ることになる、と。『だから本当は行きたい気持ちがあるんですが、今回は辞退させていただきます』っていうことを、真摯に言ってきたのをよく憶えている」(髙田延彦)

 

 

わたしが一番知りたかったのは、髙田延彦の前田日明に対する思いです。本書でもハッキリとは発言していませんが、新生UWF解散の話題の流れの中で、「これは一般論だけど」と断った上で、髙田は次のように語りました。
「やはりどんな域に達した人間でも、自分に非があれば謝ることは必要。やはり、組織において人材というのは財産だから、それを守って前に進めるために、時には忸怩たる思いがあったとしても、頭を下げる。また、仲間の言っていることを一度、芯から受け止めて、理解するための努力をするっていうのは、トップに立つ人間として、必要不可欠な資質なんじゃないかと思う。自分が意地を張ることで、継続させたい組織がバラバラになってしまったら、元も子もないからね」(髙田延彦)

 

1995年10月9日、東京ドームで開催された「新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面戦争」のメインイベントで、髙田延彦は武藤敬司のドラゴンスクリューでヒザを痛め、最後は足4の字固めの前に敗れました。
「あのドームでの対抗戦は、私が武藤に足4の字で負けることで、Uインターでやってきた功績が否定されたことは確かです。でも、あの対抗戦に付き合ってくれた若い選手たちを一発目のドームに出せたということは、彼らにとってもひとつの財産になったと思う。あの大会は、実券の売り上げでいえば、いまだに東京ドームの最高記録だといわれているからね。それだけ注目度の高い興行に、若いうちに出られたのは、彼らにとっていい経験になったと思う。あそこに出たという事実も永久に残るからね。要するに私たちにとってすべてがマイナスだった興行ではなかったということ。改めて、対抗戦に付き合ってくれた若い選手たちに感謝の気持ちを伝えたい」(髙田延彦)

 

「ユニバーサル、新生UWF、Uインターのメンバーで、10年先にこうしようとか、15年先にああしようなんて考えられた人間は一人もいないと思うよ。みんな目の前のことに対して必死に生きた。だからその時々で衝突して、くっついて離れて。すべては本気で生きてきた証。そうやってもがき続けて、ふと気づいたら、個々のたどり着くべき場所にたどり着いてるんじゃないの。人生、人が歩む道は計算してその通りに進めるものではないからね。私自身がそのサンプルみたいなものだから(笑)」(髙田延彦)

 

「Uインターは基本がプロレスで、シュートでも勝てる練習をしてきた団体だけど、リングスは世界中のいろんな格闘家を集めてきてるから、もともとシュートができる連中ばかりなんだよね。だからUインターは“シュートができるプロレスラーの団体”であるのに対して、リングスは“格闘家が集まってる団体”。基本シュートありきだから、やっていて刺激的ではあったよね。だからリングスジャパンの選手もけっこうシュートの試合やってたよ。たとえば、オランダとかロシアの初参戦の選手とかは、成瀬(昌由)選手とか坂田(亘)選手がだいたいシュートでやってたから。未知の強豪の相手をしっかりシュートで務める彼らは偉いなって思ったよね」(金原弘光

 

 

泣き虫 (幻冬舎文庫)

泣き虫 (幻冬舎文庫)

 

 

大仁田は、プロレスの否定から入っていることを指摘し、その分、動きや自分自身がどんどん制限され、どんどんカタくなっていくと危惧します。そして、髙田延彦の告白本である『泣き虫』を取り上げて、こう発言します。
「プロレスを否定しているから、もう戻れないのよ。言いたいこと? まあ、『髙田よ、米ビツを開けるな』ということかな。髙田vsヒクソン戦? 観てないけど、2回もやったっていうのは、ヒクソンには自信があったんだろうね。彼は勝てる相手としかやらないらしいじゃない」(大仁田厚

 

「悲しいよな。格闘技は勝つか負けるかだけで決まる世界。敗者の美学がないのよ。そして、プロレスにはある、“2度目のチャンス”がほぼない。立ち上がれない。大きく言うとね、プロレスは人生であっても、総合格闘技は人生じゃない。世の中、勝利者だけじゃないじゃん?」(大仁田厚
わたしは基本的に大仁田が嫌いなのですが、この発言には共感しました。本書の目玉になっている髙田延彦の告白ですが、自分に都合の良い話ばかりで、『泣き虫』の延長のように思えました。何よりも、あれだけ世話になった前田日明への感謝の念がまったく感じられません。

 

その前田ですが、本書では、金原の自主興行を妨害したり、元アウトサイダーの渋谷のパンクラスデビューをパンクラスに圧力をかけて妨害したりなどのネガティブなエピソードが明かされています。非常に興味深いというか、信じられないのがエンセン井上の証言です。「THE OUTSIDER」の興行に裏社会との仁義の問題で、前田日明が超ビビっていたというのですが、ちょっと簡単には信じられません。こんなダークな裏話が語られるところが格闘技のマイナー性を示していますが、これが事実と違うのなら、前田は自身の名誉のためにも堂々と反論した方がいいと思います。

 

証言UWF 完全崩壊の真実

証言UWF 完全崩壊の真実

 

 

2019年2月6日 一条真也

営業推進部総合朝礼

一条真也です。
2月5日、松柏園ホテルで開催されたサンレー営業推進部の総合朝礼に参加しました。この日も、300人以上が集まりました。熱気ムンムンです!

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入場のようす
f:id:shins2m:20190205105914j:plain営業推進部総合朝礼のようす(一同礼!)

f:id:shins2m:20190205110331j:plain全員で経営理念を唱和

f:id:shins2m:20190205110440j:plain社長訓話を行いました

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重要なメッセージを伝えました

小谷課長による勇壮なふれ太鼓の後、まずは全員で社歌を斉唱し、飯塚営業所の辻所長のリードで経営理念を唱和してから、わたしが登壇して社長訓話を行いました。重要なメッセージを営業員のみなさんに伝えなければいけません。最初に、わたしは「昨年の紅白歌合戦を御覧になりましたか。近年稀に見る素晴らしい紅白でした。サザンオールスターズ北島三郎さんの絡みには感動しました。新時代が来ると、あらゆる古いものが『もう不要では?』と言われます。紅白もきっとその危機感を抱いていたのでしょう。昨年の紅白は、北島三郎の『まつり』とサザンの『勝手にシンドバッド』で盛り上がりましたが、わたしも会社の新年祝賀会でその2曲を歌いました」と述べました。

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平成がもうすぐ終わります!

 

今年は平成の最後の年です。みなさんの人生においても、平成はいろんな出来事があったでしょう。かくいうわたしも平成元年に結婚し、平成5年に長女が生まれ、平成11年に次女が生まれました。そして、平成13年に社長に就任しました。その思い出に溢れる平成があと数ヵ月で終わります。今年の4月30日に今上天皇は退位され、翌5月1日に改元となります。新しい時代の訪れで、あらゆるものが変化することでしょう。今年も多くの方々から年賀状をいただきましたが、文面に「紙の年賀状は今年限りとさせていただきます」というものがたくさんありました。いわゆる「年賀状じまい」です。もう新しい時代が来るのだから、古い習慣は終わりにしよう」という考え方が広まってきています。

f:id:shins2m:20190205124549j:plain新時代に冠婚葬祭は生き残れるか?

 

その「新時代には不要では?」と考えられる可能性のある筆頭は冠婚葬祭かもしれません。バーチャルなIT社会の現在、リアルな冠婚葬祭という営みを否定する輩が必ず出てくるでしょう。世の中、変えてもいいものと変えてはいけないものとがありますが、窮屈なばかりで意味のない礼儀、いわゆる虚礼などは廃れていくのが当然でしょう。平成が終わって新元号となったとき、それらの虚礼は一気に消え去ります。しかしながら、結婚式や葬儀、七五三や成人式などは消えてはならないものです。それらは「こころ」を豊かにする「かたち」だからです。

f:id:shins2m:20190205124425j:plainコップを使って「こころ」と「かたち」を説明

 

人間の「こころ」は、どこの国でも、いつの時代でも不安定です。だから、安定するための「かたち」すなわち儀式が必要なのです。そこで大切なことは先に「かたち」があって、そこに後から「こころ」が入るということ。逆ではダメです。「かたち」があるから、そこに「こころ」が収まるのです。ちょうど不安定な水を収めて安定させるコップという「かたち」と同じです。

f:id:shins2m:20190205111536j:plain「こころ」を守る「かたち」を守ろう!

 

人間の「こころ」が不安に揺れ動く時とはいつかを考えてみると、子供が生まれたとき、子どもが成長するとき、子どもが大人になるとき、結婚するとき、老いてゆくとき、そして死ぬとき、愛する人を亡くすときなどがあります。その不安を安定させるために、初宮祝、七五三、成人式、長寿祝い、葬儀といった一連の人生儀礼があるのです。今年はわれわれにとっても正念場です。ぜひ、サンレーグループ全員の「こころ」を1つにして、儀式という「かたち」を守りましょう!

f:id:shins2m:20190205112146j:plain決意表明のようす

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社長、お聴きくださ~い!

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頼もしく聴きました

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応援団も登場!

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とにかく前向きに・・・

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必ず、やりま~す!

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クラッカーが鳴りました

 

社長訓話の後は、各営業所長およびブロック長による決意表明が行われました。北九州だけで3ブロック・17営業所あるのですが、それぞれに趣向を凝らした決意表明でした。営業所長の音頭に合わせて、営業員さんたちが声を揃えたり、拳を突き出したり、「完達」などと書かれた団扇を振ったり、クラッカーを鳴らしたりしました。まったく、頼もしい限りです。最後は、豊原課長がみんなの決意表明をまとめて手渡してくれました。

f:id:shins2m:20190205124812j:plainみなさんの決意をしっかり受け取りました

f:id:shins2m:20190205124453j:plain決意表明の後で講評を述べました

 

すべての決意表明が終わった後、わたしは「素晴らしい決意表明でした。なによりも明るいのがいい。新体制になって営業推進部が本当に明るくなりましたね。営業に限らず、仕事というのは『嫌だ』『面倒臭い』『やりたくない』などとネガティブに考えると、どんどん悪い方向に転がるものですが、何事も陽にとらえて、前向きに明るくしていれば必ず好転します。みなさんは明るくて素晴らしい! 必ず、やれます!」と講評しました。

f:id:shins2m:20190205114129j:plain和のこえ」を行いました

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拍手の中を退場しました

 

その後は、玉中取締役の音頭で「和のこえ」を行いました。わたしたちは、手をつないで「ガンバロー!」と3回唱和しました。わたしは、「この勢いがあれば、新元号になっても必ず飛躍できる!」と思いました。期待しています!

 

2019年2月5日 一条真也